佳人と槍










夜が明けて、と姜維の二人は手を取り合って山を降りた。

姜維からの贈り物は全て、荷に積んできた。
馬車を用意してくれたおかげで、今のところ人目は気にならずに移動できている。

山から降りると、途端にの口数は減った。
久しぶりに人の居る町だ、と思うと訳もなく緊張してしまう。

そんな心情を知ってか知らずか、姜維は黙っての手を握っている。それだけがの心の拠り所だ。

賑やかな町の中心からは、少し離れた場所に馬車が到着する。
姜維はの手を握ったまま「小さい屋敷ですまないが」と照れくさそうに笑った。


(この人は本当に、とても……)


自身も大変な境遇だろうに、とても綺麗に笑う。眩しい程に。


「ここだ。他には誰もいない」


畑もある、との手を引いて、姜維は中を案内する。

は物珍しそうにあちこちを見て回った。
手入れが十分されているとは言えないが、には十分立派な屋敷だった。二人で住むには広いくらいだ。


(いや、これは私の感覚が……いけないいけない)


長年の小屋住まいのせいで、しっかり感覚が麻痺している。
しっかり姜維に合わせていかねば、とは考えを改めた。


(伯約が気持ち良く過ごせるように、頑張りたい)


特に食事とか。
一人なら適当に済ませられるが、姜維に用意するとなると別だ。
彼はまだ若い。体が第一なのだから、体力が落ちないように、しっかりたくさん食べて貰いたい。

台所を見たところ、酒は置いていなかった。
あまり飲まないのだろうか、それとも倹約しているのだろうか。
倹約には自信があるが、あまり質素でもいけないだろう。

こんな事も、これから手探りだ。どきどきする。
話す事も聞く事も山ほどあるのだな、と思うと、とても楽しい。



++++++++++++++



一通りの部屋を見て回った二人は、さくさくと荷解きを始めた。
片付けも終わり一息つくと、姜維は改めてに向き合った。

魏延の前例があるから、仮面については恐らく周囲の住民にも問題はないだろう、と。
最初こそ驚かれるだろうけれど、人はそのうち慣れていくはずだ。
それまでは、できるだけの行動には姜維も同行するようにしたいことも。


「戻ってくるのは、数日に一度程度になると思う……もっと少ないかもしれないが、できるだけ帰る」


はうんうんと頷きながら聞いてくれる。

が本当にここにいる、と思うと何だか不思議な心地で、まだ実感が湧かない。

山で出会った時のような、ふわふわした感覚だ。気持ちが良い。
我ながら浮ついているなと思うが、今この時くらいは酔って良いと思う。

やっと――これから二人で、ここで生きていく。

がここで待っていると思えば、俄然やる気がでる。
蜀の為にもっと働いて、の為にも邁進せねば。


「ここを、あなたの場所にして欲しい。あなたの過ごしたいように、過ごしてくれ」
「ありがとう……」


冬だというのに、春のような暖かな空気に包まれる。
十日を共に過ごしただけなのに、何故こんなに安心するのだろう。

不思議な縁に、今はただ感謝するのみだ。


「足りないものは我慢せず言って欲しい……ざっと見て、どうだろう?」
「十分あるように思えます」
「そうか? 良かった」


一度顔を出して報告してくる、と姜維は登城した。
姜維を見送ってから、これから彼がここへ帰ってくるのだと思うと――高揚感に似た感情が芽生えてくる。


(じゃあ早速、頑張りますか)


何から手をつけたらいいのか考えながら、の心は明るく弾んでいた。



+++++++++++++



姜維を出迎えると、姜維は嬉しそうにに駆けよってきた。


「ただいま、
「おかえりなさい、伯約」


言った後、二人で顔を見合わせる。


「……何だか」
「恥ずかしいですね」


姜維とは、同時にクスリと笑った。
こんなささやかな事ですら、二人なら楽しい。

夕暮れ。
戻ってきた姜維と共に、卓を囲む。


「今度登城する時、丞相からを連れてくるよう言われた」
「……私を?」
「ああ。どのような人物か見ておきたいのだろう」


の緊張を敏感に察して、姜維は優しい声で語る。


「心配することはない。優しい方々だ。仮面のことも話してある」
「はい……」
「つけたままで良いそうだ。あまり人目につかない場所で、一度外すことを頼むとは言われている」
「……そうですよね」


姜維は「ああ」と頷いた。


の顔を知っていなければ、何かあった場合も保護しにくい事情もある……嫌かとは思うが……」
「ですよね」


正直に、申し訳なさそうに姜維は話してくれるが、彼がそんな風に思う必要は無い。
それはその通りだな、とも思うのだから。

外すことは避けられない――となると、外して大丈夫かどうかがには問題だ。
名のある将の方々なら、美しい女性など見慣れたもの、と案外へっちゃらかもしれない。
それならそれで、仮面を外して生活ができるので、にとってはありがたい方向にはなる。

そう、仮面をつけなければ男を惑わすと言われ、自分でそう思いこんでいるだけで、大した問題では――なかった場合、どうしようか。

が考え込んでいると、姜維は愛しそうにの手を取った。


「私も同席するから」
「え」
「……駄目か?」


もちろん駄目ではないが、心の準備というものが。
は慌てて首を振ると、どうしたものか頭を巡らせた。


「いえ、そんな。ええ、ええと……あの、女性の方はいらっしゃいますか?」
「女性?」
「はい。殿方にお見せ……となると、心もとなくて……その方に判断して貰うことはできますか?」


苦しい言い訳のようになってしまったが、その手順を踏ませてくれたらも安心して見せられる。
なるほど、と姜維は納得してくれたようだ。


「女性……ああ、丞相の奥方も同席されるはずだ。安心してくれ」
「はい」


それなら良かった、とは安堵した。

姜維はそんなを見て、健気だなと柔和に微笑んでいる。
それはちょっと違うのだけどと言いたかったが、何となく言えずに居た。









「では、行こうか」
「はい」


身なりは一応、整えられている筈だ。
人前に出て失礼ではない範疇だと思う。

道行く人々は、とすれ違い――驚いて振り返る。
姜維は険しい目つきでその様子を見ているが、は心配していたよりも自身、動じていなかった。


(伯約が居るからかな)


驚くほど楽観的になっている。何せ安心感が違う。
髪に飾られた簪が、サラサラと音を立てていた。それがとても、には心強い。


「ようこそ」
「おはようございます、丞相。こちらが……」
と申します」


は前に進み出ると、諸葛亮に跪いた。
部屋に入ってすぐ向けられた好奇の視線を一身に浴びると、いささか緊張してきた。


「あなたが殿ですか。わざわざ出向いて下さったこと、感謝します」
「恐れ入ります」


諸葛亮とが静かにやり取りをしている最中、姜維は訝しげに周囲を見回した。


「……なぜ殿も?」


姜維の顔は、やや引きつっていた。
殿どころか、馬超やら趙雲やら、いつもはここに寄りつかない面々がずらりと揃っている。

諸葛亮は涼しい顔だ。


「興味があるそうです。同席しても構いませんか? 殿」
「勿論でございます。お目にかかれて光栄です……」


秘密裏にこっそり、と言っていたではないか。話が違うのでは、と姜維は抗議するかどうか迷った。
しかし、心配していたの方は慌てた様子はない。とりあえず見守るべきか――。


「姜維から話は聞きましたよ。先の戦で彼を救って下さったそうですね。ありがとうございます」
「いえ、そのような……」
「謙遜なさらずとも」


月英が進み出て、の手を取って立たせてくれる。


「お座り下さい」
「ありがとうございます」


は姜維を先に座るのを待って、末席に座った。


「どうぞ、楽にして下さいね」
「おもてなしに感謝します……」
「とは言っても、緊張するなと言う方が無理な話ですけどね。姜維があまりに嬉しそうに語るものだから、皆の興味をひいてしまって」


月英がからかうようにクスリと笑う。
茶器に手を伸ばしかけたの手が、ぴたりと止まった。


「……どんな風に?」
「良い妻と巡り合えたと、それはそれは嬉しそうに」
「げ、月英殿……それくらいで」
「はい、わかりました」


姜維が赤面するのを、皆が微笑ましく見守っている。
なるほど、優しい方々に囲まれているのだなとは思った。


「あなたの事情も、姜維殿から聞いてはいます。ですが、一度確認させて頂きたい」
「有事の際に、あなたを保護しなくてはなりません。その時、顔も知らぬようでは難しいの」
「はい」


は頷いた。
だが、姜維は心底心配そうにを見つめている。


「……。、無理はしなくても」
「いえ……認めて頂く為にも、嫌がって逃げてばかりではいられません」


これは本心だった。姜維は未来がある。
のことで足を引っ張る訳にはいかない。
今までは人の目に怯えて逃げていたが、姜維とならば立ち向かえる気がしていた。

ここで、さっさと仮面を外せてしまえば良いのだけれど――そこはやはり、慎重にいきたい。


「しかし……長く、人の目に晒したことがありません……」


命じられたのなら躊躇っていては不敬かとも思ったが、正直に打ち明ける。


「ですので……女性の……月英様でしたら……それで、まず判断いただけませんか」
「ええ、勿論それで構わないわ。孔明様、それで良いですよね?」
「ええ。それで十分です」


諸葛亮も快く同意してくれたので、は安堵した。良かった。
姜維もホッとしている様子で、それが何だか嬉しい。一緒に、真剣に考えてくれている。


「では、こちらへ」
「はい」


誘われて、と月英は奥の部屋へと移動した。
移動した途端、月英が小さくため息を零す。


「……大勢でごめんなさい。噂のあなたを一目見ようと……悪意はないのよ、皆」
「いえ、気にしておりません……変わり者の自覚はありますから」


山で会った仮面をつけている一人暮らしの女を妻に迎えた、などと言われては見てみたくなる気持ちもわかる。
我ながら怪しい情報しかない。


「……では」


は一呼吸おいてから、仮面の紐に手をかけた。







  
          





===== あとがき ===

面会スタート!月英さんが好きなので、隙あらば月英さんを登場させます(・ω・)

読んで下さってありがとうございます。もうちょい続きます。


 2022.6.11 山藤