佳人と槍
そして季節は流れ、冬がやってくる。
今年の秋は去年よりも実入りが少なかった。
厳しい冬になりそうだった。
山はすっかり雪で覆われ、もあまり外出せずに過ごすようになっていた。
(うーん、粟も底をついてきたわねー)
蓄えは少なくなってきたが、一人くらいなら多分大丈夫だろう。
細々と食いつないでいける、くらいの量はあるので、それほど切羽詰まってはいないのだが。
何か想定外の事が起こったら、危ないかもしれない。
どうしようかな、とは思案していた。
体力のあるうちに何か採りに行き、町へ降りて何かと交換してこようか。
できるだけ避けてきた事だが、流石に積極的に死にたい訳ではない。
背に腹は代えられないか、と小さく息を吐いた、その時だった。
風の音に混じって、ザクザクと雪を踏む足音が聞こえる。
(? 気のせい……? 獣かな)
ではない。
足音はまっすぐ小屋へ向かってくる。
この足音は、人だ。
そう理解したは咄嗟に傍にある包丁を掴んだ。
もしかすると、山賊かもしれない。
が身構えていると、どんどん、と扉が叩かれた。あれ?と疑念を持ったのもつかの間。
「殿! 居るか!?」
「え」
は包丁を取り落としそうになった。
「ま、待って下さい。いま」
慌てて包丁をきちんとしまうと、は仮面に手を伸ばした。
「……?」
手早く紐を結びながら、の頭はすっかり混乱していた。頭がぐるぐるする。
今、声が――今の声は、確か――まさか。
仮面をつけ終えててからも、は少しの間動けなかった。
「……えっ? まさか、伯約殿ですか?」
「ああ、私だ。来訪が遅くなってすまなかった」
扉越しに聞く、懐かしい声。
まさかそんな事が、とはぼうっと扉を眺める。
しばらくして、姜維が控えめに声をかけた。
「戸を……開けてもいいだろうか?」
「はい」
「では」
カタン、と音をたてて扉が開かれる。
ぶわっと冬の白い空気が中に流れ込んできた。
それが真っ白な羽のようで、とても綺麗だ。
はまだ、ぼうっとしていた。俄かに信じられない。
「殿……」
名前を呼ばれ、やっとは思考を取り戻した。
思わず駆けよると、その勢いのまま姜維の体を抱きしめる。
姜維もしっかりとを抱きとめた。
「ご無事で」
「会いたかった」
強く抱きしめながら、姜維は絞り出すような声で切に囁いた。
しばらく抱き合った後、ゆっくりと体を離す。
「良かった……また会うことができた」
「……」
姜維は心から嬉しそうだ。
はというと、また思考が鈍ってきていた。やや放心気味に、ぼーっと姜維を眺める。
「殿?」
「いえ……幻覚なのかなと自分を疑っているだけです」
「幻覚?」
「私が」
言いかけて、は俯いた。
今になって自分から抱きついた事が恥ずかしくなってきた。
「私が望んだから、都合のいい夢をみているのではと」
「殿」
姜維は優しくの手をとる。
「夢ではない。私はここにいる」
「……本当に?」
「ああ」
姜維は力強く頷く。
それではやっと、現状を受け止めることができた。
姜維が生きていて、本当に良かった。
無事で戻れたのかどうか、心のどこかでずっと案じていたから。
「ちゃんと一人で来たぞ」
姜維は得意そうに胸を張る。
そして、背負っていた大きな荷を床に降ろした。
「ちゃんと礼をしていなかったからな。ひとまず、これを」
「え」
は広げられた荷を見て、目を丸くした。
「塩と炭だ。粟もある。必要だろう?」
「……こんなに? ありがとうございます」
礼を告げると、姜維は嬉しそうに笑った。
「どこに置く?」
「ええと、では、この辺りで……」
姜維はてきぱきと荷ほどきをすると、の指示に従い片づけ始めた。
「冬の山は実入りがなく厳しいだろう。布もある」
「これは……頂き過ぎではないですか?」
上等の毛皮や絹だ。良いのだろうか。
おそるおそる聞くと、姜維は笑って首を振った。
「これくらいはさせて欲しい。少ないくらいだ」
「そ、そうですか……では、ありがたく」
強く断る理由もない。は深々と頭を下げた。
使いどころがあるのかどうか悩むが、ひとまず棚に大事にしまっておこう。
「どうぞ、火で温まって下さい」
「ああ」
姜維は火の傍に腰を下ろした。
パチパチと爆ぜる音が、あの日の朝のようだった。
「……まだ持っていてくれたのか」
「あ」
何をと具体的に言わないが、お互いに話は通じる。
棚の一番上に、大事に飾ってあったのをバッチリ見られた。
「……はい」
「そうか……」
何となく照れ臭くなり、誤魔化すようには茶を淹れ始めた。
山道を来たのだから、体が冷えているはず。
薬草茶を淹れて渡すと、姜維は「懐かしい味がする」と笑った。
「……次にあなたに会ったら、これを渡そうと思っていた」
姜維は袂から包みを取り出すと、の前で開いてみせた。
「これは……」
玉が散りばめられた簪だった。
見ただけでも、高価な品だと判る。
「この前の翡翠は、欠けていただろう? 改めてこれを贈りたい」
「……」
その意味を、も知らぬ訳ではない。
は口ごもった。戸惑いを隠そうにも、きっと姜維にも伝わっている。
「私は……」
「あなたを、連れて行きたい」
姜維は静かに、はっきりと口にした。
「私が嫌でないのなら、どうか……一緒に来て欲しい」
言いながら、姜維はの手を取ると簪を握らせた。
はされるがまま、抗えなかった。
抗えない事はわかっているのだが、まだには迷いがある。
「人と接する暮らしが嫌になって、それで逃げるように。だから……」
には自信がない。
姜維とだけの生活であるならまだしも、周囲の目もある。
そんな中で、姜維の足枷とならずに生きていけるだろうか。
しかし、姜維も退かなかった。
「……我が侭ですが……それでも、私は貴女が欲しい。これからは、私が守ります」
「……」
は俯くと、パチパチと燃え続ける火を見つめた。
姜維と再会できた時に感じた喜びが、確かにあった。抱きしめられた時の温かさは、火にも勝る。
踏み出すことへの怖さと期待で、心が葛藤している。
(……怖い)
ここで彼を拒絶してしまえば、彼は無理強いはしないだろう。
けれどきっと、はその事を一生後悔するだろう。
は覚悟を決めると、顔をあげた。
「名を、教えて頂けますか?」
「姜維。字は伯約と申します。魏から蜀へ降ったばかりですが、地位はそれなりに」
「……」
は簪を強く握りしめた。自分の為に作らせたであろう逸品を。
まだ降ったばかりなら、生活はめまぐるしく変わっている最中だろう。
その中でも、彼はの為に時間を割いてくれた。そして、少なくはないであろうお金も。
は重い口を開いた。
「この仮面は」
「はい?」
「不思議なものでね、仮面を身につけていると、話す相手の人となりが何となしにわかるのですよ」
は語る。
「そして、本音で語るには便利なもの」
何を語っても、姜維はきっと正面から受け止めてくれるだろう。
そんな気がして、は心の内を打ち明けることにした。
「年増女が、若く美しい男を誑かした。周囲からはきっと、そう見られます」
「そんなことは」
「嬉しいのです。私などのために、骨を折って下さったこともわかります」
姜維の言葉を遮り、は静かに続ける。
「でも、ただ……怖い。変わり者の私の評価は、あなたの弱みになってしまうでしょう」
それだけが。
「だから」
姜維は顔色を変えると、目を逸らし耳を塞いだ。
「姜維殿?」
「嫌だ……」
「まだ言ってませんよ」
「断るつもりでしょう? 聞きたくない……」
は思わず微笑んだ。
「困ったひと」
渋い顔で萎れている姜維の傍に、は座り直す。
「断らなければならない、と頭でわかっているのに」
ねえ、とは姜維の手を耳から離させると、照れたように笑った。
「……お傍に置いて下さいますか?」
「勿論だ!」
ぱあっと顔を輝かせ、姜維はを抱きしめた。
温かなぬくもりに包まれ、は目を閉じた。この幸福感を、いつまでも覚えておこう。
「……私は仮面をつけて過ごしますが、いいのですか?」
「ああ。私は気にしない」
「……」
姜維は当然のように言う。
しかし、このままでは不誠実のような気がしてきた。そこまで彼に甘えるのも申し訳ないような。
仮面を今、取ってみようか。
は少し迷い、止めた。昼間では明るすぎる。
最初に外して見せるなら、夜が良いかもしれない。
「ここを片づけなければなりませんね」
「手伝おう。明後日まで、まとまった休暇を貰えたのだ。今日は、ここに泊まっても?」
「ええ、勿論」
姜維の持ってきてくれた食糧があったので、もてなす為の菜も作ることができた。
寝具は一人分しかなかったので、二人で共に眠る。
「朝になったら、私の屋敷へ行こう」
「はい」
「……しかし」
「はい?」
「……これは、眠れないな」
照れくさそうに姜維が笑うので、もクスリと笑みを零した。
「確かに。私もです」
「何か話そうか?」
「ええ。あなたの話、何でも聞きたいです」
目が冴えて、何だか眠るのが惜しい気がして、二人は遅くまで語り合った。
戦場へ戻った時、川へ落ちた場所よりも移動はしていたが、想定内の範囲で良かったとか。
が持たせてくれた食料のおかげで、何とか体力がもったこと。
薬も処置も良かったおかげで、傷もすっかり治ってしまったこと。
さすがに十日も行方不明だったことは叱責されたものの、状況が状況なだけに罰にはならなかったこと。
諸葛亮の元で学んでいて、彼をとても尊敬していること。
のことが気がかりだったのだが、戦の後始末等で時間がかかってしまったこと。
まとまった休みを貰う為に、がむしゃらに働き続けてきたこと。
「早く会いたいと思っていたのだ。忘れたことはなかった」
新参者の姜維には、何はなくとも実績が必要だった。
は戦火に巻き込まれず無事に生きているのか、そもそも迎えられなかったらどうしようかと不安だった、とも。
には、どれも新鮮な話ばかりだった。
「……とても、努力されたのですね。無事で良かった」
「ああ、すごく頑張ったんだ……褒めてくれ」
は笑いながら、姜維の髪を撫でた。くすぐったそうに姜維も微笑む。
空気は切れるように冷たいのに、不思議と寒さを感じなかった。
山で過ごす最後の夜。
と姜維は二人、寄りそいながら眠りについた。

===== あとがき ===
無事に再会(・ω・)
読んで下さってありがとうございます。もうちょい続きます。
2022.6.11 山藤