フェイタンはもう一枚布を手に取ると、の体を包んだ。
その肩を自分の方に引き寄せて、を抱きしめる。

の体は氷のように冷たかった。

は、何も言わなかった。それだけ衰弱しているのだろう。
ただ目を閉じて、フェイタンのなすがままになっている。人形のようだ。

しばらくして、の体温を僅かに感じ、フェイタンは安堵した。

無事で良かった。
もし自分が見つけなかったら、このまま彼女は死んでいた。


こんな場所で、たった一人で。


馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、無理して強がって死ぬなど、間抜けのすることだ。呆れてものも言えない。

確かに、自分が弱っている姿を見せたくない気持ちも、わからないでもないが。
フェイタンは小言を言いたくなったが、今の彼女はまず体力回復が必要だ。

フェイタンは複雑な思いでの寝顔を見つめた。

後でたっぷり説教してやる。絶対に。
もう二度と、こんな馬鹿げた状況に陥らないように。


(よく寝てるね……呼気に乱れもない、か?)


もともと、そこそこの体力はある筈だ。容態も安定したように見える。

そっと首筋に手を当ててみる。脈に異変はない。
指先で、の細い首元をゆっくりとなぞる。

特に意味はない。
やることもないので、暇を持て余していた故の行動だった。


細い首だ。
か細い、女の首。


命を、無防備に預けられている。そう思うと、何故かゾクゾクした。

何の気なしに、指先で頬に触れてみた。その冷たさに驚く。
自分もあまり体温が高い方ではないのに、それより遥かに冷たいとは。

思わず頬に手を添わせると、が微笑んだような気がした。
のんきに寝て――こちらの気も知らないで。その柔らかい頬を抓ってやりたくなった。


(……)


静かな時間が流れている。
聞こえるのは雨の音と、と自分の鼓動だけ。
周辺に、二人以外に生きている者はいない。

大きく動くわけにもいかないので、の様子を窺い見ている。観察している、と言ってもいい。

濡れて色を濃くした髪は、艶やかに光る。あちこちに泥がついていたので、指先で落としてやった。

閉じられた瞳は、何色だっただろう。思い出せない。
肌は白に近く、唇は青みがかっている。
いかにも柔らかそうだが――肌のように、やはり柔らかいのだろうか。

多少好奇心を刺激されたが、行動に移すのは止めておいた。
深く寝入っているので気づかないだろうが、万が一起きてしまったら、言い訳が面倒くさいことになる。


静かだった。とても。


フェイタンは退屈が嫌いだが、今はそう悪くないと思える。


(……それにしても)


今までとは話し込んだことはないが、こんなに――不可解な行動をとる女だとは思っていなかった。
普段は仕事をそつなくこなしていたし、軽口は言うものの、割と常識を大事にするタイプ。

それがフェイタンの彼女に対するイメージだった。
冷静に行動するタイプだとばかり思っていたのに、今日の彼女はどうしたことだ。

瀕死で自暴自棄になった? それにしては――。


(妙なことをする)


フェイタンには理解不能だ。

の知らない面を垣間見た気がする。
認識を改める必要がある、とフェイタンは思った。
追加項目に「訳のわからない行動をとる」とでも付け加えておくか。

倒れている彼女の傍に携帯の残骸を見つけた時、フェイタンは眉をひそめた。明らかに自分で壊した痕跡があったから。


何故は、素直に助けを呼ばなかったのだろう。


あの時「パクノダがいる」と答えれば、きっと助けて欲しいと言っていただろうから――フェイタンの手は借りたくなかった、ということだろう。つまり、頼られていない。


それがどうにも、気に入らない。


怒りに似ているが、それよりももっとどす黒いような、妙な気持ちだ。


「……ん?」


ふと、自分の携帯に着信があった。

フェイタンはを抱えなおし、携帯を取り出した。
見れば、シャルナークからだった。通話ボタンを押す。


『フェイタン? 何かトラブル?』


そういえば、彼らにも黙ったまま来てしまった事を思い出した。
シャルナークは、いつまで経っても戻らない二人を気にかけてくれたのだろう。向こう側で、微かにパクノダの声もする。


「ああ……がくたばりかけてたから、休ませてるね。回収していくよ」


身も蓋もない言い方だが、事実だ。
途端に、シャルナークの声のトーンが低くなった。


『……が? 傷は深い?』
「ああ。雨が止んだら、そちらへ向かうね」
『わかった。手当の用意はしておくから』


それだけ告げると、通話は切れた。手際のよい事だ。

ようやく雨が止みそうなので、フェイタンはを抱えて立ち上がった。これ以上の長居は無用。


、移動するよ」
「ん……うん……」


眠そうな声と共に、ゆっくりと瞳が開かれる。

ああ、そうだった。
深い茶色だったな、とフェイタンはじっとを観察していた。





++++++





壊れた思考回路が、ようやく正常に戻ったのだろう。

は自分の置かれた状況にぎょっとした。
布でぐるぐる巻きにされ、フェイタンに抱えられている、この状況に。

何でこんなことに。


「じ、自分で歩く」


恥ずかしい。顔が赤くなっている自覚はある。
だが、フェイタンはの言葉を一蹴した。


「お前、馬鹿か? 歩けると思うか」
「……お、お願いします……」
「それでいいね」


言いながら、フェイタンは平然と歩く。
何だか気恥ずかしさ満載ではあったが、は素直に甘えることにした。

体温は戻りつつあったが、体がだるいのは確かだし――何よりも、フェイタンがこうして面倒をみてくれるのは、レア中のレアだった。

そして、気づいた。
フェイタンの眉間には、くっきりと皺が寄っている。


「……フェイタン、怒らないでよー。ごめんってば」


不機嫌そうな彼に、おそるおそる声をかける。

上機嫌な彼というのも滅多にお目にかかれないし、むしろ不機嫌な仏頂面をしていることが多いのだけれど――今は、状況が違う。
イラつかせている原因は、明らかににある。

せっかく助けにも来てくれたのに、不機嫌にさせている。
は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「……。ワタシ、怒てないよ」
「嘘だ……怒りのオーラを感じます」
「呆れてるだけね」
「呆れないでー。ちょっとさぁ、何ていうか……ぼうっとしてて、つい」


フェイタンは、ぴたりと立ち止った。
腕の中にいるに、思い切り冷たい一瞥をくれる。


「つい、で携帯壊すのか?」


ばれている。
の全身に、ぶわっと冷や汗が浮かぶ。


「……え、えー、うん、そうね。つい、うっかり」
「粉々にするのか?」


フェイタンの目が冷たい。
氷を通り越して、刃のようだ。


「……すみません、白状しますと、自らの意志で壊しました……頭はっきりしてました」


これはもう、取り繕う余地がない。
は素直に白状した。

フェイタンは渋い顔のまま、再び歩き始めた。


「……何故そんな事を?」
「……」
「何故ね」


正面きって改めて問われると、口ごもってしまう。


「フェイタンの声が、なんか」


はそこで言葉を切った。
フェイタンが訝しげな視線で続きを促してくるが、言葉が出てこない。


「……何か?」


何故、あんな行動を取ったのか。
単なる自暴自棄で、と答えればいいのに、どうも違うような気がして。


「……ええっと、上手く言えない……」


が正直に答えると、フェイタンは小さく嘆息した。


「……。ワタシが嫌いか?」
「え?」


思わぬ問いかけに、は目を丸くした。どうしてそんな事を言うのだ。


「嫌いなワタシの助けは要らない、と。そういう事か?」
「ち、違うっ! 違うよ、フェイタン……」


は慌てて否定する。
それはない。嫌いなはずがない。

だが、フェイタンがそう誤解してもおかしくはない状態ではあった。
その事に気づいて、は青くなった。


「あ、あの」


は焦りながら、言葉を探し始めた。
言い訳は見苦しいかもしれないが、彼に誤解されたままでは嫌だった。


「……恥ずかしくて、なんか」
「は?」


もういい。こうなりゃ自棄だ。
感情を吐露することは苦手だったが、今更なにを言ったって――悪い方向には転がらないだろう。これ以上は。

は思い切ってぶちまけた。


「だから、恥ずかしかったの! 私だけやられかけてさあ!」


一人だけ。
囮になったのは自分なのに、その責任すら満足に果たせないなんて。

組んでくれたフェイタンに顔向けできない。
フェイタンは、一人でも大丈夫だと判断して行動していたのだ。その信用を裏切るような真似を。


「……フェイタンに見られたくなかったの。こんなの」
「……」


上手く言えない、とはよく言ったものだ。
言われた意味が、フェイタンにはよくわからない。

はバツが悪そうな顔になって、視線を伏せた。


「何を?」
「かっこ悪いとこ。フェイタンが強いから。私は……足手まといに思われても嫌だし、コンビ組んでくれなくなっても嫌だし」
「阿呆か。そもそも、死んだら二度と組めないね」
「そ、それはそうなんだけど……」


フェイタンの的確な合いの手に、はますます下を向くしかなくなった。


「……別に、弱いなんて思わないね。だから、無理は」
「む、無理じゃない! 無理なんてしてない!」
「……今、この状態でそれを言うか」


思わず、フェイタンは笑みを零した。

満足に歩くこともできず、フェイタンに抱えあげられて身動きが取れず、オーラも空っぽだ。
こんな状態でいったい何を言い出すかと思えば。無理していないなどと、どの口が言う。かなりの意地っ張りには違いない。

はぐっと言葉に詰まった。
それもそうだ、と実感したのだろう。まるで説得力がないのだから。


「い、いつもは無理してないもの。今日はちょっと、その……醜態をさらしてしまいましたけど……」


恥ずかしそうに、ごにょごにょと言い訳している。
しょげている彼女が何となく可愛いような気がして、フェイタンは目を細めた。

彼女の戯言を聞き流してやりながら、フェイタンは帰路を急いだ。
アジトは、もう目の前だった。





+++++++++++++++++





アジトに戻ったは、待ち構えていたシャルナークに丁寧な手当をうけた。
パクノダには思い切りお説教を食らうわ、フェイタンからもねちねちと小言を言われるわ、散々な一日だった。


けれど、気持ちが落ち込んでいなかったのは――。


フェイタンが来てくれた。
その事だけで、の気持ちは何となく上向いていくのだった。




[stage1 / 了]




       


===== あとがき ===

ステージ1終了、ほのぼのでした。
2007年4月、2015年8月に修正しましたが、さらに修正しました。長寿な話ですね(?)

ではでは、読んでくださってありがとうございました!

(2022.8.13 山藤)