意識を手放してから、どれくらい時間がたったのか。
正確にはわからない。そう長いこと倒れ伏していた訳ではないとは思う――思いたい、が。
(……生きてる?)
冷たい雨の感触で、は自身がまだ生きていることを知った。
「ん……」
自分の声も、ちゃんと耳に届く。
円を使い、周囲に生存者のないことを確認する。
どうやら最後に放った一撃で、敵を殲滅することには成功したようだ。
良かった、とはホッと胸を撫で下ろした。
囮を買って出たのにみすみす敵を取り逃がしたとあっては、格好悪い事この上ない。一応、面子は保たれた。
(よかった……けど、体が……重い)
血を流し過ぎたのか、体が鉛のように重い。起き上がれない。
雨は激しくなりそうだ。
この冷たい雨の中でのんきに寝転がっていたら、体力が削られるどころか命に関わる。
何とか移動して、雨を避けないと。
は、痛む体を無理矢理起こした。
体の節々が、ぎちぎちと音を立てて軋むような気がした。
「いったー……」
念は使えるだろうか。
……と、確認してみたが、使えなかった。
(さっきので使い果たしたか……)
見事なまでに、残量ゼロだ。
止血もできないらしく、足からは止め処なく血が流れている。痛くて立っていられない。
諦めて、びしょぬれの土の上に座りなおした。
すっかり全身泥まみれで、まあ酷い姿になってるだろうなと思う。
こんな無茶をしたのは何年ぶりだろう、とは苦笑した。
「仕方ない、誰か呼ぶか……」
助けてもらおう。
こんな無様な様を晒すのはかなり格好悪いが、そんな余裕があるとも思えない。
は手探りで携帯を探した。
(倒れた時、壊れてたらどうしよう……)
ちょっと不安になりながら、ごそごそとポケットを探る。あった。
起動もできる。できるのだが――。
(……うそー)
メモリー全部消えてるし。はガクリと項垂れた。
(だ、誰かの番号を思い出さないと……ええと)
ぼんやりしている頭で、必死に考える。
パクは、携帯変えたって言ってた。
クロロは、最近電話してないからすっかり番号を忘れてる。
シャルは……駄目だ、思い出せない。
は溜息を吐いた。
焦ってはいけない。泥沼になるだけ。落ちついて。
ああ――そういえば、フェイタンは?
(……えーっと)
フェイタンの番号は知っているものの、今までに実際かけたことはない。なので、記憶が更に薄っぺらい。
覚えやすい番号だった筈だが……は怪しげな数字を押した。完全にうろ覚えである。
(かかれ)
プルルルル……と冷たい機械のコール音が鳴っている。
少なくとも、何処かにはつながってるようだ。
どうか、フェイタンでありますように。
半ば祈るような気持ちで、電話を見つめる。
(……フェイタン)
つながった。
は一瞬、緊張した。これでヒソカなんか出たら最悪である。
「……もしもし?」
『……何か用か?』
電話の向こうからフェイタンの訝しげな声が聞こえ、は安堵のため息をついた。
やった。
は自分の運の良さに感謝した。
機械ごしのフェイタンの声は、どこか不機嫌そうにも聞こえた。表情が見えない分、やけに緊張する。
「あ、あのさ。そっち、パク居る?」
『パクなら、団長達と一緒に、もう帰たよ』
「ええ!?」
薄情な。
はがっくりと肩を落とした。
心配性のパクのこと、いつまで経ってもやって来ないを気にかけてるだろうと思っていたのだが……読みが甘かった。
『それがどうかしたか?』
「……えーと……いや、何でもない……」
フェイタンが助けにきてくれるとは思えない。
第一、もう皆と一緒に撤退してるだろう。
ああ、ここで死ぬのか。
はちょっぴり悲しくなった。
最後にフェイタンの声が聞けたから、悪くはない最期か。非常に格好悪いが。
(そりゃー、普段の私なら)
あれくらいの敵、どうってことなかったのに。
今更そんなことを思っても、後の祭りだ。仕方ないこと。
『』
とか考えているとフェイタンの苛立った声がしたので、はハッと我にかえった。
そうだ、まだフェイタンと通話中だった。
『……。用がないなら切るよ』
「そうして。皆にもヨロシク言っといてよ。多分、二度と会えないだろうし」
『! 、何』
「ばいばい」
フェイタンが何か言いかけてたけど、無理矢理切ってやった。
(ざまーみろ)
何が『ざまーみろ』なのかわからなかったけど、とりあえず強がっておこう。
ここで死ぬのだから。一人きりで。
あれ以上フェイタンと話してたら、みじめになる。
(何だか泣きたくなってきてたし……危ないなぁ、気弱になっちゃって)
あっけないものだな、と心底思う。
それでもまあ、蜘蛛の皆と過ごせて楽しかったから。
これで良い、と諦めて手放してしまえば、驚くほど気持ちは楽になった。
(フェイタンの声が最期かー)
は煩く鳴っている携帯をちらりと見た。どうせフェイタンだろう。
は、携帯をしばらく眺めていたが、意を決してバラバラに砕いた。残っていた未練ごと打ち砕くつもりで。
ふう、大きく息を吐く。
精一杯、明るく言えたはずだ。
が一人欠けたところで、蜘蛛は続いていくのだから。せめて、重たい荷物は背負わせない。
はもう立ち上がるのを諦めて、寝転がった。土と雨の匂いがする。
生きようとした意思を手放した今、驚くほど力が抜けていくのを感じる。
(痛いとか、もうあんまり感じないなー。寒くもない……不思議……)
視界だけは、まだハッキリしている。
重苦しい真っ暗な天を仰ぎ、晴れてた方が良かったなと呑気なことを考える。
いよいよ雨も強くなり、どんどん体温は奪われているのだろう。指先をぼんやり見ると、真っ白になっている。
もうだいぶ感覚が鈍くなってきたので、実感はないけれど。
うとうとと眠たくなってくる。
次、目を覚ますことはないのだろうと思いながら、は目を閉じた。
++++++++++++++++
「…………
!!」
ああ、うるさい。
誰かが名前を呼んでいるけれど、もうちょっと静かにして欲しい。耳がしんどい。このまま寝ていたい――。
「!」
「……?」
世界が白く滲んでいる。
それでも目を凝らしていると、ぼやけている視界が次第に焦点を結び始めた。
(……あれ?)
やっぱり自分は死んだらしい。
だって傍にフェイタンがいる。彼がこんな所に来るはずないのに。助けになんて来るはずが。
(でも……)
頬に当てられた、フェイタンの手が温かい。――もしかしてこれ、現実なのだろうか?
触って確かめてみたいのに、腕はちっとも動かない。ぼーっとした頭では、思考がうまくまとまらない。
「……やっぱり、幻?」
「、頭までおかしくなたか?」
鼻で笑われた。フェイタンの険のある声がする――ということは、やっぱりフェイタンだ。
(なんで……)
何故、フェイタンがこんなところに居るのだろう。そんなに焦った顔をして。そればかりが気になった。
「皆と、帰ったんじゃ?」
「ワタシ、待てたよ」
「……やっぱり幻だ」
「何故?」
フェイタンは訝しげに眉を顰めた。
「フェイタンが優しいから」
「……は?」
「不気味ー」
は弱々しく笑った。
そうやって無理矢理にでも茶化して誤魔化さないと、感動してうっかり泣きそうだった。
「うるさいよ。……雨、強くなてきたね。場所移動するよ」
「動けないんだ、けど」
「わかてるね」
フェイタンは、の体を軽々と持ち上げた。
一瞬、フェイタンの動きが固まっていた気がしたが……気のせいだろう。
泥や水を吸った衣服がまとわりついてずっしりと重い。
やっぱり重いなとか思ったのかも、とは思った。
「おー。力持ちー」
「が軽すぎるね」
しれっとそう言い、すたすたと物陰に歩いていく。
をそっと下ろしてから、フェイタンは周囲を見回した。
近くにあった布をの上に無造作に被せると、わしゃわしゃっと乱雑に水滴を拭う。
「お前、馬鹿か? 助けが要るなら、そう言えばいいね」
なすがままにされながら、はただフェイタンを見ていた。
フェイタンが怒ってる――これは、いつものことか。
それすらも、何だか感動的だった。
フェイタンは布の一部を裂くと、足の裂傷に乱暴に押し当てた。
流血は既に止まっているが、念のためだ。
ぎゅっと思いきり締め上げられて、は思わず顔をしかめた。そんな力任せに。痛い。
「いいじゃない。別に」
「良くないね!」
「……」
予想外のフェイタンの剣幕に、は驚いた。
(……マジ切れしてませんか?)
そう。
何故か、フェイタンはとてもイライラしている。
しかも、原因は100%にある。
じわじわと申し訳なさが胸に芽生え始めてきた。
(……フェイタンが怒った)
何故そのことが――は嬉しいのだろう。妙な感覚だ。
いまいち自分の心が掴み切れてないけれど、これだけは言っておかなければならない。意識のあるうちに。
「……ねぇ」
「何か?」
「ありがとう」
「……別に」
フェイタンは、ふいっとそっぽを向いた。
言葉は素っ気ないが、照れているに違いなかった。怒りのオーラが、やや和らいでいる。
(でも、本当に……)
は僅かに微笑んだ。
来てくれて、ありがとう。
おかげで、まだ死ななくてすんだみたいだ。
体温も少しずつ戻ってる。まだ蜘蛛でいられる。
もしフェイタンが居なかったら――地獄直行コースだったはずだ。
いずれ死ぬだろうと思ってはいるが、進んで死にたくはないもの。
(……ありがとう)
フェイタンの姿を見たとき、胸がいっぱいになった。
やっぱり頼もしいなと思ったことは、悔しいからしばらく内緒にしておこうと思う。