白いうさぎの行方
「お願い、ビバルディ」
アリスは至極真剣な面持ちで、滅多にやらない『おねだり』に取り組んでいた。
顔の筋肉を総動員しての所業だ。
「私に頂戴」
それ、とアリスが指差す先にあるもの。
そこには、また串刺しになる(であろう)予定の、白い兎のぬいぐるみがあった。
前代は無残にもボロボロになって使い物にならなくなってしまったらしく、新たに購入されたものだ。
ビバルディは、アリスの求めているぬいぐるみを抱き上げた。
毒々しい程の真っ赤な爪先は、白いぬいぐるみによく映えている。
「ふむ。アリスよ、これが欲しいのか?」
アリスはコクリと頷いた。
「ええ、欲しいわ」
「そうか……」
ぐにぐにと耳を引っ張りながら、ビバルディはしばらく考え込んだ。
その横顔はとても美しい。
(あああ、そんなに引っ張ったら、千切れる……)
アリスはハラハラしながら、ビバルディの言葉を待つしかない。
窓の外には、美しい夕焼けが広がっている。
「お前の時間と交換じゃ。次の夕方に、わらわとショッピングをする、という。どうじゃ?」
言いながら、美しい赤の女王は唇を綻ばせた。
薔薇の花が開くような、うっとりするほど魅惑的な笑みだ。
「もちろん、喜んで。ビバルディ」
安堵の息を零しながら、アリスもまた、できるだけ綺麗に微笑んでみせた。
アリスは軽い足取りで、自室へと戻ってきた。
「さて」
救出してきたばかりのぬいぐるみを、とりあえずベッドの上に置く。
(どこに置こうかな)
アリスは、きょろきょろと部屋を見回した。
普通に棚の上か、それとも、机の上か――窓辺に置いてもいいかもしれないし、いっそ床の上でもいいだろう。
壁にもたれさせれば、それなりに可愛い光景に見えるに違いない。
せっかくねだって譲り受けたものだ。
ぞんざいな扱いをしては、ビバルディに申し訳ないような気がする。
アリスはベッドに腰かけると、ぬいぐるみに手を伸ばした。
無意識に、その耳をぐにっと引っ張る。
(あら、つい)
手が勝手に動いていた。
乱れた毛並みを、ゆっくり撫でて整える。
「……やっぱり、ここかな?」
アリスはひとり呟くと、ぬいぐるみを枕元にそっと横たえた。
ベッドに、ぬいぐるみがある。
ただそれだけなのに、急に女の子らしくなったような気分になった。
(さあ、仕事にいかなくちゃ)
奇妙な達成感を覚えたアリスは、ベッドから勢いよく立ち上がった。
アリスは町を歩いていた。
ビバルディとの待ち合わせに遅れぬよう、少し早めに部屋を出た。十分に間に合うだろう。
(今回の会合は、まだペーターに絡まれてないわね、そういえば。うん)
ペーターのお花畑全開な言い分を聞いてしまうと、体力気力がごそっと削られるのだ。
その上、血気盛んなのがこちらには居る。
彼は、黙って聞いている、というような耐久性は持ち合わせていない。絶対に銃撃戦になる。
(会いたいな……エリオットに)
あの、太陽の色をした見事な巻き毛が恋しい。
鋭い紫の目と、愛らしい兎耳を持つ彼に、とても会いたい。
会合期間中だから、いつもより仕事は多いらしい。
目の回るような忙しさの筈だ。だからアリスは、会いたい気持ちを我慢した。
ふいに、戸惑いの声が群衆の内で沸き起こった。
(ん? なんか騒がしいような)
アリスが何の気なしに振り返ると、自分めがけて一直線に掛けて来る男の姿があった。
「ああ、アリスッ!」
「げ」
アリスは盛大に顔を引きつらせた。
今、最も会いたくない相手に遭遇してしまった。
「会いたかったですっ! 僕のアリス!」
ためらいもなく飛びついてきた男を、アリスはぐいぐいと押し返した。
だが、存外に男はしぶとく、アリスにへばりついて離れようとはしない。
「ちょっと、離しなさいよ! 私、用事があるの!」
そのでっかい耳を引っ張ってやろうかと考えながら、アリスは抗議の声をあげた。
「用事ですって? 何の? 僕との密会ほど、重要な用ではないんでしょう?」
一体、どこからそんな理屈が飛び出してくるのだろうか。
アリスは脱力しそうになる心を奮起させ、めいっぱい声を張り上げた。
「私が、いつ、あんたと密会したっ!!」
「いつ、って……。ふふふ、僕に言わせる気ですか? いいですよ、付き合います。焦らしプレイにも」
ぎゃあぎゃあと押し問答を繰り返している二人を、道行く人々が遠巻きに見ている。
ある者は畏怖の視線で。またある者は、興味から。
だが、そこまでだ。
介入しようという無謀な者は、誰一人としていない。
アリスとペーターは、ある意味、まるで二人の世界にいるようであった。
「往来で見苦しい騒ぎを起こすな、ペーター=ホワイト」
よく響く声が、その世界を叩き壊した。
「ビバルディ」
「陛下」
アリスとペーターはぴたりと問答を止めると、声の主へと目を向けた。
彼女は今、煌びやかなドレス姿ではないが、その身からは高貴な輝きが垣間見えている。
「この子はわらわと出かける約束をしておったのじゃ。ほれ、さっさと男は去れ」
しっしっと、犬猫を追い払うような仕草をしながら、ビバルディはアリスの傍に寄り添った。
案の定、ペーターは抗議の声をあげた。
「陛下とアリスが!? そんなのずるいです! 僕も行きま」
「お前は、仕事が山ほど残っているだろう。この子と遊ぶのは、執務を終わらせてからにおし」
「っ……」
ビバルディはぴしゃりと切り捨てると、アリスに向かって悠然と微笑んだ。
「さ、行こうかアリス」
「え、ええ……」
戸惑うアリスの手をそっと引き寄せると、ビバルディはにっこり笑った。
ペーターには聞こえぬよう、そうっとアリスの耳に唇を近づける。
「放っておくといい。たまにはいい気味だ」
「……ビバルディったら」
仕方のない人ね、とアリスは苦笑した。
だが、ビバルディのおかげで助かったのも事実だ。
アリス一人では、こうも素早くペーターを振り切れなかっただろう。
小さな罪悪感を抱きつつ、アリスはビバルディの隣に並んで歩き出した。
その光景の一部始終を、遠くから見ている男がいた。
「あれは……アリス?」
アリスの姿を、エリオットが見間違える筈がない。
アリスは、何処かへ向かう途中なのだろう。その足取りには、全く迷いがない。
寂しい、とエリオットは思った。
(アリス……こんな仕事すぐ終わらせて、アリスに会いに行きてえなー)
けれど、部下に丸投げというわけにもいかない。
今の仕事は、的確に指示ができる、エリオットのような者が必要だった。
(あ〜〜……辛いぜ……)
会合が始まってからというもの、仕事に追われ、まともに会えていないのだ。これは辛すぎる。
このやるせない思いは、そのまま八つ当たりとなって相手方へとぶつけられるのだが。
(けど、痕跡は、できるだけ残さないようにしないとな……さて、どうなぶってやろうか)
いまは会合期間中だ。
和平協定のこともある。
だが、ぬるい協定だ。抜け道はいくらでもある。
エリオットが物騒な思考に沈みかけた、その時だった。
急に、場がざわめいた。
エリオットは思わずアリスの姿を探す――と、白兎に絡まれているではないか。
エリオットは、事態を瞬時に理解した。
(あんの野郎っ!)
まだアリスにつきまとっているのか。
ペーターがアリスの肩に腕を回したのを見た瞬間、エリオットの怒りはピークに達した。
(あのイカレ兎が! 馴れ馴れしく俺のアリスに触んじゃねえ!!)
許せない。
到底、許せそうにない。
エリオットは躊躇なく、素早くホルダーから銃を引き抜いた。
平和協定のことなど知ったことか。
頭から、そんな瑣末なことは綺麗さっぱりと吹き飛んでいた。
射るような視線のまま、銃口をペーターへと向ける。
(我慢できねえ、撃ち殺してやる……ん?)
引き金に指をかけたまま、エリオットは行動を制した。
(あれは……)
ハートの女王、ビバルディ。
彼女が現れ、アリスとペーターの間にサッと割って入った。
三人の間で押し問答が繰り広げられている様を、エリオットは注意深く見守った。
「……」
どうやら、場の主導権はビバルディが得たようだ。ビ
バルディは嬉しそうにアリスの手を引き、二人は人ごみへと消える。
ペーター=ホワイトをその場に残して。
エリオットは、構えた腕をだらりと降ろした。
冷たい瞳から、みるみる感情が引いていく。
ペーター=ホワイトも気に食わないが、ビバルディも同じくらい、気に入らない。
好きにはなれそうもないし、何よりも、他でもないブラッドの敵だから。
だから、どっちにしろ、撃つつもりだった。
だが――アリスの笑顔を見てしまった。
(あんな女と一緒にいて、楽しいのかよ……アリス)
女同士だから気安いのだろうか、アリスの雰囲気は柔らかい。
ビバルディには笑いかけるのか。
もちろん、エリオットと居る時だって、アリスは自分に笑いかけてくれる。それは分かっている。
だが、自分だけではない。
膨らんだ怒りがしぼんでいき、代わりに脱力感が沸いてきた。
自分はアリスが必要なのに、アリスは――。
直視したくない現実を、見てしまったような。
打ちのめされたような気分になり、エリオットは俯いた。
胸に燻ぶっているものが何なのか、わからない。
わからないけれど、不愉快だということだけはわかる。
ペーター=ホワイトは、見るからに項垂れている。
どんな表情をしているのかは、エリオットからは見えない。だが、それでも、なんとなく想像はついた。
きっと、奴は自分と同じ顔をしている。
何故だ、と。
この時、エリオットは、すぐにその場を立ち去るつもりだった。
そうすれば良かったのだ。
だが、エリオットの足は動かなかった。
ペーターが体の向きを変えて、エリオットの存在に目を留めるまで。
「……三月兎」
「……」
互いに鋭利な眼差しで、正面から向き合う。
ピリピリした空気を察したのか、二人の周りから、波のように人が引いていく。
いつ、撃ち合いが始まってもおかしくはない。
重苦しい雰囲気のままで、エリオットは口を開いた。
「お前」
「何ですか。馴れ馴れしい」
ペーターは、心底嫌そうに顔をしかめた。
「僕、馬鹿は嫌いなんですよ。アリスもね」
「は? アリスが?」
「ええ、勿論。だから、アリスはあなたのことなんて嫌いなんです」
蔑むような微笑をもって、ペーターは強く宣言した。
「彼女は僕を愛しているのですから。もちろん、僕だって彼女を愛していますけど」
「何だと?」
エリオットは眉を吊り上げた。
そんなことはあり得ない。
アリスが愛しているのは、自分なのだ。そのことは、疑う余地もない。
だが、断言したペーターの声は、自信に満ち溢れている。
だから、エリオットの気持ちは、ほんのわずかに揺らいだのだ。
「すごく哀れです。あなたなんかに囚われている彼女が」
苛立ちをエリオットへぶつけているのか、はたまた心底そう思っているのか。彼の心理は読みにくい。
エリオットは無言のままで、ペーターを睨み返すに留まった。
その頭を銃でぶち抜きたい、と考えながらも、不思議と抜く気にはならなかった。
目の前にいる、哀れな兎への憐憫なのか、はたして。
「さっさと彼女を解放してあげてください。貴方では彼女を幸せにできません」
それでは、と感情の全くこもらない言葉で、ペーターは場を去って行った。
ふと、エリオットは小さな痛みを感じて、自身の左手を見やった。
見れば、薄く血が滲んでいる。
いつの間にこんな――傷がつくほど強く、拳を握りしめていたのだろう。
エリオットは首をひねったが、ついに思い出すことができなかった。
「では、アリスに伝えておいてくれ」
「ああ、わかった」
ブラッドからの指示を受け、エリオットは頷いた。
「……」
手にした書類をぼんやりと眺めてみたが、頭に入らない。
(アリスかー……)
久しぶりだ。
会合の準備で忙しく、ここのところ会えていない。
アリスと会っていない。
そのことに、エリオットは今、気がついた。
無意識のうちに避けていたのだろうか――いや、そんな筈がない。
避ける理由なんてない。
動かないエリオットを見て、ブラッドの眉は怪訝そうに顰められた。
いつもならば、アリスと聞けば喜び勇んで飛んでいくのに、まだブラッドの前に突っ立っているのだ。
ブラッドがおかしいと思わないわけがなかった。
「どうした、エリオット?」
「ん? 何が?」
名を呼ばれて、エリオットはゆっくり顔をあげた。
ブラッドの含みある視線と、正面でかち合う。
「お前が、何か考え事をしているようだったからな」
「あー……してたのかもしれねえ」
エリオットは曖昧に答えた。
何を思い悩んでいたのかは、自分でもよくわからないけれど。
胸には色々な思いが渦巻いて、ただ冷たい。
「……ま、いっか。じゃあな、ブラッド。アリスの部屋に行ってくる」
「ああ」
いつもの気だるい返事を耳にしながら、エリオットはブラッドの部屋を後にした。
部屋を出ると、エリオットは大股に歩き始めた。
向かうのは勿論、アリスの部屋だ。
(アリス)
アリスに会える。
そう思うと、エリオットは急に駆け出したくなった。
気だけが急いて、足がもつれそうになる。
会えなかった時間を、アリスはどう思っていたのだろう。
エリオットは寂しかった。
アリスに会いたい、と常に想って――渇きを覚えるほどに、アリスを想っていた。
アリスが、自分に会えなくて寂しかった、と言ってくれたなら。
そうしたら、どんなに幸せなことだろうか。
エリオットは、遠くをみるように目を細めた。
何故、こんなに――自分は、乾いているのだろう。
そうだ、自分は乾いている。
見出せない答えを内に抱え、エリオットはアリスを想った。
この凍てついた胸を溶かせるのは、もうアリスしかいない。それだけは、本能的に知っていた。
いつしか歩く速度は、もはや小走りと言っても過言ではない程になっていた。
はやる気持ちを抑えつつ、扉をノックする。
すると、部屋の中からアリスが答える。
少し間があって扉が開かれ、アリスがエリオットを見、微笑む。
そんな些細なことが、今のエリオットにはとても嬉しい。
「エリオット」
アリスは嬉しそうにエリオットの名を呼ぶ。
それだけでいくらか救われた気になり、エリオットの機嫌は多少よくなった。
余裕をもって、アリスに微笑み返すことができる。
「なあなあ、アリス。次の会合のことなんだけどな。今、いいか?」
「うん、平気……あ、ちょっとだけ待っていてくれる?」
「ああ」
エリオットは小さく頷くと、アリスと入れ替わりに部屋へ入った。
すれ違う瞬間、ふわり、と優しい空気が流れる。
エリオットの焦燥を溶かしてくれる、青い空気だ。
エリオットは後ろ手で扉を閉めると、アリスの部屋を見回した。
いつものようにベッドへ歩を進め、どっかりと腰かける。
「落ち着く……」
他と対して変わらないこの部屋は、乙女として、やや殺風景ではある。
だが、そこがアリスらしい。
アリスは本当に慎ましい。我侭を言うこともない。
遠慮せずに、もっと我侭を言ってもいいのだ。
(アリス、何か言ってくれねえかなー。そしたら俺、すげーはりきるんだけど)
もっと自分に、たくさん甘えて欲しい。
思いきり困らせて欲しい。我侭を言って欲しい。
アリスの願いならば、全て叶えてあげたいと思っているのだから。
エリオットは、ごろりとベッドに寝転がった。
「……ん?」
そうして、ひとつの異変を見つける。
アリスの枕元に、ちょこんと置かれてある物を。
「……」
エリオットはむくりと起き上がると、じいっとそれを注視した。
白い兎だ。赤い目の。
エリオットは手を伸ばすと、ぬいぐるみを手にとってみた。
(アリスは、好きなのか? こいつが)
こいつ――とエリオットの視線の先にあるのは、ただのぬいぐるみだ。
何の感情も持たないビーズの目が、エリオットを見つめ返している。
だがエリオットの目には、もはや単なるぬいぐるみではなく、ペーター=ホワイトそのものに見えている。
(けど……前に、あいつのことは嫌いって言ってたよな? 嫌いなら何でこんなもん、枕元に置いてるんだよ……大事そうに)
ぬいぐるみを放り投げると、エリオットは眉間に皺をよせた。
エリオットの胸が、鈍い痛みを覚える。
ペーターの勝ち誇ったような冷笑が、いやに鮮明に蘇る。
『アリスが愛しているのは』――ああ、うるさい。
勝手な事ばかりを言う愚かな兎の嘲笑が、まだエリオットの耳に残っている。
「俺だ」
憮然と呟き返してみたが、頭を掠める幻影を打ち消すことはできなかった。
アリスが紅茶をのせた盆を手に戻ってきた時には、エリオットはすっかりむくれていた。
「お待たせ、エリオット」
「いや……」
ぶっきらぼうな返事に、アリスは目を丸くした。
エリオットは不機嫌になっている。
それは、誰の目から見ても明らかだろう。
先ほどまでは、確かに機嫌が良さそうだったのに。アリスは首をひねった。
アリスが離れた間に、彼の中で何があったというのだろうか。
「エリオット? どうかしたの?」
事態がよく飲み込めないアリスは、エリオットの顔を覗きこんだ。
エリオットは少しだけ視線を絡ませたが、ふいっと目を逸らした。
「いや、どうもしねえけど」
「嘘」
これは、アリスにもわかりやすい嘘だ。
アリスは盆をテーブルの上に置くと、エリオットの真横に腰かけた。
「嘘じゃねえって。……あー、嘘かも」
エリオットはアリスを引き寄せると、自身の膝の上に座らせた。
アリスの体は小さくて軽くて、エリオットの不安は深まる。
背後からきゅっと抱きしめられ、アリスは驚いた。
(なんだか……子供みたいな甘え方だわ)
ひっついていないと、不安でたまらない。
そんな静かなエリオットの意思が、アリスにも伝わってくる。
「どうしたの?」
アリスは、できるだけ優しく声をかけた。
落ち着かせるように、アリスの体に回されている彼の腕を、上からそっと撫でる。
氷が溶けるように、強張っていたエリオットの手がゆるやかに離される。
それからエリオットは、ようやく顔をあげた。
「ん?」
しょんぼりと項垂れるエリオットは、アリスの目に、とてつもなく可愛く映る。
アリスは、その頭をくしゃくしゃに撫で回したい衝動と必死に戦った。
「なあ、あんた……あれ、どうしたんだ? 前は無かったよな?」
エリオットの耳は、まだへたれている。声にも覇気がない。
あれ、と指すエリオットの視線を、アリスは追う。そして内心、首をひねった。
(? ぬいぐるみ?)
エリオットの視線の先には、白い兎のぬいぐるみしかない。
だが――一体、このぬいぐるみがどうしたというのだろう。
一般的な女の子の所持アイテムとしては、特に変な物ではない筈だ。
ましてや、エリオットの機嫌を損ねる原因になるような要素は、何もない。
何も無いと思うのだが――。
「ああ、あれは……なんというか、ちょっとした保護?」
「は?」
わからない、とエリオットは怪訝そうな顔をした。
まあ、これではわからなくて当然だろう、とアリスは言い方を変えた。
「ビバルディに貰ったのよ」
何度もしつこく頼み込んで。
出所を答えると、エリオットは意外そうな顔で、アリスの顔をまじまじと見つめあげた。
「あんた、ぬいぐるみとか……好きなのか?」
「嫌いじゃないけど」
ビバルディには遠く及ばないが、アリスだって、可愛い物は人並みに好きだ。
「ふうん……」
エリオットは腑に落ちないようだが、それ以上は追求してこなかった。
彼が不満を残しているのはアリスにも分かったが、アリスにも、これ以上の答えをあげることができない。
だからアリスは、話題を変えることにした。
「で、次の会合がどうしたの?」
「あー……実はな」
エリオットは、すぐさま表情を切り替えた。
アリスに向かって、ブラッドからの伝達事項を話して聞かせた。アリスもまた、真剣な顔で聞く。
「伝達事項は、これでしまいだ。……アリス」
「ん」
仕事の仮面はここまでだ。エリオットは表情を崩すと、アリスに抱きついた。
性急に、唇を交す。乾いた気持ちを潤すように、何度でも。アリスは拒むことなく、応じてくれた。
「……ごめんな、あんたの事、ずっとほったらかしで」
アリスの柔らかい頬を手で包みながら、エリオットは囁く。
「ううん、エリオットが忙しかったのは知ってたから……そうね、でも」
「でも?」
「な、何でもない」
アリスは慌てて首を振った。
エリオットにだけは、聞き分けの悪い、我侭な子だと思われたくない。
エリオットの視線はとても優しくて――久しぶりのせいだろうか、妙にどぎまぎしてしまう。
鼓動が、徐々にはやくなっていくのを感じる。
そんなアリスを見つめながら、エリオットは真摯な声で訴えかけた。
「俺は、あんたに会いたかった。初めて、仕事を放り出してあんたのところに行きたいって思った」
アリスは言葉に詰まった。
ストレートなエリオットの感情は、アリスによく響くのだ。
(私も、会いたかった)
その一言が、アリスにはどうしてもいえない。
胸がいっぱいで、どんな顔をしていいのかわからない。
言葉で返す代わりに、アリスはエリオットの胸に体を預けた。
「あんたは? 何して過ごしたんだ? 俺のいない間」
「私は……」
アリスは言葉を切ると、これまでの出来事を思い起こそうとした。
指を折りながら、順々に話す。
「ビバルディにお茶に誘われたし、一緒にショッピングも沢山したわ。楽しかった。でも」
エリオットのぬくもりがとても優しいから、ついつい言葉があふれ出てしまう。
いつものアリスならば、絶対に口に出来ないことまで。
だが、寸での所で、言葉は喉に引っかかった。
(……もうっ、言うのよ!)
アリスは、ためらっている自分の背中をドンと突き飛ばした。
「それから?」
照れがアリスの視線を明後日の方向に逸らしそうになったが、エリオットのまっすぐな目を見てしまった。
アリスの肩から、ふっと力が抜けた。
懇願するような紫の瞳を見つめ返しながら、アリスはエリオットに気持ちを吐露した。
「……エリオットが居ないから、寂しかった。部屋に帰っても独りだったし、ディーとダムは遊んでくれるけど、ずっとエリオットのことを探してた気がする」
「アリス」
どんどん頬が熱くなる。
自分は何を甘ったれた事を言っているんだろう、という冷静な声がした――が、アリスは強引に無視した。
「我慢したのよ、私。エリオットがめちゃくちゃ忙しいって聞いたから、邪魔しないように、できるだけ一人で居たつもりなの。でも、駄目」
どんどん我侭になる。
平気だった筈なのに、アリスの傲慢な心は更に次を求める。
エリオットを困らせたくないのに、と諭す冷静な自分が居るが、押し勝てない。
(ああ、もう。弱すぎる)
理解できているのに、実行に移せない。
そんな自分に、アリスはとてもがっかりしている。
「ごめんな、アリス」
エリオットに抱きしめられると、落ち込んだ気分が綺麗さっぱりと溶けていった。
「俺さ、休みなんてどうでもよかったけど、考え直すしかねえな」
「え?」
アリスが驚いて見つめ返すと、エリオットは苦笑を浮かべた。
「俺、あんたに会えないのは辛い。それに、あんただって辛いだろ? だから、もう少し休めるよう、ブラッドにかけあってみる」
「エリオット……ありがと」
自分の要求だという風にエリオットは言うが、きっと底ではアリスの為に言ってくれているのだろう。
エリオットが甘やかしてくれるから悪いのだ。
ついさっきまで罪悪感を覚えていた胸が、もうこんなに高鳴っている。
「それと……なあ、アリス。あんたのこと、邪魔に思うわけないだろ? 変な遠慮をしなくてもいいんだ。次からは、会いに来てくれ」
「うん……そうする」
エリオットが優しい。
それがとても嬉しくて、アリスは素直に頷いた。
===== あとがき ===
ほのぼの?
ちと量が多かったので、前半後半分けました。続きます。
2009年12月29日発行の短編集「白いうさぎの行方」より。
白いウサギといっても、ペーターのことではなくー。ビバルディに殺られてた、あのぬいぐるみです。
後半がR指定ですので、ご注意ください。
ではでは、読んでくださってありがとうございました!