Treacle moon
「おはよう、お姉さん。起きて起きて〜」
「お姉さん、はやくー。起きて起きてー」
意識の遠くから、アリスのよく知る二人の声がする。
歌うように交互に「起きて」と語りかけられ、アリスは重たい瞼と戦った。
(眠いのに……)
自分の部屋で眠りについた時には、二人はいなかった。
またも勝手に入ってきたのであれば、怒らねばならない。ならないのだが――。
(もうちょっと寝かせてよ〜〜……)
怒りよりも何よりも、アリスは眠たかった。
それでも、ディーとダムは何度か「起きて」と繰り返していたが、アリスの反応がないことを確認すると、揃って小さな溜息を零した。
「……起きないねー、兄弟。ぐっすり眠ってるよ」
「うん、起きない。いつもなら、そろそろ起きるんだけどなあ。お姉さんー?」
「んん……」
眠りと現実の中途半端な世界で、アリスはもやもやした気分のまま、小さく呻いた。
懸命に声をかけてくるディーとダムには悪いと思うのだけれど、何だか今日は特に起きにくかった。
眠る前の時間帯は仕事だったから、体の疲労がとれていないのだろうか。
(ごめんね、二人とも……いまは、ねむ……い……)
思考がみるみる散漫になり、とろとろと深い方向へ落ちかける。
けれど、そのまま落ちることはできなかった。
子供な二人は声をかけるのに飽きたのか、ゆさゆさとアリスの体を揺さぶり始めたのだ。
「起きて起きて〜お姉さんってば〜〜〜」
「ん……」
「寝顔もとっても可愛いんだけど、僕ら、そろそろ起きてるお姉さんに会いたいよ。ねえねえ」
ディーとダムは引く気がなさそうだ。
薄く耳に届く言葉だけは可愛らしいが、その声音はやや不機嫌そうでもある。
アリスは眠くてたまらないというのに。
(何よー、もうー)
まだ眠っていたいのに。
心の底から後にして欲しいのに、子供な二人はこんな時に容赦がない。
聞き分けが良い時も、確かにあるのだ。
ただ、最終的に我慢がきかないというか――子供だから仕方のないことなのだけれど。
(これは、堪えるなあ……)
けれど、双子の機嫌を悪化させるのは、アリスにとってよろしくないことに違いない。
だから結局、折れるのはいつもアリスだった。
起きねば、と諦めたアリスは薄く瞼を開けた。
目をこすってしまったせいか、眼前にはぼんやりと薄い世界が広がる。
アリスにのしかかるような体勢で、ディーとダムがニコニコとしていて――。
そこまでは、よかった。
ディーとダム越しには、天井が見える。そこに、小さな違和感を覚えた。
(……え?)
天井が見えるのだ。
アリスの知らない天井が。
ディーとダムは嬉しそうにアリスの顔を覗きこんだ。
「あ、おはよう! やっと起きてくれたね、兄弟」
「おはよ、お姉さん。気分はどう?」
「ええええ!? な、なにっ!?」
アリスの頭は、一挙に覚醒した。
アリスが声を上げながら跳ね起きると、ディーとダムは辛そうに顔をしかめた。
「っ、お姉さん、そんなに叫ばなくっても……」
「耳が痛い……」
「ご、ごめんごめん……って、ここは何処!?」
慌てているアリスの顔を見つめながら、ディーとダムは、わざとらしい程に可愛らしく首を傾げてみせた。
「あれー、お姉さん。わからない?」
「わからないの? お姉さん」
「わかんないわよ! 私の部屋じゃない、ってことくらいしか!」
涼しい顔をする二人が理解できなくて、アリスはカッとなって言い返した。
もう、ほとんど八つ当たりに近い。
(まさか、また……!)
アリスの顔から血の気が引いていく。
ディーとダムは居るものの、他の見知った――ブラッドやエリオットの姿は見当たらない。
その上、ここはどこなのか分からない。
引越し。
その言葉を思い出してしまい、アリスはゾッとした。
ディーとダムが帽子屋ファミリーから弾かれるようなことはないと思うが――アリスはぐるぐるする頭で必死に考えた。
この世界の秩序はよくわからない。
ディーとダムが、アリスに引っ張られた可能性だってあるではないか。
まさか、恐れていた事態が起きてしまったのか。
「引越した……の?」
口にするのも怖い。
声が震えそうになるのを、必死に抑え込む。
アリスが不安そうに二人を見ると、ディーとダムはパチリと目を瞬かせた。
そして、悪戯っぽくにんまりと笑う。
「ふふふー。違う違う。引越しなんかじゃないよ」
「え……」
アリスの目が見開かれた。
冷えた指先が、思い出したように温もりを取り戻す。体の血が、やっと巡り始めたようだった。
「じゃあ……なに?」
事態は、何ひとつ変わらない。
何が起きたのか、まだアリスにはわからない。
わからないのだけれど――よかった、とアリスは内心安堵していた。
これが引越しではないのなら、二人が傍にいるのなら、もう何だって構わない。
「んー……」
「実はねえ……」
ディーとダムは、もじもじとはにかんでいる。頬が薔薇色だ。
今の二人は、絵に描いたような、愛らしい少年そのものに見える。
ほらそっちが言え、と互いに目配せしている。
アリスは、二人のどちらかが語りだすのを大人しく待った。
「僕たちの新居」
「……え?」
ディーとダムは視線を床へ落とす。
照れているのか、恥ずかしいのか――たぶんその両方で、そして、ちょっぴり誇らしげな顔で。
呆けているアリスは置き去りなのだが。
(しんきょ……新居?)
頭がついていかない。
えへへ、と無邪気に笑いながら、双子はアリスに身を擦りよせてきた。
両サイドからがっちり腕を掴まれて、アリスの頭はようやく動き始める。
「新居……って?」
「やだなあ、お姉さん。新居は新居だよー。新しい住居。どう? 気に入った?」
寝癖がついてるよ、とダムが手を伸ばし、アリスの髪を指先で整えてくれる。
「……あの」
気にいるも何も、この超展開についていけていないアリスは目眩を覚えた。
くらくらする額を手で抑え、可愛い二人に問いかける。
「……どういうことなのか、説明してちょうだい」
「うん、わかった」
ディーとダムはこくりと頷いた。
アリスの台詞を、ある程度は予測していたのだろう。二人は妙に素直だった。
ディーとダムはアリスの腕に絡みついたまま、弾む声で語りだした。
「正確に言うとね、まだ『新居候補』なんだ。いくつか候補はあるんだけどね。候補のひとつ。お姉さんが気に入ったら、ここに住もうかーって兄弟と決めたんだよ。ねー、兄弟」
「うんうん。僕たちは後で多少のカスタマイズはするつもりだから、あんまり強いこだわりはなくって。だから、まずはお姉さんが気に入ってくれなくちゃね。どう、お姉さん。気に入った?」
一挙に双方から捲くし立てられて、アリスは目を白黒させた。
突然なだれ込む情報に翻弄されながら、必死に整理する。
そして、アリスの欲しい情報はひとつも含まれていないことに気づく。
「……えっとね、説明ってそういうことじゃなくって、ここは何処なのっていう……いいわ」
根本が明後日の方向にぶっ飛んでいる説明を彼らから受けるよりも、アリスから質問を投げかける方が手っ取り早い。彼らがきちんとした答えを返してくれるかどうかは、今のところ五分だけれど。
「ここ……帽子屋屋敷、じゃないのね?」
まずは、それを確かめたい。アリスが尋ねると、
「そうだよ」
「うん、そう」
と、ディーとダムはあっさりと認めた。
いささか落ちついたアリスは、次の質問を考える。
「……でも、どうして目が覚めたら、別の場所にいるの?」
もしかして夢遊病の気でもあったのか、とアリスは本気で心配になった。
その疑問にも、ダムはさらりと答えてくれる。
「ん? それはね、僕らが運んだんだ」
「え?」
ぎょっとしたアリスは、ダムを見た。赤い瞳には、からかう色がない。
「運んだ?」
「うん、そう。運んだんだ」
そして、得意げな二人はとんでもないことをアリスに告げた。
いきなり場所が移動していたのは、寝ているアリスを二人が運んだからだという。
「寝てる……まま? 私を?」
ディーとダムはコクリと頷く。
だからおそらく、嘘ではないのだろう。アリスは現に、移動しているのだから。
アリスは愕然とした。
(わ、私……鈍かったの!? そこまで!?)
愛する二人に触られて、全く起きなかっただなんて。
それは、かなり――ショックすぎる。アリスは思わず口元を抑えた。
深刻な顔のアリスとは対照的に、二人の口調は明るい。
「そうそう。ちょっと深く眠っていて貰おうと思って、睡眠薬は盛ったけどね!」
衝撃的な事実を受けて、アリスは今度こそ言葉を失った。
ディーとダムは愛らしく笑っているが、笑いごとではない。
「ちょっぴりだけだよ、本当。だって、相手はお姉さんだもん。大丈夫な量しか盛らないよ。僕たちいい子でしょう?」
「そう、それなら良かったわ……って、えええ!?」
二人がサラリと言うものだから、アリスも流しそうになったが、そこは流してはいけないだろう。
聞き捨てならない。
「な、何ですって? 睡眠薬!?」
「うん。普通の、何の変哲もない睡眠薬」
「うんうん、普通普通。体に害はないよ、たぶん」
「……あんた達は……」
目眩が頭痛に変わる。
アリスが頭を抱えると、ディーとダムの目がきらりと輝いた。
「ん? なになに? あ、わかった。もうちょっとスリリングな薬の方がよかったんだね?」
「そっかー。僕らなりに気を使ったんだけど、ごめんね。次からは、もっと面白い薬を」
「使わなくていいっ!!」
はしゃぎだした二人を一喝すると、アリスは嘆息した。この子たちは本当に、油断ならない。
(恋人なのに、油断できないってどうなの……)
恋人がふたり。
そもそもが正常な状態ではないのだろう。
けれど、それを差し引いても、この双子に常識を求めてはいけない。危険極まりない子供たちだ。
そこへ恋愛フィルターがかかってしまえば、もう――ああ、常識って何だろう。
(睡眠薬……恋人に薬を盛るんだ……)
久々に、がっくりきた。
一番の問題は、そんなことをされても怒ることができないアリスにある。
ディーとダムに悪意はない。
彼らはアリスのことが好きだと言う。そこに裏は無い――と、信じたい。
今回のことも、アリスをびっくりさせようと思っての行動だろう。
そう判ってしまうから、アリスには二人が怒れないのだ。
(……好かれてるのよね?)
アリスも、それは疑ってはいない。たまに自信はなくなるが。
好き嫌いをハッキリ区別する子供たちだから、もし嫌いになったらすぐに分かる筈だ。
アリスを害する気はなく、彼らは良かれと思ってやっている。
ただ、選ぶ手段がとんでもないだけで。
たまに、アリスが置き去りにされるだけで。
(……やばい、自信なくしそう)
主に、これから先も二人と付き合っていける自信が。
そんな事をつらつらと考えていると、気持ちがだいぶ落ち着いてきた。
「なんでいきなり、こんなことをするの」
たずねる声も優しい。
悪戯を問いただす時、声を荒げるのは逆効果である。
二人がそんな手段をとった経緯が知りたい。
ディーとダムは顔を見合わせた。
「だってー、せっかくの新婚生活を、ボスや馬鹿ウサギに邪魔されたくないでしょ?」
「屋敷に居たら気が休まらないでしょ? まあ、安全ではあるけどね」
「でも、安全面の話なら、僕らが守ってあげるんだから問題ないよね」
「うんうん、全然問題ないよ。だからさ」
「ちょっとまって!」
アリスはあわてて二人の会話に割って入った。
ディーとダムはトントンと話を進めるが――無問題どころか問題がありまくりだ。それも、重大な問題が。
「どうしたの? お姉さん」
「なになに? お姉さん」
何を驚いているのだろう、と二人の対なる瞳が物語る。アリスは渇いた喉から声を絞り出した。
「……しんこん、せいかつ……って、ナニがどうなって」
「新婚生活っていうのはねー、結婚したばっかりの」
「そうじゃなくって!」
斜め上方向に語られだした話を、思いきり遮る。
「そうじゃなくて……ねえ、私、いつあなた達と結婚したの?」
「え……」
ディーとダムは絶句した。
傷ついた顔をしたので、アリスはギクリとした。
「お姉さん……酷い……」
「酷いよ、お姉さん……忘れてるなんて……」
「!?」
ディーとダムの目に、じわりと涙が浮かぶ。アリスは目に見えて狼狽した。
(ええええ、まさかっ!? 本当に、私……!?)
ハラハラと涙を零す二人の姿を見ると、アリスの気持ちは更に乱れた。正常な思考などできる筈がない。
(そりゃあ、いずれは……なんて思っていたけど、でも、そんな、記憶がないなんて。……ん? 記憶がない?)
混乱も底につくと、人はかえって冷静になる。
(記憶がないっていうのは……おかしいわ)
アリスは勿論、ディーとダムのことが好きだ。
好きだからこそ彼らの恋人であり、こうして一緒に居る。
二人の澄んだ瞳に騙されそうになったが、もしかして。
「……」
二人のでっち上げ。
その言葉が、アリスの頭には浮かぶ。
有り得るから困る。疑い深いのはよくないが、有り得る話なのだ。
ディーとダムは、汚れなき目をしたまま嘘をつく。
「……ねえ、それ、本当? ほんっとーに、私、あなた達と結婚してた?」
「うん、本当だよ?」
「お姉さん、本当に忘れちゃったの?」
アリスが訝しんだ視線を投げかけても、ディーとダムは揺るがない。
ぐすぐすと泣きながらも、きちんと返してくれる。それが、アリスの目には――。
(……怪しい)
と、そう思うのだ。
いつものアリスなら、ここで「え、本当だった?」と惑うところだ。
泣くことを止めない二人を前に、何で疑ってしまったのかと自己嫌悪に陥る筈だった。
「……ふーん。おかしいわね」
「なにが?」
今日のアリスはいつもとは違う。
目覚めから驚きっぱなしだった分、頭が妙に冴えていた。
「だって、そんな重要なこと、私が忘れるわけない」
この双子と結婚した、などという衝撃の出来事が仮にあったのならば、忘れるはずがない。忘れられるわけがない。
(それに……)
そもそも、二人が忘れさせてくれないだろう。アリスの疑念は深まる。
「もし、それがあんた達の嘘なら、私」
すっかり据わってしまった目で、ジトリと二人の目を見つめる。
「家出するわ」
「えええっ!?」
「家出っ!? 家出って、どこに!?」
ディーとダムは揃って声をあげた。
「ええ。ペーターのところにでも行って、しばらく滞在させてもらう」
続けて言うと、双子は目を丸くした。
「え〜〜!? よりによって、あの腹黒ウサギのところ!?」
「なによ、ペーター以外ならいいわけ?」
憮然と返すと、ディーとダムは勢いよく首を振った。
「いいわけないよ! 駄目に決まってる!」
「あんな奴のところに行っちゃ駄目だよ、お姉さんっ!!」
がばーっと、両側から抱きつかれる。
ぎゅうぎゅう抱きしめてくる二人に向かって、アリスは軽く咳払いをした。
「じゃあ……もう一度聞くわね。ディー、ダム、さっきのは本当?」
今度こそ、ディーとダムの顔色が変わった。
「嘘嘘っ! 嘘だよ、お姉さん!」
「ごめんなさいっ! 嘘だよ! だから、出ていくなんて言わないで!」
大慌てで縋りつく二人を受け止めながら、アリスは呆れたように溜息を吐いた。
「もう」
子供らしい二人は、とても可愛い。
だから、アリスは彼らにどんなに振りまわされたとしても、憎めないのだ。
(いや、これは流石に、金輪際やめて欲しいんだけどね……)
心臓に悪い。
そこはまあ、おいおい話すことにしよう。人間あきらめが肝心だ。
アリスの雰囲気が緩んだので、ディーとダムはやっとアリスから離れた。
アリスが家出すると言いだした時は、二人は本気で焦った。
アリスの口調は本気だったからだ。
何をそんなに怒ったのかは分からないが、ひとまず反省の意を示す為に、ちょこんと正座してみせる。
アリスは腕を組みながら、ディーとダムを見下ろしている。
その瞳には怒りの色が見えないので、双子は胸をなで下ろした。
「それで、どういう計画だったの?」
聞かれて、ダムはディーを見やった。
「うー……どうする? 兄弟。話す?」
ディーはちょっと考えてから、こくりと頷く。
「話そうか、兄弟。こうなったら、お姉さんにも前向きに協力してもらおう」
「……協力って、あんた」
呆れかえったような声に、ディーとダムはすかさず反撃する。
「ええっ!? だってお姉さん、三人で一緒に暮らしたいでしょ!?」
「僕は一緒に暮らしたいよ! お姉さんだってそう思うよね!?」
勢いに任せて捲くし立てると、アリスは短く息を呑んだ。
「私は」
そわそわと、青い視線がさ迷う。何を考えているのだろう、と興味が湧いた。
濁りのない、明るい青だ。
欲しいな、とディーは思った。
アリスの目はふたつあるから、兄弟と仲良く分けることができるなあ、と、物騒な思考がぼんやりと頭に浮かぶ。
「……」
躊躇いがちに、口が開かれる。頬が桜色だ。
「……く、暮らしてみたい、けど」
恥じらいながら、アリスは言う。
可愛さにやられたディーとダムは、思わず立ち上がった。
「っ! お姉さん大好きっ!!」
「お姉さん可愛い! 好き好き〜〜!」
「うわわっ!」
飛びつくと、アリスはバランスを崩してベッドに倒れこんだ。
ディーとダムも絡みついたまま。ベッドのスプリングが跳ねる。
「じゃあ、すぐにでも結婚しよう!」
「うん、そうしよう! ね、お姉さん!」
ニコニコと、アリスを見下ろす。
いつもと逆の位置は、気分が良い。
こうして寝転んでしまえば、身長差などあって無いようなものだ。
シーツに流れる髪を掬い上げながら見つめると、アリスは頬を赤くした。
流れに乗って押してみたが、アリスは「うーん」と考え込んでしまった。
「いや、結婚はまた別の話にして欲しい……」
その辺りは割とクールだった。
そこがまた、良いところなのだが。
冷静さを取っ払って、崩してあげたくなる。
アリスの性格は知っていても、断られたことに、二人は軽くショックを受けた。
「ええっ、どうして!? 僕らと結婚するのが嫌!?」
「ち、違うってば。ええと……」
アリスは説明しようと言葉を探している。
「一緒に住んでみて、色々と、その……うまくいくとは限らないのよ。だから、すごく嫌な想像だけど、あなた達が、私のことを嫌いになる可能性だって、十分あるわけだからね」
ふんふん、と聞き分けの良い子供の振りをして、双子はアリスの話に聞き入った。
大抵は隠してしまうアリスが、自分の考えを曝け出してくれるのは嬉しい。
二人のため、という名目があるから、気にならないのだろう。
「だから、結婚する前に同棲してみて、お互いのペースが合うかどうか、知ることはいいと思うの」
ディーとダムは頷いてみせた。
一緒に住むことには賛成、ということか。
「でも、僕らの場合は結婚しちゃっても問題ないよね?」
「問題ないと思うな、僕も」
「……人の話、聞いてた?」
呆れたような声に、ディーとダムは揃って頷く。
「うん、もちろん。お姉さんの話なら、絶対に聞く」
「もちろん聞いてるよ、お姉さん。僕らいい子だから」
アリスの声を聞き逃す筈がない。
「つまりー、僕らがお姉さんを嫌いになる可能性があるから、いきなり結婚して一緒に暮らし始めるのは、ちょっと踏ん切りがつかないってことだよね」
「そう、そうなのよ」
何だちゃんとわかっているじゃない、とアリスは緊張を解いた。
申し訳なさそうにしているのが、なんとも控えめで愛しい。
アリスはアリスなんだから、もっと主張してもいいのになあ、と二人は思う。
アリスの不安を払拭するように、ディーとダムは優しく笑う。
「だから、大丈夫だってばー」
「リスクが大きいのなら、避けるのは賢い選択だよ。でも、これは違う。僕らは、お姉さんを嫌いになることなんてありえないから」
「……うん、ありがと……でも」
アリスは尚も渋っているけれど、それは口だけだと二人にはわかる。
彼女の青い目は、迷いに揺れ動いている。自分たちの一言に翻弄されてくれるアリスが好きだ。
「あ」
「どうしたの、兄弟」
ダムは、ディーの顔を見た。
ディーは何か考え込んでいるのか、神妙な顔をしている。
「……僕、気づいたんだけど。それ、お姉さんが僕らを嫌いになる、ってこともありえるわけ?」
「ええええっ!? お姉さんっ、本当!?」
まさか、と焦ったダムがアリスを見やると、アリスはきょとんとしていた。
「私が、二人を? いや……それはないと思うけど」
「ないと思う!? 可能性はあるってこと!? そんなの酷いよ!」
「な、ないっ! ないから!」
詰め寄るとアリスは慌てて否定し直したので、ディーとダムはホッとした。
今日のアリスには、驚かされてばかりだ。
「よかった〜〜……びっくりしたよ」
「うん、久々にきたね……でも、お姉さん。だったら、何の問題があるの?」
問題はないように思えた。
アリスは二人を嫌わないと誓ってくれたし、二人だってアリスを嫌いになる筈がない。
たとえどんな醜態を晒そうが、それすら包み込んで愛せるだろう、とディーとダムは思う。
男児たるもの、包容力がなければ。
アリスは大きな溜息を吐いた。
「……一番の問題はねえ」
「うんうん」
何だろう。
アリスが問題としていることは、解決してみせる自信がある。お金でも力でも愛でも、何でも来いだ。
「さっきから結婚結婚って軽く言うけど、全くムードがないってことよ!」
パシッと、小気味の良い音がした。
「あいたた……」
双子は、叩かれたばかりの頭を抑えている。荒んだアリスは同情しなかった。
(もうちょっと……何て言うか)
アリスだって一端の乙女だ。
もう少しシチュエーションや言葉を考えて欲しかった。
「大げさね。そんなに強くは叩いてないわよ」
「違うよ、お姉さん! 僕ら、心が痛いんだよ!」
「そうだよー。傷つくなあ、お姉さん……いたいけな子供を殴るなんてよくないよ」
双子は可愛らしく訴えるが、アリスはその意見を却下した。
いたいけな子供は、恋人に睡眠薬を飲ませたりしないと思う。
マフィアに良識を求めるのも、間違っている気はしないでもないが――何だか胃がムカムカしてきた。
「だいたい、あんた達ねえ」
アリスが強い口調で切り出すと、騒いでいた二人はぴたっと口を閉じた。
「帽子屋ファミリーの門番なんでしょう? 街中で暮らすなんて、とんでもないわ」
「え、どうしてどうして?」
「なんで? どこが駄目だった? 教えて、お姉さん」
ディーとダムは本気で何故か分からないらしく、身を乗り出してきた。
「もし、ブラッドに何かあったらどうするのよ。すぐに駆けつけなきゃいけないんでしょう?」
部下としては。
アリスが進言すると、ディーとダムは嫌そうに眉間に皺を寄せた。不満に頬を膨らませている。
「……僕らより、ボスの心配をするの? お姉さん」
「私? 私は心配なんて……」
しない――と言いかけて、アリスは訂正した。
まったく心配しないわけではない。
癖はあるけれど、彼も友人の一人なのだから。安否を気遣って当然だろう。
「まあ……ちょっとくらいはすると思うけど、じゃなくって、あなた達よ。ブラッドの部下じゃないの」
「えー……」
何で僕らが、とでも言いたげな顔だ。
アリスは落胆した。
何も、敵対しているペーター=ホワイトの身を案じろ、とか、そういった無茶なことは何ひとつとして言っていない。
「お姉さん、僕らとの生活より、ボスのことを気にするんだね……ショック」
「違うってば」
だからそこではなくて、とアリスは否定したが、双子はキッと顔をあげた。
「違わないよ! お姉さん、ボスのほうが大事なの!?」
ほとんど言いがかりに近いのに、何故だか勢いに気圧されてしまう。
そして――突っ走りがちな双子は、またもや別の方向へとばく進してしまったらしい。
「あ、あなた達の方が大事に決まってるじゃない」
「! ほんとっ!?」
「本当に本当!? 嘘は嫌だよ!?」
子供のように無邪気に喜ぶ二人を見て、アリスは安堵した。
どうやら誤解――思い込みは、無事に解けたらしい。
軌道修正するのは今しかない。
「うん、本当本当。だから、勝手に突っ走って周りから文句がでないように、万全を期すのよ」
ディーとダムの意識がこちらへ向いたのを確認すると、アリスは改めて居ずまいを正した。
さっきから二人に抱きつかれたり飛びつかれたり引っ張られたりで、アリスはボロボロだ。
服の乱れを軽く整えながら、アリスは身を起こした。
「話を元に戻すわね」
うん、と双子は同時に頷く。
そうして大人しくしていると、可愛いだけの二人なのに。
「距離の問題は……あるかもしれないから、街中に新居をだなんて、ブラッドやエリオットが許さないと思う」
逆に、気にしないかもしれないが。
「それに……周りの人たちが可哀想だわ」
実のところ、アリスはそちらの方が気がかりだった。
隣人が双子だなんて、恐ろしくて裸足で逃げ出すだろう。
顔なしにとっては、狂気寄りの殺人鬼が隣に越してきたレベルだ。
ディーとダムは不思議そうに首を捻った。
「周り? 周りって、だれ?」
「わからないな。誰のこと?」
「ここの周りに住んでる人たちよ。ぜっっったいに、萎縮させちゃう」
萎縮どころか、きっと二人は威嚇する。
屋敷に居る使用人たち相手でさえ、牽制していたのだ。
何かと理不尽な理由をつけて殺しそうな気がする。
(……気のせい、じゃないんだろうな……)
そう、ほぼ断定できてしまうところが悲しい。血が舞い散る住宅など、ご免こうむる。
「えー。いいじゃない、そんなこと」
「顔なしなんて気にしなくていいのにー」
「そういうわけにはいかないの。生活していくのなら」
せっかくなら、アリスは穏やかに暮らしたい。
暴れやしないかと冷や冷やしたり、二人が誰かを手にかけて後ろめたく思ったりするのでは、楽しさも半減してしまう。
「……って、何でそんなに嬉しそうなのよ」
人がせっかく真剣にアドバイスをしている最中だというのに、ディーとダムは何だか嬉しそうだ。
「えー、だって、ねえ?」
「うんうん」
「? 何よ?」
双子は互いに顔を見合わせて、笑う。
心が通じ合っている様子だ。
幸せそうな微笑みを浮かべる理由がわからなくて、アリスは尋ねた。
「お姉さん、何だかんだ言いつつ、すごく乗り気だよね」
「!」
クスクス、と双子は笑う。
「だよねだよねー。ふふ、お姉さんてば、僕らと暮らしたかったんでしょう」
可愛いなあ、と楽しそうに言う双子を前に、アリスは言葉に詰まった。
確かに、言われてみれば――アリスの方から、積極的に提案している風にも取れる。
「う……」
恥ずかしさがこみ上げてきて、アリスは赤面した。
ディーとダムは、アリスの腕に絡みついた。
「だから僕ら、嬉しくてさ」
「だからお姉さんって、大好き」
チュッと、ついばむようなキスを落とされる。頬に、唇に、首筋に――。
それだけに留まらなかった。
いつの間にか、アリスはやんわりと二人に抑え込まれている。
ブラウスのボタンは外れ、整えたばかりのスカートも再び乱れる。
「……ちょ、っと、ごまかされないっ……」
胸に触れている二人には、アリスの動揺が手に取るようにわかるのだろう。
ディーとダムはニィッと笑った。
逃してなるものか、とばかりにアリスに詰め寄る。
「誤魔化されてよ。僕らに」
「流されてよ、お姉さん」
甘ったるい視線で誘われれば、もうアリスは逃げられない。
===== あとがき ===
2010年8月発行『Treacle moon』です。
タイトルは……新婚さん、だったかな?そんな意味合いだったかと。
ちょい長いので分けました。