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ドアの向こうには、どこまで続いているのか想像もしたくないような階段が、下へ下へと伸びている。
「こんなトコにお姉さんがいるって? ふざけるな」
「僕らも暇じゃないんだよ。いつまでも大人しくしてると思わないでよ」
ディーとダムは背後で壁にもたれて、面白がっているとしか思えないような態度のエースをじろりと睨みつけた。
彼はハートの城に着くと、何時間帯ぶりに帰ったかなぁなどと言いながら、ふらっと立ち去ろうとするので、またそこで二人がキレて斬り合いになった。
なんだかんだで同じような事が数回続いて、やっとエースに案内させるところまで行き着いたが、まったく迷いのない足取りでこのドアにたどり着いたところがすでに怪しい。
「あはは。でも俺、アリスのいる場所教えるって言ったっけ?」
しらっとそんな事を言いだした。
「ほんとどうしようか? 兄弟」
「んーやっぱりこの土地柄的に斬首かな?」
「うんうん。郷に入っては郷に従え」
「郷土愛だね。騎士の鏡だ」
鎌を構えてエースの首を見据える二人。背後に続く階段はさながら死への入り口か。
「冗談だって。……ほら見てみなよ」
エースはディーとダムの後ろを指差した。
二人は振り返って、薄暗い空間に目を凝らす。
当然そこには階段が続いているだけだ。
首を獲るかと頷きあった背中に、強い殺気が襲った。
ディーとダムは双子らしく同時に避ける。
数段下がったところから見上げると、エースが剣を抜いて立っていた。
「あれ? やっぱ避けられたか。すごいすごい」
そう笑いながら、ドアに手をかける。
「……最初から信じちゃいなかったけど、これが望み? 僕らを閉じ込めてどうするのさ」
「もしかしてボスに身代金要求するの? やめてよ、減給されちゃうよ」
そんな二人にエースは笑いながら、ドアを閉じ始める。
エースの姿は見えないが、少しだけ開いた隙間から声だけが聞こえてきた。
「うんうん、お互い良い上司を持ったね。閉じ込める気はないよ。ちょっと入り組んでるけど外に出られる事は確かさ。そうだなぁ……俺は十時間帯くらいかかったけど」
ガチャン……と、大きく余韻を響かせながら、ドアが完全に閉じられる。
「……それに、出口以外にも面白いものが見れるかもしれないぜ」
扉越しにそんな意味深な言葉を残していった。
「……」
「……」
「ねえ、兄弟?」
「何だい? 兄弟」
「このドアぶち破ってもいいかな?」
「うん、ぶち破ってもいいと思う」
速攻エースを追いかける決意をした二人が、鎌を振り上げたとき階段の下から声が聞こえた。
大分下のほうにいるのか、内容までは聞こえなかったが……。
「今、お姉さんの名前が聞こえなかった?」
「聞こえた。僕らのお姉さんのこと、勝手に話すなんて許せないね」
エースよりもお姉さん。考えるまでも無い。
ディーとダムは階段を駆け下りていった。
× × × × ×
「う〜〜」
ナイトメアが呻いている。
さすがに追い込まれているのか、仕事をする気はあるようだ。
机に向かって書類と向き合っている。頭を抱えて呻いてはいるが。
何か難しい決断を迫られているのだろうと、アリスは静かに見守っていた。
「う〜〜……う〜〜」
普段は頼りないと言うか、大丈夫なのかとしか言いようのない人だけど、ちゃんと悩めるみたいだ。
(ハートの国にいたとき――夢の中だけ会ってた時は、少しは頼りにしてたのに……してたわよね?)
どうだったか自分に確認してしまった。
してなかったかもしれない。
グレイの苦労が偲ばれる。
アリスはグレイとともにこの部屋に入ったときのことを、思い出していた。
グレイは一通りナイトメアにアリスの状況の説明をし、連絡事項やら注意事項やら健康状態の確認をして、コーヒーまで出して忙しそうに出ていった。
補佐官の鏡のような人物だ。それに引き換えナイトメアはまだ唸っている。
「うう〜〜うっ……ごほごほっ」
今度は咳き込み始めた。
「ちょっ、大丈夫?」
悩んでるんじゃなくて、体調が悪かったのかとアリスが慌てて駆け寄ると、ナイトメアはこの世の終わりのような目で、見上げてきた。
「ごはっ……もう、私には無理だ……」
無理無理と、ナイトメアは頭を抱えて喚きだした。
「何をそんなに悩んでるの? 領土の事とか分からないけど、話を聞くくらいなら……」
少しでも力になればと思ったアリスに、ナイトメアは恨めしそうな声で言った。
「うぅ〜〜君がグレイの事ばかり褒めるから、やる気がなくなった……どうしてくれる〜〜」
そんな理由か。
アリスは呆れた。
でも見張りを頼まれただけにしろ、やる気をなくしたのでは申し訳ない。
やっぱりここはナイトメアの意欲を高めるような何かを言わないと、と思ったもののこの考えも聞こえてるんだろうなと、ナイトメアを窺うと……。
「聞こえた……」
聞くまでもなく答えが返ってきた。
「そうよね」
どうしようかしら。
何か気の紛れる話でもあったら、休憩になるのに……。
アリスは少し考えて、思い出すことがあった。
「そうだ、さっきの手紙!」
とっさに受け取って、エリオットたちには何となく渡せなかった手紙。
ナイトメアなら、全然関係ないから、相談してみるのもいいかもしれない。
「ほう、どんな手紙だ? 面白そうだな」
早速食いついた。
こういうときは説明が省けて助かる。
「これなんだけど……」
アリスはポケットに入れたままだった、手紙を取り出す。
手紙は、受け取ったときより赤黒く禍々しいもののように見えた。
血まみれの状態もぞっとしたが、血が乾いても怖い。
こんなものをずっと持っていたかと思うと後悔した。
「これは……どこで拾ったんだ? こんな怨念の塊のような手紙。書き手の妄執と送り主への執着が渦巻いてるな」
妄執!? 怨念!? それより――、
「なんでそんなのが分かるのよ。ナイトメアって幽霊見える人?」
もしかして何度も死に際を彷徨っているうちにそんな体質に?
「違う。私は幽霊は信じない派だ。そうじゃなくて、人の思いとかその辺りは、夢と通じるものがあるから分かるだけだ」
「ふーん、そうなの?」
「なんだ、その疑わしそうな目は。断じて嘘はついてないぞ」
やけにむきになって訴えている。
本当にこの城の最高権力者なのかを疑いたくなる姿だ。
「うぅ……」
ナイトメアが呻いた。
また余計なこと考えてしまった。
さっきは助かったけど、こういうときは考えものだ。
「疑ってないわ! 心の底では信じてるから! それよりその手紙の事教えて? 誰に届けるべきかしら」
ナイトメアはまだ何か呟いていたが、アリスがじっと返事を待っていることに気付いて、気分を立て直すことに成功したようだ。
「そうだな……教えてもいい。でも、ただで教えるのはな。さっき私は酷く傷ついたし、いい事でも無いとやる気が出ない!」
そうきたか。
「……一応、要求を聞きましょうか」
× × × × ×
私は何故、こんな事をしているんだろう。
諦めにも似た心持ちで、アリスは大きく息を吐いた。
「酷いな。いいじゃないか、少しくらい」
「酷くないわ」
ナイトメアの要求は、何のことはなかった。
ただ、アリスの焼いたお菓子で休憩したい。ナイトメアはそう言ってきたのだ。
(要求とか言うから、どんな無理難題を言われるかと思ったら)
ふう、とアリスは息を吐く。
要求を受け入れたアリスは、塔内の調理室を借りて手早く用意をすると、ナイトメアの部屋に舞い戻った。
そうして今、二人は揃ってコーヒーブレイク中だ。
このぐらいの『お願い』ならば、どんどん言ってくれて構わない。通常時ならば、だが。
結果的に、ナイトメアは仕事を中断しているのだ。
ナイトメアを頼むと頼んできたグレイに、心底申し訳なくなってくる。
(ああ、私って駄目な子……いや、私じゃないよね、この場合。悪いのはナイトメアよ、ナイトメア)
そうだ、こんな事を要求するナイトメアが悪い。
そんなアリスの思考を読んだのか、ナイトメアはたじろいだ。
「い、いいじゃないか。この後、ちゃんと仕事はするぞ」
「当たり前じゃないの」
だが、嬉々として菓子に手を伸ばすナイトメアを見ては、これ以上アリスは強く出られない。
まるで子供みたいだ、とアリスは息を吐いた。
ナイトメアは、時たま幼い顔を見せる。
そのせいで、グレイの大人っぷりが際立って目立つのだろう。
(子供……)
子供というキーワードで連想するのは、もちろん愛するディーとダムの顔だ。
二人はきっと今頃、アリスを探してあちこと歩きまわっているだろう。
探されている当のアリスが、ここでぼんやりとお茶をしていてもいいものか。
(私はいいんだけど……ここに居るのって、反則な気がする)
こうして塔に滞在できるのは、アリスにとっては良いことだ。
中立を崩さないクローバーの塔。しかも、クローバーの国の領主の部屋なのだから。
(領主は、領主っぽくないけど。グレイの方が領主だって言われても、疑問に思わないわね)
グレイの方が貫録もあるし、落ちついていて威厳もあるし――いや、ナイトメアにそこら辺が皆無だ、とか、そういうことを言いたいのではなくて。
「君はさっきからグレイのことばかり……少しは私のことも敬ってくれ!」
「尊敬してるわよ、ナイトメア」
不満を訴えるナイトメアに向かって、アリスは棒読みで答えてあげた。
けれど、アリスだって不満だ。
ナイトメアは教えてくれない。
「……はあ。で、手紙のことを教えてくれない?」
「手紙か」
そういえばそんな話だったな、とナイトメアはカップをテーブルに戻した。
「私が処分してあげよう。貸しなさい」
「え。やだ」
アリスが反射的に返すと、ナイトメアは面食らった。
「何が嫌なんだ。それは君が持っていると危険だぞ。私によこせ」
「嫌よ。だって、これ」
何故、こんなに頑なになっているのだろう。
面倒ごとは嫌いな筈なのに。自分でも不思議だ。
「いいか。君のところと敵対している誰かが持っていたんだろう? 君にとって良い結果を招くことは、まずない」
「……そりゃ、そうだけど」
ナイトメアの言うことは正しい。
今、自分が客観的に考えられていないことも、本当は分かっている。
「さあ」
「でも」
手を伸ばされたが、まだアリスの表情は晴れない。
ナイトメアは大げさに息を吐いた。
「君は強情だな。けれど、今回ばかりは間違っている」
「……」
ナイトメアに諭されて、アリスは返す言葉がなかった。
「どんな物なのかだけ、教えて。誰に届けるべきだったのかも」
ナイトメアは、しばし沈黙した。
「誰か、は知らない。顔なしの見分けなど、つかないからな」
アリスの我侭に付き合う形で、ナイトメアは静かに語りだした。
「ここから帽子屋屋敷へ向かう道の途中、外れにある……寂しい場所だよ。この手紙は、そこに届けて貰いたがっているが」
語る口調は落ち着いているが、妙な力があった。
「危険な役目を、君がやることはない」
そっと、アリスの手から手紙が抜き取られる。
「……そうね」
自分から言い出した手前、この話はこれでおしまいにしなくてはならない。
アリスは罪悪感を覚えながら、無理矢理に自分を納得させた。
「それでいい」
ナイトメアは悠然と微笑むと、手紙を一瞥した。
上手く誘導できて良かった、と思う。
(もはや呪物に近いな、これは)
ナイトメアに対しては、影響はない。
どうということはないのだが、アリスがこんな物を持っていてはいけない。
× × × × ×
ディーとダムは、どんどん突き進む。
ここが敵地だということもお構いなしに、ずんずんと。
光源は細く頼りなく、全体的に薄暗い。
勘を頼りに右へ曲がると、現れたのはドアがひとつ。
中から話し声が聞こえたので、二人は迷わず扉を開いた。
「……噴水?」
この場に不釣合いな噴水があった。
それ以外のものは何もない。何処かへ続くドアさえも。
「確かにここから声がしたけど……どういう仕組みかな」
ディーとダムは、周囲を見渡した。
人の気配はない。慌てて出て行った、という様子もない。
たまった空気は混乱することなく、落ち着きはらっている。
噴水が気にかかり、ダムは傍に寄っていった。
「兄弟、こっちこっち」
手招きすると、ディーは素直に従った。
共に噴水の中を覗き込む。
「へぇ……割と面白い」
向こう側からは、全く見えないし聞こえないらしい。
二人に見つけられて遠慮しなくなったのか、話し声が鮮明になった。
水面に移っているのは顔なしだ。
薄暗い部屋で密談を交わしている。
『また一人死んだ。しくじったな……完全に帽子屋に目をつけられた』
『何!? どうするんだ!』
どうやら彼らは、自分達の関係者らしい。
組織と敵対している、という広い意味での関係者。
みっともなく場がざわめく。
統制も何もあったものじゃない。
リーダーはいないのだろうか。
どうするも何も、彼らが潰されるだけの話なのだが。
ディーとダムの視線は氷のように冷たい。
「誰?」
「知らない。顔なしなんて、いちいち覚えてないよ、僕」
元より、彼らに対してこれっぽっちも興味がないのだから、わからなくても仕方がない。
切り刻む対象としか見られない。
「僕も。でも、内容から察するに……この間、ひよこウサギが言ってた案件がらみじゃない?」
「ああ……つまらなさそーだったからパスしたやつ?」
「そうそう、それそれ」
のんびりと言葉を交わしながら、ディーとダムは注意深く周囲を探った。
今しがた二人が入ってきたドアも、いつのまにか消えている。
これは罠なのか、はたして。
『手紙は!?』
『死んだ奴が持ってたはずだ』
また論争が起こる。
責任のなすりつけあいだ。責任の所存は大事なことだが、率直に見苦しい。
「手紙ねえ……」
ダムは興味なさそうに呟く。もう飽きてきた。
他に何かないか、と視線を逸らしかけた時だった。
『あの眠りネズミめ』
忌々しく男は吐き捨てる。
ピアスの名前が出たところで、感動には値しない。
『余所者の女の子が居ただろう、帽子屋のところに』
『ああ、そういえば……』
『眠りネズミと一緒に居たって話がある。帽子屋の弱みにもなると思うが』
『一緒にいるんじゃ、うかつに手が出せないな』
一層、二人の眼差しは冷ややかになった。
「……へえ、いい度胸してるじゃない」
「手を出そうなんて発想がね。褒めてあげてもいいくらいだ」
面倒くさいけど、アリスが絡むなら話は別だ。
ひよこウサギに連絡を取ろうか。
こいつらの居場所は推測できるから、報告前に潰しておいても問題はなさそうだけれど。
『守ってくれるわよ、ディーとダムは。お気に入りの玩具を守るみたいにね』
別方向から、アリスの涼やかな声がした。
二人は同時に顔を上げ――壁に、大きな鏡があることに気がついた。
こんな物があったのか。
だが、いつの間に出現したのだろう。
部屋に入った時は、確かに無かったような気がするのだが。
「お姉さん!?」
鏡に映し出されているのは、紛れも無くアリスその人だった。
曇りがちな鏡に、ぼんやりとシルエットが映る。
アリスは誰かと話している。
相手はぼやけていて見えないので、分からないが――。
『壊れても、仕方ないで済まされると思うの。あの子達、子供だから』
ディーとダムは噴水から離れると、鏡へ近づいた。
鏡の装飾は、酷いことになっている。
悪趣味だなと思い――ハートの女王の趣味だったなら、納得がいくけれど。あの人はゴテゴテしたものが好きそうだ。
『子供って、いざって時には頼りにならないわ』
ディーとダムは言葉に反応せず、じっと鏡面を目で探った。
アリス――らしき人物が居る、ここは何処だろう。
シルエットは揺らめく。
薄っすらとアリスを映したかと思うと、急に場面が切り替わった。
やけに鮮明に映っているのは、階段。この階段は、見覚えがある。
「これは……クローバーの塔?」
「だね、兄弟」
二人が気づいたと同時に、カコンと音がした。
素早く視線を走らせると、今までに無かったドアが出現している。
「行こうか」
「うん、行こう」
ディーとダムは、迷うことなくドアへ向かった。
× × × × ×
フッと琴線に引っかかる物があった。
まだ微弱なものだけれど、これは。
ナイトメアは顔を上げた。
「アリス」
「どうかしたの。あ、吐血しそう? ハンカチ?」
はい、とハンカチを差し出される。
のんびりしたアリスの気遣いに、ナイトメアはがくりと肩を落とした。
何となく、ハンカチは受け取った。
こんなにもシリアスな空気だというのに。アリスの中でどんな印象なのだ、自分は。
うっかり挫けそうになったが、気合で立ち直る。
「あのな……いいや、そうじゃない。……グレイは何処だ?」
尋ねながら、その一方でどんどん強まる気配に、ナイトメアは渋面を作った。
(まずいな)
あまり良くない気配がする。それも、二方向から。
「グレイ? グレイなら、これから資料室に行くって言ってたような」
ナイトメアは短く息を吐いた。
「……よくないね。さて、どうしようか」
「何がよ」
さっぱり分からない、とアリスは首を傾げた。
独り言のように、ナイトメアはぶつぶつと呟いた。
「資料室へ行く道に問題があるんだ。私の領土ではあるが……」
夢の中なら、ナイトメアは最強だ。本領発揮できる、彼のテリトリー。
夢のフィールドに持ち込めば何とかなる。
だが、現実世界での彼らを相手をするのは、そう簡単にはいかない。
ううむ、とナイトメアは低く唸った。
あまり迷っている時間はない。
ためらいを振り切ると、ナイトメアは立ち上がった。
アリスの腕を取り、やんわりと立たせる。
「アリス、グレイの所へ」
「え」
アリスは目を瞬かせた。
「さっきから、かすかに双子の気配がする。もうひとつ厄介そうな気配もな」
「ええっ!?」
「驚いている間はないぞ。間に合わなくなるから、早く行きなさい」
「うん……でも」
アリスの危惧していることは、ナイトメアのことだ。
自分に向けられる心配が思いのほか心地よくて、ナイトメアは優しく微笑んだ。
「心配しなくても、君は私が守ってあげるよ。私の領土内に居る限りは、必ず。だから、急いで行くといい」
「ん……わかった。ありがとう、ナイトメア」
アリスはこくりと頷くと、部屋から出て行った。
まだ完全には納得していないのだろう。彼女の表情は曇っていた。
さあ、ここからが少し踏ん張りどころだ。
「さて」
ナイトメアは、器用に思考を切り替えた。
強まる気配に感覚を研ぎ澄ませながら、じっと場が動くのを待つ。
× × × × ×
空気が揺れるのを、ナイトメアは感じた。
見つめている戸棚から、にょっと手が生える。
引き出しが勝手に開き、まずは中から手が。
次いで、頭に体、足の順に、奇特な来訪者は現れた。
「こんにちは、夢魔さん」
ディーとダムは澄ました顔で、部屋の主に声をかけた。
「やあ、いらっしゃい。棚の中からとは、随分と奇抜な登場じゃないか」
ナイトメアは穏やかに応えるが、ディーは鼻で笑った。
「ふん。僕らだって、好きでこんな所から出てきたわけじゃないよ」
「ほう?」
二人はぶっきらぼうに、ナイトメアに対して小生意気な態度をとる。
しかし、そんなことには慣れているのか、ナイトメアは気分を害した様子もない。
「そんな事はどうでもいいや。お姉さんは何処?」
「アリス? 君たちは、アリスを探しているのか?」
「うん。正直に答えないと、怪我するよ」
空を切って、二つの斧がナイトメアに向けてつきつけられる。
けれど、ナイトメアは動じなかった。
「ふむ……何故、ここにアリスが居ると? そんなところから出てきた理由も、教えてくれると有り難い」
ナイトメアは知っていて、わざと双子に問いかけた。
アリスの為、ここでなるべく時間を稼いでやる。
まだアリス塔にいる――やっとグレイの元へたどり着いたぐらいか。
だから、まだ十分ではない。
ナイトメアの領地とはいえ、形勢はナイトメアの方が若干不利だ。
だが、ナイトメアは余裕を崩さず、微笑すら浮かべてみせた。
「まぁ、急ぐことはないだろう? アリスは君たちのところに滞在しているのだから、いずれ会える筈だ」
ディーとダムが、苦虫を噛み潰したような顔になる。
むすっとした様子で、苛立ちを紛らわせるように大きく息を吐いた。
こんな時でも、二人の動作は一糸乱れない。
「……答える気はない、ってことだね?」
「私の興味が先、というだけのことだ」
ディーはひとつ溜息をこぼすと、手短に説明した。
自分達はハートの城に居たこと、エースに閉じ込められたこと。妙な部屋に行き着いたこと。
「それは、本当にアリスの声だったのか?」
たずねると、ダムは面倒くさそうに頷いた。
渋々相手をしてやってる感まるだしで、やる気ゼロだ。
「お姉さんの話し声が聞こえたんだ。気のせいじゃない」
聞き間違える筈がない。
誰よりも愛しい人の声だから。
だから、わかることがある。
「僕の方も、あんたに聞きたいことがあるんだ」
「何かな?」
涼しげな視線が、余計に腹立たしい。
ディーは眉間に皺を寄せた。
「どういうこと? これ、お姉さんが作ったでしょう」
テーブルの皿にある物を差しながら、なるべく気を抑えて、ナイトメアに問いただす。
そうでもしないと、今にも爆発しそうだった。
ナイトメアはわざとらしく首を傾げてみせた。
「おや。そう思うかい?」
「当たり前だろっ! 僕らを誤魔化せると思ったの!?」
ダムは苛立ちを露に、ナイトメアを怒鳴りつけた。
それでもナイトメアは慌てることなく、静かに二人を見つめ返した。
「君たちは、何を苛立ってる?」
「何がだよ」
声音に、刺々しさを隠そうともしない。
「怖い夢でも見たのかな?」
「……」
子供に諭すよう、やわらかに問いかける。
沈黙で返す二人の肩から、ふっと力が抜けた。
「教える必要はないね」
「同感だ、兄弟」
じゃきりと斧を構える。
二人の動作には、乱れや狂いはない。
まっすぐにナイトメアを見据えながら、ディーは口を開いた。
「僕らはお姉さんのこと、信じてる。だから惑わされたりはしない」
揺るがぬ声は、力強かった。
「うん。考えるまでもなく、あの迷子の罠だよね。あいつに対しては、すごーくイラついてるけど。僕ら、お姉さんの気持ちを疑ったりはしないよ」
ディーとダムの瞳に、戸惑いは一切ない。
「さあ、遊びはこれでいいだろ。今度こそ、お姉さんの居場所を教えてもらうよ」
彼らの我慢は限界に近づいている。これ以上は持ちそうにない。
ナイトメアは意味深な微笑を二人へ向けた後、ゆっくりと両手をあげた。
× × × × ×
アリスが部屋に駆け込むと、グレイはすぐに作業を止めて立ち上がった。
彼の所作は、まるで予想していたように迷いがなかった。
アリスの方が面食らってしまったほどだ。
「緊急事態か?」
急げと言われて、全力で走ってきてしまった。
深呼吸をひとつして、息を整える。
「ええ、そうみたい。ごめんなさい、グレイ。塔の前まで送ってくれる?」
「ああ、勿論だ。急ごう」
手にしていた資料をためらいなく放り出すと、グレイは力強く頷いた。
常とは違い、静かだが、彼の雰囲気は一変していた。
アリスの背に手をそえてやんわりと誘導しながら、閉じたばかりのドアを開ける。
「あ……」
そのままアリスもグレイに続こうとしたのだが、心に引っかかるものがあった。
立ち止まったアリスに、グレイは優しく声をかけた。
「どうした?」
「ナイトメアが独りだわ。ディーとダム、と……あとひとつの何かって言ってたけど、ナイトメアも独りだと危ないんじゃ」
グレイが彼の護衛のようなものだ。
そんなグレイを、自分が借りてもいいのだろうか。
グレイは、しばし考え込む素振りを見せた。
「ナイトメア様は、何と? 君を送り出す時」
「ええと……」
アリスは記憶を掘り起こした。
「領土内に居る限りは、私を守ってあげるって……でも」
正直いうと、自分のことより、ナイトメアの方が心配だった。
彼は体が弱いのだし、どう見ても強そうではない。
その上、短気な双子が相手なのだ。どう考えても、怪我をするのではないか。
グレイはアリスの言葉を聞くと、口元を緩めた。
「そうか。あの人がそう仰ったのなら、信じるといい。行くぞ、アリス」
「ん、わかった」
当然のように大丈夫だと言ってくれた。
彼の言うことならば、安心して信じられる。
グレイは嘘を言うような人ではないし、根拠のないことも言わない。
グレイは、ナイトメアのことを信頼しているらしい。
ナイトメアもまた、グレイのことを信頼している。とても良い関係だ。
グレイに勝手に保障された気分になり、アリスは素直に従った。
足早に二人は歩く。
無数のドアがはりついた階段にさしかかった時、突然グレイは歩みを止めた。
「グレイ?」
どうしたのだろう、いきなり。
グレイの表情は渋い。
アリスが不安を覚えそうになっていると、グレイは独り言のように小さく呟いた。
「……なるほど。ナイトメア様が俺のところへと指名したのは、この為か」
「え」
グレイが言った言葉は、アリスの耳に半分ほどしか届かなかった。
尋ね返そうと口を開きかけた時、アリスとグレイに向けて明るい声がとんできた。
「やあ、蜥蜴さん。アリスも。そんなに急いで何処に行くの?」
「エース……」
突然の登場に驚き、アリスは目を瞠った。
エースの手には抜き身の剣が握られている。
グレイはエースに気づいていたのだろうか、彼は全く動じてはいないようだ。
ただエースを睨みつけ、無言で圧力をかけている。
エースはグレイの視線を受け流すと、アリスに目を向けた。
ばちりと目が合うと、アリスに、輝かんばかりの爽やかさをもって笑いかける。
「そういえば、さっき双子君に会ったぜ」
「ど、どこでっ!?」
驚いたせいで、声が裏返ってしまった。
「えーっと……君と別れて、すぐ……かなぁ。ちゃんと閉じ込めてきたけど、もう出てるかもね。子供って迷路が得意だし」
「!」
閉じ込めた?
アリスはサッと顔色を変えた。
「エース! あんた、ディーとダムを何処にやったの!?」
アリスが声を張り上げると、エースは顎に手をあててしばらく考え込んだ。
「あれは何処だっけ……そうそう、ハートの城の地下牢があってね。その途中の、ちょっとした迷路っぽいところさ」
アリスは目を瞠った。
ハートの城、とエースは言った。
「何……」
何てことを。
何てことをしてくれたのだ、この男は。
よりによって、敵地に二人を放り込むなんて。
アリスの心情が伝わったのか、エースは意外そうな顔をした。
「あれ、感謝してはくれないの? 俺、君のために彼らを足止めしてあげたんだぜー?」
「そんな」
アリスは言葉を失った。
自分の所在地は言わないで欲しい、とアリスはエースに言った。
ならば、アリスの所為なのか。頭がぐるぐるする。
エースはいつもの調子を崩さないまま、アリスに更なる追い討ちをかけてきた。
「そんなには、危険な場所じゃないと思うよ。たぶん。途中で引っかかってなかったら」
「引っかか……って、何に!?」
慌てふためくアリスを、エースは優しく見つめている。
「噴水があるんだよね、途中に」
「噴水? って、何の」
「気まぐれな噴水さ。陛下が入手したんだっけな? 忘れたけど。とにかく、噴水は大した問題じゃないんだ」
ビバルディが入手した件で、既にそれは『大した問題』を孕んでいるような気がする。
「その傍に、幻覚を見せてくる鏡がある。そっちが面白いんだよ。鏡だからね、反対のことしか言わない。嘘をつくんだ」
「嘘を?」
おうむ返しにアリスは返す。エースは頷いた。
「そう。嘘っていっても、もしかしたらこう思われているかも、って少しでも思ってたら、その事が」
だからね、と爽やかにエースは続ける。
「心がズタズタになる」
「……」
アリスは愕然とした。
頭が真っ白になり、うまく考えられない。
「よかったら、君も行く? 君が彼らを追いかけてあげるなら、俺が連れて行ってあげるけど」
エースなりに気遣ってくれているのか、また別に意図があるのか。
彼の真意が汲み取れない。
アリスが戸惑っていると、静かな――それでいて、とても強い――声がした。
「ハートの騎士」
「なんだい、蜥蜴さん」
グレイは、いつのまにかナイフを抜いていた。
有無を言わさずエースに斬りかかる。
エースは、寸でのところで一撃を避けた。
続けざまに振り下ろされたナイフを、がっちりと剣で受け止める。
「あれ、今日は気合い十分だね。珍しい」
「アリスを脅したからな。今回ばかりは、容赦しなくてすむ」
「ははっ、怖いなあ」
エースは笑いながら応戦した。大きく響く金属音が耳に痛い。
ショックで鈍った思考を、懸命に手繰り寄せる。
(……グレイって、強いんだ)
双子が負け越しているエースと、グレイは十二分に張り合っている。
両者譲らずに、やや、グレイが押しているように見えた。
負け越しているなどと言うと、本人たちは酷く不機嫌になるから、言わないけれど。
(ディー、ダム……そうよ、ディーとダムは)
無事なのか。無事であって欲しい。
彼らのくったくのない笑顔が目に浮かび、アリスの胸を締めつける。
なんだか泣きたくなってきた。
『そいつに惑わされるな、アリス』
内で響く声がした。
(ナイトメア?)
アリスは心の中で答える。
そうだ、とナイトメアは言葉を付け加えた。そうして、アリスに忠告をくれる。
『君が心配している子供達なら、既に迷路を抜けてきているよ。今、私のところに居る』
「げ」
思わず声が出てしまった。
アリスより後から塔へ入ってきたのであろうディーとダムが、何故、ナイトメアの部屋にいるのだろう。彼の部屋へは、この道を通らねば行かれないはずだけれど。
エースとグレイは剣舞を止め、同時にアリスを見やった。
「どうしたの?」
「どうした? アリス」
「いや、何でも……」
アリスは言葉を濁した。
双子は塔に居ると知り、ほっとしたような追いこまれてるような、なんとも複雑な気分だ。
(無事なんだ……良かった……)
心から、そう思う。二人を早く抱きしめたくなって、アリスは目を閉じた。
「うわっ!?」
刹那、一際大きな金属音がして、エースの剣は宙に投げ出された。カラン、と床に転がる。
「……あーあ、参ったなあ。また負けちゃったよ」
残念そうに呟くと、エースは剣を拾い上げた。そのまま鞘に収める。
「鍛錬してくれてありがとう。俺もまだまだだな」
まだ構えを崩さないグレイに向かって、明るく礼を告げる。
「負けちゃったし、潔く退いてあげることにするよ。またな、アリス!」
ひらひらと軽く手を振ると、エースは二人に背を向けた。迷いのない足取りで、階段を行く。
意外と引き際はあっさりとしていたので、アリスはホッとした。
エースの姿が完全に見えなくなると、グレイはようやく緊張をやわらげた。
「もう大丈夫だろう。アリス、行きなさい」
「うん」
素直に数歩すすみ、振り返る。
「あの、ありがとう、グレイ」
忙しい時期だというのに、結局は多大な迷惑をかけてしまった。申し訳なさに、頭が下がる。
「仕事中にごめんなさい。すごく助かったわ」
アリスが改めて感謝を口にすると、グレイはわずかに目を見開いた。
金の瞳が、蕩けるように優しくなる。
「いいや、役に立てて何よりだ。しかし、気をつけるんだぞ、アリス」
――先ほどまで、あんなに冷え冷えとした目をしていたのに。
アリスはグレイをまじまじと見た。
本当にこのグレイは、あのグレイと同一人物なのだろうか。
「……そうだ、時間帯が変わったようだ。もうリミットが近いんじゃないか」
「え、ほんと?」
思わぬ吉報に、アリスは目を丸くした。グレイは頷く。
(あと一時間帯……)
これは、もしかしたら勝てる。
かもしれない。
アリスの胸は期待に高鳴った。
だが、ディーとダムは塔に居る。ということは、早く離れないと捕まる可能性が高い。
「じゃあね、グレイ。また会合で会いましょう」
「ああ、またな。最後まで気を抜くなよ、アリス」
「ありがとう!」
元気よく返すと、アリスは弾む足取りで階段を駆け下りていった。
アリスが向かう先を確認した後、グレイは踵をかえして塔へと戻っていった。
まだナイトメアのところには、彼らが居る。
× × × × ×
===== あとがき ===
2009年8月発行『Find Out』です。
エースはスパイシーになりますね。グレイが割と頑張ってくれました。