佳人と槍







昔むかし。

小さな沼のほとりでひっそりと暮らす、1人の女がいた。

女は類い希なる美貌を持って世に産まれた。
幼少の頃から、輝かんばかりの麗しさであったという。

だが、美しいが故に、度重なる受難が襲いかかった。

人災の後――すっかり人間に嫌気がさした女は、人里から離れることを選んだ。
苦労はあれど、静かで平穏な日々を望んだのだ。

俗世から遠く離れ、話相手といえば山の動物たち。
小さな畑を耕し、山の恵みでつましく生きていく。

自然任せの暮らしは、けして安定はしない。
だが、ずっと手に入れたいと願っていた自由がここにあった。

それで、女は幸せだった。



ある日のこと。

いつものように籠を背負うと、は山へ入っていった。
今日の分の糧を採ってくる為に。


「何がいいかな……」


すっかり独り言が癖になってしまったが、もう気にしない。
どうせ、誰に聞かれる訳で無し。

いくつか熟れそうな実を思い出し、は歩く。
途中、生えていた山菜も摘む。全部は採らないで残すことを心がける。
自然と溶け込み生きるには、山に住まわせて貰っている身なのだ、と心得ておかねばならない。

しばらく歩くと、小川に出た。
水は透き通っていて、魚の影もちらほらと見える。採取できるものが少なければ、釣りをしても良いかもしれない。

いつも通り変わらない光景――と、は異変に気がついた。


「……!」


は刮目すると、慌てて木陰へ身を隠した。

人が倒れている。

川の岸辺に、半身が水に浸かったまま。
やや小柄な体つきだが、男だろう。

木の陰からそっと覗き見守ってみたが、動く気配はない。
よく見ると、男の背には矢が突き刺さったままだった。


(あれは……兵士?)


念のため更にしばらく観察しても、ぴくりともしない。

は、そうっと男へ近づいた。
顔色は白く、既に息絶えているように見えた。
せめて水から引き上げてやろう、と手を伸ばし、男の体を引っ張る。


「う、ん……」


重たい。
が、何とか陸に引き上げる事ができた。

綺麗な顔をした若い少年だった。

若すぎる兵士を不憫に思い、は眉をひそめた。
さぞかし無念だったろう。

近くが戦場になっているのだろうか――だが、山には異変は感じられない。もしかすると、長い距離を流されてきたのだろうか。

念のため、首筋に手をあてる。すると――


(……? 脈がある!)


良かった、と一瞬だけ心が躍るが、これはこれでどうするべきか悩む。

このまま関わり合いにならず、捨て置いても――別に誰かに咎められはしない。誰にも知られることはないのだ。

だが、彼はまだ生きている。

厄介事を招き入れるのか。そんな不安は、あった。


(でも……)


消えかけている命を見捨てられる程、は非情になれなかった。

家まで連れて行くには、距離がある。
今の状態で動かしては、も男も消耗するだけだ。共倒れになっては元も子もない。

は辺りを見回した。

どこか、体を休められるような――そうだ。
確かこの近くには洞窟があった筈だ。
けして快適とはいえないが、雨風は避けられる。

とりあえず、そこまで運んで――


「あっ、そうだ」


念のため。
は籠の中から仮面を取り出すと、とりあえず身につけた。



++++++++++++++++



パチパチ、と火のはぜる音だけが聞こえる。


「……」


は、男の冷たい体を、乾いた布でさすり続ける。

傷の手当ては、した。
それから一度家に戻り、ありったけの布や茣蓙を運び込んだ。


――助かるのだろうか。


時々不安になり、そっと胸に耳を寄せる。
脈もあるし、弱々しいが呼吸もしている。


――助かって欲しい。


そう願いながら、は祈るように男の顔を見つめていた。


「そろそろ良いかな」


は手を止めると、鍋を火からおろした。

家にあった薬草を、コトコトと鍋で煮つめていた。
鍋の中には、どろりとした――えげつない色の液体が出来上がっている。
とても滋養に良いのに、すごく不味いことが難といえば難。

は茶碗に薬を移した。
ふうふうと冷まし、男の方へ向き直る。


「飲め……ないわね。じゃあ……」


は薬を口に含むと、男の唇へ唇を重ねた。


(冷たい……)


こくり、と男の喉が嚥下する。
何度か繰り返し、薬を飲ませることには成功した。

その途端――男の眉間に、しわが寄った。


「う……」
「!」


男は苦悶の表情を浮かべている。
あら不味かったのね、とは冷静に身を引いた。


「げほっ……ぐっ!?」


男は盛大に咽せた後、目を見開いた。


「な、なん……ごほっ! 喉が……っ」
「白湯です。ゆっくり飲んで」


すかさずは男の頭を支えると、湯の入った椀を口元へ寄せた。


「あ、あなたは一体っ……!?」
「飲んで、ゆっくり」
「んっ……」


有無をいわさず椀を押し当てると、男は素直に白湯を飲み干した。
そうするとひと心地ついたようで、はあ、と男は息を吐いた。


「……ありがとう、ございます……ここは……」


男の瞳が不安に揺らぐ。


「川で倒れているあなたを見つけ、ここへ。手当てをしたばかりなので、動かないで」


は淡々と経緯を語る。
男は尚も不安そうであったが、次第にとろんとした目つきになった。


「寒い……」


男は目を細め、もぞもぞと布に顔をうずめた。


「何か胃にいれないと……粥を温めます。身は起こせますか?」


男は素直に身を起こそうとしたが、難しいようだ。
綺麗な眉が苦しげにひそめられる。


「くっ……」
「少し、頭を持ち上げて……」


は男の傍に座ると、頭を支える為に手を差し込んだ。
ゆっくり頭を持ち上げ、できた隙間に足を差し込む。


「失礼。これで少しは楽ですか?」


膝枕をしたまま、男の顔を覗き込む。
男はホッとしたのか、固まっていた体の力を抜いた。


「……すみません」


何故か男は申し訳なさそうにしているが、は容態の方が気がかりである。
は男の額に手を当てた。まだひやりと冷たい。体温が戻っていない。

と。

男の手が、徐にの手に重なる。
はぎょっとしたが、怪我人相手に振り払うことはできなかった。


「……気持ちいい。しばらく、このままがいい……」


目を閉じながら、男はうっとりと呟く。
仕方ない、とは小さく頷いた。


「……わかりました。ゆっくり眠って」
「はい……」


間もなく、男は規則正しい寝息をたてはじめた。

しかしこれでは動けないな、などと考えながら、はぼんやりと男を眺めた。

じわりと体温が溶ける。
こうして誰かと触れ合うことは、久しい。
もうすっかり忘れかけていた感覚だ。

男は嫌いだ。二度と関わり合いになりたくなかった。けれど――


(嫌じゃない)


男は、の思っていたよりもずっと若かった。
声もまだ高いし、とても綺麗な顔立ちをしている。粗暴さの欠片もない。


(だから、かな)


男臭さがないから、平気なのか。
単に緊急事態だから、気にならないのか。

はたまた、別の理由があるのか。

取り留めない事を考えながら、は静かに男を包み込んでいた。



++++++++++++++++++



ぼんやりとした視界が、ゆるゆると形になっていく。

ここは何処だろう。

さわさわと風の音が聞こえる。
周りを見れば、ごつごつした岩肌が目に入る。

外なのか、と姜維は思った。
だが、不思議と寒くはない。


(外で……寝ていたのか?)


状況がさっぱり理解できない。
体を捻ろうとして、姜維の背中に激痛が走った。


(そうだ……)


鋭い痛みのおかげで、姜維は我に返った。

戦の最中に敵の矢が当たり、よろけて川に落ちた処までは覚えている。
それから――ああ、やっと思考がまとまってきた。


(……戦は、どうなった?)


だいぶ流されてしまったのだろう。
周囲からは喧騒が全く聞こえない。

戦の行方もだが、ここがどの辺りなのかも気がかりだ。

確か、手当てをしてくれた女性が居たはず――と、姜維は首だけを動かすと、女性の仮面が目の前にあった。


「あっ……あ、の」


思わず声をあげそうになってしまったが、何とか耐えた。
心臓がどきどきしている。


「……目が、覚めましたか?」
「す、すまない……」


温かいと思ったら、眠りながらこの女性を抱きしめていたらしい。
姜維は慌てて体を離した。

女性はむくりと起き上がると、椀を姜維へ差し出した。


「はい、白湯を……」


差し出されたものを素直に受け取りながらも、姜維は女を細かく観察していた。

不審な動きではないように思う。
仮面をつけているせいか、少しこもったように聞こえるが――優しい声音だ。


「発熱は……ありませんね。動けますか?」


ゆっくり、姜維は立ち上がろうとした。
みし、と骨が軋みそうになる。

姜維は顔を歪めたが、唇を引き結ぶのみだ。
ここで弱音を吐くわけにはいかない、という男の矜持があった。

壁に手をつきながらも、何とか姜維は立ち上がることができた。
ぶわっと額に嫌な汗が浮かぶ。


「っつ……はい、何とか……」
「少し歩きますが、私の暮らす小屋があります。夜が来る前に、移動しましょう」
「はい……」


女はさっさと荷を作り始めた。火の後始末も忘れない。

たくさん物が詰まった籠をひょいと背負うと、女は姜維へ声をかけた。


「さあ」
「……ああ」


しかし、無事に歩けるだろうか。
一抹の不安を覚えていると、女は姜維に寄り添った。


「肩を貸すので、しっかり掴まって」


女性にそのような事をさせては申し訳ない、と言いたい所だったが、正直ありがたい。
姜維は素直に従った。

女に支えて貰いながら、姜維はゆっくりゆっくりと歩を進める。

洞窟から出ると、空が朱色がかっているのが見えた。


「……日が、暮れかかっているのだな」
「ええ」


何処かわからない森の中、得体の知れない女と2人きりだ。
ぞくぞくする。

それは相手も同じことか、と姜維は女を盗み見た。

どちらかというと、女の方が危機的状況にあると言える。
こんな素性もわからない男にくっつかれているのだから。
よく助けようと思ったなぁ、と感心するくらいだ。


「っ……」
「ゆっくり、参りましょう」


女は急かさない。
それが、姜維は嬉しかった。

明らかに訳ありの女だが、動きや口調には荒っぽさが見られない。
だから、山賊の類ではないのだろう。


(それに……)


女は自分のもてる限りの力で、懸命に姜維を支えてくれているのがわかる。

だから、姜維は女を信用することに決めた。


「日が落ちてしまっても、道はわかりますから」


女は姜維と足並みを揃えながら、のんびりと語り出す。


「でも、足元が暗いと危ないでしょう? ですから、移動を……無理をさせてます。ごめんなさい」
「いや……大丈夫だっ!?
「あっ!?」


思いきり足を滑らせてしまった。
女が支えてくれたのと大樹おかげで、転ばずには済んだが――これは恥ずかしい。
姜維は苦笑いを浮かべた。


「……たぶん、な」


もう、と少し拗ねたような女の声が、何だか可愛らしかった。






導かれた小屋は渓谷の中、ひっそりと存在していた。
まさに隠れ家と呼んでいい程に、こぢんまりしていて質素な造りだ。

中は整頓されていて、男物がない。
なるほど女一人の暮らしか、と姜維は理解した。

そして、やはり懐疑的になっているなとこっそり嘆息した。
信じよう、と思ったのに。

女は茣蓙と布を敷くと、姜維をそこに座らせた。


「ぐっ……」


思わず呻き声をあげると、女はそっと姜維の頭を撫でた。
よく頑張りました、と誉められたようで、何だかばつが悪い。

女は姜維から離れると、手慣れた様子で火を起こす。


「眠る前に、何か食べましょう」


女は実にてきぱきと動く。
姜維は、ぼうっと女の動く様を見つめていた。

鍋をかき混ぜる手は日に焼けて、健康そうな肌色をしている。
女官達のような真っ白な肌ではないから、やはりここで暮らしている、という言葉に嘘は無さそうだ。

くつくつ、と静かに煮える音。
女は粥を椀によそうと、ひとさじ姜維へと差し出した。


「はい、口を開けて」
「ん……」


酷く疲れているせいだろうか。
彼女の雰囲気がそうさせるのか。
食べさせて貰うのに、抵抗感がまるでなかった。

食事を終えると、姜維は体を横たえた。
上から、女が布をかけてくれる。


「これから薬湯を作ります。我慢して飲んでください」
「……? ああ……」


しばらく経って『それ』ができあがった時、姜維は安易に返事をした事を心から後悔した。


「……う」


手渡された異臭を放つ物体を前に、姜維は硬直していた。

本当に、これを飲めと?

体に害がありそうな刺激臭がする。
ちらりと彼女を見て視線で問いかけたが、しれっと頷かれた。


「飲んでください」
「……わ、わかった」


男は度胸だ。

姜維は口をつけ――味わってしまうと吐き出しそうになるので、思い切ってひと息に飲み干した。

酷い刺激に頭がくらくらした。胸がむかむかする。
うっかり戻しそうになり口元を抑えていると、女は別の椀を差し出した。


「はい、白湯を」


その白湯は、甘露かと思えるほど美味かった。

姜維が落ち着いた頃合いを見て、女は立ち上がった。


「今日は起きていますから、御用があれば声をかけてください」
「……ああ」


何だか子供扱いされているような気がする。
しかし、甘えてもよい不思議な雰囲気がある。
彼女は年上なのだろうか。


「……名を、聞いても?」


気になって尋ねると、女はすんなりと答えてくれた。


といいます。あなたは?」
「私は」


姜維は名乗ろうとして、躊躇った。


「伯約と」
「伯約さん……ですか」
「……すまない。現状が把握できない今、きちんと名乗れない」


から咎められた訳ではない。
だが、名乗れない己が不誠実のように感じられ、姜維は思わず弁解していた。


「ふふ、偽名を言ったって構いませんのに。真面目な方」


が何でもない事のように言うので、姜維は安堵した。
そして、ふと考える。


(……と、いうことは)


そこそこ、身分のある女性なのかもしれない。
だが、このような山奥で独り暮らしをするような女性だ。
姜維の推測は間違っているかもしれない。


(しっかりしろ)


あれこれ考えていると、眠気が吹き飛んでしまう。
体は疲れているのだから、早く眠って回復するべきだ。
それなのに、考えずには居られなかった。

戦は、あれからどうなっただろう。
幸い近くにも味方部隊は居たから、自分ひとり欠けたとて、そう混乱はしないだろうが。


「……目がさえて眠れない……」


ぽつりと漏らした言葉を、は拾い上げた。


「緊張しているのでしょう。……少し、お話でもしましょうか」


言いながら、は姜維の傍に腰を下ろした。


「思ったより、驚かないのですね。これに」


仮面を指差しながら姜維に問う。


「ああ……いや、驚いた。だが、仲間に仮面をつけた方がいるので、まぁ……慣れている」
「……近くに、お仲間がいるのでは? 助けを呼びに行った方が……と思うのですが」


言い淀んで、は申し訳なさそうに深々と頭を下げた。


「すみません……私も訳ありの身。あまり人とは接したくないのです。……どうしてもと仰るなら、手段は考えますが……」


姜維は少し考えたが、諦めて首を振った。
確かに救援を呼んで貰えるのなら、そうした方が良いだろう。
しかし、彼女に迷惑がかかることは明白だ。その上、敵軍に遭遇する危険性もある。

まだ己の体もままならない内に、焦って動くこともないだろう。


「いや……今は、いい」
「そうですか」
「……私を探しているかもしれない。あまり外へ出ない方が良い」


わかりました、と素直に頷いたのを確認すると、ふいに眠気が忍び寄ってきた。

ああ、そうだ――。


「……礼を言ってなかったな。助けてくれて感謝する」
「いえ。ここは人里から離れています。何もないところですが、しっかり養生して下さい」


布がかけられる軽い重みと、の柔らかな声が遠く耳に届く。
そうする、ときちんと答えたかどうかわからぬまま、ゆっくりと姜維の意識は沈んでいった。






  
             





===== あとがき ===

ほのぼの?
山で思わぬ拾いもの(・ω・)

読んで下さってありがとうございます。もうちょい続きます。


 2022.5.27 山藤