特製チーズタルト事件・改
アリスの姿が完全に見えなくなるのを待って、ピアスは口を開いた。
「あのね、えりーちゃん。俺、仕事がしたい」
エリオットは小さく頷いて返す。
「ああ、聞いたぜ。珍しいな、お前からそんなこと言うなんて。目標は?」
「えっとねえ」
問われるままに、ピアスはすらすらと場所を告げた。
「……ああ、あそこか。特に情報はねえけど、何か独自で掴んだか?」
「ううん、違うよ」
ピアスは正直に首を振った。
傍から見ると理不尽な制裁に見えるのだろう。
だが、エリオットは咎めない。
エリオットは嫌な顔ひとつせず、「ふーん」と興味なさそうに答えた。
「そうか。別にいいけどよ……何かあったのか?」
ピアスがこだわるのは珍しい。
自ら言い出すことも滅多にない。
エリオットが、何か原因があったのではと考えるのは、妥当なところだった。
「うん、あったよ。あった。あのね」
ピアスは、先ほどの出来事を詳しく話してきかせた。
聞いているエリオットの目が、細く鋭くなる。
「ふぅん……そりゃ、確かに放っておけねえな」
エリオットの同意が得られたことで、ピアスは嬉しくなった。
これで仕事がスムーズに進むだろう。
「うんうん、そうでしょう? だって、アリスは傷ついたんだよ」
ピアスは、ふと表情を消した。
「だから俺、許さない」
何も見ていない目で、感情を込めずに呟く。
自分のことは慣れっこだし、今までもそういうものだったから、別にかまわなかったのだ。
けれど、アリスは違う。
彼らはアリスを困らせた。
それだけで、十分すぎる理由になる。
アリスは大切な友達だから。
自分を嫌わない、優しい子だから。
ピアスに大事な物をくれる、とってもいい子。
だから、守ってあげる。
「わかった。好きにやっていいぜ、ピアス」
「うん! ありがと、えりーちゃん!」
許可が下りた。ピアスは満面の笑みで謝意を表す。
「俺も一枚噛んどきたいけど、お前は、一人でやりたいんだろ?」
「うん、俺が一人で始末するよ。片付けもちゃんとする」
ピアスの意思が固いことを知り、エリオットは小さく息を吐いた。
こうまで言うのならば、ピアス一人に任せても大丈夫だろう。こう見えて、彼は仕事は出来るのだ。
「了解。けど、片付けはしなくていい。晒しとけ」
見せしめの意味も込めて。
わかった、とピアスは快諾した。
「どうする? いつものは要るか?」
「うん、いつもので。でも、今回は軽めでいいよ」
「手配しとく。あとな……」
エリオットは、格段に声のトーンを落とした。
ふいに、エリオットはピアスの頭をつかんだ。
その手には、力がこもっていた。みしみしと言わせながら、じろりと睨みつける。
「エリーちゃんはやめろ」
「……よいしょ、っと」
ふう、と大きく息を吐く。
不自然なまでに大きな荷を、地面へゆっくり置いた。
重かったなあ、と手をプラプラさせながら、その足で店へ入る。
「眠りネズミ……」
誰が発したのか、呆然と呟く声がする。
ピアスのまとう不穏な空気を察したのか、場の緊張が高まった。
「うーん……何か変なんだよね、俺」
ピアスは、誰も見ていない。
返る答えがないことなど気にも留めずに、ピアスは独り言をいう。
「俺、アリスといると嬉しいんだ。嬉しいし、すごく楽しい。俺、アリスとずーっと一緒にいるんだ。アリスは俺の物なんだし」
ピアスの一方的な独白は続く。
「だから、ね。俺の好きなケーキ屋さんがなくなっちゃうけど。そんなの、ちょっとしたことだよね」
自分に言い聞かせるよう、ピアスは呟く。
そう、その程度なら大したことではない。
ゆっくりと持ち上げられた右手には、大ぶりのナイフが握られていた。
誰かの叫び声を皮切りに、たちまち場は恐慌状態に陥った。
ピアスが何をしようとしているのか、彼らは瞬間的に察したのだろう。
ピアスの動きは素早かった。
動けないように足に狙いを定め、深く切り裂いていく。
ぬるりと滴り落ちる血が、周囲の床を乱暴に濡らした。
血の飛沫を若干浴びてしまったが、気にするほどではない。
彼らの悲鳴すら、ピアスの耳には届かない。
ただ想うのは、アリスのことだけだ。
アリスの心を守るためなら、何だってする。
泥にまみれても、一向に構わない。
汚れていてもきっと、アリスは手を取ってくれるから。
もし、手を取ってくれなくなるなら――自分はどうするのだろう。
だが、今は考えなくてもいいことだ。
(そろそろかな? たぶん)
刻み足りなかったけれど。
本当ならこの手で一人一人――だが、一人も逃してはいないのだから、良しとしなくては。
ピアスはサッと身を引くと、店を後にした。
この程度で去っていくピアスに戸惑いながら、店内に安堵の空気が流れかけた――その直後だった。
轟音がした。
ピアスの耳にも、痛いほど響く。
何の感慨もなく、ピアスはその光景を見つめる。
土や破片入り混じった爆風が、ピアスの髪を撫でつけていった。
少し、火薬が多かったみたいだ。
想定していたものよりも、規模の大きな爆発だった。
きっと、エリオットの怒り分がひそかに積まれていたのだろう。
目標の完全なる消滅はもとより、両隣の建物まで半壊している。
でも、大した問題じゃない。
派手に散らかった瓦礫や煉瓦は、ところどころに赤黒い染みが付着している。
焦げつくような肉の匂いが不快感を煽った。
ピアスは赤に目もくれず、注意深く聞き耳を立てた。
微細なうめき声すら聞こえてこない。生存者はいない。
これで、片付けはおしまい。
「アリス、喜んでくれるかなあ」
埃にまみれた服を、ぱたぱたと叩く。
ピアスはくるりと踵を返すと、何事もなかったかのように森へと戻って行った。
「アリス」
「ん」
名を呼ばれて、アリスは顔を上げた。
部屋のドアは大抵、就寝以外のときは開放してある。
最近ついた癖だった。そのドアに、ボリスがもたれて立っていた。
「入っていい?」
「うん、いいけど……どうしたの?」
ボリスは律儀に入室の許可を取る。
アリスが頷くと、ボリスはゆったりとした足取りでアリスに近づいた。
「いや、あんたのことが気になって」
「私のこと?」
どうして、と視線で問う。
椅子をすすめると、ボリスは素直に座った。
「最近、あんたに関する変な噂を聞いたから、ちょっと見に来てみたってわけ」
「噂?」
「うん、噂」
「どんな?」
変な噂。
アリスには心当たりがない。
聞き返したが、ボリスは口を割らなかった。
「それは内緒。元気そうならいいや」
笑ってはぐらかされてしまった。
そんな言い方をされると、気になるではないか。
ボリスを根気よく問い詰めようと、アリスが口を開きかけた時だった。
「お」
「ん?」
ボリスの耳が一方を向いている。
何が聞こえたのだろう、と好奇心が芽生え、アリスはつられて視線を向けた。
「アリス、アリス〜……ぴっ!!」
機嫌よく入ってきたのは、ピアスだった。
アリスの隣に座るボリスを見つけてしまい、ピアスはぎくりと硬直した。
尻尾がぶわりと膨らみ、毛並みがささくれだつ。
「に、にゃんこっ!? 何でアリスの部屋に、にゃんこがいるの!?」
傍から見ていて可哀相になるくらい、ピアスは慌てふためいている。
「ふふん。いいだろ。でも、お前に関係ねえよな」
ボリスは意地悪そうにニヤリと笑う。
逃げ出すかと思われたピアスだが、素早い動きでアリスの背後に回った。
ピアスは果敢にも、声を張り上げた。
盛大に震えながらかつ、アリスの背中から、だけれども。
「あああ、あるよっ! アリスは俺のなんだからっ! だから、にゃんこは勝手に入っちゃ駄目なの!」
「え」
今度は、アリスが固まる番だった。
ボリスは、わざとらしく目を瞠った。
「へぇ……そうだったの? アリス」
からかうような声音で、たずねられる。
こっちに振らないで欲しい。どぎまぎする。
「ち、違う……けど、ピアス?」
何と返答していいのか分からなかったので、会話をピアスに流す。
「アリスは俺のなのっ! 俺が拾ったんだ!」
ピアスの言い分に、ボリスは哀れむような視線を彼へと送りつけた。
「……おーい……別にアリスは落ちてねえよ。ほんと、頭大丈夫か? お前」
あまりの言われように、ピアスは言葉に詰まった。
「うう……にゃんこ嫌い……」
しゅんとなったピアスは、アリスにぎゅーっと抱きついた。
アリスは二人の間に挟まれる形だが、これはどうしたらいいのか分からない。
困ったアリスは、とりあえずピアスのなすがままにされていた。
抱きつかれるくらいなら、アリスに弊害はない。
けれど、ピアスは一向にアリスから離れる様子がなかった。
小さな子をなだめるように、震えるピアスの頭を撫でてみた。少し緊張が緩んだのか、抱きしめる力が緩む。
「……」
ボリスと視線が合った。どんな顔をしていいものか、悩む。
にへらっと笑ってみたが、どう考えても失敗だろう、これは。
ボリスはしばらく様子を観察した後、ぽつりと感想を零した。
「噂は本当っぽいね」
「え」
噂、とは。
きょとんとするアリスに向けて、ボリスは続ける。
「最近、ピアスがあんたにべったりだって話。誰から聞いたっけな……ディーとダムか」
「……ああ、そうかも」
言われてみれば。
ここの所、ピアスとアリスが共に過ごす頻度が高い。
ボリスは端的にしか言わなかった。
けれど、噂にまでなっているということは、それだけじゃない仲だろうと付随されているに違いない。
アリスは意味を汲み取った。
(ちょ、ちょっと……ちょっとちょっと)
待ってくれ。
このやり場のない気持ちを、誰に訴えたらいいのだ。
物言いたげなボリスと、ばっちり目が合ってしまう。
アリスは動揺を深くして、頬を赤くした。
意識してしまう。
ピアスに触れられている部分が、火のように熱く感じられた。
「落ち着いた? ピアス」
「ん……」
落ち着いてないアリスは、ピアスを引き剥がそうと躍起になった。
「そろそろ離してくれる?」
なるべく優しい声で、ピアスを諭す。
ちょっとぐずられたが、アリスはお構いなしに、絡むピアスの手を剥がした。そのまま、椅子に座らせる。
顔が熱いのは気のせいだ。
気のせいに違いない。
気のせいでなければ――困る。
(私……)
好みの範囲が広すぎるのではないか。
前の人とピアスとは、全然タイプが違うではないか。
我ながらよくわからない。
いいや、まだその話ではなくて。
とにかく心を落ち着けよう、とアリスは笑顔を作った。
「ちょっと待ってて。飲み物をいれてくるから」
「お、ありがと。待ってる」
幸い、ボリスも乗っかってくれた。
アリスは高鳴る胸を無理矢理おさえこみながら、平静を装って、その場を離れた。
アリスが奥に引っ込んだ為、場は必然的に二人になった。
しばらく沈黙していたが、ボリスが先に口を開いた。
「……で、どういうつもりだ? お前」
冷たい視線を投げかけられて、ピアスは身を竦めた。
「お、俺っ!」
猫は怖い。猫は嫌い。だけど。
「俺、お掃除は得意だよ。隠してあげられる。だから、アリスは俺と一緒にいる方がいいんだ」
「……へえ」
ボリスは目を大きく見開いた。
獲物を見定めて飛び掛ろうとする時の、猫のそれだ。
ピアスの心情を計るかのように、真正面から見据える。
生物的に仕方ないことなのか、猫に見られると冷や汗が出る。卒倒しそうだ。
真っ青になりながら、ピアスは真っ向からボリスと対立した。
「おまたせ。どうしたの、二人とも」
アリスのやわらかな声が、場に張りつめていた緊張をみるみる崩壊させる。
ボリスはくるりと表情を変えると、親しげにアリスを迎え入れた。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
手渡されたカップを、ボリスは優雅に受け取る。
先ほどピアスに向けた殺気も、嘘のように消している。
「これも、よかったら」
テーブルに置かれた物を見て、二人は揃って目を輝かせた。
「おー、すげ……これ、どうしたの?」
「わあ、ケーキだ! これ、食べていい? 俺も食べていいの? アリス」
「うん、もちろん」
皿に乗せられているのは、チーズタルトだ。
ピアスと購入した物を、アリスなりに模してみたもの。
「これ、試作品第一号なの。よかったら、食べていって」
アリスはニッコリと微笑んだ。
仕事の結果は上々、といったところだ。
途中で双子が絡んできたけれど、何とか逃げることに成功した。
ピアスは森へと戻ると、すぐにアリスの姿を探した。
念のためアリスの部屋を覗いてみたが、ここにはいない。
(何処にいるのかな?)
部屋で待っていれば会えるだろうけれど、今は早くアリスに会いたかった。
幸い、すぐに見つけた。
木の上で、優雅に読書を楽しんでいる。
涼しげな横顔に目を奪われながら、ピアスは懸命に木によじ登った。
だが、途中で諦めた。
あまり木登りは得意ではない。
「アリス、アリス」
「ピアス」
ピアスが声をかけると、アリスは本を閉じた。
その口元が、ゆるやかに微笑む。
自分に笑いかけてくれる。
まだ、アリスは受け入れてくれる。
ピアスは嬉しくなった。
「また一緒に出かけようよ、アリス」
「そうね」
アリスは快諾すると、器用に木から降りた。
意外な一面に、ピアスは驚く。
「ちょうど、タルトを焼いたところなの。試作品二号よ」
「本当!? 嬉しいなっ!」
ピアスは素直に喜んだ。
アリスの焼いてくれたチーズタルト一号は、すばらしく美味しかったのだ。
喜ぶピアスを見るアリスの目は、とても優しい。
「でも、コーヒー豆がないのよね。一緒に買いに行きましょうか」
「うんうんっ。行こう、アリス!」
ケーキを購入した店。
その隣の店では、コーヒー豆を売っていた筈だ。
記憶を頼りに、アリスとピアスは連れ立って歩く。
「あれ? お店が変わってる……?」
店のいくつかが、ガラリと様相を変えていた。アリスは面食らった。
この場所で合っている筈だ。
不安そうに同意を求められたピアスは、頷いて返した。
「そうだね。そうみたい。別のお店に行こう、アリス」
アリスは視線を落とすと、溜息を零した。
残念だという気持ちは本当だ。
だが、心の何処かでは、店がないことにホッとしていた。何故だろう。
「残念ね。ピアスも気に入ってたのに」
「ううん。俺、気にしないよ」
店なんて、まだいっぱいあるから。
今日は、やけに聞き分けがいい。
アリスは気を取り直すと、予定変更を視野に算段し始めた。
「そう。この辺りはあまり知らないけど、お店……何処かにあるかな」
「あるよ、ある。こっちこっち」
アリスの手を引きながら、ピアスは上機嫌で歩く。
「いつも買ってるお店があるんだ」
「へぇ、そうなんだ」
うん、ピアスは無邪気に笑う。
ちゃんとお仕置きしてきたから、安心してね。
アリスには言わない。
そのくらいの分別はある――というか、エリオットに釘をさされている。
アリスが怖がるから、嫌われたくなければ言うな、と。
怖がられて、離れられるくらいなら、いっそのこと。
そうならないように気をつけろ、とエリオットは言う。
アリスの身を、彼は案じているのだろう。
度々、アリスに居住地を移れと促しているようだ。
ピアスの危険性を、エリオットは熟知している。
「ねえねえ、アリス。俺、アリスと一緒でよかった」
森で暮らしていて本当に良かった。
アリスを拾うことができたのだから。
まだピアスが帽子屋屋敷に居れば、もっと早く会えたのだけれど。
しかも前の滞在地は遊園地だったという。
ボリスがアリスと先に出会っていた、という事実は悔しいけれど、順番は関係ない。
アリスと過ごせる幸せは、それを補って余りある。
「俺、アリスが好きだよ」
アリスは照れくさいのか、僅かに頬を染めた。
「なあに? 急に」
声が優しい。見つめる視線が優しい。
振り返る時、空に流れる髪がとても綺麗。
(大好き。俺、アリスのこと、とっても好きだよ)
言葉の心地よさを噛みしめるように、繰り返し心の中で呟く。
「一緒でよかった。俺」
「……そうね、うん。私もそう思う。でも、どうしたの? いきなり」
アリスは不思議そうにピアスを見つめている。
ピアスが手を伸ばせば届くところに、彼女は居る。
まだ居てくれる。
これからも、ずっと。
アリスの所作のひとつを取っても、ピアスの好奇心は尽きることがない。
これからもずっと、アリスの傍に寄り添っていこう。
アリスと居ると、不思議と心がとても温かくなる。拾った物のなかで、アリスは一等大切なものだ。
「ううん、何でもない。何でもないよ。でも、俺と一緒にいてね、アリス」
「うん」
アリスが快く頷いてくれたので、ピアスはますます嬉しくなった。
アリスはピアスの物だから、彼女を守る役目は自分にある。
汚れるのは自分の役。アリスは綺麗なままでいい。
「あ。あのお店? コーヒー豆の看板が見える……」
「そうそう。そうだよ。俺のお気に入り」
会話を交わしながら、二人は和やかに店へ入る。
途端、ピリッと走る緊張感を感じとり、ピアスは瞳を深くした。
さあ、またひとつ。
爆弾の予備があったかなあ、とピアスは考える。
心許ない気がする。また、手配して貰わなくてはならない。
(またひとつ、お気に入りの店がなくなっちゃうな。でも、いっか)
ピアスには、アリスよりも大切なものはないのだから。
初めて会った、余所者の女の子。大切な友達。
影のように夜のように、この優しい少女を守ってあげよう。
【特製チーズタルト事件・改/了】
===== あとがき ===
2008年12月発行の、「特製チーズタルト事件」より。
ピリッとしたピアスを書きたかった。
割とピアスは狂気寄りだと思います。可愛い+怖いっていいよね。
読んでくださってありがとうございました。