眠りネズミの眠れない日々









 
そんなすれ違いがあった、数時間帯後のこと。
アリスは休暇時間帯になって、自分の部屋に戻った。その途端、ひょっこりとピアスが姿を現したのだ。


「アリス、こんにちは。今から休憩?」
「ピアス……」


 突然声をかけられて顔をあげると、扉のところにピアスが立っている。


(?? い、いつのまに)


変わらない人懐っこい笑みを向けられて、アリスは困惑した。


「珍しいのね」
「そう? ああ、そうかも。君の部屋に入るのって、初めてだよね」


お邪魔します、と言いながら、ピアスはアリスの部屋に足を踏み入れた。
ベッドに腰を下ろし、アリスを見上げてくる。


「この近くで仕事があったんだよ。お仕事。もう終わったけどね。俺、帰ろうと思って、そうしたら、ここ通りがかって。アリスはいるのかなーって思ったら、来ちゃった」
「……そう」


素直に喜べない。


(……なんだかなあ)


あれだけ逃げておいて、今はすっかり元通りのピアスだ。
態度を変えていないことが、アリスには奇妙で仕方がない。むしろ、腹立たしいとさえ思う。


(なによ、何事もなかったみたいな顔して)


アリスはピアスの隣に腰かけた。


「この前までは避けていたのに……」
「え? 俺、アリスのこと、避けてないよ。全然避けてない」


ピアスはきょとんとして首を振った。
そんなピアスを、アリスはじろりと睨む。


「へえ〜〜〜……なあんだ、避けてないんだ……」
「ア、アリス?」


ピアスは身の危険を察したのか、顔をひきつらせた。
アリスはお構いなしに、バシッとピアスの頭を叩いた。


「って、あからさまに避けてたでしょうがっ!!」
「ぴっ!! い、痛いよアリス〜〜!!」


苛めないでよ、とグスグス訴える様は、なんともアリスの脱力感を誘う。


「……苛めないわよ。だって」


好きだから。

とは流石にまだ言えなくて、アリスは言葉を切った。


(いや、好きだから苛めたい、っていうのはあるのかもしれない)


いじめっ子だったわけではないアリスさえも、ピアスは突っつきまわしたくなる。

とりあえず、ここまで振り回された分は、お返しして構わないと思う。
意地悪な気分になったアリスは、さらに追いこんでみることにした。


「ねえ、ピアス。どうして私を避けてたの?」
「えええ!? 俺、避けてないっ!」


案の定、ピアスは全力で否定してくる。
アリスは大きく息を吐いた。


「今じゃなくって、前よ。ほんの数時間帯前のことよ。声をかけても逃げるし、私」


怖かった。

森なんかよりも、ずっと怖かったのだ。
ピアスに拒絶されたのかと思うと。


(駄目だ……苛めてやろうと思ったのに)


あの時の気持ちを思い出してしまい、アリスはすっかり落ち込んでしまった。


(あ〜〜〜……駄目すぎる)


やっぱり早まったのではないか、とすら考えてしまい、尚更アリスは気落ちした。

きゅっと、両の手が握られる。
重ねられた手がピアスだと認識するのに、しばらく時間がかかった。

ぼんやりと顔をあげると、ピアスがアリスの顔を心配そうに覗き込んでいた。
目を合わせるのが何となく癪だったので、視線をそらしてしまう。


「悲しかったんだね。……ごめん、ごめんね、アリス。俺」
「悲しくなんか」


ない、と言ってあげられない。


(あたたかい)


伝わる温もりが、アリスの頑なさを少しずつ溶かしていく。

だいぶ、アリスの表情が穏やかになってきたのだろうか。
ピアスは安心したように微笑んだ。


「君が悲しくないように、俺がぎゅ〜〜ってしてあげるっ!」
「わっ!?」


本人の承諾を得ないまま、ピアスはサッとアリスを包み込んだ。


(男の子だなあ)


こうして抱きしめられていると、つくづくそう感じる。
ピアスは体格が大きい方ではない。アリスの体を包めるほどには、大きいのだけれど。


「恥ずかしいから、離して」
「え〜〜〜、なんでなんで? この間は、おとなしく抱かれてくれたじゃない。なんで今は駄目なの? あ、茸の上じゃないから?」
「〜〜〜っ!!」


アリスは頬を赤くした。
思いっきり、じたばた暴れてやろうかと本気で思った。


「っていうか、覚えてるんじゃないのっ!! 騙したわね!」


暴れない代わりに、口で対抗する。


「騙してない、騙してないよっ! あ、あれは……その」


ピアスはバツが悪そうに、もごもごと口ごもった。


「君が好きだよ、アリス」
「……」


そんな言葉で、誤魔化されたりしない。
二の句が継げなくなったのは、決して、うっかり喜んでしまったからではない。

いつしか、アリスの強張った手足はすっかりと温もっていた。


(この子って、ゴーランドに似てる……)


初対面の時にも薄っすら感じたけれど、今は確信がある。

そう、ゴーランドとピアスは似ている。
外見や性格が、ではなく。
不自然でなく、本人が周りの者を和ませてくれるという点が、だ。ピアスは安心をくれる。


(……安心する)


アリスは不安だった。
だから、ピアスのもとへ訪れていたのかもしれない。
ピアスが綺麗に包み隠してくれるから、アリスの心は穏やかでいられる。


「今……君にちゅうしたいな。ちゅうしちゃお」
「!」


アリスは目を見開いた。ピアスは素早い。


(油断できないわ)


しっかりとピアスに抱きしめられているアリスは、抵抗という抵抗ができない。

そんな風に、理由がつけられる。
抵抗しない理由が。

何度も唇を交わしながら、アリスは往生際の悪いことを考えた。
満足したのか、ピアスはアリスの肩に頭を乗せた。


「俺……俺ね。君も嫌われたらいいなと思ったんだ」
「え」


どういう意味なのか理解しかねて、アリスは目を丸くした。
ピアスの言葉に悪意は感じられなかったが、裏表なく真っ黒な騎士を知っているだけに、アリスは動揺した。


(実は私が嫌い……だったり?)


ちゅうまでしていて、それはないと思いたいけれど。
アリスの常識が通用しないし、相手はネズミだ。何か基準が違うのかもしれない。

そう思うと怖くなって、口に出せなかった。
万が一、『そうだよ』とサラリと言われたら。


(立ち直れない……)


そう、きっと立ち直れない。
自分は、こんなにフレンドリーで可愛らしい生き物にまで、好かれることができないのか、と。

ピアスは構わずに続ける。
アリスから、ピアスの表情は見えない。


「嫌われて、友達がいなくなって、一人ぼっちになっちゃえばいい。そうしたら、君には俺しかいなくなる」
「……?」
「俺だけが、君の友達になれる」


そこまで言うと、ピアスはやっと頭を持ち上げた。
じいっとアリスを窺う、緑の双眸。


「……そんなの」
「うんうん。わかってるよ。できっこないってわかってる。君は人気者だし、余所者。みんなから好かれるんだ」


ピアスは自嘲気味に笑ったので、アリスは驚いた。
そんな風に笑うピアスを、アリスは初めて見る。


「そうそう上手くいくはずはないけど、もしかしたら、上手くいくかもしれないでしょう。だったら、試す価値はある」


ピアスは縋るような眼で、アリスに訴える。


「ねえ。アリスは、嫌? 俺が友達だと、アリス嫌なの?」


何と返せばいいのか、アリスは迷った。

きっとこの答えは、ピアスの望む形とは、程遠いだろう。
そう知りながら、アリスはそのままを告げるしかない。


「ピアスと友達は、嫌じゃないけど……そんな狭い世界は、嫌」


アリスが答えると、ピアスは文字通り飛び上がった。


「狭い!? 狭くないよ! 俺がいるよ!?」
「ピアス一人の世界なんて、狭すぎる」


ピアスは、不満そうに口を尖らせた。
ふくれっ面になると、年齢よりも幼く見える。


「ちぇっ……狭くないのに。いい案だと思ったのにな」


しっかりいじけつつ、ピアスは納得してくれたらしい――どこまで理解してくれたかは、別として。
ピアスは気を取り直して、ちょこんとアリスに向き直った。


「ねえねえ、アリス。俺を嫌いにならない? 俺と一緒にいてくれる?」
「うん」


ピアスの願いに、素直に応えられる。
アリスが頷くと、ピアスは嬉しそうに笑った。


「ずっとずっと、俺と一緒にいてね」


照れたように笑うピアスにつられて、アリスの口元も自然と微笑んでいた。
和やかなムードの中、ピアスは再びアリスを抱きしめる。


「俺のこと、嫌いにならないんだよね? ちゅうしても、嫌じゃない?」
「……うん、嫌じゃない」


甘ったるい雰囲気の中、囁かれる。
ピアスが質問し、アリスが答える。


「俺、アリスが好きだよ」
「うん」


友人、と評するには、もう色々と逸脱してしまっているような気がしないでもない。
けれどこの際、そんな些細なことには目をつぶることにした。


「じゃあ」


恋人同士のような雰囲気を変えないままで、ピアスは声を潜めた。
秘密を打ち明けるように、アリスの耳元で囁く。


「俺がアリスを殺しても、アリスは俺を嫌いにならない?」


アリスの耳に届くかどうか、ギリギリの声。
アリスの体が強張るのが、ピアスには手に取るように分かる。


「……ピアス? 今、なんて言った?」
「え? ううん、別に?」


ピアスはとぼけてみせた。

アリスに確証はなかったらしく、訝しげな顔をしたまま、無理に納得しようとしているようにも見えた。


「そう? ……空耳かな……わっ?!」
「アリス」


考え込みそうになったアリスを、ピアスは現実に引き戻す。


「ピアス?」


揺れる瞳に、すっかり魅入られてしまう。
ピアスはゆっくりと、アリスに語りかけた。


「アリスに嫌われるの、嫌だよ。嫌われて、アリスが俺を置いてどこか行っちゃうのが嫌なんだ」


アリスはピアスを凝視している。
その瞳には、薄っすらと恐れが滲んでいた。

アリスを怖がらせたくない。
アリスに怖がられるのが、怖い。
怖い。怖くてたまらない。ネズミは臆病な生き物だから。怖いのならば、その前に。

噛みつくしかない。
そうすればきっと、怖くない。


「だから、嫌わないで」
「……」
「ね、アリス」


諭すように先を促すと、アリスはハッとしてピアスを見た。
アリスの答えは、ひとつしか許されない。


「う、うん……嫌いになんて、ならない」


思い通りの答えを引き出せたのか、ピアスは陰りを消した。


「ほんと? 嬉しい、嬉しいなっ!」


無邪気に喜ぶピアスを見つめながら、アリスは首を捻った。


「……」


ピアスが時折みせる、得体のしれない恐ろしさは一体。


(ピアスって……ああ、マフィアだから?)


役持ち特有の恐ろしさ、とはまた違った、不気味な匂いがする時が、たまにある。

睨まれてるわけでもない。
凄まれているわけでもない。
なのに何故、逆らえない。

ピアスには、よくわからないところがある。付き合いが浅いせいだろうか。


「これから休暇だよね? 俺と一緒に休暇にしようよ」
「あ……うん、そうね」


やった、とピアスは子供のように喜んでいる。


「じゃあ、何処か行こう。ねえ、アリス。これから何処にいく? 何処がいい? 俺、何処でもいいよ、君がいるなら」
「ええと……あ、そうだ」


アリスは唐突に思い出した。
あの不思議な赤い葉のことを。
あの後、アリスが森を訪れても、赤い葉は見つかることはなかった。


「赤い葉の木が見てみたいんだけど、ピアスはその木を知ってる?」
「……木?」


森に住むピアスのことだ。森のことなら、何でも知っているだろう。
少なくとも、アリスよりは博識の筈だ。アリスが期待しながらたずねると、ピアスは目を瞬かせた。


「赤い葉? 赤い葉っぱって?」
「え?」


思わぬ返しに、アリスの方が戸惑ってしまう。


「赤い葉っぱ……俺、知らない、知らないよ」
「でも」


あの時は、確かに知っている風だった。


(あれ……気のせい?)


知っている、と聞いたわけではないから、アリスの思い違いだったのかもしれない。

ピアスはたっぷり考えこんだ後、部屋の窓を見やった。
外は朝。青空が広がっている。


「知らないなあ……じゃあ、いまから見つけにいく?」


森の奥深くへ。

可愛らしい言い方だったのに、アリスはすぐに答えることができなかった。


「……」
「今はまだ昼だから、きっと見つけやすいよ。ねえ、アリス。森へ行こう」


あんなに見事な赤い葉を、ピアスは知らないという。
妙な胸騒ぎがしたので、アリスはピアスに聞き返した。


「ピアス……聞いてもいい? それって、見つけていいものなの?」
「いいもの? ううん、ううん、見つけるとよくないよ」


 ピアスは、アリスが拍子抜けするほど、あっさりと断定した。


「でも、君が見つけたいのなら、俺も手伝ってあげる」
「……いいです」


良くないと分かっていても探そう、などというマゾな趣味は、あいにく持ち合わせていない。
アリスが断ると、ピアスは意外そうな顔をしてみせた。


「え〜〜、いいの? アリス、見てみたいんでしょう? だったら探そうよ」
「いや、今、よくないって言ったじゃない……探す気になれない」


誰が探すものか。

アリスを窮地に追い込むのは、案外、ピアスなのかもしれない。


「そうだっけ? でも、よくなくっても、俺が守ってあげるから大丈夫だよ。だから、俺に遠慮しちゃダメだよ、アリス」


うん、とアリスは曖昧に答える。
ピアスは単純そうに見えて、何を考えているのかわからないところがある。


(何も考えてなかったりして、ね)


――否定できないところが、ちょっと辛い。


「……」


善悪の区別がないのか、意図的なのか、ピアスの言動はよくわからない。
不可解さだけで言うと、役持ちの中でもかなり上位にランクインするだろう。


(いいのかなあ)


このまま、ピアスを好きになっても。
 一風どころかレベルの変わり者で、言動がたまに幼くて、たまに大人びていて――。


「……いいか」
「うん? 何がいいの? ねえねえ」


目の前のピアスは可愛らしく見える。
だから、アリスは信じることにした。


「何でも。って……ピアス、眠そうね?」
「眠い? うーん……確かに、俺、眠いかも。アリスに会ってると、眠たくなるんだ」
「……」


どういう意味だ。全く嬉しくない。


「安心する、って意味でいいのかしらね?」


アリスが好意的に解釈してみると、ピアスはこくこくと頷いた。もとい、それ以外の意味は受け付けない。


「そうそう、安心する。安心して、眠くなっちゃうんだよ。……ふあ〜……」


ピアスは小さな欠伸をすると、ベッドに倒れこんだ。スプリングが弾む。


「ん〜……眠いね、眠い。ごめんね、ちょっとだけお昼寝にしよう、アリス」


言いながら、既に声が眠たそうだ。
おいでおいで、とピアスは手招いている。


「私、眠くないんだけど……」
「一緒に眠ろう、アリス。俺と一緒。起きたら、いっぱい遊んであげる」


残念ながら、アリスの言葉はピアスの耳に届いていないらしい。


「どうしたの、アリス。こっちにおいでよ。俺、噛みついたりしないよ?」
「いや、それはわかってるけど……」


アリスは躊躇っていた。


(噛みつくですって?)


そんなことをされたら、きっと容赦なく殴り飛ばしてしまう。

と、問題はそこではない。

ピアスはわがもの顔のように居るが、そこはアリスのベッドで、ピアスのベッドではない。
その上、この状態は色々と問題があるのだ。


(一緒に寝る……)


そんなことを、こんなところでしないで欲しかった。
意識している相手の懐に飛び込めるほどの豪胆さは、ない。


(はしたないっていうか、ねえ)


一人が耐えられなくなったら、一体どうしてくれるのか。

寄ってこないアリスにもどかしくなったのか、ピアスはアリスを引き寄せた。
強く引っ張られたわけではないのに、何故かアリスはピアスの腕の中だ。


「……」
「ね、アリス。俺と一緒に寝よ。アリス」


アリスに囁く声は、既に眠たそうだった。


「ピアス」
「眠っちゃおう。ね、アリス。俺と一緒に」
「くっついて寝なくてもいいと思うんだけど……ピアス、離して」


アリスがやんわりと押し返すが、ピアスはアリスを離そうとはしない。


「駄目だよ。それは駄目。だって、離しちゃったら、君はどこかに行っちゃうかもしれない」
「そんなこと」


ない、と言いかけた唇が、柔らかく塞がれる。


「だから、アリスは俺と一緒に居てね。一緒にいてくれたら、俺が助けてあげる」
「……」


助けるとは――一体、何からだろう。
痺れたようにぼやっとした頭で、アリスは考えた。


(わからない)


腑に落ちないことは、ある。
ピアスが垣間見せる威圧感とか、やけに高鳴っている、この胸の鼓動の意味だとか。


(嬉しい、のかな。よくわからないけれど)


考えなくてはいけないことは多々あるのだけれど、すやすやと軽い寝息が聞こえてきたので、アリスは考えることをやめた。

この暖かさに包まれているうちは、安心して眠ることができる。
そう信じて、アリスも瞳を閉じた。




【眠りネズミの眠れない日々/ 了】




  


===== あとがき ===

2010年8月発行の、「in the Dark Forest」より。
「夏っぽいもの」をテーマにした合同誌でした。

私の中のピアスは、こんなイメージです。
改めて読み直したけど、あんまりそこは変わってないです。

素直で可愛い風だけど、割と中身は狂気寄り。ちょっとスパイシーなのがいいですよね。

読んでくださってありがとうございました!