In the Dark Forest










妙に蒸し暑い日が続いていた。
外を歩いているだけでも汗が噴出してくる。
こまめに水分を補給せずに、長時間外にいると倒れてしまいそうだ。

アリスは、なるべく日陰を歩くようにして足を進めた。


(この暑さ、何とかならないのかしら……)


額に流れる汗を拭きながら、どうすればこの暑さを紛らわすことが出来るか考えていた。


「こんな時は確か寒いって言った方がマシだって誰かが言ってたような気がするけど」


一応、暑いではなく寒いに置き換えて言ってみるが、まったく効果はなかった。


「あーあ、早く部屋に帰って冷たい飲み物でも飲もうかな」


突然、背後から突風が吹いた。
先程の突風で、アリスの長い髪が乱れた。


「もう! この髪が邪魔よね」


暑さのせいで余計に暑苦しく感じた。
アリスは手ぐしでさっと直すが、長い髪を見つめながら思った。

何度切ろうと思った事か。
それでも切らなかったのは、姉がいたからだろう。女の子らしくといつも言われていた。


(しょうがないか)


髪を切ろうと思う度に姉の顔が浮かんできて、踏み切れないでいる。

ふと、視界が暗くなった。
見上げると、そこにはボリスがいた。


「あれっ、何やってるんだ?」
「別になんでもないわよ。ちょっと髪を直していただけよ」


ボリスは納得したのか笑みを浮かべた。


「アリスの髪はいつもきれいだからな」
「何よ、急に」


前から思っていたが、ボリスの裏表のない言葉に照れる時があるのだ。


「触ったらサラサラしてて、気持ちいいんだろうなと思ってさ」
「……ありがとう」
「今からどこかに行くのか?」
「私の部屋に戻る所よ。何か用でもあったの?」
「いや、たいした用はないけど、アリスが歩いてるのが見えたから追いかけてきた」
「そうだったの。じゃあ、私そろそろ行くわね」
「ちょっと待てよ! いつもより顔色悪くない?」
「そう? 暑さのせいじゃないかしら」
「アリスは暑いのがだめなんだ」
「まあね。誰でもそうなんじゃないの」
「そうだっ!」


ボリスは、何かを思いついたようで楽しそうに笑った。


「どうしたの?」


アリスは、恐る恐る聞いてみる。


「俺が涼しくしてやるよ」
「どうやって……」
「コワイ話をしてな」
「コワイ話……?」


突然何を言い出すのかと思えばと、アリスは冷ややかな視線を送った。
だが、それにはまったく気付かないボリスは、


「次に夜になったら、アリスの部屋に行くから楽しみにしてろよな」


と言って、去って行った。


「ちょ、ちょっと!」


(まあ、いっか。面白そうだし)


アリスは、深く考えずに、倒れてしまう前に部屋に戻ることにした。



それから少し後のこと。


「アリス、いるか?」


部屋をノックすると同時に大きな声が室内まで聞こえてきた。


「は〜い」


アリスも元気よく返事をする。
この世界は朝の次にいきなり夜になったりするため、ボリスとの約束がいつになるかまったく分からない。
ボリスと会ってから、朝と昼の繰り返しでなかなか夜になる事がなかった。

アリスがドアを開けると、楽しそうなボリスがいた。


「それにしても、なんで夜の時間にしたの?」
「明るい時にコワイ話なんてつまんないだろ」
「それもそうね。なんだかわくわくするわね」
「まあな」


ボリスが部屋に足を踏み入れると、もう一人の姿があった。


「なんでお前もここにいるんだ?」


部屋の中にいたのはピアスだった。


「私が誘ったのよ。こういうのは人数が多い方がいいかと思って」


アリスは、平然と答えた。
一方、ピアスも誰が来るのか聞いていなかったようで、アリスの後ろに隠れた。


「なんで、いじわるな猫がいるの?」


と、泣きそうな声で言った。


「そりゃ、こっちのセリフだぜ」


ボリスはピアスを睨みつけながら、椅子に座った。


「この前、ボリスに会った後、ピアスに会ったんだけど、ピアスも暑がってたから、私が誘ったのよ」
「俺はもう涼しくなったから……」


ピアスが、部屋を出ようとした時、ボリスが襟を掴んだ。
ボリスは、意地の悪そうな笑みで、ピアスの服を乱暴に引っ張り、部屋の中へと連れ戻した。


「ひえーーーーっ!!!」


ピアスの悲鳴からすべては始まった。



*   *   *



「じゃ、ピアスお前からな」


つまんね―話しやがったら喰うと脅され、早くも恐怖で震えるピアス。


「や、やだよ〜。コワイ話なんて俺できない。知らないよ。聞いたことないもん」


無理、無理と全力で頭を振ってピアスは拒絶した。
ボリスの目がつりあがる。


「はぁ? じゃあお前、何でここにいるんだよ。今日はコワイ話する為に集まったんだぜ? なぁ、アリス」
「そんなの聞いてなかったもん。ボリスが来るなんて知ってたら、ここにいないよ! 俺の部屋でアリスと2人で遊んでるよ!」


ねぇアリス、とピアスはアリスにうるうるした目をアリスへ向けてきた。
ボリスはボリスで、ピアスをいじめて遊ぼうぜという視線だ。
いつも飽きないわね……と、アリスはため息をつきながら、手にしていたグラスをテーブルに置く。アイスコーヒーを3つ。


「はいはい。いいじゃない、3人で楽しくコワイ話したら。ピアスもそんな遠くにいないで、アイスコーヒーを一緒に飲みましょう?」


アリスは、壁に貼りついているピアスに手招きする。
彼はできるだけボリスから離れたいようだ。


「え? アイスコーヒー?」


アリスのその一言で、ピアスは嬉しそうな声をあげ、ボリスと同じテーブルに着いた。


「わーい! アイスコーヒー大好き! アリスは優しいね。俺幸せ〜」


一瞬で笑顔になったピアスを、ボリスは呆れたように見たが、結局なにも言わなかった。暑いともう考えたくなくなるものだ。


「コワイ話するって言いだした、ボリスから始めてくれないの?」


アリスはこの瞬間を逃さず進めることにした。
ピアスとボリスを放っていたら、延々あの調子だし。


「俺? もちろんとっておきの話を用意してるぜ。でも最後な」
「え? どうして?」


聞き返したアリスに、


「そういうもんだろ」
「そうなの?」
「あぁ。俺の話聞いたら、後がつまらなくなるからな」
「ふーん、すごい自信ね。そこまで言うなら分かったわ。じゃあ……私からよね」


ピアスはアイスコーヒーに夢中のようだし。


「おらピアス! アリスの話ちゃんと聞けよ! 次お前なんだから何話すかも考えとけ!」


斜め前に座っているピアスの足を、乱暴に蹴りつける。


「痛い! 酷いよ暴力反対!」
「あ? マフィアに言われたくないんですけど? どの口で言ってんだバカネズミ。もっとマシなこと口にしてみろ」
「にゃんこ怖い〜〜!」
「ちょっ、もうやめなさい!」


やっと収まったのに。また始まりそうになった彼らの争いを止めるには、早くコワイ話をしなくては。
でもコワイ話って何かしら。


(こわい話、こわい話……)


元の世界にあったいろいろなホラー小説や、昔から伝わっている怪物、悲惨な戦争や出来事の舞台で生まれる恐ろしい噂……。
いつも殺したり殺されかけている生活を送っている彼らは、普通の感覚で言うと、毎日がホラーだ。


(殺人鬼や戦争の話は違うわね。下手すると笑い話になるのかしら……?)


アリスは自然とそう考えてしまった自分が悲しくなった。
猟奇殺人鬼もここではかたなしだ。むしろ普通?


(じゃ、じゃあモンスターはどうかしら……?)


やはり一番に思い浮かぶのは、吸血鬼。
いろんな形で伝わっているし、ホラーの定番だ。

アリス自身、子供のころ読んだあとは、夜の暗い窓から、いつ現れるかと、怖くて眠れなかったものだ。
子供のころの経験ではあるけど、確かに怖かった。

ボリスもピアスも、もう大人だけど、吸血鬼の話は聞いたことないはず。
見た目も不気味。黒い服。病的に青白い綺麗な顔。夜な夜な女性の前に現れては血を……。


(……ナイトメア?)


そこまで考えて、アリスは気付いた。

何だか存在が被り気味だ。
おかしい。
吸血鬼を思い浮かべようとしたのに。

血を吸うか吐くかの違いはあるものの、近い存在かも。
でも、ナイトメアを連想するようなら、怖くはないだろう。


(吸血鬼はダメね。じゃあ……そうだ、狼男!)


確か、普段はふつうの人間だけど、満月の日に狼人間になって人を襲って……食べる……だったかしら?


(全然怖くないわ。どうしてかしら?)


何か大きな恐怖要素が欠けているとか?


(何だったかしら……早くしないと、ボリスとピアスが……)


アリスが何を話そうか考えている間も、2人はずっと言い争っていた。
正確にはボリスがピアスをいじめているだけだが。
今にも追いかけっこが始まりそうだ。


「怖い話なんかなくても、にゃんこがいるだけで怖いからいいもん! アリスもきっとそうだよ!」
「アリスは、俺といたら楽しいに決まってんだよ。……おい、そろそろ黙んないと、これで切り分けんぞ。それも面倒だし、丸呑みにしてやろうか?」
「ピ……!」


ナイフとフォークを取り出したボリスを見るなり、ピアスが逃げ出した。


「あっ、待て! 逃げんな!」
「やだぁ〜〜! 俺は美味しくないよ〜〜」


(…………)


そんな光景を眺めながら、アリスは思った。狼男もダメだ。


「おーい、アリス。まだ話してくんねーの?」
「うぅ〜アリス助けて〜〜」
「……」


あなたたちのせいで……とは言えないものの、何だか怒りが込み上げてきた。
この世界自体、もうホラーじゃないのかと。


「……パス」
「「え?」」


さっきまであんなに、怒鳴りあっていた2人なのに、今は同じような表情でアリスを見ている。


「パスって言ったの」


ちょっと後ろめたくて目をそらし気味にアリスは繰り返した。


「「えぇ〜〜〜!」」
「ごめんなさい。考えだしたら分からなくなったの。思いついたらちゃんと話すから」
「ダメだぜアリス。このままじゃ全然涼しくなんないだろ? 面白くねーよ」
「そうだよ! アリスの次は俺なんだよ! あっ、俺もじゃあパス! アリスと同じでパス!」


よかった〜と、安心したピアスの頭をボリスは殴る。


「ダメだって言ってんだろ!」
「いたい〜酷いよ、暴力反対〜」
「だから何回も同じこと言わすなって今――」


またぎゃあぎゃあ言いだした2人を見ながらアリスはある事を思いついた。
コワイ話ではないが確実に2人が恐怖することだ。
もうこれしかない。


「ちょっと待ってて!」


そう言い残してアリスは外に飛び出した。

夜の遊園地。
何故もっと早く思い出さなかったのか。

ライトアップされたアトラクションを通り過ぎアリスは目指す姿を発見した。


「ゴーランド!」
「おっ、アリス。どうかしたか? そんなに血相を変えて」 
「ちょっと、お願いがあるんだけど……」


一緒に来てバイオリンを弾いてほしいと頼むと、ゴーランドは、喜んで付いてきてくれた。
何でも、新しい曲を作ったからちょうど聞いてほしかったそうだ。

ゴーランドと部屋に戻ると、想像していた通り、追いかけっこが続いていた。
アリスが戻ったことに気付いたピアスが助けを求めて、走ってくる。


「助けてアリス〜!」
「ごめんね、待たせちゃって。でもやっと2人に聴かせられるわ」


そう言って、アリスが振り向いた入口から見えた姿に、ピアスとボリスは声のない悲鳴をあげた。





数分後。

避難していたアリスが戻ると、ゴーランドはすでに帰っており、心持ちやつれた感じのピアスとボリスの姿があった。
少しやりすぎたかも……と思いもしたが、仕方ない。


「怖かったでしょ?」


そうアリスが尋ねると、


「怖いってゆうか……反則?」
「ひどいよぉ〜〜アリス。一人で逃げるなんて。俺も逃げたかった」
「ごめん、ごめん。アイスコーヒー、もう一杯入れてあげるから」
「わーい。俺アイスコーヒー大好き!」
「アリス、俺にもくれ。おい、ピアスは早くコワイ話しろよ」
「えぇ〜〜」


ピアスの困り果てた声を聞きながら、アリスは珈琲を入れるため席を立った。



*   *   *



「……はあ」


丁寧な手つきでコーヒー豆をひきながら、アリスはため息をついた。


「あ〜〜……ちょっとゴーランドはやりすぎたかな……」


少しばかりの罪悪感が、アリスの胸に残る。
それほどまでに、ピアスとボリスは、目に見えてダメージを負っていた。


「でも、いっつも人の話を聞かないんだから」


たまには良い薬だろう。

ボリスがピアスを追いかけて、アリスはほったらかし。
そういう図式が、もう出来上がっている。

そろそろ、アリスだって意趣返しをさせて貰ってもいい筈だ。


(でも……ああ、やだな、子供みたいなことしちゃった)


そこら辺りは、ちょっぴり反省している。
アリスも輪の中に入れて欲しかった、だなんて、自己嫌悪もいいところだ。

反省しつつ、手を動かす。
早く二人の元へ戻らなければ、ピアスがまた苛められているかもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えながら。



事実、事態はアリスの読み通りであった。


「おら、お前の番だぞ。さっさと考えろよ」


ボリスは不機嫌そうだ。
おそらく、ゴーランドのせいでもある。


「ええと、怖い話、怖い話……っ」


ピアスは冷や汗を流しながら、とても必死に(彼なりに)考えていた。
傍らには猫が目を――それはもう、ギラギラと光らせているし、頼みの綱であるアリスは席を立っている。


(怖い怖い怖いっ!!)


下手な真似をすると、本当に喰われる。
語弊でなく、刻まれてしまう。

尖る視線を一身に受けながら、ピアスの頭はフル回転していた。

怖い話。怖い話。

怖い話には、怖いものが必要だった。
だが、怖いものって、いったい何だろう。


(怖い……俺の怖いもの? 俺の怖いものって言ったら)


ピアスは必死に考えた。

ピアスは臆病なネズミだけれども、怖いものといわれると、実はそれほど多くはない。
もちろん敵は怖いけれど、それはこちらが先に動けば済む話だ。
他に、ピアスの怖いものといえば。


(にゃんことかにゃんことかにゃんことか、あと、双子とか騎士とかっ……!!)


想像するだに恐ろしい。ピアスは思わず身震いした。

怖い。

これは怖い。
絶対に嫌だ。

けれど、さすがにボリスを前にして、その恐ろしさを訴えるとどうなるか。
いくらピアスでも、うっすら予測がついてしまう。

どうしたらいいのだろう。

ピアスは、すっかり困り果てていた。
怖い話なんて猫の話しかないではないか。


(でもでもでも……っ)


実際、今も物凄く怖い。
緊張しすぎて、頭がこんがらがってきた。
体は冷え切ってがちがちに硬くなっているし、とてもじゃないが、ボリスの方なんて見られない。

ボリスの苛立ちが募っていく様子が、ピアスにはわかる。今にもナイフが飛んできそうだ。


(あわわわわっ)


焦りが焦りを生み、更なる混乱へとピアスを誘う。ピアスはパニック寸前だった。

と、その時だった。
ふと、場の空気が変わったのだ。


「お待たせ。はい、どうぞ」


穏やかな声に振り向けば、アリスが戻ってきていた。
ピアスに向かって、コーヒーの入ったグラスを差し出している。


「アリス……」


素直にそれを受け取りながら、ピアスはホッと息を吐いた。緊張感がみるみる緩んでいく。

アリスは怖くない。
アリスは好き。

アリスに抱きつきたい衝動にかられながら、ピアスは目をうるませるに留まった。
そんなことをすると、きっと猫が怖いことになる。


「俺っ……」


ピアスは感極まっていたのだが、当のアリスは、ピアスの胸中など知るよしもない。

アリスは二人の緩衝材になるかのように、ピアスとボリスの間にいる。
いつも、いつのまにか、自然とその位置に落ち着いているのだ。
アリスが居てくれるなら、猫も――猫も怖いけれど、怖くないかもしれない。そんな気がする。きっとそうに違いない。



ピアスの物言いたげな視線を受けて、アリスは、ぽんと手を打った。


(ああ、忘れてた)


そうだ、失念していたが、彼は甘いのが好きだったのだ。


「シロップかしら? 入れるのよね?」
「うんっ! あ、俺、自分でやるよっ」


ピアスは力強く頷くと、シロップの瓶を手に取った。
どぼどぼどぼっとたっぷり入れると、アリスとボリスの顔が一瞬、ひきつったような気がしたが、気のせいだろう。たぶん。
ピアスはマドラーでコーヒーをかき混ぜると、一口、飲んだ。さも嬉しそうに。

それを見つめる二人の目の色は、同じだった。
想像もしたくないけれど、その極甘の味を想像してしまっているのだろう。もはやコーヒーとは呼べないぐらいの代物を。


「うん、すっごくおいしいっ! アリス、これ、おいしいよっ」


ほう、とピアスが幸せそうに息を零したが、アリスには応えてあげられなかった。

コホン。
ごまかすような咳ばらいが、ひとつ。

とりあえず、ボリスもアリスと同じ思いだったのか、見なかったことにしたいらしい。アリスもそそくさと座りこんだ。



「で? お前、何か考えついたんだろうな?」


ボリスに詰め寄られて、幸福そうなピアスの表情はひきつった。


「う……う〜」


ピアスは視線をさまよわせていたが、思い切って顔をあげた。


(あ、話してくれそう)


アリスとボリスも、つられて距離が近くなる。
ピアスは、一呼吸おいてから、おもむろに話を――。


「俺、にゃんこが怖」
「却下」


ボリスは無情にも一蹴した。

ピアスは「ええっ!?」と動揺を見せたが、ボリスのひと睨みで口をつぐんだ。

しゅん、と項垂れてしまったピアスを見て、アリスは戸惑った。
見ていて、なんだか可哀想になってきた。
ボリスの気持ちもわかるが、何もそこまでポッキリ挫かなくてもいいのでは、と彼をいさめようと思ったのだが。


「じゃあ、じゃあ……えーっと」


ピアスのとった行動は、アリスの思惑とは違っていた。

てっきり、ひどく打ちひしがれてしょんぼりするだろう、と思っていたのだ。
だが、彼は、代わりになるような話を考えている。これは珍しいパターンだ。
珍しいけれど――見るからに、ピアスは煮詰まっている。頭から湯気がでそうなほどに。

何故か焦ったアリスは、ピアスに助け船を出すことにした。


「ほ、他に……えっと、ピアスが最近怖かったことってなあに?」


アリスが控えめに声をかけると、ピアスは顔をあげた。
目をぱちぱちと瞬かせて、アリスを見る。


「俺が怖かったこと……」
「あるかしら?」


せめて時間稼ぎ程度にでもなればいいし、ピアスが少しでも考える手助けになればいい。アリスには、両方の思惑があった。
ピアスは「うーん」と考え込んでいたが、突如、ピンと耳を立てた。


「! あるあるあるっ! あるよ、アリス!」
「ふーん。じゃ、その話をしろよ」


ボリスが口を開く。
茶々をいれなかったあたり、彼にしては忍耐力があった方だろう。

えっとねえ、とピアスは姿勢を改めた。


「俺……このあいだ、森を歩いてたんだけど」
「うんうん」


話しやすいように、相槌をうつ。
だが、ボリスは冷ややかに口を挟んだ。


「それ、いつものことじゃねえか」
「ボリス、聞いてあげようよ……」


せっかくピアスが話そうとしているのに。アリスが小さく諌めると、ボリスは首をすくめた。
とりあえずは了解した、といったところだろうか。
ボリスは席を立つと、ソファへと移動した。


「それでね、それで……ドアのところ、アリス知ってる? 知ってるよね?」
「ドア……」


ドアには、あまり良い思い出はない。
アリスが思わず口にすると、ピアスは強く頷いた。


「そう、ドアがたくさんあるところ。クローバーの国で、俺が君を拾ったところ」


黙って聞いていたボリスの眉が、僅かにつりあがる。


「アリスは拾われてねえよ……ほんっと、お前って頭の悪いネズミ」
「ま、まあまあ……。知ってるわ、ピアス。そこがどうしたの?」


刺々しさを隠そうとしないボリスをなだめながら、アリスは話の続きをうながした。


「ええと、そこでね」


そこでピアスは、声のトーンを落とした。なかなか話上手だ。

そうして、アリスは発見した。
真剣な顔をしていると、ピアスは存外凛々しく見えることに。


「騎士が居たんだ」


内緒だよ、と打ち明けるかのように、ピアスは真剣な声でつづけた。


「……へえ」


拍子抜けしたのはアリスだけで、ボリスはというと、そうでもないらしい。
ピアスとまるっきり同じ表情をしている。


「エース? エースが……森に?」
「そう」


ピアスは小さく頷いた。

何故だろう。
おかしいことではないのだろうが、違和感を覚える。

ボリスも同じことを思ったらしい。
一瞬だけ、その表情が真剣になった。

ピアスは至極真面目に、話を続ける。


「でもでも、すっごく変なんだ。騎士はいっつも怖いけど、もっと怖くって」


ピアスの話からは、エースの明確な「異変」は伝わってはこない。
けれど、何故だか背中のあたりが緊張している。


「……」


ピアスは言葉を切ると、黙り込んだ。

ピアスは青ざめて震えているわけではない。
それなのに、傍から見ていてどこか不安になる表情をしている。


「ピアス?」
「……俺」


ピアスは正面からアリスの目を見つめた。

アリスは、ピアスがまるで別人であるかのような錯覚を覚えた。
こんなに真剣な顔をしたピアスを、アリスは初めて見る。


「俺、アリスが」
「俺がどうかした?」
「!?」


狙ったかのようなタイミングで、場違いなほどに爽やかな声がした。
三人揃ってバッと部屋の入口を見やると、噂の人物がそこに居た。


「エース……」


話題の人物、エースその人だ。
エースは一同に微笑を投げかけると、部屋へと一歩、足を踏み入れた。


「やあ、こんばんは。みんなが揃ってるなんて珍しいね!」
「ああ、珍しいかもしれないね」


いままでソファで寝転んでいたボリスが、むくりと体を起こした。
エースに向かって片手をあげ、にこやかに声をかける。表面上は、だが。

ボリスは警戒している。
そのことに、アリスは気づいていた。


「や。いい夜だね」
「ああ、いい夜だ」


対するエースも、爽やかに答える。
何の含みもなさそうな笑顔が、逆にうさんくさい。


(みんなでホラーな話をする夜……いいの? これって、いいのかな)


冷静に考えてしまうと、あんまりいいものではない。


(気は紛れるけどね。って、そうだ。エースよ)


緊張した場をほぐすために、アリスはわざと明るい声でエースに話しかけた。


「こんばんは。エース、どうしてここに? 珍しいじゃない」


珍しいことじゃないさ、とエースは軽い声で笑った。


「君に会いに来たんだ」
「え」


不意打ちをくらった形になり、アリスは言葉に詰まった。
エースが本気で言っているのかどうか、またく推し量れない。


「……夜に?」
「そう、夜に。まずかったかな?」


アリスは首を振った。


「ううん、別に……そんなことは」
「そうだよな? あ、別にまずい目的があって来たわけじゃないから、安心してくれよ」


言いながら、やはり、うさんくさい程の爽やかさをまき散らしている。


「で、面白そうなこと話してるんだね?」


エースの声に不穏な気配はない。
アリスは少しためらったが、正直に話してしまうことにした。


「ここって、暑いじゃない? だから……怖い話をしようってことになってね」
「へえ、そうなんだ。いい案だね」
「でも、エースがいるなんて驚いたわ」


エースは笑みを深くした。


「うん。俺たちは君と違って、ある程度は行き来できるからさ」


まだ境界が不安定だからさ、とエースは軽い口調で続ける。


「それで?」
「え? なに……」
「俺の話と怖い話、どうつながるんだい?」
「……」


やはり。


「聞いてたの? エース」


エースは悪びれもせずに肯定した。


「ああ、聞いてた。アリスの部屋を見つけたのはいいけど、中から話し声がしたからさ。ちょっと様子をみてたんだ」
「声をかけてくれればいいのに……」


悪趣味な、とアリスが毒づくと、エースは「そうかなー」と笑った。


「だってほら、もしいきなり扉を開けたら、まずい状況になってるかもしれないだろ? だから、遠慮したんだ」
「そんな状況にはならない」


アリスがぴしゃりと言い返すと、エースは「そうかなー?」と首を傾げてみせた。


「なるかもしれないよな?」


エースがボリスに話を振ると、ボリスはにやりと微笑を浮かべた。


「あー……そうだね、なるかもしれないな」
「ボ、ボリスッ!? あんた、一体なにを」


ぎょっとしたアリスが焦って声をあげたが、ボリスは気に留めずにさらりと続けた。


「だからさ、あんたは、とっとと席をはずしてくんない?」


ピリッと、静電気のような、微弱な緊張が場を走った。
エースは挑発にも乗らず、呑気に答える。


「えー。せっかくアリスに会いにきたのに?」


ボリスもエースも、ほほ笑んだまま睨みあっている。アリスは一瞬、混乱した。


(なに……)


奇妙な、どこか高揚感にも似た――いや、これは緊張なのだろうか。


(ふたりとも、笑ってるのに)


器用だなあ、とかそういう能天気なことも頭を掠めたが、違う。そんな生ぬるい事態ではない。


「エース」


そして、この場を収められるのは、アリスしかいないのだ。
アリスは、話を別方向にもっていくことに決めた。もちろん、わざとだ。


「どうせ、道に迷ったんでしょうに……素直に言ったらどうなの」


幸いにも、エースは話に乗っかってくれた。


「ははっ、バレてるんだ。そうなんだよー。でさ、アリス。今晩泊めて?」


邪気のない笑顔で、エースはさらりと言ってのける。アリスは面食らった。


「泊める……って、そこらへんに寝転ぶのでも構わないんなら、いいけど」
「だ、駄目!」


突然、それまで震えていたピアスが話に割り込んできた。いや、いまも震えている。
ピアスは、アリスを守るように、二人の間に立ちふさがる形をとった。


「駄目だよ、アリス! 駄目!」
「ピアス?」


アリスはピアスの剣幕に目を丸くした。
ピアスは小刻みに震えながらも、懸命に――彼なりに一生懸命に――エースを睨みつけている。

対して、エースはそんなピアスを見て、クッと喉で嗤った。


「珍しいね、ネズミ君」


何が、とまでエースはは言わない。
だが、エースの纏う雰囲気が先ほどまでと違うことくらいは、アリスの目にもわかった。

ボリスは沈黙したまま、静かに立ち上がった。


「アリス」


ボリスはやんわりとアリスを制して、自分が前に出た。
ボリスの手にはいつのまにか銃が握られており、探る目で、エースの出方をうかがっている。

アリスは焦るばかりだ。
まさか、アリスの部屋で撃ち合いなんて始めないだろうけれど――それは双方に良識がある場合のみで、彼らには通用しない理屈であることも、アリスはもう、身にしみて知っている。


「エース、ちょっと」
「なんだい? アリス」


答えるエースは変わらず涼やかで、だが。

アリスは意を決して、ピアスとエースの間に割って入った。
ピアスは助かった、とばかりにアリスの背に隠れた。


(……ちょっと格好よかったのに……)


きりりとしたピアスの横顔は新鮮で、アリスはこっそりドキドキしていたのだが。


(まあ、いいか。ピアスは可愛いほうが)


ちょっとばかり残念だけれど、いつものピアスだと安心もする。
優しくて臆病なネズミさん。これがピアスなのだ、と。


「やめてちょうだい」


何のこと、とでも言いたげに、エースは、きょとんとしてアリスを見つめている。
今のエースと正面から向き合うことに、少しばかり勇気が必要だった。


「ピアスが怯えてるじゃないの。あんまりからかうのは」
「え? 俺、からかってなんかいないよ」


からかっているとしか思えない態度だったのに、エースはいきなり表情を変えた。
冷たく見下ろされて、アリスはただ硬直するしかできない。
戸惑いを隠せないまま、エースを凝視する。


「本気」


素早い動作で、すらりと剣を抜くと、アリスに向かって刃先を突きつけた。


「……!」


そのギラついた刀身を見て、アリスは思わず身を竦ませた。

呼吸が一瞬、止まる。
そんな中、ピアスとボリスは素早かった。


「アリス、下がって!」
「ちっ」


舌打ちしながら、ボリスが銃を構える。
ピアスはアリスを自分の背に隠すと、ナイフを手にエースと向き直った。

彼らのおかげで、アリスはやっと、息を吐くことができた。
緊張しすぎていたのか、やけに頭が痛い。


「お。やるのかい? 珍しい組み合わせだな」
「エース」
「さ、遠慮しないでかかっておいでよ」


二対一という立場であるのに、エースは余裕をみせた。
そのまま乱戦になる――と思いきや、エースは剣の切っ先を下げた。


「なんてね、はははっ! やだなあ、アリス。本気にした?」
「エース……」
「あれ、怖かったかい? 酷いなー、俺が君を傷つけるわけないだろ?」


本当に?

アリスの疑念を打ち払うように、エースは強く頷いた。


「そんな顔するなよー。本当だってば」


俄かには信じがたい。


「それに、俺は女の子の部屋で暴れるような真似はしない。騎士だからね」
「……騎士……」


エースには、本当に『騎士』が似合う。
そして一番、エースとは遠い。

きらりと言い切るエースは、どこからどう見ても爽やかであった。
アリスは思う存分、嫌みったらしいぐらいに大きなため息を吐いた。力なく、がくりと肩を落とす。


「あんたって、あんたって……あんたよね……」


もう、適当な言葉しかでてこない。

エースは、さも可笑しそうにクスクスと笑っている。
何が可笑しいのだ、と睨みつけるが、いまいち効果はなさそうだ。


「えー、何だい、それ? でもいいか、面白いものが見られたよ」


エースはそう言いながら、ちらりとピアスに視線を向ける。

ただ逃げるだけのネズミだと思っていたのに。

エースは剣を収めると、くるりと背を向けた。


「じゃあね、アリス。ネズミ君に、ネコ君も」


行き場のない殺る気を持て余し、ボリスは、忌々しそうにその背を睨みつけている。
自制はしているものの、この場にアリスがいなければ迷わず撃っていただろう。

ピアスは、緊張から解放されて力が抜けたのか、へにゃりと床に座り込んでしまった。
その体は、過度に緊張したせいか、小刻みに震えている。


「ええ……気をつけてね」
「ああ、気をつける」


アリスも、何とか言葉だけをかける。
気持ちのこもらない上っ面の言葉しか、口から出てこない。

ドアのところで、エースは振り返った。


「ねえ、アリス」
「なに?」


まだ何かあるのだろうか、とアリスは視線をあげた。

エースと目が合う。赤くて深い色の瞳だ。
抗うこともできず、ただ引きずり込まれる。


「ちょっとは、涼しくなったかい?」


その時のエースの笑顔といったら、なかった。

凍りつくアリスを尻目に、エースは駄目押しとばかりにニコッと笑いかけてきた。


「じゃあ、またね。いい夜を」


言葉もなく立ち尽くすアリスを尻目に、エースはドアの向こうへと消えていった。






エースが去った後、しばらく、三人は動けずにいた。
場に漂っていた緊迫感は、綺麗に消えている。
けれど、まだ扉の向こうでエースが嗤っているような気がして――うっかり想像してしまい、アリスはゾッとした。


「……」
「……うぅ」


長く茫然としていたピアスが、小さく呻きながら、のそりと立ち上がった。


「……アリス、立てる?」


アリスに向かって、不安そうな顔のまま、そろっと手を伸ばす。


「ん、大丈夫……ボリスは」
「平気」


ピアスにつられて、ボリスとアリスも動きだすことができた。

三人でテーブルに戻ったはいいけれど。

椅子に座った途端、急に、どっと疲れが押し寄せてきた。
アイスコーヒーを口に含んでみて初めて、喉が渇いていたことに気がついた。


「何でかな、すごく……体が冷たくなった感じ」
「同感……」


ボリスもぐったりとしている。消耗したボリスの姿は、珍しい。


「……ねえねえ、アリス。これで俺の話、終わっていいよね? ね?」
「ええ……いいと思う」


アリスは力なく頷いた。
今度は、ボリスにも異論はないようだ。もう十分すぎる。

この世界で最も恐ろしいのは、エースなのかもしれない。



*   *   *



「……さてと、最後はボリスの番ね。とっておきの話をしてくれるんでしょう? どんな話なのかしら? 楽しみだわ」


ボリスが一番最初に言い出したのだ。
余程コワイ話を知っているに違いないと思ったアリスは、にこやかな笑顔を見せた。


「お、おう」


ボリスは、急にそわそわし始めた。


(ヤバイな。何も考えてなかった。え〜〜〜っと……)


コワイ話など知らないのだが、アリスやピアスに悟られたくはなかった。
そこで、少しでも時間を稼ごうとした。


「とりあえず、部屋が明る過ぎだ。アリス、ろうそくはあるか?」
「ええ、あるわよ。でも、そこまでこだわらなくてもいいんじゃない?」
「暗い方が盛り上がるだろ?」


変な事をしないでしょうね、などと軽く疑いながら、アリスはろうそくをしまっている戸棚へと向かった。


「俺、暗いのイヤっ」


と、涙目のピアス。


「お前は、いちいち腹の立つ事をいいやがって!」


ボリスは両手でピアスの頭を挟むと、グリグリと力を加えた。


「痛っ、痛いよ〜」


ピアスはとうとう泣き出してしまった。


「こらっ! いじめないの」


すると、今度はボリスの頭に軽く衝撃が走った。


「俺を叩くなよ、アリス」


ボリスは、頭をさすりながら言った。


「弱い者いじめはいけないことなのよ」
「そうだ、そうだ」


アリスの後ろに隠れながら、ピアスは強気な態度を取った。


「お前、自分が弱いって言われてて平気なのかよ」
「そ、それは、そんな事ないもん」


自信がないのかピアスの耳が垂れ下がっている。


「お前と話をしてると疲れるぜ。そろそろ俺が、背筋も凍る話をしてやるよ」


ボリスは、やっと閃いたのであった。



アリスが、ろうそくを何本かセットし、部屋の中はすっかり薄暗くなった。

三人は顔が近いと感じる程、身を寄せ合っている。
ピアスは、あまりボリスに近付きたくなさそうにしていた。
だが、ボリスに無理やり引っ張られ横に座らされている。


(こんなに近くににゃんこがいるよぅ〜)


ボリスのコワイ話が始まった。


「この話は、人から聞いた話なんだけどさ……」


ピアスには、話している事が頭の中に入ってこなかった。
その上、薄暗くなった事で眠気が襲って来た。

何とか目を開けようとするものの、とうとう我慢できなくなって眠ってしまった。
そんな様子を横目で見ていたボリスは、にんまりと笑った。ピアスの隙が出来るのを待っていたのだ。

アリスは、すっかり話に夢中になっており、その隙に、ボリスは空になったアイスコーヒーのコップを持った。


「それで? 牢屋から逃げようとして太ももに鉄の柵がささった男はどうなったのよ?」


想像しただけでも痛そうな話だが、ホラーってなんだっけ?
この話はホラーか?などと、ボリスは焦っていた。
なぜなら、アリスは、もっと怖がるかと思ったが、目を輝かせて聞いている。
突然、ボリスが話をやめたので、急かした。


「えっと、それからどうなったっけ……」


(続きなんて知らないしな。そもそも俺が適当に作った話だからな)


まいったな。
ボリスは、先程思いついた作戦を実行する事にした。

アリスを何とかごまかしながら、コップから氷の塊を一つ取り出した。

そして、眠っているピアスの服の中に入れる。
ピアスは、慌てて飛び上がった。

何が起こったのかすぐには分からなかったが、背中がすごく冷たい。


「何? 冷たいよう。誰か助けて!」


ピアスは、泣き叫びながら部屋の中を物にぶつかりながら走った。


「ピアス、ど、どうしたの?」


アリスにも、何があったのかさっぱり分からないが、走っているピアスを捕まえた。
ピアスが、背中が冷たいと言うので、服を持ち上げさせると、何かがころがり落ちてきた。
薄暗いため、よく見えなかったが、手に取ってみるとようやく分かった。


「どうして、氷が服の中に入っていたのかしら?」


よしよしと泣いているピアスの頭を撫でていると、ボリスの大笑いが聞こえてきた。


「ちょっと、笑ってる場合じゃないでしょ!」


笑い転げるボリスの様子を見て、まさかとアリスは思った。


「ねえ、ボリス。まさか……」
「な、なんだ?」


するどい視線を向けられ、正直に言うかどうか迷った。

正直に言えば嫌われるだろうか?
黙っていようか?
額にはふつふつと汗が湧き出てくる。


「分かったわ。これは幽霊のしわざね」
「えっ、幽霊?」


ボリスは、拍子抜けした。


「そうよ。そうに決まっているわ。コワイ話をしているから霊が近くまで来ているのよ。もうコワイ話はやめにしない?」
「そうだね。そうしよう!」
「ああ、いいぜ」


ボリスは、内心ほっとした。


(良かった! すべてうまくいったぜ)


「それじゃ、部屋を明るくするわよ」


部屋の中が明るくなると、先程ピアスが走り回ったおかげで散乱していた。


「よくコップを割らなかったわね」


部屋をめちゃくちゃにされたにも係わらず、アリスは怒るどころかピアスが怪我していないか心配しだした。


「ピアス、怪我はなかった?」
「うん! 大丈夫だよ!」


そんな様子を見て、ボリスはむっとした。


(……なんか、ピアスにめちゃくちゃ優しくないか?)


ここはアリスに良いところを見せなくては。


「俺が掃除をやるぜ」
「どういう風の吹き回し? すごく珍しい事もあるのね」
「どういう意味だよ! それじゃ、俺がひどい奴みたいじゃないか!」
「だって、そうでしょ。でも、見直したわ」
「そ、そうか」


アリスに褒められ、機嫌の良くなったボリスは、散らかった部屋を掃除し始めた。
アリスとピアスも手伝ったので、それ程時間がかからずに部屋は綺麗になった。


「部屋を掃除してもらって、助かったわ」


アリスは、丁寧に礼を言った。


「今日は、楽しかったわよ。また、三人で集まりましょうか」
「俺は遠慮するよ。アリスと二人きりなら大歓迎だけど」


俺が言うセリフだ、とボリスは喧嘩をしながら部屋を出た。
アリスは、そんな様子を見ながら、手を振って見送った。



*   *   *



ちょうど時間帯が変わり、夕焼けが空を染めた。

見計らったかのような、変わりよう。やはり黄昏は別れを思い起こさせる。


(ここにいると、そんな感覚も無意味かしら……?)


しかしアリスは、まだそう感じることができることに、少し安堵していた。

もちろん、元の世界に帰る気はない。
だからと言って、嫌ってもいないから。

ただこの狂った世界が好きなのだ。もちろんその住人たちも。


(たまに帰りたくなるけど……)


目に映る空の色のような血。ここに来てからどれほど見たことか。

この世界は優しくない。
さっきのエースのように、いつも目に見える部分がすべてじゃないことは知っている。
楽しくて居心地のいい中に時折潜むそれは、アリスにとって恐怖でしかない。


(ほんと、地でホラーよね)


なのにコワイ話をして、涼しくなろうなんてやっぱり可愛くて憎めない。


『……! ……!』
『……〜〜!』


またピアスはボリスに追いかけられているようだ。それ程遠くない場所から声が聞こえた。

森のほうに向かっているのかもしれない。
ピアスが遊園地は隠れる場所が多くていいと言っていたのに。


(森のほうが安心するのかしら? ……ネズミさん的には)


人の多い遊園地より、静かな森のほうが見つかりそうなものなのに。


(でもピアスって、気配消すの得意そう……)


アリスはそろそろ中に戻ろうと、部屋を振り返る。
明かりに照らされているものの、先ほどまでと比べると、嘘のように静かだ。


(あっ、そうだ!)


アリスは手をたたく。

森で待ち伏せして、二人を驚かせるのはどうかしら。
すごくいい考えな気がする。
追いかけるのと追いかけられるのに必死なふたりのことだ。アリスが隠れているのは気付きにくいはず。

ふたりの驚く顔を想像すると、自然と笑みが浮かぶ。
アリスは声のするほうに向かった。


(これも夕日のせいね!)


言い訳しながらも、アリスは自然と走りだすのを止められなかった。



*   *   *



もう、ここには誰もいない。怪談の跡地。
遠くで三人の笑いあう声が微かに聞こえる以外、音もない。

緑の生命力に満ち溢れる木々は、徐に枝を揺らした。
サラサラと涼やかな音をたてて、木はたおやかに揺れる。
森は陰に包まれて、全てを覆い隠してくれる。

過去も想いも。その先も。
なにもかも。なにもかも。

消した筈の蝋燭に、芽生えるように、小さな火が灯った。
木の幹にうつる薄い影が、やわらかな大人の女性のシルエットを作る。

その影は、俯き加減に、森の奥を見つめていた。

『アリス』

影はそう呟いたが、影は影であったので、音にはならなかった。

影は悲しそうに首を傾げてみせたが、何の意味もない。
もう、何の意味も。

影が愛しい少女の名を呼びかけても、笑い声は遠ざかるばかりだ。
蝋燭の炎が、影に何かを促しているかのように頼りなく揺らめく。
しばらく佇んでいたそれは、輪郭がゆがみ、空に溶けるようにして消えていった。

影がすっかり消えてしまうと、役目は果たしたとばかりに、蝋燭の火が消えた。


誰も見ていない、森の陰での出来事であった。




【in the Dark Forest /深紅・岬・山藤 了】




 


===== あとがき ===

2010年8月発行の、ピアス×アリスとボリス×アリス合同短編集『in the Dark Forest』より。

メインのお話でした。
リレー小説は、深紅さんスタートの岬さん→私、の回りでした。

どこらから変わったかわかるかな??どうかな??
だいたいは*印のとこで区切ってるor交代してるんですが・・・。
ピアス引っ張り込んだまでが深紅さん、ゴーランドつれてきたのが岬さん、エースがきたのが私、って感じです。

ボリスに傾く深紅さん、ピアスに寄るのが岬さん、って感じですねー。
ラストは私〆です。唐突にホラー突っ込んでみた。

読んでくださってありがとうございました。