子供と動物のおはなし。
(やっと終わった……。何だか今回は特に疲れたなあ)
仕事を終え、アリスは自室に戻る途中だった。
(仕事は同じだったのに……うーん、体力がないのかなー。鍛えることも考えないと)
廊下を足早に進む中、ふと、アリスは窓の外を見た。
「ん??」
窓からは帽子屋屋敷の正門が見える。
そこから、まっすぐに屋敷へ向かう、赤と青の双子の姿があった。
彼らの足取りは軽かった。
仕事が終わった解放感のおかげか、二人の表情は明るい。
いきいきとした表情で、ディーとダムは、互いに何やら語ったり、笑ったり――。
アリスの口元は綻んだ。
(……可愛い)
目を輝かせて談笑しあっている二人は、見ていてとても微笑ましい。笑顔になると、年相応と言っていい。
あまりに楽しそうに話しているものだから、アリスの足は自然と、向きを変えていた。
階段の上から、二人が入ってくるのを待つ。
ややあって、屋敷の扉が重たい音をたてた。
「こんにちは。何を話しているの?」
「お姉さん」
「お姉さんだ!」
ディーとダムはパッと顔を明るくすると、駆け寄ってきた。
癖のある二人だが、今は、すっかりアリスに懐いている。
アリスが尋ねると、ディーとダムは可愛らしく首を傾げた。
動作まで同じタイミングだなあ、とアリスは密かに感心する。
「兄弟と話してたこと……えっと。ああ、そうそう」
思い出した、と、二人は同時に表情を緩ませた。
「ボリスの尻尾、ちょん切ってやろうと思ってさー」
「どんな罠ならかかるだろうって、兄弟と相談してたところなんだ」
とんでもない事を言いながら、ニコリ、と双子は揃って明るい笑顔を作る。
(……え、ボリスの? 尻尾を??)
可愛らしい笑顔のまま、何と恐ろしいことを言うのか。
無邪気すぎる二人の笑顔に、なんだか目眩がした。
「お姉さんはどう思う? ボリス、どんな罠ならかかるかな?」
期待にワクワクしている二人には悪いが、アリスの気分は落ち込むばかりだ。
大きく息を吐くと、こめかみに手をやる。
「ディー、ダム……駄目よ、そんなことしたら」
「えー。何で?」
せっかくアリスも混ぜてあげようとしたのに、と落胆の色を見せる二人に、アリスの胸は罪悪感を覚えた。
一瞬、水を差して悪い事をしたかなと思ってしまったが、違う。間違っているのは、この子達の方だ。
「何で、って……」
アリスは言葉に詰まってしまった。
(友達じゃないの)
とアリスがいくら言っても、こんな理由では彼らは聞き入れないだろう。
至極まっとうな理由だと、アリスは思うのだけれど。
「ボリスは、その……」
「猫だから?」
「え」
アリスは目を瞬かせた。
ディーとダムは、じっとアリスの顔を覗きこむように見上げている。
「お姉さん、昔、猫を飼っていたんでしょう? 前に聞いたことがある」
「ああ、だからボリスに優しいんだ? お姉さんは僕らだけ甘やかしてくれていいのに」
不満そうに口を尖らせる二人は、小生意気でどこか憎めない。
この世界の住人とアリスには、ズレがある。
現に今だって、彼らは見当違いもいいところな方向に、思考を飛ばして――そうだ。
アリスは思わず手を打った。
「そう、それよ!」
「え、なにが?」
「それって、なになに?」
双子は大きな目で、アリスを見つめている。
アリスは胸をはって、指を突きつけた。
「ボリスは猫よ。動物は可愛がるべきなの。苛めちゃ駄目よ」
「可愛がる??」
「ボリスを〜〜??」
ディーとダムは、嫌そうに眉をしかめた。
本当に正気?とでも言いたげに。
(ボリスを可愛がる……)
うっかり想像してみて、アリスは思わず頭を抱えそうになった。
「……そうよ!」
「……今、すっごく妙な間があったね」
「気のせいよ、気のせい。そういうことだから、ボリスの尻尾を斬るなんて止めて頂戴」
完璧な理論だ。
そう、動物は苛める対象ではない。
さすがのディーとダムも、ちょっぴり悩んでいるようだった。
「……うーん。お姉さんの言う事も、分からなくはないな」
良かった、とアリスは胸をなで下ろした。
たまにこうしてアリスの意見を素直に聞いてくれるところが、この子達のずるいところだと思う。
ディーとダムは顔をあげた。
「お姉さんは動物が好きなんだね」
「そう……ね。うん。好きだと思う」
「そっか……」
双子は腕を組んで、本格的に考え込み始めた。
アリスとしては、そんな悩みなら大歓迎だ。
もっともっと悩んで、彼らにはまともな大人になって頂きたい。
「お姉さんの好きなものは、僕らも好きにならなくちゃね」
「そうだね、兄弟。僕らは努力するべきだ」
そうしよう、と互いに頷きあう子たちを見ると、アリスの頬は緩んでしまう。
(いい子たちだわ)
アリスの望んだ結論に、きちんと辿りついてくれたのが嬉しい。
「まずは可愛がり方、だね。僕、そんなの分からないよ」
「僕も分からない。教えて、お姉さん。どうしたら可愛がれるの?」
「え? 可愛がり方??」
急に話を振られて、アリスは目を丸くした。
「例えば、ウサギは? ウサギはどうすればいいの?」
「……」
アリスは自身の記憶を掘り起こした。
(兎……兎の可愛がり方って、撫でるくらいしか思いつかないけど……)
それで全てか、正しいかと問われると、いまいち自信がない。
そして、この子達に嘘を教えるわけにもいかない。
せっかく、双子が平和的な方向に興味を持ってくれたのに、その芽を潰したくないけれど――アリスは観念して、素直に白状した。
「……ごめん、私、猫しか飼ったことがないから、他の動物についてはちょっと」
わからない、と言うと、双子は顔を見合わせた。
ややあって、ダムが口を開く。
「じゃあ、僕らと一緒に可愛がりに行こうよ」
「え」
何で私まで。
「だって、お姉さんも、動物を可愛がる方法が分からないんでしょう? 僕らと一緒に模索しに行こうよ」
ディーも同意見だ、と頷く。
「それ、いいね。お姉さんと一緒だと楽しいな。行こう行こう」
すっかり調子を取り戻した二人に腕を掴まれ、アリスは頬を引きつらせた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
まずは近場からと、エリオットを探すことにした。
2人が言うには外出していないようだ。アリスが何故分かるのか聞くと、
「やだな、お姉さん。僕らは門番なんだよ?」
「そうそう、有能な門番だよ」
そういう事らしい。
なんとも信用ならない情報だったが、アリスにとっては見つからないほうがよかったので、両腕にくっついた双子をそのままに、広い屋敷内をうろついている。
このまま2人が飽きるまでエリオットに会いませんように……そう思った矢先、ディーとダムは同時に声を上げた。
「「あ、見つけた!」」
「え、もう?」
本当に屋敷にいたようだ。
アリスは、この二人は仕事をしてないようで実はしてるのかしらと目を見張った。
「どこにいるの?」
辺りを見わたすアリスを二人は、横の通路に引っ張りこむ。
「ちょっ……どうしたの?」
「お姉さん、静かに」
「じっとしててね。見つかっちゃう」
そう言って二人は、壁に身を寄せ真剣な表情で廊下の先を窺っている。
(エリオットに見つからないようにしてる?)
さっきからディーとダムには翻弄されっぱなしだ。
どうしたいのか予測がつかない。
(でもやっぱり双子だけあって、お互い目的は一緒みたいね)
アリスが感心しながら言われた通り、身を潜ませた。
しばらくすると、廊下の先から足音が聞こえてきた。
「…………!」
「……!」
声も聞こえる。エリオットのようだ。
(……怒鳴り声? 怒ってるのかしら)
普段は優しいエリオットだが、たまに機嫌が悪い時がある。
そういう時は近寄らないほうが無難だとアリスは考えた。
特に、この二人といるときは。
今は止めておいたほういいわね……という思いでディーとダムを見ると、彼らもアリスを振り返る。
きらきらした目で。
(……何でこんなにきらきらしてるのかしら?)
嫌な予感がした。
「お姉さん! どうするの?」
「どうやって可愛がってやるの?」
やる気満々だ。
アリスは本能的に逃げ出したくなったが、しっかり腕を掴まれていて動けなかった。
「どこ行くの? お姉さんが動物は可愛がるものって言ったんだよ?」
「そうだよ、一緒に可愛がろうよ。さぁ、教えてお姉さん」
絶対逃がさないという笑みだ。
そんな二人を見ると、もうどうにでもなれと思ってしまった。
「そうね、さっきも言ったけど、ウサギは飼ったことないのよ。多分、餌をあげたり? あと……」
(私も楽しめるといいんだけど)
そう願いながら、アリスは乞われるままに、ウサギの可愛がりかたを考えたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あははは! 楽しいね、お姉さん!」
「わーい、可愛がるって最高だよ、流石お姉さん!」
「……どこがよ!」
走りながらなのでそれ以上は声が続かない。
(やっぱり、止めておけば良かった……)
アリスのウサギの思い出は、子供のころに何回か触った記憶があったのだが――その時は捕まえたくて、逃げるウサギを追いかけて、餌を食べさせた位のものだ。あとは、背中をなでた気もする。
これが可愛がるという行為なのかはさておき。
その話はした。
(まさかそのまま実行するなんて……!)
エリオットの驚いた顔が忘れられない。
もちろんそれはすぐ怒りに変わったが。
やる気に満ち溢れるディーとダムは、アリスの話を聞くと、「見ててね、お姉さん!」と、アリスが止める間もなく、エリオットに向かって走り出していた。
曲がり角で身を隠していたので、通り過ぎたエリオットに向かって。
まずディーがその背中に飛びかかる。
エリオットはと言うと、やはり何か問題があったようで部下の誰かに怒鳴っていた。
そんなところを、しかも屋敷の中で後ろから襲われるなんて思いもしなかっただろう。
なす術もなく廊下に転がった。
ディーはそのまま押さえつけるように背中に座る。
「おい、どういうつもりだ!」
やっと、誰の仕業か分かり、怒鳴りだしたエリオットの背中を、ディーは撫で始めた。
「ぎゃああ!」
エリオットの災難はまだ終わらない。
次はダムがニンジンを手にして現れる。
そのニンジンをエリオットの顔の前でチラつかせ、怪訝そうにしているエリオットにダムは言った。
「ほら、餌だよ。早く食べなよ」
それからのことは、あまり覚えていない。
ニンジンは宙を舞い、銃声が聞こえたと思ったら、次の瞬間はもう走り出していた。
(ごめんね……! エリオット!)
不用意な言葉でまさかこんなことになるなんて。
アリスは後悔した。
たとえディーとダムが楽しんだとしても、エリオットにとっては、嫌がらせにしかならない。だから――
「謝るから、もう追いかけないでよ!」
アリスが一緒なので、流石にもう銃は撃ってこなかったが、3人はエリオットに追いかけられている。
「追いかけるのも楽しいけど、こっちも楽しいね、兄弟」
「うん、たまにはいいね。兄弟」
「全然良くないわよ!」
(なんで一緒に逃げてるのかしら?)
エリオットが怒っているのは、ディーとダムだけだったのに一緒に走ってしまった。
息が上がる。
アリスはもうこれ以上走れなかった。
「あっ」
足がもつれて倒れそうになる。
このままでは顔から廊下に倒れてしまう。
(ぶつかる!)
そう思って目を瞑った。
「?」
いつまでたっても顔に衝撃はなく不思議に思って目を開けると、ディーとダムが心配そうにアリスを覗き込んでいた。
「大丈夫? お姉さん」
「もう疲れたの? 休憩する?」
二人は、お姉さんの休憩時間は稼いどくから安心してと、斧を握り直す。
「待て〜〜!」
エリオットの声が近づく。
(残酷なことを普通に話すけど、ちゃんと優しいとこもあるのよね)
首を傾げるディーとダムに笑ってほしくて、ついアリスは大丈夫と言ってしまう。
「まだ走れるわ。早くしないとエリオットに追いつかれるわよ。……楽しいわね」
そう言って、アリスは笑って見せた。
そんなアリスの手を取るディーとダムも、嬉しそうだ。
「よかった! じゃあ早くいこう。あ、今度はお姉さんのお手本が見たいね」
「そうだね、それがいい! 楽しみだなぁ」
「てめぇら、待ちやがれ〜〜!」
「……」
早くもアリスは、後悔し始めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらく走り回っていたので、アリスは息が上がり、もう走るのは限界だった。
後ろを振り返らず走っていたので、気付くのが遅くなったが、エリオットの声がしなくなっている。
「あらっ? エリオットは?」
アリスは立ち止まり、何度も息を吸って呼吸を整える。
「お姉さん、疲れたの?」
「もう追いかけてきていないみたいだね」
ディーとダムは疲れていないのか呼吸がまったく乱れていなかった。
「なんでそんなに元気なのよ……」
アリスは、信じられないといった表情で二人を見つめた。
「お姉さん、もう少し鍛えた方がいいよ」
「そうだよ。あれくらいで疲れちゃうなんて……」
ディーとダムは何でもないという顔をしている。
(そうなのかしら?)
アリスは、運動不足なのかしらと一瞬思ったが、そんなはずはないと思い直した。
エリオットに追いかけられ、かなりの距離を走ったはずだ。
それなのに、ディーとダムは息が上がっていない。
細身の身体のどこに筋肉が付いているのだろうか、アリスには不思議でしかたなかった。
「今度はお姉さんの手本が見たかったのになぁ」
「どこに行ったんだろうねぇ」
ディーとダムが辺りを見回してもどこにもエリオットの姿はなかった。
「えっと、本で読んだんだけど……」
と、アリスはウサギについて思い出した事を話し始めた。
「ウサギは、寂しいと生きられない生き物なの」
「え〜、そうだったのか」
「お姉さん、物知り〜」
「だから、優しくかまってあげないと駄目なのよ!」
「「分かったよ」」
本当に分かってくれたのか不安だったが、さすが双子だと感心した。
同時に返事をするのは初めての事ではないが、やっぱり兄弟なんだなあと思った。
「でも、肝心のウサギがいなくなったよ」
「捜しに行こう!」
「ちょっと待って」
アリスは、近くで音が聞こえたような気がした。
「どうしたの? お姉さん」
「今、何か音がしなかった?」
「音?」
ディーとダムには聞こえなかったのか、首を傾げている。
(気のせいかしら?)
ディーとダムが聞いていないというのなら、空耳だったのかと思った。
しかし、空耳ではなかった。
アリス達のいた廊下にはいくつもドアが並んでいたが、近くにあったドアが勢いよく開いた。
どうやらアリスが聞いた音はドアノブを回す音だったようだ。
「お姉さん! 早くお手本を見せて」
「はい、ニンジン」
ダムにニンジンを手渡されたが、素直に食べてくれるはずもない。
エリオットは、怒りが収まっていないのか銃を向けている。
(怒っているウサギの対処法までは知らないんだけど……)
アリスは困り果てた。
だが、ここはアリスがなんとかするしかなかった。
アリスは勇気を振り絞ると、えいっとエリオットに飛びついた。
突然の事で驚いたエリオットは、ただ呆然としていた。
「な、なんだ?」
予想外の出来事に、先程までの怒りは消えていた。
「お姉さんのマネをしよう!」
「そうだね!」
アリスの行動を見ていたディーとダムもエリオットに抱きついた。
「何やってんだ、お前ら!」
三人に抱きつかれ、身動きの取れないエリオットが叫んだ。
「何って可愛がってるに決まってるじゃないか」
「よしよし」
まったく理解出来ないエリオットだったが、悪い気はしなかった。
「今まで寂しかったのね。ごめんなさい。気付かなくて……」
「えっ?」
アリスは、上目遣いで瞳を潤ませて言った。
「どうしたんだ? 急に」
「お姉さんに可愛がり方を教えてもらったんだよ」
「さすが、お姉さんだ」
なんでそんな話になったのかさっぱり分からなかったが、そろそろ離れて欲しいとエリオットは思った。
「いい加減に離れろ!」
強い口調で言うと、ようやく三人はエリオットから離れた。
「これで、分かったでしょ?」
「でも、まだ動物は他にもいるからねぇ」
「他の動物の可愛がり方もあるんじゃないの?」
「そりゃ、そうだけど……」
「じゃあ、次は何がいいかなぁ」
「やっぱり猫かな? それとも、ネズミかな?」
ディーとダムは楽しそうに会話をしているが、なかなか決まらなかった。
「そうだ! お姉さんが決めてよ」
「それがいいね」
ディーとダムは、無邪気に笑った。
「廊下の真ん中にいると邪魔になるからどこかへ移動しましょう」
何やら楽しそうに話をしながら、歩いていく三人の姿をエリオットはただ見送った。
「一体何がしたかったんだーーー!」
と、叫んでみたものの、その答えは返ってこなかった。
(そう言えば、もう一人いたわね。真っ白い耳のウサギが)
ふと、アリスはそんな事を思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
双子に連れられて歩きながら、アリスはひそかに溜息を零した。
失礼なことをしてしまった、とアリスの胸は申し訳なさでいっぱいだ。
(……エリオットには、後でにんじんケーキでも贈らなきゃ)
あれしきの事で、エリオットの機嫌がなおると思えない。
つまるところ、屋敷に帰った後が怖い。
(あああ、もうー。ボリスなんて庇うんじゃなかった……)
思考回路がちょっと酷いかもしれないが、こっちだって切実だ。
帽子屋屋敷は、エリオットが回している。
どうにかして、機嫌をなおして貰わなければなるまい。
「途中で、にんじんを買って行かなくちゃねー」
「そうだね、兄弟。あいつ、あんまり食べてなさそうだから、たくさん餌をあげなくちゃ」
双子の足取りは軽いが、アリスの足は鉛のように重い。
三人は今、もうひとりの「兎」を――ペーター=ホワイトを探しに、ハートの城へ向かっていた。
「何処で買うかなー。野菜なんて買ったことないから、僕わからないや」
「僕も。お姉さん」
知らないかな、と仰ぎ見る視線が問う。
アリスはしばし考え込んだ。
「……野菜、ね。確か、クローバーの塔の近くなら、お店を知ってるけど」
どうにかして遠回りさせようと、アリスはわざと遠くの店を告げた。
そうすれば、元来面倒くさがりなこの子達には効果があるかと――平たく言えば、止めるかと思ったのだ。
けれど、双子はあっさりと頷いた。
「じゃあ、そこに行こっか」
「うん、行こ行こー」
「え……」
稀にみる彼らの素直さに、アリスは言葉を失った。
まさか同意されるとは思っていなかったので、襲いくる疲労感は半端ない。
(……行くの? 行くのか……)
嫌だ。
でも、アリスが自分から言い出したこと。嫌とは言えなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クローバーの塔を背後に、ディーとダムは上機嫌だった。
両の腕いっぱいに、にんじんを抱えて。
(うわあ、輝いてる……)
かつて――今まで、彼らがにんじんを前に、こんな笑顔を見せたことがあるだろうか。
「さーて、にんじんも大量に買ったことだし……」
「ハートの城に遊びに行こうか」
ペーターをからかいに。
確かにアリスには、そう聞こえた。
ああ、アリスはどこで間違ったのだろう。
(きっと、最初からだわ。……ペーターが、不在だったらいいけど)
本人が居なければ、怒りは半減できるだろう。たぶん、だけれど。
「行こう、お姉さん」
歩き出そうとして――ディーは足を止めた。
アリスとダムは、二歩三歩、と歩きかけて、ディーがその場から動いていないことに気づく。
「ディー?」
「どうしたの? 兄弟」
ディーは神妙な面持ちで、空を仰いでいる。
「……ねえ、お姉さん」
「うん?」
アリスが促すも続く言葉はなく、そのままディーは考え込んだ。
ややあって、視線を二人に向ける。
「ねえ、兄弟。トカゲって、確か動物だよね?」
唐突に問われ、ダムは目を瞬かせた。
「うん。分類は爬虫類だけど、動物には違いないよ。だよね、お姉さん?」
「そう、ね。うん。そう思う」
話を振られて、アリスは頷いた。
確かに、哺乳類だけを『動物』と呼んでいるわけではない。
(でも、爬虫類……って、まさか、ディー)
嫌な予感がする。
アリスは慌てて、ディーの見ていたものに目を向けた。
クローバーの塔。
そして、ディーの言う『爬虫類』。
その二つが繋がるところは、ひとつしかない。アリスは青ざめた。
(ま、まさか、この子達、グレイを)
アリスの顔色が変わると同時に、ディーはニコリと無邪気に微笑んだ。
「ねえねえ、お姉さん。次はトカゲなんてどう?」
いいことを思いついた、とばかりに、ディーはとんでもないことを提案する。
「やっ……それは止めとこうよ」
「トカゲかあ……いいね。トカゲの可愛がり方って知ってる?」
制止したアリスの言葉は、まるっきり無視だ。
テンションのあがったらしい双子は止まらない。
「可愛がり方……って、トカゲの!?」
そうそう、と双子はキラキラした目でアリスを見つめている。
期待の熱い眼差しは、アリスにとって凶器でしかない。きっと教えてくれるはず、と。
(う……うー)
アリスは弱かった。
双子の気合いに押し負けたアリスは、深く溜息を吐いた。
「爬虫類は、本当に触った事ないわ……本で読んだだけよ。トカゲも色々な種類があって、種類によって、だいぶ違った気がするんだけど」
力なく、つらつらと知っていることを述べる。
「へえ〜、そうなんだ。物知りだね、お姉さん」
ただの本から得た知識なのに、双子は感心している。
だから、アリスはこの子達に弱い。
(そもそもグレイって、どんなトカゲなの? イグアナみたいなの?)
自分で言っていて、気になった。
エリオットやボリスは、まあ予想がつく。
けれど、グレイは――よく分からない。小型ではなさそうだ、という事ぐらいだ。
多分、色は黒くて――。
「トカゲの餌は何かな。どんなものがある?」
「む……」
虫、と言いかけて、アリスは慌てて口を抑えた。
まずい、考えごとをしていたせいで、思考が緩んでいた。
「む?」
「何でもないっ!!」
アリスは思いきり首を振った。
あのグレイが、虫などを食べる筈がないだろう。
せめて、もっと人間らしいものを――。
早く考えろ、とアリスは焦りながら考える。
(え、ええとっ! もうちょっとマシなもの……や、野菜? ああ、フルーツとかっ)
記憶の奥底――ではあるが、確か、本にはそう書かれていた筈だ。
ともかく、急いで軌道修正しなくては、グレイが大変なことになる。
「『む』……なんだろう。何だと思う? 兄弟」
「う〜〜〜ん……なんだろう。『む』って」
探究心旺盛な双子は顔を見合わせ、考え込んでいる。
「トカゲが食べるもの……で、お姉さんが嫌そうってことはー」
「だ、だからね、あの」
アリスが口を挟もうとした途端、思いついた、とダムが手を打った。
「わかった、ゲテモノかな。ムカデ?」
ああ、とディーが納得したように頷く。
「ムカデかー。じゃあ、捕ってこないと。森に居るかな」
行動力溢れる双子は、さっそく身を翻した。
そんな二人の肩を、アリスが掴む。
「野菜よっ! 野菜とかフルーツとか、そう、花を食べる種類もあるって書いてた気がするっ!!」
アリスは声を張り上げた。
道行く人々が、何事かと振り返る。けれど、今はそんな事はどうでもよかった。
ディーとダムは、やっとアリスの方を見た。
こうでもしないと、この子達の会話に割り込めない。
「花? ……花びらを食べるやつがいるの? 花をあげても面白そうだねー」
二人は、アリスの言葉に興味を示した。
最も危険な方向に行かなかったことに安堵したアリスは、そっと息を吐いた。
「グレイは、食べないと思うけど」
付け加えると、ディーとダムは「そうかー」と、これまた聞き入れてくれた。
「じゃあ、普通に果物かな? 何を食べるのかなあ。リンゴとか?」
「多分ね」
やり遂げたアリスは、軽く返事をした。
何だか脱力感を感じるのは何故だろう。
「じゃあ、買ってこようか兄弟。このにんじんは……預かって貰っとこ」
「そうだね、邪魔になるから。じゃあ、僕ら買ってくるねー。ここに居てね、お姉さん」
ぱたぱたっと駆けて行く双子の背を、アリスはぼんやりした頭で眺めていた。
「はいはい、行ってらっしゃい」
適当に手を振り、見送る。
(果物なら、もういいわ。ナイトメアのお見舞い、って誤魔化しちゃおう)
確実に心を読まれるけれど、強引にその姿勢を貫くことにしよう。
そんな事を考えながら、アリスは二人が戻ってくるのを大人しく待った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……うぅ」
アリスは一人になったとたん、クローバーの塔に着いて暴走するディーとダムを想像してしまった。
(グレイに私たちを受け止める心の余裕が残ってますように……)
アリスは願った。
でもそれはナイトメア次第だと思いなおす。
彼の行動次第でグレイのストレスの度合いが変わってくる。
(ナイトメアがちゃんと仕事してますように……血を吐かずに元気に逃げ回らずにわがままも言わずに……)
駄目だ。
そこまで考えてアリスは思った。
やっぱり行っちゃ駄目。
これ以上のグレイを苦しめるなんて、想像でも泣けてくる。
(グレイを励ますためにもリンゴを持っていこう! 好物かは分からないけど)
予期せずやる気が出てきた。
後はディーとダムに大人しくしてもらえればいいだけだ。
「……うーん」
だからどうやってと、また同じところに戻った思考に呻くアリスの目の前を、黒い生き物が通り過ぎる。
その生き物はすばやい動きで壁を登りアリスの目線あたりで止まった。
「わっ……トカゲ?」
トカゲっぽい。
でもヤモリかもしれない。
「あら、今うなずいた?」
気のせいだろうか、アリスの問いかけに反応したような。
よく見ると可愛い……かもしれない。
言葉が分かるならちょうどいいと、アリスはトカゲに話しかけた。
「あなたはリンゴ好き?」
するとトカゲは首を振った。
「え? 嫌いなの? 困ったわね」
でもグレイは人間だし食べてくれるわよね。アリスは気を取り直して尚も問いかける。
「お花はどう? 食べる?」
これにも首を振る。アリスは嫌な予感がした。
「もしかして……虫とか?」
トカゲは頷いた。
勢いよく二回ほど。
「そう……虫なの……」
でもグレイは人間だしね。
でもトカゲなのかしら? ううん、見た目人間だし。
否定しながらもアリスはエリオットのことを思い出してしまう。ピアスやボリスも。
「やっぱり……」
「虫だね。お姉さん」
「うん、間違いないよ。お姉さん」
アリスは突然現れた声に驚いた。
いつの間にかディーとダムが戻ってきていたのた。
驚いて見ているうちにダムは逃げようとするトカゲを掴みあげた。
「あなたたちいつからいたの?」
そんなアリスを嬉しそうに見つめながら、ディーはリンゴを差し出す。
「お姉さんがそこのトカゲに話しかけた辺りかな?」
同じようにダムも可愛く笑って、
「気を付けなよお姉さん。遠目だと壁と会話してるみたいだよ〜」
「……ご忠告どうも」
でもそんなところがいいとか、さすがお姉さんとか言いながら、二人はリンゴを食べ始めた。
アリスは受け取ったリンゴを手に慌てる。
「これグレイに持っていくんじゃなかったの?」
二人はそんなアリスを不思議そうに見る。
「え? リンゴじゃなかったんでしょ? じゃあいらないよこのリンゴ」
「そうだよそうだよ。でもせっかく買ってきたし。お腹すいたしね。お姉さんも食べなよ。これから虫取りだよ」
むしとり……アリスは茫然とその言葉を呟く。
虫取りということは虫を取りに行くことよね。
「ダメダメ! 絶対駄目!」
勢いよく否定したアリスに、ディーは首をかしげる。
「え? どうして? 折角トカゲの好きな食べ物が分かったのに」
同じようにダムも首をかしげる。
「そうだよ。大好物の虫をあげよーよ」
二人の目は本気だ。
「だ、だってさっき言ったでしょ。グレイは虫なんて食べるはずないわよ……」
本当にそうだろうか、もしかしたら……。
アリスの耳にまたエリオットの嬉しそうな声が響く。
『ニンジン〜』
「そんなはず……」
アリスは自信がなくなってきた。
「絶対好きだって!」
「ほら、このトカゲも頷いてるよ〜」
見るとほんとに頷いて見える。
「でも虫よ? 食べてるとこ見たことないわ」
なんとか止めようと試みる。
「お姉さんの前じゃ食べないだけだよ。僕ら見たことあるし。ね? 兄弟?」
「うん。あるある。お姉さんの前じゃ我慢してるんだよ。……食べたいのに」
言われてみれば、いつも耐え忍んでいる顔しか思い浮かばない。アリスは心が痛んだ。
「……わかったわ」
アリスは頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一時間帯後、3人はクローバーの塔にたどり着いた。
ディーとダムそれぞれ持った袋の中には、集めてきたものが入っている。
専らその作業はアリスは見学していたが。
「やっぱり……」
止めたほうがいいんじゃないかなぁと、二人を見ると行く気だ。止まりそうにない。
ほとんど無いにしても、虫を好んで食べる可能性にかけてみるしかない。
(喜ばれてもそれはそれで嫌だけど……)
アリスは塔の中に駆けださんばかりの二人のあとを追って、塔内に入った。
ガランとしたエントランスを抜け階段を上る。
「どこから探す? 手分けして探そうか?」
「いいね! じゃぁ一番に見つけたら……」
なにをするにも遊びに変えてしまうディーとダムを、アリスは慌てて止める。
とてもじゃないが野放しにはできない。
解き放ったが最後、行く先々で悪戯をするに違いない。
「駄目よ。一緒に行きましょう」
きっぱり言うアリスに、二人は仕方ないなぁという顔をする。
「まぁいいや。お姉さん危なっかしいからね。一人にするのも心配だし」
「大丈夫だよ、お姉さん。僕ら一緒にいるよ」
嬉しそうな二人に、アリスはいつも一人で来てるわ!と、言い返しそうになったのをぐっとこらえた。
彼らよりは大人だから。多分。
「……でも、ここも広いから探すの大変ね」
グレイはいつも忙しく働いているので、アリスもたまにしか会えない。
偶然廊下ですれ違うかナイトメアの執務室であえるか……といったところだ。
(そうよね……このまま会えない方向でいってくれれば助かるわ)
そう思いながら、嫌な予感はしていた。
「「あ、いた!」」
二人同時に上がった声を聞いて、やっぱり……と、アリスは肩を落とした。
ディーとダムの視線の先、廊下の向こうから歩いてくるグレイが見えた。
(タイミング良すぎるのよ……)
「どうしたのかしら?」
遠目でも何かあったのかが分かる。
早足で、何かを探しているようだ。
その視線が3人をとらえて、立ち止まる。なぜか、距離を感じる。
「こんにちは、グレイ! 久しぶりね!」
声を張り気味でアリスが声をかけると、
「あぁ。よく来てくれた、アリス」
言葉は優しいが、緊張感が漂っている。
「?」
どうしたのかしら。
ディーとダムのせい?
「珍しいな。3人そろってくるなんて」
それはそうだとアリスは思った。
ディーとダムがいる時点で警戒されそうだ。
グレイのセリフにどう答えたものか思案していると、
「トカゲさんにプレゼント持って来たんだ。ね? お姉さん」
「そうそう。苦労して取ってきたんだよ。ね? お姉さん」
にこにこ笑ってアリスを見上げる。
私にふらないでよと、内心キレながらも、アリスは覚悟を決めた。
「そうなの。グレイはこれが好きって聞いて……」
その言葉でディーとダムがグレイに近づこうとすると、
「待て」
グレイはそれを押しとどめた。
「それは何だ?」
「え? だから今お姉さんが言ったでしょ」
「トカゲさんが喜ぶものだよ」
グレイは、問いかけるようにアリスを見た。
「じゃあ、アリス、ここまで持ってきてくれないか?」
まるで人質の交換のようだ……アリスは思った。
虫の入った箱を抱えてグレイの傍に寄る。
どういう反応をするのか想像出来たが、アリスは何も言えないでいた。
恐る恐る、箱を渡した。
「これよ……」
箱の中からカサカサという音がしている。
グレイにもその音が聞こえたのか、眉間にシワを寄せている。
「アリスが開けてくれないか?」
「えっ! 私が?」
アリスは、複雑な心境だった。
アリスは、虫がそれほど好きではなかった。
箱を開けた瞬間に中から虫が飛んできたらどうしようとドキドキした。
すると、ディーが口を挟んできた。
「駄目だよ! トカゲさんが開けてよ!」
ディーとダムの満面の笑みに何かあると気付いているグレイは慎重で、なかなか箱を触ろうとはしなかった。
焦れたダムが急かした。
「しかたがないな」
このままでは事態が進行しないので、グレイは観念して、箱を開けた。
アリスは、グレイの表情がみるみる内に変わっていくのを間近で見た。
「な、何だこれは!」
「トカゲさんの大好物なんだよね! 僕ら頑張って捕まえたんだよ!」
「そうだよ。早く食べて! 食べて!」
二人はいい事をしたとばかりに満足気な様子だ。
しかし、グレイは箱から虫を取り出すと、外へと放してやった。
「えぇ! なんで食べないの?」
ディーとダムは、不思議そうな顔をして、首を傾げた。
「虫など食べないぞ」
グレイは、冷静に反論すると、アリスを見た。
「どういう事だ、アリス。どうして止めてくれなかったんだ……」
「ごめんなさい! そうよね、食べないわよね」
来る途中に出会ったトカゲの話をしたのだが、グレイはやはり食べないと言った。
グレイは、疲れきった顔をしていた。
「あっ! そうだわ」
アリスは、話題を変えようと、先程グレイが話し掛けて来た事を思い出した。
「そういえば、何か私に用事があったんじゃないの?」
「そうだった。ナイトメア様を捜しているんだが、見なかったか?」
「ナイトメアを? 見ていないわ」
アリスの返事に残念そうに目を伏せた。
「そうか。アリスなら知っているかと思ったが。他を捜す事にするよ」
そう言うと、ふらふらしながら歩いて行った。
「あの様子じゃグレイの方が倒れそうね」
グレイの役に立てなくて、申し訳ない気分になる。
「あ〜あ、行っちゃった。折角可愛がってあげようとしたのにね」
「そうだね。つまらないなぁ」
ディーとダムは、ふてくされた顔をしている。
「もう疲れてきたし、そろそろ帰らない?」
肉体的というよりは精神的にアリスは疲れてきた。
「えー、何言ってるの? お姉さん」
「まだ可愛がっていない動物がいるのに……」
ディーとダムは、まだやる気満々で、アリスの手を引っ張った。
(どうやったら言う事を聞いてくれるかしら?)
アリスが必死に考えている間、ディーとダムはどこに行こうか仲良く相談している。
すると、聞き覚えのある声がした。
「何をやってんだ? アリス」
「ボリス!」
ボリスの顔を見た途端、アリスはホッとした。
(ボリスなら助けてくれるかもしれないわ)
「あっ! 猫だ、猫」
「本当だ! 猫がいた!」
「???」
ボリスは、どんな状況なのか理解に苦しんだ。
「尻尾切るんだっけ?」
と、ディーがまた恐ろしい事を言うので、アリスは力いっぱい否定した。
「違うって言ったでしょう!」
「あっ、そうだった」
思い出してくれたと、胸を撫で下ろしたのも束の間、二人はとんでもない事を言い出した。
「猫の好物は、ネズミだよね!」
「ネズミを捕まえないとね!」
「ネズミってまさか……」
ネズミと聞いて頭に浮かんだのは、ピアスだ。
(まさかピアスを捕まえる気じゃ……)
アリスの予想通り、ディーとダムはピアスを捜しに行こうと言い出した。
「何かよく分からないけど、ピアスを捕まえに行くのか?」
ボリスは、嬉しそうな顔をしている。
ボリスなら何とかしてくれると思ったのに、アリスの思惑とは反対に事態は悪化に向かっている気がする。
確かにボリスと双子達は、同じ目標に向かい仲良くなったのかもしれないが、ピアスを捕まえるなんて。
「ピアスを捕まえるなんて駄目よ!」
ディーとダム、それにボリスは聞く耳を持たず、どうやって捕まえようかと盛り上がっている。
(こんな事になるなんて……)
もし、ピアスを捕まえても、食べるなんて実際にしないと思う。
確かに追いかけて、捕まえようとするが、あれはじゃれているだけだと思っている。
(そうよ! いくらボリスでも食べたりしないわ)
そう自分に言い聞かせて、三人の後について行った。
===== あとがき ===
2010年12月発行の「子供と動物の本」です。
岬さん、深紅さん+私のリレー形式です。
双子と一緒に動物愛護。
もうちょっと続きます。