お風呂戦争








「アリス! 今日こそは、風呂に入ってもらうからな!」
「……はい?」



◆ ◆ ◆



この話は、少し前に溯る。

エリオットに『タオルを持ってきてくれ』と頼まれ、アリスが向かった先は浴室だった。しかも、当の本人は入浴中だった。
幸い、肝心なところはタオルで隠されてはいたが――セミヌードでさえ、年頃の娘にとっては目の毒以外の何物でもない。

これは新手のセクハラか、と身構えたが、そうでもないらしい。

エリオットは平然としていた。
平然と、アリスに向かって「一緒に入ろう」とのたまったのだ。

アリスはその時、エリオットは露出狂か変態か何かだ、と心から思ったものだ。
もちろん、丁重にお断り申し上げたのだが。

第一、応じる理由がアリスにはない。
ましてや異性と入浴だなんて、淑女にあるまじき行為だ。淑女でなくたって遠慮したい。
その上、付き合ってもない異性から誘われた、なんて貞淑な姉に知れたら、彼女はきっと卒倒してしまうだろう。

そもそも、誘うほうがおかしい。
そうアリスは、エリオットに畳み掛けた。

彼が「ほら早く」と手を伸ばしてきたから、アリスの焦りは最高潮に達していた。
恥ずかしさも手伝って、やや早口にはなっていたが、きちんと論理的に説明した――説明できたつもりだ。

それなのに、その理屈はエリオットには通じなかった。

嫌がるアリスを見て、エリオットは「理解できない」とでも言いたそうにしていた。
そうしてエリオットは、自分でひとつの結論を導き出した。

あろうことか、アリスは風呂嫌いだと誤解したのだ。
アリスの努力は、徒労に終わった。

以後、エリオットは、ことあるごとにアリスに入浴を勧めてくるようになった。そうして今に至る。


「なあなあ、アリスー。風呂、一緒に入らねえ? 俺が背中流してやるからさー」
「嫌」


アリスは、すっぱりとエリオットの要求を突っぱねた。


「あのね、エリオット」


今まで何度も何度も何度も繰り返して言った言葉を、もう一度口にする。


「私、お風呂は嫌いじゃないわ。むしろ好きな方よ。ちゃんと入ってる。だから遠慮しておく」


彼が理解してくれるまで、何度だって言うつもりだ。
けれど、今回もエリオットの理解は得られなかった。


「えー。アリス、嘘ついてねえ? 入りたくないって言ったじゃねえか」
「あんたと入るのが嫌だって言ってるの!」


何処をどういう風に曲解すれば、そんな見当違いの結論に達するのだろう。
せっかく立派な耳がついているというのに、人の話を全く聞いていない。そこが難点だ。


「そりゃまあ、ガキじゃないんだし、一人で入れるだろうけど……あんた、俺が嫌いなのか?」


案の定、エリオットはものすごく悲しそうな顔をした。
長い耳が、力なく垂れ下がっていく。

アリスの主張は間違っていない。
なのに、どうして罪悪感が芽生えるのだろう。
主に、エリオットの頭上にある物体のせいに違いない。


(うう、いじめてる気分……)


被害者は、明らかにアリスのほうだ。
アリスは言葉に詰まったが、アリスとて、ここで引くわけにはいかなかった。


「嫌いとか好きとか、そういう次元の話じゃないと思う」
「だって俺、ブラッドとかよく一緒に入るぜ? あんただって、俺の大事な友達だし」
「……」


遠まわしに言ってはみたが、エリオットは真意を理解していないらしく、表情が晴れない。
誰か、この兎に性差というものを教えてやって欲しい。


(別に、変な意味はないんだろうけど)


エリオットの言葉に、やましさはない。けれど、無自覚だからこそ性質が悪い。


(なんだか、私に下心があるみたいじゃないの)


無論、アリスにだって、やましい気持ちなどない。

そこは誓ってもいい。
嫌だと思うのは、乙女として至極自然なことだ。

もしかして、この世界ではエリオットのほうが自然なのではないだろうか?

話の通じなさから、そう思ったこともある。
だからといって、青年と一緒に入浴していいなんてことは、万に一つもないのだが。

それにきっと、アリスの感覚が狂っているわけではない。
間違っていない、と思う。正常な乙女の反応だ。

ただ、エリオットは理解してくれないだけで。


(……うー)


まさか、そういう事も、事細かにアリスの口から説明しなければならないのだろうか。どんな羞恥プレイだ。
アリスがエリオットの対応に困り果てていると、背後から呆れたような声が飛んできた。


「馬鹿ウサギ、何を絡んでるのさ。お姉さんが困ってるだろ? やめなよ、見苦しい」
「お姉さんは優しいから、逃げられなくなってるんじゃないかな? 兄弟。お姉さん、律儀にそんな奴の相手しなくてもいいよ」


振り向けば、いつの間にかディーとダムが立っていた。
アリスと視線がかち合うと、二人はにこりと微笑み返してくる。


「助けてあげようか? お姉さん。タダでいいよ」


ダムの言葉に、ディーも頷いて同意の意を表す。


「困ってる? 困ってるよね。僕らが助けてあげるよ、お姉さん」


この時、アリスの目には、ディーとダムが天使に見えたのだ。

なんていい子なんだろう、とアリスは一人静かに感動した。
こんなに二人の存在をありがたいと感じたのは、初めてのことだ。積極的に助けてもらおう。

アリスが口を開いたと同時に、エリオットがあっけらかんと言い放った。


「あのね、エリオットが」
「それがなー、アリスが風呂嫌いなんだよ」
「は?」


エリオットの一言を聞いた二人は、揃って眉を顰めた。


「お姉さんが、風呂嫌い……それで? その事とお前と、何の関係があるの?」


問いかけるディーの口調が、やや冷たい。

それも尤もな反応だ、とアリスは思う。
たとえアリスが風呂嫌いだろうと、エリオットとは何の関係もない。


「俺、この間からずっと一緒に入ろうーって言ってるのに、いっつも嫌だーって言うんだぜ」


数刻、沈黙がおりた。
ディーとダムの口元が、僅かにひきつっている。


「……」


双子は、揃って深いため息を吐いた。

何を言っているんだろう、この馬鹿は。

双子の視線が、そう物語っている。
心なしか、見つめる視線には、哀れみすら混じっているような気がする。


「……まさか、こいつがここまで馬鹿だとは思わなかったよ、兄弟」
「僕もだよ。思ったよりも救いようがないね……どうしようか、兄弟」


双子は、ヒソヒソと小声で囁きあった。


(そうそう、そうよね。それが普通よ)


それにしても、ディーとダムがまともでよかった。
やはり自分は間違っていなかったのだ、とアリスがホッとしたのも束の間。

ディーとダムは、いきなり表情をガラリと変えた。


「……へー、そうなんだ。お姉さん、お風呂嫌いなの?」
「え」
「知らなかったー。僕らもあんまり好きじゃないんだ。一緒だね」


まさか、救世主だと信じた二人まで話に乗っかってくるとは、予想だにしていなかった。
咄嗟に思考を切り替えることができず、ただ固まる。

ディーは、見せつけるかのように、アリスの腕に身を絡ませてきた。
ちらりとエリオットを一瞥し、意味ありげな嘲笑を彼に投げかける。


「じゃあさ、お姉さん。今度、僕らと一緒に入る? 僕、お姉さんとなら、一緒に入ってもいいよ」
「な、何っ……」
「だって、ひよこウサギは嫌なんでしょ? でも、僕らは仲良しだからいいよねー」
「よくない」


アリスの思考回路が、ようやくまともになった。即座にしっかり却下する。
ここで曖昧な反応を見せると、つけ入られる恐れがあった。

すると、ダムは不満そうに口を尖らせた。
上目遣いになり、甘えた声で、アリスを見上げる。


「えー。ひよこウサギは大人だけど、僕らはまだ子供だもん。お姉さんと一緒に入ってもおかしくないよね?」
「全然おかしくないよ。子供は一緒に入ってもいいでしょう? お姉さん」
「子供はいいと思うけど……あんた達は育ちすぎてるわよ」


異性と入浴して許される年齢は、二人ともとっくに過ぎている。
ましてや、そんな可愛い事態だとは到底思えない。

アリスが跳ね除けると、ディーとダムは首を傾げて「うーん」としばし考え込んだ。
所作だけは非常に可愛らしいのだが、そこで騙されてはいけない。
うっかりほだされて、今まで何度痛い目にあったことか、と、アリスは自身を落ち着かせた。


「そう? 僕ら、育ちすぎかなぁ……見たい? お姉さん」
「ふふ。見てみたいの? お姉さんなら、タダで見てもいいよ」


何をだ。


「見たくないから遠慮しとく」


アリスは努めて冷静を装い、そっけなく答えた。
ずきずきと頭が痛み始めてくる。

無意識のエリオットよりも、この双子のほうが意図的な分、立派なセクハラだと言っていい。
言葉の端々にもにじみ出ているし、何より、視線の種類がまるで違う。

時々、ディーとダムがまだ子供だということを忘れそうになる。悪い意味で。


「って、お前ら! 俺が先にアリスを誘ったんだぜ? 何を割り込んできてやがるんだ!」


たまりかねたエリオットが、横から口を挟んできた。

この場面で、アリスは選択に迷った。

一体、どちらに助けを求めたらいいのだろう。

ディーとダムに傾けば、非常にまずい流れになりそうだ。
かといって、エリオットに傾くわけにもいかない。

ディーとダムは鼻で笑う。


「うるさいな。お前は大人なんだから、我慢しなよ」
「というかさ、それってセクハラだよね。堕ちたねー、ひよこウサギ」
「セクハラ!? 何処がっ!?」


エリオットはぎょっとして目を瞠った。焦るあまり、声が上擦っている。
ディーは、心底あきれたように息をついた。
まだ理解していないようだから、仕方がないから説明してあげる、と真っ向から切り出す。


「全部だよ、全部。嫌がるお姉さんと一緒に、無理矢理お風呂に入ろうとしてるんだろ? お前。そんなのセクハラに決まってる。馬鹿じゃないの?」
「あんたみたいな図体のでかいのが、お姉さんに向かって一緒にお風呂に入ろうぜーなんて誘うこと自体、立派なセクハラだろ」
「……」


歯に衣着せぬ言いようだが、事実その通りなのだから、アリスもフォローの仕様がない。
双子にストレートに言われて、やっと己の言動を理解したのか、エリオットは愕然としている。


(あ、ショック受けてる)


このくらい真正面から言わなければいけなかったのか、とアリスはひとつ学んだ。
エリオット相手に、回りくどい言い回しは必要なかったようだ。むしろ、曲解を生む原因になる。
今後は気をつけよう、とアリスは密かに決心した。

不意に、グッと腕を引かれた。
見れば、ダムの手が、そっとアリスの腕を絡め取っている。
エリオットを完膚なきまでに看破できたせいか、二人はどこか機嫌がよさそうだ。アリスと目が合うと、にっこりと微笑む。


「じゃあ行こっか、お姉さん」


アリスは首を傾げた。
何処かへ行く約束でもしていたっけ、と思い、それはないと自ら考えを打ち消した。

じっくり考えてみたが、アリスには分からなかった。
話の流れで、彼らと一緒に何処かに行く、ということにもなっていない筈だ。

双子はニコニコと笑っている。
その笑顔を見ていると、アリスの胸の奥が、悪い予感でざわめいた。


「ん? 何処へ?」
「お風呂だよ、お風呂」


さも当然のこと、とばかりに、ダムは終止笑顔のまま答えた。
二人は、そっくり同じ笑顔で、アリスににじり寄る。


「お風呂の話をしてたら、なんか僕らも入りたくなっちゃったー。いいよね、お姉さん。一緒に入ろう」
「いいわけあるか」


害のなさそうな顔をしてみせているが、この二人だ。邪気がないはずがないではないか。


「運良く僕らは休憩時間だし、ちょっと気分転換したかったんだー。気分転換にお風呂はもってこいだよね」


ディーとダムは、アリスの腕をがっちり掴んで離さない。逃すつもりはなさそうだ。

頼むから、気分転換は二人だけでしてきて欲しい。
他人の話を全く聞かない人が、ここにも居た。
当のアリスを置き去りに、二人でどんどん話を進めていく。


「エリオットッ……」


このままでは、引きずられてしまう――焦ったアリスは、急いで背後を振り返った。


「……エリオット?」


救いの視線を向けたものの、エリオットの様子がおかしい。
アリスの訝しげな声に、双子も、何事かと視線をエリオットへ移す。

エリオットは石のように固まったまま、俯きがちに、ただ呆然とその場に突っ立っていた。


「ん? おーい。どうしたのさ、馬鹿ウサギ」
「とうとう頭でも壊れたの?」


非常にわかり辛いが、双子も一応、エリオットの異変をすこし心配に思ったらしい。彼らなりに、だが。

けれど、エリオットの反応はない。
エリオットは視線も上げずに、呆然と一言、呟いた。


「……セクハラ……」


その途端に、双子とアリスの気が抜けた。


「……まだ悩んでたの、馬鹿だねー」


ダムの心からの呟きに、うっかりアリスも同意しそうになった。


「馬鹿は放っておいて、行こうよ。お姉さん」


アリスを掴んでいる手に、一層の力が込められる。
一対一でも難しいのに、二対一では、まともに抵抗できるはずがない。
しかも相手は、アリスよりも何枚も上手な双子だ。一人で切り抜けようだなんて無謀すぎる。

アリスはいよいよ青くなった。このままでは、非常によくないことになる。


「行かない! 行かないから! ま、待って、ディー、ダムッ……エリオット! エリオットってば!」


名前を連呼すると、やっとエリオットは顔を上げた。


「ん……どうした?」


そして、まさに今、アリスが双子に連行されてそうになっているのを知り、目を瞠る。


「僕ら、お姉さんと一緒にお風呂に行くんだよ」
「うんうん。一緒に入るんだ。邪魔しないでよね」


ディーとダムがニヤニヤと笑う。


「んだとっ!? って、あんたもあんただ! ちょっと警戒心薄すぎだぜ!? こいつら、ガキ装ってるけど」
「嫌だって言ってるってば!」


アリスは思わず怒鳴り返した。
誰がいつ好んでついて行こうとしているというのか。

アリスに怒鳴られて、エリオットは怯んだ。


「そ、そうか……アリスをはなせよ、お前ら」


エリオットの声には、驚くほど凄みがきいている。
紫の双眸が針のように険しくなり、アリスはギクリとした。
だが、そんなエリオットには慣れっこなのか、ディーとダムは一笑した。


「やだね」
「ふん、羨ましいの?」


忌々しいガキだ、とエリオットは舌打ちした。
苦い顔つきで、ディーとダムを冷たく見下ろす。


「いい加減にしねえと、撃つぜ」
「やれるもんならやってみろよ!」
「ほんっと馬鹿だよね。ばーか! そのままお姉さんに嫌われとけよ!」
「俺はアリスに嫌われてねえ! 嫌われてるのはお前らだろうが! ったく、口だけは達者だな。一人前ぶってんじゃねえよ!」


ディーとダムの顔色が変わった。


「……なん、だって?」


ディーが低く呟く。青い瞳が、スウッと細められた。

二人は、やっとアリスの腕を離した。
場の空気が、底なしに冷える。
呼吸さえもためらうような空気の中、アリスの背筋に冷や汗が一筋、流れ落ちた。


「ちょ、ちょっと……ディー?」


慌てて制止しようとするも、すでにその耳には届いていないようだ。
ディーとダムは、射殺さんばかりにエリオットを睨みつけながら、素早い動作で斧を構えた。


「そのウザい耳、綺麗に切ってやるよ。そうしたら、少しは見られるんじゃない?」
「できるもんならやってみろよ」


ディーとダムは、薄く冷たい笑みを浮かべながら、斧の切っ先をエリオットに突きつけた。
すかさずエリオットも銃を手にし、臨戦態勢に入る。
双方の視線の間に飛び散る青白い火花が、アリスにも見えたような気がした。


「エ、エリオット。落ち着いて」


アリスは、おそるおそるエリオットに声をかけた。

ディーとダムを止めることは、不可能とみた。
ならばせめて、エリオットの方を止めなければ。

ああでも、エリオットも聞いてくれなければ、一体どうしたら――。

ぐるぐる思考を巡らせていると、エリオットは、アリスの方へ顔を向けた。
アリスを見て、視線を和らげる。

ああ、よかった。
エリオットは聞いてくれた――と、アリスは安心したのだが、すぐに覆された。


「ああ、ちょっと待っててくれ。すぐ終わる」


柔和な視線になった、と思ったのも僅かのことで、再びエリオットの顔つきが険しくなる。
エリオットが、双子に負けず劣らず激昂しやすいことを、アリスはうっかり失念していた。


「へーえ。すぐなんだってさ、兄弟」
「なめられたものだねー、兄弟。すぐ終わるのはそっちなんじゃないの?」


くすくすくす、と双子は、さも可笑しそうに笑う。
口元は笑っているが、その瞳は爛々としており、異様な光を宿している。

まるで悪魔の微笑みだ、とアリスは寒気を覚えた。体が自然と緊張しているのがわかる。


「へらず口は、そこまでにしとけよ。負けたときに無様だぜ」


エリオットとて、気迫で負けはしない。
当然のように、エリオットも挑発で返す。その顔に表情はない。

双子の殺気をものともしていないことに、アリスは感心した。アリスなら倒れる。

空気が、みるみる尖っていく。
しばし視線をぶつかり合わせた後、三人の顔から、すうっと笑顔が消えた。
次いで、耳をつんざくような轟音がして、アリスは反射的に耳を押さえた。
銃弾と金属音が飛び交い、窓ガラスは割れ、周囲はその名の通り戦場と化した。


「なんだ〜、エリオット様たちか〜」
「またですかぁ〜」
「あ、あなた達……」
「あら、お嬢さま、ここにいると〜危ないですよ〜。ひとまず放っておいて、別の場所に行きましょう〜」


騒音を聞き駆けつけた使用人たちは、争っているのが己の上司だと知ると、踵を返して立ち去っていった。


「……」


皆、止める気は全くないらしい。
むしろ、彼らに止めろというほうが無茶だ。
そんなことをしたら、更に機嫌を悪化させるだけでは済まない。
彼らは、顔なしを殺めることに躊躇いがないのだ。


「ほら、行きましょう〜〜」
「そのうち治まりますよ〜」


気が済めば終わるだろう、と、端で固まるアリスを避難させながら、メイドの一人はのんびりと呟いた。
後片付けが面倒くさいから、何処か別の場所でやって欲しかった、と悠長な愚痴をこぼしながら。
そして、入浴どころではなくなった。
 


◆ ◆ ◆



それは、単なるいつもの喧嘩のようなもの。すぐに終わるだろう、と皆が思っていたこの諍いは、なかなか収束しなかった。

小競り合いでは話が終わらなかったのだ。
唐突に勃発したこの戦争は、それから十回ほど時間帯が変わるまで続いた。
まさにアクション映画さながらの攻防戦だった。


(ああ、マフィアなんだなー……)


そんな気の抜けた感想を、アリスが改めて抱いたほどに。
火種となった理由を思えば、しょうもないというか、少々間抜けでもあるが。

双子は、かかったら確実に死に致るような罠を屋敷のあちこち仕掛けては、使用人たちを大いに困らせた。
一応、アリスには、危険だから一人では出歩かないように、とのありがたくない忠告を寄越した。
おかげで、諍いの間中、アリスは自分の部屋に閉じこもるしかなかった。
屋敷内の移動も制限され、移動しなければならない時は必ず、メイドの誰かが付き添ってくれていた。

エリオットは一見、防戦に徹しているように見えた。
けれど、応戦しながらではあるが、隙あらば撃とうとしていたし、銃の照準は明らかに頭を狙っていた。
殺る気は、エリオットにも十二分にあったように思う。

帽子屋ファミリーの重鎮同士の争いは、周囲にまで影響を及ぼした。

とばっちりは勿論、彼らの部下たちにかかってくる。
襲撃の手段は己だけに留まらず、各々の部下を使って相手を攻撃させるのだから、使われる身としては迷惑極まりない話だ。
しかも、その相手が敵対しているならともかく、彼らは同勢力だというのに。

不毛にも程がある。

けれど、悲しいかな、役持ちの命令には絶対的に従うしか術はない。
疲れ果てた部下たちは、頼むからこの争いを止めてくれ、とアリスに泣きついてきた。

アリスが粘り強く説得し、きちんと仲裁できるまで、更に三時間帯が必要だった。
しかも、ブラッドの手を借りて、やっと和解にこぎつけたのだ。

怒りに我を忘れていても、双方ともに、さすがにブラッドの言うことは聞きいれる余地があった。

この諍いを面白がって、全く止めようとしなかったブラッドを、表に引きずり出すこと。
そこに、アリスは一番労力を費やした。

だるだる〜っとしたブラッドを動かすのは、一筋縄ではいかなかった。
あまりの動く気のなさっぷりに挫けそうになったアリスは、ビバルディのもとへ走った。
アリスは、今まで貯蓄していた給金の全てを費やし、ビバルディのアドバイスのもと、大量に購入した茶葉を、彼に献上した。

そうする事で、ようやくブラッドは重い腰をあげてくれたのだ。
気だるい姿勢は崩さないまま、だったけれど。


『お嬢さんの努力は買うよ。一言分なら動いてあげよう』


自分の努力は一言分か、とブラッドを詰りたくもなったが、アリスは我慢した。


(一言、だったけどね)


アリスは、ふっと遠い目になった。
まさか、ブラッドの『お前たち、いい加減にしろ』の一言で、事が片付くとは思わなかった。


(そんな簡単なことで終わるんなら、早く動いてくれればよかったのに)


ぶちぶちと不平を思いながら、アリスは小さくため息をついた。
きっと、簡単に事が終わることを、ブラッドは分かっていたのだろう。
エリオットや双子との付き合いも長いし、行動パターンも熟知している筈だ。
だから、あっさり傍観を決め込んでいたのかもしれない。


(もう少し早かったら)


怪我は少なかったかもしれないのに、とアリスは不満に思う。
諍いの結果、双子もエリオットも、無傷とはいかなかった。双方ともに、所々に傷を負っていた。


(けど、かすり傷ですんじゃうのか……あれで)


負傷といっても、擦り傷や切り傷がほとんどだ。
痣になっているところもあるが、たいしたダメージではないらしい。
ああも激しい攻防だったというのに、互いの怪我は、取っ組み合いの喧嘩をした程度に留まっている。

周囲の被害は、殊更深刻なものとなってしまったが。
実際は、何人も死人が出てしまった。怪我どころの話ではない。


(浮かばれない……)


巻き込まれてしまった彼らを思うと、涙を誘う。
彼らに申し訳ないから、もっとちゃんと怪我を負ってなさいよ、とあんまりな事さえ思ってしまう。それほど、彼らの傷は軽いのだ。

たくましいな、とアリスは思う。
たくましいレベルは超えているようにも思うが。
アリスは、一生かかっても辿りつけないだろう。


「……はぁ。エリオットも、あんなことで怒らないの。大人気ない」


傷の手当てをしてやりながら、まだふてくされているエリオットをやんわりと諌めた。
大人気ない自覚はあったのか、エリオットはばつが悪そうな顔をしている。


「う……だ、だってよ」
「何よ?」


エリオットは言い訳がましく、アリスの顔を見上げてきた。
落ち込んでいるのか、その耳は垂れ下がっている。


「あんた、俺とは一緒に入ってくれないんだろ?」


再三アリスに断られた挙句、双子には横槍を入れられ、エリオットはすっかり拗ねてしまったようだ。

エリオットは、いじいじとむくれている。
そんなことをしても、図体が大きいので、ちっとも可愛くない。

そう思いきや、意外とアリスには有効だった。
なんて可愛い人なんだろう、と、うっかりほだされそうになる。


「エリオット……あのね」
「な、何だよ?」


更に言葉で追撃されると思ったのか、エリオットはやや身構えた。


「あんたと一緒には入らない。けど」


あるいは。

アリスは、口に出しかけた言葉を、小さなため息に変えて吐き出す。


「……ま、今はね」


そう遠くない将来、一緒に入っているかもしれない。
薄々だが、そんな予感がしている。

けれど、今はまだ。

まだ、それを口にしていい時期ではない。
だから、この予感は、アリスの胸だけにしまっておくことにする。



◆ ◆ ◆



「……ってことがあったなー」
「あったわね」


仲良くピンク色の湯船に浸かりながら、エリオットとアリスは、互いにしみじみと呟いた。
あれからしばらくして、二人は正式にお付き合いを始めることになった。やや強制的ではあったが、この展開に概ね不満はない。

アリスは、改めてエリオットに聞いてみた。


「……今は、あの時私が断ってた理由、わかってる?」
「ああ、勿論だ」


頷きながら、エリオットは苦笑した。


「男友達のノリで誘われても困るのよ」
「わ、悪い」


あの時に口にできなかった分、今取り戻すかのように、アリスはチクチクと攻撃した。


「私、ぜんっぜん好みの範囲外だったってことねー」
「う……」


エリオットは言葉に詰まった。

つまりは、そういう事なのだ。
エリオットはアリスの事を、女性としてみていなかった。だからこそ、あんな言動がとれた。

そう思うと、虚しいものがある。
自分が女性として魅力的ではなかったと思い知るのは、少し悲しい。


(まあ、言動も可愛くはなかったけど)


アリスの落ち込みを察したのか、エリオットは慌てて弁解し始めた。


「でも、今は違うぜ! 今はちゃんと、あんたのこと、女として見てぶわっ!?」


とんでもないことを口走りかけたエリオットに向かって、アリスは思い切り湯をかぶせた。


「ひ、ひど……酷いぜ、アリス!」
「うるさい。恥ずかしいこと言う方が悪い」


自業自得だ。
頬を染めながら憮然と言い切ると、エリオットは不思議そうに首をひねった。


「恥ずかしい? そうか?」
「そうよ」
「んー、そうかな……?」


エリオットとアリスでは、恥ずかしさの基準が違うのだろう。
オープンなエリオットに、そこまでの配慮を求めるのは酷かもしれない。
けれど、アリスとしては、そこは努力して欲しいところだ。

やんわりと肩を抱かれ、アリスはエリオットの顔を見上げた。


「なあなあ。あんたは俺のこと、最初から男として見てた?」
「そりゃ、まあね」


兎として見ていたかったのだが、エリオットは兎というよりも人だ。
しかも図体がでかい上、男性らしさは十分にある。
自然、アリスの頭は、エリオットを一人の異性と認識していた。

――まさか、恋人になるとは思ってもみなかったけれど。


「俺のこと、好みだったか?」
「そうね、好みだったわ。エリオットは格好良いし」


性格はさておき、まず顔がいいという時点で、十分にアリスの好みの範疇だった。面食いだという自覚はある。

性格はというと――エリオットは真っ直ぐすぎて、やや苦手だと思っていた。
自分にはない物を、エリオットは持っている。
彼の純粋さが、時々、羨ましくてたまらない。


「そっか」


気をよくしたエリオットは、満足そうに笑う。
エリオットが嬉しそうなので、アリスの心も柔らかく緩んだ。


(いい気持ちー)


広いお風呂は、それだけで気持ちがいいものだ。
ピンク色の湯は香りもいい。ほんのりと薔薇の香がする。長く入っていても、匂いには酔わない。


(それにしても、不思議な感じ)


耳のついたお兄さんと一緒に、マフィアの屋敷でお風呂に入っている。

二番目の恋愛相手は、兎さんだった。
そう冷静に現状を考えてみると、何となく自分の中にある壁を乗り越えたような気さえする。


「アリス」


エリオットにそっと顔を上向かされ、唇が重なる。
軽く音を立てながら何度も繰り返すうち、だんだんと深いものになる。

アリスはふっと息を吐いた。唇が名残を惜しむように、ゆっくりと離される。
やっと離れたと思ったら、今度はぐっと腰を引き寄せられた。アリスは当惑の表情を浮かべた。


「え」


何となくこうなる予感はしていたが、まさかそんな。
いやいや、そこまで節操がないわけではないよね、とアリスは恐る恐るエリオットに声をかけた。


「エリオット、何を」
「何って……それ、この状態で聞くのか?」
「この状態、って」


どんな状態だと?
アリスの疑念は顔に出ていたらしく、エリオットは徐にアリスの手を取った。そのまま、自分の方へ引き寄せる。


「ほら」
「!」


アリスは勢いよく手を引き抜いた。


(い、今、なんか触っ……)


何かというか、確実にあれだ。
エリオットは、硬くなっているモノをアリスに握らせた。

アリスは耳まで真っ赤になりながら、エリオットを睨みつけた。

乙女に向かって何て事をするのだ、この男は。


「こ、この、変質者ッ!」


仕返しとばかりに怒鳴りつけると、エリオットは目に見えて狼狽した。


「変質……ひ、ひど……って、その変質者と一緒に風呂はいってるあんたは何なんだよ!?」
「私は正常よ!」


アリスがばっさり切って捨てると、エリオットは負けじと言い返してきた。


「俺だって正常だ! だからこうなってるんだろ!? 普通だって!」
「え」
「好きな女と、こうして一緒にいるんだ。別に起ってもおかしくねえだろ。俺だって男なんだから。普通だって、ふーつーう」
「……」


そんなことを言われても、男ではないアリスには判断がつかない。けれど、返す言葉がない。


「何度も見てるくせに……ぐわっ!」
「……」


ニヤリと笑うその顔が気に食わなかったので、アリスは無言で、エリオットに大量の湯を浴びせかけた。
湯はエリオットの気管にクリーンヒットしたらしく、エリオットは本気で苦しそうにゲホゴホとむせている。
けれど、罪悪感は全く芽生えない。ざまあみろ、と横目で睨む。

だが、それでもエリオットは挫けなかった。
喉が回復した後、気を取り直して、アリスとの距離を詰めてくる。


「あんたは可愛いよ、本当」


言いながら、大きな手がアリスの足に触れた。


「……え、ちょっと、本当に?」


ここでするのか。そう視線で訴えかける。


「ん? うん」


エリオットは、当然、とばかりに頷いた。
慌ててエリオットの胸を押し返すも、エリオットは頑として引かない。


「ちょ、ちょっと、待って! 誰かに見られたらどうすんのよ!」


もしも――最中に、ブラッドや双子に遭遇してしまったら。

そんな恐ろしいことになったら、もう二度と顔を合わせられなくなる。
住み慣れた帽子屋屋敷からも、離れなければならない。アリスは青ざめた。

けれど、エリオットは気にも留めず、アリスの頬に手を触れた。


「誰も来ねえって。ブラッドは外出してるし、ガキ共には山ほど仕事を与えてきた。しばらくは動けねえ筈だ」


エリオットは周到だった。


「じゅ、準備がいいのね……って」


もしかしなくても、エリオットは最初からそのつもりだったのではないか。そう勘繰ってしまいたくなる。


「……それ、サボるんじゃないの?」


元々、仕事熱心とは言い難い子供たちだ。仕事量と、気力の低下スピードは比例する。
双子の性格を考えても、彼らが大人しく仕事に従事するとは思えない。むしろ、放棄する可能性のほうが高い。


「いいから、こっちだけ考えてくれよ」
「ん……」


よくない。
よくないのに、アリスの思考は強制的に途切れた。

エリオットの手が、アリスの中に潜む熱を、巧みに起こしていく。
アリスは早々に抵抗を諦めると、エリオットに身を任せることにした。


(本気で逃げない私も私だわ)


アリスが本気で逃げ腰ではないから、エリオットも詰めてくるのだ。

けれど、そこには目をつぶることにした。
この恥ずかしい所業も『エリオットが強引だった』と何だかんだ理由をつけさせて貰おう。


(性格が悪いわ)


それでいい、とエリオットが笑うから。
エリオットが甘いから、アリスはそのままでいられる。


「エリオット……っ」
「ん。気持ちいいか」


エリオットはアリスのことを、壊れ物を扱うようにそっと触れてくれる。大事にしてくれているのだ、とアリスにも実感できる。

だからアリスは、安心して身を委ねることができる。
ちゃぷん、と湯が揺れた。荒い吐息と水音だけが、二人の耳に届く。
エリオットはアリスの些細な表情も見逃すまいと、瞬きすら忘れたかのように、アリスを見つめている。

見られている、と思うと、途端に気恥ずかしさでいっぱいになる。
エリオットはアリスの足を開かせると、ゆっくりと深く体を沈めていく。アリスはエリオットの背に手を回すと、思いきりしがみついた。


(うう、来たっ……!)


アリスは固く目を閉じた。この、体の奥までこじ開けられるような感覚が、好きではない。
もとい、未だに慣れない。苦しい方が圧倒的に勝っていた。

エリオットはアリスの様子を観察しながら、喉の奥でクッと笑った。


「あんたの耐えてる顔、イイな。もっと見たい」


奥まで突き立てたまま、エリオットは動かない。


「ば、馬鹿なことっ……はや、く」


早く終わって欲しい。
アリスが苦しさに身をよじりながら言うと、エリオットは薄い笑みを浮かべた。悪党の笑みだ。


「早く……何?」


エリオットは、何かサディスティックな楽しみを見出しているのではなかろうか、と時折感じることがある。
最初の時よりは、エリオットにも余裕が生まれているようだ。行為を楽しむ余裕を、アリスに見せてくる。

アリスは好き勝手に翻弄され、必死だというのに。
ずるい、とアリスはエリオットを軽く睨んだ。

初めて彼と体を重ねた時は、二人ともが、何だか気が焦って仕方なかったのだ。
あの時見せた殊勝さは、一体何処へ行ったのだろう。

アリスが睨むと、エリオットは眼差しを変えた。
愛しくてたまらない、と彼の視線が訴える。

まともに受けてしまったアリスは恥ずかしくなって、視線を逸らした。
エリオットは、愛しそうにアリスの頬に口づけると、手にぐっと力を込めた。アリスの手にも力が入る。
苦しいと思うのも最初のうちで、エリオットに揺さぶられている内に、徐々に体の芯が痺れてくるから不思議だ。
アリスは、エリオットの背に爪を立てた。


(ウサギ、なのに)


どこが兎か、とこんな時は思う。
まるで、内側から喰らわれている気分だ。

聞こえる嬌声が、自分のものだとは思いたくない。
湯の熱すら邪魔だと感じながら、エリオットとアリスは快楽に呑み込まれていった。
相手を貪りつくすような彼との遊戯は、二度三度と続けられた。



◆ ◆ ◆



アリスは、ぐったりとエリオットに寄りかかった。だるくて四肢が動かせない。
頬が赤いのは湯にのぼせたせいなのか、エリオットに酔ったせいなのか。


「……公共の場で、最悪……」


まさか、自分がこんなに節操がないとは思わなかった。


(どうしよう、こんなの)


背徳感もあって、いつもよりもっと――癖になったらどうしてくれるのだ。
エリオットはというと、小憎らしいくらいにカラッとしている。


「そっかー? でも、あんたが気になるなら、後で掃除させとくけど」


軽い言い様に、アリスはつい、殴り飛ばしたくなった。思うだけに留めたが。


「お願い。……お湯の入れ替えもね」
「おう」


アリスに軽く口づけながら、エリオットは笑う。随分と機嫌がいい。


「あー……もう……」


アリスはがくりと項垂れた。
自己嫌悪がむくむくと沸いてくる。理性なんてあったものじゃない。


「嫌だったか? でも、あんただってあんなに」
「それ以上言ったら殴るよ?」
「わ、悪い」


アリスが低く脅すと、エリオットは素直に引き下がった。


「そろそろ出ましょう。頭がくらくらする」
「ん、そうだな」


エリオットは立ち上がると、アリスの体をタオルで包み、抱えあげた。


「何? 歩けるわ」


驚いて抗議の声をあげると、エリオットはふんわりと笑う。


「俺が抱えて行きたいんだ。俺の部屋まで。な?」
「……うん」


エリオットの笑顔には勝てない。
エリオットがこんなに幸せそうならいいか、とアリスは頷いた。

応じている自分も自分だ。
頭まで、ピンク色に汚染されているらしい。


(あーあ……)


イカレた兎に、アリスも狂ってしまった。
なんて幸せなのだろう。


(だから、許してね。姉さん)


エリオットと居ると、乙女の恥じらいというものを、ついつい忘れてしまいそうになる。
慎みだとかそういう瑣末なものは、エリオットには通用しない。

それでも、自然と息ができる。
エリオットの傍でなら、無理することなく、アリスは笑っていられるだろう。


(よく考えたら、勘当ものよね。姉さんも……怒るかな)


はしたないにも程がある。
まあ、そもそもマフィアの恋人だという時点で、きっと姉は心労に倒れてしまうだろうけれど。

親不孝だな、と自分でも思う。
けれど、アリスの頬はただ、幸せに緩む。

結局、アリスが選んだのは兎さんだった。
けれど、エリオット以外の選択肢なんて、きっと最初からなかったのだ。

この可愛い人の隣で、アリスはずっと生きていく。





【お風呂戦争/了】








===== あとがき ===

2008年12月発行『三月兎の名の下に2』より。

シリアスが続いたので、明るいのを挟みたくて。
読んでくださってありがとうございました。