Tellus after - Bridal・Story-
エリオットがアリスにプロポーズをしたのが、数時間帯前のこと。
二人は、一緒の休暇時間になればブラッドに報告に行こう、と約束して、その時は別れた。
そして今。
エリオットとアリスは、揃ってブラッドの部屋を訪ねている。
「ブラッド……あの……」
アリスが歯切れ悪く話を切り出そうとするも、
「俺たち、結婚することになったぜ!」
と、臆さない男・エリオットにあっさり言われてしまったりもした。
微妙に息の合わない結婚報告をした二人をブラッドは一瞥すると、
「やっと言ったのか」
開口一番、それだった。呆れたような彼の物言いに、アリスは面食らった。
てっきり、ブラッドはもっと驚いてくれるかと思ったのに――この反応は、もしかして。
「……知ってたの?」
「ああ」
ブラッドは気だるそうに頷いた。
(なんだ……)
拍子抜けだった。
では、あんなに気負わなくても良かったのか。
ブラッドにどう言えばいいのか、あれから悶々と悩んでいた自分が馬鹿らしい。
「エリオットから、指輪の手配は何処にしたらいいのかと聞かれた時は、度肝を抜かれたが……」
言いながら、ブラッドはじろりとエリオットに視線を向けた。
つられて、アリスもエリオットを見上げる。
すると、エリオットはバツの悪そうな顔をした。
「う……。だってよー、そういうのって俺、全然知らねえし……さすがブラッドだよな!」
「褒めてるのか、それは」
「? 当たり前だろ?」
絶妙に微妙な会話を黙って聞きながら、アリスは別の事を考えていた。
(そっか、エリオット……ブラッドには、相談してたんだ……)
何せ、結婚だ。
エリオットも、色々と悩むことがあったのだろう。
その相談相手がブラッドという点が、納得でもあり、複雑でもあり――。
(……知ってたのなら、教えてくれたって……)
ちょっぴり、ブラッドが恨めしい。
エリオットからプロポーズされそうだった頃、アリスが随分と悩んでいた事をブラッドは知っていた筈だ。
アリスが右往左往していたのを、内心笑っていたのだとしたら――そこまで非情ではないだろうと思うけど――ありえない話ではないから、困る。
「アリス」
名前を呼ばれて、アリスは我に返った。
ブラッドが、真っ直ぐにアリスを見ている。
黙り込んだアリスの胸の内を察したのか、ブラッドは誠実そうな視線を寄越していた。それが実に胡散臭い。
「ひとまず、おめでとうと言わせてくれ」
「ありがとう」
アリスは、はにかみながら答えた。
見知った顔に改めて言われると、何だか照れくさい。
ブラッドは温かく見守る父親のような態度で微笑を浮かべている。
(……あれ? もしかして、本当に喜んでくれてる?)
心から嬉しそうな様子の彼を見て、アリスは内心、驚いた。彼の裏のない微笑みは、滅多にお目にかかれない。
「君が幸せそうで、私も安心したよ。式はいつだ? 結婚式はするんだろう?」
ブラッドは興味深そうに身を乗り出した。
彼が興味を示しているのは、しばらく退屈しのぎが出来るからかもしれない。ふと、そう思った。
(……当たってそうで嫌だな)
嫌な想像をしてしまい、アリスは顔を引きつらせた。
ブラッドは何よりも退屈を嫌う。
部下の結婚をも玩具扱いしたとしても、違和感がない。
素直なエリオットは、腕組みをして考え込んでいる。
「あー、そうか。式か〜〜……そうだな。後でそれも考えような! アリス!」
「そうねー……」
アリスは適当に相槌を打った。
ブラッドの前では、あまり具体的な話はしないようにしよう。
(……エリオットが全部、喋りそうだけどね)
二人の話は、きっとブラッドには筒抜けだ。主に、この長い耳の男のせいで。
(プライバシーって何だろ……エリオットに、べらべら喋らないように言わないとねー……)
今後、全ての二人の生活を、ブラッドに逐一報告しそうで怖い。
いや、エリオットは確実に仕出かしてしまうだろう。
ここは、アリスが先手を打って、エリオットを教育しなくてはいけない。これは、かなり骨が折れそうだ。
エリオットは、思い出したように、ポン、と手を打った。
「そうだ。なあなあ、ブラッド。頼みがあるんだ」
「何だ、エリオット」
アリスが密かにたそがれている間に、エリオットは話を切り出した。
「アリスは、これから俺の部屋に住まわせるつもりなんだけどよ。俺の部屋、もう少し広げていいか?」
背中に哀愁すら漂わせつつあったアリスは、エリオットの言葉にギクリとした。
(……え?)
思わず、エリオットを見やる。
幸せ色を全身に纏うエリオットは、アリスの不安そうな視線には気づかないようだが――。
どうして今、アリスは動揺したのだろう。
自分でもよく分からない。分からないけれど、もやっとする。
「ああ、好きにして構わないぞ」
「ありがとな! ブラッド!」
エリオットは嬉しそうに笑っている。
あんまり嬉しそうなので、口を挟んで水を差すのは躊躇われた。
その代わりに、飛び出しかけた言葉を呑みこんで、アリスは少しだけ俯く。
(……何て言えばいいのか、わからないし)
どろりとした形のない黒いものが、アリスの胸の内に広がっていく。
嫌な気分だ。気持ちが悪くなり、アリスは思わず胸を抑えていた。
「アリス」
呼ばれて、アリスは顔をあげた。
「君がエリオットを選んでくれて、私も嬉しいよ。お嬢さん」
咄嗟に、答える言葉が思い浮かばない。
そうなのか、と返すのも変だし――と、返答に迷ったアリスは、黙って微笑み返した。
「これで名実ともに、君は私たちに属することになるのだから」
ブラッドの表情は、どこか満足そうだし、エリオットは意気揚々と頷いている。
「そうだな! もう、アリスが他の奴らのとこに行く心配もなくなったし」
「……あ」
上機嫌のブラッドとエリオットを眺めながら、アリスはようやく合点がいった。
(そうか……エリオットの妻って、そういうことか)
アリスが帽子屋ファミリーに所属する。
その事が確定的になった、という証でもある。
そういえば、この間からエリオットもテンションが妙だった。
婚約して気分が高揚しているのはアリスとて同じだから、てっきりエリオットもそうなのだと思っていたけれど――どうやら、それだけではないらしい。
アリスが属することを、二人は喜んでいる。
歓迎されているのは有難いと思うし、嬉しい。でも。
「……そうね」
アリスはできるだけ軽く聞こえるように、相槌をうつ。
二人がこんなに嬉しそうな背景には、そういう面も含まれていたのか。
別に、その事に不満はない。ある筈もない。
ただ、別の想いがアリスの中に生まれてしまった。
(これからは、あんまり会いに行けなくなるのかな……)
この世界の人たちに。
「……」
アリスの脳裏には、別勢力の友人の顔が次々と浮かんでは消える。
もう、彼らとは気軽に会えなくなるのかもしれない。
アリスは帽子屋ファミリーのbQの妻になるから。
――彼らから見れば、アリスも彼らの『敵』になるのだろうか。
「どうした? アリス」
「ううん、何でもない」
じわりと圧し掛かる灰色の想いを打ち消して、アリスは首を振った。
(私の部屋が、あの客室じゃなくなる……)
今後はエリオットの部屋か、その隣にアリスは住まうことになるだろう。
それは、アリスの考えていなかった事柄だった。
いや、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
帽子屋屋敷の、腐るほどある――数多ある部屋の一室とはいえ、アリスがこの世界へ落ちてきて、今までずっと過ごしてきた場所だ。
住み慣れたアリスの部屋、アリスの居場所と言っていい程の。
そこを離れて、新しい場所に行く。
行く先は、エリオットの元だ。幸せな事には違いない。
けれど。
(……いつのまにか『私の場所』に、なってたのね)
それが、アリスは少し寂しかった。
× × × × ×
エリオットの部屋に戻った二人は、早速、式について話し合うことにした。
柔らかい日差しが、窓から差し込んでいた。
エリオットの部屋全体が、アリスを歓迎してくれているような幸福な気分になる。
「ここ、座れよ」
「うん」
促されて、アリスは素直にエリオットの隣に腰かけた。
メイド達から渡されたカタログを、エリオットと一緒に眺める。
――何故、彼らの方が準備万端だったのかが、不思議だけれど。
ともかく、カタログは彼らからの好意として、ありがたく受け取った。
「な、アリス。結婚式、すげー派手にやるか?」
「ううん、普通がいい」
エリオットは、不服そうに口を尖らせた。
「え〜〜。俺、派手にやりてえなー。せっかくあんたと結婚すんのに」
アリスは溜息を零すと、小さく首を振った。
「簡単なのでいいわよ。今後の生活もあるんだし、無駄遣いはせずにそっちに回しましょう」
「無駄!? 無駄なわけないだろ!? これは必要なもんだっ!!」
「あー……うん、そうね」
力説するエリオットの背中を、宥めるようにぽんぽんと軽く叩く。
エリオットは、お金を出し渋るようなタイプではない。
羽振りがいい――というか、もう無頓着であると言ってもいい。
それはアリスもよく知っているし、むしろ、エリオットがお金をかけようとしてくれるのは純粋に嬉しい。
金額の大きさを、誠意や愛の大きさと見る男性も居るからだ。
その愛を『勿体ない』と思ってしまうアリスの感覚の方がまずいのかもしれない。
「……エリオットの言う通りだわ。ある程度の規模は必要なのよね、きっと」
マフィアの幹部ともなれば、相当な地位だ。
周囲への誇示もしなくてはいけないだろう。
これは、アリスの方が折れなくては。
(いい奥さんになりたいし)
密かに想う。
口に出したら、きっと赤面ものだ。
(エリオットに合わせていきたい)
とりあえず、アリスには金銭感覚面に改善の余地がありそうだ。
「ちなみに、どれぐらいを予定してたの?」
はい、と近くに転がっていたペンと紙を手渡す。
エリオットはそれらを受け取ると、躊躇うことなく紙に金額を書きつけた。
「んー、こんくらい」
とても法外な額を。
「!!」
信じられない、とアリスは瞠目した。
顔が盛大に引きつっているのが、自分でもわかる。
こんな大金をポンと出そうとしているなんて。
「駄目! これは駄目っ! もったいないっ!!」
「え〜〜〜!? もったいなくねえって! これぐらいかけさせてくれよ!」
「いーやー! だって、式に呼ぶのってブラッドとディーとダムとピアスと、あんたの部下の人たちでしょ!? これは、どう考えても投じすぎよ!!」
二人して、押し問答を繰り返す。
結局はアリスが折れるのだろうけれど、少しは叫ばせて欲しい。
アリスの想像していた額よりも、何十倍も多かったのだ。
(む、無理……!)
むしろ、アリス自身がその金額に釣り合うかどうか。
ここまで出し惜しみしないのも天晴れというか、恋人冥利に尽きるというか――けれど、大問題があるではないか。
(ドレスがいくら豪華でも、中身が伴わないでしょうがー!)
口に出したら悲しくなるので、言えないけれど。
その辺りを察してくれないエリオットは納得いかない様子で、しきりに首を捻っている。
「え〜、そうでもねえと思うけどなあ……あ、そうだ。あんた、他の勢力の奴らも呼びたいか?」
「え?」
話を投げかけられ、アリスは目を丸くした。他の勢力、とは――。
「あんた、他の奴らとも仲良くしてるだろ? 本当は、式に呼びたいんじゃねえの?」
エリオットは茶化すでもなく、アリスに聞いてくる。
あまり考えていなかった事だが、アリスは考えてみた。
ペーターやエース、ビバルディにキング。
ボリス、ピアスにナイトメア、グレイと――確かに、列席して貰えたら嬉しい。
彼らは、アリスの大切な友人達だから。
でも――。
ふう、とアリスは短く息を吐いた。
「まあ……でも、式が台無しになりそうだから止めておくわ。後で、結婚しました報告だけは出すつもり」
彼らが一堂に会した図を描いてはみたが、無理だ、とすぐに思った。
彼らが勢ぞろいで、式が大人しく進む保証は皆無と言っていい。
むしろ、滅茶苦茶になる可能性の方が高いだろう。
「というか、呼んでも問題ないの?」
流石に、それは許されないような気がするのだが。
けれど、エリオットは事もなげに頷いた。
「ああ、別に構わねえけど……あんたのこと、見せびらかすのもいいよな」
「……なに言ってんの」
照れる。
アリスは頬を染めると、視線を逸らした。
ニヤリと笑うエリオットは、なかなか悪そうな男に見えた。
「でも、事後報告にしとく方がいいかもしれねえなー。俺も、さすがに式の最中に撃たれるのは面倒だし」
「……式を挙げた日にいきなり未亡人、なんて絶対に嫌だから、やめとくわ」
アリスはそう、硬く誓った。
エリオットも、そんな風に軽く言わないで欲しい。
エリオットの興味はアリスの着るドレスに移ったらしく、熱心にカタログを読みこんでいる。
その端正な横顔を見つめながら、アリスはちょっぴり溜息を吐いた。
(まだまだ、先は長いな〜……)
しばらくは、決まりそうにない。
× × × × ×
夕の時間がやってくる。
全ての物が赤く染まるこの時間、アリスはハートの城を訪れていた。
美しく気高い、赤の女王を訪ねて。
「……ビバルディ」
キイ、とドアを開きながら、中にいる彼女へと声をかける。
忍ぶように執務室へ身を滑り込ませると、アリスは素早くドアを閉めた。
ビバルディは書類から目を離すと、来訪者を見て目を細めた。
「どうした、アリス。こっちへおいで」
優しい声がアリスを誘う。
アリスはコクンと頷くと、のろのろとビバルディへ歩み寄った。
ビバルディは書類の山を傍らに避けて、スペースを作ってくれる。
アリスは近くにあった予備の椅子を借りると、机の空いている場所に突っ伏した。
そんな無体を晒しているのに、ビバルディは何も言わない。
ややあって、アリスは呟いた。
「私、結婚するの」
食器のカチャカチャ鳴る音と共に、ふんわりした紅茶の香りが漂ってくる。
「そうか」
ビバルディは微塵も動じた様子もなく、悠々と答えた。
アリスはようやく顔をあげると、姿勢を戻した。
「知ってたの?」
「ああ。一応な。ホワイトの奴が五月蝿かったろう?」
「あー……」
アリスは曖昧に言葉を濁した。
確かに、噂段階の結婚話を聞きつけたペーターが、色々とやらかしてくれたことを思い出してしまった。
ビバルディは渋面のアリスを見て、ふわりと微笑んだ。
「どうした、憂いておるのか? 顔色がよくない」
「うん、ちょっとね」
アリスは素直に頷いた。
彼女の前で隠しごとは無しの約束だ。
そんな事をしたら、彼女の機嫌はみるみる悪くなり――血の雨が降るだろうから。
「話してごらん」
「……」
相談したい相手を考えた時、ビバルディしか思いつかなかった。
ビバルディは結婚している――しているようなものだし、アリスの悩みを聞いてくれるだろう、と勝手に思ったのだ。
「結婚しようって言われて、嬉しかったの」
ビバルディは黙って聞いてくれる。
安心したアリスの口からは、次々と言葉が零れ落ちていく。
「私、舞い上がっちゃって、すぐに返事をしたわ。ありがとうって」
嬉しかった。それは本当だ。
だから、よく考えもせずにエリオットのプロポーズを受けた。
返事を迷う理由など無い、とその時は信じていたから。
「でも、そうしたら……今みたいに、他の人と気軽に会えないのよね」
それが嫌なのよ、とアリスは難しい顔になる。
我侭な願いだけれど、アリスにとっては切実だ。
ビバルディは、クスクスと笑い声をあげた。
「なんだ。そんなことで悩んでおったのか」
「うん。よく考えてみたら、色々と簡単な話じゃなかったんだな、って」
はあ、とアリスは肩を落とした。
エリオットの妻、という立場を得る代わりに、アリスが手放さなくてはならないものがある。
それぞれを秤にかけている自分も嫌だし――けれど、悩み始めたら、止まらなかった。
もう、どうしていいのかアリスには分からなくなった。
沈んだ表情のアリスに、ビバルディはティーカップを差し出した。
「心配しなくとも、お前はわらわの大切な友人じゃ。これからも変わらない。いつでもおいで」
飲みなさい、と促されて、アリスは温かい紅茶に口をつけた。
相変わらず、ビバルディの淹れる紅茶は素晴らしく香り高い。
「いいの? 本当に?」
「勿論だとも。お前は、わらわの特別な友人だ」
当然だ、とばかりに、ビバルディは受け入れてくれる。
許されたことで、アリスの気持ちは軽くなった。優しいひとだ。比べて、アリスは。
「……」
「どうした、まだ浮かない顔だな。わらわの言う事が信じられないのか?」
「ううん、違うの」
アリスは首を振った。
嬉しい、と思った反面、芽生えたものがあった。罪悪感、だ。
「私、ビバルディならそう言ってくれる……そう思ってたのかもしれない」
「ふむ」
「ずるいって思わない?」
「いいや、ちっとも」
ビバルディは首を振る。
「お前は可愛いよ。……ふふ、そんな顔をするでない」
どんな顔をしているのだろう。
どこまでも、ビバルディはアリスに優しい。
だから理由もなく、泣きそうになったのかもしれない。
「そうさな。もしも、それで三月兎が嫌な顔をするようなら……」
ビバルディは薔薇のような微笑で、アリスを包む。
「そんな狭量な男ならば、とっとと見限ってわらわの元へおいで」
女王の微笑に、アリスはクスリと笑みを零した。
視界が滲んだのは、気が緩んだせいに違いない。
「ああ、言い忘れていた。結婚おめでとう、アリス」
指先でアリスの髪を弄びながら、ビバルディは穏やかに祝福をくれる。
「可愛いそなたを、他の男なんぞにやるのは癪じゃが」
心底残念そうに言いながら、あやすようにアリスの頭を撫でる。
「お前が幸せならば、わらわはそれでも良い。きっと、他の男共も、そう思っているだろう」
どうして、皆はアリスに優しいのだろう。
アリスは唇を噛んだ。
「幸せにおなり、アリス」
胸がいっぱいで、感情が溢れてくる。
それは輝く薔薇色をしていた。
「ありがとう、ビバルディ……」
おかげで、心が定まった。
堪え切れずに頬に伝い落ちる涙は、やけに温かく感じられた。
× × × × ×
「これも似合うよな!」
「……」
いそいそと、エリオットは忙しなく動いている。
次から次へとドレスを持ってきては、アリスに着せるよう指示を出す。
「あ、それも似合うぜ! こっちはどうだ?」
朗らかに言いながら、また一着のドレスが候補に追加される。
着せ替え人形と化したアリスはというと――若干、疲れた顔になっている自覚は、ある。
押し寄せるドレスの洪水は、容赦なくアリスの体力を奪っていく。正直に言うと、なんだか酔ってきた。
「あ、あの、エリオット、それくらいに」
ぐったりしたアリスが切に訴えても、エリオットはけろりとしている。
「え。まだ三十着ぐらいしか見てねえぜ?」
エリオットは容赦ない。
見るというか、全て着せられているのだが。
そろそろ休憩させてくれ、と目で訴える。
「まあ、全部オーダーメイドにするとしても……あんたに似合って、あんたも好きなデザインがいいだろ?」
「そりゃ、そうだけど……って、オーダーメイド!? なんでっ!?」
「え? そんなの当たり前だろー?」
エリオットの照れくさそうな笑顔が、やけに眩しい。
「俺、あんただけのドレスを作ってやりてえんだ。あんたには、それを着て欲しい」
「……」
そして、可愛い。可愛くてたまらない。
エリオットに滅法弱いアリスは、たちまち反論できなくなった。
そうか、エリオットがそう言ってくれるなら、アリスももう少し頑張ろう――。
「よく知らねえけどさ、普通は何着か着るんだろ? お色直し……ってやつか? それ、五回ぐらいやるだろ?」
アリスは瞠目した。
そして、勢いよく首を振って否定する。
「やらないっ!! 一回か二回でいいっ!」
「え〜〜〜〜〜……こっちとか、こういうのとかさあ。着てくれよー」
ほら、と新しいドレスを広げて見せられ、アリスはぐっと言葉に詰まった。
エリオットが嬉しそうに笑うからいけない。
愛されている証だと思うと、まだまだ――もうちょっとなら――耐えられる気がする。
ともかく、エリオットの気が済むまで付き合うしかなさそうだ。
(私だって、楽しいのは楽しいんだけど……)
この店のドレスを全制覇する勢いに、体力的にアリスが持つかどうか。それと。
「ねえ、聞いてもいい?」
「なんだ? アリス」
にこにこっと、エリオットは無邪気に笑っている。
この状況が楽しくてたまらないらしく、目がキラキラしている。
「……持ってくるドレス全部、オレンジ色なのはどうして?」
アリスは疑問を口にした。
これまで、白いドレスが一着もない。全てが、鮮やかなオレンジ色をしていた。
「それは、あんたに似合うからだな!」
エリオットは胸を張って、自信たっぷりに答えた。
アリスは久しぶりに、彼の長い耳を引っ張りたい衝動に駆られていた。
× × × × ×
着々と、準備は進む。
ドレスも大体は決まったし、式場は、ここ帽子屋屋敷で行うことになった。
後は、招待客のリストと、その席順を――まあ、その辺りはエリオットの方が詳しいので、すべて任せることにした。
そして式の後は、アリスはエリオットの部屋へと移ることに決まった。
もうちょっと早くてもいい、とエリオットは言ったが、アリスは式の後だ、と押し切った。
「え〜……俺、すぐにでもあんたと一緒の部屋がいいのに……工事なら、さっさとやらせるからさー」
「だーめ。その方が、特別な感じがするでしょ?」
子供のような拗ね方をするエリオットを微笑ましく思いながら、アリスは頭を振った。
むくれているエリオットに、別の問題をあげよう。
「ねえ、エリオット。私、貴方の事を何て呼べばいい?」
「へ?」
尋ねると、エリオットは目を丸くした。
これでは足りなかったか、とアリスは言葉を付け加える。
「ええっと……旦那さまとか、あなたーとか呼んだ方がいいのかな? って思って」
せっかくだから、エリオットの好きな呼び方で呼んであげたい。
言うのは勿論、ものすごく恥ずかしい。
けれど、結婚する勢いに任せて一度口にしてしまえば、後は何とかなりそうな気がする。
エリオットは、目に見えて狼狽した。ぼうっと頬が朱に染まる。
「だ、だんなさ……い、いや、それはっ」
「あ、嫌だった? 今まで通り、エリオットって呼ぶ方がいい?」
「あ、ああ……。って、いいや、それも捨てがたいな……どうする、俺」
エリオットは頬を染めたまま、ぶつぶつと真剣に考え込み始めた。
「また、決まったら言ってね」
「おう、わかった……くそっ、これは難しすぎるぜ……」
真剣に悩んでいる姿が可愛らしい。
アリスは笑みを零しながら、天井を仰いだ。
(結婚するのか……)
準備が進むにつれて、少しずつ実感が沸いていく。
準備をするのは大変だけれど、それでもアリスは幸せだった。
もう、アリスは揺るがない。
アリスはエリオットの妻になるのだ。
あと、アリスが思う事は――。
(姉さん……)
アリスは、そっと目を閉じた。
姉の儚げな幻影を思い浮かべる。
あとは、ロリーナの事だけが。
「……」
アリスは、ゆっくりと目を開けた。ロリーナの影が溶けていく。
アリスは、未だ唸っているエリオットにもたれかかった。
アリス一人が全力でもたれかかっても、エリオットはびくともしない。
触れ合っている場所から、エリオットの温もりがじわりと伝わってくる。
ずっと、このままで居られたらいいのに。
アリスの口から、自然と言葉が零れ落ちた。
「エリオット、愛してるわ」
「おう、俺も愛してるぜ! って、どした?」
打てば響くように、エリオットは即座に返してくれる。
しな垂れかかるような体勢のままで、アリスはエリオットの背に手を回した。
「アリス? 疲れたか?」
「ううん。幸せだなあ、って思って」
寄り添って、思いきり甘えるように、エリオットに抱きついている。そんな自分に、アリスは驚いていた。
エリオットも、そっとアリスの体に手を回してきた。しっかりと包み込むように支えてくれる。
――ああ、ずっと寄り添っていけたら。
「幸せになろうね、エリオット」
「おう! ってか、あんたと一緒に居られるだけでも、幸せだ。怖いぐらいな」
エリオットは幸福そうに笑っている。
アリスも、そんな風に笑っているのだろうか。
「怖い?」
「幸せで、な。これ、夢なのかもしれねえなーとか……」
すこし気恥かしそうに、エリオットは呟く。
「エリオットも、そう思うの?」
「ああ。なんつーか、俺って……その、良いヤツじゃねえだろ? だから……実は、これが全部夢だった、とかだったら笑えねーなー……とかさ」
柄じゃないけどな、と豪快に笑ってはいるが、語る瞳は真剣だった。
「あんたも思うのか?」
「うん。エリオットが私の傍に居てくれるのが、今は夢みたいで……夢だとしたら、すごく怖い夢よね」
「ああ。最悪の夢だよな」
エリオットとアリスは、互いに苦笑した。
「あんたは、そこに居るよな?」
「エリオットも、居るのよね?」
確かめるように、唇が重なる。
エリオットと一緒に居ると、アリスは笑ってばかりいる気がする。幸せ気分に、二人は酔いしれる。
「二人で幸せになろうね、エリオット」
「……ああ。あんたの事は、ずっと幸せに……いてえっ!?」
急にエリオットの短い悲鳴がして、アリスは瞠目した。
いい雰囲気だった筈なのに、どうして。
「うっざいんだよ、馬鹿ウサギ!」
「ったく、イカれウサギが浮かれてるなんて、見てらんないよ。鬱陶しい」
いつのまにか、ディーとダムが背後に立っていた。
アリスは顔を赤くしながら、慌ててエリオットから身を離す。
エリオットは耳を擦りながら(力いっぱい引っ張られたらしい)双子を思いきり睨みつけた。
「てめえら……仕事はどうした!?」
「え? 何のこと? 兄弟、わかる?」
「ううん、知らなーい。何のことだろうねー?」
わざとらしいとぼけた返事に、エリオットの目がみるみる吊りあがっていく。
だが、ディーとダムは気にも留めず、アリスに纏わりついてきた。
「お姉さん、考え直した方がいいよ〜。僕は反対だな」
「そうだそうだー。お姉さん、こんな馬鹿ウサギと結婚なんかしないでよ」
「え、ええと……」
「アリスに触るんじゃねえ! クソガキ!」
堪え性のないエリオットが爆発して、場は一気に騒がしくなった。
次第に激しさを増す銃と斧の応酬を見守りながら、アリスは大きな溜息をついた。
いつのまにディーとダムが部屋に入って来ていたのだろう。油断も隙もない。
というか、エリオットとのキスシーンを彼らに見られていたかと思うと、赤面ものだった。
口汚く罵りあう彼らを眺めながら、アリスの口元は緩んだ。まるで兄弟喧嘩のように見えてきたから。
(新しい家族か……賑やかだな)
かつてのアリスの家族――二度と会うことは叶わない家族――とは、まるで違う。
ここは賑やかで明るく、ちょっぴりとんでもない場所だ。
けれど、生家に比べると、とても居心地が良かった。
きっと、エリオットとも、そんな居場所が築いていけるだろう。
(楽しみ)
アリスは、勝手な想像を楽しんだ。
エリオットが隣に居て、たまにディーとダムが振り回しに来たりして、ブラッドはマイペースで――。
明るくて騒々しくて、ちょっと怖いことも起こるだろうけど。
それでもきっと、アリスはアリスで居られるだろう。
(ピアスは、訪ねて来てくれるかしらね……エリオットを取られないように気をつけなきゃ)
妄想が止まらない。
アリスが密かに空想で遊んでいると、楽しそうな雰囲気を察知したのか、ディーとダムが傍に寄ってきた。
「あれ、お姉さん? どうしたの、楽しそうな顔」
「楽しいことがあった? 僕らにも教えて教えて〜」
「だから、お前らアリスに触るんじゃねえっつってるだろうがー!」
「ふふん。嫉妬は醜いよー」
ディーとダムは懲りもせずに、尚もエリオットを挑発している。
再び銃撃戦が始まりそうになったので、アリスは口を挟んだ。
「家族みたいで、楽しい」
ぴたり、と三人の動きが止まる。
不可思議な視線を受けて、アリスは笑顔で繰り返した。
「新しい家族になるのよ、私たち」
「家族……?」
アリスの言葉を測りかねているのか、三人は揃って眉を潜めた。
「うん。とっても賑やかで、楽しくなりそうだなあ、って思って。だから、これからもよろしくね」
有無を言わさぬような笑顔で、もう一度アリスは繰り返した。
エリオットとディーとダムは、それぞれの顔をまじまじと見つめ合う。
「家族か……なるほどなー」
「面白いこと言うね、お姉さん」
「そうだね、面白い」
エリオットは、捨て子だと聞いた。
ディーとダムも、あまり情の厚い家庭ではなかったと聞く。
だから彼らは、『家族』という言葉にもあまり良い想いはないだろう。
それでも、アリスを交えることで、新しい家族の形を作っていける。嫌がっても、アリスが作る。
「……家族、なあ」
しみじみと、エリオットが呟いた。
どうやら、ちょっぴり想像してしまったらしい。じーっと、ディーとダムを眺め見ている。
「……ひよこウサギ。なんだよ、その目は」
「いや? アリスの言ったように考えると……すげー生意気なお前らでも、可愛げがあるよーな気がしてきたかもしれねえなーって」
「うげ。気持ち悪いこと言うなよ。頭沸いてんの?」
ディーとダムは嫌そうに顔を顰めた。
和やかな話題になった、と安堵したアリスも、エリオットの話の乗っかってみる。
「いいわね。エリオットがお父さんで、ディーとダムが子供って感じ?」
アリスが悪のりして言うと、今度はエリオットが顔を歪めた。
「えー、こんな可愛くねえガキが子供か〜……」
「うっわ、嫌すぎる……お姉さんお願い、それは止めてよー」
駄目だったらしい。アリスは肩を竦めてみせた。
もともと変な世界なのだから、こういう変わった家族の形があっても良いじゃないか、と思ったのに。
(不評か……残念)
しばらくは、アリスの頭の中だけにしておこう。喧嘩の種になっては困る。
けれど、いつかは――。
アリスは、自身の左指で光る指輪に目をやった。
指輪は誇らしげに、幸せそうに輝いている。
アリスの幸福を象徴するような、鮮やかなオレンジ色。
結婚式は、もう間近だ。
(幸せになるからね、絶対に)
アリスはきっと幸せになるだろう。
エリオットと共に、いつまでも。
だからお願い、幸せで居て。
アリスは遠く、姉を想った。
【Bridal Story/了】
===== あとがき ===
2011年12月発行「ラビット・ライフ」より。
続きもの……ではないんですが、Tellusの後あたりだと思って頂ければ。
幸せ〜な話を書くぞ!と思ってたのに、なんかもうマリッジブルー的な話になりました。
でも多分、アリスはマリッジブルーが重いタイプだと思います。
ストレートに幸せになるのを躊躇って、いろいろ悩む、と……。
合わせて、エリオットも、ちょっとだけ迷わせて(?)みました。
でも、概ねエリオットは迷いません。ストレートに突っ走ります。
迷いたがりのアリスには、迷わない男・エリオットが良いんじゃないでしょーか。
正反対みたいな二人の方が、互いを補っていけそう。あれ、これ前にも書いたかな?
ビバルディが導き役というか、もうお母さんみたいになってますね。気持ち的には。
そして、肝心な結婚式の描写がないっていうね。ははは。
ではでは、読んでくださってありがとうございました!