金塊







ザカザカと箒で掃きながら、アリスは一人、息を吐く。


(ああ、もう。無駄にだだっ広いんだから!) 


帽子屋屋敷の誇るこの広大な庭園は、掃いても掃いても終わらない。終わる気配がない。


(作りや雰囲気は、すごく好きだけどね……掃除をする身にもなって頂戴)


アリスは口を尖らせた。
けれど、だからこそ『掃除をする』という仕事が――役割が、あるのだけれど。


(ブラッドは考えてたのかな、もしかして)


この世界で、何らかの役割を欲しがっている者は、たくさん居る。

アリスはしばらく考え込んだ。
ブラッドの真意は読みにくい。ただの気まぐれということもあるだろう。彼ならば――ありそうで無さそうだ。


(どっちでもいいか)


アリスもまた、その役割を彼から与えてもらっている身だ。
雇用主と、その使用人。それ以上の関係ではない。


(いや、あるな)


間接的にだが、関係はあった。

彼の右腕である、凶悪な男のことだ。
アリスの恋人でもあり、ブラッドの部下でもある男。

エリオットの、ブラッドへ向けられるただならぬ忠誠心に、アリスは時折、嫉妬の念を覚えるのだ。


(何よ、ブラッドブラッドって)


アリスに向けられる愛情を疑っているわけではない。
彼はいつだって真っ直ぐだ。真っ直ぐにアリスを愛し、ブラッドを敬愛している。


(ブラッドばっかり、ずるいのよ)


エリオットの敬愛を独り占めして――アリスはぽつりと呟いた。


「私って、すごく我侭だわ」


事実、アリスのことも、エリオットは少なからず敬愛している。それは重々わかっている。
自分の望むものの正体に気づき、アリスは息を吐いた。

自分ひとりを見て欲しい、だなんて。

突き詰めればそういうことだ。アリスは頭を抱えた。
けれど、その欲望は、恋する乙女としては許される範囲だろう。きっと。


(そもそも、張り合う相手が男だっていうのがね……なんか虚しい)


もしも、いざ同姓と張り合えと言われれば、そっちの方が困ってしまうけれど。
エリオットを取り合う相手がブラッドだという現実も、なかなか困ったものだ。

アリスとブラッドは、エリオットにとって違う。
だから、どうにもならないことなのだ。


「……」


ならば、もう少し――ほんの少しずつでもいいから、エリオットの心を、アリスが占めてみたい。


(もっと好きになって欲しい)


他の誰も、もう目に入らなくなるくらい。
その為には、アリスの方からも、エリオットが好きなのだと好意を示し続けなくてはならない。


(好き……)


人気がないことを確認すると、アリスは息を吸った。


「もっと……そうね、可愛く言ってみるとか? ……エリオット、好き……って、駄目よ、これは駄目! 恥ずかしすぎるっ!!」


こっそりと練習してみようと思ったのだが、これはいけない。身悶えるほどに恥ずかしい。


(でも、苦手でもなんでも、言わなくちゃ。それで、エリオットが喜んでくれたらいいじゃない)


考えながらも、手は動く。
清掃範囲内から、もうかなり遠ざかっていることに、アリスは気づかずにいた。







「あれ?」


ようやくアリスは、屋敷から遠ざかっていることに気がついた。


(やっちゃった〜……はやく戻らないと、次の仕事が間に合わないっ!)


慌てて駆け出そうとした、その時だった。

傍の繁みから、ピィピィと可愛らしい鈴のような声がする。
アリスは足を止めると、そうっと繁みを覗き込んだ。


「……え、これって」


小鳥だった。まんまるの、小鳥の雛。


「わあ」


アリスは思わずしゃがみこんだ。

雛鳥は、ふわふわの羽毛で、体をめいっぱい膨らませている。
エリオットの髪の色と同じ、やわらかな金色の毛色をしていた。


(巣から落ちたの? ……うーん)


アリスは空を仰ぎ見た。
木々の間に目を凝らしてみたが、巣らしきものは見当たらない。


「ど、どうしよう」


見捨てていくには、アリスの良心が咎めた。
このまま捨て置いては、行き着く先は見えている。野生に任せて、手出しをしてはいけないと何かで読んだような気も――ああ、可愛い。

雛は、つぶらな瞳でアリスに訴えかけている。


(可愛い)


アリスは思わず手を伸ばしていた。
よほど助けを求めていたのか、小鳥はアリスの手に飛び乗った。


「あ」


感動的な程にふかふかしているではないか。


(こ、これは……)


まずい。
そう思った時には完全に手遅れで、アリスはもう虜になっていた。


「……可愛い」


ふにゃり、とアリスは頬を緩ませた。







「アリス――!」
「あ、エリオット……あっ!」


笑顔で手を振りかけて、アリスは硬直した。

エリオットは、一直線に走ってくる。
そして、いつものようにアリスに抱きつくだろう。

力いっぱい。思いっきり。

ザッと、アリスの顔から血の気が引いた。


「止まって! 待って! エリオット! 駄目っ!!」
「え」


アリスは必死になって、エリオットを制した。

思いがけない反応に驚愕したエリオットは、おおきく目を見開いた。
アリスに抱きつく寸でのところで、エリオットの足が止まる。その距離、約二十センチ。


「な、なんでだ? まさかっ……俺のこと、嫌いになったのか!? 俺、あんたに何かしたのか?!」
「違う、違うのよ。あのね」


青ざめ狼狽するエリオットを見て、アリスも慌てふためいた。
違う、エリオットを誤解させたいんじゃない。


「何が違うっていうんだよ!? どう考えても、さっきの反応は……ん? 何の音だ?」


エリオットは首を傾げた。
小さく、ピィピィと呑気な声がする。


「……音っていうかね、この子」


アリスはエプロンのポケットに手を突っ込むと、エリオットの目の前にそれを差し出した。


「……鳥?」
「うん、鳥。何かのヒナなんだろうとは思うけど、種類はわからないわ。見たことがないもの」
「ほー……」


エリオットは、じろじろと小鳥を眺めまわした。


「だから、ごめんね。エリオットに抱きつかれたら、この子が潰れちゃうと思って……焦った」
「ああ、そういうことだったのか」


やっと納得してくれたらしい。
エリオットの表情が安堵に緩む。


「エリオットは、これが何の鳥かわかる?」
「んー?」


エリオットはもう一度、アリスの手の上に目を向けたが、すぐに首を横に振った。


「いいや、知らねえ。俺、鳥に興味ねえし」
「それもそうか……」


そもそもエリオットは、動物愛護精神あふるるタイプではない。
それに、動物と戯れている所をお目にかかったことがない。

本人自身は、アリスの色んな欲を掻きたてる存在ではあるのだけれど。


「でも……これ、どうしたんだ?」


エリオットにも若干の興味はあるらしく、指先で雛鳥をつついてみている。


「この前、掃除をしていて拾ったのよ。可愛いでしょう」


そうアリスが胸を張って言うと、エリオットは小さく首を傾げた。
解せない、と彼の表情が物語る。


「可愛い〜? そうか?」
「え……可愛くないの? エリオット」
「んー、別に……可愛いか? これ」


むっとしたアリスは、強調して言葉を繰り返した。


「可愛いわよ、すっごく」


ふうん、とエリオットは気のない返事をした。
もっとよく見てよ、と蹴っ飛ばしたくなったが、抑えた。


「そういうの、好きなのか? あんた」


エリオットに問われ、アリスは即、頷いてみせた。


「うん、好き」
「ふーん……これ、食うのか?」
「たっ!?」


アリスは驚いて眼を見開いた。

今、この男はとんでもないことを口にしなかったか。


「食べないっ! 飼うの!」


アリスが強い口調で言い返すと、エリオットは意外そうな顔をした。
何が意外だというのか、この男。


「え、そうなのか? 俺はてっきり」


じーっと、悪気の全く無い瞳で、小鳥を見つめる。


「……ちょっと美味そうな色してるよな、こいつ」
「……」


明るいオレンジ色は、エリオットの大好きなにんじんの色だ。


(……まさか)


アリスは、そっと手を背後にまわした。
エリオットの熱い視線から、このか弱い雛鳥を守る。


「……食べたら駄目だからね、エリオット」
「わかってる、わかってる」


アリスが念を押すと、エリオットはこくこくと素直に頷いた。だが。


(絶対、わかってない気がする……)


しばらく、エリオットには気をつけておかねば。
アリスは小さく息を吐いた。






それから、いくつかの時間帯を経ていた。

アリスは今、クローバーの塔にいる。
いまは、会合期間の真っ最中だった。

疲れるとしか言いようのない会議も終わり、部屋に戻ったアリスは、やっと一息つくことができた。
少しだけ体を休めた後は、自由な時間が待っている。


「出かけるわよ、おいで」


アリスは、鳥に向かって声をかけた。
うとうととまどろんでいた鳥の目が、パッチリと開かれる。

なんとなく程度には、意思疎通ができるようになっていた。
手招きすると、鳥はアリスの肩へと飛び乗った。


「何を食べようかな。ねー?」
「ピィ?」


アリスがそうやって語りかけると、良いタイミングで返ってくる。

どうやら、頭は悪くないらしかった。
悪いことをしでかしたことは一度もない。
会議の時間も、部屋でアリスのことを大人しく待っていてくれている。

知れば知るほど、不思議な鳥だった。
外へ一緒に出ても、アリスから離れて他へ行こうともしない。


(まず、この子に果物を買って、それで部屋で食べられるようなものを……あっ)


ちょうど、外へと続く階段に差し掛かった時だった。

柱の影からスッと現れた長身の男を見て、アリスは立ち止まった。
書類とにらめっこをしていて、まだアリスに気がついていないようだ。


「こんにちは、グレイ」


声をかけると、グレイは視線をアリスへと向けた。


「ああ、君か。こんにちは……ん?」


グレイの視線が、アリスの肩で止まる。

そして、アリスはしまったと思った。

ここはクローバーの塔である。
ならば、ここに住むナイトメアやグレイに、動物の持ちこみ許可を得なくてはならないだろう。
そのことを、すっかり失念していた。


(せめて、先に言わなくちゃ)


非常識だと詰られることを覚悟しながら、アリスは先に口に出した。


「あの、ごめんなさい……塔に、動物を持ち込んでもよかったのかしら」
「ん? ああ、構わない」
「よかった」


アリスはホッと胸を撫で下ろした。
どうやら、気をつかって言ったわけではなさそうだ。人の良いグレイに要らぬ負担はかけたくない。


「……」


そんなアリスを、グレイはじっと見つめている。いつになく真剣な顔つきで。
アリスとグレイの目が、合った。


「……グレイ?」
「……ん?」


何故だろう。グレイの答え方が、妙にぎこちないような気さえする。


(もしかして)


いや、まさか。相手はグレイだ。大人の男の代名詞、グレイ=リングマークだ。
そんな事を思っては失礼だろう。

だが、しかし。

アリスは、じっとグレイの顔を見つめあげた。
その金の目が映すのは、興味の二文字だ。


(すごく見てるよね)


先ほどからずっと、熱視線を送っている。

アリスにではなく。
アリスの肩に乗っかっている、この黄色い雛鳥へと向かって。


(やっぱり……見てるわね、すっっっごく)


何度確認しても、そうとしか見えない。

アリスは、おそるおそる口を開いた。
外れていたらどうしよう、という若干の不安要素は否めないが。


「……触って、みる?」
「!」


グレイは弾かれたように顔を上げた。
稀に見る食いつきだったので、アリスの胸はドキドキしている。


「いいのか?」
「うん」


アリスは快く頷いた。
大人のグレイならば、手荒に扱ったりしないだろう。


「こっちよ」


ピィ。
よしきた、とばかりに一声鳴くと、鳥はアリスの手のひらに飛び移った。


「……」


グレイと鳥は、しばし見つめあった。
遠慮がちに、その大きな手を伸ばす。

長い指がふわふわの毛に触れた時、グレイの金色の目が優しく緩んだ。


「可愛いな……」
「!」


グレイの小さく呟いた言葉に、アリスは威勢よく顔をあげた。

信じられない、とグレイのことを真顔で見つめる。

まさか、こんなところで出会えるなんて。

グレイは何と言ったのか。
聞き違いであって欲しくない。


「でしょう? 可愛いわよね、この子」


ドキドキしながらアリスが尋ねると、グレイは唇の端を持ち上げた。


「ああ、すごく愛らしい」


グレイの微笑みは繕いもなく、とても柔らかい。アリスは顔を輝かせた。
やっと同士に巡りあえて、アリスはたちまち嬉しくなった。


「手触りもいいな」
「そうよね!」


ガッツポーズでもしたい気分だった。やっと理解してくれる人が現れたのだ。
グレイの意外な一面を見てしまった感は確かにあるのだけれど、そんなことよりも、ただアリスは嬉しかった。


「しかし、何の鳥だろうな……」
「グレイも知らない?」


グレイは小さく頷いて返す。


「ああ。俺も見たことがない」
「そうなの?」
「ああ。土地が不安定だから、か……? いや、だが」


グレイの視線が、鳥へと向けられる。アリスもつられて、鳥を見つめた。
そうして、二人同時にゆるゆると気が緩む。

可愛い。その一言に尽きる。


「偶然、屋敷のお庭で拾ったの。何かのヒナだと思ってたんだけど、この子。このまま大きくなってきたし、これで大人なのかも」


成長の終わりが読めない。
もしかしたら、アリスの背丈よりも大きくなる可能性も捨てきれない。


(うわあ、どうしよう。そんなになったら)


すごく幸せだ。

きっと、思いっきり抱きついて、思う存分もふもふする。絶対にする。

グレイの指が、鳥の頭をそっと撫でている。
柔らかくて壊れやすいものを触る手つきだったので、アリスは安心した。

ひとしきり堪能して満足したのか、しばらくして、グレイは手を引っ込めた。


「ありがとう、アリス。癒されたよ」
「どういたしまして、グレイ」


お互い、優しい笑顔で微笑みあう。
多忙を極めるこの人を、少しでも癒すことができたというのならば。アリスの心は充実感に溢れていた。


「触りたくなったら、いつでも部屋に来てね」
「ああ、ありがとう」


勢いで笑いながら続けて言った後、アリスは内心、首をかしげた。


(……変な会話だなあ)


この会話だけを聞くと、絶対に誤解されてしまうだろう。
幸い、グレイも気が緩んでいるのか、会話の不審な点には気づいていないようだ。


「おっ、アリス。今から外出すんのか? って……あんたもいたのか」


声をかけられ、アリスは振り返った。

エリオットが、二人に向かって大股に歩み寄ってくる。

エリオットは、やや顔に疲れが窺えるものの、元気そうだった。
アリスは表情を緩めると、エリオットに向けてひらひらと手を振った。

邪魔をしてはいけない、と察したのか、グレイは早々に体の向きを変えた。


「では……アリス。また今度、君の部屋に行ってもいいだろうか?」
「ええ、勿論」


グレイとアリスの和やかな約束に激昂したのは、エリオットだ。


「って、俺の前で堂々と誘うなよっ!! あんたも、承諾すんなっ!」
「え、だって……ねえ?」


別に、やましいことではない。
アリスの同意を求める視線を受けて、グレイは軽く頷いてみせた。


「ああ。……いや、そうか。そういえば君は、この男の恋人だと聞いた」
「あーそうだ。アリスは俺の」


何故か胸を張りながら宣言しようとしたエリオットを押しのけると、アリスはグレイに詰め寄った。


「ちょ、ちょっと! 聞いたって、何処でっ!?」


エリオットとグレイが張っていようが構わない。アリスは、それどころではなかった。
うっかりアリスに気圧されたグレイは、わずかに視線をさ迷わせた。


「ナイトメア様から聞いた……のだったかな、確か」
「……あいつ……」


アリスは苦々しく呟いた。

ナイトメアは心を読む。
アリスは何度かナイトメアと顔を合わせているから、彼が知っていることに対しての驚きはないのだけれど。


(何でグレイに言うわけっ!?)


問題は、ナイトメアがグレイに話したという点だ。
相手が誰であろうが、そこはアリスにとっての問題ではない。


(塔の皆も知ってる……ってことは、他にも広まってると思っていいよね)


中立位置にあるクローバーの塔がこれでは――アリスは気が遠くなった。

一人で悶々と考え込むアリスの傍らでは、二人の男が対峙していた。
グレイは素直に否を認め、正面からエリオットに向き直った。
おそらくグレイは、アリスを弁護しようとしているのだろう。


「すまない、俺が軽率だった。妙な気を起こしたわけじゃないんだ。ただ」
「ただ、なんだよ」


グレイは、何と説明したらいいのか迷っている。
それに対して、エリオットは噛みつかんばかりの勢いだ。


(……まずい)


二人の空気を、アリスは冷静に観察していた。

もともとエリオットは、グレイに対しての敵対心はそれほど強くない。
ただ、どちらが尊敬しているか度合いで、一方的に張り合おうとはしてはいるが。


(でも、これは……駄目)


短気なエリオットのことだ。
撃ち合いが始まってしまうのではないか。

そうアリスの本能が告げている。
だからアリスは、二人の間に割って入った。


「グレイ、いいから。呼ばれてるんでしょ? 行って」
「え」


突然アリスが乱入してきたので、エリオットは面食らった。

グレイは迷いを見せたが、アリスの申し出を受けることにしたようだ。


「……すまない、アリス。この借りは必ず」
「いいわよ、そんなの。引き止めてごめんなさい」


エリオットが立ち直らないうちに、早く。

アリスが視線で促すと、グレイは軽く頭を下げ、立ち去った。


(……残るは、エリオットね)


アリスは、エリオットをちらりと見た。

骨は折れるが、エリオットの誤解を早急に解かねばならない。
時間が経てば経つほどに、事態は深刻になるのだ。

グレイがこの場に残っていては、かえってややこしいことになる。
だから、グレイがアリスに対して申し訳なく思う必要はない。

エリオットは眉を吊り上げると、アリスの両肩をつかんだ。


「あんたっ! 何で、あんな奴を庇うんだよ!?」


エリオットの、食い込みそうな勢いの指は、アリスの肌にすこし痛い。


「庇ったわけじゃなくて……エリオット、あの、ごめんなさい」


アリスがすまなそうに謝罪すると、エリオットの頬が赤く染まった。


「っ……ご、誤魔化されねーぞ、俺はっ」
「そんなつもりじゃ……」


掴んでいた手をパッと離すと、エリオットはふっと視線を逸らした。その口は、見事なへの字を描いている。

周囲からの好奇の視線を受けて、アリスは多少、辟易した。

ここで話すようなことではないし、第一、他者に聞かれたらエリオットの評価が下がってしまう。
三月兎が女の子と言い争っていた、なんて。


(……エリオットの威厳が下がっちゃう)


それはもう、確実に下がるだろう。
アリスは、ふてくされているエリオットの顔を見上げた。


「あのね、エリオット。私の部屋に行かない? ゆっくり話もできないわ」
「あ、ああ……いいけど」


戸惑う表情のエリオットを引っ張りながら、アリスはゆっくりと歩き始めた。
何もやましいことはないのだ、と周囲へ主張するように、背筋をまっすぐに伸ばして。







「大人しくしていてね」


鳥は素直に、アリスの肩から窓辺へと移った。

視線を感じて振り返れば、エリオットが手招きしている。
アリスは素直に応じると、エリオットの隣に腰かけた。そっと腰に手を回される。

逃がさない、という意思を感じて、アリスはわずかに身をすくませた。


「さ、あんたの話を聞かせて貰うぜ」
「うん」


アリスは深く息を吸い込んだ。

怒る気満々のエリオットを前にすると――本音を言うと、少しだけ怖い。

だが、相手はエリオットだ。アリスの愛する人。怖がることはない。

心が落ち着くのを待ってから、アリスは口を開いた。


「グレイはこの子が可愛いって言ってくれたから、触りたくなったら来てって言ったのよ。私が」


アリスは「私が」の部分を強調した。
エリオットは訝しむようにアリスを見た。


「あんたが?」
「うん。だから、グレイは悪くないのよ、エリオット」


アリスは、まっすぐエリオットを見上げた。
せめて、矛先だけでも自分へと向けたい。


「……じゃあ、あんたが悪いってことになる」


エリオットは少なからず戸惑いながら、自身の思考を口にした。
アリスはその結論を後押しするように、頷いて認めた。


「そうね……私が悪いわ」
「……」


 エリオットは黙り込むと、深く考え込んだ。


「あんたが悪いなら……罰が必要だな」


そうアリスに告げるものの、彼の目には、どうしたらいいのかわからない、といった戸惑いが窺える。
だからアリスは、優しい声で頷いた。


「そうね、エリオット」


エリオットの手が、アリスの頬を包む。
どうやら、怒る気は完全に失せたらしい。


「俺は、あんたに触りたい」
「ん」


アリスはエリオットの首に腕を回した。
二度三度と口づけを交わすうちに、次第に、思考が好き勝手に散らばっていく。


(エリオットがすき)


想いをのせて、アリスはエリオットの体躯を強く抱きしめた。








「ねえ、エリオット」
「ん? なんだ?」


まどろみそうな空気の中、アリスはエリオットに声をかけた。

体も頭も、とても気だるいが――エリオットに、どうしても聞いておきたいことがあった。


「グレイがね、その……。私がエリオットの恋人だって聞いた、って言ってたけど」
「ああ、それが?」


からりと言うエリオットの耳を、思いきり引っ張りたくなった。


「何で否定しなかったの」


エリオットはむくりと身を起こした。
好き勝手に乱れた髪の毛が、彼のワイルドな雰囲気を更に増している。


「否定―? 何で否定しなきゃいけねえんだよ?」
「だって」


アリスは口ごもった。

アリスとエリオットは、どう贔屓目に見ても釣りあっていない。
そう言葉にしてしまうのは、悲しかった。

そんなアリスを見つめながら、エリオットは甘言を囁く。


「アリス。俺とあんたは、恋人だろ? 俺はあんたのものだし、あんたは俺の……むぐっ」
「黙りなさいよ、ちょっと」


両手で、エリオットの口を塞ぐ。

エリオットはアリスに優しすぎるのだ。
エリオットの言うことなら、何だって信じてしまいたくなる。


「でも……顔が赤いぜ? アリス」
「っ!」


アリスは言葉に詰まった。
指摘されると、なおさら頬が熱くなる。エリオットは時々意地悪だ。

俯くアリスの髪を、エリオットの手が撫でる。


「嫌なのか? 知られるのが」
「……嫌、じゃないけど」


ある意味では。エリオットの評判が落ちるのが、嫌なのだ。

ただ、それだけだ。
自分のことは構わない。

エリオットの表情が沈み込んだ。


「そう、だよな。マフィアの女だって言われるし、あんたにはマイナスにしかならねえ……いてっ!!」


アリスは、エリオットの耳をぎゅっと引っ張った。

まったく、アリスの言い分も聞かず、好きなように解釈してくれる。

だから早めに、アリスも訂正するのだ。
何度でも、エリオットが解かってくれるまで。


「そんなの、マイナスになんかならないわ。誰に言われたって構わないのよ」
「そ、そうか?」
「うん」


アリスは大きく頷いてみせた。

エリオットは、この世界では大罪人だ。
その恋人であるアリスの評判は地に落ちるであろうことは、想像に難くない。

エリオットはそのことを酷く気にしているようだが、真実アリスには、そんな事はどうでもよかった。

エリオットを愛せるのだから、周りの醜聞など何の問題があるだろう。


(……って言っても……許さないんだろうけどね、この人)


厄介なことに――と言うべきか、エリオットには、力がある。
アリスを悪く言う輩は、十中八九、強制的に死の淵に立たされることになるだろう。

アリスがどれだけ止めてもきっと無駄で、アリスの知らぬところでエリオットは動く。

そんなエリオットの事が好きだ、と言ってしまえる自分は、とんでもなく酷い人間に違いない
。悪人度でいえば、アリスもエリオットも変わりないだろう。

エリオットはどんな手を使ってでも、アリスの事を守ってくれる。

アリスの胸は、じんわりと温かくなった。


(可愛いなあ……言っちゃおうかな)


アリスはエリオットの袖をぎこちなく引っ張った。


「ね、ねえ……エリオット」
「ん、どした?」


アリスを見つめる瞳は、この上なく優しい。
そんな風に見られると、どうしていいのかわからなくなる。

アリスの高鳴る鼓動は、収まる事を知らず――。


「すっ……好き」


言いながら、アリスは視線を逸らしてしまった。

照れのせいで、エリオットの顔がまともに見られない。

きっと、エリオットは絶句しているだろう。
いや、絶句しているに違いない。

現に、こんな。

いや、違う。
こんな言い方をするつもりはなかった。

アリスの理想とは、まるでかけ離れている。


「って、ち、違うっ! い、いまのなしね! ちょっと待って頂戴、もう少しかわいく言えるはずなのよ!」


もう少し、可愛らしく。素直に。
エリオットの目をまっすぐに見あげて、微笑みながら。

どれ一つとして、達成できていないではないか。

アリスは心の中で頭を抱えた。


「アリスッ!」
「はいっ?」


がしっと腕をつかまれて、アリスは飛び上がった。

エリオットの瞳は、沸きあがる感動に、この上なくキラキラと潤んでいた。


「アリス……それ、もう一回頼む!」


懇願されて、アリスは小さく悲鳴をあげた。


「いやー! ちょっと待ってよ、心の準備ができてないのにっ!」


嫌だ言えない、頼む言ってくれと、甘ったるい空気の中で、二人で押し問答を繰り返す。
その明るい場に乱入したのは、金色の塊だった。


「ピィ?」


間の抜けた声のおかげで、アリスとエリオットは我に返ることができた。

揃って視線を向けると、金の鳥は可愛らしいつぶらな瞳で、二人のことを見上げている。
とっても楽しそうだから、仲間に入れて欲しい、とでも言いたげな目だった。


「……」
「……」


エリオットとアリスは、思わず顔を見合わせた。


「……コイツ、分かってやってるんじゃねえか?」
「まさか」


妙にタイミングが良い時はあるけれど。
アリスが乾いた笑いで返すと、鳥は尚も誇らしげに一声鳴いた。











にぎやかな町並みを、アリスとエリオットは連れ立って歩く。

アリスの心はとても穏やかだったけれど、穏やかでない男がひとり居る。
悩める男・エリオットは息を吐くと、アリスの肩に目をやった。

今も「それ」は、我がもの顔でアリスの肩にとまっている。
エリオットは、ふつふつと嫉妬の念が押し寄せてくるのを感じていた。


「……なあ、そいつ、食うんじゃなかったっけ?」


エリオットがひどく不機嫌な声で言うので、アリスは慌てて頭を振った。


「たっ、食べない! 食べたりなんかしないっ!!」
「けど、ここまで邪魔されるとなー……殺意が沸く」


エリオットは、ぶすっとふてくされている。

確かに、この鳥を拾ってからというもの、アリスは何処に行くにも、この鳥を伴っていた。
だから厳密に言うと、今この時だって、アリスとエリオットは「ふたりっきり」ではない。

鳥の見守る中で「する」のは気が引けたので、アリスとエリオットの行為にも、かなり影響がでている。
エリオットが獲物を狙う目になったので、アリスはぎょっとした。


「エリオット、駄目よ、駄目っ! 絶対だめ!」
「え〜〜〜……」


エリオットは不満そうに唇を尖らせた。
しおれているエリオットを見ると、アリスの心には罪悪感が芽生えてくる。


(エリオット、我慢してくれてるけど……でもでも、こんな子の面倒を見てくれるような人って)


だが、これ以上の我慢を強いるわけにはいかない。

この状態を続けては、きっと良くないことになるだろう。エリオットにとっても、アリスにとっても。
とうとう、アリスは根負けした。


「……う、わかった……何とかする……」


アリスが渋々と承諾すると、エリオットの顔がパッと輝いた。
長い耳がうきうきと弾んでいる。


「食うのか?」
「食べないっ!!」


 アリスは有無を言わさずに、ぴしゃりと言い返した。












はあ、とアリスは大きな溜息をついた。


「……というわけで、ごめんなさい。こんな事を頼むのは、すごく心苦しいんだけど……」
「いいや、構わない。そうか、それは危険だな……」


アリスはエリオットを伴って、クローバーの塔を訪れていた。

結局、可愛がってくれそうなグレイに鳥を譲り渡すことにしたのだ。
アリスが事情を話すと、グレイは快く引き受けてくれた。


「わかった。確かに、俺が預かる。君も、遠慮せずいつでも会いに来てくれ」
「ええ、わかっ……」


気を使ってくれるグレイは、とても優しい。
魅力的な言葉に、アリスはついうっかり頷きかけて――固まった。

背後から、不機嫌な灰色の視線がアリスの背中に突き刺さっている。
チクチクとした痛みを感じ、アリスは顔を引きつらせた。


「……ア〜リ〜ス〜?」
「う」


アリスの背筋に、冷や汗が流れ落ちる。
アリスは慌てて言いなおした。


「……そんなには来られないけど、その」
「……」


じとり。

背後から、再び視線が絡んでくる。
やはり、これでもお気に召さないようだ。


「あー、わかった! わかったから! 私からは会いに来ない!」


アリスが自棄になりながら答えると、みるみる空気が和らいでいく。
アリスは安堵の息を吐くと、もごもごと続けた。


「だから、その……会合の時とか、ちょっとだけ連れてきて欲しいの……でも、邪魔になるようだったら、無理にとは言わないわ!」
「……なるほど」


グレイは正確に、アリスの置かれている状況を把握したらしい。
背後のエリオットに、ちらりと射るような視線を送る。


「……」
「グレイ?」


それは、ほんの僅かのことだった。

アリスが気づかないぐらいに、僅かの時間、彼らは睨みあった。

仕掛けたのはグレイなら、断ち切ったのもグレイだった。
針の視線を消し去ってしまうと、アリスに向けて微笑を浮かべてみせる。


「わかった、会合の時に連れていくよ。しかし、束縛されているのか……大変だな、君も」


グレイの言葉に若干の棘を感じて、アリスは少し驚いた。
気のせいだ、と自分に言い聞かせる。

エリオットはというと何処吹く風で、そ知らぬふりを決め込んでいる。

だが、否定はしなかった。

その事が、アリスには少し引っかかるものがあったが――すぐに霧散していった。


「ん……いいのよ、エリオットだし」


アリスは曇りのない笑顔で答えた。
内緒話をするように、小声でグレイにだけ囁く。


「何より、すっごく可愛いんだから」


グレイは、何とも言えない表情になった。
じろじろとアリスの背後にいる男を見て、首を傾げる。


「そうか?」
「うん」


あの時のエリオットと同じ顔で、グレイは不思議そうにアリスを見ている。
だからアリスも胸を張って、にっこりと微笑み返すのだ。



[金塊 了]







===== あとがき ===

ほのぼのでした。

2009年12月29日発行の短編集「白いうさぎの行方」より。

可愛いエリオットを目指していたつもり……です。。
におわせる程度なので、R指定はいらんかなーと。

ではでは、読んでくださってありがとうございました!