太陽の海
意気揚々と、エリオットは椅子から立ち上がった。
満足した様子で、兎耳も元気がいい。
エリオットが部屋から去った後、ふつりと緊張の糸が切れた。
部屋に残されたブラッドとアリスは、計ったように同じタイミングで溜息を吐いた。
「……今日も食べたわね」
「……そうだな」
エリオットの機嫌とは反比例して、こちらの食欲は減退する一方だ。
疲労感すら覚える。
好きな相手の好物だから、相手と同じ領域に達することができる――とは、まったく思えなかった。
たまりかねて、アリスは口を開いた。
「ねぇ、ブラッド。好きな物でも、食べすぎると嫌いになることがあるそうよ」
唐突に話を振ると、ブラッドは目を瞬かせた。
何を言い出すのか、と目が問うている。
「ああ、聞いたことはあるが」
「エリオットに試してみない?」
「……」
ブラッドは頭の回転が速い。
彼はアリスの言わんとすることを、すぐさま理解したようだ。
「だが、あれに限界などあるのか? 今でも十分すぎるほど、奴は食べ過ぎていると思うが」
思い返すまでもないことだ。アリスは、げんなりと同意した。
「それもそうね……一品だけ集中したことは?」
ブラッドは、すぐに答えを返してきた。
すぐに返せるのが嫌だ、と眉をしかめている。
「この間は、にんじんスティックを山盛りで三皿たいらげたぞ」
アリスは絶句した。
エリオットの胃は想像を超える。
(三皿……)
そして、おそらくは大皿で。
現場を見ていないのに、聞いただけでも十分ぐったりする。想像もしたくない。
その場に居たブラッドのダメージは如何ほどなのか。
もっとも、別々に食事をとれば目先は解決するのかもしれない。
だが、エリオットの方からよく食事に誘ってくるのだ。
彼の純粋な誘いを断り続けることは、二人には不可能だった。
不器用な二人、と言ってもいいのかもしれない。
「……難しいかしらね」
「かもしれないな」
アリスとブラッドは、神妙な顔でため息をついた。
打つ手は無いものか、と真剣に話し合う。
「あいつが嫌うほどの量……か。我ら凡人には想像がつかないな」
ブラッドの口元が自嘲気味に歪む。その顔は心の底から疲れ果てていた。
同感だ、とアリスも頷く。
「それで、毎日でもいいって言うしね……」
真剣なのだ。至極。
話している内容はともかく。
少しだけでいいから、エリオットのにんじん摂取量を減らしたい。
それは、見ている側がきつい、という大きな理由がひとつ。
そして、アリスには、もうひとつ理由があった。
(栄養が偏るじゃない)
おそらく、にんじんを摂取し過ぎたからといって、悪くなることはない――とは思うのだが、それでも気がかりである。
(体が資本なんだから、ちゃんとバランスのいい食事をした方がいいと思うんだけどな)
いろいろと不足しているものがあると思う。
主にカルシウムとか。
「……駄目。無理な気がしてきたわ」
「……」
ブラッドも無言で肯定する。
「だが、試してみる価値はあるだろうな。勿論、私は協力を惜しまない。資金も存分に提供しよう。頑張ってくれたまえ、お嬢さん」
「ん……努力はしてみる」
やらないよりも、やってみる方がいい。アリスは投げやりに返した。
「頼んだぞ、お嬢さん」
いつになく熱心に頼まれて、アリスはただ頷くしかなかった。
「あ、お姉さん! 探したんだよー。僕らと一緒にあそぼ……って、どうしたの、お姉さん!?」
「ん、何が?」
半ば叫ぶような声して、アリスは振り向いた。
アリスもよく知る、双子の姿があった。
その対なる色の大きな瞳が、驚愕に見開かれている。
「何がって、その目の前にある物体のことだよ!」
「どうしちゃったの、お姉さん!? まさか……」
ディーとダムは、呆然と佇んでいた。
よほどショックを受けたのか、続く言葉がでてこない。
「お姉さんまで侵食されちゃうなんて……」
ディーとダムは、ふらふらとその場に崩れ落ちた。
床に膝をつき、がっくりと肩を落とす。
「あ、あの……ディー? ダム?」
もしかして泣いているのではないかと心配になり、アリスは二人にそーっと声をかけた。が、返る反応はない。
ディーとダムは、俯いたままで小刻みに震えていた。
アリスが戸惑っていると、二人は突然、顔をあげた。
その瞳は、怒りに燃えていた。
「ひよこウサギ……最低。殺す」
「同感だ、兄弟」
おそろしく低い声で呟くと、ディーとダムはゆらりと立ち上がった。
その形相には鬼気迫るものがあった。
斧を握り締める手が、力を込めすぎて白くなっている。
「ま、待って! 誤解してるんじゃないの!?」
改めて確認しなくても、彼らは誤解している筈だ。
「え、誤解? だって、お姉さん……それ、どうするつもり?」
ディーは、心底嫌そうに『それ』と視線だけで尋ねる。
「埋めるの? 埋めるんだったら、僕ら手伝うけど」
ダムの瞳はいつになく真剣だ。
「埋めたりしないわ。もちろん、調理するつもりだけど」
「……」
「……」
ディーとダムの瞳が冷たさを帯びる。
無言で体の向きを変えた二人の肩を、アリスは慌てて掴んで引き止めた。
「あ、あのね! 私が食べるんじゃないってば! エリオットよ!」
「ひよこウサギ?」
「馬鹿ウサギに食べさせるの?」
彼らはエリオットを『エリオット』とは呼ばない。
同意してもいいものか迷ったが、思いきって頷く。
「ええ。エリオットって、にんじんばっかりを食べるでしょう? ちょっと食べる量を減らして欲しいなーって思って、思いついたんだけど」
アリスが、やや早口に状況説明を終えると、ディーとダムは目を丸くした。
二人の表情から、徐々に刺々しさが消える。
すっかり子供らしい顔つきになったので、アリスはホッとした。
「あいつの食べる量、そう簡単に減るかな……でも、減って欲しい。正直、目障りなんだよね……」
「僕も……。別に、僕らはにんじん嫌いじゃなかったのに……あいつのせいだ」
うんざりと答えるディーとダムの声には、彼らの本気が滲み出ていた。
「そうなの……ブラッドも、そうなの?」
問いかけると、ディーとダムは力強く頷いた。
「そうに決まってるよ! あいつがバリバリ食べてるのを見てると、こっちが気持ち悪くなっちゃうんだよね」
「そうそう! ボスも、それでうんざりしちゃったんだよ、きっと」
はあ、と二人は同時に溜息を零した。彼らなりに苦労しているらしい。
ディーは、調理台の上のにんじんに目を走らせた。
なかなかの量が積み上げられている。
「ひよこウサギに、これを全部食べさせるの?」
「うん。にんじんケーキを食べ続けて貰おうと思うの」
「……あー、なるほど。単品ばっかり食べ続けてたら、あいつも嫌いに」
いったん言葉を切ると、ディーとダムは首を傾けた。
「……なるかな?」
「どうだろうね……わからない」
お姉さんはどう思うのか、と視線で問われ、アリスも首を振った。
「私もわからない……けど、とにかく、一度やってみようと思う。きっと見かけたら胸焼けするだろうから、気をつけてね」
「はーい」
「うん、気をつけるよ」
軽快に返答をした後、ディーとダムはわずかに表情を曇らせた。
「……でも、いいなぁ。ひよこウサギ」
「うん、ずるい」
「ん? ……何が?」
どうしたのだろう、とアリスは目を瞬かせた。
「だって、お姉さんに作って貰えるんだもの。ずるいよ、あいつばっかり」
「そうそう。僕らも、お姉さんに作って貰いたいのに」
瞳の底に羨望を秘め、二人は憎きにんじんへと視線を向けた。
二人の可愛らしさに頬が緩む。
「じゃあ、貴方たちには今度作るわ」
アリスが提案すると、ディーとダムは顔を輝かせた。
「ほんと!?」
「絶対だよ、お姉さん!」
「うん、約束ね」
和やかに笑うと、ディーとダムの機嫌はすっかり良くなった。年相応の素直な笑顔だ。
さあ、準備に取り掛かろう。
アリスはエプロンに手を伸ばした。
「じゃあ、今から作り始めるから。また後でね」
「うん!」
「またね、お姉さん!」
今回ばかりは、彼らも素直に退散した。
オレンジ色のクリームを丁寧に塗った後、アリスは真剣なまなざしで、出来上がったばかりのケーキを見つめた。
見た限りでは、何処にも手抜かりはない。これも綺麗にできた。
「これで三台……よし」
ふう、と息を吐く。
ケーキ製作は、なかなかの重労働と化していた。
既に肩がバキバキにこっている。
(次はこれにしよう)
今、この場にはアリス一人だった。
手伝おうかと申し出てくれたメイドも居たのだが、丁重に断った。
今回は『アリスが一人で作った』という事実が必要だったからだ。
それに、一人で作りたい気分だった。
手早く道具を洗い終えると、休む間もなく次の準備にとりかかる。
「どのくらい食べるのかなー……」
小さく呟きながら、別の本を取り出しては開く。
頁にあらわれたオレンジ色のケーキの写真を、アリスは指先でつついてみた。必要な材料を目視で確認する。
まだ時間帯に余裕はある。
今、エリオットは仕事をしている最中だろう。アリスはにんじんに手をかけた。
段々、エリオットに勝負を挑んでいるような気分になってきた。
(勝つわよ。何がなんでも)
甘ったるい香りに包まれながら、アリスの表情は穏やかだった。
ちょうど八台目のケーキが焼きあがった時、ふっと視界の端で動くものがあった。
アリスは、顔を上げて窓を見やった。
今まで真っ赤だった空が、すっかり青くなっている。
(いけない、エリオットが帰ってくるわ)
アリスは、急いで流しに道具を積みあげると、エプロンを外した。この際、片付けは後回しだ。
調理室を出て、早足で廊下を歩く。
「あ」
アリスは立ち止まった。
通りがかった窓から、屋敷前の道を歩くエリオットの姿が見える。
(怪我はしてないみたいね……よかった)
一見、エリオットに外傷はみられない。アリスは胸をなでおろした。
エリオットの足取りはしっかりしているが、疲労はたまっているらしい。
顔色が、やや覇気がないように見えた。
アリスはブラッドの部屋へ向かった。
エリオットは、戻ってくると先ず、ブラッドへ報告に行く。その帰りを捕まえよう、とアリスは企んだ。
廊下を曲がった時、前方から、ドアの閉まる音が聞こえた。
エリオットが、ブラッドの部屋に入ったのだろう。
アリスはブラッドの部屋まで歩いた。
近くの壁にもたれかかり、ドアが開くのを静かに待つ。
(まだかな)
変にそわそわする。
早くドアが開かないかな、と思いながら、じっとドアを見つめる。
しばらくして、ドアノブが動いた。
「じゃーな」
のっそりと現れたエリオットは、部屋の中に向けて――ブラッドに向かって、手を振った。
ドアが閉まり、エリオットは体の向きを変える。
その途端、目の前に現れたアリスを見て、エリオットは目を輝かせた。
「アリス!」
抱きつかれる。アリスの頬は赤くなった。
こうするのが当然とばかりに、エリオットはよく抱きついてくる。恋人なので、不満ではないのだけれど。
欠落した気力を補うかのように、きゅーっと抱きしめられる。
アリスから吸い取られたエネルギーは、エリオットへと補われていく。
エリオットが元気になればいいな、とそんな想像をしてアリスは楽しんだ。
「エリオット、お疲れさま。いま、大丈夫?」
「ああ、平気だぜ!」
エリオットは体を離すと、にかっと笑った。安心すると同時に、ドキドキする。
「あのね」
「ん? あんた、甘い香りがする……」
意外と鋭い。
ふんふん匂うエリオットが可愛らしくて、アリスの口元は緩みっぱなしだ。
「お腹はすいてる? エリオット」
「ああ。すっげーすいてる。どした?」
「エリオットの為に、にんじんケーキをいろいろ焼いてみたの。食べ」
誘い文句は、最後まで言うことができなかった。
「マジでっ!? そんな、あんた……あんたって、何て優しいんだ!」
「ぐ」
不意打ちだった。
渾身の力で抱きしめられ、蛙の潰れたような声が出てしまった。
(苦しい……)
エリオットの力は強い。
そんな彼にぎゅうぎゅうに抱きしめられては、呼吸さえもままならない。
エリオットの力は全く緩むことなく、このまま抱き潰されてしまうのではないか、と、アリスは不安になった。
抗議の意味を込めて背中をバシバシと叩くと、エリオットは、慌ててアリスを解放した。
途端に、肺に空気が流れ込み、アリスは盛大にむせた。
「す、すまん……大丈夫か? アリス」
すまなそうなエリオットの謝罪にも、アリスは答えられない。それどころではない。
咳き込むアリスの背中を、エリオットはそろそろと撫で始めた。
じろりと睨みつけると、エリオットの耳がピンと直立した。
「あんた……私に恨みでもあるわけ」
「そっ、そんなはず無いだろ!? 俺、あんたのこと好きだって!」
慌てて言い繕っているが、怪しいものだ。
「ふーん……」
ちらっと意味ありげな視線を投げかけると、エリオットの狼狽は深まった。
ここまでにしとこう、とアリスは頭を切り替えた。じゃれ合うことが今の目的ではない。
わざとらしい不機嫌さを消し、にっこりと微笑む。
「ね、エリオット。持っていくから、部屋で待っていてくれる?」
「ん、わかった。俺も、ちょっと着替えなきゃいけないし……部屋で待ってるな」
エリオットは快く頷いた。
実験は、エリオットの部屋で行うと決めていた。
その方がエリオットも落ち着けるだろうし、何よりも、うっかり目撃してしまう者も出ないだろうから。
アリスは一度エリオットと別れると、来た道を引き返し始めた。
焼いたばかりのケーキが、次々とテーブルに並べられていく。
エリオットはただ、その光景に魅入っていた。
「すっげえ……」
呟く声は、何処となくうっとりしている。
「好みが分からなかったから、目についたレシピを片っ端から作ってみたんだけど……」
ちらり、とエリオットの顔を窺う。
エリオットは瞬きもせずに、テーブルを凝視していた。
「ちょっと多かった……わよね」
さすがのエリオットも呆れてしまったのか、と、一瞬だけ思った。一瞬だけだったが。
「……アリスッ!」
「はいっ!」
がしっと力強く肩を掴まれて、アリスは身を固くした。
「俺……幸せだっ!」
「え」
エリオットの目が、この上なくキラキラしている。そして、うるうるしている。
今にも泣き出してしまいそうな勢いだったので、アリスは理由もなく戸惑った。
「こんな美味そうなケーキ、俺の為に山ほど作ってくれるなんて……感動した!」
「あ、ああ、それなら良かったわ」
焦ったのか、声がうわずってしまう。
エリオットの目が少年さながらに輝いていたから、勢いに負けたのかもしれない。
「エリオットが全部食べちゃっていいのよ」
作った側のアリスは、それだけで既にお腹いっぱいだった。匂いだけで十分だ。
「全部!?」
エリオットは瞠目した。
本当に言っているのか、と言いたそうな瞳を見て、アリスはホッとした。
(あ、さすがに量がきつい?)
ホールケーキ八台分だ。それぞれのケーキの味が違うとはいえ、女の子でも苦しい。
良かった、エリオットも無理なのか――ならば、彼の『うんざりする量』には届いているということだ。
後は、その量に達するまで、如何にして食べて貰うか。
これをクリアしたら、計画にも希望が見える。
勝った。
アリスは心の中でニヤリとした。
「ごめんごめん、全部は無理よね。好きなだけ」
「いいのか!?」
思考が一瞬、止まっていた。
「……え」
エリオットは今、何と言ったのだろう。
確か、『いいのか?』と聞こえたような気がする。
と、いうことは……と、いうことは。
「あんたってホント……すげー好きだ!」
「あ、ありがとう」
負けた。
アリスは痛感した。
この勝負は、完全にアリスの負けだった。ただ、エリオットの勢いに気圧されるばかりだ。
エリオットの表情を見る限り、口だけではないことがわかる。つまり、食べる気だ。全て。
(……あああ、見たくないー)
だが、見届けなくてはならない。憂鬱になりながらも、顔だけは笑顔を作る。
「食べてみて、どれが好みかを教えてね」
「ああ! でも、どれも美味そうなんだよなー……」
よほど嬉しいのか、エリオットはいつにも増して落ち着きがない。きょろきょろとケーキ達を見渡す。
しばらく熟考した後、エリオットはひとつの皿に手を伸ばした。慎重に手元に引き寄せる。
すぐには手を出さず、エリオットはうっとりとケーキと睨めっこしていた。
いつもはいきなり食べ始めるのに。アリスは紅茶を淹れながら、不思議そうにエリオットの横顔を盗み見た。
エリオットの手が、やっと動いた。
まずは一口。エリオットの顔が、ふわりと綻ぶ。
「美味い……アリス! これ、すっげー美味いぜ!」
満点の笑顔だった。見ている方も幸せになるような、邪気のない笑顔。胸がいっぱいになる。
弾みがついたのか、エリオットの手は止まらない。
堰を切ったように、ぱくぱくとケーキを食べ進めていく。
「よかった。たくさん食べてね、エリオット」
アリスは、そうとしか答えてあげられなかった。
エリオットの胃袋へ消えたケーキの量は半端ない。
冷静に考えれば、胸焼けしそうな量だ。そして今も、エリオットの手は止まらない。
だが、次々と嬉しそうに平らげるエリオットを見ていると、気持ちがムズムズするのだ。
(可愛いじゃないの)
乙女心を刺激される。
何だか、もうどうでもよくなってきた。
エリオットがどれ程にんじんを貪ろうが、構わないではないか。
こんな風に楽しそうに食事をする彼が、誰かに責められる云われはない。
カラン、と硬質の音がした。やっと、エリオットの手からフォークが離れる。
(……本当に、全部食べちゃった)
アリスは傍から見ていただけなのに、やたら喉が渇いてしまい、紅茶を何杯も飲む羽目になった。
「あー、美味かった……幸せだ」
「よかった」
今度は、心から『よかった』と言うことができた。
そんな風に言ってくれると、作り甲斐があるというものだ。
最初の趣旨とは、まるっきり違ってしまったが。
「ねえ、どれが美味しかった?」
「そりゃー勿論」
やんわりと肩を抱かれた。それがとても自然な動作だったので、抵抗するという考えも浮かばなかった。
頬を、ぺろりと舐められる。くすぐったくて、アリスは首をすくめた。
「あんたが一番だ」
「もう」
照れながら、二人で笑いあう。アリスは、エリオットの胸に身を預けた。
エリオットからは、柔らかなお日様の匂いがした。包まれていると、とても気持ちがいい。
ゆるやかに、二人でベッドに倒れこむ。
(あ。……そうか)
胸にすとん、と落ちつくものがあった。
「飽きられたら、困るな」
食べ過ぎたからといって、飽きられてしまっては困る。
にんじんも、アリスも然り。
そう思うと、妙に納得できるものがあった。
アリスの呟きが聞こえたのだろう。
エリオットは目を剥いて、がばっと上体を起こした。
「飽きる!? 誰が!?」
「いや、独り言よ」
「いーや、聞き捨てならねえ!」
エリオットに釣られて、アリスも起き上がる。
エリオットにお茶を淹れようか、とティーポットに手を伸ばした。
けれど、その手はエリオットに捕まれてしまった。
くるりと体の向きも変えられ、真正面からまともに見つめられる。
アリスの腰と手はエリオットにがっちりと握られており、自由に身動きが取れない。
「お茶、淹れるわね」
「そんなんより、話する方が先だろ!?」
ごもっとも。
だが、特に意味はないのだ。
「だから、独り言だってば」
アリスは弁解したが、エリオットは聞き入れなかった。
「あんた、まさか……俺があんたに飽きるかも、なんて思ってるんじゃないだろうな!?」
「まさか」
アリスはすぐに答えたが、エリオットは納得がいかないらしい。じとーっと見つめられてしまった。
「……あんた、ほんっっっとに、そんなこと思ってないだろうな?」
「あー……」
エリオットの目に、責めるような含みはない。
けれど、アリスの心には小さな波紋が広がる。
(本当は、ちょっとだけ思ってます)
エリオットの事を信じてないわけではない。
エリオットは、好きになったものなら、そう簡単に飽きたりなどしない。
その事は、アリスにもわかっている。
ただ、アリスに植えつけられた劣等感は、そう簡単に消えてはくれないのだ。
これはもう自分の問題であって、エリオット側に問題は何も無い。問題がある筈もない。
いい加減、心に折り合いをつけねば。
アリスは静かに決意した。そうしないと、エリオットに失礼だ。
曇りかけた心を包み隠すように、アリスはやわらかく微笑む。
「……思ってないない」
怪訝そうなエリオットの頬にそっと唇を寄せると、手がようやく緩んだ。
その隙にするりと抜け出して、アリスはポットを手に取った。
「本当かー?」
「本当に」
柔和に笑いながら、エリオットにティーカップを差し出す。
エリオットは素直にカップを受け取ると、中身を見て嬉しそうに飲み干した。
エリオット用の、にんじんたっぷりのにんじん茶だ。
アリスは、エリオットの隣に座りなおした。彼の端正な横顔を、じっと見上げる。
食卓に、ただ一色のみが広がる光景。そこには必ずエリオットがいる。
そう思うと、見飽きたうんざりする景色も、少しだけ好きになれそうな気がした。
【太陽の海 / 了】
===== あとがき ===
2009年8月発行『歯車を探して』より。
エリオットの上限値はどこら辺なのでしょうね?
読んでくださってありがとうございました。