歯車を探して
「はい、差し入れ」
華やかな紅茶の香りがして、ブラッドは顔を上げた。
自分に向けて、ティーカップがずいっと差し出されている。
視線をもう少し持ち上げ、手の主を見る。
「……頑張るね、お嬢さん」
呆れ顔でため息をつくブラッドを、アリスはジロリと横目で睨んだ。
「あら、気分じゃなかった?」
「いいや。貰おう」
ブラッドは、いそいそとティーカップを受け取った。紅茶を無下にすることなど出来ない。
アリスは茶菓子の用意をしたりと、茶会をするには殺風景だったテーブルを、手早く彩っていく。
ブラッドはソファに移動すると、その背に深くもたれかかった。
すっかり準備を終えたアリスは、控えめに、ちょこんとテーブルの端に立つ。
アリスは今、勤務中だった。
メイドさながらの――メイドなのだが――手際の良さに感心すると、ブラッドはアリスに声をかけた。
「座りなさい」
してやったり、とアリスは笑顔で頷く。
他者の思惑通りに動くのは嫌いだが、彼女が相手となると、それほど不愉快とは思わなかった。
アリスの淹れた紅茶が、今のブラッドの気分と合っていたからかもしれない。
ともかく、紅茶の礼ぐらいはしてやろう、という気になった。
ブラッドは、聞きたいであろう話を、アリスに聞かせてやることにした。
アリスが聞きたいこと――恐らくは、歯車の話。
「あいつは、時計を壊して欲しいと言ったんだ」
「時計を?」
時計を壊して欲しいと、ブラッドに?
アリスの頭は疑問符だらけだ。
時計を壊したからといって、何だというのだろう。
自分の手では壊せないほどの、大切な思い入れのある品なのだろうか。
だが、そうだとしたら、壊す理由がもっとわからない。
「理解できないか?」
「さっぱり」
だろうな、とブラッドは小さく溜息を吐いた。
自分たちは、アリスと作りが違うのだ。
そこから理解しなくては、話が見えてこないだろう。
アリスの知らない、この世界の仕組みを。
本当は、話さない方が良いのかもしれなかった。
だが、アリスがそれで動揺しようが、ブラッドの知ったことではない。ここからはエリオットの管轄だ。
「我々の動力源は、時計なのだよ」
「……?」
動力源とは、どういう意味なのか。
アリスが理解しかねていると、ブラッドは親切にも説明を付け加えた。
「君でいう心臓だ。そして役持ちの時計は、次の役持ちへと継がれていく」
語りながら、ブラッドはティーカップをテーブルに戻した。
ブラッドは苛立っているのだろうか。
アリスはそんな事を思った。
けして表には出さないが、常よりも、紅茶の表面が揺らいでいる。
アリスの反応を待たずに、ブラッドは続ける。
「エリオットが死ねば、奴の所持している時計は、次の役持ちが持つ」
「……何ですって」
物騒な話に、アリスの顔は歪む。
「時計を壊せば、呪いのような輪廻は止められる。相応の罰はあるがね」
「でも、そんな」
にわかには信じがたい。
アリスの戸惑いを察したのか、不意に、ブラッドはアリスの体を引き寄せた。
「何っ……」
「ほら、触れてみるといい」
ブラッドは、焦るアリスの手を取ると、自身の左胸へ押しつけた。
アリスの手が、震えた。
信じられないものを見たかのように、その大きな瞳が見開かれる。
「……!」
「聞こえるだろう? 忌まわしい歯車の音が」
ブラッドの唇が、自嘲気味に歪む。
アリスの震える指先が、やけに熱く感じられた。
「時計屋に回収される前に、時計を壊して欲しいと言ったんだ。修理できないように、徹底的に、ね」
ブラッドの話を、アリスは聞くしかない。
まるで夢物語を聞かされているようで、頭がぼうっとする。
アリスは、自分の処理能力が、全く追いついていないことを知った。
「そんな……何で」
「ふふ。私にも、奴の気持ちはわかるよ」
何故そんなことを。
アリスは訝しむ視線をブラッドへ送る。
難なくその視線を受けたブラッドは、あっさりと理由を吐露した。
「我々は、永遠にゲームから降りられないのだから」
「……」
アリスは何も言えなくて、唇をかたく引き結んだ。
感情を込めずに言うブラッドが、やけに寂しそうに見えたからだ。
(そんなの)
悲しいこと――では、ないのだろう。
そういうシステムでこの世界は成り立っているのだ。けれど、どこかやり切れない。
(時計屋が修理、っていうことは……ユリウスが)
彼が修理していたのは、ただの時計ではなくて――彼らの心臓だったのか。
アリスはようやく気がついた。
だが、戸惑いは確かにあるが、嫌悪感はない。
ユリウスの人となりを知っているからだろうか。
それとも、エリオットのおかげなのだろうか。
「エリオットがユリウスを嫌うのは、そのせい?」
確か、エリオットはユリウスを憎んでいた筈だ。
その理由が、今やっと理解できたような気がする。
アリスが尋ねると、ブラッドは頷きかけてやめた。
「ああ……昔、投獄されたことがあったせいだろう」
「え」
アリスは小さく息を呑んだ。
「あいつは友人の時計を壊したんだよ。ゲームから降りたがっている友人の頼みを聞き入れて、ね」
ブラッドは、のんびりと紅茶を口にした。
重要な話ではない、というように、その口調は常と変わらない。
アリスにとっては、十分に重大な話なのだが。
「そして奴は咎を受けて、時計屋に投獄された」
「そ、そんなに罪の重いこと!?」
「ああ、そうだ」
仰天するアリスに向かって、ブラッドはゆったりと頷いた。
(そんな)
聞くこと全てが、知らないことだらけだ。
エリオットのことを、自分はこんなに知らなかったのか。
アリスは自分に呆然とした。
今まで、エリオットは友人だった。
あまり他者に深入りはしない主義だったから、今まで気にせずに居たけれど――これは、まずいのではないか。
(だって……好きになるなんて、思わなかったんだもの)
自分に言い訳をしてみたが、駄目だ。やはり、自分が情けない。
これでは、エリオット一人を責められない。
(私のほうが無関心だった)
だって、ユリウスを嫌う理由すら、アリスは知らなかった。
エリオットに聞けば、きっと教えてくれただろう。
けれど、アリスは聞かなかった。
物騒な話は御免だ、と流して、逃げた。
自分が歯がゆい。
自己嫌悪に陥りながら、アリスは深い溜息を吐いた。
一度沈んでしまえば、心は凪いだ。
「それって……じゃあ、エリオットの時計を壊したら、罰を受けるのは貴方じゃない」
妙に冷静に、そう考えることができた。
ブラッドは軽く頷く。
「そういうことだ。しかもただの時計じゃない、役持ちの時計を壊すんだ。相当だろうな」
「だ、大丈夫なの?」
認めたくはないが、この世界には階級が存在する。
役もちと顔なし、両者では神と人ほどの隔たりがある。
エリオットが殺めたのは、どちらなのだろう。
ブラッドの口調からして、エリオットが壊したのは、顔なしの時計。
そのエリオットですら、投獄されたのなら――ブラッドは?
アリスの心配そうな視線を受けて、ブラッドはニヤリと楽しそうに笑った。
「さあ、どうだろうな。だが、面白そうだろう?」
平然と言ってのけるブラッドを見て、アリスは強い目眩がした。
怪しい足取りで、アリスはブラッドの部屋を後にした。
(駄目。しっかりしないと……考えなくちゃ)
エリオットのこと。
時計の話。
ブラッドとの約束。
目眩はおさまることを知らず、酷くなるばかりだ。
アリスの思考を、ますます混乱へと導く。
(時計……エリオットの時計の)
歯車。
欠けているのは、そこなのか。
「エリオット」
浮かされたように、アリスの唇から名が零れ落ちる。
呟くと、すぐにエリオットの顔が浮かぶ。
心に浮かびあがるエリオットは、いつも笑顔だ。
明るい太陽のような笑顔で、アリスを待ってくれている。
(私には、心臓があるから?)
だから、アリスのことを特別だと言ってくれたのだろうか。
特別、大切にしてくれるのだろうか。
アリス自身が好きなわけではなくて――と、迷走する思考は、とつぜん打ち消された。
「アリスー!」
アリスは、体をビクリと震わせた。
聞きなれた声が、アリスの名を、心から嬉しそうに呼んでいる。
(エリオット)
アリスは、声のする方向を見ることができなかった。
心臓が嫌な感じに音を立てている。
迷うように止まった足を無理矢理に動かすと、アリスは足早に、その場を立ち去った。
当てが外れたのはエリオットだ。
アリスに向かって手まで振っていたというのに、当人はエリオットの方を見もせずに歩いて行ってしまった。
「え、アリス……?」
想像もしていなかった事態に、エリオットは呆然と立ち尽くしていた。
やり場のない手を、おずおずと下げる。
ピンと張っていた耳さえ、だらしなく垂れ下がってくる。
「……気がつかなかったのか?」
言った直後、エリオットはすぐにその可能性を打ち消した。
(だけど、今のは)
今の行動は。
(逃げた、よな)
エリオットとて、マフィアの端くれだ。
それも組織のトップクラス。エリオットは、けして鈍くはないのだ。
確かに、アリスは自分に気づいていた。
「アリス……」
アリスの立ち去った方向を切なそうに見つめながら、エリオットの表情は沈んだ。
こんなにも求めている人の姿が、ない。
それがどれ程の痛みなのか、身をもって知った――ような気がした。
緊張に高鳴る胸を抑えこみながら、アリスは長く息を吐いた。
ドアにもたれ、そのまま、ずるずると座り込む。
(やばかった……)
今は、エリオットと顔を合わせたくなかった。
普段の服に着替えて、ベッドに倒れこむ。
柔らかい感触に、張り詰めていた気が急激に緩んでいった。
(何か……疲れた)
情報が一度に入ってき過ぎしても混乱するのだなと、ぼんやり考える。
(そうよ。まず、エリオットに聞くべきだったわ)
ブラッドの口ぶりは、嘘をついているようには思えなかった。
それでも、きちんとエリオットから聞いた方がいいだろう。
暖かい陽気が、眠気を誘う。
今にも、やわらかな空気に丸め込まれてしまいそうだ。
アリスがうとうとと瞳を閉じかけた時、ドアのノック音が聞こえた。
「アリスー、いるか?」
アリスは文字通り、飛び上がった。
眠気も消し飛んでしまう。
(エリオット!?)
声の主に気づいてしまい、アリスは氷のように動けなくなった。
震える手で、無意識に近くの枕を掴む。呼吸さえも潜め、アリスは枕を抱き潰した。
(あああ、ごめんごめんごめん……)
きっと、エリオットはしょげてしまうだろう。
そのことに関してはとても心が痛んだが、どうしてもドアを開ける勇気はもてなかった。
エリオットは、すぅっと目を細めた。
紫色の瞳が、その冷たさを増す。
(居留守、か)
エリオットは感情を込めない目で、開かないドアを睨みつける。
これでもマフィアの端くれだ。気配くらい読める。
室内に人がいるかどうかぐらいは、エリオットとて判る。
「……」
(アリスの気に障るようなこと、俺は)
していない。
していない筈だ。
頭が良くないから、はっきりと断言はできないけれど。
アリスのことだけは、今までずっと大事に大事にしてきたつもりだ。
がさつな自分が、アリスを傷つけないように。
うっかりアリスを乱雑に扱わないよう、細心の注意を払ってきた。
汚れた自分が、綺麗なアリスを汚さないように。
そのつもりだったのに、とエリオットは無意識のうちに強く唇を噛んだ。
鮮烈な、鉄の味がした。
そんな二人のすれ違いがあって、数時間帯あとの事。
久方ぶりに、夜のお茶会が開かれていた。
アリスがその準備を整えた後、主催――ブラッドから、アリスも参加するようにとの声がかかった。
今度は客の一人として、アリスは迷わず席についた。
最近また気に入りの茶葉が増えたらしく、ブラッドは熱心に素晴らしさを語っている。
悦に入っているのは普段どおりだ。
ディーとダムも、騒がしくはあるが、こちらも普段どおり。
だが。
この場に、様子がおかしい男が一人だけ居た。
彼の不調にいち早く気づいたのは、アリスだった。
だから、さっきから気にかかって仕方ないのだが――。
アリスは、遠慮がちに声をかけた。
「あの……エリオット?」
「あ? ああ、アリス。どうした?」
「こっちの台詞よ。どうしたの? 今日はあんまり食べてないじゃない」
「そうか?」
受け答えも、どこか上の空だ。
アリスは心配になって眉をひそめた。
エリオットには、いつもの覇気がない。
心なしか、周囲がどんよりと曇っている。
疲れが溜まっているのだろうか。
ちゃんと休憩を取っているのだろうか。
アリスは心配になった。
エリオットを包囲するかのように並べられた明るい色の物体が、今日は一向に減らないのだ。
まさかの事態に、誰だって異変に気がつくだろう。
「体調がよくないんじゃない?」
「んー、そうかもしれねえ」
ぼんやりとエリオットは答える。
大好きなにんじんケーキも、何だか今は味気ない。
アリスは優しい。
本当は自分のことが嫌いなのに、優しくしようとしてくれる。
(そうだな……優しいもんな、あんたは)
優しくて、賢い。そして綺麗だ。
自分などが触れてはいけない。
アリスは、自分よりも相応しい相手がいるではないか。
たとえば、ブラッドとか。
体のどこかで、歯車の軋む音がした。
不快さはない。苦しくもない。
もしかして自分は壊れかかっているのだろうか、と他人事のように考える。
それも悪くないな、と思った。
「……」
「エリオット?」
黙りこんでしまったエリオットの顔を、アリスは心配そうに覗き込む。
含みのない彼女の瞳は、とても綺麗だった。見つめられると緊張する。
動揺を隠して、エリオットはそっと視線を外した。
(あ、あれ?)
苦しい、と思った。
時計の針が軋むよりも、格段に。
(俺、どっかおかしいのか)
おかしい自覚はある。
だが、その正体が分からず、掴みかねている。心がもやもやする。
「ん……俺、部屋に戻る。じゃあな、アリス」
不調すぎる。
アリスのフォローもしてやれない。
そんな余裕が、今はない。
エリオットは、いたたまれなくなって立ち上がった。
好奇の視線に混じり、ひとつだけ心配を露にする視線があった。
アリスだ。
そう悟った瞬間、胸が熱くなる。
心に、ぽっと火が灯ったかのようだった。
仕事とは、それだけでストレスが溜まるものだ。
けれど、幸いにして、自分たちはストレスを解消する方法を心得てはいるし、仕事内容に対して負担を感じたことがない。
ただ、だるくて退屈なだけだ。
だが、これは何の拷問だ。
「は〜……」
「……」
ディーは眉間に皺を寄せた。
せっかく意識しないようにしているのに、聴覚は防げない。
「……あ〜」
「……」
ダムの苛立ちは膨れ上がる一方だ。
無視しなければならないのに、ムカついて無視できないのがきつい。
「……ふぅ」
数え切れないほどの溜息を間近で聞かされ続けた二人の額には、くっきりと青筋が浮き出ていた。
「って、いい加減うざいんだよっ! いっっっつもうざいけど、今日は特にうざい!」
「僕らのとこに来たと思ったら、ず〜〜〜っとため息ばっかりついちゃってさ。何? 新手の嫌がらせ!?」
とうとう爆発した二人は、口々にエリオットへ向けて文句を並べ立てた。
「そうじゃねえよ……あー、俺、どうしたらいいんだ」
エリオットの声は力ない。
耳も下がり気味で、全体的に色もくすみ、何より覇気がない。
弱っているエリオットにも、双子は容赦しなかった。
「何がだよ。自分の存在がうざいってことに、やっと気づいたの?」
「兎耳をどうにかしたい相談なら、乗ってあげるよ。タダで」
「ちーがーうっ! 俺は兎じゃねえ! ……はぁ」
一度はピンと立った兎耳が、語尾の辺りで、へにょーっと垂れ下がっていく。
ディーとダムは顔を引きつらせた。
何て目障りなんだろう、こいつは。
「……どうしよう、兄弟。僕、本格的にこいつがうざくなってきたんだけど」
「僕もだよ、兄弟。そろそろ殺っちゃおうよ」
ディーとダムは、そろそろ〜っと、しおれているエリオットの背後に回った。
斧を持つ手に一層の力がこもる。大きく振りかぶって、両断しようとした刹那。
「俺、アリスに嫌われたかもしれねえ……」
エリオットの呟いた言葉に、二人の手はピタリと止まった。
すぐさま斧を下ろすと、興味津々といった風体でエリオットの背中に声をかける。
「何々? どういうこと?」
「わぁ、優しいお姉さんにまでうざがられたの? 終わったね、ひよこウサギ」
「馬鹿ウサギ、お姉さんに何をしたのさ。事によっては、ただじゃおかないよ」
好奇心まるだしの二人の言葉は、次第に剣呑さを帯びていく。
エリオットはカッとなって言い返した。
「アホか! 俺は何もしてねえよっ!」
「じゃあ、何でお姉さんに避けられてるんだよ。優しいお姉さんが、理由もなく避けると思うの?」
ダムの言い分は最もだ。
アリスはそんな子ではない。
エリオットもそう感じたらしく、バツが悪そうな顔で、乱暴に頭を掻き毟った。
「……してねえ、と思うんだけどな〜」
エリオットは気弱そうに項垂れている。
ディーとダムは、ようやく、今ここにエリオットが来た理由に思いあたった。
「っていうか、何でボスに相談しないで、僕らなわけ?」
「いつもなら、僕らに助言なんて求めないだろ、お前」
おそらく、エリオットは誰かに聞いて貰いたかったのだろう。
だが、常ならば、その相手はブラッドの筈。
こんな事は、すごく珍しい。
珍しいことは嫌いじゃないけれど、納得がいかない。
その上、正直うっとおしい。
「俺だって、お前らよりブラッドの方がいいに決まってるだろーが!」
「だったら、最初からボスの部屋に行けよ!」
ディーの鋭い切り返しに、エリオットはたじろいだ。
ディーの言い分は正論だ。
「で、でもよ」
「何さ。何か理由があるわけ?」
エリオットは、もごもごと口ごもった。
「だってよ、ブラッドは……アリスと」
「え? お姉さんが、ボスと……何?」
エリオットは小さく手招きした。
もしも他に聞かれたら、アリスに悪い噂がたつ。
素直に寄っていった二人の耳に、こそこそと耳打ちする。
「はあ!? お姉さんが、ボスのお手つきになってた!?」
せっかくのエリオットの配慮も、ディーが台無しにした。
「それは知らなかったな……大人ってずるいよ」
「僕らだって、お姉さんと遊んで欲しいのに」
「今度、遊んで貰おうよ。お姉さんに」
「そうだね、そうしよう」
カッとなったエリオットは、ディーとダムの頭を力任せに掴みあげた。
二人は痛みに顔を歪めたが、エリオットは気にしない。
「お前ら……ガキが、アリスと遊ぼうなんざ、百年早いんだよ!」
ディーは、エリオットの手を乱暴に払った。
「うるさいな、お前よりマシだろ! お前は、お姉さんに相手にもされてないじゃないか!」
「っ!」
ディーに言い返されて、エリオットは目を見開いた。
いささか衝撃を受けたようで、その顔色がみるみる青くなっていく。
「あ、相手に……されて、ないか……?」
言いたくない。
認めたくない。
口にしたくない。
歯切れの悪い口調で、エリオットは恐る恐る二人に尋ねた。
ディーとダムは無情にも、揃って頷いてみせた。
「ああ、百パーセント相手にされてないね」
「大体、ひよこウサギは口うるさいし」
「そうそう。うざいし」
「短気だし」
「にんじんばーっかり食べるし」
今度こそ、エリオットは項垂れた。
口々に並べ立てる双子の言葉も、まともに耳に届いているのかどうか怪しい。
「はぁ……アリス〜……」
情けない上司の姿を見かねて、ディーとダムは罵倒を止めた。
「……兄弟。僕、ちょーっとだけ、あいつが哀れになってきた」
元気の無いエリオットなど、いままで見たことがなかった。
今、初めて目にしたが――これは、見られたものではない。怒鳴る気も失せる。
「僕も……なんか、哀れ過ぎて殺す気にもならないよ。不思議だな」
たかが女一人のことで情けない、と思う一方で、相手がアリスならば仕方ないかとも思う。
アリスは余所者で、特別。
だから自分たちは、打つ手を間違えてはいけないのだ。
勤務時間が終わった直後、ディーとダムはアリスを探し歩いていた。
部下に聞いたところ、アリスは今、仕事中だという。場所も聞いてきた。
この辺りの筈なんだけどな、ときょろきょろ周囲を見回しながら、二人は歩く。
「あ、いたいた。お姉さーん」
「お姉さん、待って待ってー」
アリスを見つけた。
掃除用具を抱えて歩いている。
二人が声をかけると、アリスは足を止めて振り返った。
「どうしたの? ディー、ダム」
にこやかに迎えてくれるのが、嬉しい。
ディーとダムは微笑みながら、単刀直入に切り出した。
「お姉さんてさ、ひよこウサギのこと嫌いになったの?」
「え」
「あいつ、割とお姉さんになついてたと思うんだけど。最近、一緒に居るところを見ないよね」
急すぎて、アリスは戸惑いを隠せなかった。
いきなりエリオットの話を振られるとは思わなかった。
「お姉さんもいい加減、うざくなった?」
「まぁ、あいつはうざいから仕方ないとは思う」
ディーとダムの目が、不機嫌に細められた。
「ほんっっっと、うざいよね。どうしたらあいつ、うざくなくなるんだろう」
「無理じゃないかな、兄弟。死んでも治らないと思う」
声のトーンも、格段に落ちる。
不穏な気配に、アリスはぎょっとした。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
「聞いてよ、お姉さん!」
ダムは声を張り上げた。
自分達に与えられた苛立ちを、切に訴える。
「この間、あいつ、珍しく僕らのところへ来たんだよ」
「ず―――っとため息ばっかりついて、いい加減うざ過ぎてさ。殺っちゃおうかなって思ったんだけど」
くすくす、と二人は小さく笑う。
アリスの笑顔は引きつった。
「お姉さんに嫌われて落ち込んでるんだって、あいつ」
「……エリオットが?」
うん、と双子は頷く。
この間のお茶会から、何だか様子が変だと思っていたけれど。
(でも、私のことで落ち込むなんて)
しかも、見当違いのことで――と考えて、アリスは気がついた。
原因に、心当たりがあった。
動揺しまくって不安定な時、エリオットに声をかけられて、逃げてしまったこと。
(エリオットに気づかれてた?)
まさか、と思いたい反面、そのように思えて――そうとしか考えられなくなってくる。
アリスは、思わず口元に手をやった。
「お姉さん?」
青ざめたアリスを、気遣う声がする。
思考を引き戻せば、ディーとダムがアリスの顔を見上げていた。じっと、観察するように。
その視線に居心地の悪いものを感じて、アリスは言葉に詰まった。
「喧嘩してるわけじゃないのよ、別に」
アリスが慌てて弁解すると、ディーとダムは目をパチリと瞬かせた。
「それはわかるよ、お姉さん。お姉さんがあいつと喧嘩なんかしたら、お姉さん死んじゃうもん」
「うんうん、お姉さんは弱いから、死んじゃってる」
「……まさか」
アリスは笑って誤魔化そうとしたが、頬が引きつるに終わった。
ディーとダムは、茶化している風ではない。
(そ、そんな加減知らずじゃないと思うんだけど……。でも)
エリオットは、アリスを殺すことができる。
認めたくなかったが、その事は、もう疑いようがない事実なのだろう。
双子やブラッドが、揃って同じことを言うのだから。
アリスは森へ悩みに来ていた。
迷った時や答えを見出せない時、なんとなく足が森へと向かうのだ。
それでも結局、もやもやした気分は晴れることがないのだけれど。
エリオットの歯車。
自分の気持ち。
アリスの胸の内は、わからない事だらけだ。
心臓は時計。
歯車が欠けているといったのは、きっと時計のことなのだろう。
(ユリウスがいないから、時計の構造はわからない……けど)
どうも、そういう意味合いではないような気がする。
ただの直感だが。
(多分、そういうことじゃない)
だが、アリスには考えつかない。手
持ちの情報は、まだまだ少なかった。
やはり、対すべきはブラッドか。
かなり骨が折れるであろうことが容易に予想され、アリスは、どんよりとため息をついた。
ふと、視界が陰った。
アリスは、反射的に空を仰ぎ見た。
夕暮れの赤い空が、闇色へと侵食されていく。
考えがまとまらないまま、アリスは仕方なく立ち上がった。
(……帰ろう)
帰りが遅いとエリオットも心配するし、と考えて、アリスは苦笑いを浮かべた。
どうしよう。
取るべき行動が、さっぱり思いつかない。
アリスは夜の森を、なるべくゆっくりと歩く。
暗い木々の間から、ほんのりと月光が差し込んでいた。
「アリス、アリス」
しばらく行ったところで、アリスを呼ぶ声がした。
声のする方を向くと、手を振るピアスがいた。
ごそごそと繁みをかきわけ、急ぎ足でアリスの元へと駆けてくる。
「こんばんは、ピアス」
言いながら、頭についた葉っぱを取ってやる。
ピアスは嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「こんばんは、アリス。どうして森に居るの? 探し物?」
「何となく、散策してたの」
嘘ではない。
ピアスは素直に信じてくれた。
「そうなんだ。でも、もう夜だから危ない。危ないよ。時間帯が変わるまで、俺のとこにおいでよ」
こわーい獣も出るんだよーと、ピアスは邪気のない笑顔で、滞在を促した。
「ん……そうしようかしら」
なるべく帰りを引き伸ばしたかったアリスにとって、ありがたい申し出だった。
ピアスは飛び上がって喜ぶと、俄然張り切ってアリスを自分の家へと案内した。
「いらっしゃい、アリス」
「お邪魔します」
木の香りがする部屋は、アリスの気持ちを落ち着かせてくれた。
ピアスが淹れてくれたコーヒーを片手に、アリスはぼんやりと外を眺め見た。
夜の森は静寂に包まれていて、どこか恐ろしく、冷たい印象を与える。
「探し物が見つからない時って、どうしたらいいのかしらね」
ぽつりと零した言葉に、ピアスは食いついてきた。
「なになになにっ? 何を探してるの? アリス」
ピアスの勢いにやや気圧されながら、アリスは素直に答えた。
いつもなら、上手くはぐらかしてしまえるのに。今日は変だ。
「エリオットの、欠けた歯車を見つけたいの」
「え? エリーちゃんの? うーん、落ちてるかなぁ?」
ピアスは首を傾げて、しばし考え込んだ。
(いや、いくらなんでも落ちてはないと思う)
けれど、真剣なピアスの横顔を見ていると、否定はできない。
ピアスはこの世界の住人だから、アリスが考えるよりは真理に近い筈だ。
糸口も見つかるかもしれないし、とアリスはピアスの言葉を待った。
この不思議な世界では、何があっても不思議ではない。
ピアスはパッと顔を上げた。
「決めたっ! 俺も、アリスのお手伝いしてあげる!」
「え」
アリスは面食らった。ピアスはニコニコと続ける。
「見つけたいなら、探しに行こうよ。アリス」
「……」
そうか。
忘れかけていたことを、ピアスは拾ってきてくれた。
不覚にも、じーんときた。アリスは、感謝の意を込めて微笑む。
「そうね、見つけ出してみせるわ」
「うんうんっ!」
また、諦めてしまうところだった。
(ありがとう、ピアス)
彼らはいつも、いいタイミングでアリスを救い上げてくれる。そのことに、心から感謝する。
もう、動くことに躊躇いはない。
見つけたいのなら、探しに行けばいいのだ。
アリスは晴れ晴れとした顔で、立ち上がった。
さあ、エリオットの歯車を探しに行かなくては。
===== あとがき ===
2009年8月発行『歯車を探して』より。