歯車を探して










「アリス!」


明るい呼び声に、アリスは振り返った。
赤みがかった金色の髪が、日の光できらめく。それが思いのほか眩しくて、アリスは目を細めた。


「エリオット」


足を止めて、エリオットの到着を待つ。
一直線に駆けてくるエリオットを見ていると、自分の口元が綻んでいくのがわかる。


(可愛いな)


エリオットは、素直で可愛い。
好きな人を見つけた。だから嬉しい――そういった感情を隠そうともしないところが、特に。

自分には到底できないことだ。
図体は全く可愛くないのだが、そんな風に感じてしまう。

アリスはふいに、ディーとダムの言葉を思い出した。

『あいつはイカレれてる』――彼らは確かにそう言った。
彼らの言葉からは、ふざけている印象は全く感じとれなかった。
ということは、真剣に――あの二人に断言されるのだから、よっぽどのことなのだろう。

けれど、アリスの目に映るエリオットには、そうおかしな所は感じられない。
それどころか、帽子屋屋敷の中で、エリオットが一番まともに見えるのだ。
短気は短気なのだが、それを差し引いてもまともな大人だ。

それなのに、と、アリスはエリオットの顔をじっと見上げた。

まだ、自分の知らない部分があるのだろうか。

エリオットの隠された部分を見つけ出したくて、アリスはエリオットの瞳を慎重に覗き込んだ。


「ん? どうしたんだ? アリス」
「……」


私の知らないエリオットが、どこかに。

その事は、アリスの好奇心を刺激した。
徹底的に暴いてやりたい、とすら思う。


「ど、どうした? 大丈夫か?」
「あ……」


エリオットに軽く揺さぶられ、アリスは我に返った。笑顔で取り繕う。


「何でもないの。ちょっと考え事をしてただけ」
「そうか? なら、いいんだけどよ」


エリオットはホッと表情を緩めると、アリスにあれこれ話しかけてきた。
アリスは調子よく受け答えをしながら、しばしの間、この陽だまりのような空気に酔った。


(エリオットか……エリオットねー)


話をしている間にも、頭の片隅に、やけに引っかかるものがあった。

もっとエリオットの事を知りたい、と思ったのは、いつのことだっただろう。

そう。
知りたい、と思ってしまった。

今はまだ見えない部分も、全て見せて欲しいと願うようになった。


(……あーあ、こんな筈じゃなかったのに)


そう思う理由は――思い当たることなら、ある。

アリスは嘆息した。

二度と御免だと思っていたこと。
できることなら、永遠に沈めておきたいこと。

アリスは自らの手で、再びそれらに触れようとしている。


(こんな筈じゃ……)


さて、面倒なことになった。
そう思うと同時に、アリスの心は明るかった。

 





いくらなんでも、いきなり本人に尋ねるのは流石にまずいだろう。
そう判断したアリスは、ブラッドの部屋を訪れることにした。

エリオットはブラッドと仲が良い。
アリスが知らない多くの部分を、ブラッドならば知っているだろう。
一筋縄ではいかない相手だが、とアリスは気を引き締めた。

ノックをして、しばし待つ。


「どうぞ、お嬢さん」


中から彼の声を確認すると、アリスはそっと扉を開いた。

ブラッドは執務中らしく、机に向かって、さらさらとペンを走らせている。
アリスが後ろ手で扉を閉めると、ブラッドはペンを置いて顔を上げた。


「やぁ、お嬢さん。本を借りにきたのかな?」
「ううん、違うの」


ブラッドの艶めいた笑みに、アリスはいつも、訳もなく動揺してしまう。
負けじと平静を装いながら、アリスはかぶりを振った。


「おや、違ったか。では、私に何か用が?」
「ええ」
「何かな? お嬢さん」


気だるそうに言いながら、ブラッドは椅子の背に深くもたれた。キィ、と軽い金属音がした。
アリスは一歩、ブラッドのもとへ歩み寄った。


「ねぇ、ブラッド。エリオットの事を教えて欲しいんだけど」


単刀直入に話を切り出すと、ブラッドは思わせぶりに首を傾けた。


「エリオットの? あいつのことを、そんなに気に入っているとは知らなかったよ」
「ええ。私、エリオットのことが知りたい」


初めて、ブラッドの微笑みが崩れた。
からかい混じりの視線を打ち消し、わずかに目を瞠る。


「……どうしたんだ? 今日の君は、少しおかしい」
「私だって、たまには素直になるわ」


滅多に見られないのよと悪戯っぽく言うと、ブラッドの口元に、やっと笑みが戻った。
すっかりいつものブラッドだ。
じっとアリスの目を見据え、真意を図ろうと、探るような視線を向ける。


「エリオットのことを暴いて、それから君はどうするんだ?」


投げかけられた問いに、アリスは正直に答えた。


「それは……わからない。ただ知りたいの」
「君の、個人的な好奇心を満足させる為か?」


意地の悪い問いかけをも、アリスは真剣に考える。
しばらくして、アリスは首を横に振った。


「それも、まだ分からない」
「そうか」


だるそうに相槌を打ちながら、ブラッドは頬杖をつきながら考え込んだ。

アリスは、ブラッド――自分に対して、深い感情を見せないよう努めてきた。
ある意味、アリスにしては勇気ある行動に違いない。

面白い、とブラッドは微笑を浮かべた。

アリスが選んだのは、エリオットということか。
そのこと自体に、それほど違和感はない。
自分ではなかったのが、残念といえば残念ではあるが。

だが、エリオットはああ見えて――単純に見えるが、厄介な男である。
双子ほどではないが、間違えば命を落とすような類の厄介さが、彼にも確かにあるのだ。

ブラッドは、いくつか考えを巡らせた。
出来る範囲でアリスを守ってやろう、という気になった。
その程度には、ブラッドもアリスを好んでいる。


「もしも私が君を撃てと命じたら、十中八九、あいつは実行する」


物騒なことも、ブラッドは気だるい調子で口にする。
アリスは怪訝そうに眉をひそめた。


「まだ時期じゃない。もう少し待ちなさい」
「時期じゃないって、どういう……」


アリスの言葉を遮って、ブラッドは距離を詰めてきた。

アリスが思わず身構えたのを見て、ブラッドの唇は綺麗な弧を描いた。
獲物を追い詰めるのが楽しくて仕方がない――そんな表情を作りながら、まるで重大な秘密を囁くかのように、アリスの耳元に口を寄せる。


(近い近い近いっ!)


無駄に艶っぽい彼の動作に動揺しながらも、アリスは、彼にだけは動揺を悟られまい、と必死に踏ん張った。


(ち、近い……)


苦々しい記憶が蘇る。
沈めておきたい思い出が、心の淵からぬぅっと顔を出す。

思いっきり突き飛ばしてしまいたい。
そして、逃げたい――けれど、ブラッドに罪はない。
目の前にいるのは、ただ、そっくりなだけの別人だ。
アリスは静かに己の葛藤と闘った。

時間が、やけに長く感じられた。


「迂闊に踏み込んで、噛みつかれるのは嫌だろう?」


兎の牙は存外に鋭いからな、とブラッドは続けて言う。
距離が近すぎて、彼の表情はアリスからは見えない。けれど、その言葉には妙な重みがあった。


「……」


雰囲気に呑まれ、咄嗟にうまく言い返すことが出来なかった。

アリスは大きく息を吸い込んだ。
やんわりと距離を取ると、笑っている眼前の男を睨みつける。


「エリオットは私のことを、それほど好きじゃないってわけ」


結局、こんな見当違いの反論しか出来ない。
しかも恥ずかしいことこの上ない台詞を口にしている。

ブラッドは、ゆったりと首を振った。


「そんなことはない。あいつは、君のことが好きだろう。態度でわかる」
「でも」


アリスは尚も反論しかけて、言葉を切った。
命令で殺せる程には、好きではない。そういう事だ。


「それでも知りたいと言うのなら、私は止めないがね」


アリスは、言葉の真意を飲み込もうと、口をつぐんで考えこんだ。
ブラッドは、静かにその様子を見守る。

さて、アリスはどう動くのだろう。

与えた情報を元に、アリスがどう出るか。
それを見るのも楽しそうだ、と思った。

アリスは未だ、思考の海に沈んでいる。
自分の目の前で、他の男について考え込まれるのはあまり面白くない。
早々に痺れを切らしたブラッドは、アリスにちょっかいをかけることにした。


「もう少し、別方向から攻めてみてはどうだ?」


声をかけると、アリスはやっと顔をあげて、ブラッドを見た。


「……別方向?」
「ああ」


きょとん、としているアリスの手を恭しく取ると、ブラッドはそのまま自身の口元へと寄せた。
残る一方で、やんわりと彼女の腰を引き寄せる。

カッと、アリスの頬に朱がさした。


「……あなたの頭って、本当に……離れてくれない?」


ぐいぐいと力任せに押し返すと、ブラッドは笑いながらアリスから身を離した。


「第一……私にそういう魅力はないし。不気味なだけだから、やらない方がいいと思う」


アリスは、大真面目に答えた。
自分に、そっち系の魅力はないことくらい、十二分に理解している。

だが、ブラッドは『何故だ?』と言わんばかりに首を傾けた。


「君は何を言っているんだ。お嬢さんは十分、魅力的だと思うよ。なぁ、エリオット」
「えっ!?」


唐突に飛び出してきた名は、アリスを酷く動揺させた。
まさか――悪い冗談だろう、と思いきや、ブラッドはアリスの後方を見ている。


(嘘!?)


アリスが驚いて振り向くと、そこにはエリオットが立っていた。
見つめる視線とかち合い、アリスの頭は真っ白になる。


「……」


いつからこの部屋に居たのだろう。
エリオットは突っ立ったまま、じっと二人の姿を見つめていた。


「悪い、邪魔したか」


硬直したままだったアリスは、エリオットの一言でやっと正常な思考を取り戻した。
そうして、エリオットの言葉を理解したアリスは、いよいよ青ざめた。
彼はとんでもない誤解をしている。


「ち、違う! 邪魔なんかじゃない!」


よりにもよってエリオットに、ブラッドとの仲を誤解されようとは。

何故か、顔が熱くなる。
アリスが否定しようとすると、エリオットは「わかってるって」と笑いかけてきた。


「邪魔するつもりはないぜ? ちょっとこの書類、届けに来ただけだからよ」


慌てふためくアリスとは対照的に、ブラッドとエリオットは平然としている。動揺している様子もない。

エリオットは大股に歩みよると、ブラッドへ書類の束を差し出した。
ブラッドはその数枚をめくり、中身を軽く確認したあと、ゆっくりと立ち上がった。


「ご苦労」


ブラッドが一声かけると、エリオットは体の向きを変えた。


「じゃ、俺は退散するぜ。またなー、アリス」
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ、エリオット!」


声で制止したものの、エリオットは部屋から出て行ってしまった。
追いかけようとしたアリスを、ブラッドは呼び止めた。


「お嬢さん」
「何よ」


早くエリオットを追いかけないと。気ばかりが焦っている。
なのに、ブラッドの呼びかけを無視して走り出すことはできなかった。

ブラッドはふと、真顔になった。


「あいつは歯車を欠いている。せいぜい探してやることだ」
「歯車?」
「ああ」


アリスは思わず聞き返した。
だが、話は終わったとばかりに、ブラッドは手元の書類に視線を戻す。

だからこれ以上、アリスは問いただすことができなかった。


(歯車って……)


一体、何のことを言っているのだろう。
理解する前に、エリオットを追わなくてはならないことを思い出したアリスは、急いで彼の後を追った。


(何処に行ったの?)


エリオットが出て行ってからアリスが退室するまで、それほど時間はかかっていない筈だ。

だが、帽子屋屋敷は広い。
エリオットが自室へと向かっていると仮定して、アリスは走る。


(そりゃ、誤解もするとは思うけど!)


恐らくブラッドは、エリオットの来訪を知っていて、アリスに仕掛けてきたのだろう。
そうとしか思えない。

今更ながら、彼のことが憎らしく思えてきた。
しかも彼は、訳の分からないことまで言う。


(歯車って一体……あっ、居た!)


廊下を曲がると、前方に、大股で歩くエリオットの姿があった。
よかった、見失わないで済んだ。ホッと気が緩む。
同時に、何としても訂正しないと、とアリスの表情は引き締まる。

エリオットの歩く速度は早い。


(お、追いつけない……)


これがコンパスの差というものか。
痛感しながら、アリスは焦った。
ほとんど全力で駆けながら、アリスはその背に向かって声を張り上げた。


「エリオット!」
「……ん?」


エリオットの耳が、くるりと動く。
ようやくエリオットの足が止まった。

エリオットは、振り返ってアリスの姿を認めると、不思議そうにその目を瞬かせた。


「あれ、いいのか? ブラッドをほっといて」
「いいのよ、別に。エリオット、さっき何か勘違い」


したでしょう、絶対。

そう言いかけたアリスを遮って、エリオットは苦笑を浮かべた。


「あんたとブラッドが、そういう仲だったって気づけてなかった。すまねぇ」


やはり、エリオットは思い違いをしている。
アリスの予想通りなのだが、この予想は外れていて欲しかった。
想定はしていても、ショックは受ける。


「……違うっ!」
「? 何がだ?」


エリオットの思っていること全てが、だ。


「私とブラッドは、単なる」


言いかけて、アリスは途中で言葉を切った。


「……」


じっと、エリオットの様子をうかがう。
エリオットの視線は明後日の方角へと向いていて、アリスを見ていない。

エリオットは、自分を見ていない。


「エリオット、聞いてるの?」
「ああ、聞いてる」


嘘だろう、とアリスは直感的に思った。

アリスの話を、聞いてはいる――耳に届いてはいるのだろう。
けれど、エリオットは何か別の事を考えている。そんな横顔だった。


「……嘘ね」
「ん? 嘘じゃねえって」


エリオットはアリスに向き直った。
そこには、他意など欠片も感じられない。

そこまで自分に興味がないのか。
アリスはすっかり悲しくなった。


「私には、教えてくれないの」
「え……教えるって、何をだ?」


エリオットのことを、だ。
あくまでもエリオットにとって、自分はただの――。


(駄目、泣きそう)


アリスは俯いたまま、さっさと踵を返した。
早足でエリオットのもとから離れる。

そうでないと、彼の前でみっともなく泣いてしまいそうだった。


「え? お、おいっ! アリスっ!」


背後でエリオットの慌てふためく声が聞こえたが、アリスは立ち止まらなかった。








===== あとがき ===

2009年8月発行『歯車を探して』より。

アリス→エリオットな感じでスタート。