Anacreontic









ギャアギャア、と鳥の声だけが響く。あれは何という名の鳥であったか。

意識的に思考を逸らせようと、アリスはぼんやりと考えていた。


(確か、あれは――何だっけ)


確かに聞いたことがあるのだけれど、ついに思い出せなかった。


(昔、調べたことがあるわ。鳥の名前が知りたくて)


姉と一緒に。

幼いアリスはロリーナにせがんで、鳥の名を知りたがった。

確か――そう、その時、アリスは庭で遊んでいた。
そこで、鳥の声を聞いて――子供の飽くなき好奇心は、何処からでも疑問を見つけてくる。
アリスの疑問は、万能であると信じていた姉へと向けられた。


『ねえ、あの鳥は何ていうの?』
『さあ……何かしらね。調べてみましょうか』


読書を邪魔された筈のロリーナは、嫌な顔ひとつせずに、アリスと一緒になって鳥の名を調べてくれた。

優しい姉だった。
今となっては遠すぎる、懐かしい思い出だ。


(思い出せない)


曖昧な記憶は、アリスの罪悪感をも刺激した。
酷く悲しい気持ちになって、アリスは俯いて――ああ、これではいけない。また沈んでいく。

正門にもたれかかりながら、アリスは空を見上げた。
赤の絵の具をぶちまけたような鮮やかな色が、空一面に広がっている。

アリスは小さく嘆息した。

アリスの視線は、目の前の道へと移る。
どんなに目を凝らしても、エリオットの姿は、まだ見えない。


(エリオット、遅いな……)


帰ってくる筈の時間帯を、大幅に過ぎている。
仕事が長引いているのだろうか。置いてけぼりで待つだけの身としては、心もとない。

帽子屋屋敷は、静けさを保っている。
だからきっと、エリオットの身に何かあったわけではない――と信じてはいるのだが、彼の職が職なだけに、その可能性が皆無ともいえない。

そのことが根深く胸に残っていて、チクチクとアリスを苦しめる。

だから、アリスは正門にいるのだ。

帰ってくる予定の時間帯になってからというもの、常にそわそわして落ち着かなくて、アリスはエリオットの部屋を訪れた。
けれど、エリオットが帰ってくる気配が一向にない、と気づいてからは、こうして、門まで足を伸ばして――。


(エリオットが悪いのよ)


五時間帯後くらいに帰ってくるから、一緒に出かけようなどと約束をするから。


(……それにしても、遅いなあ)


特に大きな仕事ではないという。
通常業務と聞いていたから、安心しきって送り出したというのに。


(何かトラブルが起きたとか)


あり得る話だ。

エリオット自体が、顔なしの人々にとっては争いの種のようなものである。
けれど、悲しい話だが、エリオットが顔なしに負けることはない。

誰か役持ちと対峙しない限りは、恐らく。

だからアリスは、その点に関してだけは、それほど心配していなかった。

鳥の声だけが響く。
何の変化もないまま、時間帯だけが変わった。エリオットの姿は、まだ見えない。


(……部屋に戻ろうかな)


その方が良いように思えてきた。
アリスがここに突っ立っていても、事態は何も変わらないのだから。

だが――頭ではそう解り切っているのに、アリスはその場を離れられなくなっていた。

ただ立っているだけというのも、なかなか疲れる。
足はじんわりと疲労を訴えているし、夜に変わった為、今はすこし肌寒い。

アリスが暖かい部屋でエリオットを待つことに、何の問題があるだろう。
そうしたところで、エリオットが咎める訳もない。むしろ、そうしてくれと言われるだろう。


(何なのかしらね。……意地?)


アリスは薄く微笑んだ。

頑固な性格だ、という自覚はある。妙なところで意地を張るのは、自分の癖だと思う。
そんな自分が嫌いなのだけれど、嫌いじゃない。


(だって、エリオットは……好きって言ってくれる)


どんなにアリスがちっぽけな意地を張ってみようが、エリオットは『あんたはしょうがないな』と笑いながら、アリスを受け止めてくれる。
そんな頼もしい安心感が、エリオットにはある。

だからアリスは、調子に乗ってしまう。


(甘やかしてくれるのって、困るわね……)


エリオットはアリスに甘い。

自分は我侭だから、欲求はエスカレートするばかりだ。
たまに突き放してくれたらいいのに――と考えかけて、アリスは首を振った。それは嫌だ。


(……ん? 何か)


アリスは考えを遮断すると、素早く顔をあげた。

眼前の視界には、変化は見当たらない。

鳥の声に混じって、小さく土を蹴る足音が聞こえた――ような気がしたのだけれど。

気のせいかもしれない。
アリスは目を凝らして、じっと暗がりを見つめる。

夜とは不思議なものだ。
空気に温もりがないせいか、明るい時よりも感覚が研ぎ澄まされたような気になる。


(気のせいじゃないわ。聞こえる……)


ザクザクと土を踏む、軽快な音がする。
音は速い。急いでいるのか、とアリスが思い当たったと同時に、視界にも変化が現れた。

アリスの前に現れたのは、赤と青が特徴的な門番たちだった。
エリオットではないことにやや落胆しながらも、アリスはホッと息を吐いた。

双子には目立った争いの跡がない。
ということは、一緒だった筈のエリオットも無事なのだろう。

双子はアリスの姿を見つけると、小走りにまっすぐ駆けてきた。二人の表情が、やんわりと緩む。


「あ、お姉さん! 居た居た〜」
「お姉さーん。よかった、居たんだね」


双子の後からは、使用人たちの姿が続く。
のろのろと歩く彼らと双子とを見比べると、二人の素早さが際立って見えた。

ディーとダムが駆け寄ってくるのはいつものことだが、今は雰囲気が違っていた。

アリスに会えて嬉しい――だけではないような。


(……ん? 居たって言った?)


まるでアリスを探していたかのような二人の口ぶりに、アリスは内心、首を傾げた。
けれど、まあ気にしなくていいことかな、とアリスは二人を迎えた。


「おかえりなさい、ディー、ダム」


エリオットはまだなのか、と続けて聞こうとした時、アリスは体のバランスを崩して倒れそうになった。

双子がアリスの腕を引っ掴むと、そのまま引っ張ったのだ。
引っ張られるとは思っていなかっただけに、アリスはドキリとした。


「来て来て、お姉さんっ」
「え、え、ちょっ」
「話は歩きながらするからさ! 早く早く!」


子供にあるまじき力強さで、ディーとダムは問答無用でアリスを連行しようとする。
アリスの意思などお構いなしだ。アリスは慌てて頷いてみせた。


「わ、わかった……わかったから、引きずらないでっ」


懇願すると、やっと双子は掴む力を緩め、アリスの両隣を陣取った。

掴まれていた所が青痣になるだろうな、と思うほどの力だった。
つまりは、痛かった。とても。


「さ、行こう。早く早く!」


無意識にアリスが腕をさすっていると、ディーとダムにせっつかれた。
早く行こう、と急かされて、アリスは訳がわからぬまま歩き出す。どうやら説明は、先にはしてくれないらしい。


「どうしたの、そんなに慌てて……」


アリスは口を開いた。
ディーとダムときたら、歩き始めたというのに、一向に話しだす様子がないのだ。

二人の歩く速度は速いものの、先ほどよりは慌てた様子はない。
どうやら、アリスを見つけることである程度は目標が達成できたらしい。と、アリスは観察しながら考えていた。

ディーとダムは、揃ってアリスの顔を見上げてきた。
前を見ずとも、二人の歩くスピードは変わらない。夜目がきくのだろうか。


「お姉さんでないと駄目なんだよ」
「何が」
「だから、お姉さんしかいないんだよ」
「だから、何が?」


何がわからないのか、と言いたそうにディーとダムはきょとんとしている。
けれど、残念ながらアリスには事態がさっぱり解らない。

この世界の人たちは、もう少し他人に分かり易く話すべきだと思う。

わからないの、と視線で問いかけられても、アリスには返すべき言葉が見つからなかった。
そこでディーとダムは、初めて足を止めた。


「ひよこウサギが酔って暴れてるんだよ」
「そう、暴れてるんだ。お姉さん、何とかして」


双子はさらりと言ってのけたが、アリスは面食らうばかりだ。

今、この子たちは――暴れてる? エリオットが?

アリスの脳裏に、酔っ払って暴れるエリオットの姿が鮮明に――いや、駄目だ。
全く浮かばない。見たことがないので、たいして想像が出来なかった。


「……何とか、って……エリオットを?」


どうしろというのか。

そうだ、とディーとダムはしっかり頷いた。


「そう。いっそのこと殴って気絶させてもいいし、とにかく止めて欲しいんだ」
「それは……」


アリスは戸惑いを見せながらも、だが、頭は妙に冷静だった。


(……エリオットを殴って抑え込め、って??)


「……」


確かに、エリオットを殴ったことは、ある。
けれどそれは、普段のじゃれ合いの延長のようなもので、彼を本気で殴ったことなんて無い。
ましてや、人ひとりを気絶させるほど殴った経験はアリスにはない。

体のでかいエリオットに――出来るのだろうか。

いや、問題はそこではない。
可能ならば、とっくにディーとダムがやっている筈だ。

この子たちでも無理なことを、アリスにやれと?


「無理じゃない?」


どう考えても無理だ。

エリオットが理性を失っているのなら、尚更のこと。
アリスが正直に告げると、ディーとダムは声を張り上げた。


「そんな冷たいこと言わないでよ! お姉さん、あいつの恋人でしょう!?」
「そ、それは、まあ……って、ちょっと待って。エリオットが? 暴れてるって??」


アリスは再度、聞き返した。
自分は冷静だとばかり思っていたが、あまり冷静ではなかったらしい。あんまり事態を理解してはいなかった。


(それは初めて見るなあ……想像は、あんまりできないけど)


酔っぱらいを見かけたことはあるけれど。

貧困な想像力では、その程度しか思い浮かべられない。


(でろんでろんになってるのか……)


見てみたいような、見たくないような。


「うん、暴れてる。大荒れだね」
「泥酔すると絡みまくってウザいんだよね、あいつ。ってことで、親切な僕らが生贄……」
「兄弟」


ダムが短くディーを窘めた。
ディーは「あ」と口元を抑えたが、遅い。滑った言葉は、しっかりとアリスの耳へと届いていた。


「しまった。えーと、言葉のあや、ってやつだね。今のは無し無し。ひよこウサギが『アリスはどこだー』って言うから、探しにきてあげたんだよ」
「そういうこと」


可愛くまとめてみせたが、アリスは引きつった笑みしか返せなかった。


「……生贄、って、あんたら」


双子はにこにこーっと明るく笑って、アリスを誤魔化そうとしている。


「あ、やだなーお姉さん。そんなに顔を引きつらせないでよ。大丈夫だと思うよ、多分」
「そうそう。多分、大丈夫だと思う。……お姉さんに危害は加えないと思うよ、あいつも」
「多分!?」


酔っているということは――ああ、そうか。

今のエリオットに理性がない。
歯止めがきかないのはいつものことだけど、まさか、あれ以上に?

アリスは青ざめた。
事態がやっと呑み込めた。自分の置かれている状況の不味さにも。


(……逃げようかな)


途端に、がしっと両側から腕を掴まれた。
まるで心を読んだかのようなタイミングだ。
こんな時、ひとりのアリスは圧倒的に不利だ。双子ってずるい。


「逃げちゃ駄目だよー? お姉さん」
「逃がさないよ? お姉さん」


獲物を捕獲しようとする猫のように、じいっと揃って見つめられ、アリスはたじろいだ。
双子から逃れられるとは思っていないけれど、アリスは心底逃げたいのだ。


「いや、あのね……物理的に、私には無理だと思うんだけど」


何せ、あのエリオットだ。
男女差という点以上に、細身で小柄なアリスとは体格差があり過ぎる。

ディーとダムも、無理だと分かっている筈だ。
アリスが本気で嫌がれば引いてもくれる子たちなのだ。

なのに、何故いまは、こうも頑なに無理強いするのか。


「んー。でも、頑張ってみてよ。馬鹿ウサギの恋人でしょう?」
「そうそう。連帯責任ってやつだね。それに、原因の一端はお姉さんにもあるんだからね」
「え」


アリスは目を丸くした。

エリオットが酔っていることと、アリスと、何の関係があるのだろう。


(……え、私が原因で酔ってるって、ことは)


アリスはギクリとした。

アリスとの関係に、エリオットは何か不満を抱えていたのだろうか。

アリスがらみで大きなストレスを抱えていて、それをぶちまける為に酒に溺れる――と考えてみると、割と納得がいく。

けれど、今ひとつしっくりこない。
エリオットはストレートな男だ。不満があれば、アリスへ正直に言うだろう。


(私にも言えないようなこと?)


それが何なのか、アリスには分からない。
分からないからこそ、アリスはだんだん不安になってきた。


「はは、取って喰われたりしないよ、多分」
「別の意味で喰われるかもしれないけど、ちゃんと人払いはしてあげるからさ」


僕らって気がきくでしょう、と得意げな二人には悪いけれど、アリスの不安はますます深まるばかりだ。


「……」


アリスは覚悟を決めると、ひとつ深呼吸をした。











アリス達が道を急いでいる頃、エリオットは変わらぬペースで次々と酒を飲み干していた。

傍らにアリスが居ない。
何で居ないのか、エリオットには本気でわからなかった。

自分の傍らには、いつもアリスがいるべきなのに。

すっかり低下しきった思考で、エリオットは無茶苦茶なことを考えた。


(アリス、どこだ? どこにいる)


彼女がいないことに気づいたエリオットは、双子に、アリスを探しに行かせた。


(ひょっとして、攫われたんじゃねえか!? アリスは可愛いから……くそ、離れるんじゃなかった)


自分は仕事で出てきていて、アリスは屋敷にいる。
そんな単純な記憶すら、もはや曖昧になっていた。


「アリス……」


エリオットは、乱雑に杯を呷る。
唇の端からこぼれた雫が喉を伝ったが、気にも留めない。

いま、隣にアリスが居てくれたなら、どんなにか安心することだろう。

焦燥感に駆られながらも、エリオットは立ち上がらなかった。
身体が重くて立つのも酷く億劫になっていて、感覚が鈍い。

酒が喉を滑り落ちる時だけは、熱さを感じる。
だからエリオットは、続けざまに杯を呷る。

お世辞にも度数が軽いとはいえない酒を、エリオットは驚異のペースで空にしていく。

はやくアリスを探しに行かなければ。
どこかで迷子になっているのかもしれない。


(泣かせたくねえ、アリスだけは)


そう思ったかと思えば、今度は、アリスと四六時中一緒にいる方法はないか、真剣に考え始めた。


(アリスを持ち運べたらいいのにな。アリスは軽いし小さいし、できねえこともねえよな? 今度、言ってみるか)


そうだ。アリスそのままが駄目なら、もっと小さくしたらいいのではないか。

アリスは今のままでも、小さくて可愛い。
更に小さくなったアリスは、きっともっと可愛いだろう。

それこそ、エリオットのポケットにでも入れておけば問題は――そういえば、アリスは?


(アリスは、いないのか?)


エリオットは視線を持ち上げると、ゆっくりと周囲を見渡した。


「居るんだろ? アリス」


アリスは何処だ。
何処に隠れている。

アリスが見つけ出して欲しい、と言っているような気がする。

エリオットは徐に銃を手にすると、ためらうことなく戸棚を撃ちぬいた。
アリスがいるかも、と思った部分は避けて撃つ。

何発か撃ちこむと、木製の戸棚は派手な音をたてて崩れ落ちる。
その際に盛大に埃がたったので、エリオットは眉をしかめた。埃っぽいのは嫌いだ。

ああ、アリスはいない。

何処に隠れているのだろう。

何故、姿を見せてくれないのだろう。


「アリス?」


呟くも、返る声はない。アリスは時々、意地悪だ。


『エリオット』


アリスに呼ばれた気がして、エリオットは周囲を見回してみたが、アリスの姿はない。
落胆は、彼の中で苛立ちに変わる。


「アリスを出せよ」
「ひっ……」


エリオットは、残った一人を撃ちぬく。これは誰だ。


「お前じゃねえ。アリスを出せ」


ついさっき会話したばかりの――仕事の相手だというのに、エリオットは撃つことに躊躇いがなかった。

短く悲鳴をあげた後、男は倒れ伏す。
先ほどからこんな風に理不尽な絡まれ方をして、相手はほぼ全滅――といったところか。

血に汚れた床にはいくつもの時計が転がっていたが、エリオットにはどうでもよかった。


「早く消えろよ」


残像が、早く回収しに来ればいいのに。

エリオットはじっと時計を睨みつけた。

こんな光景をアリスが見たら、怖がるだろう。

早く消えろ。
消えてしまえ。


「……時計、ないよな。アリスには。じゃあ、アリスは身体ごと残る、のか? ん〜〜……」


エリオットは呟いた。

この世界の住人は、命が尽きれば皆、身体は消えてしまう。時計だけが残る。
だったら、アリスには時計がないから、身体は残るのだろうか。

消えずに、ずっと。


「わっかんねえなあ」


アリスのことがもっと知りたいのに、アリスが傍にいないなんて。

正気に返れば『失敗したな〜』とは思えど、それも微々たるものだ。ブラッドからも、特に叱責は受けないだろう。
エリオットは、ただただ、アリスのことだけを考えていた。












ようやくアリス達が現地へ到着した頃、店の中は燦々たる有様だった。
店の入り口では、遠巻きに使用人たちが控えている。


「ここ、なの?」
「うん、ここだよ。さ、お姉さん」


行っておいで、とディーに背を押される。
ダムが先へ行き、ご丁寧にも扉を開けてくれた。

その時、店内から、ガシャンと何かが割れる音が響いた。


「アリスー!」


エリオットの声がする。
酒のせいだろうか、常よりも雑な声だ。
アリスの名を叫んだ後も、何やらブツブツと聞こえるが、そこまでは聞き取れなかった。


「……何か叫んでるんだけど」


アリスが引きつりながら背後を見やると、ディーはこくりと頷いた。


「うん、叫んでるね。もともと声もでかいし、うるさいよねー、あいつ」


ディーはしれっとしているが、アリスは動揺した。

覚悟を決めてエリオットに会おうと思っていたけれど、現状を目の当たりにすると、ちょっと怖い。

アリスが怖がったのも無理はない。
未だかつて、『酔っぱらって自制のきかなくなった男性』と正面から向き合った経験がないのだ。
父親は全くそんなタイプではなかったし、夜の酒場には近づかなかった。


(避けてきたのに……まさか、こんな形で初体験することになるなんて)


人生、何が起こるか本当に分からない。
兎に連れ去られたり、その兎とは別の兎と恋人になったり――。

兎だらけなことに気づいて、アリスは薄く笑った。


(私って、実は兎が好きだったのね)


そうして今度は、酔っぱらった兎と対峙する羽目になっている。


(兎だらけね。兎……ペーターは元気かな。長いこと顔を見てない気がする)


しばらく会っていないのは、アリスが彼と会っていると知るとエリオットが渋い顔になるからだ。


(別に、絶対にペーターと会いたいってわけじゃないからいいけど……エリオットって意外と、嫉妬深いところがあるのよねー)


そこがまた可愛いんだけどね、とアリスは呑気なことを考える。

わざと馬鹿なことを考えては、アリスは大きく息を吐いた。

これは、ある種の逃避だ。

この荒んだ空気に踏み込む自信が、ない。
ないのだけれど、アリスが動かなくては、何も変わらない。


「ずっとあんな調子なの?」


尻ごみしたアリスは、落ち着きを取り戻す為、双子に話かけることにした。

どれどれ、とダムが店内を覗きこんだ。
振り返って、アリスを見上げる。


「うん。まあ、今は大人しい方かな。さっきまでは酷かったもん」
「……」


やっぱり帰りたいなあ、と心から思ったが、この門番達が許してくれそうにない。


「それは、迷惑をかけたわね……ごめんね、二人とも」


アリスが彼に代わって謝罪すると、ディーとダムは首を振った。


「ううん、どうってことないよ。鬱陶しいだけだから」
「そうそう。鬱陶しすぎて、そろそろ狩っちゃおうかなって思ったくらいで」
「……」


この子たちが、それを実行に移す前にアリスを呼びに来てくれてよかった。

アリスは深く息を吐くと、下腹に力を込めた。
さあ、エリオットに会わなくては。


「行ってくる」


アリスが宣言すると、双子はとびきり明るい笑顔を見せた。
その笑顔を見て、アリスの心は少し落ちついた。


「はいはーい。気をつけてね、お姉さん」
「うん、気をつける」


今から会うのは、恋人のエリオットだ。
けれど、相手は酔っぱらいである。いつもよりも理屈は通じないし、慎重に接しなければならない。


(そうよ。この子たちだって、本当に危なかったら助けてくれるわ)


アリスを連れてくるということは、彼らには、アリスが居れば事態が収拾できるとの算段があったのだろう。
賢い子たちだから、彼らが事態を読み間違えるということも――。


「行ってらっしゃーい。骨は拾ってあげるからねー」


アリスは顔を引きつらせた。
この子たちが言うと、洒落にならない。

ダムの言葉に、喜々としてディーが乗ってきた。


「あ、僕も拾う拾う! お姉さんの骨なら、綺麗にして飾ってあげるからねー」
「一番いいところに飾ろうね、兄弟」
「飾らんでいいっ!!」


アリスは短く言い返すと、意を決して店内へと足を踏み入れた。











店内は、思っていたよりも薄暗かった。
照明のいくつかが壊れているのだと知り、アリスは足元に気をつけて慎重に進む。


「エリオット……?」


エリオットは気だるそうに椅子に持たれかかり、目を閉じていた。
眠っているのか、と期待してアリスが小さく声をかけると、エリオットはパッと目を開いた。


「あー! アリスッ!!」
「は、はいっ」


がばっと体勢を立て直したと思えば、すぐさまアリスの腕を掴む。アリスの心臓は飛び上がった。
嬉しさを隠そうともせず、エリオットはニコニコとアリスに笑いかける。


「やーっと見つけたぜっ。なあー、こっち来いよー。アリスー」


ぐいぐいと加減の知らない力で引かれて、アリスは転げそうになった。

そのままエリオットに身を任せてもいい。
いいのだけれど、アリスを躊躇わせたものがエリオットの手にあった。


「……わかった、わかったから、ちょっとその銃を下ろして欲しいの」


エリオットの右手には、しっかりと銃が握られていたのだ。
言い聞かせるようにアリスがお願いすると、エリオットはきょとんとした。


「銃? 銃、って……俺、銃なんて持ってねーぞ? 変なこと言うなー、アリス。ほらほら、こっち来いってー」


エリオットは上機嫌のまま、アリスを引き寄せる。


「……いや、持ってるし。右手、見なさいよ。バッチリ持ってるじゃない」
「も〜〜〜、あんたはすーぐ照れるからなあ」


うんうん、と勝手に納得したエリオットは、ゆらりと立ち上がった。


「きゃっ!?」


エリオットはアリスを抱えあげると、再び椅子に腰を下ろした。

アリスを膝にのせて、エリオットはご満悦だ。
まるでぬいぐるみを抱きしめるみたいに、アリスにぎゅうっと抱きついてくる。


「あ〜、あんたは可愛いな〜〜……ちっさいしあったかいし柔らかい……」
「え、エリオット……あの、ね、銃」


べたべたしてくるエリオット自身よりも、アリスは気がかりなことが一つあった。
そんなものしまってよ、と暗に促すが、エリオットは一方的に捲くし立てる。


「すっげえ好きだ〜〜〜〜……なあなあ、アリス〜。俺のこと好きか?」
「好きよ。……って、私の言うこと、まったく聞いてないし」


アリスはぼやいたが、エリオットの緩みきった笑顔を見ると、そんな些細なことはどうでもよくなってきた。


(まあ、いいか……自分が撃たれるわけじゃないし)


そう思いこむことで、アリスは自分を誤魔化すことに決めた。


「だよなだよなっ!? よーし、あんたも来たことだし、俺、元気でた! アリス、俺と飲もうぜ!」


アリスの返答を待たず、エリオットはグラスを手に取った。
どぽどぽと乱暴に注がれていく、真っ赤で透き通った液体。つんと香る芳香に、アリスは溜息をこぼした。


「……あんまり飲みすぎると、体に障るわよ?」
「へーきだって、へーきへーき。このくらいで俺がどうにかなるわけがない」


エリオットはへらへらと笑っているが、口調がちょっと怪しい。


(もう既にどうにかなってるけどね!)


エリオットは、二つ目のグラスに手を伸ばした。


「あんたも飲むよな? 注いでやるよ」
「あ、ありがとう……」


アリスがグラスに手を伸ばすと、エリオットは危なげな手つきでワインボトルを傾けた。

目測を見誤ったのか、ボトルの口がグラスに当たって、ガチンと音を立てる。
けれど、エリオットは気にする風でも無く、やっぱりドバドバとワインを注いでくれた。


「んじゃ、改めて乾杯だっ!」
「かんぱーい」


アリスは付き合う振りをして、グラスを傾けた。
ワインは唇に触れさせるだけにして、飲みはしない。アリスが酔っ払っては元も子もないのだ。

エリオットはまるで水を飲み干すように、一気にワインを流し込んだ。
そんな飲み方をするもんじゃない、と言いたくなったが、アリスは我慢した。


「ねえ、エリオット。独りで飲んでたの?」
「ん〜? いや、ブラッドとガキ共もいたけど……あれ? そういえば、あいつら何処いった??」


エリオットは、不思議そうに周囲を見回しては、首を傾げている。


(逃げたのか……)


私も逃げたいなあ、とアリスは溜息をこぼした。

いやいや、そんな弱気ではいけない。

納得のいかない顔をしているエリオットの首に腕を回しながら、アリスはニコリと微笑んだ。


「まあ、いいじゃない。私がいれば」
「!」
「でしょう?」


エリオットの耳が、ピンと真っ直ぐに立った。
ついさっきまで口を尖らせていたのに、もう満面の笑顔だ。


「だよなっ! あんたさえいれば、俺っ!」
「ぐ……っ」


思いきり抱きしめられて、アリスの呼吸は一瞬、止まった。

抱きつぶされるかと思った。
酒の力は恐ろしい。まったく力加減ができていない。それに――。


(……酒臭い。えらい量を飲んでるわね)


抱きしめられるのは一向に構わないのだが。

エリオットは一体、どれくらい飲んでいたのだろう。

アリスが周囲に視線をはしらせると、床には酒瓶が転がっていた。半端ない数の。


「何を飲んでたの? ずっとワインばかり?」
「ん? あんたも飲みたいか。そうだよな〜」
「……」


通じない。

アリスは頭を抱えた。

エリオットは、アリスを抱えたま、ふらりと立ちあがった。
足取り怪しく、どれだっけなーなどと呟きながら、ガラスの棚に手を伸ばす。

片腕でアリスの体を抱えたまま、だ。

さすが逞しいな、とアリスが感心しているうちに、エリオットは目当てのものを探し当てたらしい。
一本の酒瓶を取り出すと、栓をあける。


「そう、これこれ。これ飲んでた」


エリオットは口をつけると、酒を口に含み――そのまま、腕の中のアリスの唇に、唇を押しあてた。
「……ッ!」


アリスは予想外の行動に反応することができず、ただ素直に応じてしまった。


(の、喉がっ……!)


焼けるような熱と共に、液体はアリスの胃へと落ちていく。

アリスが飲みこんだのを確認すると、エリオットは唇を離した。
空気と共に強烈な渇きを覚え、咽かえりそうになりながら、アリスは涙目でエリオットを睨みつけた。


「き、つ……きっついわよ、これ!」
「そっか〜? そうでもねえと思うけど……。酒、弱いのか?」


エリオットは平然とした顔で、きょとんとしている。


「弱いとか、そういう問題じゃ」
「あんたって可愛いな〜。そんなこと言うと、無理にでも潰してやりたくなる」
「!?」


とんでもないことを、とアリスはぎょっとした。
酔ったエリオットなら平気でやりそうだから、気が抜けない。


「味はいいだろ? どうだ? 気にいった?」
「ケホッ……エリオット、喉、いた」


味云々以前に、アリスにはアルコールの鮮烈さしか感じられなかった。


「気に入らねえか? んー、と……じゃ、こっち」


エリオットは別の瓶に手を伸ばした。
アリスの顎を持ち上げると同じように唇を重ね、強制的に飲み下させる。


(だから、そこでわざわざ口移しで飲ませる意味がわかんないのよ!!!)


その横っ面を張り飛ばしたくなったが、またもや酒がきつ過ぎたアリスはそれどころではなかった。


「飲みやすいと思うんだけどな、こっちは。どうだ? 良い気分だろ?」
「……くらくらする」


アリスは、すっかり気だるくなった体全てを、エリオットに預けた。じーんと頭が痺れる。

こんなに強い酒を普通に飲めるエリオットは、やっぱりマフィアなんだなあ、と思考さえもグダグダになる。
そう、マフィアなウサギの恋人なのだ。アリスは。


(私の知らないこと、まだまだあるんだろうなあ)


エリオットの仕事の詳細なんかは、まだ教えて貰っていない。
あんまり深いことは聞きたくないし、エリオットも教えるつもりはないようだ。

エリオットはいつもそうだ。
いつも、アリスと居る時は穏やかで――概ね穏やかで、優しくて――。

アリスはそこで、はたと気づいた。そういえば、エリオットは。


「エリオット!」
「ん?」


アリスは、すっかり気が大きくなっていた。

酒の力とは空恐ろしい。
最初はエリオットの機嫌をうかがっていたのに、今はもう声を張り上げている。
いつものように、正面きって詰ることができるようになっている。


「約束したのに、真っ直ぐ帰ってこなかったのね」


アリスがじとりと睨むと、エリオットは目を瞬かせた。


「約束……あー……」
「まさか、覚えてないの?」


何て事、とアリスは瞠目した。
律儀なエリオットが約束を忘れるなんて、と、少なからずショックだった。


「約束だろ? 覚えてる覚えてる……」


口ではそう言うが、目が泳いでいる。アリスはズバリと指摘した。


「嘘ね」
「う、嘘じゃねえぞ!?」


エリオットは慌てて言い返してきたが、勢いだけで自信はないようだ。
その証拠に、彼の長い耳はへたれている。


「……」


互いに、しばし睨みあう。視線を逸らしたのはエリオットだった。


「……で、何の約束だった?」
「……やっぱり、覚えてないんじゃないの」


もう、とアリスは盛大に溜息を吐いた。


「一緒に出かけようって言うから私、待ってたのよ。ずうっと」
「……!」


エリオットはハッとしてアリスを見た。

やっと思いだしたらしい。
忘れられていた腹いせに、アリスはもうひと押しすることにした。


「待ってたのに……まさか、忘れて飲んだくれてるなんて……酷いわ」


アリスが肩を落としながら言うと、エリオットは目に見えてたじろいだ。


(……酷いわよ)


アリスは、心配して待っていたというのに。
飲みに行くなら行くで、一言くらい知らせてくれたっていいじゃないか、とアリスはすっかりむくれてしまった。

エリオットは酔いが醒めたらしい。
アリスに縋りつくようにして、めいっぱい抱きしめられる。


「す、すまねえ……っと、言い訳っ! 言い訳させてくれ!」
「言い訳……あるの?」


エリオットはコクリと頷いた。


「聞かせて」


アリスはエリオットの言い分を聞くことにした。
この憤然とした想いをエリオットの他にぶつけるものがあるのならば、是非とも欲しい。


「あのな、あいつらが……って、人のせいにするのは格好悪いな」
「あいつら、って?」


アリスが首を傾げると、エリオットは目を吊り上げた。


「ガキ共だ! あいつらが出先で……って、ここか。ここで仕事だったんだけどな。ここ、あれだろ? 店だ」
「うん、店ね。で?」


何があったというのだろう。
アリスは続きを促した。


「まあ、いつも通り金と……品を、な。うちに献上するんなら味も確かなんだろうなって難癖つけてなー」
「……」


何て子達だ。

アリスは口に出しかけて、言葉を飲みこんだ。
この話には、エリオット達の仕事が絡んでいる。アリスが口を出していい範疇かどうか、見極めなくては。

それでなー、とエリオットは続ける。


「好き勝手に飲み漁って、このザマだ」


店はぐちゃぐちゃだ。
照明器具はいくつか割れて、窓もいくらか割れて、テーブルはいくつか破壊され――これは全て、エリオットがやったのだろうか。


(時間が経てば元通りになるとはいえ、やり過ぎだわ……酔ってたんなら仕方ない、のかな?)


良くない良くない、とアリスは頭を振る。こんな破壊行動、良い訳がない。

ともあれ、事情はのみこめた。
ただ、不可思議なのは――。


「……で、何であんたまで飲んでるわけ」


ディーとダムが始めたことなら、乱暴な言い方だが、エリオットには関係がない筈だ。
エリオットは何処でどうなって、こんなことになっているのだろう。


「酔っ払ったガキ共に、飲まされた」


エリオットはバツが悪そうに白状した。
悪戯を叱られてる子供のようで、なんだか可笑しい。


「ディーとダムに……」


飲まされた、と言われても、やはりピンとこない。


「……あんたが、大人しく飲まされてるとは思わないけど?」


どちらかと言うとエリオットは、度の過ぎた行為を窘める側だろう。
アリスが正直に感想を述べると、エリオットは目を瞠った。


「なっ……! あんた、あいつらのこと知らねえからっ……えげつないんだぞ、あいつら!」
「どんな風にえげつないのよ」


アリスには、いまいち想像ができない。アリスの前では可愛い双子なのだ。


(いや、たまにビックリするけど)


その残虐さに、ときどき驚かされることがある。
けれど、アリスが彼らを弟のように想っているせいだろうか。それほど小憎らしいとは思わないのだ。


「あんたが……お酒強い人が好きだって言ってたよーって言って、どんどん注ぎやがるから」
「……え?」


アリスは目を丸くした。
どんな風に双子がえげつないんだろう、と身構えていたというのに、拍子抜けだ。


「それで、飲んじゃったの?」
「うん」


エリオットは頷く。


「……」


アリスは目眩を覚えて、額を手で抑えた。


(馬鹿だ……)


しみじみ、そう思う。

適当な言葉でエリオットを誘った双子が勿論悪いが、エリオットもそんな単純な言葉に乗っからないで欲しい。


(ああ、だから『原因の一端は私にある』って言ってたのか……って、完璧な言いがかりじゃないっ!! あの子たちっ!)


言いがかりも甚だしい。
これは、仕返しを考えなくてはならない。


(でも)


アリスは、ちらりとエリオットを見る。
罪悪感に項垂れている、可愛い人だ。


(私が言ってたから飲んだ、ってことは)


エリオットが乗ってしまったのは、エリオットがアリスを好きだから、だ。

そう考えると、心がふと温かくなるのを感じる。
照れてしまって、エリオットの顔が見られない。


(……怒れないわ)


嬉しくて、誰も怒ることができない。










アリスは深刻な顔つきで、先ほどからずっと黙り込んでいる。
何を考えているのだろうか。その瞳が険しさを増したように見えた。エリオットは冷や汗ものだ。


(やっべえ……)


やっと、思考が正常に戻ってきた。
アリスのおかげだ。そして今、まさしく窮地に陥っている。


(約束してたのに)


この馬鹿野郎が、とエリオットは自分で自分を撃ちたくなった。

アリスが怒って当然だ。

怒るならまだいいのだ。泣くよりはずっと。
アリスに泣かれるのが、エリオットには一番きつい。


「アリス……怒って……る? か?」


エリオットは、恐る恐る声をかけた。
アリスは顔をあげると、エリオットを見て――予想外に、彼女はスッキリした顔をしていた。


「……ううん、全然」


本当だろうか。
アリスは優しいから、気を使っているんじゃないのか。

エリオットは注意深く探ったが、アリスの表情からは陰りが感じられなかった。


(え、何で……怒ってねえのか??)


エリオットには訳が分からないけれど、アリスが怒ってないのなら一安心だ。アリスは笑っている方がいい。


「あら、酔いが醒めた?」
「おう。すっかり頭が冴えてる」
「気分は? 気持ち悪くなってない? 大丈夫?」
「ああ、このくらいは平気だ」


ふうん、とアリスはまじまじとエリオットを見つめている。
さっきからずっと、エリオットはアリスを膝に乗せたままだ。


(いいな、これ。こうしてずっと乗せとくかな〜)


酔いが醒めたからおろせばいいのだが、アリスが抵抗しないのをいいことに、どさくさに紛れてそのままである。
ちょこんと座っているアリスはとても愛らしくて、エリオットの庇護欲を誘う。


「ねえ、エリオット……聞くけど、二日酔いになったことってある?」


エリオットは首を傾げた。
二日酔い?


「ん? ないけど」
「へえ……」


すごいのね、とアリスは何やら感心している。
何故、アリスがそんな質問をしたのか分からなかった。

それよりも、エリオットとしては、本当にアリスが怒っていないかが気になる。

約束をすっぽかして怒らない者はいない。
だから、アリスはもっと怒っていてもいい――筈なのだけれど。


(……怒って、ねえな。あれ??)


エリオットには見当もつかないが、アリスの怒りを鎮めるような何かがあったのだろうか。

それか、もしくは――。


(それ程、重要じゃなかったってこと、か?)


自分との約束が。そう考えてみて、それはないとエリオットは思った。

約束をした時、アリスは確かに喜んでくれていた。
彼女が言葉に表すことは少ないけれど、顔を見れば一目瞭然でわかる。


(何か、よくわかんねえけど……アリスが怒ってなくてよかった)


エリオットは、密かに胸を撫で下ろした。

アリスは何かをしばらく考え込んでいたが、再び顔をあげた。


「そうね。じゃあ、屋敷に戻って飲み明かしましょうか」
「へ?」


エリオットは素っ頓狂な声をだした。アリスはニコリと微笑む。


「私、お酒の強い人って好きなの」


小ざっぱりした笑顔で念を押すように言われては、エリオットが断れる筈もない。


「そう、なんだよな? んじゃ、一緒に飲もうな」


アリスは「うん」と小さく頷いた。


(ガキ共に言われた時は、ちょっと意外だったけど……ああ、そうか! アリスは、俺が酒に強そうだから許してくれたのか?)


なるほどなあ、とエリオットは明後日の方向に思考を飛ばす。
そう考えると、納得がいく。


「ほどほどに、なんて口うるさいこと言わないから、今日だけは思いきり飲みましょうね」


エリオットは驚いて、瞠目した。
アリスがこんな事を言ってくれるなんて。じぃん、と感動で胸が震える。


「あんた……あんたって本当、優しいよな。俺、嫌われたかと思った」


よかったと心の底から安堵して、エリオットはアリスを包み込むように抱きしめた。

自分の醜態を晒しても尚、アリスは自分を嫌いにならない。
なんて心が広いのだろう。


(醜態、だな。酔っ払って、気が大きくなって、約束すっぽかしちまって……あー、アリスは出来た女だよな、ほんっと)


自分にはもったいないぐらいだ。
アリスを得られた幸せを今、しみじみと感じる。


「馬鹿ね、嫌いになんてならないわよ」


アリスが軽快に笑うので、エリオットはつられて微笑んだ。
アリスは膝からおりると、エリオットの袖を引っ張っった。


「そろそろ屋敷に戻らないと。それで、一緒に飲みましょう。……ディーとダムにも、ね」


潜められた語尾は、地のように低い。
エリオットは聞こえない振りを決め込んだ。









エリオットとアリスは、寄りそって夜道を行く。

エリオットの足取りはふらふらと覚束ない。
やっと帽子屋屋敷が見えてきた頃、アリスはふと足を止めた。静けさの中、鳥の声がやけに響く。


「ねえ、エリオット?」
「どした?」


エリオットが振り返る。
その目つきは、いつものように優しくなっている。

アリスは、ぼんやりとエリオットを見つめ返した。

柔らかに笑ってくれる人。
不思議だ。今、こうして二人でいることが。

その時確かにアリスは、エリオットの笑顔にロリーナの陰を見た。

似ているところなんて何一つないのに、何故だろう。


(似てるところ……あった)


エリオットもロリーナも、アリスにとても優しい。
極限まで甘やかしてくれる、心の強い人。


「鳥の声がするわね」
「鳥……あー、言われてみれば、するな」


エリオットは、チラリと木々を見やった。
夜目にも鮮やかなエリオットの髪は、月光にも映える。


「私、あの鳥の名前が知りたいわ」
「鳥の……名前?」


何を突然、とエリオットの目が不思議そうに瞬く。アリスは構わずに続けた。


「エリオット、一緒に調べてくれる?」


また、一緒に。

声が震えそうになったけれど、アリスは努めて明るい声をだした。

エリオットは快く頷く。


「おう、いいぜ。本なら……ブラッドが持ってるだろ。今度、一緒に借りに行くか」


な、とやんわり肩を抱かれる。

エリオットとアリスはそのまま、再び歩き始めた。

アリスは、今まで息を殺していたことに気づく。ふう、とアリスは深呼吸を繰り返した。


「……さすがに、鳥の本は持ってないと思うけど」
「そっかー? ブラッドなら、何でも持ってそうだけどなー」


エリオットが真剣に言うので、アリスは苦笑した。
ブラッドが、鳥の名前を気にするタイプだとは思えない。

ブラッド信仰は変わらないなあ、とアリスは安堵していた。

エリオットは変わらない。
その事が、何故か嬉しかった。


「……エリオット」
「何だ?」


今だって、アリスに歩調を合わせてくれる。

アリスはエリオットの双眸を見つめた。見つめるだけで、胸が温かくなる。
この人が好きだなあ、と改めてアリスは実感する。


「ありがとう」


アリスが小さく告げると、エリオットは首を傾げた。


「え、何がだ??」
「いいのよ。いーの」


アリスは軽い調子で言いながら、歩を進めた。

アリスを繋いだのがエリオットで、本当に良かった。

腑に落ちない顔をしているエリオットに向けて、アリスはクスリと笑みを零した。


「内緒よ」


そう言って、元気よく歩き出す。


アリスの抱えた秘密だ。
エリオットには、ずっと秘密にしておこうと思う。







[了]







===== あとがき ===


2010年10月31日発行したものです。

ぐでんぐでんなエリオットが書きたかった、という。
ほのぼのの中にも、シリアスパートは含ませたい。そんな感じです。

ではでは、読んでくださってありがとうございました!