幻想の欠片 side TWINZ
それは、ただの偶然だった。
その日、アリスは暇を持て余していた。
何でも大きな案件があるとかで、ここのところ、ブラッドやエリオットは勿論、ディーやダムまで屋敷を出払っていた。
ここしばらくの間、ディーとダムに会えていない。
最初は割と平気だったのだが、こうも長く続くと寂しさは募り、鬱憤は溜まる。
いい加減くさくさしてきたアリスは、息抜きがてら街へ出かけることにした。
外出する際、すれ違ったメイドに、今は危ないから近寄っては駄目だと注意された場所は、きちんと避ける。
一人で街を歩くのは久しぶりだ。
いつもはディーとダムを加えた三人でいる。
彼らと居ると、必然的に街の人々には避けられてしまう。
けれど、アリス一人だけの今は、そんなことはなかった。
近くを歩く人々の顔に、張りつめたような緊張の色はない。きさくに声をかけられる、とまではいかないが。
アリスがディーとダムの恋人であることを、どれだけの人が知っているだろうか。
恋人だと知らないまでも、よく三人は一緒にいる姿は見られているはずだ。
良好な関係を築いていることは、誰の目にもすぐにわかる。
ここは帽子屋ファミリーの領土だ。
ディーとダムと仲が良いイコール、逆らってはまずい相手とも言える。
いつしか、隣にいるアリスに対しても、警戒色と――
少なくはない好奇の視線を投げかけられるようになったので、アリスは少々辟易していた。
アリスはふと思い立ち、立ち入ったことのない路地裏に入ってみた。
みるみる賑やかさが失われ、視界がやや陰る。
湿り気を帯びた、青い空気が辺りにたちこめていた。
苔むした石畳が続く。
そのわずかな隙間からは、青々とした雑草が元気よくその背を伸ばしていた。
慣れ親しんだ街が、まるで違う街に見える。
慣れ親しむ程には、この世界に来て長くになる。
不本意ながらもこの世界に迷い込んだ挙句、アリスはディーとダムの恋人となった。
世界へ留まることを決めたことを、後悔はしていない。
けれど、時折、胸の奥がチクチクと痛みを訴える。
そんな夜は、決まって過去の優しい夢を見るのだ。優しい姉の夢を。
目覚めた時には、軽い喪失感すら覚える。
たまになら耐えられるが、おかしなことに、ここ最近は連日のように見てしまう。
その事が、アリスのくさくさした気分に拍車をかけていた。
アリスは歩を進めた。
しっとりした空気を胸いっぱいに吸い込む。
いつもと違う道を歩く。
それだけなのに、何だか新鮮な気がして、アリスの心は弾んだ。
心が和らぐと、重石がとれたように足取りまで軽くなる。
これで霧でもかかっていたらもっと素敵だろうな、とふと考えた。
すれ違う人の数は、目に見えて激減した。
閑散としてどこか寂しげな路地は、今のアリスの気分にぴったりだった。
細い道を抜けると、通りにでた。
大通りとまではいかないが、そこそこ広い。店もちらほら見える。
ただ、こちらには、活気があまり感じられなかった。静かだと言ってもいい。
アリスは息を吸い込むと、のんびりと歩く。
気持ちを落ち着けるには、このぐらいの静けさがちょうどいい。
ディーとダム。
可愛い二人の恋人の安否を、アリスはそっと願った。
途中、素朴な造りの店を見つけ、アリスは立ち止まった。
丁寧に整えられたディスプレイに目を走らせる。
(可愛い……何か買っちゃおうかなー)
時間はたっぷりあるのだ。
ちょうどこの間、給金も出たばかりだし、とアリスは頭の中で試算する。
買い物でストレスを発散することは滅多にないが、たまにはいいだろう。
アリスが店内に足を踏み入れると、チリンと軽い鈴の音が鳴った。
客はアリス一人だった。店員の姿が見当たらないが、おそらくは奥にいるのだろう。
アリスはゆっくりと店内を見て回った。
外観の通り、あまり中は広くなかった。けれど、隅々まで管理が行き届いている。
飾られた棚には埃ひとつないし、置き方ひとつにもこだわりを感じる。照明は控えめで、少し薄暗いようにも感じた。
色鮮やかな、それでも派手ではない髪飾り。静かにきらめくガラスの器。
見ているだけで、心が華やかに気分になった。
値段も安すぎず高すぎず、良心的だといっていいと思う。
アリスは、ひとつの髪留めに目をとめた。
青と赤、ディーとダムのような鮮やかな色だが、華美だとは感じない。綺麗だな、とアリスはそれを手に取った。
「いらっしゃいませ、どうぞごゆっくりご覧になってくださいね」
店員だろう。落ちついた声音だ。
声をかけられて、アリスは思わず振り返った。その途端、アリスの心臓がドクンと音を立てた。
(……姉さん!?)
自分に向かって微笑む店員の顔を凝視しながら、アリスの息は詰まった。
顔なしの顔を、アリスは判別することができる。
同じように見える彼らだが、注視すると個々の顔は違っているのだ。
彼女は、アリスの姉ロリーナによく似ていた。
他人の空似で片付けられるレベルではない。瓜二つだ。アリスは呆然とした。
(似てる……すごく)
似ているというだけで、やけに胸がドキドキする。
もう二度と会えない姉の姿を、彼女に重ねる。
アリスは必死になって、二人の相違点を探した。
細部をよく見ると、違う。
彼女の瞳は穏やかなブラウンだけれど、姉の目は青かった。
違うんだ、と思えた途端、わずかにアリスは安堵した。
彼女とロリーナ姉さんとは違う。
けれど、とても似ている。姉を思い出させるには、十分なほどに。
(姉さん)
アリスは目を伏せた。
駆け寄りたい。
駆け寄って、抱きついて、ごめんなさいと何度も繰り返し言いたい。
懐かしさがこみ上げて、鼻の奥がツンとした。
そうして後、痛いまでの罪悪感がアリスの胸を満たす。
ロリーナと少し違うけど、優しそうな声をしていた。
優しそうな笑顔。優しそうな視線。頭がぐらぐらする。
店員がアリスの異変に気づいたのか、心配そうに近づいてきた。
「お客様、どうされました? 顔色がよくないようですが」
アリスは慌てて頭を振った。
頭を動かしたせいか、めまいが一層酷くなる。声に力が入らない。
「平気……大丈夫。ありがとう」
そう言ってはみたが、アリスの容態は明らかに悪い。
人の良さそうな店員は引き下がらなかった。彼女の形のいい眉がきゅっと寄せられる。
心配そうな顔。心配そうな、姉の顔。
アリスは彼女の顔を、まともに見ることができなくなった。
「でも……よかったら、少し休まれていかれてはどうですか?」
「そう、そうね……ごめんなさい、お言葉に甘えるわ」
こんな状態では、屋敷に帰り着くことも難しい。
店の前で倒れられては、彼女にも迷惑がかかるだろう。アリスは青い顔のまま、渋々頷いた。
そっと手を引かれて、奥の部屋へと案内される。
優しい手の温もりに、アリスは戸惑った。
頭がふわふわっとしているせいか、姉の手ではないかと錯覚してしまう。
いいや、姉はいない。いないのだ。もう会えない。自分が、帰ることを拒んだのだから。
そう強く自身に言い聞かせてやっと、アリスは自分を保つことができた。
アリスをソファに寝かせると、店員はアリスの不安を取り除くかのように、柔らかく微笑んだ。
「何か冷たいものを持ってきますね」
「あ」
アリスが制止する間もなく、女性はさっと奥へと姿を消した。
アリスは大きく息を吐きながら、遠慮なくソファに体を沈めた。
コロンだろうか、いい香りがする。ユリのような優しい匂いだ。
店員はコップを手に戻ってくると、アリスに差し出した。
アリスは申し訳なく思いながらも、それを受け取る。
「ありがとう」
礼を告げてから、アリスはそろそろとコップに口をつけた。
冷たいお茶を一口飲む。中身を半分ほど飲み干して喉を潤わせると、アリスの気持ちも落ち着いてきた。
会ったばかりの、ただ似ているというだけの人だ。こんなに動揺するなんて、どうかしている。
「気分が治るまで、どうぞ体を休めていってくださいね」
アリスは頷いて返した。靴を脱ぐと、本格的にソファに横たわる。
店員は優しそうな眼差しのまま、アリスを見つめていた。
何処からか、毛布まで持ってきてくれた。
ありがたくそれに包まりながら、アリスは無意識に彼女の顔をじっと見た。
「……あの、どうかされました?」
これだけ見ていたのでは、さすがに相手も気づく。
遠慮がちに尋ねられ、アリスは自分が彼女を凝視していたことに気がついた。恥ずかしさで頬が熱くなる。
毛布の温もりが、アリスの心までも緩める。
緩んで緩んで、心は言葉となり、とうとう口からこぼれてしまった。
「ううん、あの……」
失礼になるかもしれない。
そう思ったが、言わずには居られなかった。姉とは違うところを、もっと見つけられると信じて。
「貴女が、私の知り合いによく似ていて、びっくりしちゃっただけ」
「まあ、そうなんですか」
言いながら、彼女はくすっと照れたように笑った。
似ていると言われて気分を害さないだろうか、と心配したこっちが馬鹿馬鹿しく思えるほど、彼女は綺麗に笑う。
そして、アリスは愕然とした。
何てことだろう、笑い方まで似ている。
女性は再び、遠慮がちに切り出した。
客だからだろうか。そこまで畏まる必要はないのに、とアリスは少し落胆した。
「あの、失礼ですが……もしかして、噂の余所者の方ですか?」
「! わ、わかるの?」
アリスは思わず跳ね起きた。はずみで、眩暈が再発する。
その間にそっと肩に手を回され、体勢を戻されてしまった。
ばつの悪そうな顔をすると、彼女は小さく笑みをこぼした。
「いいえ、まさか。私達みたいな顔なしのカードには」
「じゃあ、なんで?」
子供みたいな言い方だったかもしれない、とアリスはそわそわした。
妙に落ち着かない。女性は優しい口調のまま、アリスの疑問に答える。
「だって、私たち顔なしの顔なんて、誰も注意して見ませんもの」
「そんな」
そんな寂しいこと。
アリスは顔を曇らせた。口を閉ざして、視線を落とす。
この国では、力関係が明確に決まっている。
それを覆すことは難しい――いや、できはしないのだ。アリス一人では。
女性は全く気にしていない様子で、乱れたアリスの髪を指でそっと梳いた。
「貴女様のお名前は、何とおっしゃるんですか? 差し支えなければ、教えていただけたら」
「私は、アリスよ。アリス=リデル。あなたの、名前は?」
そうアリスが言うと、女性はきょとんとして目を瞬かせた。
不思議なものを見るような目で、アリスを見つめる。
「私の名前、ですか」
「うん」
これで万が一、姉と同じ名前だったら、卒倒するかもしれない。ドキドキしながらアリスは待った。
「リラと申します、アリス様」
「様なんてつけないでよ。アリスでいいのに」
「そうですか? じゃあ、失礼して……アリス。私のことは何と呼んでくださっても構いません」
アリス。
心臓が一際大きく高鳴った。
姉に呼ばれたかのような錯覚を巻き起こす。
昨夜みた夢と現実が混ざりあっていく。アリス、どうか忘れないで――。
「じゃあ、リラ……で、いいかしら」
外見からして、自分よりは年上だろう。
呼び捨てすることに僅かな躊躇いはあったが、アリスはリラの顔色を窺いながら告げた。
「勿論です。どんな方なんですか? 私に似ているなんて」
当然の疑問だろう。
アリスは一呼吸おいてから、彼女から視線をずらした。
何故だか不必要なまでに後ろめたい気分になる。
「私の姉に、似ているの」
アリスは白状した。
リラは驚いたのか、目をぱちぱちと瞬かせた。
「お姉さま、ですか。それは恐縮ですわ」
「そんなことは……でも、あの」
「はい」
優しい声。優しい目。
心奪われる。頭がぼうっとする。アリスは遠慮がちに切り出した。
「また、ここへ来てもいいかしら」
リラは嬉しそうに目を細めた。
アリスの記憶の中にあるロリーナの顔と、完全に重なる。
「嬉しいです。お待ちしていますね、アリス」
アリスは二つの包みを手に、店を後にした。
ひとつは青と赤の髪留め。
こちらはちゃんと購入したのだが。
アリスは、もうひとつの包みに目をやった。
リラがアリスに似合うからとプレゼントしてくれたものだ。
大人っぽいデザインの、銀細工のブレスレット。
貰う理由がないと頑なに辞退したのだが、押し問答の末に、アリスの方が押し切られてしまった。
姉と似ているだけで、アリスは強くは出られない。
だから、もとから勝負は見えていたのかもしれない。
「アリス。あなたはとても優しいわ。私、声をかけて貰えてすごく幸せなの」
そんなに大層なことじゃないと思うのだけれど。
アリスは歩きながら、リラの弾んだ声を思い出す。
「大層なこと、なのよ。顔なしの顔を見分けてくれる人なんて、貴女以外にいないわ。貴女と知り合えて、私、幸せよ」
リラは、うっとりとした顔で、しきりに幸せだと呟いていた。
だから、アリスは何も言えなくなる。
「アリス、また来てね。約束よ」
約束よ、アリス。
リラの言葉は姉の声になり、アリスの心に木霊する。
何だか夢心地だった。
リラ。姉さんとそっくりの人。
アリスの来訪を嬉しいと心から喜んでくれる。
姉とはもう喋ることも出来ないが、彼女となら出来る。
リラの存在は、この時確かにアリスの慰めになったのだ。
途中、休憩で寄ったカフェの一角で、アリスは包みをほどいた。
少しお行儀が悪いかな、とも思ったが、早く身につけたい気持ちが勝っていたのだ。
リボンをほどくと、その代わりに買ったばかりの髪留めでとめる。
ブレスレットを手首にはめこむと、金属の冷たさが心地よかった。
手を日にかざせば、キラキラと涼しく光る。
そうだ。
今度行く時に、リラにお返しをしよう。
何がいいかな、と考えながらアリスは帰路についた。
屋敷へ戻ると、正門に彼らがいた。
つまらなそうに門にもたれている。
数時間帯ぶりに見る彼らの姿に安堵して、アリスは表情を緩めた。
見た感じ怪我もしていないようだし、よかった、と心から思う。
ディーとダムはアリスを見つけると、わっと駆け寄ってきた。
「お姉さんだ!」
「お姉さん! 十時間帯もお姉さんに会えないなんて、拷問だったよ」
「うん、すっごく辛かった。ね、お姉さん。僕ら仕事頑張ったんだよ! 褒めて褒めてー」
アリスは二人を受け止めながら、にっこり微笑んだ。
二人に会えたことで、アリスの鬱々とした気分は完全に晴れていた。本当に、今日はいいことばかりだ。
「お疲れさま、ディー、ダム。私も寂しかったわ」
こんな恥ずかしいこともするりと言えてしまう。
柄じゃないなと思ったが、たまにはいいだろう。
アリスが素直に喜ぶと、ディーとダムはすまなそうな顔をした。
「ごめんね、恋人なのに寂しい思いさせて」
「ごめんね、お姉さん。でも、次の時間帯から長期休暇が貰えたから、いっぱい遊ぼう!」
「ええ」
アリスは頷く。
嬉しくてディーとダムをぎゅーっと抱きしめると、二人は顔を輝かせた。
「あ。お姉さん、それ、新しいの?」
ダムがアリスの変化を目ざとく発見した。
視線がアリスの髪留めにあることに気づき、アリスは僅かにはにかんだ。
「これ? うん、買ってきたばかりなの。似合う?」
「似合うよ、すごく似合う。僕らの色だ」
ディーとダムは嬉しそうにはしゃぐ。
やっぱり買って正解だったな、とアリスも彼らの笑顔を見て満足する。
ディーがアリスの手首に視線を落とす。
「それも買ったの?」
「あ……」
咄嗟に嘘をつくことができなかった。
「ううん、こっちは貰い物なの」
アリスが言うと、ディーとダムの目がわずかに細められた。
「……誰から? 男?」
「違うわ、女の人よ」
男の人だったら、そもそも受け取ったりしない。
否定すると、ディーとダムはやや安心したように見えた。互いに目配せしあう。
「そうなんだ。ねえ、お姉さん」
「なに?」
ディーとダムは魅力的な笑顔をアリスに向けた。
「僕らが、もっとお姉さんに似合うのを買ってあげるよ。街に行こう」
「うん、デートしよう、お姉さん」
「そうね。でも、今日は疲れているでしょう? 休暇になったら行きましょう」
はーい、と双子は同時に返事をした。
アリスの口元は幸せに緩みっぱなしだ。
何だか離れ難かったので、アリスはそのまま二人の話し相手になることにした。
時間を忘れて話し込んでいるうちに、時間帯が変わる。
久しぶりに三人で街に出た。
まるで腫れ物に触るかのように、顔なし達が遠巻きにこちらの様子を窺っている。
この居心地の悪さも久しぶりだ。
群衆の中にリラの姿を見つけ、アリスは足を止めた。
「あ」
リラもアリスに気がついた様で、おずおずと手を振った。
アリスが小さく手を振り返すと、リラはそそくさと人ごみから離れていった。
「どうしたの? お姉さん」
「ううん、知り合いがね」
「知り合い?」
リラの様子が少し気がかりで、アリスは視線を変えぬまま答えた。
そうして、己の状態に気づく。
隣にいる人物――ディーとダムが原因なのだろう。恐れられる存在であることは確かだ。
考え込んでいたアリスは、ディーとダムの機嫌が悪くなったことにしばらく気づかなかった。
「まさか、男じゃないよね?」
え、とアリスが思考から脱すると、ディーとダムが不機嫌そうにアリスを見上げていた。
(まずい……)
ディーとダムは斧をしっかりと握り締めると、薄く笑う。ぞっとするような冷たい笑みだった。
「僕らに会えないから、寂しくって浮気したの? それでも嫌だ」
「うんうん。浮気は駄目だよ、お姉さん。今のうちに殺しちゃおうか、兄弟」
アリスが口を挟む間もなく、二人はどんどん話を進めていく。
「そうだね、兄弟。お姉さん、どれ?
ここに居る奴ら全部殺してもいいけど、それだとちょっと時間がかかっちゃうし、お姉さんを待たせたくない」
「うん、それは効率が悪いよ。だから教えて、お姉さん」
ディーとダムの周囲を見る目が、鋭く尖っていく。
今にも斬りかかっていきそうだったので、アリスは慌てて否定した。
「ち、違うわよ! 女の人よ」
「へえ」
それならいいや、と、ディーは興味なさそうに呟いた。やっと斧の切っ先を下げる。
安心すると同時に、ディーとダムに話す時は気をつけねばならないことを、アリスは肝に銘じた。
軽い鈴の音が鳴る。
「こんにちは」
来訪も回を重ね、アリスはリラのところに入り浸るようになっていた。
仕事がない時、ディーとダムが仕事の時などは、アリスは好んで足を向ける。
いつでもリラは待っていてくれた。
けれど、今日は少しだけ気落ちしているように見えた。
「アリス」
アリスは眉をひそめた。
どうしたのだろう、リラの表情が曇っている。
「アリス……ブラッディツインズと、お付き合いを?」
「う……まあ、うん。そうね」
リラは控えめに溜息をついた。
まるで悼むように、そっとその目が伏せられる。
「止めておいた方がいいわ……と言いたいけれど、好きなら仕方ないわよね」
「……止められるわよね、やっぱり」
何せ、彼らはマフィアだ。
けしてお勧めできる相手ではないだろう。
(夢だと思ってなかったら、私だってきっと近づかなかったもの)
夢だと信じ込んでいたから、アリスは近づけたのだ。
リラの言い分もよくわかる。
「恐ろしい方だから、ね。アリス、貴女も気をつけて」
頷きながら、アリスは俯いた。
「あの子達と付き合う私に、幻滅した?」
リラの言葉はロリーナの言葉だ。
アリスの胸に、必要以上の影響を与える。
アリスが消え入りそうな声で呟くと、リラはハッと顔をあげた。
「そんなこと、あるはずないわ!」
「でも、顔色が悪いわよ」
「それは……貴女が危険な位置にいることが心配なの。役持ちの中でも、ブラッディツインズは特に危険だわ」
確かに、ディーとダムは他者に対して友好的であるとは言い難い。
ディーとダムが、自分に向けてくれる愛情のほんの何分の一かでも、彼らに与えてくれたなら。
「そうね……心配かけてごめんなさい」
姉に謝る代わりに、リラに謝る。
そうして、勝手に罪滅ぼしをしている気になっている。
リラは祈るように、アリスの手を握り締めた。
仕事中の筈なのに、双子の姿は見当たらない。
またサボっているのかと息を吐いていると、のんびり屋敷へ歩いてくる二人を見つけた。
「ディー、ダム」
「お姉さんだ!」
「ただいま、お姉さん!」
駆け寄られ、きゅっと抱きつかれる。
彼らの体から微かに漂う血の匂いに、アリスはぎょっとした。
まさか怪我をしたんじゃないかと心配になったが、どこにも傷など見当たらない。
「どこか出かけていたの?」
「うん、出かけてたんだよ」
今日はやけに妙な言い方をするな、とアリスは首を傾げた。
「仕事?」
「ううん、違うよ。野暮用ってやつかな」
「そうそう、そんな感じ。お姉さん、今日も出かけるの? 僕らと遊ぼうよ」
二人は無邪気にアリスの手を引っ張る。
せっかく誘ってくれたのに悪いが、リラとの先約があった。
「う……ん。ごめんね、約束があるの。戻ってきたら遊びましょう」
「えー」
アリスが言いにくそうに言葉を濁すと、ディーとダムは不満の声をあげた。
「まあ、いっか。すぐに戻ってきてくれるよね?」
「すぐに戻ってくるさ。ちょっとの我慢だよ、兄弟」
双子は、渋々アリスの手をはなした。
「お姉さん。僕らは部屋にいるから、戻ってきたら僕らの部屋に来てね」
「そんなに遅くはならないと思うけど……じゃあ、また後でね」
「うん。後でね、お姉さん」
普段よりもあっさりと、双子はアリスを解放した。
拍子抜けしながら、再びアリスは歩き出す。
ディーとダムは、そっとアリスの後姿を見送った。
アリスの足取りは軽い。心なしか、その表情もうきうきしていた。
しばらくその背を見つめた後、ディーとダムは屋敷に消えていった。
(……何か、今日はやけに素直だった気が)
それだけ成長したのかもしれないな、とアリスは好意的に解釈した。
アリスがリラの店に辿り着いた時、時間帯は夜になっていた。
約束に間に合った、と胸をなでおろす。
更に歩みを進め、アリスの足は止まった。
(あれっ?)
店が閉まっている。
定休日ではない筈なのに、とアリスは首を捻った。更に近づくと、扉には『閉店』の文字が見えた。
おかしい。
彼女が黙って店を畳むなど。
アリスは道行く人に声を掛けた。
「すみません、あの。ここの店のことなんですけど」
「ああ、どうしたんだい?」
「何かあったんですか? 知り合いなんです」
人目をはばかるように、男性は声を潜めた。囁き声で、そっとアリスに耳打ちする。
「殺されたんだよ、あの子」
今、なんと?
頭が理解することを拒む。
「……嘘」
「嘘なんかじゃないさ。そこの窓のカーテン、隙間があるだろう? 見てご覧」
アリスは震える足取りで、そっと窓に近寄った。
中を覗き込んで、その惨状に絶句する。
店の中は滅茶苦茶になっていた。
おびただしい量の血が辺りに飛び散り、それは天井にまで届いていた。
今が夜だったことが幸いだった。
もしも昼や夕方なら、きっと目をそむけたくなるような状態だったに違いない。
無事でない――どころか、生きているとは思えない。
アリスは白い顔のまま、ふらふらと後ずさった。
「だ、誰に……」
「それが、あのブラッディツインズでね。いきなりやって来て。あっという間だったよ」
囁くようにそう言うと、男性は人目を気にするように、そそくさと立ち去ってしまった。
アリスは呆然と突っ立っていた。
別種の絶望感が、アリスの胸を満たしていた。
屋敷に戻ったアリスは、ディーとダムの部屋へ直行した。
二人は言った通り、部屋で待っていた。
アリスが来たことを知ると嬉しそうに顔を輝かせる。
ベッドから跳ね起きると、ディーはアリスのもとへと駆け寄ってきた。
どんな顔をしていいのかわからない。
ディーは立ち尽くしているアリスの手を引くと、扉を閉めた。
「お姉さん、お帰りなさい! どうしたの? 顔色がよくないよ?」
「お帰りなさい。横になった方がいい? ベッドをあけるよ」
言いながら、ダムは散らかしていたベッドの上を適当に片付け始めた。
ドサドサと落ちるのも全く気にしていない。
アリスを気づかうディーとダムはやっぱり優しくて、アリスは泣きたくなった。
何で笑うのだろう。何で。
「どうしてよ! 何で!?」
アリスが声を荒げると、心底驚いた様子で、二人はアリスの顔を覗き込んだ。
「お姉さん、どうしたの? 何で泣くの?」
「あいつの為に泣くの? 何で?」
悪びれもせずに二人は言う。
カッとなって、アリスは言い返した。
「どうしてって、リラは何も悪いことしてないじゃない!」
「したよ」
「したね」
ディーとダムは即答した。
アリスはやや面食らったものの、負けじと睨み返した。
「何をよ」
「お姉さんを惑わせた」
「そんな」
それこそ、わけのわからない理由だ。
「そんなの、殺される理由になんかならないわ」
けれど、ディーとダムの基準には達していたのだろう。
二人は至って真面目な顔で、揃って首を振った。
「なるよ、十分」
「うん、なるね。そんなことより、僕らと遊ぼう?」
「遊ぼう、お姉さん。そんな奴のこと、どうだっていいじゃない」
ディーとダムはにこにこと可愛らしく笑う。
その笑顔に寒気を覚えて、アリスは青くなった。
「好きだよ、お姉さん」
「触らないで!」
アリスは思わず、伸ばされた手を払いのけてしまった。
彼女を殺した手で、同じように二人は優しく触れてくる。そのことが我慢できなかった。
酷いことを言った。
しまった、と後悔したのは、ディーとダムが酷く傷ついた顔をしたからだ。
「どうして?」
「私の友達を殺したわ!」
姉にそっくりな、私の友達。
アリスにとっては、姉を殺したも同然だ。
ディーとダムは理解できないようで、不思議そうに首を傾げる。
「確かに殺したけど、それって何か悪いこと? 僕ら、お姉さんの為に」
「私の為なんかじゃない!」
「落ち着いて、お姉さん。本当に、どうしたの?」
伝わらない。通じない。
それが、こんなに辛いものだったなんて。
何も言えなくなったアリスは踵を返すと、部屋から出て行こうとした。
ディーに手を取られていなかったら、思いきり駆け出せていたのに。
ぎゅっと強く握られていて、どうやっても振りほどくことができない。
「手、離して。お願い」
「……」
二人は何も言わず、じっとアリスを見上げている。
「ごめんね、お姉さん。それはできない」
「ディー」
「離せないよ、僕ら。お姉さんが泣いてるもの」
「ダム」
力が抜けていく。
アリスはその場に座り込んだ。
張り詰めていたものがぷっつりと切れ、アリスの頬を涙が伝う。
「どうして?」
それだけしか出てこない。
ダムの指が、アリスの涙をそっと拭う。
その優しい温もりすら悲しく思えてきて、アリスの涙は止まらなくなった。
「どうして? 私には優しいのに」
「お姉さん」
ディーとダムはそっとアリスに身を寄せながら、心配そうに表情を曇らせた。
「相手が役持ちなら、すごく嫌だけど我慢するよ。まだ我慢できる。けど、あんなのにまで意味を与えないで」
「意味を持つ価値なんて、あいつらにはないよ。だから我慢できなかったんだ、僕ら。子供だから」
「意味?」
アリスはぼんやりした頭で、ただ彼らの説明を聞いていた。
ディーとダムが何を言っているのか、わからない。
「うん。あいつらはただの、意味のないカードだよ?」
「あんなのと親しくしないで、お姉さん」
アリスはむっとした。
「私の友達を、無意味だっていうの」
抗議の意味を込めて問い返すと、ディーとダムは悲しげに首を振った。
「ううん、お姉さんの友達は特別だよ。意味がある。だからだよ」
「お姉さんの特別は、僕らが欲しいんだ。でも、あいつはただ与えられた。許せない」
「うん、許さないよ。ただの顔なしのくせに」
「お姉さんを」
聞くに堪えない単語が飛び交う。
たまらなくなって、アリスは耳を防いだ。
「僕ら、いい子にするよ。だからお姉さん、泣かないで」
「僕らを嫌わないでよ、お姉さん」
どうして泣きそうな顔をするのだろう。泣きたいのはアリスの方だ。
二人はいつだって、アリスに逃げ道なんて許してはくれない。
アリスは呆然としながらも、しがみついてくる二人を突き放せずにいた。
時計塔の長すぎる階段を、アリスは駆け上がっていた。
本当に今更だが、ここの階段は恐ろしく長い。長すぎる。
息があがり、足が痛みを訴え始めた。それでも、アリスは進むスピードを緩めなかった。
「ユリウス!」
「どうした、血相変えて」
ユリウスはぎょっとした様子だったが、アリスはその問いを無視した。
息を切らしながら、早口でまくしたてる。
「壊れた時計は、ここに持ち込まれるって聞いたわ。最近持ち込まれた中で、一番新しいのはどれ?」
「新しいもの? ああ、これか」
ユリウスはアリスの勢いに飲まれたのか、素直に机上を指差した。
アリスは作業机に駆け寄ると、ユリウスの差した先を凝視した。
今から直すところだったのだろうか、小さなネジがいくつも外され、周囲に並べられている。
見たところ、そんなに酷い損傷は見当たらない。
アリスはわずかに安堵した。これで、完膚なきまで壊されていたら、きっともっと打ちのめされていただろう。
「これが……これが、そうなの?」
「ああ」
アリスは呼吸を整えると、口元を引き締めた。
そうして、改めてそれを――リラの時計を見る。
時計というものを、アリスは初めて見る。
心臓の代わりに入っている物としての、時計を。アリスが知っているものと変わりない。
ユリウスは、そんなアリスを黙って観察していた。
作業途中で邪魔だったろうに、アリスの好きにさせてくれる。
「見たのなら、さっさとどけ。作業の邪魔をするな……」
ユリウスは狼狽を露にした。
アリスの頬から、一筋の涙が零れ落ちる。
「な、何を泣いている! 泣くな! 鬱陶しい!」
「うるさいわね! 友達だったのよ!」
これは八つ当たりだ。
わかっているのに、止められない。
「ああ、そうらしいな。帽子屋のところの門番が手にかけたと聞いている」
「私と親しくなったから、殺したんですって。そんなこと許されるの!?」
アリスが噛みつくように言うと、ユリウスはきょとんとした。
「許すもなにも、問題はないだろう? その程度のこと」
「そんな」
あんまりだ。
それでは、あまりにもリラが悲しすぎる。
アリスは悔しさで唇を噛んだ。
「ねえ、ユリウス。この時計、修理できるのよね? 今からするの?」
力任せに涙をぬぐうと、アリスはユリウスへと視線をうつした。
「あ、ああ。仕事だからな。どうした?」
「見守っていてもいい?」
ユリウスは僅かに目を瞠った。
けれど、突き放しはしなかった。アリスの真剣な表情を見てから、溜息をひとつ吐くだけに留まった。
「……勝手にしろ。ただ、以前とは全く違うものになるぞ。それは知っているな?」
「知っているわ。それでも、見届けたいのよ」
「何故?」
ユリウスは訝しげに眉をひそめた。
心底理解できないのだろう。価値観の違い。アリスのいた世界とは違うということを、嫌でも思い知らされる。
そんなことくらい、アリスだって承知だ。ここで引き下がるものか。
新たに沸いてくる苛立ちを抑えながら、アリスはユリウスの目を見据えた。
「だって、私のせいだわ」
誇張ではなく、自分に原因がある。
ユリウスはあっさりと頷いて肯定した。
「ああ、お前のせいかもしれない。けれど、それがどうしたというんだ?」
だからどうした、とユリウスは素っ気なく言う。
わざとではない。
彼はアリスの真剣な思いをからかったりはしない。知っているのに、アリスは落ち込んだ。
「私の不注意で、彼女を死なせてしまったのよ。だから私は、見届けなくちゃいけない」
ただの自己満足だ。
罪は消えないのに、少しでも軽くしようとしている。
けれど、アリスが気をつけていれば、彼女は死ななかったのか。完全には否定できない。
ディーとダムの方が一枚上手なのだ。きっと、同じような道筋を辿ることになっていただろう。
それでも、アリスはもっと気をつけるべきだったのだ。
アリスの意思は固い。
説得を早々に諦めたユリウスは、深く溜息を吐いただけだった。
陽だまりの中を、少年が駆けていく。
年の頃なら十くらいだろうか。楽しそうにはしゃぐ少年の姿を、彼の母親らしき人物が、少し離れた場所から見守っていた。
ふいに、少年は足を止めた。
大きな木の下に、透明な眼差しで自分を見つめる少女がいる。
送られる不思議な視線に興味を覚え、少年は少女のもとへ一直線に駆けだした。
少女は語る瞳で、少年が来るのを待っていた。
青いスカートがふわりと広がる。風が少女の長い髪と木の枝を揺らし、さらさらと音を立てた。
ようやく木に到着すると、少年は息を整えながら少女を見上げた。少女はただ沈黙している。
「ねえ、お姉ちゃん。どうしてそんなに悲しそうなの?」
少女が自分を見つめる視線は、どこか寂しくて、くすぐったくて、甘い。こうして近くで見ていると、何だかそわそわする。
少女はわずかに目を瞠ると、ゆっくりと首を振った。
「何でもないの」
「でも……そうだ! 僕、花をあげるよ。とても綺麗なんだ」
少年は急いでごそごそとポケットを探ると、はい、と少女に右手を突き出した。
少女は少しためらった後、それを受け取る。
「ありがとう、大切にするわ」
さきほど摘んだばかりなのだろう、小さな花だった。
ポケットに入れられていたせいで花弁が一部折れてはいるが、優しい色をしている。
少女その花を愛しそうに両手で包み込むのを見て、少年は照れたように笑った。
すると、少女の瞳がみるみる強張り、悲しみの色を灯す。
少年は首をかしげるだけだった。
一体、どうしたのだろう。
さっきは確かに、嬉しそうに見えたのに。
少女は曖昧に笑って誤魔化すと、体の向きを変えた。
最後に「元気でね」と声をかけて、アリスは名残惜しそうにその場を離れた。
「お姉ちゃん、またねー!」
背後から元気のいい声が聞こえる。
ふいに、アリスは泣き出したくなった。
アリスはその声に応えることなく、前を向いて歩き続ける。視線を落とし、少し俯き気味に。
行く先から強い視線を感じて、アリスは顔を上げた。
ディーとダムがアリスを待っている。
アリスは少し考えた後、少年から貰った花を手放した。
花は宙を舞い、その花弁を散らせる。
何か言いたそうな彼らの視線を振り切り、アリスはなんでもない顔をして、二人のもとへ一歩踏み出した。
もう二度と、アリスが振り返ることはなかった。
===== あとがき ===
シリアスでした。
この話はコピー本にする予定だったんですが、間に合わなかったのでオン用に転向。けっこう削ってみました。
ボリスイベントを見ていて、もしアリスが他の顔なしと仲良くなることがあったら、ディーとダムはどうするんだろう?と思ったのがきっかけでした。
たぶん、速攻で抹殺するんじゃなかろうかと。
結果、なんか救いようがない話に(’’
同設定でエリオットバージョンも考えているので、またそのうちー。
読んでくださって、ありがとうございました。
(2008.10.19 山藤)