W Halloween













アリスはダムと共に、森に来ていた。

森の奥深く、カラフルなキノコが群生している場所だ。
二人の足元には、色とりどりのキノコ達が、木の根元でその顔を覗かせている。

二人は、ワライダケの群生場所を通り過ぎた。
今日はもう少し、森の奥まで行くつもりだった。


「お姉さん、足元に気をつけて。その小さい紫とオレンジのまだらの模様のやつ、踏んづけると、毒の胞子がうわーって出てくるんだよ」
「え」


言いながら、ダムは、そっとアリスを毒キノコから遠ざける。
アリスがうっかり踏みつけそうになったのを、ダムは見逃さなかった。

この世界で危険かそうでないかを見分けるのは、これがなかなか難しい。
特にキノコなんてものは、その最たるものだ。
見かけからもあからさまに毒々しいものもあるが、大半は、何食わぬ顔をして内に毒を孕んでいるのだ。


「もっとこっちに寄って、お姉さん。見ていて危なっかしいよ」
「うう、気をつける……他には、何かある?」


珍しく、今は三人ではなかった。
アリスはダムと二人きりだ。


「残念ね、ディーは来られなくて」


危険な地帯を通り過ぎてから、アリスはひそめていた息を吐いた。ダムが頷く。


「うん、そうだね。よりによって馬鹿ウサギと出くわすなんて、運が悪いよ」


三人で出かけようとしたところを、エリオットに捕まった。
そうして彼は、人手が要るからどっちか来い、とディーを引っ張って行ってしまったのだ。


(……ディーの機嫌は悪くなってるだろうなあ……大丈夫かな)


散策は取りやめになった――かと思いきや、ディーは『行ってきていいよ』と言ったのだ。
てっきり、二人きりなんてずるい、とごねると思っていたのだが――。


(成長したのかしらね……)


と思うと、何やら感慨深いものがある。
子供だとばかり思っていたのに、いつのまにか男の子は成長する。

けれど、どうもそういう訳ではないらしかった。
ディーは、ダムに向かって『その代わり、ちゃんと見つけてきなよ』と付け加えたのだ。


「兄弟に言われたからには、絶対に採ってこないとねー」


そうしないと機嫌悪くするからなあ、とダムはぼやく。

何にせよ、ディーにとって、面白くないことには違いなかった。
逆にそのせいか、ダムの機嫌はすこぶる良い。


「でも、僕は嬉しいな。お姉さんを独り占めできる」
「ダム」


次の瞬間には唇が重なり、けれど、すぐに離れた。
重ねるだけの軽いキスだ。

パッと頬を染めるアリスを見て、くすくすとダムは笑う。
晴れやかに、悪戯ざかりの少年の顔で。


「兄弟には悪いけどね」
「もう」


アリスも苦笑して返す。少年特有の眩しさに、アリスの鼓動は高鳴るばかりだ。

男の子っていいなあ、とアリスは思う。

女の子にはないものを、彼らは確かに持っているのだ。
不思議な眩しさを持つ少年たちは、特別にキラキラしている。

今のダムは、まさしく年相応の輝きを身に纏っていた。
表情もリラックスしているように見えるのは、アリスの気のせいではないだろう。


「ねえねえ、お姉さん。見て見てー」
「なあに? ダム」


子供というものは移り気な生き物だ。
すぐに次の面白いものを見つけては、飽くなき好奇心を示す。

ダムが道端にしゃがみ込んだので、アリスも隣に倣う。
ダムの興味は足元にあるらしい。

何を見つけたのかな、とアリスが身を乗り出すと、ダムが指した先にはキノコがあった。


「これ、見たことないキノコだ。毒かな?」


アリスはまじまじとキノコを見た後、僅かに眉をひそめた。


「……毒、っぽいわよね。見た目は」
「うん、なかなかカッコイイね。すっごく毒々しい」


ダムの声は弾む。
キノコの毒々しい赤と黒の斑点のコントラストは、目に突き刺さるようだ。
毒ですよ、食べたら死にますよ、と存在だけで周囲を威嚇している。


「お姉さんも知らないかー……じゃあ、持って帰って調べてみよ……あ。そうだ」


ぷちり、と毒キノコその1(仮)を採集しながら、ダムは思いついたように呟いた。何か思いついたらしい。
ダムはアリスの顔を見て、ニヤリと笑った。


「これ、兄弟に食べさせてみようか? お姉さん」
「なっ……! 駄目よ、絶対に駄目!」


アリスが青ざめて思いきり首を振ると、ダムは堪え切れず噴出した。


「あはははっ、冗談だよ、冗談。ふふ、焦ったお姉さんって可愛い」


思ってた通りの反応で嬉しいよ、とダムは明るく笑う。


「冗談って……驚いたじゃない、ダム」


悪戯ばっかりして、とアリスは口を尖らせた。
アリスはいつも、すぐに騙されてしまう。

ふと、ダムは口を閉ざして空を仰いだ。
アリスもつられて空を見上げたが、何の変哲もない空だった。

アリスは目を細めた。
木々の間から差し込むような木漏れ日が、目に眩しい。

ダムは、くるりと表情を変えた。


「こっちのキノコが、兄弟に言われたやつだよ。素手で触っても大丈夫だから、お姉さんも採って採ってー」
「これ? わかった」


二人はいそいそとキノコを採集し始めた。
プチプチともぎ取っては、籠に放り込む。


「そろそろハロウィンだよね」


そうね、とアリスは軽く返した。
ダムの目はキラリと妖しく光ったことに、気づかないままで。










そんな事があって、十数時間帯が経過していた。

アリスはその時、双子の部屋へ向かう途中だった。
部屋まで辿りつき、ドアをノックしようとした瞬間――廊下の向こうから、アリスに駆け寄ってくる姿があった。


「お姉さーん!」
「お姉さんっ!」


アリスはノックしようとした手を下ろして、声のした方に顔を向けた。
ディーとダムが、ぱたぱたと駆けてくる。


「ディー、ダム……って、その格好」


アリスは目を丸くした。二人は、いつもの服装ではなかった。
愛らしいフードつきの黒い衣装に身を包んだ二人は、性別は違えど、まるで魔女のようで――。

――魔女?


(……まさか)


アリスの脳裏に嫌な予感が過った。
気のせいであって欲しいと願うが、アリスの期待を嘲笑うかのように、双子は笑みを深める。


「じゃじゃーん。ハロウィンだよ、お姉さん!」
「悪戯しに来たよ、お姉さんっ」


ディーとダムは、手加減なくアリスに抱きついた。
飛びついた、という方が正しいかもしれない。

焦ったアリスは身を捩って彼らから逃れようとしたが、何せ二対一だ。勝敗は初めから見えている。


「ちょ、ちょっとっ! あんた達っ! お菓子っていう選択肢はないの!?」
「ないよ?」
「ないね」


ディーとダムはアリスの顔を見上げながら、サラリと否定する。


「それじゃあ、ハロウィンの意味ないでしょうっ!!」


アリスが声を張り上げると、ディーとダムは少しだけ考え込む素振りを見せた。
悪戯めいた彼らの表情が、やけにアリスの不安を膨らませる。


「ふふふー。仕方ないな。じゃあ、どれかひとつ、お姉さんにあげる」
「選んで選んで、お姉さん」
「え」


はい、と袋を差しだされて、アリスは面食らった。
ハロウィンは、仕掛けた側の子供がお菓子を貰うイベントではなかったか。


「……私が貰う側なの?」


うん、と二人は揃って頷いた。さも当然だ、と言わんばかりに。

アリスの疑念は、そっくりそのまま顔に出ていたようだった。
ダムはニコニコと言葉を続ける。


「お姉さんからは、ちゃんと別の物を貰うよ? だから、僕らからもあげなくちゃね。はい」


特別に選ばせてあげる、とディーは笑う。
アリスとしては、彼らの言う『別の物』とは何なのかが非常に気になるところだ。素直に乗れない。


「どれがいい? どれでもいいよ。好きなのを選んで。この中にひとつ……」
「え」


アリスはギクリと固まった。
いま、聞き捨てならない言葉が聞こえたような。


「……ひとつ、ナニ?」


戸惑いながら二人を見やると、ダムは「失敗した」とばかりに口元を抑えた。
だが、もう遅い。アリスは聞いてしまったのだから。


「あ、しまった」
「兄弟、兄弟。それは黙ってなくっちゃあ」
「ごめんごめん、うっかりしてたよ、兄弟」


ディーが詰ると、ダムは軽い調子で謝った。ますます見過ごせない。


「で、何なの?」


アリスが固く問いかけると、ディーは少し様子をうかがっていたが――諦めて、ようやく口を開いた。
アリスが追及の手をやめない、と判断したのだろう。頭の切り替えが素早い。


「んー……ひとつにねー、細工がしてある」


アリスは目を丸くした。


「細工!?」
「うん、細工。僕らがちょっぴり、ね」


ちょっとだけだ、と聞いてもアリスは全く安心できなかった。
彼らの「ちょっぴり」はアリスの「たくさん」なのだ。

それでも、ディーとダムは勧める事をやめるつもりがないらしい。
戸惑うアリスに向けて、彼らは菓子袋をずいっと差し出してきた。


「ああ、死にはしないから、安心して。そんな危ないものは食べさせたりしないよ」
「勿論、安全な食べ物だよ。さあさあ、お姉さん。選んで選んで」


彼らが死ぬような食べ物を、恋人に勧める筈がない。
そんな子達なら、アリスはとっくに別れている。


(でも、なんか)


信用できない。
彼らの常識とアリスの常識とでは、はかりしれない隔たりがある。


(子供って、加減知らずな時があるし……その上、この子たちだからね……)


かなり危ない。
死ぬことはないだろうけれど、危険性が薄まったわけではない――と考えて、アリスは自分の考えがおかしいことに気づいた。危険がある時点で駄目駄目なのだ。


「……やだ、っていう選択肢は?」
「ないよ」
「ないよねー」


ねー、と可愛く呼応し合っていても、アリスの顔は引きつるばかりだ。


「……」


アリスは迷った。

全力で否定して逃げ出すか、腹を括るか。

逃げたところで、今後も彼らとは顔を突き合わさねばならないわけで――。
いや、彼らがアリスを逃がしてくれる筈がない。

黙ったままこっそり飲み物食べ物に盛られるよりは、アリスに選択の余地がある分、まだ幾分か――そう、マシかもしれない。
何より、さあ選んでよ、とワクワクして待っている二人の笑顔を前にしては――。


(だ、駄目だ……期待してる)


アリスの選択は、ひとつしか残されていなかった。


「……聞いてもいい?」
「なになに?」


潔く覚悟を決めたアリスは、それでもなるべく慎重に選ぼうとした。
この中にひとつ、と言ったのだから、残りは安全なのだろう。きっと。


(確率は低いわ。そうよ)


アリスは前向きに考えることにした。


「ディーの一押しは、どれ?」
「一押し?」


アリスが尋ねると、ディーとダムは表情を緩めた。
アリスが突っぱねると思っていたのか、と何となしに微笑ましく思い、アリスの頬もやっと緩んできた。


(まあ、たまにはね……ハロウィンなんだから)


そう、今日は特別な日だから。

子供の為の日だ。
普段の素行ぐらい、目を瞑って乗っかってみよう。


「一押しかあ……ん〜〜……」


ディーは袋を覗きこむと、じっくりと考え始めた。
ややあって、ひとつの包みを選ぶ。


「これかな?」
「キャンディ、ね?」


大粒のキャンディだ。艶やかに透き通った、マーブル模様をしている。
何味なのか想像はできない。

ディーは大きく頷いた。


「うん! でも、これはねえ、ただのキャンディじゃないんだ」
「へえ……?」


ディーが言うのなら、余程のものだろう。
アリスが興味を示すと、ディーはいそいそと説明してくれた。


「食べてるうちに、味も色も変わるんだよ。面白いでしょう?」
「そうなの……不思議ね」
「うんうん。お姉さん、これにしなよ」


味や色が変わる、と聞いて、アリスの心は揺れた。
アリスの好奇心を見抜いたディーは、可愛らしい笑顔でキャンディを差しだしている。


(キャンディなら、安心して食べられるかもしれないものね。……面白そうだし)


安全安心をモットーにしているアリスだったが、それと同じくらいに好奇心が強いことを、彼女は知らない。
と、ディーが、思いだしたようにボソリと呟いた。


「あ。そういえば一度、唐辛子味になったことがあるな……」
「!?」


唐辛子。
驚いたアリスは、受け取りかけた手を素早く引っ込めた。


(唐辛子味の……キャンディ?)


未だかつて経験したことのない味だ。経験したいとは思わないが。
ディーは「うん」と軽く頷いてみせた。


「概ね普通なんだけど、たまに気まぐれでさあ……お姉さん、チャレンジしてみる?」
「や、やめとく……」


せっかく勧めてくれたディーには申し訳ないが、アリスは謹んで辞退することにした。
ディーは「そう?」と言っただけで、気を悪くした風でもないのがアリスにとっての救いだ。

気を取り直して、ダムへと視線を移す。


「ねえ、ダムは? 一押し、ある?」
「あるよ、お姉さん」


ダムは自信ありげに、ニッコリと笑った。
ガサガサとお菓子をかき分けて、ひとつの袋を取り出す。


「これこれ。これ、好きなんだ」


アリスは、ダムの手のひらに乗せられた袋をまじまじと見つめた。

一見、普通のクッキーのように見えるが。


「これは……見た感じは焼き菓子っぽいけど、甘い?」


粉砂糖のようなものを、たっぷりとまぶしてある。
見るからに甘そうだ。ダムは頷く。


「うん、甘いよー。甘いけどね、お姉さん。癖になる感じなんだ」
「へえ?」


これも一風変わっているのか。普通に見えたのに、なかなか侮れない。


「周りの粉にね……何て言うか、ちょっと涼しい感じ」
「そうなの。変わってるのね」


粉をよく見ると、白い中にも青みがかっていた。


(涼しい、ってどんな感じだろう)


ミントのような爽やかさを思い浮かべたが、いまひとつ結びつかない。


「んー……おすすめばっかりだから、迷うね? 兄弟」
「うん、迷うねー。全部すすめてみようか」
「そうだね、兄弟。僕、全部お姉さんに選んで貰いたい」


せっかくだから全部お勧めしてしまおう、とディーとダムは互いに頷きあうと、アリスに向き直った。


「ねえねえ、お姉さん。こっちのチョコレートも美味しいよ。七色あるんだ。全部味が違っててねー」
「お姉さん、お姉さん! このクラッカーも凄いんだよ〜」


ディーとダムが同時に語りかけるものだから、アリスの頭は一瞬、混乱した。
ディーとダムはムッとして、互いを睨みつける。


「ちょっと、兄弟。僕がお姉さんに説明してるんだから邪魔するなよ」
「そっちこそ、お姉さんには僕が説明するんだから邪魔しないでよ」


じとり、と空気が重たくなった。
ディーとダムの表情が凍りついていく。


「……勝負しようか? 兄弟。斧じゃなくて鎌だけど」
「いいよ? 臨むところ」
「やめい!」


やっと我に返ったアリスは、素早く二人を一喝した。
二人の頭を冷やすには、勢い任せに怒鳴るに限る。


「せっかくのハロウィンなのに、喧嘩なんてしないで!」


冷静さを取り戻したのか、ディーとダムの瞳からは殺気が抜けた。


「……はーい。ごめんなさい、お姉さん」
「それもそうだね……ごめんなさい、お姉さん。許してくれる?」


元気なのは良いことだが、こうも血気盛んなのも困りものだ。
おずおずと機嫌を窺う双子を見やって、アリスはひとつ息を零した。


「いいわ。仲良くできるなら、パンプキンパイを焼いてあげる」
「ほんとっ?! やったっ!」


わあい、と双子は歓声をあげた。

こんな所は、まだまだ子供だ。
微笑ましいなあ、と気持ちを和ませながら、アリスはくるりと体の向きを変えた。


「じゃあ、私は今から準備してくるから……」


逃げ出そうとしたアリスの腕を、すかさずディーが掴んで引き留める。


「兄弟。喜ぶのもいいけど、その前に、お姉さんにお菓子をあげなきゃ」
「そうだったね、兄弟。お姉さん、選んで選んでー」
「……」


逃げられなかった。

アリスはガクリと肩を落とした。
諦めて彼らと向き直り、菓子袋に視線を落とす。


「ええと……」


どれにしようか。
アリスは視線を彷徨わせる。と、クラッカーの箱に目がとまった。


「このクラッカー……凄いって、どういう?」


確か、ダムがそう言っていた筈だ。お菓子の形容詞ではない。
不安を感じたアリスが尋ねると、ダムは「それはねえ」と身を乗り出してきた。


「凄いんだよ、お姉さん。これ、弾けるんだ」
「弾ける!?」
「そうそう。噛むと、パチパチパチーって感じでねー。面白いんだ。美味しいよ?」
「……そ、そうなの……」


アリスは、それだけを何とか答えた。
ダムの説明の限りでは、とても美味しいとは思えない。


「これにする? お姉さん」
「遠慮します」


すっぱり断ると、再び他のお菓子に目を向ける。

こうなるともう、全てが怪しく思えてくる。
ディーとダムは期待する目で、アリスの一挙一動を見守っている。


「お姉さん、お姉さん。どれにする? どれがいい?」
「え、っと……これにする」


アリスは指先で、金平糖の袋を指さした。
ビニール製の袋に二粒だけ入っている。可愛くラッピングされた、小さな袋だ。


(封がしてあるし、これなら細工できないよね)


どれが一番安全である可能性が高いかを、アリスは真剣に考えたのだ。


(お菓子を選ぶのに、安全性を考えるって……何か変だわ)


けれど、相手はこの双子である。
用心するに越したことはない。


「遠慮しなくてもいいのに……これだね? はい、どうぞ」
「ありがとう」


ディーに包みを手渡される。
素直に受け取ったアリスは、包みをそのままポケットにしまいかけた。

その手を、ダムが素早く止める。


「食べて食べてー」
「今?」
「うんっ」


ディーとダムは、にこやかに頷く。
当然食べてくれるでしょう、と言われている気分だ。


(今すぐに食べなきゃ駄目か……)


貰っておいて放置する、という手は使えないようだ。
無邪気な彼らの勢いに気圧されたアリスは、渋々包みに手をかけた。


「いただきます……」


指先でビニールを破ると、その一粒を口に入れる。途端に、甘さが口の中に広がった。
その様子を、二人はじっと見つめていた。


「美味しい? お姉さん」


やけに気になる視線だ。
何というか、見守るような――観察しているような。


「うん、美味しい……?」


刹那、意識が遠くなった気がした。
ふわっとした感覚を覚え、アリスは頭を振った。


(疲れてるのね……立ちくらみなんて)


アリスが立ちくらみと誤認したのも、無理はない。
症状はまさしく「ちょっとフラッとしただけ」だったからだ。

コツ、と頭に当たるものがあった。


「いたっ……?」


アリスが反射的に頭上に手をやってみると、そこには板のようなものがあって――。


(板なんてあったかな? かたい……あれ?)


ペタペタ触ってみたものの、板はビクともしない。
何処かで見たような柄の板だった。


(板っていうか、石っぽい? 冷たいし)


その上、視界が妙だった。
ついさっきまで目の前にいた筈の、ディーとダムの姿がない。


「ディー? ダム?」
「下にいるよー、お姉さん」


下?

素直なアリスが足元に目を向けると、ディーとダムがヒラヒラと手を振っていた。


「え? ええ!? な、なんで」


何が起こったのかわからず、アリスの頭はパニックになった。
キョロキョロと周囲を見回して、アリスはやっと状況を理解した。

アリスは今、浮かんでいる。


「なっ、なに、これっ!? ちょっと!?」


アリスの頭上に当たっているものは、紛れもなく廊下の天井であった。


「数ある中から見事に選んでくれたねー、兄弟」
「そうだね、兄弟。流石は僕らのお姉さんだよ」


双子の呑気な声が聞こえたが、アリスはそれどころではない。


「平気な顔してないでっ……こ、これ、どうやって」


どう地面に降りろというのか。

アリスは焦った。
体を支えようにも、つるりとした天井には、つかまる場所なんて何処にも見当たらない。
とりあえず体を動かしてみたが、やはり思い通りにいかない。


「降りられないんだけどっ……!」
「横に移動、できる? 窓の近くまで行けば、つかまるところがあるから」
「そもそも動けないわっ!! っていうか、見ないでよっ!!」


アリスは慌ててスカートの裾を抑えた。下にいる彼らには、ばっちり見えてしまう。
アリスが窘めると、ディーとダムは顔を見合わせた。


「えー。今更……ねえ? 兄弟」
「うん。今更だよねー」


既にそういう関係なのに、何を恥じらっているのか、とディーとダムの視線が語る。
アリスは負けじと言い返した。


「いっ……今更でも何でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのっ!!」


ニヤニヤするな、と怒鳴りたいところだ。
この双子、年の割に、たまに親父くさい時がある。


「お姉さん、可愛い……」
「うん、すごく。恥ずかしがってるお姉さんって、なかなかいいよね」


ディーとダムは呑気に楽しそうにしてるけれど、アリスは必死なのに。
沸々と怒りが芽生えてくるのを感じて、アリスは息を吸い込んだ。


「あんたら……そろそろ助けないと、本気で怒るわよっ!!」


怒声をあげると、ディーとダムはハッとしてアリスを見上げた。


「わわっ。待っててー、いま助けてあげるから」
「落ちついて、お姉さん。いま行くよ」


アリスの怒りがやっと伝わったのか、ディーとダムは顔つきを変えた。
本気で怒らせた、これはまずい、と。

二人は、すぐさま大人の姿になった。
ディーが少し屈むと、ダムはためらうことなくディーの肩に足をかける。
ディーはよろけることなく、ダムを乗せたまま立ち上がった。
ダムはグッと足に力を入れて、目標を確認するかのようにアリスに視線を向けた。


「届くかなっ……」
「兄弟、しっかりね」
「わかってる……行くよ。せーのっ!」


しっかり反動をつけて、ダムは高く飛び上がった。
ディーも同じタイミングで地面を蹴る。


「きゃっ……!」


ダムはアリスの足を掴むと、恐ろしく強く引き寄せ、両腕の中に閉じ込めた。
ダムが着地すると、硬質な床は軽い音を立てた。


「よ、っと。お姉さん、大丈夫? 頭は打ってない?」
「びっくりした? お姉さん」


二人の傍には、ディーが寄り沿う。
アリスの緊張はようやっと解れたが、まだだ。まだ気を緩めてはいけない。


「だ、だいじょうぶ……じゃないっ! あんた達、一体あれは何!?」


一発ぐらい殴りたいところだが、今は踏ん張りがきかない。
アリスが問い詰めるが、ディーとダムは涼しい顔だ。


「お菓子だよ、お菓子。そういうお菓子なんだ」
「身体が浮くお菓子なんて聞いたことないけど!?」


それでも、双子はしれっとしている。


「えー? やだなあ、お姉さん。お姉さんが知らなかっただけだよ」
「……そうなの? そうかな……」


うん、と双子は揃いの動作で頷く。

二人が強くそう言うので、アリスは納得しかけた。
この世界は、アリスの知らないことがまだまだ沢山あるのだ。そこを言われると、ちょっぴり弱い。


「それにしても軽いね、お姉さん。しっかりつかまっててね?」


言われて、アリスはダムの首にかじりついた。


「うん……手を離したら、どうなるの」
「んー。浮くんじゃないかな、さっきみたいに」
「……」


それは嫌だ。

アリスの頬は引きつった。


「浮く、のかな……ちょっと試してみたいわ。ダム、手を離して頂戴」


自分の力だけで制御できるものなのか、やってみなくてはならなかった。


「うん。危なかったら、すぐに助けるからね」
「ん」


ダムは慎重に、アリスの体から手を離す。

ドキドキする。
アリスは、ぎゅっとダムの腕にしがみついた。
そんなアリスの様子を、ディーとダムは心配そうに見つめている。


「大丈夫? お姉さん」
「まだ、なんとか……あ、案外、平気……?」


浮く力は、アリスが思っていたより強くはなく、アリスは掴まる力を徐々に緩めてみた。


「全力で掴んでなくても、いいみた……わ、わわっ!?」
「おっと」


浮き上がりかけたアリスの体を、ディーが素早く抱きとめた。力を抜き過ぎたようだ。


「あ、ありがと……」


驚いたせいか、鼓動が高鳴っている。いや、ディーとダムのせいかもしれない。
アリスの体を支えてくれる手は大きくて、不純な自分はどうにも意識してしまう。


(やだ、二人に伝わる……落ちつかなきゃ)


俯いて不埒な動悸をやっとのことで抑え込むことに成功した――途端、ディーが心配そうにアリスの顔を覗きこんできた。
おかげさまで、おさまった鼓動は、再び活性化してしまった。


「バランスが難しいんだね。でも、大丈夫。お姉さんは器用だもん。すぐに慣れるよ」
「そう、よね」


動揺を悟られたくなくて、アリスは笑って誤魔化した。
これくらいのことで、彼らに感情を覆い隠せるとは思えないが。

ディーとダムはアリスを落ちつかせるように、穏やかに微笑んでいる。


「僕らから離れちゃ駄目だよ、お姉さん」
「……離れちゃ駄目っていうか、離れられないっていうか……」


離れたくとも、離れられない。

はあ、とアリスは溜息を吐いた。
二人の事は確かに好きだし、もともと四六時中一緒には居るのだけれど、今の状況とはまるっきり事情が違う。


(あ。移動はどうしよう……歩いてる振りをする?)


エリオットやブラッドや、屋敷のメイドさんたちに、何と言えば良いのか。
見つかりたくないなあ、とアリスは心底おもった。


(ディーとダムにしがみつきながら、挨拶するの? ……あああ、会いたくない)


普通を装っても、その手はしっかりと二人を掴んで――ああ、絶対に不審がられる。

いっそのこと、効果が切れるまで引きこもって生活をしようか。
幸い、ここは双子の部屋の真ん前である。


「どうしたの? 何を考えてるの?」
「あ……いや、移動するときに歩いてる振りって出来るかなあ、って」


アリスがうっかり馬鹿正直に答えると、双子は声をあげて笑った。


「そんなの平気だよ、平気平気。こうして抱いててあげるからさ」
「うんうん。問題ないよね」


こうして――お姫さま抱っこで?


(……ずっと?)


問題ないわけあるか。

抗議するのも疲れて、アリスはぐったりと肩を落とした。
こうなったらもう、彼らに身を任せるしかない。

けれど、抵抗しない代わりに、ひとつ答えて貰おう。


「……あの、本当にあれって普通のお菓子だったの?」
「ん?」
「あの時のあんた達の会話、よく考えてみたんだけど……ビンゴだったってわけ?」


ディーとダムは顔を見合わせた。


「会話……なんて言ったっけね? 兄弟」
「忘れちゃったよ、僕」
「見事に選んだね、って言ったでしょうがっ!!」


アリスは声を張り上げた。
明らかに、彼らはすっとぼけようとしている。

けれど、アリスは騙されない。
彼らの記憶力は物凄いのだ。アリスが覚えていないようなことまで、細かく覚えている。
そんな彼らが、ついさっきの会話を忘れる筈がない。


(都合のいい時だけ、忘れるみたいだけどね!)


彼らは、子供という立場を存分に有効活用している。


「わわっ、暴れないでよ。危ないよ」
「そうだよ、暴れちゃ駄目だよ。手を離したらどうするのさー」
「う……」


そこを突かれると、アリスも立場がない。
アリスは暴れるのを止め、大人しくなった。


「聞こえてたんだね……うん、そう。あれが僕らの細工したやつだよ」
「あれだけ、僕らが細工したんだ。後は普通のお菓子だったんだよ?」
「……普通」


アリスは耳を疑った。
あれらは、『普通』とは言い難い代物ばかりではなかったか。


(恋人と感覚がまるで違うって、もしかしてまずい? まずいのかしら。ちょっとでも近づかないと……)


彼らが本気で「好き」で「普通」だというのなら、アリスは生半可ではない努力を要される。
アリスの願いも何のその、ディーとダムは大真面目な顔で頷く。


「そう、普通。たくさんあったのに、お姉さんてばピンポイントに選んでくれたんだもん。驚いちゃった」
「僕も。でも、さすがお姉さんだよね。勘がいい」


二人はしみじみと語っているが、アリスは自分の不運を呪いたくなった。


「よくないからこんな羽目になってるんじゃないの……」
「えー? そうかな?」
「僕らは嬉しいけどね、この状況」


ねえ、と二人は同時に、にんまりと笑う。
無邪気そうに見せてはいるが、裏は黒い笑みだ。


「……」


もしかすると最初から罠だったのかも、とアリスは頭を抱えたくなった。


「何が入ってたの、あれ」
「ん、あれ? 聞きたい?」
「お姉さん、聞きたいの?」


そう言われると、聞く気が萎えてくる。
もとい、聞きたくないような気がしてくる。


「……ちょっぴり聞きたい」
「あはは、面白いねーお姉さんって。じゃあ、ちょっぴり教えてあげる」
「うん、教えてあげるね。あれは、この間のキノコから抽出したんだー」


真相を聞かされたアリスは瞠目した。
混ぜ物すら手製とは恐れ入る。


「……キノコ?」
「そう、キノコだよ。お姉さんと一緒に行った時に持ち帰ったやつ」


アリスは、あの時のことを思い返してみた。
ダムが見つけたのは――。


(あれって……毒キノコっぽくなかったっけ? 確か)


えげつない色をした、明らかな毒キノコだった筈。


(恋人に、毒キノコを?)


アリスの顔が強張ったのを見て、ディーとダムは早口で言葉を付け加えた。


「あ、調べてみて毒性は確認できなかったから使ったんだよ? 勿論」
「ちゃんと効果も調べたんだよ? ふわふわーってするんだって。だから、空中に浮かべたら気持ちいいだろうなーって思って」
「……まあ、確かに……」


状況が落ちついた今、確かにこの体は面白くもある。
頭の片隅では『恋人に毒キノコを盛られた』事実が悩ましくもあるが、アリスは無理矢理に片隅に追いやった。
不便だなあ、と厄介に思う一方で、空中に浮かべるなんて、とワクワクしている自分がいる。

アリスは、ようやく合点がいった。


「すぐ食べて、って言った意味が解ったわ……」


アリスにすぐ食べるよう強要したのも、彼らの思惑の範囲だったということか。
ディーとダムはアリスを腕に抱いたまま、肯定の意を示した。


「うん。だって、僕らの居ない時とか……もし屋外で食べたら、まずいじゃない」
「まずいわね」


遮る天井もなければ、それこそ際限なく、だ。アリスは途方に暮れていたことだろう。
けれど。


「空が飛べたかもしれないわね?」


ちょっとだけ、飛んでみたかったかもしれない。
アリスが言うと、ディーとダムは首を捻って「うーん」と考えこんだ。


「うん。でも、効果が切れたら墜落だよ? それもスリリングで面白そうだけど、ちょっとお姉さんには危ないと思うなー、僕」
「……そ、それもそうね……」


ダムの言うことも尤もだ。
やっぱり、室内で良かったと言うしかない。


「効果、ちゃんと切れるよね? どのくらいで切れるの?」


効果はどのくらいで消えるのか――そこが問題だ。


「消えるはずだよ。多分。どれくらいだろう……うーん」
「量だけ考えたら、十時間帯くらいはこのままなんじゃないかな……たぶん」
「十時間帯も!?」


アリスはぎょっとした。
ディーとダムは悠然と微笑んでいる。
その余裕の微笑みを見ていると、アリスは二人のことを頼もしく思えて――。


(いや……頼もしいっていうよりは、嫌な予感がするっていうか)


これから先、十時間帯もこんな体勢でいなくてはならないなんて。

それに、ディーとダムは仕事もあるのだ。
こんな状態でまともに仕事ができるわけがない。アリスとて同じこと。

それでも、ディーとダムの余裕はびくともしない。


「安心して、お姉さん。ぴったりくっついて生活したら大丈夫だよ」
「そうそう。僕らがいるじゃない」


二人が居てくれることには安心するけれど、全く大丈夫だとは思えない。


(ぴったり……くっついて、生活? 生活っ!?)


とんでもない、とアリスは思わず叫びそうになった。


「……って、ええと……待って、本当に?」


まさか、そんな。

冷や汗が出てくる。
ディーとダムは艶やかに微笑むと、アリスの耳元に口を寄せた。


「うん。お世話してあげるよ? 丁寧に。ね、兄弟」
「うん、お世話するよ。お風呂も着替えも食事も、寝る時だって」
「!!!」


色のある声で囁かれて、アリスは耳まで赤くなった。
年下なのに、いつまで経っても二人には勝てる気がしない。

「じゃあ部屋に入ろう」と誘われても、アリスは頷くことしかできなかった。


(……そうよね。そうだったわ。この子たちのハロウィンだもの。平和的に済む筈がなかったのよ)


ぱたん、と扉が閉ざされる。
上手く行った、と喜色を露わにするディーとダムを眺めながら、アリスは小さく溜息をこぼした。


(まあ、いいわ。ハロウィンだもの。でも)


次こそは負けない、と胸に誓うアリスだった。




【了】


 


===== あとがき ===

2010年10月発行の『W Halloween』でした。罠でした。

では、読んでくださってありがとうございました!