極彩色コンフュージョン









「よ」


窓からひょっこり現れた侵入者に驚き、アリスは思わず声をあげそうになった。
カーテンから手を離し、窓から離れる。

情報処理能力が停止しかけたが、それは何とか踏みとどまることができた。


「ボリス!?」


ボリスは身を乗り出すと、部屋の中に転がり込んだ。音も立てずに優雅なものだ。
ボリスは懐っこい笑みを浮かべると、アリスの真正面に立つ。

アリスは動揺が隠せないまま、ぽかんとただ突っ立っていた。
侵入者と呼ぶにはあまりにも堂々としすぎていて、咄嗟に動くことができなかった、という方が正しい。


「何でここに」
「そりゃ、あんたに会いたかったからだよ。あんた、俺のとこ全然来てくれないしさー寂しかったんだぜ?」


ボリスの長い尻尾が、じゃれるようにアリスの腕に絡みつく。
ふわふわした感触がくすぐったい。


「そう、ね。なんだか久しぶりね、ボリス」


ボリスの僅かな咎めを含んだ視線を受けて、アリスは申し訳なさそうに答えた。
ディーとダムの恋人となってからは特に、遊園地自体にあまり足を運ばなくなった。ハートの城もそうだ。

ディーとダムが単身では行くなと騒ぐし、もし行くならついて行くと言い張る。
彼らにとっての敵地へ、平然と連れて行ける筈がない。
だから必然的に、足が遠のいてしまっていた。
便りはこまめに出しているつもりだが、代わりとまではいかないだろう。


「うん、久しぶり。元気? あいつらと居て疲れない?」


含みをすっかり消してしまうと、ボリスはアリスの髪に手を伸ばし、丁寧に乱れを整えた。


「元気よ。あいつらって、ディーとダム?」
「そう。俺があんたに会いたいーって言っただけで、すっげー怒るんだぜ? あいつら」


不満そうにボリスは言う。
アリスの顔は引きつった。


「は、はは……ごめんね、なんか」


何と言っていいのか。
曖昧な笑みで返すと、ボリスは小さく首を振る。


「いいって。あいつらの惚れ込み具合、半端じゃないみたいだし」
「惚れ……」


アリスは微妙な顔になった。

そんな風に言われると、照れる。
どんな顔をしていいのかわからなくなって、アリスは俯いた。


「ね、あんたも俺に会いたかった?」


ボリスが甘えたように囁く。


「……そうね、うん。会いたかったわ」


アリスは小さく頷いた。
ボリスは大切な友達だ。会いたくないはずがない。

ボリスは距離を取るのが上手い。
妙に突き放しもせず、べったりし過ぎることもなく、ほどほどに心地いい距離を保ってくれる。
アリスが気負わずに付き合える、希少な一人だった。

ペーターでは色々と一方的すぎるし、エースでは変に緊張する。
エリオットは素直だが全力でぶつかってくるし、ブラッドには警戒が必要だ。

となれば、残るユリウスやゴーランド、ボリスがいかにアリスにとって大切な存在かが、身に沁みる。

アリスがそう答えると、ボリスは満足そうに笑った。

そして、ふと気づく。
ディーとダムの一連の行動の意味が、今やっとわかった。


「あ。ボリスが来るって知ってたのかしら、あの子達」
「ん? 何かあった?」


ボリスが首を傾げると、アリスは頷いてみせた。


「うん。最近、仕事熱心だったし……罠も仕掛けなきゃーとか言ってたわ。今日だって、ここに居てって言われた」
「マジだったのか……」


ボリスの表情から察するに、どうやら、三人の間で何か前触れになるような出来事あったらしい。
それならそうと言ってくれれば良かったのに、とアリスは思う。

ボリスが来るからといって、特に困るようなことはない筈だ。
どうしてディーとダムは、あんな風に焦っていたのだろう。皆目見当がつかない。

そんなことを考えながら、今の状況を改めて思い出す。


「ボリス、見つかったらまずいんじゃないの?」


自分もまずいな、とアリスは思った。

鍵のかかった部屋で、ボリスと二人きり。
ディーとダムに知れたら激怒するかもしれない。

いや、激怒したりはしないのだ。アリスに対しては。

笑顔を崩さないまま、逃れられない行き止まりに、にこにこーっと追い詰められる。
容易に想像がついてしまい、アリスは寒気を覚えた。

激怒される側であろう目の前の猫はというと、緊張感の欠片もない。
自分の置かれた状況がわかっているのかどうかすら怪しい。


「あー、まあなー。まずくないわけじゃないけど……何とかなるなる。それよりさ、幸せ?」
「へ?」


不意を突かれて、アリスは戸惑った。


「あいつら、あんたのこと監禁しかねない勢いで嫉妬深いだろ? 間違うなよ、アリス」


今まさに、軽く監禁されている。

ボリスの金の目にまじまじと見つめられると、心がざわめく。
楽観的な猫だが、たまにボリスはこうして真面目な顔をする。アリスは簡単に翻弄されてしまう。


「何をよ」
「選択。色んな、ね」


ボリスは思わせぶりな言い方をする。
不安になるようなことを言わないで欲しい、とアリスは視線で抗議した。


「あいつらは危ない。っていうか、このまま結婚コース直行なんじゃない?」


口調こそ軽いが、ボリスの瞳は真剣味を帯びている。アリスは顔を赤らめた。


「まだあの子達、子供だもの。そんなの、まだまだ先のことでしょ」


小さくブツブツと呟くと、ボリスは苦笑を浮かべた。

アリスの危機感の薄さには恐れ入る。
あの双子は、帽子屋並に警戒してし過ぎることのない相手だ。


「子供だからって気を抜くなよ。それに、すぐに大人になるぜ?」
「すぐなのかな……うーん」


成長はゆっくりでいい。
ゆっくりの方が、きっと長く一緒に居られる。

大人になったあの子達を見てみたい気もするが――そのことに付随する心配が、きっと生まれてしまう。成長しないで、なんて馬鹿なことは言えないけれど。

アリスが長考に入ったのを尻目に、ボリスは物珍しそうに部屋を眺め見た。

普段、ディーとダムの部屋まで入ることは滅多にない。
以前見た時よりも更に凶悪さを増しているのを確認すると、ボリスは軽く溜息をついた。


「おー、仕事してんなー」


アリスは思考を中断させ、顔をあげ――そのまま顔を強張らせた。

ボリスは窓から身を乗り出して、堂々とその姿を晒している。
アリスは慌ててボリスの腕を引っ張った。


「外から見えるわよっ! ばれたらどうするの!」
「えー? いいじゃん、それはそれで」


事態が悪くなることはあっても、好転はしない。
アリスは眉間に皺を寄せながら、ボリスに詰め寄った。


「全然よくないっ! 不機嫌になったあの子達をなだめるの、誰だと思ってるのよ!」


しかも厄介なことに、彼らはそう簡単に機嫌を直してはくれないのだ。

ボリスの目が好奇心できらりと光る。
これは、からかう時の彼の目だ。


「へえ、どうやってなだめてんの? 興味あるなー」


するり、とボリスの尻尾が腰に絡む。

この尻尾、思い切り引っ張ってやろうか、この猫。


「……あんた、からかうのもいい加減にしなさいよ」


からかわれていると判っているのに、勝手に染まるこの頬をどうにかして欲しい。
じろりと睨みつけると、ボリスは悪びれもせずに軽い口調で謝った。


「ごめんごめん。ところで、猫、飼いたくない?」


突然の話題転換に、アリスは面食らった。


「は?」
「猫。つまり俺」


ピンク色の彼は、にんまり笑いながら己を指差す。

アリスはまじまじとボリスの顔を眺め見た。
突然なぞなぞをふっかけてくることはこれまでもあったけれど、今日はまた珍しいことを言う。


「飼う……あんたを?」
「そそ。俺、あんたになら飼われてもいいな」
「えー……」


ボリスは猫というより、男の子だ。
猫耳プラス尻尾のついた男の子。男の子を飼うような趣味はない。

微妙な声を出すと、ボリスは不服そうにアリスの顔を覗き込んだ。


「アリス、猫は嫌い?」
「好きだけど、普通の猫とボリスは違うわ」


ボリスは普通ではない猫だ。
そこら辺の猫と一緒くたに考えることはできない。


「俺は一等、上等な猫だよ。なあ、飼う気ない?」
「うーん……」


猫は好きだ。
元の世界でも飼っていたから。

確かに癒しは必要だが、果たしてボリスが癒しになるのかどうか。そこが疑問だ。


「考えといてね、俺はマジだから。よ……っと」


ボリスは窓を開けると、何を思ったのか空に向けて発砲した。

アリスは突然の銃声にぎくりとして、目を見開いた。
あまりに行動が素早かったので、止める隙がなかった。

慌ててボリスの腕を掴んだが、まったく意味がない。


「ちょっと! 何、人の部屋で発砲してるの!」


居場所を知らせる為に発砲したのだ。
アリスの抗議をさらっと流し、ボリスは外を指差した。

面白いものを見つけたかのように、その口元は弧を描いている。


「ほら、見てよ。あいつら、気づいたぜ。すげー勢いで走ってくる」
「!」


ボリスに示された方向を見て、アリスはサッと青ざめた。
ディーとダムが疾風の如く、一直線に駆け戻ってくるのが見える。


「ディー……ダム……」
「走るの早いなー。子供だからすばしっこいのか?」


何てことを、とボリスの行動を咎めたが、彼はただ笑うだけだ。アリスの苛立ちは募る。


「馬鹿、あの子達だけならまだしも、他の人にバレたら!」
「平気平気。俺、そんなヘマしないって」
「私が心配なのよ!」


アリスが半ば怒鳴るように訴えると、ボリスが真剣な顔になった。


「悪い、アリス」
「な、なに?」


急に真顔で見つめられて、アリスはぎくりとした。
ここは、頬を染めるところではないと思う。


「俺のこと、そんなに心配してくれるなんて……嬉しい」
「……あのねー」


もう脱力を通り越して、イライラしてきた。

友達が怪我をするかもしれないというのに、どうして心配しないでいられると思うのか。

アリスとて、流石にそこまで薄情ではない。
そして、そんなに目を輝かせて感動されるほどのことでもない。

ボリスはアリスの手を取ると、悪戯っぽく笑う。


「一緒に逃げちゃおうか、アリス」
「は? って、ちょっと!」


アリスの動揺も抗議も完璧に無視され、軽々と抱えあげられる。
何とか逃れようともがくが、その抵抗すら上手く封じられてしまう。

ニヤリと笑うボリスが悪魔に見えてきた。
今後の付き合いを真剣に考えなくてはならない。

アリスを抱えあげたまま、ボリスは窓の桟に足をかけた。


「あんまり喋ると、舌噛むよっ!」


下から吹き上げる風が、二人の髪を揺らす。

まさか――まさか、ここから飛び降りる気か。

アリスが青を通り越して白くなっていると、ドアが勢い良く開かれた。


「ボリスッ!」
「お姉さん! 無事!?」


あんまり無事ではないことは、一目見て判ると思う。
ボリスは顔だけで振り返ると、挑発するように小さく鼻で笑った。


「おや、早いねーお前ら」
「ディー! ダム!」


アリスは焦りながら、二人の名前を呼んだ。

助けてと叫ぶには、相手はボリスだし、と躊躇ってしまう。
けれど、自分の意思でこうなっているのではない。


「……!」


ディーとダムは目を瞠った。
ボリスがアリスを抱えて、今まさに飛び降りようとしている。足が止まり、硬直する。

最初に動いたのは、ボリスだった。


「じゃあ、アリス借りてくね」


ボリスは余裕たっぷりに、ウインクまでしてみせた。
双子はハッと我に返ると、慌てて駆け出した。


「お姉さんをはなせよ、ボリス!」


斧を投げつけそうな勢いだ。
けれど、ボリスの腕の中にアリスがいる。それは出来ない。

ディーとダムは、素早く斧を銃に変えた。
これならばアリスが傷つく危険は、多少は減る。


「やーだね。いいじゃん、ちょっとくらい……っと!」
「あっ!」


撃たれる前に、とふわりとボリスは跳躍した。ひゅっと鋭い風が頬を掠めていく。

ディーとダムの焦る声だけが上から降ってくる。


「このっ! 待てよ!」
「泥棒猫―!」
「うん、俺、猫だもん」


落下している間、アリスは悲鳴を押し殺し、ボリスに必死でしがみついていた。
この世界へ連れてこられた時の――ペーターに抱えられ穴の中に飛び込まれたあの記憶が、フラッシュバックする。

あんなのは、もう二度と御免だと思っていたのに。

ボリスは音もなく着地すると、そのまま駆け出した。

思い出したように、汗がぶわっと出る。

心臓が止まるかと思った。
早鐘のような心臓を持て余しながら、アリスはボリスの腕の中で声をあげた。


「ボリス、降ろしてよ!」
「えー。いいじゃん、たまには俺と浮気しようぜ。刺激って大事だろ?」
「誰がするか!」


アリスの抗議の声も何のその。さもそうするのが当然の事のように、ボリスはアリスを抱えたまま軽やかに走る。


「お嬢さまぁ〜」


のんびりとした口調が聞こえて、アリスは声のする方に目を向けた。
騒ぎを聞きつけたのであろう数人のメイド達が、二人の背後に迫っていた。


「お嬢さま〜今、助けますね〜」


言うが早いか、じゃきりと銃を構える。
口調と動きが合っていない。
彼らはためらうことなくボリスに照準を合わせると、そのまま発砲した。

アリスは思わず首をすくめた。


「わっ! ボ、ボリス、大丈夫!?」


アリスを両腕で抱えているせいで、ボリスは避けることしかできない。

けれど、たとえ手があいていたとしても、最初から応戦するつもりはなさそうだった。
ボリスの表情は、ただスリルを楽しんでいるようにしか見えない。


「平気平気! あんなヘロ弾、当たらねえよっ!」
「そう……って、平気なわけないでしょ! 怖いわよ!」


どすっと肘で彼の腹を突くと、ボリスはくぐもった呻き声をあげた。けれど、アリスは手放さない。


「待てぇ〜」
「お嬢さまを返せぇ〜」


初めて見る彼らの姿に、アリスは目を丸くした。

相変わらず口調だけは間延びしているが、その足はものすごく速い。
普段のやる気のない、だるっとした姿からは想像もつかない俊敏さだ。


「おー、追ってくるなー」


ボリスの呑気な声で我に返る。と同時に、頭に血が昇る。


「当たり前でしょっ! いいから、降ろしてよ!」


ボリスはニコリと笑って却下する。


「だーめ。せっかく面白くなってきたところなのに」
「面白くないっ!」
「俺が面白いの。つきあってよ、ね?」


ボリスが面白いのはわかったから、巻き込まないで欲しい。
どこか見えない所でやってくれるのなら、アリスだって全く構わない。心配だけはするけれど。

なんて話の通じない猫なのだ、とアリスがちょっびり泣きたくなっていると、また発砲された。

ビクリと体が震えたが、ボリスが守るように抱きしめてくれる。


「大丈夫? あんたのことは絶対に俺が守るから、安心してよ」


うっかり懐柔されそうになったが、騙されない。
こんな目に遭ったのは、元はといえばボリスのせいなのだ。


「ボリス!」
「お姉さん!」
「アリス!」


背後から、切羽詰った怒鳴り声が聞こえる。
ボリスの肩越しに、ディーとダムが斧を振りかざして追いかけてくるのが見えた。

加えて、二人の背後にはエリオットの姿がある。彼もまた、銃を手にしていた。
エリオットの後ろからは、使用人達がぞろぞろと続く。

ぞっとする。

アリスの腕に、一気に鳥肌が立った。
ボリスはちらりと振り返り、追ってくる面子を確認すると、更に加速した。

けれど、その横顔には緊張感が全く感じられない。


「意外と追いつくの、早かったね。って、お兄さんも来たか。ちょーっと不利かな」
「ちょっとどころじゃないでしょ! いいから、私を置いて、ボリスは逃げてよっ!」


巻き込むな、と言葉にオブラードに包みながら、ボリスの胸を力任せに押すが、びくともしない。


「アリス……優しいな。でも、俺も男だ。女の子を見捨てて逃げたりなんかしないぜ?」


ボリスは格好いい男の子だ。
ここで感動するのが普通の女の子なのかもしれない。

けれど、できるわけがない。


「私を置いてっても、別に私は困らないわよ! 馬鹿!」


素早さでは役持ちの中でも一、二を争うボリスだ。
アリスという荷物を抱えていても、誰も追いつくことができない。

それから何度か発砲されたが、あっという間に正門まで辿り着いてしまった。

このまま逃げ切るのかと思いきや、突然、ボリスは足を止めた。


「ボスのおでましかな」


ボリスが小さく呟くと、物陰から人が現れた。

奇抜な帽子がまず目に付く。
彼はあくまで気だるい雰囲気を崩していなかったが、その視線は真っ直ぐにボリスへと注がれていた。


「やあ、こんばんは。いい夜だな」
「こんばんは。あんたは散歩かい?」


前後を挟まれる形になったというのに、ボリスは物怖じせずに応じる。


「ブラッド」


思わず名前を呼ぶと、ブラッドは初めてアリスに目を向けた。すぐに視線をボリスに戻す。


「時に、君の腕の中にいるのは、うちのお嬢さんじゃないか。我々にとって大切な客人だ。返してもらえるかな?」


ブラッドは薄っすら微笑んでさえいる。
その物腰は優雅といっていいのに、妙に威圧感がある。


「ふん。ちょーっと遊んだら、ちゃんと返すよ。束縛強すぎだぜ、あんたんとこ」


ボリスとて、そう簡単に雰囲気には呑まれない。
ボリスが軽く返すと、ブラッドはクスリと笑った。
両者共に顔は笑ってはいるものの、目が笑っていない。


「遊ばれては困る。お嬢さんは誠実な男がいいそうだ」
「誠実―? 俺だって誠実な猫だぜ。なあ、アリス?」


話を振られたが、応えてやらない。
代わりに、冷めた目で睨みつける。


「……物扱いしないでくれる」
「わ、悪い、アリス。っていうか、あんたを物だなんて思ってないぜっ!?」
「……ふーん?」


急いで弁明するボリスを、アリスは冷ややかに見つめた。本当かどうか疑わしい。
そうして、さり気なく周囲に視線を走らせた。

銃を片手に、険しい目をしたエリオット。
斧を構えているディーとダム。
銃を構えている使用人達。

ボリスの置かれている状況は、最悪だ。窮地といってもいいぐらいだろう。

その敵意丸出しの視線は自分に向けられたものではない、と頭では理解している。
けれど、まるで自分が包囲されているかのような錯覚に陥って、アリスは身を竦めた。
不安と恐怖が入り混じり、唇が乾いてくる。

アリスは緊張感を含ませ、小声でボリスに囁いた。


「……ねえ、囲まれてるわよ」
「うん、知ってる」


その頭に乗せている立派な耳は飾り物か。思い切り引っ張ってやりたくなった。


「なんでそう、のんびりしてるのよっ! ブラッド、包囲をといて頂戴。友達なの」


ボリスを一喝すると、代わりにブラッドへ声をかけた。

いくら敵同士だからといっても、アリスにとってはボリスも大事な友達だ。
できれば穏便に済ませたい――怪我を、させたくない。


「ふむ。どうしようか」


ブラッドの声はいつものように気だるいが、場は緊迫しているままだ。


「お姉さん、そんなやつ庇うの!?」


ダムが怒気を含ませた声を張り上げたが、すぐさまディーが窘める。


「違うよ、兄弟。お姉さんは今、人質になってるんだ。犯人を庇うのは当然だよ」
「そうか、そうだね。庇わなくていいよ、お姉さん! 今から僕らが退治するから!」


ディーとダムが声を荒げるのを、アリスは目で諌めた。


「ディー、ダム……あなた達だって、ボリスの友達じゃないの」


そんなこと言わないで、とアリスは暗に言ったつもりだった。けれど、ダムは事も無げに頷いた。


「うん、友達だよ。本気で殺しあえる友達なんだ」
「……それって、友達なの?」


アリスにとっての『友達』の感覚とは違いすぎる。
疑惑の視線をボリスにも向けると、ボリスはあっけらかんと頷いた。そうして、やっとアリスを地面に下ろす。


「ああ、友達だからね。で、アリス。どうしよっか? 逢引、失敗しちゃったなー」
「あっ……!?」


よりにもよって、何てことを言い出すのだこの猫は。でたらめにも程がある。


「……逢引?」


緊迫した空気が嘘のように溶けていく中、いち早く反応したのはブラッドだった。


「お嬢さん、浮気相手を引っ張り込むなら、もっと静かにやりなさい」
「違うわよ!」


溜息まじりに言われてカッとなったアリスは、ブラッドに食って掛かった。

ブラッドは絶対に分かって言っている。
そうして、面白いからと更に事態をややこしくしてくれるのだ。


「……隠れて二人で会う気だったの?」
「もしかして、お姉さんも合意の上?」


案の定、ディーとダムも斜め上の解釈をしてくれた。


(ブラッド、ボリス、覚えてなさいよ……!)


アリスの恐れていた事態だ。
ただでさえ誤解しやすいのに、とアリスは焦る。


「そうそう。捕らわれのお姫様を、さらってあげようと思ってね」
「何を適当なこと言ってんのよ!」


悪ふざけにも程がある、と噛みつかんばかりにアリスは抗議した。
ついでに、彼の耳も引っ張る。痛い、と抗議されたが綺麗に無視した。

痛みの残る耳を労わるように擦りながら、ボリスは「でも」と口を開いた。


「会いたい、って言ってくれたくせに」
「会いたかった、って言っただけよ!」


一瞬の静寂が、周囲を包みこむ。

ボリスのしたり顔を見て、アリスは我に返った。

今、自分はなんと口走った?

アリスの顔から、さっと血の気が引いた。


「……」
「……」


しまった、と思ったが遅かった。
慌てて口を手で抑え、ディーとダムを見ると、二人の表情は見るからに強張っていて、アリスは更に青ざめる。


「何だ、浮気か。アリスもやるなー」


エリオットの目からも、すっかり棘が消える。


「ちょ、ちょっと! エリオット! あんたまで何を」


アリスの右腕に、ボリスの尻尾がするっと絡みつく。
そうして、わざとらしい程に甘ったるい声で、ボリスはアリスの耳に囁きかける。


「浮気。だろ? あ、本気でもいいけど」
「ちがーう!」


盛大に誤解したまま、気の抜けたらしいエリオット達は場を去っていった。
使用人たちもぞろぞろと後に続く。

ブラッドは立ち去る間際に、アリスに同情入り混じった視線をくれた。
頑張れよ、と言われたような気がした。
ブラッドの助力なんて最初からあてにしていないから、それは構わない。

それでも、アリスは必死に否定していた。
否定しなくてはならないのだ。

ブラッドやエリオットに誤解されるのは、まあいい。よくないが、いい。

問題はディーとダムだ。

ディーとダムの雰囲気が剣呑になっていくのが、目に見えてわかる。
見なくてもわかる。ハラハラする。


「浮気もしないし、本気にもならない! ディーとダムが好きなの!」
「お姉さん」


強く言うとすこしは効果があったようで、ディーとダムの声が僅かに弾む。ボリスは口を尖らせた。


「ちぇっ、フラれた。でも、俺は諦めないよ」


言いながら、ボリスは僅かに身を引いた。
アリスとボリスの間に、二本の斧が差し込まれる。
次いで、ディーとダムがその間に割って入った。


「さっさと諦めていいよ」


刺々しい声で、ディーがボリスへ斧を突きつける。


「お姉さんは僕らが幸せにするんだから。ボリスの出番なんてないよ」
「ふん、それはどうかな?」


殺気立った二人に斧を突きつけられた状態でも、ボリスは銃を構えない。
それどころか、ボリスは一笑した。この程度はじゃれ合いの範囲内なのか。


(武器をつかって?)


そうは見えないけれど、とアリスは不安そうにボリスを見た。
ボリスはアリスの視線に気づくと、不安を払拭する為に邪気のない笑みを返してくれた。


(よかった、いつものボリス……?)


アリスのつかの間の安堵は、再び疑念に変わる。
ボリスは双子へと向き直ると、その表情をガラリと変えたのだ。


「お前らじゃ駄目だと思ったら、今度は本気で連れ出しに来る」


ボリスは静かに宣言した。
声は力強く、双子に向かって念を押しているようにも聞こえた。

いつになく真剣な雰囲気に、対面していない筈のアリスも、思わず息を呑む。

ボリスの金色の目が大きく開かれる。
猫が獲物を狙う時の目だ。

そのまま、双方共に視線を逸らさず、しばらく睨みあっていた。

一石を投じたのもボリスなら、幕をひいたのも、やはりボリスだった。
表情をパッと消すと、いつもの彼の微笑を取り戻す。


「んじゃ、俺は帰るぜー。楽しかったな、アリス」


ひらひらと手を振りながら、ボリスは身を翻した。

楽しくはなかった。
そこは同意しかねる。

けれど。

思わず、アリスはボリスを呼び止めた。


「ボリス」
「ん、何?」


ボリスは振り返る。

何か言おうと思ったのだ。
けれど、彼の優しい視線を前に、何も言うことができなくなる。

代わりに、微笑みをひとつ返す。


「……ううん、何でも。また遊びに行くわ」


そう告げると、ボリスは目を細めて嬉しそうに笑った。


「うん、おいでよ。歓迎するよ」


なんて聡い猫だろう。
ボリスはアリスよりも、アリスのことを知っている。

ボリスの姿が完全に見えなくなると、ダムはアリスの腕を絡めとった。


「お姉さん」
「……ダム?」
「お姉さん、浮気は駄目だからね」
「え」


一拍置いて、アリスは苦笑した。
今までもこれからもするつもりはない。
第一、そんな恐ろしいこと――アリスにできる筈がない。


(……誤解、とけてるよね?)


まだ、先ほどの言葉を疑われているのだろうか。

もしも解けていなければ、大変なことになる。
少しばかり不安を覚えたが、今は目を瞑ることにした。

アリスが二人を好きな事は、二人が一番よく知っている筈だ、と。
少しでも疑いの芽があるのなら、もっともっと言葉をあげよう。二人が安心してくれるまで。


「うん、わかってる。あなた達もしないでね」
「しないよ、僕らは絶対」
「お姉さん以外、好きになんてならない」


そう二人は断言するが、そうはっきり断言されるのも――嬉しいような、複雑なような。


(そ、それは……いいのかな?)


自分だけを見ていて欲しいとも、もっと他のものにも目を向けて欲しいとも思う。どちらが正しいのだろう。

ディーは心配そうに、アリスの体に手を伸ばした。


「お姉さん、無事? 怪我とかしてない?」
「かすり傷ひとつでも負ってたら、ボリスを許さない」


ディーとダムは唇を噛んだ。
二人は真剣にアリスの身を心配してくれる。
こんな時に不謹慎だけれど、嬉しい。自然と口調が柔らかくなるのが、自分でも分かった。


「大丈夫、ボリスが避けてくれたから。心配かけてごめんね」
「……」


アリスがそう言うと、ディーとダムはますます複雑そうな顔になった。
不満か――それとも別の何かを――その大きな瞳に含んだまま。

ディーが、ぎゅっとアリスの腕を掴む。


「ディー? どうしたの?」
「お姉さん、幸せだよね?」


ディーの声があまりにも真剣だったので、アリスは言葉に詰まった。咄嗟に返せない。


「僕ら、お姉さんのこと幸せにするよ。だから離れないで」
「ダム」


不安そうに向けられる、赤と青の四つの目。

アリスを見ている。

思考が幸せに緩み、くらくらする。


「離れないわ。あなた達こそ、私から離れないでね」


離れていくとしたら、彼らの方からだ。

ずっと守る、ずっと大事にする、と言われて嬉しい反面、小さな不安の芽は生まれる。
彼らが幼いから、余計に。

移り気な子供達が、いつまで同じ感情を保てるというのだろう。
いっそのこと、飽きたら手放す玩具なのだと宣言してくれる方がまだマシだ。

いつか訪れる別離にむけて、心の準備ができる。

けれど、そんな事は百も承知で、彼らと共に居ることを選んだのだ。
その結果、未来がどうなっても、きっと悔いは残らない。

例え、彼らに殺されようとも。

ディーとダムの手に、力がこもる。


「うん。離れないし、離さないよ」
「ずっとだよ。ずーっと、僕らと一緒にいて」


訴えるような瞳でしがみつく二人を、アリスはそっと抱きしめた。
気を抜けば開いてしまいそうな距離を、ぎゅっと縮めるように。


(一緒に……今は、一緒に居られる)


いつか、彼らはアリスから離れて行ってしまうのだろうか。

それがアリスには怖い。
今この時が幸せだからこそ感じる恐怖だ。

好きなんだなあ、と思う。この破天荒な二人が。

やがて、そろそろ屋敷へ戻ろう、と三人の中の誰かが言った。

その一言を皮切りに、三人は並んで歩き始める。
ディーはアリスの左側に。ダムはアリスの右側に。
まるで、アリスを守護するような形で。

ディーとダムは、アリスに気づかれないように互いに目配せをした。
胸に燻ぶる想いを、視線で語り合う。

アリスに黙っていることが、ひとつ。

たったひとつ、だ。
でも、とても重要なこと。


(ねえ、お姉さん……)


言葉にはせず、二人はアリスに語りかける。


(お姉さん)


アリスの穏やかな横顔を見上げながら、ディーとダムはふっと視線を落とした。
地面には、三人分の影が伸びている。さも睦まじそうに、互いに溶け込んで。

本当に溶け込んでしまえたらいいのに、とぼんやり考えた。


(溶けて混ざっちゃえば、僕らも)


アリスの、誰にでも等しく向けられる笑顔。
その笑顔が二人はとても好きなのだけれど、同時に、酷く気に入らない。
二人にとって、それは特別なものだからだ。
だから、それが他へ向けられているのを見た日には、発狂しそうになる。


(殺したい)


アリスが世界に留まったのは、自分達が理由だと信じていたい。僕らの意味を奪わないで。


(殺したいよ、アリス)


アリスは自分達だけの物なのに。まだ足りないのに。
見る度に殺したくなるなんて、きっとずっと言えないまま。




【極彩色コンフュージョン/了】







===== あとがき ===

2008年10月発行『TWINZ』より。

読んでくださってありがとうございました。