TORIKO
あろうことか廊下で着替えさせようとした双子の魔の手を振り切って、アリスはアリスの部屋に居た。
ディーとダムは、廊下で待機している。
もとい、着替えるのだからとアリスが部屋から締め出している。
はあ、とアリスは大きな溜息を吐いた。
(廊下で生着替えなんて、とんでもない)
男の子ならいざ知らず、アリスには真似出来ない。
コンコン、とドアをノックする音がした。
「お姉さーん、まだー?」
「もう入ってもいいー?」
いけない。
物思いに耽っていたせいで、手が止まっていた。
二人を待たせていたことを思い出したアリスは、慌てて声をかけた。
「もうちょっとだから、待っててー」
上着のボタンを留めて一息ついた後、姿見を見た。
鏡の中のアリスは、いつものアリスではない。
ディーの青い服を身にまとい、どこか強張った表情をしている。
(ドキドキしてる)
ディーの香りに包まれて、アリスの鼓動は早鐘のごとく昂る。
自分勝手な心臓は治まることを忘れてしまったかのようで、すこし苦しいほどだ。
まるで、抱きしめられているみたいだ。
アリスは頬を紅潮させた。
こんな顔は、あの子たちに見せられない。
(落ちつけ……そうよ、落ちついて)
何度も深呼吸を繰り返して、やっと少しだけ慣れた頃。
アリスは意を決して、部屋のドアを開いた。
そろり、とアリスが顔を出すと、ディーとダムが待っていましたとばかりに反応した。
「……こんな感じ?」
変じゃないだろうか。
いや、変なのだけれども。
一歩部屋へと下がり、二人を招き入れる。ディーとダムはドアをしっかり閉めた後、歓声をあげた。
「わあ、お姉さん! すっごくいい感じだよ!」
「いいね、すっごくいい!」
「そ、そう?」
そう面と向かって言われると、ちょっぴり照れる。アリスは頬を染めて、はにかんだ。
うんうん、とディーとダムは満足そうに頷いている――ニヤリ、と悪そうな笑みを口元に浮かべながら。
「ちょっと肩幅が足りないのがそそるよね」
「恋人の服を着てみました〜って感じでいいね」
「……親父くさいから止めて」
脱力してしまいそうになる。
アリスは辛うじて残っていた力で、とりあえず二人を諌めておいた。
こんなに可愛い二人なのに、どうしてこう……ちょっぴりおっさん臭いのか。
いや、ギャップがある方がときめくのかな、とアリスが悩みかけていた時だった。
「ん?」
「あ」
ディーとダムは、同時に同じ方向を見やった。その視線の先は、アリスの部屋の中だ。
アリスもつられて同じ方を見たが、別段変わったことは何もない。
部屋は、いつものアリスの部屋のままだ。
(何を見てるんだろう)
二人は、やけに真剣な顔で一点を見ている。
そこがアリスには引っかかったが、理由はやっぱり分からない。
「どうかした? 二人とも」
首を傾げながら、アリスは二人に問いかけた。
ディーとダムは、アリスに声をかけられて我に返ったのか、パッと表情を切り換えた。
「ううん、何でもないよー」
「うん、何でもない。何でもない」
すっかりいつもの笑顔に戻った二人に対して、アリスはそれ以上、追及することができなかった。
「それよりも、早く行こう」
「行こう行こう、お姉さん」
「う……」
渋るアリスを無視して、二人はアリスの背中をぐいぐいと押す。
抵抗という抵抗もできず、半ば強引に連れだされて、アリスは双子と屋敷の廊下を歩く。
いつもの帽子屋屋敷な筈なのに、今は景色が違って見える。アリスは緊張しきっていた。
誰かに見られやしないかと怯えながら、アリスは無意識に早足になっていた。
「頑張ってね〜、お姉さん」
「見守ってるからね〜、お姉さん」
とうとう、正門まで辿りついてしまった。
ディーとダムはにこやかに告げると、近くの茂みへと身を潜めてしまう。
「……うん」
アリスは不安に揺れる心を落ちつかせるよう、ぎゅっと斧の柄を握りしめた。
同じものを作らせると言って出て行ったダムは、本当にそっくりな代物を持って戻ってきた。
どういう構造になっているのかはアリスには分からないが、デザインはそっくりなのに、アリスの手にもかなり軽い。
玩具の剣を持っているみたいだ。
(誰も来ませんように……)
アリスは、帽子を目深に被り直した。
正門に向かっている最中に廊下でブラッドと遭遇して失敗しました、というのが、アリスにはちょっぴり――かなりダメージはあるものの――最良な終わり方だったのではないだろうか。
今、もしかして誰かの来訪があれば、より事態は大ごとになる。それよりはマシだ。
どうして、こういう時に限って、ブラッドが現れてくれないのだろう。
はあ、とアリスが八つ当たりめいた溜息を吐いた時だった。
ザクザクと土を踏む音が聞こえてきて、アリスは青くなった。
足音は段々、大きくなっている。
即ち、帽子屋屋敷に用事のある誰かに違いなかった。
(ど、どうしよう、ディー、ダム……っ)
思わぬ事態に、アリスの頭は混乱した。
彼らに助けを求めればいいのか、と思わず振り向いたが、茂みは沈黙したままで微動だにしない。
その間にも、足音は近づいて――アリスの焦燥感は募る。
何故かディーとダムは助けに入ってくれないが、アリスにはどうしようもない。アリスはただ、身を固くした。
「……」
足音が、アリスのすぐ傍で止まる。
困惑した空気が伝わってきたので、アリスはそうっと顔をあげた。
妙な顔をしたエリオットが、そこに居た。
しばし、お互い無言のまま見つめ合う。
「……ど、どうもー」
へらっと笑ってみせると、エリオットはようやく口を開いた。
その視線に、戸惑いの色を残したまま。
「あんた……何してんだ? ガキ共の服なんか着て……って、どうした? 変な顔してるけど」
奇怪なものを見る目つきで、エリオットはアリスを眺めている。
アリスは自嘲気味に笑った。
知り合いにバッチリ見られてしまった、と半ば自暴自棄になっていたのかもしれない。
「……この流れで、誰も来なかった……なんてラッキーなこと、あるわけないよねーって思っただけ」
「?? なんだ、それ??」
エリオットは首を捻った。アリスは力なく首を振る。
「いいの、わからなくていい」
そう。
彼らに限って、そんな上手い話がある訳がなかった。アリスの読みが甘かったのだ。
そして、ディーとダムが助けに来てくれなかった理由も理解した。
見つかったが最後、エリオットにどんな大目玉を喰らうかわからない。
けれど、相手がアリスだけとなれば、叱責されることもないと踏んだのだろう。
見捨てられた訳ではなかったことに、アリスは安堵した。
「けどよ……」
エリオットは落ち込んだアリスを見て、心配になったのだろう。
どう扱っていいものか動揺しながらも、慰めてくれようとしている。
「ありがと、エリオット」
「……いや、あんたが平気ならいいんだけどな」
腑に落ちないけど、と正直な感情が顔に出ている。
それを見て、アリスはやっと、少し笑うことができた。エリオットの表情も、ようやっと緩む。
「で、あいつらは?」
当然感じるであろう疑問を投げかけられ、アリスはギクリと固まった。
「……えーと」
どう答えれば。
まさか、アリスも一緒になって遊んでいる――だなんて、言いにくい。いや、言えない。
エリオットは真面目に仕事をしているというのに。
アリスが答えられないのを見て、エリオットの片眉が上がる。
「……まさかサボってんのか? あんた一人、ここに置いて?」
「いや、その」
その通りなのだけれども。
アリスはもごもごと口ごもる。
アリスの頭に何通りもの言い訳が浮かんでいるが、どれも口に出すのは躊躇われた。
エリオットは渋い顔になると、鋭い目つきで周囲を見回した。
「近くに居んのか?」
「うん、見守ってはくれてる……と思うんだけど」
はあ、とエリオットの口から大きな溜息が零れる。
エリオットが呆れて当然だろう。アリスは居た堪れなくなってきた。
「……あのガキども……」
「あの」
とにかく謝らなければ、とアリスは口を開いた。サボらせててごめんなさい、と。
そうアリスが切りだすよりも、エリオットの方が早かった。
「サボってんのはいつものことだし、百歩譲っていいことにしても、だ。心細いあんたを独りにしてるのは許せねえ」
そう言われて、アリスは面食らった。
てっきり、エリオットはアリスごと怒っているとばかり――むしろ、そう思って当然だと思っていたのに。
エリオットはアリスを甘やかしてくれるけれど、事実は事実だ。
「……ごめんなさい、エリオット。私も一緒になって遊んでて」
アリスはぎゅっと拳をつくると、思いきって話を切り出した。
だが、言われたエリオットはきょとんとしている。
「ん? あんたはいいって。とりあえず、あんたは今、仕事してるだろ?」
「仕事……って、門番? できてないわよ。私には……ディーとダムみたいには、できない」
アリスは目を伏せると、首を振った。
エリオットが『仕事』というのなら、それに見合う働きをしていなければならない。
門番――すなわち、ディーとダムのように、彼らが行っている通りに――アリスには、無理だ。
「それがわかってて、こうして居るの。だから、遊んでるのと同じじゃない?」
それでも尚、エリオットはアリスの申し出を受け入れてはくれない。
「んー。そうかー? 正門に立ってるなら、門番だろ」
ディーとダムみたいに軽く言ってくれるが、その認識はどうかと思う。
「つーか、あんたが門番ならいいのになー」
その方がずっと可愛いのに、とエリオットの頬は和やかに緩む。
反対に、アリスの顔は引きつった。とんでもない。
「そ、それは、ちょっと……流石に、そこまでの度胸はないわねー……」
アリスが答えると、エリオットは首を捻った。
どうしてそんな風に言うのだろうか、と不思議そうに見つめられる。
ややあって、エリオットにも合点がいったようだ。ポンと手を打つと、彼の長い耳が弾んだ。
「あ。そっか、絡まれるのはよくねえよな……やっぱ、門番はあいつらにしとくか。あんたは、汚れ仕事なんてやらなくていいんだからな」
「はあ……どうも」
ニコリと微笑まれ、アリスは曖昧に返した。
エリオットなりに気を使ってくれたらしいことは、何となくわかった。エリオットは、アリスにとても甘い。
では、甘やかしついでにもう一つ。
「エリオット、あの子たちを怒らないでね」
「……!」
刹那、エリオットの耳がピンと跳ね上がる。
「い、いや、それは」
怒る気満々でいたのに、出鼻を挫かれたらしい。
ここぞとばかりに、アリスは一気に畳みかけようとした。
「私が、やってみたいーって強引に言っ……」
「あいつらがゴリ押したんだろ?」
「う」
速攻でバレた。
アリスが言葉に詰まったのを見て、エリオットは苦笑いを浮かべる。
「あんたって本当、優しいな。けど、あいつらに対してはもうちょっと厳しめでいいんだぜ?」
「厳しく?」
エリオットは鷹揚に頷く。
「おう。あいつらはガキだけど、ガキだからって甘やかしすぎもよくない」
「……そんなもんかな」
「そんなもんだ」
エリオットが自信満々に言い切るものだから、そうなのかなと思ってしまう。
「あいつらが悪いことをしたら、叱り飛ばせ。思いっきり、な。あんたには、その権利がある」
権利、とは穏やかではない。
とは思ったが、雰囲気につられて、アリスは小さく頷いた。
「……うん、努力はする」
果たして、アリスはディーとダムに厳しくできるのだろうか。
(……厳しく……)
難しい問題だ。
確かに、エリオットからしてみれば、アリスは二人に甘いかもしれない。
けれど、彼らに関しては――あんまり厳しくすると離れていってしまいそうで、怖い――と思う方が、どうしても勝ってしまう。
「それじゃ、俺はそろそろ行くかな。またな、アリス」
エリオットは、屋敷へ向かって歩き始めた。
その背中をぼんやりと眺めて見送ると、アリスはやっと息を吐くことができた。
長い長い一時間帯が終わった。
ひとまず半分は無事に終わった、とアリスは胸をなで下ろした。
エリオットという名のアクシデントの後は、何も起こらずに済んだ。
しかし――既に、ちょっぴり足が痛い。
立っているだけというのも、案外疲れるものなのだなあ、とアリスは実感した。
アリスが正門傍の茂みに向かうと、待っていたとばかりにディーが顔を出した。
「おかえり、お姉さん。どう? 楽しい?」
「うん」
アリスは頷いた。
いつ誰が来るか分からない、というスリルはある。
「馬鹿ウサギに絡まれてたねー。平気だった?」
「あんまり……」
「あいつ、しつこいからねー」
やはり、見ていたのか。アリスは苦笑した。
「……私、あんた達に見捨てられたのかと思ったわ」
軽く睨みながら言うと、ディーは目を瞠った。
「えー!? 僕ら、そんなことしないよ!」
「わかってる。エリオットだから、でしょう」
ディーはコクリと頷いた。
「うん、お姉さんはともかく、僕らが見つかったら鬱陶しいことになるからさ〜〜……ごめん、生贄ってわけじゃないけど」
「うん」
アリスは微笑を浮かべた。
素直に謝ってくれたので、良しとする。
もとより、アリスに彼らを本気で詰るつもりはなかった。
ディーは、アリスの表情が緩むのを見て、ホッとした様子だ。
そして、傍に畳んで置いてあったダムの服一式を掴むと、アリスへと差し出す。
「はい、お姉さん。次は兄弟の服だよ」
「わかった……って、あれ?」
帽子に手を伸ばしながら、アリスは周囲を見回した。
「ねえ、ディー。ダムは何処?」
そういえば、ダムの姿が見当たらない。
「兄弟? 兄弟は、ちょっと屋敷に戻ってるんだよ」
ディーはアリスの頭上に手を伸ばすと、名残を惜しむように帽子を取る。
中でひとつに束ねておいたアリスの髪が、空中にふわりと広がる。
「お姉さんも、喉が渇いたでしょう? それで、兄弟が取りに行ってくれてるんだよ」
「そうなの」
うん、とディーは明るく笑う。
ディーの指が、はねてしまったアリスの髪を梳いて整えている。
何だか気恥かしくて、アリスは俯いた。
「? どうしたの……?」
ディーは首を傾げると、アリスの顔を覗きこんだ。
「あれ、照れてる?」
「照れてないっ!!」
反射的に言い返すも、笑い飛ばされてしまった。
「嘘だね。顔が赤いもん、お姉さん」
意地悪だ。
アリスの頬はますます赤くなった。
ディーは楽しそうに、アリスの手を取った。
「さ、木陰で着替えようか」
「……うん」
屋外での着替えに、抵抗はある。
人目がないのならともかく、ディーがいる。
(……この際、仕方ないよね)
女は度胸だ。
気にしないようにして、アリスはディーの上着を脱いで渡した。
ディーはアリスから上着を受け取ると、慣れた手つきでサッと羽織った。
「あ」
ポツリとディーの口から言葉が漏れたので、アリスは振り返った。
ちょうどアリスは、ダムの上着を羽織ろうとしているところだ。
ディーはボタンを留めようとしていて、何故か固まっている。
「どうかした?」
アリスが声をかけると、ディーはハッとした。珍しく動揺している。
「……ううん。なんでも、ない」
「嘘よ」
さっきの仕返しをするチャンスがやってきた。
ここぞとばかりにアリスが意地悪く言うと、ディーは視線を逸らした。
ちょっぴりその頬が赤いのを、アリスは見逃さなかった。
「お姉さんの、匂いがするなあって……思って」
「え……」
白状した後、ディーはしきりに照れている。アリスは言葉を失った。
(私と同じこと、思ってくれた?)
顔が熱くなってきたのは、絶対にディーのせいだ。
「……」
しばし、お互いに無言のままだった。
アリスもディーと同じくらい照れてしまい、言葉が続かない。
さらさらと梢の揺れる音だけが、二人の耳に流れている。あと、うるさいのはアリスの鼓動か。
着替えの途中だったことを思い出し、アリスはディーに背を向けた。
ダムの上着にちゃんと袖を通して、ボタンを留めていく。
それを見て、ディーもやっと、控えめに動きを再開した。
何だか気まずいような、甘酸っぱいような、不思議な気持ちだ。
準備が終わってしまうと、逃げられなくなった。
アリスが振り返ると、ディーの視線とまともにぶつかってしまった。
「あの」
「ねえ」
同時に言いかけ、同時に止まる。
アリスとディーは顔を見合わせた後、笑った。
「あと一時間帯だね、お姉さん」
「そうね」
何事も起こらないように、と願って、アリスは空を仰ぎ見る。そこには、眩しいほどの青が広がっていた。
===== あとがき ===
2011年8月発行『TORIKO』より。
速攻でエリオットにバレました。でも笑って許してくれそうな気がします。アリス限定。