コドモゴコロ










やわらかい風が吹いている。
空はよく晴れていて、透きとおるような青は目に眩しいほどだ。
文句なしのいい天気だ、とアリスは窓から空を見上げて、目を細めた。
風に色をつけるとしたら、輝く太陽の色だ。気持ちの良い空は、何処か、ディーとダムを思い起こさせる。


(そういえば……ディーとダム、そろそろ仕事が終わるよね)


仕事が終わったらきっと、彼らはアリスに会いに来てくれるだろう。

でも、今日は。

アリスは、読みかけていた本を閉じると、立ち上がった。
テーブルの上に本を置くと、足は迷うことなくドアへと向かう。

ディーとダムに会いたい。

無性にそう思った。
この時間帯さえ彼らが頑張れば、次の時間帯からは休暇の筈だ。

だから――このままアリスが二人の所へ行って、彼らを遊びに誘っても、大きな支障は無いだろう。


(一緒に出かけたいな)


こんなに天気が良いのだから。せっかくだ。ディーとダムに遊んで貰いたい。


(買い物に誘うのもいいかも。って、あの子たちには退屈かな? この前、似合いそうなタイがあったんだけど……)


けれど、それはまあ、後でアリスがこっそり買ってもいい。
女の買い物に付き合うのは、骨が折れるだろうから。

まずは彼らと一緒に過ごせることが第一なのだから。
そう決めて、アリスは屋敷の正門までやって来た。

来たのだが――門番である筈の二人の姿が、何処にも見当たらない。


(……またサボって、何処か行っちゃったのかな)


遊び盛りの少年たちは、割と堪え性がない。
仕事を放棄して遊びに没頭することも、今までに多々あった。

置いて行かれたなあ、とアリスは肩を落とした。
どうせサボるなら、アリスも一緒に連れて行ってくれたら良かったのに。

――会いたかったのに。

会いたい時に会えないと、何故こうもがっかりするのだろう。アリスは大きな溜息を零した。


(珍しく仕事を頑張ってくる、って言ってたから、てっきり……きっちり仕事してるものだと思ってたけど……まあ、仕方ないか)


残念だけれど。

アリスは気持ちを切り替えた。
仕事に行く前は、確かに、彼らは珍しく前向きだったのだが。
気まぐれな彼らのことだ。どうせまた、気が変わったのだろう。

こうなってしまえばもう、彼らの居所は掴めない。
だから、アリスは大人しく部屋で待っていた方が良い。

足取り重く引き返そうとした、その時だった。


「あれ、お姉さんだ」
「お姉さんだね。おーい、お姉さーん」


唐突に声をかけられて、アリスは立ち止まった。
ディーとダムが居たのか、と反射的に表情が緩む。年上の威厳も何も無い。

――けれど。


「え? えっと……ディー、ダム……?」


アリスは周囲を見回したが、二人の姿はない。
ただ風に揺られている木々と物言わぬ門だけが、アリスを取り囲んでいる。
さっきの声の感じだと、近いような気がしたけれど。


「こっちだよー、こっちこっち」


そう、のんびりと言うのはダムだ。
アリスは注意深く周りに目を向けるが――二人の姿は無く。


(……え?)


やっぱり、ちっとも見当たらない。

木の上とか、と視線を上げてみたが、影も形もない。
まさか幻聴の訳がないし、とアリスが考えあぐねていると、また名前を呼ばれた。


「ここだよー、お姉さん」


アリスは懸命に二人の位置を特定しようと、耳を澄ませた。音を辿っていくと、自然と視線が下がった。


「え……っと」
「ふふ、まだ分からない?」
「お姉さん、お姉さん。ここだよー」


そして、アリスは瞠目した。

彼らの無邪気な声は、確かにアリスの下から聞こえてくる。
アリスの立っている位置より、やや前方の――土の中から。

まさか。


(……え? え? 地面から聞こえる? 私の耳、おかしくなったの?)


アリスは真っ先に、自分の頭を疑った。
地面から恋人の声が聞こえる……など、正気の沙汰ではない。


「……えーとね、二人とも。声、地面の中から聞こえるんだけど」


アリスが恐る恐る告げると、ディーとダムの訝しむような声が返ってきた。


「ええー? 地面の中?」
「本当にー?」
「う、うん……。違うの? 何処にいるの?」


アリスは揺れた。自信はない。
アリスも、確信があって言っている訳ではないのだ。

アリスの言った位置とは、違うのだろうか。
何か他の物音がしないだろうか。

アリスが耳を傾けてみても、彼らの声だけしか聞こえてこない。


(すごく低い位置で、ここから見えない所って……植え込みは無いし……あ、そうか)


もしかしたら、門の外かもしれない。
そう考えたアリスは、困惑しながらも、歩き出そうとした。


「あ。お姉さん、そろそろストップ。危ないから止まってー」
「え」


突然制止されて、アリスは目を丸くした。危ないとは、一体どういう意味なのか。
アリスは良いように振り回されるばかりだ。


「ふふ、困ってる困ってる。よっ……っと」
「うわっ!?」


ぼこり、と土が大きく盛り上がった――と思うと、そこから腕が。次いで、頭が現れる。
アリスは小さく叫び声をあげた。


「ディー、ダム……っ。な、なんで地面から出てくるのよ!?」


もう、ちょっとしたホラーだ。
泥だらけのディーとダムは、アリスに向けてニコリと微笑んでいる。


「ふふ、驚いた?」
「びっくりした? びっくりした?」


どうやら、アリスの素直な反応が嬉しいようだ。声が笑っている。
ディーとダムは、泥を手で払い落しながら、アリスへと近寄ってきた。


「ええ、すごく」


驚きすぎて、心臓に悪い。
もはやドキドキを通りこして、爆弾を抱えてるみたいだ。


「……って、二人で何してたの?」


土の中で。


(……何で、こんな変な質問をしてるんだろう)


と、若干空しく思わなくもないが――聞かずにはいられなかった。

何といっても、恋人が土の中から現れたのだ。問わずにいられる訳がない。というか、訳が分からない。

まだ髪にも服にも、土が付いている。
とりあえず手伝ってあげよう、とアリスは手を伸ばした。背中を軽く撫でるように、丁寧に土を払う。


「泥だらけじゃないの。ほら……もう。ただ隠れてたっていう訳じゃないんでしょう?」


帽子をかぶり直しながら、ディーとダムは「ああ」と短く相槌を打った。


「えっとね、兄弟と落とし穴を作ってたんだー」
「そうそう。落とし穴。ほら、こんな感じ」


指で示された方に目を向けると、地面に大きく穴があいていた。アリスの顔が引きつる。


「掘ってる最中にバレると面倒だから、隠れてやってたんだよねー兄弟」
「うんうん。たまーに息苦しくなったら出てきて、の繰り返し」


アリスは目眩を覚えた。
この二人は時々、根気があるのか無いのか、よく分からなくなる。
落とし穴とは、ここまでして掘らねばならぬ物だっただろうか。
そんなアリスの葛藤を余所に、ディーとダムは楽しそうに続ける。


「でも、お姉さんがいるなら隠れなくていいや」
「そうだね、兄弟。これで大っぴらに作業ができるよねー。すごいのを作ろう」
「勿論だよ、兄弟。すっごく悪い罠を作ろう」


きゃっきゃとはしゃぐ双子の姿を見て、アリスは言葉を失った。


(……大変だろうな……)


エリオットが。

いつものエリオットの苦労が偲ばれる。
この奔放な二人を纏めるだけでも、大した偉業ではないだろうか。


(エリオットって、実はすごい人だったのね……申し訳ないけど、私は出来ないな……)


常人なアリスは何と言っていいのか判らなかったので、溜息を吐くことしかできなかった。


「……あんた達は、もう。危ないことばっかり」


と、母親のような言葉を口にすると、ディーとダムは不思議そうに顔を見合わせた。
さも当然のように――何故アリスが渋い顔をしているのか分からない、とでも言いたそうな顔だ。


「危なくないよー、ちっとも危なくない」
「うんうん、危なくない。一緒に掘ったら、もっと危なくないよ。お姉さんも掘ろうよー」


どういう理屈だ。
今さっき、すごく悪い罠を、だとか、彼ら自身で言っていたではないか。
そのような代物、危なくないわけがない。

アリスは力なく首を振った。
ディーとダムに遊んで貰おうとは思っていたけれど、これはアリスには参加できない遊びだ。辞退するに限る。


「私はいいわ……気にせず、続けて」
「えー、そう? 残念……」


どこか不服そうにしながらも、ディーとダムは一応引いてくれた。はあ、とアリスは安堵の息を零す。

改めて見ると、見事な大穴だ。
ほの暗い穴は、道いっぱいに広がっている。
正門を超える一歩手前、と言った位置だろうか。引っかかる者が大勢出そうな――。


(って、続けられたら困る!)


アリスは青ざめた。
自分でも気づかなかったが、かなり頭が混乱していたらしい。
こんな場所にこんな大きな落とし穴を仕掛けるなんて、言語道断だ。


「や、やっぱり待って!」


ディートダムは、作業を再開するべく、スコップを手に飛び込もうとしていた所だった。


「ん? どうしたの?」
「待つよ、お姉さん。どうかした?」


呼びかけると、ディーとダムは素直に振り向いた。


「そこに落とし穴って、めちゃくちゃ危ないじゃない……誰か落ちたらどうするの」


アリスが言うと、ディーとダムは可笑しそうに笑った。


「あはは。やだなあ、お姉さん。落とし穴は、落とす為に作るものだよ」
「そうだよ。落ちてくれないと、落とし穴だってがっかりするよねー」


確かにそうかもしれない。
と、納得しかけて、アリスは首を振った。アリスの言い方がまずかった。

どうしたら止めて貰えるのか。
しばらく考えた後、アリスは言い方を変えてみた。


「……それって、私が落ちることも、二人は想定内っていうの? メイドさんが落ちるより先に、私が落ちる可能性の方が高いんだけど」
「!」


アリスに危険があるのだ、と分かってもらう方がいいだろう。
アリスの考えは当たっていたようだ。ディーとダムは、僅かに目を瞠った。


「あー……そっか、お姉さんも通るよね、ここ」
「通るわよ」
「それは困るね……うん。お姉さんが落ちたら困る」


ディーとダムは、あっさりと意見を覆した。


「分かった。ここは埋めて、また別の場所にするよ」
「そうだね。お姉さんが通りそうにない所に作るよ」


そうとなれば、諦めは早い。
ディーとダムはスコップを手にすると、元通りに埋め立て始めた。


(……素直なんだけどな……)


ディーとダムは、嫌な顔ひとつしなかった。
せっかく作っていた物を途中で止めろと言われて、気分がいい筈がないのに。

恋人になってからというもの、ディーとダムはアリスに甘くなった。そう感じる事が、ここ最近よくある。
出逢った頃なら、ディーとダムは密かに『すっごい落とし穴』とやらを諦めなかっただろう。

愛されてるなあ、とアリスは思う。
微妙に分かりにくい愛情ではあるけれど。


(それなのに私は、たかが地面から恋人が現れたってだけで、すごく驚いちゃったりして……)


たかが――と考えて、ふとアリスは我に返った。


(……いや、それはたかがじゃないよね? そんな登場の仕方、想定してないもの)


この世界の住人ならともかく、アリスが驚いたのは、仕方が無かったのかもしれない。
――あの時、驚きすぎて、実はちょっぴり『彼らの事が好きだ』と言う事実を疑ってみたくなったのは、悪かったと思う。
好きだと思って始まった関係なのに、うっかり見失いそうになっていた。


「ディー、ダム……好きよ」


好きだからね。

思わず口をついて出た言葉に、二人は食いついた。


「……えっ!? なになにっ!? 今、何て言ったのっ!?」
「よく聞こえなかったよ、お姉さん! お願い、もう一回言って!」
「ええー……そ、そうね……」


アリスは彼らの勢いに怯んでしまったが、考えを改めた。たまには、年上のアリスからも示さない事には。


「後で……それを埋め終わってから、ね」
「わかった、すぐ埋めるよ!」


ディーとダムは俄然、張り切り出した。


(とりあえず……良かったの、かな?)


意識が、別の方向へ逸れてくれた気がする。
すさまじい勢いで穴が埋め立てられていくのを、アリスは穏やかに見守っていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「終わった!」
「終わったよ!」


罠を完全に撤去し終わると、ディーとダムはスコップを放り出した。


「お疲れさま」


二人は、まだ埃っぽい。


「着替えてくる? どうする?」
「あー……そろそろ綺麗になる頃じゃないかな」
「そうだね、もう少しで……あ、ほら」


促されてディーとダムの服を見やると、しつこい泥汚れが、綺麗さっぱり消えていた。便利なものだ。

では、約束の――。
アリスは軽く咳払いをした。改めて、ディーとダムの顔を正面から見つめる。


「……好きよ。優しいあなた達が好き」


照れながら言うと、ディーとダムは顔を輝かせた。


「ありがとう、お姉さん! 僕も好き!」
「僕も好きだよ! お姉さん、大好き!」


そのまま勢いよく抱きつかれて、アリスは倒れそうになった。力加減が微妙な時がある。


「私のせいでごめんね、せっかく作ってたのに」


二人のやる気に水をさしたようで、ちょっぴり罪悪感が芽生えた。
謝ると、ディーとダムは揃って首を振った。


「ううん、そんなのいいんだよ。お姉さんが無事な方がいい」
「そうだよ。お姉さんの事まで考えて作らなきゃいけなかったよね」
「うんうん」


大したことではないのだ、と彼らは軽い口調で言うのが、ありがたかった。

ふっと、時間帯が変わった。
周囲一帯が、鮮やかな夕の色に包まれる。


「仕事、終わり?」


ディーとダムは元気よく頷いた。


「うん、終わり! 休暇だよ、お姉さん。何したい? 何して遊ぶ?」
「それとも、何処か行きたい所がある? 罠づくりもいいけど、何がしたい?」


罠づくりは勘弁して貰いたい。


「ねえ、ディー。ダム。私、別のものがいいわ」


アリスが言うと、ディーとダムは身を乗り出した。
きらきらとした期待の眼差しを、一身に受ける。


「なになに? お姉さん、何を作りたいの? 僕ら、何でも作ってあげるよ」
「うん、何でも作る。だから教えて、お姉さん」
「……そうねえ」


アリスはしばし考え込んだ。
埋め合わせ、というのではないが、先ほど邪魔をしてしまった事を考慮して、の発言だったのだけれど。


(作る……かー)


どうせ作るのなら――そうだ。


「私、秘密基地なら作ってみたいけど」
「え、なになに? 秘密基地?」


ディーとダムは首を傾げている。


「知らない? 大人達には内緒の、子供だけの特別な場所よ。自分たちでね、試行錯誤しながら、皆で力を合わせて作るの」


へえ、とディーとダムは素直に聞いている。どうやら作った事はないらしい。
アリスは続ける。


「子供の頃、そういうのに憧れてたわ。姉さん達は許してはくれなかったけど。一緒に作らない?」


アリスが誘うと、二人は大きく頷いた。


「勿論だよ! 作るー! ね、兄弟」
「うん、作る! お姉さんと一緒に!」


一緒に、という言葉に惹かれたのだろう。
ディーとダムは飛びつくように、アリスの腕に纏わりついた。


「ありがとう。じゃあ、まずは場所ね」


こうして、帽子屋ファミリーの秘密基地制作部隊が結成された。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


三人は連れ立って歩く。
行く先は、帽子屋屋敷の敷地内にある林だった。


「僕、この辺りでいいかなーと思うんだけど」
「いいんじゃない? あんまり人通りもないし」


ディーとダムが示した地は、屋敷からは死角になっているような場所にあった。
アリスも通ったことのないような、人影もない静かな場所だ。確かに、隠れ家を作るには最適だろう。

ただ、気がかりなことが一つだけある。


「場所はすごく良い、とは思うけど……ブラッドに言わなくてもいいの?」


気になったアリスが尋ねると、ディーとダムはきょとんとした。


「え、ボスに? 言わなくてもいいんじゃない? 遊びなんだし」
「そうだよー。せっかくの、僕らだけの内緒の場所なのに。それにボスだって、子供の遊びを咎めるほど狭量じゃないよ。多分」
「そうそう。子供の遊びに目くじら立てるような大人ってちょっとねー。それに第一、ボスに言っちゃったら台無しにならない?」
「……まあ、それもそうね……」


彼らの意見も尤もだ。
敷地外の場所で作るには、彼らが危険過ぎるような気もしていたし、アリスにとっては良い話ではあるけれど――。


(ブラッドって確か……敷地内で起きてることは、把握してる、とか何とか言ってたような気もするけど……いっか)


元々この子達だって、好き勝手に落とし穴や各種の罠を作っているという。
だから、わざわざ遊びの秘密基地ひとつで文句をつけてくるとも思えないけれど――もしもブラッドに後で言われたら、こっそり謝っておこう。


「ねえねえ、どんな風に作るの?」
「そうねえ」


アリスは考えを巡らせた。
それっぽい物を作ったことはあるけれど。
柔らかい草を集めて来て、ベッドのような物を作った、というレベルだ。


「大きさは、三人で中に入れるくらいで……木の蔓や枝で組み合わせて、小屋っぽいのを作りましょ」


幸い、木々には太めの蔦や蔓が絡まるようにして生えている。本の知識と組み合わせて、アリスは想像で言った。


「どうやるのかな……うーんと」


まずはアリスが、手近にあった蔓を手にとった。
長めの、丈夫そうな蔓だ。アリスはそれを別の木へと引っ張って巻きつけ、結びつけた。


「こんな感じ? で、形を保てるように、ちょっとずつ編んでいったらいいかな? 私も作った事はないから、加減がよく分からないんだけど……」
「おっけー、お姉さん! 任せて〜」


頼もしい言葉だ。
男の子だからなのか、やけに力強く聞こえる。アリスは微笑んだ。

ディーとダムも、各々で蔓を手にとった。


「こうかな……っと、あ」


力を入れ過ぎたのだろうか。
ダムの手の中で、蔓がぶつりと千切れてしまう。


「千切れちゃった。力加減が難しいや」
「加減がわからないね、兄弟」


とはいえ、要領が良い彼らだ。
最初こそ苦戦はしていたが、すぐに壊れない加減を覚えたらしい。
植物の蔓や蔦は、複雑にしっかりと絡み合っていく。


(すごい……もう覚えたの?)


流石に、遊びのセンスがある。
これは負けていられない、とアリスは張りきった。


(……楽しいなあ)


黙々と作業をしていると、思いの外これが楽しい。
秘密基地を作りたい、などと突拍子もない事を言ってしまったかもしれない、と芽生えた卑屈な芽は、いつのまにか綺麗に摘み取られていた。


(ディーとダムとも、遊べてるし……優しいな)


二人には刺激が少ない遊びだろう。
これは、アリスの話に乗っかってくれた二人にも感謝をしなくては。


「楽しいわ。ありがと、二人とも」


枝を組み込みながら、アリスは二人に声をかけた。すぐさま、とびきりの笑顔が返って来る。


「ううん、僕らも楽しいよ!」
「うんうん、楽しい楽しい〜」


危険のない遊びを、彼らも楽しんでくれているのが、アリスには嬉しかった。
彼らの方はというと、アリスからの――アリスが誘ってくれるのは、とても珍しい事だったので、尚更――彼女が楽しそうにしているのを見て、二人とも内心嬉しく思っていた。
アリスはあまり自らの希望を貫いたりしないから、望みを叶えてあげられるチャンスは多くないのだ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


他愛の無い事を色々と喋りながら、三人は作業を進める。

やはりというか、基地の大部分はディーとダムが作った。
途中から、アリスは本体に手を加えることを止め、中に敷く良い香りの草をたくさん採ってきた。

ディーが大体の形を作って、それにダムが補強をしたり、と手を加える。
上に乾いた草を敷く時には、手が届かなくなったらしく、彼らは大人の姿になった。
取り決めた訳でなく、それぞれが自然と役割分担をしていたのが不思議だ。

そして時間帯が二回ほど変わる頃に、ようやく。


「できた!」
「できたね!」


元気の良い二人の声で、秘密基地は完成した。
アリスが思い描いていたよりもずっと立派な『秘密基地』が出来上がっていた。


「どうぞ、お姉さん」
「いいの? ありがと……」


まず最初はアリスに、とディーとダムは勧めてくれる。わくわくしているような、そんな瞳だった。
アリスは体が当たらないように気をつけながら、そうっと中へ入ってみた。


「わあ……」


思わず、アリスは感嘆の声をあげていた。
編み込まれた植物の隙間から零れる日差しが、とても綺麗だ。


「お姉さん、どうー?」
「僕らも入っていいー?」
「もちろん」


アリスが応えると、ディーとダムも慎重に中へと入って来た。
きょろきょろと全体を眺め見てから、満足そうに笑う。


「ちょっと狭いけど、それが良い感じだね」
「うん、お姉さんとくっつけるし」


三人は、静かに腰を下ろした。たっぷり敷きつめた草からは、香り立つような緑色の匂いがする。
狭いと言うが、三人が十分に寝転べる広さだ。大した物ではないだろうか。


(こんな立派なの、作るとは思わなかったけど……)


彼らの遊びは全力で、だ。
腕を絡ませて寄り添ってくる二人に、アリスは微笑み返した。


「僕らだけの秘密だね」
「そうね」


胸が熱い。
少年の遊びに、ようやく混ぜて貰えたような気がしたのだ。
すっかり嬉しくなって、アリスは頷いた。


「二人とも、凄いわね……これだけの広さで作れると思ってなかったもの」


アリスが素直に感想を述べると、ディーとダムは得意そうな顔になった。


「そうかな? 凄い?」
「ええ、凄いわ。寝られるぐらいには広いじゃない?」


言いながら、寝転んでみる。ディーとダムもアリスに倣った。
アリスの方から手を握ってみる。
やや戸惑ったような間があった後、ディーとダムも、しっかりと握り返してきた。


「お姉さん、気に入ってくれた?」
「もちろんよ」


三人で作った場所だ。
もとい、ディーとダムが作ってくれた場所だ。気に入らない訳がない。

僕らも気に入ったよ、と二人は同時に呟く。


「見つからないように、上手くカモフラージュしなきゃねー。馬鹿うさぎに見つかったら嫌だし」
「うん。誰にも見つけられないようにしよう。僕ら三人だけの場所だよ」


ディーとダムは幸せそうに笑っている。
願わくば、ブラッドやエリオットに小言を言われませんように――と、アリスは心から願った。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


しばらく『秘密基地』を堪能した後、三人は基地の外に出た。
カモフラージュしないとね、と言いながら、ディーとダムが上手く隠してくれる。
あんな大きな物をどうやって、と思っていたが、ディーとダムの腕前は流石だった。
すっかり痕跡を目立たなくした所で、徐にダムが切り出した。


「そうだ、ログハウスみたいなのは? 秘密には、ちょっと大きすぎるかな?」
「あー、それも素敵ね」


たっぷりと幸せな気分に浸りながら、アリスはのんびりと答えた。


「そうだね。じゃあ、作ってみて考えようか」
「え」
「お姉さん、下がっていてね! いっくよ〜!」


アリスが止める間もなく、ディーとダムは大人へと姿を変えた。そして、躊躇い無く斧を振りかぶった。


「わ、わわっ!?」


重たい音が響いた後、ずしん、と目の前の木が――次々と倒れていく。アリスは瞠目した。

「か、勝手に木を切ったら怒られるんじゃないの!?」


いくらなんでもやり過ぎだ、とアリスは慌てふためくが、ディーとダムは涼しい顔だ。


「そうかな? 木なんて、そこら辺にたくさん生えてるんだし、ちょっとぐらい良いと思うよ〜僕は」
「僕もそう思う。それに、すぐ生えてくるよ。さ、削ろう削ろう〜」
「……そう」


ディーとダムは斧で枝を落とすと、大まかな長さを揃えて一気に切断した。
そして、器用に皮を削ぎ落していく。妙に手慣れた手つきだ。

乗ってる彼らに、何を言っても無駄だ。アリスは早々に説教を諦めた。


(……木は、絶対やり過ぎだと思う)


そして、アリスの軽い一言がきっかけなのは明白だった。
斬ってしまった物は仕方がない――と、かなり乱暴な理屈だが、そう思うことにした。
せめてもの詫びとして、今度、ブラッドへ特上な紅茶を献上しなくてはならないだろう。こっそりビバルディに相談に行こう、とアリスは肩を落とした。


「じゃあ私、釘か何か買ってくるわね。それと、お昼も何か作ってくるわ」


はーい、と元気の良い返事を背にしながら、アリスは街へと出かけて行った。
まずいなあ、と後ろめたく思う反面、顔は子供のような笑みを浮かべていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


アリスが戻って来た時には、材木と化した木が山積みになっていた。


「よいしょ、っと。このぐらいでいい?」
「兄弟、もう少し右―」
「わかったー」


そして、もう二人で組み立て始めている。
既に半分ほど汲みあがっているように見えた。作業が早い。


「釘、買ってきたわよー」
「お帰りなさい、お姉さん」
「あ、お帰りなさーい。これ、どう?」


ディーとダムは手を止めると、アリスの傍へ寄って来た。
彼らが大人の姿のままなのは、こちらの方が色々と作業に都合が良いからだろう。


(妙な感じはするけど……)


大人な二人が作っている、となると、また違った印象を受ける。
作られかけている物を見て、アリスは素直に感心した。


「……すごく立派な基地ね」
「うん、そうでしょう。あ、この位の大きさでいけるよね?」
「うん、十分だと思うわ。凄いわね、二人とも」


心からそう思う。


「ちょっと休憩にしよう。お腹すいたー」
「僕も僕も―」
「お疲れさま」


アリスが布を広げると、ディーとダムはようやく斧を置いた。立て続けに作業をして、息一つ乱れていない所が凄い。


「はい」
「ありがとう、お姉さん」


アリスがサンドイッチを手渡すと、二人は同時にそれを頬張った。
大人なのに、子供のように見える。それを微笑ましく見守りながら、アリスも自分のサンドイッチに手を伸ばした。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


それから結局、二人は秘密基地その2を完成させてしまった。
そのログハウスの中で、三人は休んでいる。新しい木の香りが溢れるようだった。


「……すごいわねー」


本当に。

もし彼らが門番を辞めても、こっち系で十分に働けるだろう。
ディーとダムは流石に疲れたのか、床にだらしなく寝転がっている。


「なかなか大変だけど、面白かったねーお姉さん」
「ええ。って言っても、あなた達にほとんど任せちゃったけど……ありがと」


アリスは苦笑した。アリスには、あまり手伝う事がなかった。
それでも、ディーとダムは柔らかく微笑んでいる。


「でも意外だったよ、お姉さん。実はアウトドア派だったの?」
「うーん……ひょっとしたら、そうなのかもしれないわね」


読書も好きだけれど。


(楽しかったな)


久しぶりの感覚は、じんとしていて――昔は、木登りや川遊びをするような子供だった、とアリスは今更ながら思い出した。

一体、いつだったのだろう。アリスが木登りを止めたのは。

幼い頃、アリスにはお気に入りの木があった。
その木の上から眺める開けた世界が大好きで、アリスはよく登っていた。

吹き抜ける風。突き抜けるように広がる世界。
そして、下からアリスを呼ぶ母の――姉の、優しい声。そのどれもが、大好きだった。


(いつから……)


おてんばであることは、自覚があった。
それが好まれないことを知ったのは、いつだったのか。


(だって、女の子らしくしていないと……姉さんが)


淑女を絵に描いたような、姉のロリーナ。彼女の視線は、アリスに多大な影響を与えた。

そうだった。
ロリーナが不安そうに見つめるから、アリスは。


(……怒られたわけじゃないけど)


ロリーナは、けしてアリスを叱らなかった。
ただ、困ったような顔でアリスを見つめるだけで。

『まあ、アリス。そんなに泥だらけになって』――と、ただ不安そうな瞳をして。

その顔を見て、アリスはギクリとした。ああ、姉は嫌がっているのだな、と。
ロリーナの深い瞳は、ちっとも女の子らしくならないアリスを憂いているように映ったのだ。

いま思うと、その感情の半分は心配によるものだったのだろう、と推測できる。姉は心配性の帰来があったから。
ともかく、姉に好まれないことを悟ったアリスが選んだ選択は、即ち、手放すことだった。

全力で駆けまわった野原も、少しだけ近くなった空も。

キラキラした世界に別れを告げて、アリスはレディの振りをしなければならなくなった。

けして、強要されたわけではない。
それに、それはそれで嫌ではなかった。それほど負担だった訳ではない。

ただ、自分って淑女に向いていないなあ、と心の何処かで感じながらも、それを隅っこに追いやって、澄ました顔をしているしかなかった。
苦労をかけているロリーナの望むままに。それが、せめてもの――アリスから返せる唯一の事だった。


(……って、姉さんのせいにしたいっていう訳じゃないけど、ね)


アリスだって、薄々気づいてはいたのだ。
いつかは手放さなくてはならない、という事も。ただ、きっかけが欲しかったのかもしれない。


(本当は……手放したくなかったのかな)


叶うならば、ずっと。

結局、叶わなかったけれど――それが今度は、彼らに与えて貰えるなんて。
諦めたせいなのか、一度手放したそれらは、アリスの目にとても魅力的に映った。


「じゃあさ、木登りは? お姉さんできる?」
「あなた達ほどじゃないけど、好きだったわ」


アリスが頷くと、ディーとダムは悪戯っぽく笑った。


「へえ、そうなんだ。いいね」
「意外だったね、兄弟。ねえ、お姉さん。今度、僕らと一緒に登る?」


アリスはホッとした。

彼らは、アリスを咎めたりしない。
そちら側へアリスも一緒に連れて行ってくれる。仲間に入れてくれる。


「うん、登ってみたい」


ディーとダムと、もう一度。


(一緒に遊びたい)


アリスが言うなら、きっと彼らは何処まででも。
ディーとダムが少年のような目をしている。その事が、アリスの心に響いていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


それからアリスは、ディーとダムと、さながら少年のように遊びまわった。

ある時は森へ。
ある時は川へ。
また、帽子屋屋敷内でも――まあ、色々と。

素直にはしゃぐアリスを見て、ディーとダムも楽しかった。
いつもの冷静なアリスも素敵だけれど、そんな事を忘れたかのようなアリス可愛らしい。

見たことの無いアリスを見ることができる、という幸せ。
こちらから仕掛けずとも、アリスの方から遊ぼうと誘ってくれる、という幸せ。

多くの幸せに、ディーとダムは満たされている。満たされ過ぎていて、何だか怖いぐらいだ。
いつもの、よくやるようなスリルのある遊びではないが、つまらなくない。不思議と満足できる。
何より、アリスを独占できている事が誇らしかった。


「お姉さんと一緒に遊ぶのって、楽しいね」
「うんうん、すっごく楽しいね。お姉さんは楽しい?」


そう尋ねると、アリスはとびきりの笑顔で答えてくれる。


「ええ、すっごく」


と。
その笑顔がまた魅力的で、ディーとダムの心をくすぐった。


「今日のお姉さんも、可愛かったね」
「うん。すごく可愛かった」


アリスと別れて自室へ戻る途中、自然とそんな話題になってしまう。

アリスのこんな顔が可愛かった。
あれは、ちょっと危なっかしかった。

そんな事を語り合うだけで、話が尽きることはない。


「次は、どんな遊びにしよう?」
「うーん……どんな遊びだと、喜んでくれるかなー」


実のところ、ディーとダムも、普通の遊びをする経験が少なかった。

幼いころ――もっと子供の頃、集団で誰かと一緒に普通に遊んだ記憶など、無い。
役柄がディーとダムに決まったのも幼い頃ではあったが、その頃の記憶といえば――まあ、母に疎んじられたり叩かれたりと、あまり良い物ではない。

専ら、ディーの遊び相手はダムで、ダムの遊び相手はディーだった。
だから、アリスと普通に遊ぶ、という事には、純粋な新鮮味があった。
アリスの世界の子供は、こんな風に遊びまわるのか、と。


「そういえば、この間の秘密基地も、そろそろ補強したいね」
「ああ……うざいウサギに見つかって怒られたよねー、あれ。目ざとい奴」


ダムは口を尖らせた。ディーがしみじみと頷く。


「ボスは許してくれたのにさー。心の狭いウサギって嫌だねー」


許したと言うか、どうでもよさそうだった、と言うべきか。
禁じられなかったという事は、許されたと考えていい筈だ。


「馬鹿ウサギも陥落したけどね、結局」
「うん。お姉さんが絡むと甘いよね、あいつ」


怒るエリオットに、見かねたアリスが「私が言い出したの」と告げた途端、エリオットは手のひらを返したのだ。あれは見物だった。


「馬鹿ウサギは置いといて。じゃあ次は、基地に行こうか」
「そうだね」


こうして次の計画を立てているだけで、気分が高揚してくる。


「……そうだ。ねえ、兄弟。そろそろ」


準備に取り掛かる必要がある。

ダムが視線で促すと、ディーは「分かってる」と小さく頷いた。

こういう以心伝心な所は、便利でもあり厄介でもあり、だ。
便利そうだ、と言う者も居るが、便利なだけではない。弊害もある。
考えていることが同じだから、互いを出し抜けないのだ。

――まあ、だからこそ、この三人の関係を保てているのだろうけれど。


「そろそろ、だね」


きっと、喜んでくれる筈だ。
ディーとダムは顔を見合わせて、笑った。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


基地の修繕をしつつまったり、という和やかな遊びを終えた後、ディーとダムはアリスに告げた。


「お姉さん、次は木登りをしてみない?」
「森に、良さそうな木があるんだー。登ってみない?」


ディーとダムが誘うと、アリスは一瞬、驚いたような顔をした。
その後、微笑んで「うん」と言ってはくれたものの――若干、二人には引っかかった。
アリスを部屋に送った後、ディーとダムは歩きながら呟いた。


「……どうしたんだろうね? お姉さん」
「前に木登りしてみたい、って言ってたけど……実はそんなに好きじゃないとか?」


物の弾みで、ついそう言ってしまったのかもしれない。
とも思ったけれど――それはちょっと、違うような気がする。


「うーん……でも、嫌いなら『嫌い』とか『苦手』って言うよね、お姉さんは」
「そうだよね」


アリスは、嫌なものは嫌だ、とか、割とハッキリ言ってくれる。
アリスが応じてくれたという事は、嫌いではない、という事だ。

だからこそ、あの刹那に見せた表情が、二人には解せない。恐れが入り混じった、不安に揺れる瞳。

実は、木登りは得意でない。
実は、木登りはしたくない。
実は、木登りに嫌な思い出がある――など、様々な可能性を考えたが、どれもしっくりこない。

二人がいくら考えても、答えは出なかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


そして、当日。
待ち合わせた場所には晴れやかな顔のアリスが居て、ディーとダムは安堵した。

それでも、注意深く観察することは忘れない。
アリスに少しでも嫌そうな素振りがあれば、即刻、別の何かに変更するつもりだった。


「お待たせ、お姉さん」
「待った? お姉さん」


二人が声をかけると、アリスは首を振った。


「ううん、私も今来たところ」


そういって、はにかんだように笑う。
会話だけなら、至極まともなデートのようだ。悶えそうになる。
その内容が木登り、という色気のなさといったら。

――まあ、色気のあることは部屋の中でしたらいい、というだけの事だし。

ディーとダムは、アリスの手を取った。



森の中を順調に進んでいると、ふと、アリスの足が止まった。


「……あ……」
「お姉さん? どうしたの?」


彼女の顔を覗き込むと、アリスの顔色は悪かった。青白い――というか、白に近い。


「どうしたの、お姉さん!?」


ディーとダムはハッとして、強張っているアリスの肩に手を置いた。
アリスはビクリと体を震わせた。


「う、ううん、何でも」
「何でもない顔色じゃないよ」


誤魔化そうとしたアリスに、ディーがぴしゃりと言い放つ。図星だったようで、アリスは口を噤んだ。


「気分がよくない? 休もうか」
「それとも、引き返す?」


優しく語りかけると、アリスは首を横に振った。


「違うの。本当に、何でも無いのよ。ただ、ここが」
「ここ?」
「そう。前に、ドアが……ドアがあったから、動揺しただけなの」


言われて、ディーとダムは周囲を見回した。
色とりどりのドアの群生が、三人を包み込むように在る。


「ドア? ドアがどうかしたの?」


アリスは、ドアが怖いのか。
ならば、全てを叩き斬ってあげようか。


「……前に、私……ドアに呼ばれたの。今は、二人がいるから聞こえないけど」


言いながら、アリスは苦笑している。
無理矢理作ったような力のない笑顔だ。これは、本格的に心配になってきた。


「なら、ここを抜けた方がいいね?」


叩きつぶすのも手だが、それよりも離れた方が良いかもしれない。
アリスは小さく頷いた。白い手が、僅かに震えている。


「うん……二人の言ってる木って、この辺りのじゃないのよね?」
「うん、違うよ。もっと先にある。早く抜けようか」


二人はすぐさま、大人の姿へと変わった。ディーがアリスを抱き上げる。


「っ!? ちょ、っと、自分で歩けるから、あの」
「ううん、この方が早いよ。今は早く移動しよう」


驚くアリスを離さず、森を駆け抜ける。
アリスは観念したようで、ぎゅっとディーにしがみついてきた。

ああ、表情が曇ったのはこのせいだったか。

ディーとダムは、ようやく合点がいった。
あの時、アリスが反応したのは、「木登り」でなくて「森」だったのか。

素晴らしく早く、ディーとダムは駆けて行く。
ぐんぐんと、ドアの群生が遠ざかっていく。だが、ディーとダムは走ることを止めなかった。

もうアリスを下ろしてあげてもいいかな、とは思ったのだが、せっかくなので目的地まで一気に行こう。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「お姉さん、ついたよ」


囁かれて、ようやくアリスは目を開けた。
二人の走るスピードが物凄くて、途中、こっそり目を開けたら酔いそうだったのだ。


「この木?」


やっと下ろして貰いながらアリスが尋ねると、ディーとダムは揃って頷いた。


「うん、この木だよ」


示された木を見る。しっかりとした幹に、登りやすそうな枝つきをしている。
地上から見上げてみると、かなり高そうな木だった。


「高いけど、登りやすそうね」


うん、とダムが相槌をうつ。と、一転して二人は心配そうな顔になった。


「お姉さん、本当に気分は悪くないの? 僕ら、お姉さんを抱えていってあげようか」


アリスは首を軽く振った。
確かに、二人なら軽々とこなせるだろう。だけれど。


「ううん……と言いたいところなんだけど、途中できつくなったらお願いするわ」


アリスが登りたいと言ったのだ。だから、自分で登りたい。


「そう? もちろん、構わないけど……無理は駄目だよ、お姉さん」


二人に、いらぬ気を遣わせてしまった。


(失敗したな……)


隠すつもりだったのに――隠せると思ったのに、結局アリスは素直に動揺してしまった。

今でも、あのドアの群生は苦手だ。
あの特徴的な耳に残る声を思い出してしまい、全身から血の気が引いた。

彼らに、自分の体調が悪いと誤解されないように正直に理由を話した――と思うけれど、そもそも、先に言っておくべきだったのかもしれない。
森に行こう、と聞いて、真っ先に不安が持ち上がったのは、あの場所のせいだ。


(要領が悪いな、私)


苦手だと先に告げておけば、避けるようなルートを考えてくれたかもしれない。


(……ここはひとつ、頑張って登りきる)


存外、きつそうだけれど。
そうしたらきっと、ディーとダムも安心してくれるだろう。

せっかく彼らが連れてきてくれたのだから、めいっぱい遊ばなければ。
アリスは二人の心配を払拭するように、精いっぱい微笑んで見せた。


「じゃあ、登りましょうか」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


アリス達は、無事に登りきった。
アリスも一人で――ディーとダムの手を借りることなく――たまに支えて貰いながら、概ね一人の力で登りきることが出来た。

木の上からの眺めは、最高だった。


「……気持ちいいわね」


乱れた呼吸を整えながら、アリスは手で髪を梳いて軽く整える。流石に、額が汗ばんでいた。

見事な眺めだった。
森全体を見回せて――まるで、新緑の海にいるかのようだ。景色の遠くには、クローバーの塔が見える。

地上にいるよりも、風が少し強い。火照った体に気持ちよかった。
アリスの隣を陣取る二人は、誇らしそうに胸を張った。


「いいでしょう。僕ら、一番いい場所を探したんだよ」
「え?」


アリスは目を瞬かせた。

――探した?


「お姉さんが登って喜びそうな木をね、兄弟と探したんだ。喜んで欲しかったから」


ディーとダムが、照れ臭そうに笑っている。
大人の姿なのに純粋な、とても綺麗な笑顔だった。透き通るような眼差しに、鼓動が高鳴る。


(え……わざわざ? 私の為に)


じんわりと暖かく広がる感情を愛おしむように、アリスは思わず胸を抑えていた。


「ありがとう……嬉しい」


ようやく、肩の力が抜ける気がした。


「よかった」


ディーとダムが、更にアリスとの距離を詰めてくる。


「木登りって良いよね。お姉さんとの仲を邪魔されないし」
「うん、良いよねー。お姉さんと近づけるし」
「……」


嬉しそうに言うが、アリスには否定も肯定も出来なかった。


(いっつも気にせずに、べったりしてくるじゃないの……と、思うけどなあ……)


正直に言ったが最後、それじゃ足りないからと更に距離を詰められる事は必至。

懸命なアリスは口を噤んで、曖昧に微笑んだ。

時間帯が変わり、夜になる。
今まで広がっていた青い空が真っ暗になり、月や星が銀色の輝きを見せる。
満天の星空を、三人は静かに眺めていた。ロマンチックなデートだ、と見えない事もない。


「木登り、本当に好きなんだね」
「ん?」


ふと、ダムが口を開いた。


「僕ら、アリスを格好よくサポートしようと思ってたのに、ほとんど一人で登っちゃうんだもん」
「そこは計画が外れたね、兄弟。アリスって意外とやるね」


ディーとダムは朗らかに笑う。アリスはじっと、そんな彼らを見つめていた。

今は、夜だから。
月光が明るいから、表情は仕方がないにしろ――きっと、顔色までは読まれないだろう。

だから、アリスは少しだけ素直になれる。


「……ガサツだ、って思わない?」
「え?」
「女の子らしくないって、思わない?」


思いきって聞いてみると、ディーとダムは怪訝そうな顔をした。


「……アリス?」
「……それ、誰かに言われたの?」


幾分、声音が低くなる。
誰かに苛められたとか誤解されてはいけない、とアリスは言葉を付け加える。


「まあ……私の家族が、ね……私がこういう遊びをしていると、あんまり良い顔をしなかったの」


だから、ディーやダムはどうなのだろう、とアリスはふと思ったのだ。


(恋人なのに、一緒に木登りしたいって言うような子って……駄目かも)


そうアリスは勝手に思った。
淑やかさや上品さは歓迎されても、活発さは敬遠される。
今までは、そんな環境だったから。その根は、かなり根深いものがある。

ディーとダムは意味が分からない、と言いたげに首を傾げた。


「何で?」
「そりゃあ、女の子らしくないからでしょうね」


アリスが答えると、二人は何とも言えない顔をした。


「え〜……そういうものなんだ?」
「ええ。そうみたいよ」


ディーとダムは、しばらく考え込んだ。
男の子には分かりにくい事柄かもしれない。何か他の言い方はないか、アリスは考えた。


「例えば……えーっとね。そう。男の子なら、知識や教養があって品があって社交的じゃないと駄目、みたいな風潮があってね」
「ええっ!? そんなのがあるの?」
「うわあ……」


自分の身に置き換えやすかったのか、ディーとダムは露骨に嫌な顔をした。


「うーん……それは良くない家族だね」
「そうだね、良くない」


その声音は真摯で、彼らが真剣に考えてくれたのが解かる。


「僕らは、そんな事ないと思うけど。アリスは十分、女の子らしいじゃない」


そう面と向かって言われて、聞いたアリスの方がたじろいだ。
女の子らしい等と言われたことがなかった。初めての経験だ。


「そ、そう?」
「うん」
「だよね」


ディーとダムは、きっぱりと言い切った。
アリスは、自分は『女の子らしさ』像とは、かなり遠い所に居ると思っていたけれど。


(でも……)


彼らがそう言ってくれるのだから、信じよう。アリスは胸を撫で下ろした。


「……よかった」


心が軽くなっていく。アリスは空を仰いだ。


「ディーとダムと遊んで、正直、ここ最近すごく楽しくって……二人が実はどう思ってるか、考えたらね。ちょっとだけ、怖くなったの。それだけ」
「アリス……」


ディーとダムの顔を見ずに感情を吐露する、ただの勝手な懺悔だ。
優しい手つきで、そっと肩を抱かれる。暖かさに包まれる雛鳥の気分だ。


「あ。……ねえ、アリス。最近すごく遊びたがったのって、そのせい?」


アリスはぎくりとした。
察しのいい子たちだ。アリスの痛い所を、鋭く的確に突いてくる。


「……否定はしないわ。私……子供の頃、もっとこういう風に遊びたかったの。でも」


満足していなかったのだろう。
家族に嫌な顔をされるから、満足にはできなかった。


「でも……貴方達を代わりにしたかったわけじゃないのよ。貴方達と、こうして過ごしてみたかったの」


きっと、楽しいと思って。

我儘でごめんね、と謝ると、ディーとダムは笑って首を振った。


「いいんだよ、アリス。僕らは恋人なんだから」
「そうそう。恋人のお願いなんだから、謝る必要なんて何もないんだよ。僕らも楽しいんだし」


ディーとダムは変わらず、柔らかく微笑んでくれる。
手放さないでいることは、我儘だと思っていた。


(許されないと……)


何故、二人はアリスを許してくれるのだろう。
こんなのは想定外だ。アリスは何だか泣きそうになった。


「僕らは今、まだ子供だけど……大人になったって、こうして遊んだって構わないよ」
「そうだよ。子供じゃなくても遊ぶ事はできるよ?」


いつだって歓迎するよ、と二人は屈託なく笑っている。


「……そうね。そうよね」


アリスはしみじみと二人の言葉を噛みしめる。
二人はアリスなんかよりもずっと、大人なのかもしれない。


(二人と居れば、いつだって一緒に遊べるなんて)


大丈夫だ、と昔の自分に教えてあげたい。

それはまた手に入るから、と。
それを分けてくれる、素敵な男の子たちが居るのだ、と。

いや――怖がって手放す必要なんて、実はなかったのかもしれない。


「……ありがとう」


ディーとダムに大切な物を分けて貰う為に、アリスはこの世界へ来たのかもしれない。

ふと、頬にやわらかい感触があった。
左右から交互にキスされているのだ、と気づいた途端、カッと顔が熱くなるのを感じた。


「アリスが好きだよ」
「……うん」


優しい声だ。大人の姿でも子供の姿でも、それは変わらない。空気が甘く、優しく染まっていく。


(さっきまでは、少年少女の初デートって感じだったのに……)


初々しいというか、清らかな感じだったのに。
それが今は一転して、ムードのある空気に変わっている。


「僕らのこと好き?」
「ええ、好きだわ」


ディーとダムは何故だか不安がっている節があるけれど、彼らが思うよりもずっと、アリスは二人の事が好きだ。

不安なのはお互いさまかも、とアリスは口元に笑みを浮かべた。アリスだって、自信はない。
彼らが、これだけ「好きだ」と言葉を繰り返してくれても、だ。随分と贅沢な悩みだが、好きだからこそ不安も芽生える。


「もう一回言って」
「好き」


するりと言葉が出てくるのは、この星空のせいか。


「どっちも好き?」
「うん、ディーもダムも好きよ」
「僕らのこと、愛してる?」
「愛し……えええっ!?」


アリスはぎょっとした。
うっかり勢いで口にしそうになってしまったが、それはちょっと。


「あ、愛って……」


さすがに、恥ずかしくて言えない。
年下相手に――今の姿は年上だけれど――目に見えて狼狽えてしまう。
さっきから心臓がうるさいぐらいに鼓動を早めている。


「えっ!? アリス、僕らのこと愛してないの!?」
「え〜〜!? 僕らはアリスのこと、愛してるのに〜〜!」


ディーとダムは声を張り上げた。
アリスは慌てて二人を制止する。


「ちょ、ちょっと、そんな大きな声ださなくても……もし、ピアスとかボリスが近くに居たら」


聞こえてしまうではないか。
ただでさえ静かな森なのに、今は夜だ。輪をかけて静寂が包んでいる。


「ピアス? ボリス? そんなの、聞かせればいいじゃないか」
「そうだよ! それにあんなのを気にしないで、僕らを見てよ!」


あんなの呼ばわりもどうかと思うが、それよりも大人しくなって欲しい。アリスは焦った。


「見てる! 見てるから! だから、もうちょっと静かにしましょうよ!」
「じゃあ静かにしたら、愛してるって言ってくれる?」
「それは」


もう、わざとなんじゃないかと思えてきた。
アリスがぐっと言葉に詰まったのを見て、ディーとダムは悲しそうに肩を落とした。


「ねえ、アリス。お願い。愛してるって言ってよ」
「〜〜〜〜〜っ!」


真剣に訴えられて、アリスは困り果てた。

実は、言ってもいいと思っている。
そのくらい好きではあるし、二人には感謝しているし、ここ最近ずっと、アリスに合わせてくれていた筈だ。

三人で星空を眺めながら、といったシチュエーションも十分に良いと思う。

けれど、今は言いにくい。
何故なら――彼らが、大人の姿だからだ。


「あの」


向き合うだけで、どきどきする。


「……ええと」


ディーとダムは期待と不安の入り混じった目で、アリスをじっと見つめている。


「愛」


愛してる。

いざ口に出そうとしてはみたが、なんてハードルの高い言葉なのだろう。
『好き』よりも、もっと――そう。かなりの勇気が要る。


「えーとね……ディー、ダム、あのね。言いたいんだけど、そのー」
「なに?」


アリスは、歯切れ悪く言葉を繋ぐ。
アリスの心臓は破裂寸前だ。ときめきが止まらない。


「……二人が」
「うん」
「見られてると、恥ずかしくて」
「え?」


何で、とディーとダムは目を丸くした。
アリスは顔を真っ赤にしながら、尚も訴えた。


「……素敵だから、ドキドキしておかしくなりそうで、言えない」
「……!」


ディーとダムは弾かれたように顔をあげた。
アリスをじいっと注視してくるのが分かる。

だから尚更、アリスは二人の顔が見られない。
いま二人と視線が合ったら、頭がどうにかなってしまいそうだった。


「だから……言えそうだなーって時には、ちゃんと言うから、今は勘弁して……」


消え入りそうな声で打ち明ける。


「アリス!」


がしっと肩を掴まれて、アリスは飛び上がりそうになった。
そして木の上である事を、一瞬忘れていた。落ちたらどうするのだ。


「な、なにっ!?」
「キスしていいかな? いいよね?」
「え」


唇が重なる。
アリスに聞く割には、いつもアリスに答える暇も与えてくれない。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


何度かキスを交わした後、ようやく二人は落ち着きを取り戻した。
二人はニコニコと満足そうにしているが、アリスは虫の息だ。


「あ、あんた達ねえ……ちょっとは、加減してよ……」


息も絶え絶えに愚痴を零す。
ディーとダムはけろりとしているのが、何だか腑に落ちない。アリスは、こんなにも乱されているのに。


「えー。そんなの無理だよ」
「そうそう。僕ら、子供だから。我慢ができないんだよねー」
「ねー」


くそう可愛いじゃないか、とアリスは一人、唇を噛みしめた。

大人なのに、可愛く見えるのはずるい。
子供と大人を使い分ける子達はとても魅力的で、とても凶悪だった。


「アリスが悪いんだよ。可愛いから」
「理由になってないし……」


アリスはがくりと項垂れた。

またもや、二人の理屈で流されてしまった。この流れは何度目だろう。
この二人には、あらゆる意味で敵う気がしない。


「そうかなー? どう思う? 兄弟」
「僕はアリスのせいだと思うよ、兄弟」
「だよねえ」


呑気な声が、ちょっぴり腹立たしい。
何とか息を整えていると、ひょいっと顔を覗き込まれた。


「な、なに?」


どきりとして尋ねると、ディーはアリスを物言いたげに見つめてきた。
色を含んだ、誘うような視線だ。
アリスはその示された意思を、正確に汲み取ってしまった。これはまずい、と思ったが、既に遅かった。


「顔色がよくないね? アリス。疲れちゃったんじゃない?」
「それはよくないね。僕らの部屋においでよ、アリス」


まるで示し合わせたかのように、息ぴったりだ。
二人して、悪企みをしよう、と魅惑的な視線でアリスを誘う。


「……ええ。そうするわ」


ここはひとつ、年上の余裕を――とアリスはにこやかに頷いた。
苦し紛れの悪あがきかもしれないが、やられっ放しでは癪だ。
だが、それもすぐに打ちのめされた。


「愛してるって言わせてみせるからね」
「すぐに、ね。だから、覚悟してね、アリス」


にっこりと宣言され、アリスの顔は盛大に引きつった。宣言するからには、必ず実行するだろう。


(……子供なんだか、大人なんだか……)


本当に、よく分からなくなってきた。子供心は複雑だ。
今は特に大人の姿をしているせいか、子供らしさは欠片もない。

今日は彼らに負けっぱなしだ。
さあおいで、と誘うように両の手を取られる。アリスは彼らの手に従うしかなかった。


【コドモゴコロ / 了】







===== あとがき ===

2012年8月発行『コドモゴコロ』より。

アリスは、相手が双子だからこそ、満たされる部分ってあると思います。

読んでくださってありがとうございました。