大事なものはひとつだけ?
お姉さんが「お城に行ってくる」といって外出してから、三回時間帯が変わって、お姉さんは戻ってきた。
僕らは門番だから、一番にお姉さんを迎えることができる。
これが、この仕事の一番のいいところかな。だって一番だもの。
ボスよりも、ひよこウサギよりも、一番最初にお姉さんを迎えられるんだ。
僕らが「おかえりなさい」と声をかけると、照れながら「ただいま」って言うんだ。その顔が好き。
でも、ようやくお姉さんと遊んでもらえると思ったのに。
お姉さんは、今度は「ボリスに会いに行ってくる」って言って、また出て行っちゃった。
いたいけな子供を差し置いて、他の男に会いに行くだなんて酷いよ、お姉さん。
束縛し過ぎるのはよくない、って聞いたから、一度目は文句は言わなかった。
でも、二度目だよ、二度目。それも連続。だから、不満を言ってもいいと思うんだ。
まさか、これって浮気されてる?
まさかね。浮気は駄目だよ、お姉さん。
僕らっていう立派な恋人がいるのに、浮気なんてしないよね。
でも最近、放っておかれている気がするよ。これってやっぱり浮気なのかな?
どうかな、兄弟。
いっそのこと足を切り落として、鎖でつないで、僕らの部屋に閉じ込めてしまおうか。
そうしたら、お姉さんは僕たちだけしか見えなくなるよ。
そうだね、それがいい。
でも僕らは優しい恋人だから、お姉さんに酷いことはできないよね。
そうだね、僕らはいい恋人だから。
兄弟と頷きあう。
力技で押し切ることができない。こんな時、なんだか少しじれったい。
こんなに良い恋人がいるのに、お姉さんは何か不満があるのかな?
言ってくれれば改善するんだけどな。
出来る限りのことはするよ。
だって、お姉さんが好きだもの。
こんな状態で、仕事なんか手につくはずがない。
もちろん仕事を投げ出して、兄弟と二人でお姉さんの後をつけることにした。
途中で迷子に遭遇したけど、今回ばかりは全力でスルーした。
だって、迷子なんかよりお姉さんの方が大事だもの。
すごく、すごーくイライラしたけど。
あの無駄に爽やかな笑顔は、何時見ても腹立たしい。
もし今度、あの忌々しい迷子に出会うことがあったら、×××で××××してやる。
お姉さんは尾行している僕らに全然気がつかなくって、ずんずん先に進む。
ちょっとくらい気づいてくれたっていいのに。
でも見つかったら困るから、いっか。
そうして歩いていくと、遊園地についた。
行き先はお姉さんが言ったとおり。
とりあえず嘘はついてないね、うん。
遊園地に来ると、つい遊びたくなってしまう。もちろん、色んな意味で。
敵地だからめいっぱい暴れるのもいいし、普通に乗り物で遊んでもいい。
でも、今日は我慢しなくちゃ。
遊ぶならお姉さんとがいいもの。
移動しているうちに時間帯が変わり、いつしか夜になっていた。
夜に他の男と会うなんて言語道断だよね。
お姉さんは警戒心が薄いから、ちょっと心配だよ。
相手が公爵ならまだしも、ボリスだもの。つけこまれたら大変だよね。
あ、ボリスが出てきたよ。嬉しそうにしちゃってさ。
ボリスが嬉しそうにお姉さんと話している。
ちょっと近くに寄りすぎなんじゃないかな、あれ。
そんなに近寄らないでよ、猫のくせに。
あんなに近くなくても話せるだろ、ボリス。
僕らのお姉さんと無駄にスキンシップとろうとしないでよね。全く。
ボリスは鋭い猫だから、僕らがいることにすぐ気がついたらしい。
ニヤリと意地の悪い笑顔を見せつけて、これ見よがしにお姉さんの肩を抱き寄せた――ところで、限界だった。
ディーとダムは物陰から飛び出すと、斧を構えて声を張り上げた。
周囲にいた顔なし共が、蜘蛛の子を散らすように慌ててその場を離れていった。
この世界で生きていく為に必須である、危険を察知する能力はとても高い。
顔なしの様子など、ディーとダムの視界には入らない。
二人の視線は、ボリスとアリスにだけ注がれている。
「お姉さんっ! ボリスから離れてよっ!」
「お姉さん、浮気!? 僕らを捨てるの!?」
「え、ええええ!?」
呆れ顔のボリスと、突然のことに混乱しているアリス。
ボリスの手はアリスの肩を抱いたままで、からかうようにその尻尾を揺らしている。斧の切っ先はまだ下がらない。
ボリスは余裕そうに、にんまりと笑って見せた。
過度なピンク色が、今日はやけに鼻について見える。
「おまえら、何でこんなとこに居るのさ。まだ仕事じゃないの?」
「うるさいな、お姉さんから離れてよ!」
「ボリスには関係ないでしょ。お姉さんを離しなよ!」
ものすごい剣幕で双方からまくしたてられ、ボリスは思わずたじろいだ。
まるで、ボリスがアリスを攫ったかのような言い草ではないか。とりあえず、アリスからは手を離した。
「な、何、マジになってんの……てか、アリスの方から俺に会いに来てくれたんだぜ?」
一方的に責められる覚えはない、とボリスは口を尖らせた。
ディーとダムの視線が、ボリスからアリスへと移る。
アリスはたじろいだ。ディーとダムは、珍しく怒りを露にしている。
「……お姉さん」
「な、何かしら」
矛先がこちらに向けられて、アリスはドキリとした。
二人の不機嫌そうな声音が、ちょっぴり怖い。いや、ちょっぴりどころではなく、怖い。
ディーとダムは渋い顔のまま、アリスの顔を見上げる。
「お姉さんは、僕らよりボリスの方が好きなの? だから会いにくるの?」
「ボリスなんかより、僕らの方が好きでしょう? ちゃんと構ってよ」
「いや、あのね……ボリスは友達だもの。会いに来てもおかしくはないでしょう?」
そう二人に言い聞かせるように答えると、ディーとダムは不満そうな声をあげた。
「おかしいよ! 僕らの方が大事でしょう? 僕ら、恋人なのに」
「そうだよ、ずるいよ。僕らよりもボリスを優先するの? そんなの嫌だよ」
「……ご、ごめんね」
確かに、とアリスはここ最近の自分を省みた。
ビバルディに呼ばれてハートの城へ行って、その帰り道にボリスと出会った。
立ち話をした後、改めて遊ぶ約束を交わし、一度屋敷に戻った。そして、遊園地まで会いに来た。
屋敷に戻った時、門のところに居たディーとダムに声はかけたが、それだけだ。
急いでいたから気がつかなかったが、あの時、彼らは遊んで欲しそうにしていなかっただろうか。
アリスは青ざめた。
確かに、二人のことを後回しにしがちだったかもしれない。
けれど、夜に寝るときは、三人一緒で寝ているのだ。
そのせいか、そんなに前よりも接触が減ったという実感が、アリスにはなかった。それがまずかったのかもしれない。
(これは私が悪いわ……悪いことしちゃったな)
二人の性格を知っているのに、不満に気がついてあげられなかった。
どうも、恋愛沙汰になると、いつも打つ手を間違えてしまう。失敗ばかりだ。
恋人になれたことで気が緩んでいたが、ちょっと引き締めねばならない。
少しは学習しなくては、この子達まで失ってしまう。
それだけは絶対に嫌だ。
アリスは心から謝辞を口にした。
「貴方達にはいつでも会えるしって思って、甘えてた。私が悪いわ。ごめんなさい」
「……お姉さん」
「お姉さん……」
そう言われると、強くは出られない。
アリスに甘えられるのは嬉しいけれど、ないがしろにされたくはない。
そうでなくても、いつだってアリスに甘えたくって仕方ないのだから。
過度に縛るのはよくない、と理屈では思うが――不安になるのだ。
もしかして、自分達はアリスの一番ではないのではないか?
もしかして、アリスは自分達でなくてもいいのではないだろうか?
皆がアリスを好いている。誰かにアリスを盗られてしまうかもしれない、と二人の焦燥感は募る。
「僕らが一番好きでしょう?」
ええ、とアリスは肯定する。好きだから、恋人なのだ。
「一番大事なんでしょう? だったら、他のものなんかいらないじゃない」
「それは……違うわ」
一番じゃなくても、大事だと思っている。
いらないなんて思ったことはない。そう二人に言い聞かせると、ディーとダムは首を捻った。
「わからないよ、お姉さん」
「僕もわからないよ。一番じゃないなら、必要ないでしょう?」
アリスは頭を抱えた。
基盤である常識すら、アリスの世界とはかなり違っている。
根っこの部分が違うのだから、二つをすり合わせることは難しい。難しいどころか、不可能に近い。
でも、我侭かもしれないが、ディーとダムにだけは解かって欲しい、とアリスは思う。
何か良い言い方はないだろうか、とアリスは考えた。
そうして、ひとつだけ思いつく。
この場を切り抜けるには、実力行使するしかない。障害は自分の照れだ。
(うーん、でもこれは……ええい、ままよ)
照れの壁を壊すことに決めた。
アリスは念を押すように、もう一度ふたりに問いかけた。
「一番だけが、本当に大事なものなの? ひとつだけが?」
「そうだよ、お姉さん」
「なら、違うわね」
「どうして?」
ディーとダムは、言い切るアリスを見て、不思議そうに首を傾げた。
アリスは自信満々に、にっこりと笑う。
「私の大事なものは、ふたつあるもの」
言いながら、アリスは目一杯ディーとダムに抱きついた。
ものすごく恥ずかしいので、目は瞑る。多分、顔も赤いだろう。
ディーとダムは目を瞬かせた後、慌ててアリスの背にしっかり手をまわした。
二人の刺々しい雰囲気が柔らかくなっていくのを感じて、アリスは安堵した。
とりあえずは、よかった。
根本的な理解はしていないだろうが、誤魔化せただけでもよしとする。
これからの時間を使って、ゆっくり話していけばいい。
これから先も、ずっと一緒にいるのだから。
「愛されてるね、僕ら」
「うんうん、愛されてる。嬉しいよ、お姉さん」
「……ディー、ダム?」
アリスは不穏な空気を察知して、訝しげな顔をした。
口では嬉しいと言いながらも、ちっとも顔が笑っていない。ディーとダムの気配は再び鋭くなっている。
「そう、僕らが愛されてるんだ」
「僕らだけのお姉さんなんだからね」
「そうそう、僕らのなんだ。だから、ボリス。お姉さんに近づかないでよね」
じろり、と二人はアリスの背後を睨みつける。
背後。
「へーへー。アリスも大変だな、嫉妬深い恋人を持って」
ボリスの呆れた声が背後から聞こえ、アリスはぎくりと固まった。
すっかりボリスの存在を忘れていた。
そうだ。
ここは遊園地で、さっきまでボリスと話していて――なのに、私としたことが。
こんな、一度見たら目に焼きついて離れないような猫のことを忘れるなんて。
おそるおそる振り向けば、にやにや顔のピンクの猫。
ボリスの目に、あからさまな喜色が浮かんでいるのを見て取り、アリスは自分の失態に気づいた。
「そいつらに嫌気がさしたら、俺のとこにおいでよ。いつでも歓迎するからさ」
ボリスは意味ありげにアリスにウインクをしてみせた。
ディーとダムが、アリスをその背に隠すように立ちはだかる。けれど、口調はもう尖ってはいない。
「駄目に決まってるだろ。お姉さんはあげないよ」
「そうだよ。お姉さんは僕らとずっと一緒にいるんだ」
「そうケチくさいこと言うなよ。なあ? アリス」
話を振られても、硬直したアリスには答えることができなかった。
しばらくの間、からかいの種になってしまうだろうことが容易に予想できる。
せめて、それが長くなければいいけれど、とアリスは嘆息した。
「さて、と。どうする? お前らも遊んでく?」
「どうしよっか、兄弟」
「んー、いいんじゃないかな。大きい仕事もないし、今はひよこウサギもいない筈だし」
そのまま三人で和やかな談笑が始まる。
最近ゴーカートが面白いだの、絶叫マシーンが新しくなっただの、ごく普通の少年同士の会話だ。
アリスは彼らの穏やかなやりとりを黙って見守りながら、恐る恐る周囲に目を向けた。
案の定、四人を遠巻きにして眺めている顔なし達の姿がある。
ひそひそと何事かを囁きあっているが、彼らにも、アリスの――先ほどの行動を見られていたに違いない。
そう考えると、顔から火が出そうだった。これからどんな噂がたつのか、考えるだけでも恐ろしい。
しばらくは遊園地に近寄るのを止めよう。
そう一人、心に誓う。
ボリスの方を見ると、ニヤリと意地悪そうな視線をアリスに送って寄こした。
ボリスは玩具を見つけた猫のように――いや、実際に猫なのだが――しっぽをぱたぱたさせている。
久々にアリスは、その横っ面を殴ってやりたくなった。
[ 大事なものはひとつだけ? 了 ]
===== あとがき ===
2008年8月発行『ぼくらのおねえさん』より。
その後の、おまけ小話。甘々です。
ボリスとの絡みが好きです。少年ぽくて。
読んでくださってありがとうございました。