ディーの憂鬱、ダムの憂鬱








今、まさに眠りにつこうとした時だった。

本を閉じて明かりを消した直後、ノックの音と呼ぶ声がアリスの耳に届いた。
アリスは起き上がると、部屋の明かりを点けた。

ドアを開けると、ディーとダムが立っている。


「お姉さん」
「お姉さん」
「どうしたの? 二人とも」


こんな夜更けに。

二人の表情は固い。
二人の思いつめた表情を見て、アリスの心はざわめいた。

心に沸き起こる不安を押し殺し、二人をソファに座らせると、アリスはお茶の用意を始めた。

紅茶を注いだカップを前に置くと、突然、その手を握られた。
アリスはハッとして二人を見ると、真剣な眼差しが自分へと注がれていた。

強い視線に寒気を覚えて、アリスは思わず手を引き抜こうとしたが、彼らの握る力のほうが遥かに強かった。


「お姉さん、僕らずっと考えてたんだ」


ディーとダムは、いつになく真剣そのものだ。
アリスの胸が不吉に高鳴る。


「何を?」
「どうしてお姉さんは、僕らの事が好きなのに恋人になってくれないんだろう、って」
「何がお姉さんをためらわせてるのか、考えたんだ。でも、わからなかったよ」
「……そう」


アリスはばつが悪そうに目を伏せた。

ディーとダムは、自分の心情を読みきっていない。
寂しく思う反面、心のどこかで安心もした。


「僕らのことが好きなんでしょう? なら、何で?」
「えーっと」


関係を壊したくない、というネガティブな思考のなせる業です、とは言えない。
アリスが言葉を濁したのを見て、断る口実を探していると勘違いしたのか、ディーとダムの表情が更に曇る。


「本当は、嫌いなの? 僕たちのこと」


アリスはぎょっとした。二人は目に涙までためているではないか。
まずい、これは本気で泣く。


「いやいやいやいや、好きよ!」


好きだという確信はある。
認めたくないと目を逸らしていたが、そこは確実だ。

けれど、とアリスは視線を落とす。

本当に好きなのか疑わしい。
本気で好きになるなら、一人ではないのだろうか。
両方好きだなんて有りなのか。

その上、好きなのに二人の見分けがつかないなんて――情けない。


「いや、あのね。見分けることもできないなんて、恋人失格よ。じゃなくて、恋人になる資格もないと思うのよね。だから、見分けがつくようになってから、もう一度チャンスが欲しいの」


アリスは諦めて、白状することにした。
呆れられて、嫌われても仕方がない理由だと思う。だからなかなか言えなかった。


「……」


言ってしまった。
二人はどう受け取っただろうか。


(呆れるわよね、普通。これで、私のことも嫌いに……)


嫌われるのだろうか。

ずきり、と心が軋む。

自分のせいとはいえ、嫌われてしまうことが怖い。
アリスは恐る恐る、二人の反応を窺い見た。

表情からは、彼らの心情は窺い知れない。
二人は顔を見合わせて、視線で何かを話し合っているようにも見えた。

双子だから、視線で意思疎通もできるのだろうか。
こういう時、アリスは少し寂しい。


「……ばらしちゃおっか、兄弟」
「そうだね、兄弟」


何を、と口を挟む間もなく、ディーとダムは上着を脱いだ。
アリスはぎょっとして、目を瞠った。

いきなり何をしているのだろう、この子達は。


「……え? え?」


アリスの動揺をよそに、二人は同時にコンタクトを外す。
青い瞳が赤く、赤い瞳は青くなった。アリスの混乱は極まった。


「ディー? え、ダム?」


混乱しながら、アリスは二人を交互に見比べた。と、いうことは。


「お姉さん、気がつかなかったでしょ?」
「だから、僕らを区別なんてしなくていいんだよ」


先ほどのアリスの答えは、二人の望む通りものだ。

ディーとダムの見分けがつかなくて、両方同じだけ好き。
そして、二人を恋人に昇格させてもいいと思っている。

さあ、と手を広げる。
だが、アリスはその場に力なく座り込んでしまった。

ディーとダムは慌ててアリスの傍に駆け寄ると、心配そうに顔を覗き込んだ。


「え、どうしたの? お姉さん?」
「大丈夫? どこか具合が悪いの?」
「……やー、ごめん。自信なくしたわ……」


この作戦は、失敗だったようだ。






エリオットは自室で休んでいた。

大きな案件はしばらくないし、今日の分の仕事は片付いた。これから、久しぶりの休暇だ。
何をするかなーと盛大に伸びをしたところで、ドアの向こうに人の気配がした。
ドアの前をうろうろと動いている。

その不審な動きに、エリオットは眉をひそめた。
きっと、自分に用があるのだろう。そして、確実にブラッドではない。

面倒なので、エリオットは無視することにした。
本当に不審者であっても、そのうち使用人の誰かが撃ち殺すだろう。

しばらくして、エリオットがいい加減イライラしてきた頃、遠慮がちなノックの音がした。


「エリオット、いる?」


よく知る声が聞こえて、エリオットの耳がピン、と立つ。

エリオットはベッドから跳ね起きると、ドアへと急いだ。
ドアを開くと、案の定アリスが立っていた。

エリオットは満面の笑顔で、突然の来訪者を喜んだ。


「おう、どうした? あんたが訪ねてくるなんて、珍しいな」


アリスは曖昧な表情を浮かべた。スカートの裾を握り締める手が白い。力が入りすぎている。
無理に笑おうとしていた口元が、きゅっと固く結びなおされた。

いつもと様子が違うようだ、とエリオットの表情も引き締まった。
アリスの緊張を緩めてやろうと、できるだけ優しく聞こえるよう声をかける。


「とりあえず、入れよ。突っ立ってるのも何だし」
「うん」


アリスは素直に頷いた。

エリオットの部屋に、アリスは何度か来たことがある。
久しぶりに見る彼の部屋を、アリスは物珍しそうに眺めた。相変わらず綺麗に整頓されている。

アリスはエリオットの隣に腰掛けた。
動きはそわそわと落ち着きがない。
初めてみるアリスに、エリオットも戸惑い気味だ。

何か問題が起こって、自分に相談に来たのだろうか。

これは妥当な推測だと思う。
言いにくそうにしているが、一体何があったというのだろう。


「なあ、アリス。本当、どうしたんだ? 今日のあんたは、なんつーか……あんたらしくないぜ」
「え……ふ、普通よ」


そう言われても、説得力はない。
エリオットの眉間の皺が更に深くなった。

アリスは視線を落として、しばらくまごまごしていた。
けれど、ずっとこうしていても仕方ない。アリスはぎこちなく切り出した。


「ねぇ、エリオット。あなた、ディーとダムの見分け、ついてるのよね?」
「ん? ガキどもか。ああ、まあ何となくな」
「それ、私にも教えてくれない?」


言うと、エリオットが拍子抜けしたのが目に見えて判った。
すとん、と表情から気負いが抜けていく。
呆気にとられたような顔になると、エリオットは改めて聞き返した。


「見分け方を、か?」
「うん」


アリスの手は、まだ固く握りしめられたままだ。
エリオットの表情が再び曇る。

もしかして、二人に何かされたのだろうか。それならば許さない。


「……どうしたんだよ、そんな思いつめた顔して」


エリオットはまだ心配そうだ。
彼のまっすぐな視線を直視できなくて、アリスは目を伏せた。
彼に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、アリスは呟く。


「騙されたの」
「へ?」
「ディーとダムに、また騙されたのっ! 悔しいから、絶対見分けてやるっ!」


アリスは勢いに任せ、怒りを撒き散らした。

ぷりぷりと怒るアリスを見て、エリオットは噴出した。途端にアリスの目がつりあがる。


「何よ、笑わないでよ!」
「わ、悪い悪い。あんた、可愛いな」
「可愛くないわよっ!」


八つ当たりをしている自覚が、アリスにはある。
ついカッときて言い返してしまったが、エリオットは笑うのを止めない。

盛大に笑うエリオットを睨みつけながら、アリスはふくれっ面になった。
エリオットの笑いの虫がおさまるまで、ふくれたまま待つ。

エリオットは遠慮もせずに、豪快に笑う。
エリオットはやっと笑い終えたようだ。その目尻には涙が浮かんでいる。

笑いすぎだ。
アリスは苦虫を噛み潰したような顔をした。

けれど、アリスの心は幾分か軽くなっている。
エリオットが笑い飛ばしてくれたからだろう。

その程度の事、なのだ。
彼が笑い飛ばせるくらい、事態は深刻ではない。

そのことにアリスは安心する。


「やー、笑った笑った。んで、あいつらの見分け方だっけ?」
「そうよ。見分けるポイントを教えて欲しいの」
「ポイントねぇ……」


野生の勘だ。
特にポイントはない。

アリスに、自分と同じ見分け方ができるかといえば、微妙なところだろう。
けれど、何も教えないのは角が立つ――というか、アリスは絶対に怒る。

怒って怒鳴って、アリスの方もいい具合に気が抜けたのだろう。
やっとスカートから手が離れている。
エリオットはそれを目で確認すると、やっと安心した。

どうもアリスは深く考えすぎるところがある。
それはけして悪いことではない。なまじ賢いから、深みにはまってしまうのだろう。
エリオットはそう思う。
思慮深いなんてブラッドみたいだな、と、改めてアリスへの尊敬の念が沸いた。

何かいい考えがないだろうか、とエリオットは思考を巡らせた。

ディーとダムの見分けがつくようになるのは、アリスにとって良い事かどうかは判らない。
見分けがつくとなれば、悪戯小僧共は更に巧妙な手口を使ってくるだろう。それではアリスが疲れるだけだ。

けれど、いつも翻弄されている側のようだから、たまにはやり返してやるといい。
好き勝手やっているようだし、たまには痛い目にあえばいいのだ。


「んー、あんたなら、こういうのどうだ?」


エリオットはこっそりと、アリスに耳打ちした。






廊下の向こうにディーとダムの歩く姿を見つけ、アリスは足を止めた。

いつもの服にいつもの斧。
仕事に行くのだろうか、その足取りはあまり軽くない。

彼らの後姿をしばらく凝視した後、アリスは息を吐いた。


(やっぱり、そっくりだわ)


背丈も髪型も体つきも、ディーとダムはそっくりだ。
違いはないかじっくり眺めてみたのだが、さっぱりわからない。
互いにわざと似せているというから恐れ入る。

普通、好きな人には見分けて欲しいものではなのだろうか。

アリスの悩みはそこにあるのに、彼らはあっけらかんと「見分けなくてもいい」と言う。
アリスは半信半疑で――まだ、彼らの言い分を信じることができない。
実は見分けて欲しいのに、アリスができないから、そう気を使ってくれているだけなのかもしれないではないか。

とはいえ、これも本から仕入れた知識だから、絶対に正しいかどうかはわからない。
本の知識が間違っているか、ディーとダムが特別変わっているのか、どちらかだ。恐らく後者な気がする。

アリスは少し考えた後、意を決して二人の後を追いかけた。


「ディー、ダム」


アリスが声をかけると、ディーとダムは振り返る。


「お姉さん! どうしたの、今は夜なのに。珍しいね」
「こんばんは、お姉さん。こんな夜中に散歩? 悪い子だね」
「そう、悪い子なの」


ディーとダムが微笑むので、アリスもつられて笑顔になる。
ディーとダムは、思わぬところでアリスに会えたと素直に喜んでいる。

アリスはわざと、別方向の話題を振った。


「ディーとダムは、これから仕事なの? 大変ねー」
「うん、今から仕事なんだよ。だるいよね、兄弟」
「うん、だるい。夜中に子供を働かせるなんて、ここの大人たちは酷いよね」


ディーとダムは、口々に不満を呟き始めた。
愚痴から始まって、雇用問題にまで発展する。

いつもながらその流れは見事だ。
アリスは二人を労いながら、仕掛けるタイミングを窺っていた。

今だ。


(……えいっ!)


アリスはディーに抱きついた。

不意打ちを受けて、ディーの体が少しよろめく
。緊張しているのか、意外にもその体は強張っていた。

ダムは突然のことに驚いて、固まっている。
ディーの手が慌ててアリスを抱きとめた。


「わ、わ、何? どうしたのっ? お姉さん!」
「私、ディーが好きなのっ!」


ディーとダムの目が大きく見開かれる。
アリスを抱きしめる手に、ぎゅっと力がこもった。


「……!」
「お姉さん……!」


ダムは、ただ呆然としてそれを眺めている

。けれど、立ち直りは早かった。
ハッと我に返ると、ダムは慌ててアリスの肩を掴んだ。

力の加減はされていないようで、ちょっと痛い。

ダムが憎々しい視線をディーにぶつける。
焦るその口調は、いつものゆったりしたものではない。


「兄弟、離れなよ! お姉さんは僕が好きだって言ったじゃないか!」
「やだね、兄弟。ずるいよ、お姉さんに好きって言われるなんて!」


ディーは口で応戦しながら、見せつけるようにアリスをぎゅーっと抱きしめた。
それを見たダムが、忌々しそうにディーを睨みつけた。

その目には、殺気すら滲んでいる。
いつ、斧を構えて斬りかかってきてもおかしくはない。

だが、今、ディーの腕の中にはアリスがいる。
実力行使は難しそうだと判断したのか、ダムはきつく睨みつけるだけに留まった。


(ふーん)


一種の修羅場だ。
けれどアリスは、そんな二人のやりとりを冷静に観察していた。

ディーに抱きついて、ディーに抱きしめられ、ダムは慌てて引き剥がそうとしている。
そして、この言動だ。
そこから推測するに。


「……今、ディーがダムで、ダムがディーなわけね?」


ぎゃーぎゃーと口汚く言い合う二人に向かって、アリスは確認するように呟いた。
二人の視線がアリスへと向けられる。


「うん、そうだよ。だからお姉さん、こっちきて!」
「えー、ずるいよ! 駄目!」


ディーは、アリスとダムを引き離そうとするが、ダムはアリスを離そうとはしない。
そう二人して引っ張られると痛い。
細い体のどこからこんな力が、と不思議に思うほど、アリスを抱きしめる力は強い。
しっかりと拘束されて、身動きをとる事も困難だ。

このままでは抱き潰されてしまうかもしれない。
自分の状況が厳しくなってきたので、アリスはダムに微笑みかけた。


「ふふ、私、ダムも好きよ? ディーと同じくらいに」
「お姉さん……!」


ダムは安堵で目を輝かせた。
アリスをがっちりと拘束していた手の力が、みるみる緩んでいく。

ダムには悪いことをしてしまった、とアリスの胸に小さな罪悪感が芽生えた。

ディーはというと、どこか不満そうに口を尖らせている。
けれど、アリスに抱きつくことも忘れない。
やっとアリスに抱きつくことができて、ディーの顔にも安堵の表情が浮かんだ。

二人の間には、もう剣呑な空気はない。


「えー、僕だけじゃなくて、兄弟もなの?」
「そうよ。二人とも、同じだけ好きなの」


アリスは、ゆったりと頷いて返した。
一見冷静を装っているが、頬が桜色だ。


(あー、何だか私、好き好き言い過ぎてる気がする……)


恥ずかしい。心底恥ずかしい。
けれど、前ほど抵抗がなくなってきているのだ。

一度口にしたら最後、決壊したようにどんどん流れ出てしまう。
実は、自分にはバカップルの要素があるのではないかとアリスは悩んでいる。

ディーとダムはしばらく腑に落ちない顔をしていたが、ようやく気がついたようだった。


「……あ。お姉さん、まさか」


嵌められた? と彼らの視線が問いかける。
アリスは、してやったり、とにっこり笑ってみせた。
仕掛ける側も案外楽しいものだ。癖になりそうで困る。


「ええ。エリオットに聞いたのよ、あなた達の見分け方」
「! ひよこウサギに?」
「うん。で、私ならこうしたらいいかも、って教えてくれたから、実行してみたの」


聞いた時は、何というアバウトな作戦かと呆れたものだったけれど、意外と良い手かもしれない。
かなりの捨て身だが。

彼らが、同じ手に二度引っかかってくれるかどうか――は微妙だが、この時引っかかってくれただけでも良しとする。
エリオットには、今度お礼を持って報告しに行こう。


「……お姉さん」
「何よ?」
「わざわざ、ひよこウサギに会いに行ったの? 見分けなくてもいいのに」


引っ掛けられた事よりも、エリオットに会いに行ったことが不服らしい。
ディーとダムは苦い顔をしている。アリスはニヤリと悪戯っぽく笑ってみせた。


「何言ってるのよ。好きだから見分けたいんじゃないの」


ディーとダムは、きょとんとして目を瞬かせた。

そう返してくるとは思わなかった。
それに、そんな可愛いことを言われてしまっては、怒る理由なんてなくなる。

二人の顔に笑顔が戻った。甘い雰囲気に包まれる。


「お姉さんは悪い子だね」
「ええ、悪い子よ。それでも、好きでいてくれるんでしょう?」


からかう様な口調で、アリスは二人に尋ねた。
軽く聞こえるように努めたが、実はものすごくドキドキしている。

ディーとダムは同時に頷いた。


「うん、どんなお姉さんでも、僕らはずっと大好きだよ」
「うん、ずっと好き。お姉さんだけが、ずっと大好き」


強い口調で、二人は即答する。
揺らぎなど何もない。

アリスの口元は緩んだ。

私だって、ずっと好きに決まっている。だから。


「ありがとう、ディー、ダム。その言葉、嘘じゃないのよね?」
「勿論だよ。僕ら、いつだって真剣だよ。お姉さんのことだけは」
「嘘なんかじゃないよ。僕たちはお姉さんが好き」


彼らがとても真剣に言うものだから、ようやく決心がついた。

アリスは二人の手を握ると、目を閉じた。
緊張と高揚と色々が混ざり合って、心臓がかつてない程に高鳴っている。


「あのね」


言ってはいけない。
言えば、帰ることができなくなる。

そう頭が叫んでいるが、もういい。

もういいのだ。

こんなに好きだと思える――しかも、好きでいてくれる人がいるのに、何を迷うことがあったのだろう。


(姉さん)


姉の笑顔が、アリスの脳裏に浮かんでは消えた。

自分は酷い妹だ。
あんなに大切だった姉よりも、今は目の前の大事な人と共に、生きていきたいと思っている。

姉を捨ててまで。

脳内のロリーナの顔が、悲しみに歪む。

チクリとアリスの胸が痛んだ。
小さくはない痛みを感じながら、それでも尚、彼らと居たいと願う。

アリスはゆっくりと目を開けた。
ディーとダムの顔を見た途端、姉の顔が霞んでいく。


「私も頑張ってみることにしたわ。貴方達を信じる」


パリン、という音と共に、胸の内で何かが砕けた。

実際に聞こえたわけではないが、心のどこかで割れる音が響く。

すると、不思議とみるみるうちに気持ちが軽くなっていった。

風が通るように、気分がすーっとする。
小さな穴が開いて、不安とか焦りとか、そういったものが全て流れて出て行ってしまったようだ。

ディーとダムが信じられないような顔をして、アリスを凝視している。
瞬きも忘れ、アリスの表情を一瞬たりとも見逃すまいとして。

アリスに握られている手がとても熱くなる。

ああ、まさか。
まさか、本当に。

アリスは照れくさそうに笑う。

もう帰らない。


「ずっと待たせて、ごめんね。あと、これからもよろしく」


はにかんだ笑顔の先には、二人の満面の笑顔があった。






その後の事は、よく覚えていない。

飛びつかれたり抱きしめられたりキスされたりで、滅茶苦茶だったことだけは覚えている。
無論、仕事など放棄だ。
自分の部屋に行ったのか、彼らの部屋に転がり込んだのか、どちらだったっけ。

ディーもダムも自分も、たくさん笑っていた。
ひょっとすると、ちょっと泣いていたかもしれない。

心から笑って、抱きしめて、キスをして、とても幸せで――幸せで、頭がどうにかなってしまいそうだった。

今は三人で布団にくるまっている。
彼らの寝顔を見つめながら、アリスは静かに息を吐く。

後悔はなく、愛しさしか溢れてこない。

あれ程までにうるさかった頭の中の警告音は、二度と聞こえてくることはなかった。

だからきっと、この選択は間違っていない。
彼らと共に、この滅茶苦茶な世界を生きていくのだ。ずっと、三人で。





[ ディーの憂鬱、ダムの憂鬱 了 ]






===== あとがき ===

2008年8月発行『ぼくらのおねえさん』より。

やっと、幸せな三人に。読んでくださってありがとうございました。