夕暮れには燃えるような青を
「あ、お姉さん!」
「本当だ、お姉さんだ! お姉さーん!」
自分を見た途端、顔を輝かせて駆け寄ってくる少年達。
その様子が本当に愛らしくて、アリスは目を細めた。口元も自然に緩む。
(……可愛いなぁ)
アリスだって女の子だ。
程度は浅いと思うが、可愛いものには弱い。
これで、オプションで斧さえなければ、もっとその可愛さにどっぷり浸れるのだが。
この殺伐とした奇妙な世界では、清涼剤は大切だ。
爽やかな光景のはずなのに、二人の手にある斧が、その爽やかさを完全にぶち壊していた。
アリスの視線は斧へと向けられた。
二人の持つ斧が、光を反射して鋭く光る。
ディーとダムが常に持っている斧は、彼らの身長よりも大きい。見るからに重そうだ。
それを片手で軽々とぶん回すのだから、さすが男の子だなあ、といつも妙に感心してしまう。
ディーとダムは少年らしい華奢な体躯をしているが、ひ弱さは全く感じさせない。
だからだろうか、武器と比べて二人が見劣りすると感じたことはない。
不思議と、ちゃんと釣り合いが取れているのだ。
(本当、斧さえなかったらいいのに)
けれど、丸腰で居ろとは流石にいえない。
ディーとダムは危険な仕事をしている。
丸腰で居れば、最悪の事態を招く可能性だってある。
そんな事になるぐらいなら、物騒でも何でも武器を携帯してくれている方が遥かにましだ。
たとえ、斧つきで飛びつかれようとも。
風は涼しくて、緑は目に眩しくて、アリスはほっとする。
景色に負けないぐらいに、二人の笑顔も輝いて見える。
まるで、完成された一枚の絵のようだ。
物騒な斧なんて些細なことだ。
和やかな気分のまま、アリスはその場で双子の到着を待った。
きっといつものように、思い切り抱きつかれる。
そうして次は、仕事なんかやめた、一緒に遊ぼうよ、とくるのだ。
本当はいけないことなのに、彼らがとても可愛いからいつも許してしまう。
今日もきっとそうくるに違いない、と踏んでいたのだが。
抱きつかれたところまでは、同じだった。
だが、彼の口から飛び出てきた言葉に、アリスは言葉を失った。
「ねぇねぇ、お姉さん! 殺したい奴いない?」
「……」
にこにこと上機嫌な様子のディーとダム。
アリスは驚いて、目を瞬かせた。
(え? ええ?)
アリスは一瞬思考を停止させた後、言われた言葉を思い出そうとした。
記憶が飛んだのだろうか、言われた言葉をなかなか思い出すことができない。
確か、殺したい奴がいるかどうかを尋ねられたような気がする。
(空耳? 今、ディーに……とんでもないことを言われたような)
二人の様子を見ても、いつもと何ら変わりない。
それこそ、実は「今日は何して遊ぶ?」と言われていたのだとしても、全く違和感がないくらいだ。
全く同じ調子で「誰か殺したいか?」と口にしたとは到底思えない。
まさか、会ってすぐにそんな物騒なことを言う筈がないだろう。
自分が聞き間違いをしたのか。
そんな気がする。そうだ、きっとそうに違いない。
そう思ったアリスは、若干の期待を込めてディーに聞き返した。
「えっと、ごめん。今、なんて?」
「殺したいほど嫌いな奴だよ。いない? 一人くらい、いるでしょ?」
ディーは事も無げに言う。
何かを期待する目で見上げられ、アリスの混乱は深まった。
突然何を言い出すのだ、この二人は。
割といつも唐突ではあるのだが、今回のは特に強烈だった。
二人は屈託のない笑顔のまま、アリスにじわじわと迫り寄る。
脅されているような錯覚が、アリスを襲った。
二人はこんなに笑顔なのに、何故そう思ったのだろう。
「僕らが殺してきてあげるよ、お姉さん」
「うん。さくさくーっと殺してきてあげる。教えて教えて、お姉さん」
「え、ちょ、ちょっと待って、何を言ってるの?」
ようやく立ち直ったアリスは、たまらずに口を挟んだ。
ここいらで一度流れを止めておかねば、軌道修正ができなくなる。
ディーとダムはきょとんとして、首を傾げた。
「え、どうかした? お姉さん」
「お姉さん、僕ら、変なこと言った?」
「言ったわよ。……あ、いやいや、あのねっ! 突然そんなこと言われても、どんな顔をしたらいいかわからないわ。どうしてそんな事を聞くの?」
しゅんと悲しそうな顔になる二人を見て、アリスは早口で付け加えた。
アリスの周りには、人の話を聞かない上に、割と突飛なことを考える人が多い。
多いというか、ほとんどが該当する。
その中には勿論、ディーとダムも含まれている。
もしかすると筆頭かもしれない。
一体どういう考えでその結論に辿り着いたのか、ちゃんと説明して欲しい。
それはけして我侭なお願いではない筈だ。
アリスの問いに、ディーとダムはこっくりと頷く。
二人は、アリスの言う事ならすぐに聞き入れてくれる。
彼らのその素直さが、アリスの目を曇らせてくれるのだ。
ディーとダムは大人びた子だが、年相応に子供らしい面もある。
だからアリスは、どんな残酷な面を見たとしても、彼らを優しくて素直ないい子だと思うことができる。
「だって、お姉さんが嫌いな奴を殺せば、お姉さんは喜ぶでしょう?」
「そうしたら、僕らの事をもっと好きになってくれるでしょう?」
ディーとダムは交互に言いながら、可愛らしく見上げてくる。
この仕草にアリスは弱い。
なんという短絡思考だ、とアリスは絶句した。
それに、自分は誰かを殺してもらって喜ぶような女の子に見えるのか。
そっちの方がショックだった。
ディーとダムは、じーっとアリスの目を見つめながら、切々と語りかける。
「兄弟と二人で考えたんだよ、お姉さん」
「そうそう、二人で考えたんだ。お姉さんを喜ばせてあげよう、って」
「な、なんで?」
二人の気遣ってくれる気持ちは、嬉しいと思う。
その気持ちだけで十分だ。十分過ぎてお釣りがくる。
アリスが思わず聞き返すと、ディーとダムは胸を張って自信たっぷりに答えた。
「決まってるじゃない。お姉さんが好きだからだよ」
好きだから、アリスの為ならこの手を血に染めることも厭わない、等と言うつもりだろうか。
もともと彼らの手は血に染まっているという事実はさておき、そういう理由ならば、アリスの心は逆に冷える。
一見、格好良さそうな動機にも見えるが、一人よがりで勝手なものだ。
理由を押しつけられる側にとっては、ただ迷惑なだけである。
けれど、ディーとダムの言葉はそこでは終わらなかった。
「本当はそれだけじゃなくて、お姉さんにも、僕らのこと好きになって欲しいんだ」
「僕らはお姉さんのこと、好きだよ。でも最近、それだけじゃ足りなくて」
アリスは言葉に詰まった。
ディーとダムが持ち前の少年らしさを消して、大人びた顔を見せる。
表情に、アリスにじゃれついてくるいつもの無邪気さはない。
紛れもなく、今、彼らは男の顔をしていた。
彼らの視線の底にある熱を感じ取り、アリスはドキリとして俯いた。
(青い色でも、熱い青ってあるのね)
アリスは見当違いのことをわざと考えて、移りそうになる熱を抑えようとした。
ディーの涼やかな青い瞳は、今は何だか熱っぽい。
ダムの鮮やかな赤い瞳も、熱をひたすらに増して炎のようだ。
彼らの表情が再び少年らしさを取り戻していくのを確認して、アリスは密やかに安堵した。
「でも、僕らを好きになってもらうには、ただ待ってるだけじゃいけない」
「うん、行動あるのみだよ。僕らって男らしいよねー兄弟」
「そうだね、兄弟。対価もなしに動くのは、お姉さんの為だけだよ」
アリスが言葉を挟む隙もなく、二人はどんどんやり取りを続けていく。
アリスは、置いてけぼりな気分をたっぷり味わうことになった。
自分の存在を忘れられている気がしてならない。
「僕だってそうさ! お姉さんが僕らを好きになってくれるなら、労働なんて何でもないよ」
「うん、タダ働きでもいいよ。それ以上に価値があるよね」
二人のやり取りが途切れる。やっとひと段落ついたようだ。
アリスは深呼吸をした。
ずきずきと頭に響きだした痛みを、なんとか抑え込む。
悪くない、この子達は悪くないんだ、と自分に言い聞かせる。
そう、何が悪いかと言うと、彼らをこんな風に育てた周りの大人が悪い。
「……ディー」
「はいはーい、なに? お姉さん」
「ダム……」
「はーい。なになに? お姉さん」
いい返事だ。
何となく毒気が抜かれてしまった。
本当に、とアリスの口から溜息が零れては消えた。
「あんたたちって……ホントに」
ぶっ飛んでるわね、と言いかけて、アリスは口を閉じた。
この世界でのアリスの常識は、彼らの常識とは違う。
だから、彼らから見れば、アリスの思考の方が飛んでいるのかもしれない。
浮かんだ文句は心に留めておくことにした。
「……ありがとう、二人で考えてくれたのね」
代わりに、アリスは二人に礼を告げた。
彼らのその気持ちだけは受け取っておこうと思う。
だから、行動の方は、謹んで辞退させて貰いたい。
ディーとダムは得意げな顔になった。
少年らしい無邪気な笑顔だが、今のアリスの胸にはただ痛い。
「うん! そうなんだよ、お姉さん」
「で、誰かいるでしょ? 殺したい奴」
ねぇ、と詰め寄られて、アリスはたじろいだ。
期待に満ち満ちた目が、ちょっと怖い。何をそんなに期待されているのだろう。
(ここで、私よ、なんて冗談言ったらまずいわよね。さすがに)
冗談は通じそうにない。
彼らは本当に実行しかねない。
ほのぼの路線からスプラッタ路線への転向は、御免被りたい。
アリスは溜息をついた。
本日何度目の溜息になるだろうか。
彼らの期待を裏切って悪いが、殺して欲しいほど憎い人など、この世界には居やしない。
居るとするならば、他ならぬアリス自身だ。
自殺願望はないが。アリスは軽く首を横に振った。
「いないわよ。みんな優しいもの」
「え」
「えー」
ディーとダムは心底残念そうな声を出した。
納得がいかないと言わんばかりに口を尖らせる。
アリスは苦笑した。
大抵のことなら許してしまうのだが、こればっかりは答えを変えることはできない。
「不満そうにしないの。私、幸せなの。だから、誰も殺さなくっていいわ」
アリスが頼めば、意気揚々と二人が殺しに行く。
なんて悪夢だ。
そんなことになったら、きっと悩みすぎて死んでしまう。
ディーとダムは、そんなに自分を悩ませたいのか。
実は嫌われているのだろうか、とアリスは内心、頭を抱えた。
ディーとダムの視線が、ひやりと冷たくなった。
顔は笑ったままなのだが、ちょっと目が怖い。
ぎらり、という効果音がよく似合いそうだ。
「……誰に?」
「ん?」
「誰に優しくしてもらってるの?」
「誰々? 教えてよ、お姉さん」
妙に低くなった彼ら声音を聞いて、アリスの胸は不安を覚えた。
何故、二人して機嫌が悪くなっているのだろう。
変な回答はしていないと思うのだが、周囲の温度はすっかり氷点下だ。
陽気な陽だまりにいるというのに、この寒気はどうしたことだ。首筋がちりちりする。
アリスは努めて平静を装った。
「誰って……皆よ。メイドさんたちも皆、親切だし。ブラッドは、まぁ……アレだけど、まだ無害だし。エリオットはにんじん一色だけど、何かと気を使ってくれるし」
「……」
アリスが指を折りながら列挙していくと、ディーとダムはすごく複雑そうな顔になった。
口元からも、すっかり笑みが消えている。
(あら、更に不機嫌になった?)
まだ大事な部分を言っていないのに、とアリスは迷った。
これから先が肝心の、伝えたい部分なのだ。
流れでサラッと言ってしまいたかったのに、妙に恥ずかしくなってしまったではないか。
だが、ちゃんと最後まで言わなければならないだろう。ここで止めても良い事は何もない。
アリスは口元を隠すように手をあてた。
恥ずかしい時、視線はいつも逸らし気味になる。
「……あと、優しいディーとダムもいるし、ね?」
「!」
ディーとダムは、弾かれたようにぱっと顔を上げた。
アリスの些細な反応も見逃してなるものか、と真剣な眼差しをしている。
自分が仕掛けた事とはいえ、アリスはたじろいだ。
そんなキラキラした目で私を見ないで欲しい。
悪いことはしていないはずなのに、何だかいたたまれなってくる。
恥ずかしい事を言ったという自覚があるせいか、頬が熱くなってきた。
アリスは優しい口調で、もう一度二人に言った。
諭すように、言い聞かせるように、優しく丁寧に。
「二人とも、私に優しくしてくれるんでしょう? だったら、十分恵まれているわ」
「勿論だよ、お姉さん!」
二人は慌てて首を縦に振った。
ぎゅーっと腕を掴まれる。ちょっと痛い。
「僕ら、お姉さんに優しくする!」
「うん、優しくするよ! 守ってあげるからね、お姉さん」
「あ、ありがとう。守ってくれるの?」
「うん、当たり前だよ! お姉さんを苛める奴がいたら細切れにしてやるもの! ねぇ、兄弟?」
「勿論だとも、兄弟。お姉さんの敵は、粉々にしてあげる!」
細切れにはしなくていい。
粉々にもしなくていい。
張り切る二人を見ると、口には出せなかった。
周囲の氷点下のような雰囲気が霧散して、密かにアリスは安堵する。
(うん、ちょっと思考がぶっ飛んでるだけで、悪い子じゃないわ。かなり斜め上だけど)
斜め上すぎて面食らってしまうことが多々ある。
けれど、アリスの事を考えてくれたには違いない。かなり方向がずれにずれているが。
それでも、その一点だけで十分に嬉しいと思う。
自分はとても恵まれている、と自信を持って言うことができる。
ディーとダムが、不思議そうな顔でアリスを見上げていた。
何か言いたそうにも見える。
彼らの視線に気づいたアリスは、首を傾げた。どうしたのだろう。
ディーとダムは口を揃えて、アリスに問いかけた。
「僕たちが優しいと、お姉さんは嬉しいの?」
「僕たちが優しいから、嬉しいの?」
「ええ、嬉しいわ」
何だ、そんな事か。
アリスは微笑んだ。
そんなの、嬉しいに決まっている。
他の誰よりも、ディーとダムが優しいことが、アリスには嬉しい。
ディーとダムはアリスが言った意味を消化しているのか、しばらくの間、黙り込んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。念押しするように、アリスをじっと見つめている。
「お姉さんは、僕たちに優しくされるのが一番嬉しいの?」
「お姉さんは、僕たちに優しくされたいの? 誰よりも?」
「ええ、そうね」
「それって、僕たちのことが好きってことだよね?」
「ええ、好」
誘導されかけて、慌ててアリスは口を閉じた。
だが、今回はちょっとばかり遅かったようだ。
ディーとダムは飛び上がってはしゃいでいる。
「やったぁ! 好きになって貰えたよ! 兄弟!」
「嬉しいな。お姉さん、僕たちのこと好きなんだね!」
嬉しそうに言いながら、ディーとダムは勢いよくアリスを抱きついた。
こういう時ぐらい、斧は勘弁して欲しい。うっかり斬られそうだ。
とはいっても、一度たりともそんなことはなかったが。
いつだって彼らは斧つきで全力なのに、アリスの体はかすり傷ひとつ負うことがない。
そこら辺は一応注意してくれてはいるらしいが、微妙な気分だ。
気を使ってくれるなら、もう少し別の事を注意して欲しい。
彼らの愛情は留まるところを知らない。
頬をすり寄せられ、アリスは赤面した。
彼らとの距離が近すぎて戸惑う。
ついでに、斧とも近い。
ドキドキはしたが、これは恋愛のドキドキではないかもしれない。
「お姉さん大好きー!」
「僕も僕もー好き好きー!」
「ちょ、ちょっと待って! す、好きだなんて言ってな」
いわよ、と続けようとして、アリスは言葉に詰まった。
ディーとダムが、みるみる悲しそうな顔になるのを目の当たりにしてしまった。何も言えなくなる。
時々、この双子はずるすぎる。
大人びた言動や行動をするのに、子供の特権を使うことを忘れない。
彼らにそんな顔をされるくらいなら、とアリスはいつだって、二人を押し返すことができないのだ。
「お姉さん、僕たちのこと嫌いなの?」
「え」
「好きだって言って、お姉さん」
「……」
嘆願するような声で囁かれる。
二人の目が潤んでくるのを見て、アリスはぎょっとした。
ものすごい悪者になった気分だ。
傍から見れば、アリスが苛めているようにも見えるではないか。
アリスの額から、冷や汗が流れ落ちる。
こんな唐突に詰めがくるなんて、思ってもみなかった。
心の準備がまだ出来ていないのに。
(でも、そんな趣味なんて、私)
年下の男の子。
しかも少年と言っていい年齢の子。犯罪だ。
犯罪、犯罪、と頭の中がぐるぐる回る。
冷や汗がまた一筋、背中を流れ落ちていく。
持ち前の冷静さは、今にも失われそうだった。
こんな時こそ冷静でいなければならないのに、とアリスは歯噛みする。
冷静さを保つことは、どうも無理そうだ。
(まだ二人とも子供だから、私のことが好きだって言えるの。大きくなったら、私なんて、きっと)
捨てられる。
崖から突き落とされるような感覚が、アリスを襲った。
あんな思いは二度と御免だ。けれど。
理性がそうやかましく叫んでいるのに、アリスの口から出たのは正反対の言葉だった。
「好きよ」
===== あとがき ===
2008年8月発行『ぼくらのおねえさん』より。
そろそろ詰めにかかってきました。