ある晴れた日の
結局、気がついた時には、ディーとダムの自室の扉前に立っていた。
(やられた……)
アリスは肩を落として、がっくりと項垂れた。
いつもこんな風に、アリスが嫌だと言っても結局は言いくるめられ――半分は力任せに、ずるずる引きずっていかれてしまう。
そのくせ、本当に嫌な時はあっさりと退いてくれる。
アリスは、守るように隣に立つディーとダムを見た。
ディーとダムは本当に子供なのか疑わしい、と思うことが最近ままある。
(実は、誰よりも年上だったりしてね)
我ながら笑えない冗談だ。
アリスの頬は引きつった。
そんなアリスとは正反対に、ディーとダムはにこにこと上機嫌だ。
ダムがゆっくりとドアノブを回し、扉を開く。キイ、と金具の軋む音がした。
「ここだよ、お姉さん。ここが僕たちの部屋!」
「どうぞー入って入って、お姉さん」
にっこり笑って部屋へ誘う双子は、可愛らしくも紳士的だ。一見は、だが。
アリスは迷った。
入るべきか、逃げるべきか。
(ここで拒んでも、大人げないわよね)
たとえ逃げたとしても、追いかけられるだけだ。斧つきで。
ホラーな主人公には、できるだけなりたくない。
まんまとしてやられた感はあるが、ここで駄々をこねる訳にもいかなかった。
年上としてどうかと思われる。彼らの前では、ちゃんとした『お姉さん』でありたかった。
(ああもう、見栄っ張りなんだから)
我が性格ながら、若干恨めしくなってきた。
もともと自分の性格が好きではないが、常よりも更に嫌いになってきた。
アリスは覚悟を決めると、恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。
一歩踏み入れたところで、アリスの足は完全に止まった。
言葉を失い、ただ呆然と部屋を眺め見る。
後ろから、ディーとダムの暢気な声が聞こえてきた。
「部屋に人を招くのって、初めてだよね? 兄弟」
「うんうん、緊張するね。どう、お姉さん。僕らの部屋、かっこいいでしょ?」
「……」
部屋を見れば、その人の人となりが類推できるというが、これはまた何とも。
この部屋から発せられるメッセージは『危険』の二文字だけだ。
これが二人の本質だとは思いたくない。
いや、薄々気づいてはいるのだが、こんなにはっきりと見せつけないで欲しい。もう少し夢をみていたい。
「……あれって、本物?」
アリスは、オブジェのひとつを指差しながら言った。
天井から吊り下げられている、鎌のようなもの。机の上に散らばるナイフの数々。
その全てに妙なギラギラ感があるが、本物だとは思いたくない。
アリスの問いかけに、ディーとダムは誇らしげに頷いた。
「もちろんだよ。偽物を使うなんてかっこ悪いじゃない」
「だよねー。あ、そうだ。お姉さんに、僕らのコレクション見せてあげるよ!」
「……とりあえず、着替えなさい」
もう反論する気力も沸かなかった。
アリスは痛む頭を抑えながら、やっとのことでそれだけを言った。
二人が素直に着替えている間、アリスは己の認識を改めた。
可愛いだけでない、怖い子供達だ。
そう、うっかり忘れてしまいそうだったが、この子達はマフィアだ。
彼らは、害する側の人間だ。
アリスだって、今は懐いてくれているが、出会った時は初対面で斬り殺されそうになったのに。
その事実も、できるだけ目を逸らして遠ざけていたのに、とアリスは溜息をついた。
忘れていたいのに、そう都合よくはいかないらしい。
(空恐ろしいわよね……)
この年で、こんなにも完成された残酷さを持っているなんて。
もっとも、一番恐ろしいのは、理解した上で、そんな彼らの部屋にいる自分だけれど。
「お姉さん、着替えたよ!」
「僕も着替えた! 僕らいい子でしょう? 褒めて褒めてー」
ディーとダムは、勢いよくアリスに飛びついた。
力いっぱい飛びつかれて、そのまま三人でベッドに倒れこむ。
子供とはいえ、少年二人分の全力は、アリスにとって非常にきつい。
きついが、年上のプライドにかけて、弱音は吐かない。
「ええ、いい子ね」
アリスは抱き止めてやりながら、二人に向かって微笑んだ。
こうしてアリスが褒めてやると、ディーとダムは本当に嬉しそうに笑う。
それを可愛いと思ってしまう自分は、末期なのだろう。
こんなつまらない自分を、何故だか好きだと言ってくれる不思議な子。
ディーとダムは客観的に見ても、とても可愛い外見をしている。
大人になれば、きっとかっこよくなるだろう。こうして懐かれていて、悪い気はしない。
(可愛いわ……ディーもダムも、綺麗な子よねー)
大きな目に柔らかい髪。
目鼻立ちも整っているし、どこからどう見ても軽く標準以上だと思う。
(可愛い……っ!?)
ふんわりと鼻腔をくすぐる血の香りが、アリスを動揺させた。嫌な動悸がする。
アリスの動揺をすぐさま察知したディーとダムに、顔を覗き込まれた。
本当に、彼らは何て鋭いのだろう。
動揺を隠すタイミングを逸してしまい、アリスは苦笑いを浮かべた。
「二人とも、まだ顔についてるじゃない。拭いてあげるから、ちょっと待ってて」
アリスは体を起こすと、足早に洗面所へ向かった。
棚から一枚、タオルを拝借する。そのタオルに水を含ませて、固く絞る。
アリスが二人のところへ戻ると、彼らは座って待っていた。
濡らしたタオルで、髪や顔についた赤を拭ってやる。双子は嬉しそうに、大人しく拭われていた。
すっかり綺麗になると、アリスは洗面台に立ち、タオルを洗い始めた。
赤い血が水に滲んで薄まり、流れて消えていく。
小さな渦を巻いて流れゆくそれを見つめながら、アリスは安心した。
よかった。これでなかったことにできる。
見ない振りができる。
「お姉さん」
「お姉さん」
「なに?」
背を向けたまま、アリスは生返事をした。
もう少し丁寧に洗っておかないと、染みになってしまう。
(まぁ、染みなんて残らないんだろうけど、一応ね)
時間が経てば綺麗になる。
この世界はそれが当たり前だ。ただ、動揺を鎮める時間が欲しかった。
石鹸の良い香りが、みるみるうちに血の香を包み込んでゆく。
泡の柔らかい手触りが心地よくて、アリスは息を吐いた。
差し詰め私はこの染みで、ディーとダムは石鹸か。泡のように包まれて、守られ隠される。
そのまま洗い続けていると、腰に衝撃を感じた。
反射的に振り返ると、ディーとダムがまとわりついている。
二人の真剣な視線とかち合い、アリスは戸惑った。
「僕らのこと、嫌い? 怖い?」
「え?」
あまりに唐突にそう問われたものだから、アリスは一瞬、理解が遅れた。
(……なんで?)
今まで散々残酷な面を見せつけておいて、今更という感があるのは確かだ。
アリスが血や暴力沙汰を嫌っているのは、見てわかるだろう。
それは流石に、彼らも気づいているはずだ。
アリスは惜しみなく態度に出している。
もしも気づいていないのなら、それはそれで鈍すぎる。
では、ディーとダムは何を問いかけているのだろう。
血も暴力も全てひっくるめて、ディーとダムが嫌いか、と?
だが、彼らを嫌ってなんかいるはずもない。
聞きたいことは、本当にそれだけなのだろうか。
彼らの言葉の裏を読もうとして、アリスは考え込んだ。
この二人、狡猾さではアリスの遥か上をいっているので、頭あれこれ考えても無駄な気がする。
(じゃあ、考えても意味ないわよね)
アリスはさっさと思考を中断した。
唯一つ言える事は、下手な誤魔化しは通用しそうにないということ。
アリスは、茶化して流してしまいたい衝動にかられた。
だが、真剣な思いには、真剣に返さなければならない。
アリスはそれが苦手なのだが、それが礼儀だということは知っている。
(この子達を傷つけたくないわ)
流せば、二人はきっと傷つく。
なら、苦手だ何だと言い訳をして、逃げるわけにはいかない。アリスは腹をくくった。
「ちょっと待っててくれる? これ、きちんと洗っちゃうから」
二人は同時に頷くと、身を離して大人しく言葉を待った。
アリスはタオルをきゅっと絞ると、ていねいに広げて台にかけた
。
そして、ディーとダムに真正面から向き合う。視線で答えを促される。
「えーっと……さっきは、ちょっと怖かったわ。私、あんまり流血沙汰には慣れてないの。慣れてないというか、好きじゃないというか……」
耳障りに響く銃声と金属音。
血糊べったりでニコニコ笑う子供。
ホラー以外の何物でもなかった。
怖くないなんて嘘だ。
嘘をついたとしても、この子達はすぐ見抜いてしまう。
けれど、この子達自体が怖い――嫌いなわけではない。
そこは、きちんと言っておかねばなるまい。
理解してくれるまで、何度だって言ってみせる。
「それより、二人がもし怪我したらどうしよう、って。そっちの方が怖かった。貴方達が強いことは知ってるけど、万が一ってこともあるでしょう?」
彼らは危険なことなんて慣れっこだろうが、見てるこっちはハラハラしっぱなしで、寿命が縮まるかと思った。
きっと、何度見ても慣れることはないだろう。
殺し合い自体を止めて欲しい、とさえ思う。
だが、二人がもし怪我でもして、痛そうな顔をして……そうしたら、きっと自分は相手を許さないだろう。
(自分勝手よね)
自覚はある。
胸を張って言えることではないが、この姿勢を変えるつもりは毛頭ない。
そこが自分の悪いところの、最たる部分だ。
「あとね」
アリスは言いよどんだ。
こういうことを口に出すのは、正直すごく恥ずかしい。
アリスの苦手な分野だ。好意を示すことも、示されることも、未だに慣れない。
「お姉さん?」
黙り込んだアリスを見て、ディーとダムが不安そうな顔を見せる。
ああ、駄目だ。
この子達にこんな顔をさせてはいけない。
「あとね……二人の事が、その、好きだから。嫌いになんてならないわよ」
殺人鬼だろうが、もう何だってかまわない。
だって、私には特別優しくしてくれる。
(もういいわ、末期でもなんでも)
この子達が好きだから。
そう頭の中でうっかり続けてしまい、アリスは盛大に照れた。
(いやいやいやいや、弟としてよ、弟として……可愛い弟ができたみたいで)
誰に対してこんなに必死に弁解しているのかわからないが、好きだという言葉が浮かんだ時、アリスの胸は確かに高鳴った。
その事に、アリスは身震いする。
弟のようなものだ。
子供だ。
異性として好きだなんて、ちらとでも思ってはいけない。
(だって、ねぇ)
恋愛なんてものは、自分には必要ないのだ。
できれば永遠に遠ざかっていたい。
傷つくのは嫌だった。
何よりその相手が、ひょっとすると、この二人だなんて。
(犯罪よ、犯罪。ショタコンだったっけ、私)
まさか自分がこんな事に悩む日がくるなんて、とアリスは小さく嘆息した。
今のところはまだ、理性が感情に打ち勝ってくれている。
そう、私は彼らの『お姉さん』なんだから。
そうやって壁を無理矢理作って、閉じこもる。
この壁はまだ崩れないから大丈夫だ、と強引に安心する。
時間が経てば経つほど、彼らの好意は惜しみなく上乗せされていく。
それが意味を変えることを何よりも恐れ、アリスはまたせっせと壁を高くする。
まだ大丈夫、とアリスは自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
ディーとダムの、アリスを抱きしめている手に力がこもった。
「お姉さん、大好き!」
「僕も僕も。好き好きー」
「うん、ありがとう……って、い、痛いわよ! ちょっと!」
アリスは照れ隠し半分、本気半分で慌ててそう言った。
好きだと連呼され、するすると心がほどかれていく。そうして、もっともっと包まれていく。
「お姉さん、もっと僕らのこと好きになってね」
「お姉さんに好かれるなら、僕ら何でもするから」
真剣な顔でそう言われ、アリスの胸がきゅっと詰まる。
アリスは、思わず二人を強く抱きしめ返していた。
(信じてもいいの?)
この優しくて酷い夢の中で、この子達を。
頭の中で、警告音が鳴り響く。
それを無視しようかするまいか悩み、アリスは瞳を閉じた。
いつかきっと、自分は元の世界に戻る。
それは最初から決まったことだ。夢なのだから。
戻ると固く思っていたのに、今は少し揺らぐ。
いつか、目覚める。
だから、優しい夢など見ない方がいいのに。
(帰ってしまったら……そうしたら、ディーもダムも、私のことなんか忘れるのかしら)
それは嫌だな、とアリスはぼんやり考えた。
ぎゅっと抱きつかれていて、二人の表情はアリスからは見ることができない。
彼らの目が残酷な光を灯すのを、アリスは気づくことができなかった。
『まだ駄目かな』
『まだ駄目だよ』
ディーとダムは、静かに目配せしあう。
二人は妖しい陰りをすっかり消してしまうと、同時に微笑んだ。
「お姉さんお姉さん、今日は何をして遊ぼうか?」
三人でたっぷり遊んで、時間帯が二回ほど変わった頃。
ようやくアリスは双子から解放された。
アリスを送った帰り道、ディーがダムに話しかける。
「ねぇ、兄弟」
「なんだい、兄弟」
これから再び仕事だ。
そう思うと、自然に足取りも重くなる。
このままサボってしまいたいが、アリスに『仕事はちゃんとしないと駄目よ』と言われた手前、サボるわけにもいかない。
自分達は誠実なふたりだから。
けれど、アリスは口ではそう言いながらも、実際に仕事を放棄して遊ぶ双子をきつく咎めたことはない。
アリスのそんな矛盾したところも、二人は好きだ。
それに、二人がちゃんと仕事をしたら、きっとアリスは褒めてくれる。
それが楽しみだから、退屈な仕事でも我慢して行かなくてはならない。
「さっき、お姉さんが嫌いって言ったらさ」
「うん」
口元は微笑んだまま、二人の目が冷たい輝きを帯びていく。
「殺してしまおうかと思ったんだ。でも、待った方がいいよね? 兄弟」
「そうだね。もう少し待ってみようか、兄弟」
逃がさないようにね。
言葉に出さず、視線だけで語り合う。
どうしたって手に入らないのなら、誰かの物になるくらいなら、殺して手元に置いておく方がきっと良い。
特別に、一番いい場所に飾ってあげよう。
「僕たちって優しいよね」
「うんうん。僕たちは優しいよ。稀に見るいい子だよね」
「そうだね、兄弟」
可愛いアリス。
余所者の女の子。
特別で不思議な女の子。
今は、二人にとって、更に別の意味を負っている。
アリスが自分達に与える揺らぎが何なのか、実はまだよくわかっていない。
けれど、その揺らぎがけして嫌ではない。
むしろ不思議に温かく、未知なる感情が沸き起こるから、二人はどうしてもそれを手に入れたいと願う。
もどかしくて、叩き壊してしまいたい葛藤と戦いながら。
アリスの胸にあるという心臓を、この目で見てみたい。
この手で直に触ってみたい。
そして、力を込めて握りつぶしてしまいたい。
アリスの血は、きっと誰よりも綺麗だ。
たったひとつだけの、アリスの心臓が欲しい。
そんな甘い誘惑にも、今のところは勝っている。
加減のわからない子供の手にかかれば、あっさりと壊れてしまうだろう。
玩具だって、今までに何度も壊してきた。
だが、玩具は修理できるけれど、アリスは壊れたら最後、二度と元には戻らない。
余所者とはそういうものらしい。
代わりのきかない、という時点で、アリスは特別な一人だ。
だから壊してしまわないように、慎重に事を進めなくてはならない。
慎重に慎重を重ねるくらいが、多分ちょうどいい。
特別な人に、特別に好きになってもらえたなら。
それだけで、自分達の存在する意味ができる。
ただ意味が欲しいから、アリスを好きになったわけではないけれど。
無意味なものばかりが溢れるこの世界に、たくさんの意味を与えてくれる人。
だから、世界はアリスを大事にする。
この世界で大事にされる。
アリスの知り合い。アリスの友達。アリスの恋人。
どれをとっても、特別なものだ。
そうしていつか、自分達がアリスにとっての意味になれるなら、それはとてもとても幸せなことだ。
無意味なものしかない世界で、意味のある存在になれるのだから。
顔なしは論外だが、役持ちにすら代わりはいる。
代わりがいるということは、世界にとって、この役割はディーとダムじゃなくてもいいということだ。
世界が回るならば、誰だっていい。もしディーとダムが死んでしまったら、すぐに次が現れる。すなわち、無意味。
無意味と知りながら、誰もゲームからは降りられない。
そうやって、今日もこの狂った世界は回っていく。
進んで死にたいとは思わないが、必ず生きていたいほどの執着はない。
ぼんやりした手ごたえしかないまま、日々を過ごしていく。
いつか誰か他の役持ちが、彼らの時計を止めるまでは。
今まではそんな風だったのだが、これからは違う。
今はアリスがいる。
アリスがいるのなら、まだ世界を手放したくはない。きっと誰もがそう思っていることだろう。
「難しいな」
ディーの呟きに、ダムは頷いて肯定した。
本当に、さじ加減が難しい。
「兄弟、もう少しさ」
ダムがそう呟くと、今度はディーが頷いた。
そう、もう少しだ。
お姉さんが、もっともっとはまり込んで抜け出せなくなる、その時まで。
元の世界なんか忘れて、自分達のいる世界を選んでくれる日がくるまで。
二人は、息を潜めてじっとアリスを見守っている。
もしもアリスが自分達の世界を選ぶことは絶対にない、とわかった瞬間、彼らは斧を振り上げるだろう。
元の世界に帰らせてあげる、という選択肢は二人にはない。
ならば、自分達の手にかかって死んで欲しい。そうして、きっといつまでもアリスを大事にするのだ。
「ねぇ、兄弟」
「なんだい?」
ディーが振り返って、ダムを見る。空は高く、ただ青い。
僕も同じ事を考えていたよ、とダムはニヤリと笑ってみせた。
[ ある晴れた日の 了 ]
===== あとがき ===
2008年8月発行『ぼくらのおねえさん』より。
甘いだけではない双子が好きです。
読んでくださってありがとうございました。