可愛いアリス。余所者の女の子。
大事な大事な、僕らのお姉さん。大好きだよ。本当だよ。
なのに、どうしてそんなに怯えた顔をするの? お姉さんを困らせることがあるの?
それなら、僕たちが切り伏せてあげるよ。嬉しいでしょ? だから、そんな顔しないでよ、ねぇ?
あれ、まだ顔色が悪いね。どうして?
ああ、そうか。まだ足りないんだね。大丈夫、もっと斬ってきてあげる。
お姉さんが望むまで、気の済むまで、たくさんの赤をあげるよ。
だから、僕らのこと、もっともっと好きになってよ。
僕らはずっとずっと、お姉さんのことが好きだから。
ああ、アリス。なんて可哀想な女の子。僕らなんかに愛されてさ。
ある晴れた日の
今日も、空は綺麗な青を展開している。
先ほど時間帯が変わったばかりだから、きっとしばらくはこのままだろう。
天気だけを見ると、このハートの国はとても平和的だ。
そんな清々しい空の下、アリスは迷っていた。
声をかけるか否か、体感で十分ぐらいは迷っていたように思う。
たっぷり迷った挙句、アリスは二人に声をかける方を選んだ。
二人に会う為にここまで歩いて来たのだから、そうする他にない。
むしろ、もし引き返したことが後でばれたら、えらい目に逢う。そのことを、経験的にアリスは知っていた。
実は、少し前に到着していたのだが、事態が落ち着くまで待っていたのだ。
アリスがこの場所に辿り着いた時、ちょうど目当ての二人は争いごとに巻き込まれている最中だった。
金属音と、夢にまで出てきそうな高らかな笑い声。
知らない誰かの叫び声と鉄臭いよどんだ空気。
その渦中にいるのはアリスのよく知る顔で、アリスは更に青ざめた。
だが、凡人である自分になす術などあるはずもなく、ただ硬直するしかない。
強張りが解けてアリスが最初にしたことは、背を向けることだった。
手足が僅かに震えているのを知り、座り込みそうになる膝を叱咤する。
(ああ、お願いだから)
アリスはぎゅっと目を閉じた。
無事でいて欲しい。
情けないが、祈ることしかできない。
滅多なことで負けないとはいえ、多勢に無勢――ということもある。
不安に押しつぶされそうになって、アリスは腕をかき抱いた。
加勢なんて天地がひっくり返ってもできっこないし、第一、足手まといになってしまうのは目に見えている。
きっと、彼らだってアリスの加勢など望まないだろう。
目の前の惨劇を視界に入れないようにして、ただひたすら祈りながら、時が経つのを待った。
ただ会いに来ただけなのに、何故こんなことになってしまったのだろう。
くすんで灰色がかっていく心と、透き通るような青い空。
なんて似合わない。
無性に八つ当たりしたくなって、アリスは空を睨みつけた。
しばらくすると、辺りはすっかり静まり返った。
アリスは震える手を押さえ、物陰からそっと様子を覗き見た。
血だまりの中で立っているのは、アリスの知っている可愛い双子だ。
二人の無事な姿を見た途端、アリスの緊張は溶けていく。
溶けたと同時に、そのまま地面に座り込んでしまいそうになった。
声が震えないよう気をつけながら、アリスは二人に向かって声をかけた。
「ディー、ダム」
けして大きな声ではなかったはずだが、二人にはちゃんと届いたらしい。
ぶつぶつと不満そうに毒づいていた双子が振り返り、アリスの姿を見つける。
アリスを見た途端、ディーとダムは無邪気な笑顔を浮かべた。
「お姉さん!」
「お姉さんだ!」
「お姉さんの方から、僕らに会いに来てくれるなんて!」
その笑顔にぞわぞわしたものを感じそうになり、アリスは慌てて芽生えた感覚を遠くの方へ押しやった。
そうして見ない振りをして、片付けてしまう。
きゃっきゃっと嬉しそうにはしゃぐ双子とは対照的に、アリスは固い笑顔を作った。
(歓迎、してくれてるわよね)
ディーとダムは、嫌なものは嫌だとはっきり言うタイプだ。
自分の欲に、羨ましいほど忠実な子供。だから、この態度に嘘はないと思う。
迎えてくれるのは嬉しいが、とアリスはちらりと彼らの足元を見た。
真っ赤な水たまりの中で無造作に転がっている、人だったもの。
その中に、五体満足なものはない。もうピクリとも動かないので、死んでいるのは明らかだった。
二人の斧に付着した赤い液体が、ぽたりと地面に滴り落ちた。
(うっ……)
背筋も凍りつく光景だ。
いいや、見た瞬間に凍りついた。
元来、グロいものとは無縁だった。
だから、耐性なんてものがあるはずもなく。
(……きついよー)
普通の女の子ならば、これだけで卒倒していてもおかしくない。
卒倒しないだけ、自分は図太いということか。
(繊細って柄じゃないんだけど、これはちょっと)
図太いという自覚があるだけに、何だか物悲しくなってきて、アリスは嘆息した。
けれど、倒れるほど繊細ではなく、正視できるほどには図太くはない。この中途半端さが恨めしい。
なるべく視界から遠ざけようと試みるも、目の前の双子自体が血まみれなので、アリスの努力は徒労に終わった。
帽子屋屋敷の門番、ブラッディ・ツインズ。
無邪気で残酷な子供たち。
二人のことが怖くないといえば嘘になるが、それ以上に可愛く思っている。
少なくとも、目の前の光景を、必死になかったことにしようとしているくらいには。
害された者には悪いと思うが、目の前にいる二人の方が自分にとって大事だ。
だから、アリスは目を瞑る。自分も大概イカレている。
(本当、イカレてるわね、私)
ここの住人もぶっ飛んでいるが、自分も人の事が言えない。
殺人を見なかったことにしようとしている自分が、一番怖くて汚い。
(隠そうとしてる私に比べれば、ディーとダムの方が、はっきりしている分いいのかも……いやいや、それもよくない、よくないよ私)
思考の深みにはまり込んでしまったアリスを見上げて、ディーとダムが心配そうに覗き込む。
赤と青の対なる視線にドキリとして、アリスは我に返った。
「どうしたの、お姉さん。顔色がよくないよ?」
「本当だ。真っ青だよ、お姉さん。具合悪い?」
「具合が悪いなら、僕らが看病してあげるよ」
「うん、僕らが看病するよ。だから安心して、お姉さん」
「え。その、えーと」
具合は悪くないが、精神的にいい状態であるとはいえない。
ついでに、ディーとダムの看病は安心できないと思う。
アリスは言葉を濁しながら、ちらりと地面に視線を向けた。
すると、察しの良い二人はすぐに気がついてくれた。賢い子供たちだ。
「ああ、これ? お客さんが来たんだよ」
「まだ来るんだよね、お客さん。回数は少なくなったけど」
「そうそう。最近、また来るようになったんだよ。だるいよね、兄弟」
「うんうん。でも仕事だから、しょうがないよ。兄弟」
「それにしても……死んでからもお姉さんの気分を害するなんて、許せないね、兄弟」
「同感だよ、兄弟。腹立たしいけど、死んでるからどうしようもない。むかつくね」
二人は足元にある体を蹴飛ばしながら、溜息交じりに互いに頷きあっている。
客と名のつく存在を『これ』呼ばわりするのもどうかと思うが、遺体を蹴るという行為に、アリスは慌てふためいた。失礼にも程がある。
「こら、蹴らないのっ! 駄目よ!」
アリスは二人を諌めた。
こういう頼みは素直に聞いてくれる。
双子は蹴るのを止めると、不満そうに口を尖らせた。
「えー。だって、こいつらがお姉さんの気分を悪くさせてるんでしょ?」
「だったら、蹴飛ばされようが切り刻まれようが、文句は言わせないよ。ああ、もう言えないかな」
ククッと邪悪に笑いあう双子を見て、アリスはクラクラと目眩がした。
仮にも客相手にとる態度ではない。
客とは本来、もてなすものではないのか。
彼らの言う意味合いは、全く違うのだろうけれど。
彼らの言う客とは、敵対している者。
そこからの来訪者、または襲撃者。
そういった意味だ。
理解したくはないのだが。
(素直に敵だって言って欲しい)
言葉の意味の違いに、いちいちぎょっとしてしまう。
オブラードに包んでくれているのか、そうでないのかは、わからない。
何事もストレートな子達だ。前者ではないと思う。
それにしても、とアリスは言葉を選びながら、恐る恐る口を開いた。
「敵対している人、だったの?」
「こいつらの事?」
ディーとダムが指差した方向は見ずに、アリスは頷いた。
敵対している相手なら殺しても構わない、とかそういうのではなく、自分が安心する為の理由づけが欲しかった。
この世界では、命が軽すぎる。
命などあってなきようなもの程度にしか思われていない。それこそ、無意味だといわんばかりに。
この世界に来た当初は、こういった認識が違いすぎることに、よくアリスは泣きたくなったものだ。
まぁ、今も慣れてはいないし、これから先も、慣れる予定は全くないのだが。その部分だけは譲れない。
(マフィア同士の抗争とか、そういうのだったのかな)
よくある理由として、真っ先にアリスの頭に浮かんだのがそれだ。
小競り合いはよくあると言っていたし、相手側の奇襲が発端なのだとしたら、ディーとダムは仕事として応戦しただけだ。
先ほど銃の音がしたということは、相手も銃を所持していたに違いない。
ということは、この推測は当たっているかもしれない。
ディーとダムの得物は斧だし、彼らはあまり銃を使わない。
刃物の方が好きなようだ。第一、彼らは直に切り刻む方を好む。
(そうよ、ディーとダムは悪くないわ)
あまり現場を直視したくはないので、アリスは適当に見当をつけた。
理由ができると、開き直ることができる。アリスは強引に結論を出した。我ながら、本当に可愛くない。
あとは、ディーとダムが肯定してくれたら完璧だ。
だが、ディーとダムは血だまりを一瞥した後、あろうことか首を傾げてみせた。
「そうだよ、たぶん」
「うん、たぶんね」
あっけらかんと恐ろしいことを言う双子に、アリスは絶句した。
次いで、顔からみるみる血の気が引いていく。
「ち、違ったらどうするのっ!」
「えー。違わないよー」
「もし違ってたら、謝るよ。ごめんね、って」
「うん、謝る。でも、たぶん間違ってないと思うよ」
ディーとダムの斜め上をいく返答に、アリスはぐったりと肩を落とした。
「あ、謝って済む問題なの?」
言いながら、自分でも馬鹿げた問いだと思った。
彼らが『間違った』ことで失われた命は、もう戻ってはこないのに。
二人の反応に、アリスは少しの期待を寄せていた。
もしかしたら、少しでもしおらしい態度を取ってくれるかしら、という淡い期待。
けれど、双子は簡単に裏切ってくれる。
「うん、だって僕らは子供だもん」
「そうだよ、子供だもん。ちょっとくらい間違っても、許されるよ」
ねー、と言い合う二人は可愛い。
可愛いがちょっと待て、と僅かに残った理性が叫ぶ。
二人があまりにも堂々と言い切るので、ひょっとしたらこっちが間違っているのかもという錯覚を起こさせ、アリスは混乱した。
混乱しかけて、慌てて首を振る。
いやいや、間違ってない。
うっかり流されそうになったが、しっかりしなくては。
どう説明したら伝わるのか頭を悩ませていると、ディーがアリスの腕に絡みついた。
「それよりお姉さん、僕たちに会いに来てくれたんでしょう?」
「わざわざ会いに来てくれたの? お姉さん」
ええ、とアリスが遠慮がちに言うと、二人は顔を輝かせた。
そんなに喜ばなくても、と会いに来ておいて何だが、照れる。
「これは歓迎しなきゃね、兄弟! 仕事なんてほっといてさ」
「勿論だとも、兄弟。お姉さん、一緒に遊ぼうよ!」
毎度のことなのだが、こうも簡単に仕事を放棄するのは如何かと思う。
そう説いたところで、彼らの決断は変わることはない。
だから、アリスはあまりうるさく言わなくなった。一応、軽く聞いておくことにする。
「いいの? 仕事」
口に出して、アリスは後悔した。良い筈がない。
この負担はエリオットが負うのかな、と考えると、ちょっと申し訳ない気になった。
(でも、今日はもう、『仕事』はちゃんとしてるもんね……)
なら、ちょっとだけマシかもしれない。
けれど、この理屈はエリオットには通用しなさそうだ。
ディーとダムは、予想通りの明るい笑顔で頷いた。
「うん、いいんだよ、お姉さん。お姉さんの方が大事だもの」
「そうそう。当たり前だよ、お姉さん。お姉さんより仕事を優先させるなんてこと、あるはずがない」
期待通りの言葉を貰えて、アリスはほっとした。嬉しくなる。
嬉しくなったのだが、視界に暴力的な赤が飛び込んできて、アリスはぎくりと固まった。
「僕たちと遊ぼう。何して遊ぶ? 落とし穴はこの前見せたし、何か見たいものある?」
「兄弟兄弟、見せるのもいいけど、一緒に作るのも面白そうだよ。ねぇ、お姉さん」
「う、うん」
ニコニコと明るく迫る双子に、アリスは後退りしそうになった。
気持ちでは下がりたかったが、なんとかその場で踏みとどまることができた。
(だって、血が……血がっ!)
ディーもダムも血まみれだ。斧も当然。
酷い扱いかもしれないが、それが自分の服につくのはすごく嫌だ。
二人の事は好きだが、それとこれとは話が違う。
ダムは伸ばしかけた手を引っ込めると、アリスの顔をまじまじと見つめた。
「お姉さん、本当に顔色がよくないよ?」
「本当だ。どうしたの? 何か、悩みごとがあるとか? 教えて、お姉さん。僕たちが力になるよ」
「うん。僕ら、お姉さんの力になりたいよ。何を悩んでいるの? 教えて? お姉さん」
二人が本気で心配しているのが判るから、かえってアリスは困ってしまった。
もしかして僕らが何かしたのかな、と不安がる二人に、アリスは遠慮がちに切り出した。
「あのね、ディー、ダム……服とか斧とかに、その、血が」
「え、血?」
「服?」
言われて、ディーとダムは己の服に目を向けた。
見れば、返り血でべっとりと濡れている。
力を込めれば絞れそうなぐらいだ。
いくら時間が経てば綺麗になるとはいえ、見た目が酷いことこの上ない。
「わぁ、すごいことになってるね、兄弟。お姉さん、これは返り血だから、心配しなくてもいいよ」
「本当だ、僕ら真っ赤になってるね。お姉さん、これが嫌なんだ?」
「嫌というか、ちょっと……苦手」
そもそも好きになれるわけがない。
好きになってはいけない気がする。
アリスが控えめにそう返すと、ディーとダムはしばらく考えこんだ。
血が嫌だと思ったこともなかったが、そういうものなのだろうか。
現にアリスは嫌がっているようだ。ならば、ここで取る行動はひとつしかない。
「ふぅん、そっかぁ。お姉さんが苦手なら、着替えなきゃね。兄弟」
「そうだね、兄弟。お姉さんに嫌われるなんて嫌だよ」
「僕だって嫌だ。着替えようよ、兄弟」
自分を気遣ってくれるなんて、なんていい子達なんだろう。
アリスが静かに感動していると、双子はアリスにひとつの提案をした。
「というわけで、お姉さん、僕らの部屋にこない?」
「え」
「そうだよ、お姉さんが僕らの部屋に来ればいいんだ。名案だね。ね、お姉さん」
「お姉さん、僕ら、少しでも長くお姉さんと居たいんだ。一緒にいこうよ」
「そうだよそうだよ。お姉さん、一緒に僕たちの部屋に行こう」
ディーとダムはリズム良く、歌うように交互にアリスを誘い合う。
さぁさぁ、と引っ張っていかれそうになって、アリスは慌てて二人を制止した。
アリスの承諾なしに、そっちで勝手に決定されては困る。
「ちょっと待って。それって、ちょっと……問題じゃない?」
アリスが小さく抗議すると、双子はきょとんとして顔を見合わせた。
「何か問題があるの?」
「あるわよっ!」
アリスが言い返すと、ディーとダムは同時に首を捻った。
こんな時まで動作を同じにしないで欲しい。うっかり可愛さに負けてしまう。
「問題があるんだ……うーん、わからないよ。兄弟はわかる?」
「僕もわからないよ。お姉さん、何が問題なの?」
「教えて教えて、お姉さん。どうしてお姉さんが、僕らの部屋に来たらいけないの?」
「それは」
まだ子供とはいえ、ディーとダムは男の子だ。
男の子の部屋に行くなんて、レディとしてはしたないではないか。そんな事を言わせるつもりか。
(モラルがどうとか、そんな事を言えっていうの? ……げー)
アリスは口ごもると、心の中で毒づいた。
口に出すかどうかすら迷う。
まるで自分が二人のことを特別意識しているみたいではないか。
そんな風に受け取られる可能性は十分にある。そう考えると、言わない方がいい気もしてきた。
自分が気にしすぎなのだろうか。
たとえ言ったところで、理解してもらえるかどうかも怪しい。
変に意識されても、それはそれで困る。
それに、けしていい子だと言えない自分が訴えたところで、説得力があるのかどうか疑問だ。
でも、はしたない女の子だなんて、二人に思われたくないし……そうアリスは激しく葛藤し始めた。
その間にも、アリスは双子に手を取られ、ぐいぐいと引っ張られていく。
===== あとがき ===
2008年8月発行『ぼくらのおねえさん』より。
舞台はハートの国で、短編集形式。
恋人になるまでのお話を、じわじわと。