刻みゆく時の中で
彼らの周囲一帯は、沼のようにどろどろと重い空気が漂っている。
瘴気と形容しても差し支えないほどに、毒々しい空気だった。
不調にも見えるが、寄ると問答無用で斬られそうな雰囲気でもあった為、その日の襲撃者たちは計画を諦めざるを得なかった。
「お姉さん、僕らのこと嫌いになったのかな……」
何度この考えが頭を過ぎっただろうか。口に出すと辛さが倍増する。
じわり、と目じりに涙が滲む。
「別れようって言われるのかな……」
落下は底が見えない。
まるで巨大な石を背負わされているような気分だった。胃の腑あたりが妙に重い。
「お姉さんに、ひよこウサギの方がいい……なんて言われたら、立ち直れないよ、僕」
もし万が一そんな展開になったとしたら、二人はかつてない程にダメージを喰らうだろう。
「僕もだよ、兄弟。ああ、何でひよこウサギなんだろう……まだボスの方がマシだよ」
「うん、ボスの方がマシ。それでも、死ぬほど嫌だけど」
暗い顔のまま、ダムが呟く。
弱音を吐き捨てれば吐き捨てるほど、その想いは二人に重く圧し掛かってきた。
「うん、嫌だ。お姉さんは僕らのものだ。他の誰かになんて、あげたくない」
「僕もだよ。お姉さん、どうしてあんな馬鹿ウサギなんか」
同じようなやり取りを、先ほどから二人で延々と繰り返している。
大きな溜息を同時につくと、気持ちがやや持ち直した。
「整理しようか、兄弟。頭の中がぐちゃぐちゃだよ」
「そうだね、兄弟。こういう時こそ、冷静でいないと」
よどんだ瞳にも、徐々に力が戻る。
そう、きっと問題はあるのだろう。
悩んでいるだけでもいいけれど、いずれ解決しなくてはいけない。
沈んでいるばかりでは前に進めない。
ディーとダムは気を取り直すと、向き合って座りなおした。
「まず、お姉さんは抜け道から出かけた」
「うん。で、ひよこウサギと手を」
言葉を切り、飲み込む。
言いたくない。口に出して認めたくない。
「……つないでた、よね」
「……つないでたね」
やっとのことで口に出したものの、気持ちがずしりと暗くなる。
「……これが僕らの知る事実だ。考えようか、兄弟」
気を取り直して、ダムが背筋を伸ばした。
だらだらと類推していても仕方がないから、同じ悩むなら、きちんと悩もう。ディーも倣う。
「そうだね……。まず、何でお姉さんは抜け道を使ったのか……だけど。僕らが正門にいるのは知ってた筈だから、僕たちを避けるためっていう線が濃厚だと思う」
できるだけ感情を挟まないようにしながら、二人は考える。元来、思考の切り替えは素早い方だ。
「うん。で、何で避けるように出かけなきゃいけなかったか、っていうと……外出を知られたくなかったから、かな」
「それか、もともとひよこウサギと一緒に出かける予定だった……とか。だから、僕たちには知られたくなかった」
こうして並べて推測しあっていると、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
沸騰しそうな感情を力で抑えつけ、冷静に、と己を律する。
「もともと、ウサギと約束してたのかな。でも、お姉さんは隠し事が上手くないよ。そんな素振りはなかったよね?」
言いながら、ディーとダムは、最近のアリスの様子を反芻した。
二人で念入りに考えてみても、そんな予兆は欠片も無かった。
「うん、なかった。だったら、ひよこウサギがお姉さんを誘った、っていう線は?」
「ああ、そうかもしれない。お姉さんは優しいから、つきあってあげただけなのかも」
希望的観測を並べて見たが、しっくりこない。
すぐさま疑問に思ったディーが、首を捻った。
「でも、そうなら、抜け道を使うかな?」
「あいつバカだから、正門から行こうとしたんじゃないかな。で、お姉さんが止めたとか」
ダムは答えながら、小さく息を吐く。
こうして意見を積み重ねていく内に、明らかになったことがある。
「抜け道を使ったのは、お姉さんの意思だね」
ディーは頷いた。そうとしか思えない。
ディーとダムがいる正門を避けたのは、アリスだ。
二人とは顔をあわせたくなかったという事だけは、確実な線だろう。
「……うーん、やっぱりお姉さんに、僕らを避ける意思があったってことか。僕ら、何かしたかな? お姉さんの気を悪くするようなこと」
最近の己の行動を振り返ってみたが、特に思い当たらない。
彼女に対して若干強引な態度は取っているが、それでもアリスは嫌な顔はしていなかった筈だ。
そもそも、本当に彼女が嫌がっていることなのなら、二人はとっくに止めている。
ダムはお手上げ、と首を振った。
「思い当たらないよ、兄弟。お姉さんはいつものお姉さんだった」
アリスの悩み事は、そのまま彼女の顔に出る。
アリスの心情を汲み取ることは、ディーとダムにとって非常に容易いことだ。
胸の時計が、やけにキシキシと軋む音を立てた。
こうして、再び思考は最初に戻る。
「お。あれは」
エリオットは目を細めると、遠くの茂みに目を凝らした。ちらりと見え隠れする、赤と青。
(ガキども、あんなとこに隠れてやがったのか)
エリオットは小さく舌打ちすると、茂みに向かって歩き出した。
仕事のサボりは常習だから、半分諦めている。
だが、アリスを不安にさせたことだけは、許し難い。
「おい、お前ら」
二人の背に向かってエリオットが声をかけると、ややあって、双子はゆっくりと振り向いた。
「……何だよ」
ディーとダムは、不機嫌そうにエリオットを睨みつけてくる。
常ならば気にならないのに、今日は何だかその態度がカチンとときた。
エリオットの目がすっと細められる。自然と声も低くなる。
「……何やってんだ」
「別に。お前には関係ないよ」
ディーは素っ気なく返した。
エリオットは眉間の皺を深くしながら、二人を睨み返した。
「お前ら、アリスを」
言いかけて、エリオットは言葉を切る。
何と言おうとしたのか、自分でもよく分からない。
「アリスに心配かけてんじゃねえよ」
やっとの事でそれだけ言うと、ディーとダムは勢い良く立ち上がった。
「お前なんかに言われなくても、わかってるよっ!」
「は。わかってねーよ、このクソガキ!」
エリオットは銃を取り出すと、二人に突きつけた。
双子も即座に斧を構え、応戦体勢に入る。
「ちょっと!」
いつもならそのまま小競り合いに発展するところだが、今日は勝手が違った。
三人は同時に、声の主へ顔を向けた。
「何してるのよ、あんた達! 止めなさいよ!」
「アリス」
「お姉さん……」
三人の武器を持つ手が、だらりと下がる。
それを見て安心したのか、アリスは大きく息を吐いた。
「もう、危ないことはしないでよ。びっくりして心臓が止まるかと思ったじゃない」
「心臓……」
「……心臓」
止めてしまえば、アリスは自分だけのものに?
ディーとダムの視線が、アリスの左胸に注がれる。
「……ディー? ダム?」
雰囲気がいつもとは違うような――と、アリスが違和感を覚える前に、エリオットが動いていた。
アリスと双子の間に、エリオットが割って入る。
視線だけは注意深く双子へ向けながら、アリスへ短く言葉をかける。
「アリス、退け」
「な、なに?」
エリオットは、戸惑うアリスを強く引っ張ると、その背に隠した。
刹那、刃がギラリと光った。
ディーとダムが、躊躇うことなく斧を振り下ろす。
切っ先は、エリオットの体を掠めた。
深く食い込むとまではいかなかったが、浅くはない。
アリスの頭は真っ白になった。
「……エリオット!」
焦っているアリスは、気がつかなかった。
斧が振り下ろされた位置に居たのは、実はアリスだったことに。
「エリオット、血が……ディー! ダム!」
咎めるように名を呼ぶと、双子は顔を強張らせた。
傷口を手でおさえながら、エリオットは激昂したアリスをなだめる。
「アリス、大丈夫だ。いいから部屋に」
「駄目よ!」
「いいから、部屋に戻れッ!」
強い口調で言いつけると、アリスは目を瞠った。
何故、という視線をエリオットにぶつけると、沈んだ面持ちになり、無言で場を離れる。
「わ、悪い。怒鳴るつもりは……アリス!」
エリオットは慌ててアリスを追いかけようとしたが、眼前にスッと斧が差し込まれた。
刃は、ギラリと凶悪的な光を放っている。
行く手を遮られ、必然的にエリオットの足は止まる。
「ひよこウサギ。お姉さんを泣かせたね」
響くように冷たい声だ。
「許せないな。今日こそ殺してやるよ、馬鹿ウサギ!」
「泣かせるつもりは……って、ちょ、てめえら! 元はといえば、お前らのせいだろうが!」
うっかり流されそうになったが、エリオットは怒鳴って反論した。
「何で僕らのせいなのさ!」
「僕らはお姉さんを泣かせたりしないよ!」
ディーとダムも怒鳴り返す。自然と声が大きくなっていた。
互いの押し問答は、半ば怒鳴りあいとなっていた。
「よく言うぜ。俺が間に入らなきゃ、アリスを殺すつもりだったくせに」
わかったのか、と二人の目が細められる。
口元には嘲笑が浮かんでいた。
「……へえ、ひよこウサギ。庇ったんだ、お姉さんを」
「ウサギの癖に、格好つけちゃって。なに? いいところ見せて、お姉さんに好きになって貰おうってわけ?」
「お前ら」
半ば八つ当たりめいた鬱憤は、目の前の男へ全力でぶつけることに決めた。
ディーとダムの顔から、すうっと笑みが消える。
「ひよこウサギはいらない」
「お姉さんを守るのは僕らなんだよ!」
ディーとダムは、思いっきり斧を振りかぶった。
「わっ!?」
「うわっ、冷てっ!」
二人の斧が振り下ろされることはなかった。
唐突に、多量の水を浴びせかけられたのだ。
注意が互いにしかなかった三人は、まともにくらう形になった。
「……いい加減にしなさいよね」
バケツを手に、アリスが仁王立ちで立っていた。その目尻には涙が滲んでいる。
「お姉さん」
「アリス」
毒気が抜かれてしまった三人は、呆然と呟く。
アリスは三人を睨みつけながら、厳しい表情を依然として崩さない。
「武器をしまって。お願い」
その語尾は震えていて、エリオットと双子は僅かに目を瞠った。
水の冷たさも手伝って、沸騰していた頭が次第に冷えていく。
アリスが苦い顔をしているのは、そうして力を込めて表情を作っていないと、泣き出してしまうからだ。
そして――そんな顔をさせているのは、自分達に他ならない。
「……わかった。すまねえ、アリス」
先に冷静さを取り戻したエリオットが銃を下ろすと、双子も渋々倣った。
「ごめんなさい、お姉さん」
「……ごめんなさい」
双子も殺気を霧散させ、斧をだらりと下げる。
アリスは不自然に息を吸いこむと、負傷したエリオットに近寄った。
「エリオット、手当てをしないと」
「いいって、こんなのかすり傷だ」
「駄目。ちょっと屈んで」
エリオットの言葉を無視して、アリスは黙々と彼の傷の手当てを始めた。エリオットは大人しく従う。
少し距離を置いて、アリスの背後にはディーとダムが立つ。
アリスの背が、二人を拒絶しているかのような錯覚を起こした。
ああ、でも、嫌われたら。
「……お姉さん、怒ってる?」
ダムが恐る恐る問いかけると、アリスは振り返らずに短く答えた。
「怒ってるわ」
「ごめんなさい! 嫌いにならないで、お姉さん」
迷わず飛びつくと、アリスの細い体をぎゅうっと強く抱きしめる。
衝撃を予想していたのか、アリスはよろめかなかった。
アリスに抵抗されなかったことで、二人はホッとした。
二人の手に、アリスの手がそっと重ねられる。
アリスの肩からも、緊張が抜けていくのがわかった。
「ディー、ダム……何に対して謝ってるの? 謝るのは私じゃないわ。エリオットに謝りなさい、エリオットに」
アリスに謝ったってどうしようもない。
謝るべきはエリオットに、だ。
そう諭すように言うと、ディーとダムは露骨に嫌そうな顔をした。
「ええっ!? ひよこウサギに!?」
「うげ。そんなんいらねーって」
何故かエリオットまで嫌そうな顔をする。
素直な双子など気味が悪い、と、その顔にありありと浮かんでいた。
仕方ないか、とアリスは早々に諦めると、深呼吸をして心を落ち着けた。
「……ディー、ダム。何でこんなことしたのか、話して頂戴。どうしたっていうの?」
双子は言葉に詰まった。
アリスの目から視線を逸らす。
「……」
「黙ってちゃわからないわ」
改めて二人を前にしてみたが、やはりどこかおかしいと思った。
彼らには、いつもとは違う、ささくれ立った空気を感じる。
それを見かねたのか、エリオットは苦笑しながら助け舟を出してきた。
「おい、アリス。そこら辺で勘弁してやれよ」
「何で? この子達、いけないことをしたわ」
よりによって、身内であるエリオットを傷つけた。
仮にもエリオットは彼らの上司だ。軽々しく斧を向けて良い筈がない。
そして、そう簡単に流していいことではない。
アリスの表情とは対照的に、エリオットは飄々としたものだ。
まるで何も起こってなどいない、という風に。
けれど、その腕に巻かれた白い包帯が、有事を物語っていた。
「あー、いい子には見えねーだろ、前から。ガキ共は頭を冷やせ。アリスもだ」
エリオットは張り詰めた空気を抜くかのように、アリスの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
自分も、と言われてアリスはたじろいだ。
そんなに頭に血が昇っているように見えたのだろうか。自覚はないのだが。
「な、何で私もなのよ」
「いいから、ほら。冷えてきたし、とりあえず屋敷に戻ろうぜ」
エリオットは立ち上がると、服についた草を払った。
そうしてアリスと双子に戻ろうと仕草でも促して、自身は前を歩き始める。
アリスと双子はしばらく迷っていたが、エリオットに続くことにした。
エリオットを先頭に、ディーとダム、アリスの三人は並んで歩く。
ディーとダムは落ち込んでいるのか、口をつぐんだまま何も言わない。
沈黙に耐え切れずに、アリスは二人に首を向けた。
「ねえ、ディー。ダム。どうして?」
ディーとダムは、視線を合わせようとしない。
唇はかたく結ばれたままだが、何か思うところはあるらしい。
感情の落としどころに迷っているようだ。
これは、まさか。
アリスの頭に、一番「こうだとしたら嫌だな」と思ったことが、今は明確になり浮かんでくる。
「……私、もしかして貴方達に嫌われたの?」
そうだとしたら、ここ最近、彼らに避けられていることにも合点がいく。
ディーとダムは瞠目し、勢い良く顔を上げた。
「そんなこと!」
即座に否定してくれたので、アリスは安堵した。
まだ最悪の事態ではなかった、と。
この二人と離れるくらいなら――離れたくない。
この世界に残ったのは、二人が居たからだ。
その彼らに捨てられては、どうしてこの世界で留まる意味を見出せよう。
「だったら、何で?」
アリスは重ねて疑問をぶつけてみた。
双子は立ち止まると、数泊、押し黙った。
「お姉さんこそ、どうして!?」
「な、何?」
抑えていた感情を爆発させて、双子はアリスに詰め寄った。
いつもの飄々とした余裕など、今の彼らにはない。
「どうして、僕らに黙って出かけたの!?」
「どうして、ひよこウサギと一緒に居たの!?」
「え」
アリスは目を丸くした。
双子は少し落ち着いたのか、アリスの目をしっかりと見据えてきた。その強い視線にぞくりとする。
「お姉さん。どうして僕らに隠れて、ひよこウサギと出かけたの?」
二人はアリスを拘束するかのように、両の手を強く掴んできた。
「え、あの……ちょっと待って」
「待たない。ねえ、お姉さん。僕ら悲しかったんだよ」
ギリ、と痛いぐらい、手に力を込められる。
骨が軋んだ音をたてた。
もしかして、このまま折られるんじゃないかと不安になるほどに。
アリスは、痛みに顔を歪めた。
「痛……ディー、ダム、離して」
「駄目」
「駄目だよ、お姉さん。僕ら怒ってるんだ」
ディーとダムの瞳が、暗く燃え上がる。
アリスが戸惑っていると、先を行っていた筈のエリオットが戻ってきた。
「……おい、お前ら。アリスに殺気なんて向けんじゃねえ」
「エリオット」
そういうエリオットも、十分雰囲気が怖い。殺気に殺気で対抗している。
「そんな聞き方でどうするんだよ。そんなんで、アリスが話せるわけがない」
そんな事はわかってる、とディーとダムは刺々しい声で返した。
「うるさいな、ほっとけよ」
「お前には関係ないことだろ。これは僕達の問題なんだから」
エリオットの瞳が剣呑になる。
「それとも、何? お姉さんにちょっかい出したって認める? 許せないけどね」
ピリピリとした空気。
まさかまた、さっきのような――途端に冷静になったアリスは、慌てて声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと! 武器は駄目よ、武器は! ディー、ダム、話すから聞いて頂戴」
「うん」
ディーとダムは素直に頷いた。
くるり、と視線がアリスへとうつる。
「あのね、私が」
何と説明していいのか、アリスは迷った。
けれど、言葉で飾り立てる必要はない。
二人が欲している情報を、まずは伝えなくてはならない。
「ちょっとだけ、一人で外出したかっただけなの。でも、ディーとダムは仕事中だし、一緒に来るって言うかもしれないでしょう。だから、エリオットに裏道を教わって、そっちから行くことにしたの」
エリオットが道案内をしてくれる、と言ってくれたこと。
それに甘えて一緒についていてもらったこと。
だから、エリオットは悪くないこと。
「お姉さん……」
確かに、裏道を独りで行くのは、アリスには少しばかり危険だ。理解はした。
ディーとダムの瞳から、やっと熱が消える。あと、聞いておかねばならないことは。
「お姉さん……僕らが嫌いなの? どうして避けるようなこと、したの」
「僕らと居るのは嫌?」
アリスはやっと、異変の正体を知った。
(ああ……そっか)
エリオットと自分が隠れて一緒に居る姿を見て、二人は随分と思い悩んだのだろう。
妙に切羽詰った感がしたのは、これだったのか。
アリスは大きく首を振って、強く否定する。
「嫌なんてこと、あるはずがないわ」
「でも」
未だ不安そうな顔の二人を、アリスはそっと引き寄せた。
「ちょっとだけ、息抜きしたかっただけよ。ただそれだけなの。悩ませてごめん」
「お姉さん」
おずおずと見上げてくる瞳は、揺らぎながらも、徐々にその波を静まらせていた。
「僕らのことが好き? 嫌いじゃない?」
「うん、好きよ」
アリスがハッキリ答えると、ようやくディーとダムの口元が緩んだ。
「……よかった」
「うん……」
双子の目尻から、ぽろっと涙が零れ落ちた。
アリスの言葉に安堵したせいだろう。
「ご、ごめんね!」
嫉妬という感情が絡むせいで、見るもの全てが疑わしくうつる。
そのことを、経験的にアリスも知っていた。
あんな苦い思いをこの子達にもさせてしまった、とアリスは後悔の念を覚えた。
「……」
複雑な想いで、三人のやり取りを見ている男がいた。
「エリオットも、巻き込んじゃってごめんなさい」
アリスはエリオットに視線を向けると、深々と頭を下げた。
エリオットは手をひらひらと振った。
「ん? いや、そんなの別に構わねえよ。けど、俺ともまた出かけような」
最後の言葉に、ディーとダムが噛みつかんばかりに反発する。
「駄目だよ!」
「絶対に駄目!」
アリスとエリオットの距離を更に開かせようと、ぐいぐいアリスを押して、その背に隠す。
「お前らには聞いてねえ! あんまりべったりだと、息が詰まるんだっての」
エリオットはズバリと言い放った。
この、馬鹿正直に話すやつがあるか、とアリスは目をむいた。
「!」
だが、アリスが言い訳を口にするよりも早く――。
「お姉さん、そうなの?」
双子の矛先は、きっちりアリスへと向けられた。
「そうに決まってる。だから息抜きっつったろ? さっきも」
「う」
アリスは言葉に詰まった。
それが答えだった。
「……」
ディーとダムの目が、すうっと細められた。
「へー、そうなんだぁ」
「そうだったんだね」
声音がやや冷たい、ような気がする。
アリスの背に一筋、冷や汗が流れ落ちた。
これはひょっとすると、まずいんじゃないだろうか。
一人安全なところに居るエリオットは、ざまあみろ、と双子を鼻で笑っていた。
悩みが綺麗に解消された双子は、すっかり調子を取り戻した。
なのに、エリオットの一言のせいで、二人の機嫌はやや悪い。
ディーとダムは無言で廊下を歩く。
アリスの手をしっかり掴んだまま。
双子はそのまま、自室へと真っ直ぐに戻った。アリスも連れられる。
「あの」
おずおずと声をかけても、双子の歩みは止まらない。
ぱたん、と扉が閉まり、やっとアリスは解放された。
静まりかえる部屋の中、アリスはそーっと二人の様子を窺い見た。
双子は何を思っているのか、まだ言葉を発しない。
「ディー、ダム、あの」
「お姉さん、あのね」
耳元で艶やかに囁かれ、アリスはびくっとした。
双子の良いようにされているのが、少し悔しい。
「な、何?」
「僕ら、付き合い始めてから、しばらく経ったよね?」
「ん……そうね」
あれから既に、数十時間帯は経過している筈だ。
アリスが考えてから頷くと、二人は揃ってにこにこーっと笑った。その笑顔がやけに怖い。
「僕ら、もう少しお姉さんと近づきたいな。いいでしょう?」
「!」
言葉の意味を正確に理解したアリスは、思わず後退した――しようとしたのだが、ディーに手を取られる方が早かった。ぐぐぐ、っと互いに力を込めて引き合う。
「駄目? 駄目なんかじゃないよね?」
ダムがディーに加勢したので、あっけなくアリスは負けた。
ディーとダムは有無を言わさぬ目つきで、じりじりとアリスに迫り寄る。
「あの、二人とも……お、怒ってる?」
恐る恐る確認すると、双子は笑みを深めた。
「うん、怒ってるよ?」
「すごくね。僕らに一番に相談してほしかったのに」
「え」
「そうだよね。何でひよこウサギなんかに相談しちゃったのさ」
ぶつぶつと呟きながら、二人は一度、部屋を出て行った。
アリスが何処へ行くのか、と引き止める間もなく――そして、間を置かずに戻ってくる。
赤と青の上着を脱いで一人が両方を持ち、もう一人は斧を二人分抱えている。そして。
「……え? 二人とも、何を」
二人の瞳は、左右の色が違っていた。
右の目は赤く、左の目は青く。
二人はそっくり同じ顔で、にやっと笑う。
「女の人は初めての相手って、大事なんでしょう?」
「だから、だよ。これで、どっちが初めてなのかわからない。名案でしょ?」
すっかり口調まで揃えている。
(え、まって、本当に……どっちが、どっち?)
これでは、どちらがディーで、どちらがダムなのか、アリスに判別することは不可能だ。
本気だ、とアリスはわずかに青ざめた。
二人は上着と斧を床に放置すると、アリスの傍へ近寄った。
至近距離で見る二人は、何から何までそっくりで、酔いそうになる。
「目隠しすることも考えたけど、そういうプレイはまだ後でもいいよね。僕ら、まだ若いもん」
「そうだね。それに、お姉さんの目が見られなくなるのはもったいないよ」
「うんうん」
いつの間にか、ベッドへ誘導されていた。
ゆっくりと押し倒される。態度は強引なのに、彼らの手つきはそう感じさせない。
アリスはというと――すっかり緊張しきっていて、どんな顔をしていいのかすら、判らなくなっていた。
アリスが身を固くしていると、ディーかダムのどちらかが、そっと頬に触れてきた。
ただそれだけなのに、アリスはドキリとした。
優しく包み込むような温もりに、うっかり気持ちが懐柔されそうになる。
「大丈夫だよ、お姉さん」
微笑む瞳、赤と青の――ディーとダム、どちらなのだろう。
どちらも同じ、柔らかな笑顔をアリスへと向ける。
思考がぼんやりとしてきて、ああこのまま流されてもいいか、とアリスは考えた。だが。
「あ、ちょっと大丈夫じゃないかもしれない」
一瞬にして頭が冴えた。
「え」
単なる脅しではなく、二人は真剣そのものだった。
アリスが顔を引きつらせると、二人は真面目な顔で「うーん」と考え込む。
「僕ら、経験値がないんだよねー。できるだけ優しくするけど、少し痛いかも」
「僕らも努力はするから、ちょっとだけ我慢してね。僕らのこと、好きでしょう?」
どうやら引く気は微塵もないらしい。
「ね、お姉さん。覚悟きめてね」
「覚悟……って、ちょっと待って、そんなすぐに決められな……」
「お姉さん」
「……はい」
にこっと駄目押しとばかりに微笑まれ、アリスは頷くしかなかった。
明かりを薄暗くすると、ディーとダムは自分の服を脱ぎ捨てた。アリスの服も巧みに脱がされ、圧し掛かられる。
二人して、ぺたぺたーっとアリスの体に触れてきた。
露になった二人の体躯を前にして、アリスはどぎまぎした。
薄暗い中に晒された白い肌が、妙にアリスを煽る。
(こんな……こんなのって)
いいのだろうか。
本当に。
いつかは、と思っていた。
急にこんな風になるなんて思ってもみなかったので、アリスには心の準備が出来ていない。
そして――それとは別に、背徳感が心に這い寄ってくるのを感じる。
心臓の音が、さっきから早鐘のごとく体中に鳴り響いていた。
全身が心臓になったような錯覚を起こす。
ディーとダムの手つきは、乱雑ではないが、粘っこくもない。
とりあえず触ってみる、といった風だ。慣れていないことが分かる。演技ではないとしたら、だが。
「兄弟、どこら辺がいいのかな?」
「んー、色々試してみようよ、兄弟」
アリスはぎょっとした。
「い、色々はちょっと……」
恥ずかしいので止めて欲しい。
すると、片方がとんでもないことを言い出した。
「駄目? じゃあ、どこがいい? 言ってくれたら重点的に触れるんだけど」
アリスは言葉を失った。そんな事を口で言えと?
幸い、もう一方が諌めてくれた。
「兄弟、駄目だよ。女の人にそんなこと聞いちゃ」
「それもそうか。じゃあ、頑張ろうか、兄弟」
うんうん、と互いに頷くと、二人は行為を再開した。
撫でまわす手は四本だ。最初は何とも思わなくても、次第にアリスの体は痺れていく。
すっかり黙り込んだアリスを見て、「あれ」とどちらかが呟いた。つられて、もう一方もアリスを見る。
「大人しいね、お姉さん」
「黙っちゃったね、兄弟。お姉さんどうしたの? 恥ずかしい?」
「……っ」
反応は、顔を赤くするだけに留める。
すると、二人は嬉しそうに微笑んだ。
「可愛いね、お姉さん」
「好きだよ」
音を立てて、アリスの肌に口づける。
アリスの表情を注意深く見つめながら、二人は再び体に触り始めた。
「あ」
アリスは小さく声をあげた。ポイントを見つけた二人は、執拗に攻める。
「ここがいいの?」
「気持ちいい?」
二人は無邪気に問うが、熱に翻弄されるアリスは答えることができない。
アリスの体が震える度、見つめる眼差しには愛しさが増す。
呼気が荒くなるにつれ、煽られるように、二人の興奮も高まっていった。
指が引き抜かれる。くったりとしているアリスの体を沈め、一人がそっと足を開かせる。どちらが先かは、予め決めてあった。
「いくよ」
あてがいながら耳元で囁くと、アリスはびくりと体を震わせた。
恐怖に顔が強張る。体をほぐすように口づけていくと、アリスも覚悟を決めたのか、徐々に体の力を抜いた。
「アリス」
迷うことなく一気に突き立てると、しがみついたアリスの手に、ぐっと力が入った。
アリスの爪先が自分の皮膚を傷つけたが、そんなことはどうでもよかった。
その痛みですら心地よいと思えた。アリスならもっと自分を傷つけていい、とぺろりと唇をなめる。
余裕だったのに、それが今は嘘のように、何も考えられなくなっている。
「アリス……」
アリスは今、自分をどちらだと思っているだろうか。
どちらでもいい。今この時だけは、自分だけの物だ。
アリスの体がしなる。
苦しそうに顔を歪めながら、それでも耐えていてくれる。
ああ、何て――。
壊してしまいたい衝動に駆られながら、思い切り揺さぶる。
壊れてしまえばいいのだ。二度と自分達から離れられなくなるように。
アリスの表情を凝視しながら、一方は、焦れったいと思いながらも大人しく待った。
「アリスの心臓、すごくいい音がする」
胸を引き裂いて、取り出してみたくなる。
そっとアリスの胸に手をおき、うっとりと呟く。
その呟きが、アリスの耳に届いているかどうかはわからない。
早く代わってくれ、と視線で促すと、兄弟は頷いてみせた。終点に向け、その動きを早める。果ててから少し間をおくと、ぬるりと引き抜いて、彼らは位置を交代した。
余韻の中にいるアリスは、休む間も与えられずに圧し掛かられる。
後は夢中で貪りあい、時間帯が変わる頃、やっとアリスは一息つくことができた。
「……痛い」
「ご、ごめんなさい、お姉さん」
調子に乗って少しやり過ぎたかもしれない、と二人は素直に謝罪した。
アリスは起き上がることもできず、ベッドに横たわっていた。
しばらく動けそうもない。試しに起き上がりかけて、あまりの痛みに断念した。
「痛かった?」
心配そうに覗き込んでくる瞳から、アリスは視線を逸らした。
彼らは既にコンタクトを外しており、双子はいつもの双子になっている。
(う……)
アリスは頬を染めながら、無言で返す。
体に負荷をかけないようにか、いつもより慎重に抱きしめられる。
「お姉さん大好き」
だから、アリスにもっと刻まれたい。
ディーとダムは目を伏せた。アリスに見えない位置で、ふと真顔になる。
アリスの心臓に、刻みたい。
いつか消えゆく自分達を、きっとずっと覚えていて。
顔を上げながら、ディーとダムはゆっくりと陰りを消し去った。
「今日は、僕らがお姉さんの足になってあげる」
想いが満たされた彼らは、晴れやかに笑う。
珍しく邪気のない彼らの微笑を見て、アリスも表情を和らげた。
思いがけずに大人びた彼らの微笑を垣間見て、アリスの鼓動はまた少し高鳴る。
(ど、どうしたのかな……)
急に、こんな顔を見せないで欲しい。不意打ちは卑怯だ。
こんなにも鼓動がうるさいのは――。
(恋、してるんだな……)
そんなことを、今更ながらアリスは実感する。
恥ずかしさも綺麗に消え去った後、胸に残るのは、愛しいと思う気持ちだけだった。
(何だか、眩しく見える気がする)
もっと、彼らのことを抱きしめていたい。
だからアリスは、双子に向けて手を伸ばした。
「ディー、ダム」
「はいはーい。どうしたの? 移動したい?」
「運んであげるよ。遠慮なく言ってね」
意気揚々とする彼らを、両の腕で抱きしめる。
ひとりに片腕ずつだが、それでも十分だった。
「……え? お姉さん?」
「……どうしたの? お姉さん……あ、移動したい?」
左右から聞こえる戸惑うような声が、アリスの耳に心地良かった。
「ううん、いいの。しばらく、このままで居たい」
「え……」
ディーとダムは押し黙った。
どうやら、困惑しているようだ。
アリスは目を閉じているから、そんな気配がする、程度だけれど。
恐る恐る、アリスの背に手が回される。
「……わかった。僕ら、アリスとずっと一緒に居るよ」
「ここに居るよ、ずっと」
アリスの頬に、温かいものが伝う感触がした。
心から幸せな時にも、人は涙が流れるのか――知識では知っていたけれど、やっと、アリスは実感できた気がする。
泣いた記憶は、哀しみを伴うものばかりだったから。
(ありがとう)
この子達と出逢えて良かった。
少し強引だけれど、アリスを引っ張っていってくれる優しい子たち。
この時、この温もりと感情を、ずっと覚えていたい。
逃したくなくて、忘れたくなくて、アリスはなかなか目を開けることができなかった。
【刻みゆく時の中で/了】
===== あとがき ===
2008年12月発行『おねえさんあのね。』より。
読んでくださってありがとうございました。