幻想怪奇譚















怒涛のような時間帯が過ぎて、しばらく経った頃のこと。

アリスはハートの城に向かっていた。
エースの言っていた、妙な鏡とやらが気がかりで仕方なかった。

ただ、エースに聞いてもきちんと答えてくれるとは限らない。
その上、容易にはたどりつくことはできないだろう。

だから率直に、主であるビバルディに聞いてみる心づもりでいる。
ペーターでも良かったのだが、少し……いや、かなりうっとうしい展開になりそうな予感がしたのだ。
その点ビバルディなら、機嫌が良ければ教えてくれるだろう。

ディーとダムが何を見たのか。

アリスは気になってたずねてみたが――。


「鏡? 何のこと?」


二人は終始そんな調子で、のらりくらりとかわされてしまった。
優しさから、アリスには隠してくれようとしているのかもしれない。
だが、エースに聞いたから、アリスもある程度は事情を知っているのだ。

そうアリスが言うと、双子は顔を見合わせた。
しばし二人で考えた後。


「お姉さんが見えたよ」
「うん、お姉さんが見えた」


ただそれだけしか、二人は答えてはくれなかった。

アリスが知りたいことは、まだ半分だ。
鏡に映ったアリスが、二人に何を告げたのか。そこが最も気になっているのに。


(変なこと、言われてなかったらいいんだけど)


ディーとダムは傷ついたのではないか。
アリスは心配したのだが、「それよりも遊ぼう!」と、二人にうまくはぐらかされてしまった。

気を使ってくれたのか、本当に何もなかったのか。


(たぶん、前者だと思うな)


ただの直感だけれども。

遊びが終わったあと、やっぱりというか――八つ当たりは、された。
二人ともが執拗なまでにアリスを攻め立ててきた。

言葉ではなく、体で。
何が休もうよ、だ。彼らは一時だって、アリスを休ませてくれなかった。


(あれは……きつかった)


死ぬかと思った。いや、本当に。
何とか体が動くようになったのは、それから数時間帯を経た後のことだった。


(二人が教えてくれないんなら、いいわよ。勝手に調べるんだから)


実は半分、鬱憤晴らしをも兼ねた来訪だった。

アリスは息を吐きながら、空を仰ぎ見た。
眼前には、毒々しいまでに赤に彩られた城が、その全貌を現していた。



× × × × ×



「ビバルディ、教えて欲しいことがあるの」
「ふむ。何じゃ?」


首尾よく彼女とのお茶会にこぎつけたアリスは、しばらく楽しんだ後、目的の話を切り出した。


「あのね……」


アリスは一度、言葉を切った。
彼ら抜きに説明することは難しいが、敵対勢力である手前、双子のことは伏せておいたほうが良いだろう。


「ビバルディのところには、不思議な泉があるんでしょう? 見てみたいな」


アリスの口から出た話題に驚いたのか、ビバルディは意外そうな顔で、目を二度三度と瞬かせた。長い睫毛が揺れる。


「ほう、どうしてそれを知っておるのじゃ?」


部外者であるアリスが、どこでそんな情報を手に入れたというのか。ビバルディが疑問に思うのも無理はない。
ここは正直に、出所を話そう。アリスは素直に答えた。


「この前、エースから聞いたの。で、ちょっと興味あるなーって……」


ビバルディは「そうか」と相槌をうった。


「だが、そなたが本当に気がかりなのは、あの子供のことだろう?」
「え」


ビバルディはいきなり核心を突いてきた。


「ど、どの子供?」


アリスは、苦しく逃れようと試みた。
ビバルディは焦るアリスを見て、とても楽しそうに笑う。


「お前の気に入っている、あの双子のことだよ」


言い当てられて、アリスは降参した。まったく、ビバルディには適わない。


「……すごいわ、どうしてわかるの?」
「ついこの間のことだが……奴らが我が領地に居ったのでな。わらわは、領土内ならば、場所もだいたい把握できるのだよ。多少、不愉快ではあったが」
「ご、ごめんなさい」


アリスは慌てて頭を下げた。ビバルディは綺麗に笑う。


「お前が謝ることはないよ、アリス。あの子供らは妙な場所に居ったが……そうか、それで」


ビバルディは、一人で納得している。
今日はすこぶる機嫌が良いようだ。彼女が許してくれたので、アリスはホッとした。

そうして、どうせなら彼女に全部話してしまおうと思い至った。


「ディーとダムが、何を聞いたのか教えてくれないのよ」


ビバルディは話に専念しようと、ティーカップを置いた。


「ほう。何が見えたとは、言わなかったのか?」


アリスは頭を振った。


「ううん、私が見えたんだって……でも、何を言われたのかだけは、絶対に教えてくれなくって」


溜息が出る。
ビバルディは、しばらく考え込む素振りを見せた。


「案内してやってもよいが、あまり勧められない」
「え」


アリスはドキリとした。


「よいか、アリス。子供らが見たものと、お前が見るものとは違うよ。お前が行ったところで、解決にはなるまい」


諭すように、優しくアリスに語りかける。

ビバルディのいう事は尤もだ。
アリスが鏡を見たところで、何かわかるのかというと、そうではない。


「それはそうだけど……どんな感じなのかな、って」


引き下がらないアリスに向けて、ビバルディは短く溜息を零した。
頑固さに呆れたのかもしれない、と危惧したが、どうもそういう様子ではない。


「好奇心が強いのは良いことだと、わらわは思う。けれども」


少し困ったように、ビバルディは微笑む。


「お前が傷つく可能性があるだろう?」


それは嫌だからな、と言葉の端に優しさを含ませる。


「ビバルディ」
「だから、勧めることはできない。どうしてもというのなら、連れて行ってやってもよいが」


どうする。
ビバルディは、視線でアリスに答えを促した。



× × × × ×



コツコツと硬い靴音を響かせながら、アリスはビバルディと共に問題の部屋へ向かっていた。
道は薄暗く、奥に行くにつれて、更に頼りなくなっていく。歩いていて、どこか不安感を煽る。

ビバルディは、ひとつのドアの前で足を止めた。


「ここじゃ」
「ここが……そうなの?」


アリスは、ドアをまじまじと見つめた。
道すがら、部屋にある物について、ビバルディに色々と教えて貰っていた。


「ああ。見てくるといい。わらわはここに居るから、安心おし」
「うん」


中からは戻れない仕組みになっているのだとか。
ビバルディが扉一枚隔てて居てくれると分かっていても尚、立ち入るには勇気が必要だった。

だが、ここでまごついていても仕方がない。アリスはドアに手をかけた。
そろり、と足を踏み入れる。

部屋はほとんど闇と言っても過言ではないほど、暗かった。

エースから聞いた話通り、中央には噴水がある。
それが唯一のやわらかな光源となり、部屋を薄っすらと照らしていた。
中央からサラサラと流れ出る水は、とても清らかで美しい。


「噴水の傍に、鏡があって……」


嘘つきの鏡が。けれど、鏡なんて――。


『僕、そろそろ飽きちゃった』


「!」


聞きなれた声がして、アリスは勢いよく振り向いた。


(え?)


アリスの背後に合ったはずのドアは、跡形も無く消えている。
代わりに、大きな鏡が出現していた。


(いつの間に、こんな)


声は鏡の方から聞こえてくる。


『僕も。面白かったけど、そろそろ終わりかな』


「これ……鏡の中から?」


アリスは、ふらふらと吸い込まれるように鏡へと近寄った。

鏡に映るのは、ディーとダムだ。
周囲はぼんやりとかすれていて、よく見えないが。

そうしてアリスは、ひとつの疑念を抱いた。

薄暗い部屋の中で、どうして『ディーとダム』だとハッキリ判ったのだろう。

そんなアリスにはお構いなしに、勝手に鏡の中の二人は会話を続ける。


『そうだね。お姉さんに、どう切り出そうか』
『いいんじゃない、飽きちゃったからおしまいだねって言えば』


「……」


いちいち、グサリグサリと心に突き刺さる。
鏡についての予備知識はあっても――頭では理解していても、これは苦しい。


(嘘だって知ってても、これはちょっと)


辛い。
ディーとダムは、鏡の中の自分から、何を聞いたというのだろうか。



× × × × ×



アリスは重い足取りで、帰路についた。
まっすぐにディーとダムの部屋へ向かう。早く二人に会って、抱きしめて、落ち着きたかった。


「ディー、ダム。いる?」


二度三度とノックをすると、響くように明るい返事がかえってきた。


「はいはーい、もちろん居るよ。 入って入ってー」
「お邪魔します」


アリスは迷わず、部屋に足を踏み入れた。
ディーはアリスを見つめ、幸せそうに微笑んで迎えてくれる。


「いらっしゃい、お姉さん」
「こんにちは、ディー」


ああ、その笑顔が見られただけでも、二人の部屋に来た甲斐があった。アリスの緊張も、いくらか和らいだ。

そうして、気づく。
一人分、色彩が足りないことに。


「……あれ、ダムは?」


きょろきょろと部屋を見渡してみたが、ダムの姿は見当たらなかった。


「兄弟なら、ついさっき馬鹿ウサギに引きずられていったよ。急な仕事だーって」
「そうなんだ……残念ね」


ダムの顔も、見たかったのだけれど。
アリスは小さく息を吐くと、ディーに向き直った。


「ねえ、ディー」
「うん? なになに?」


向けられる優しい眼差しに、泣きたくなる。

この子たちは、いつまでアリスのものでいてくれるのだろうか。
いつまで、こんな風に見つめてくれるだろうか。

こんなことを考えている自分は、何て卑屈なんだろう。
掴みどころのない不安が、頭をもたげてくる。

アリスは、ディーの細い体躯を、きゅっと抱きしめた。


「私は貴方たちのこと、好きだからね」
「……」


ディーは突然の出来事に、目を見開いた。
それも一瞬のことで、すぐにアリスを抱きしめ返す。


「ありがと、お姉さん。僕も……僕らも、お姉さんのこと大好きだよ」


アリスの頬に、やわらかな唇が押し当てられる。


「ふふ、嬉しいな。でも、急にどうしたの? お姉さん」
「え? 急だった?」


鋭い。
アリスは動揺を隠しながら、たずね返す。


「ううん。僕らはいつでも、お姉さんの受け入れ態勢は完璧だよ! ただ、ちょーっと引っかかるんだ」


アリスとしては、そこが知りたい。
しつこいかな、と思いながらも、アリスは聞いてみることにした。


「何が引っかかったの?」
「あ、嬉しくなかったわけじゃないよ。……ちょっと、お姉さんが悲しそうに見えたから」


アリスは返事に窮した。
一呼吸おいて、何とか返すことはできたが――これは、不自然だ。


「そう?」
「うん」


ディーは確信めいたものを掴んだのか、今度はしっかりと頷いてみせた。


「何かあったんでしょう? 話して」
「え」


やけに確定的な言い方をする。
焦ったアリスは、視線を逸らしながら小さな声で、ディーの問いに答えた。


「別に、何があったわけじゃ」
「ねえ、お姉さん。僕らに隠しごとなんて嫌だよ」


甘えるような声。
潤んだ瞳で見上げられる。


「……いや、隠しごとってわけじゃ、ないんだけど」


苦しい答え方をしてしまった。
当然のことながら、ディーは納得がいかなかったようで、まだまだアリスを見つめることを止めない。

アリスは、この可愛らしい仕草に滅法弱かった。
愛らしさだけではないことがわかっているのに、未だに弱い。ガードも何もかも、緩みに緩んでしまう。

根負けしたアリスは、洗いざらい白状した。

ビバルディを訪れたこと。案内してもらったこと。

聞き入るディーの目は、大きく見開かれた。


「見に行ったの? ハートの城に、わざわざ?」
「……うん」


ばつが悪そうに、アリスは頷くしかなかった。
あきれ果てたのか、返す言葉を探しているのか、ディーは黙り込んだ。


「だ、だって。貴方たちは教えてくれないし、エースは不安になるようなこと言うから、ずっと気がかりで」


言い訳めいたことを次々と並べてしまう。

ディーは難しい顔のまま、腕組みをした。


「んー……それは嬉しいけど、複雑。素直に言っとけばよかったな……判断ミスったー」


はあ、と大きく息を吐く。
そういえば、とディーはアリスに視線を戻した。


「お姉さんは何を見たの?」
「……」


聞かれるとは、思っていた。
想定はしていたけれど、口にしていいものかを迷う。

アリスの沈黙に痺れを切らしたのか、ディーは斧を床に置いた。


「アリス」
「ん」


ディーは徐にアリスの髪を救い上げると、恭しく口づけた。
見つめてくる目には意志があり、強い。アリスはぎくりと硬直した。


「ねえ、教えてくれるよね?」


詰めが甘かったかな、とディーはアリスの腰を引き寄せた。
たっぷりの熱を含ませて見つめると、アリスの頬に赤みがさした。

アリスは面白いくらいに正直だ。
そんなところも、とても愛らしい、とディーは嗤う。

腰に両腕を回されて、アリスは逃げられなくなる。
我に返ったアリスは、慌ててディーの体を押しやった。


「……わ、わかったわかったわかった! 離れなさい!」


ディーは「はーい」と言いながらも、どこか残念そうにその手を離した。
それでもアリスが頑なに答えなかったなら、楽しめたのに。ディーはこっそり、心の中で舌を出した。


「ディーと、ダムが……見えたわ」
「……」


アリスは俯いていたので、ディーがどんな顔をしていたのか、見ることができなかった。
ややあって、ディーはアリスの手を取った。


「お姉さん、もう一度行こう」
「え?」
「もちろん、今度は僕と一緒だよ」


アリスは、あんぐりと口を開けた。

もう一度いく、と?
あの鏡を見に?


「でも、敵地なのに……危険だわ」
「危険なことなんてないよ。お姉さんは守ってあげる」


そうではなく、ディーの身が危険なのだ。
アリスは余所者だから、もし兵士たちに見つかっても――多少は咎められるだろうが、そのくらいで許してくれる。

アリスが説明を付け加える前に、ディーは斧をサッと引っつかんだ。


「行こう、お姉さん」


善は急げって言うしね、と、ディーはアリスの手を掴んで歩き出した。釣られて、アリスも歩かざるを得ない。

その横顔は、焦っているようにも見える。
それに、歩く速度も――やけに急いでいる。
いつもと違う様子に、アリスは内心首を捻った。



× × × × ×



今しがた、ハートの城から帰ってきたばかりだというのに、また来訪する羽目になるとは。
人目を避けて、こっそりと二人は奥を目指す。

あれよあれよという間に、ドアの前まで来ていた。ディーは迷わずドアノブに手をかける。
慌てたアリスは、声をかけた。


「あ、あの。ビバルディは、これ、中からは開かないようになってるって言ってたけど」
「大丈夫大丈夫。僕と一緒なら、出られるよ。どこかに」


こっちが心配しているのが馬鹿らしくなるくらい、ディーは楽観的だ。

ドアは軽い音を立てて開いた。
二人で中に入ると、ドアが勝手に閉まる。

さっき見たばかりの光景と、変わりはない。中央には、噴水。そして――。


「嘘……」


部屋はガラリと変わっていた。
大きな鏡が、これでもかというほどにその数を増している。
壁一面にずらりと並んだ鏡は、不安を駆り立てた。

アリスの口から零れた声が、大きくはなかったのにやけに部屋に響いた。
周囲はしん、と静まりかえっている。


「……ディー?」


不安になって名を呼ぶが、答える声はない。
アリスは慌てて周囲を見渡した。

ついさっきまで一緒に居たディーの姿が、影も形もなくなっている。


「ディー! どこなの!?」


こんな、こんなところに一人では。


(〜〜〜! 嫌っ!)


駄目だ、居られっこない。
もしも全ての鏡が、動きを見せたなら。

みっともなく錯乱するに違いない。自信をもって断言できる。

半ばパニック状態に陥りながら、返る声に期待して、アリスは必死にディーの名前を呼ぶ。
鏡がまた、その数を増したような気がした。部屋の正しい形状など、もはや皆目わからない。


「どうして……」


アリスは途方にくれていると、「お姉さん」と静かに囁く声がした。


「ねえ、お姉さん。僕はここだよ」


声する方角を向くと、ディーが立っている。
「どうしたの?」とでも言いたげに、不思議そうに首を傾げて。


(何だ、居たじゃない……鏡に気をとられて、わからなくなっただけで)


気が抜けたアリスは、安堵の息を零した。

おそらくは、そういうことなのだろう。
原因が分かってしまうと、今度は恥ずかしさが沸々とこみ上げてきた。
ディーの前で、一人で勝手に取り乱してしまった。

照れ隠しを兼ねて、アリスはディーに笑いかけた。


「ディー……よかった」
「お姉さん、僕のこと好き?」
「え? 好きよ」


いきなり何を問うのか。
こんな時に不似合いの質問だなあとは思ったが、アリスは反射的に答えていた。


「よかった。僕も、お姉さん大好き。だからさ」


にこにこにこ。
ディーは微笑んでいる。


「僕だけの物になってくれるよね?」
「……え」


アリスは息を呑んだ。

ディーは、いつもの調子と全く違う。
さっきも思ったことだが、あの時とは引っかかりの種類が違うのだ。これは――更に、よくない感じがする。

アリスは違和感を覚えたが、ディーが続けて口を開いたので、思考を中断せざるを得なかった。


「お姉さん、いいでしょう? 多分ちょーっと痛いけど、我慢してね。すぐに済むから」
「ちょっ……ちょっと、ディー?」


ディーは愛しそうにアリスを見つめている。

見られているアリスはというと、その視線は寒気しか感じられない。
ずいっと斧を突きつけられたが、アリスはディーから目を逸らせない。その上、動けない。
呼吸さえ躊躇うほどの緊張に、頭が痛みを訴え始めた。


「お姉さん、目を閉じてっ!」
「!?」


別方向から、いきなり声が飛んできた。

言われるまま、アリスは咄嗟に目を瞑った。
だが、くぐもった呻き声がしたので、すぐに目を開ける。

眼前には、ディーが倒れていた。
腹部からは血が多量に流れ出ていて、苦しそうに顔を歪めている。

アリスの顔から、血の気が引いた。
さっき殺されそうになったことなど、綺麗さっぱり頭から吹っ飛んでいた。


「ディー!? いやっ……」


彼の体に縋ろうと、勝手に体が動く。
と、アリスの腕を掴む手があった。


「な、何」


振り払おうと体を捻ったが、うまく抱きとめられてしまう。
軽く拘束され、アリスは驚いた。


「落ち着いて、アリス。僕はこっち。僕が本物」


伸びてきた手の主は、ダムだった。


「な、なにが……」


ディーと自分しか、この部屋にはいない筈だ。いつの間にダムが。


「……え、ダム?」


半信半疑な視線を送ると、ダムは堂々と頷いた。


「そうだよ、お姉さん。僕はダム」


どうして、ダムがここに居るのだろう。アリスの疑問は晴れない。

ダムはニコリと笑って、のんびりと告げた。


「兄弟と入れかわりっこをして遊んでいたんだ。気づかなかったでしょう?」
「……ダム、だったの」


釈然としないものはあるけれど、ダムがそう言うのだからそうなのだろう。
いまだに、彼ら二人を判別することがアリスにはできない。


「うん、そうそう」
「ダム……は」


本物なのだろうか。
また、さっきみたいに偽者であったなら、どう対処したらいいのだろう。


「どうしたの、お姉さん。もっと傍においでよ。一緒に居ないと、危ないよ」
「……」


ダムは明るく手招きするが、アリスは動かない。いや、動けない。

どうしてだろう。

駄目だ、とアリスの感情が叫んでいる。
アリスは注意深くダムを眺め見た後、呟いた。


「あなた、ダムじゃないわ」


ダムは大きく目を見開いた。


「ええ!? お姉さん、酷いよ。どうしてそんなことを言うの?」


悲しそうな顔。傷ついた声。
ダムは今にも泣き出しそうで、これが演技だとは思えない。

けれど。

心に響かない。これが何よりの根拠だ。

アリスは、じわじわとダムから距離を取った。慎重に慎重に口を開く。


「だって」


ほんの微細な部分だ。


「ダムの服じゃないわ、それ」


トランプのマークが左右逆になっている。
注視しなければ分からない違い。

ダムは目をぱちぱちさせた後、大きく息を吐いた。


「あーあ、見破られちゃったー」


悪びれもせずに、あっさりと認める。
偽者だと認めたくせに、堂々としすぎている。

ダムは、険しい顔のアリスにゆっくりと視線を向けた。


「でも、偽者でもいいよね、お姉さん。遊んで貰うよ」


ニヤリと笑むその顔は、邪悪そのものだ。
バレたからには、もう遠慮はしない。そんな顔つきだ。


「一度でいいから、お姉さんのこと、切り裂いてみたかったんだ」


一度だって御免なのに、二度もあってたまるか。

ダムは笑いながら、アリスに手を伸ばしてきた。
素早い動きで、アリスには避けようがなかった。腕をとられ、アリスは体を大きく震わせた。


「やっ……!」


逃れようと身をよじるが、ダムの力は強く、振りほどけない。


「大丈夫。きれーに斬ってあげる」


ダムは笑っている。
大きく斧を振りかぶるのが見えて、アリスは恐怖に身を竦ませた。


「アリス!」


鋭く空気が流れた。
ダムの手が力をなくし、体ごと地面に崩れ落ちる。


「え……え?」


アリスは呆然と、倒れるダムを――ダムのようなダムでない人を、見つめる。

今、何が起きたのか。
このダムは、本当に偽者だったのか。

アリスは虚ろな頭で考える。頭の芯が痺れて、よくわからない。
倒れている体の後ろに、ディーの姿を確認した。

もう何が何だかわからない。

このディーは、また偽者なのか。
それとも、本物か。


「ごめん、お姉さん!」


新たに現れたディーは、焦りを露わに、アリスを急いで抱きしめた。


「守るって言ったのに、本当にごめん」


ぎゅうっと強く抱きすくめられる。
伝わるぬくもりに安心したのか、ようやくアリスの頭も混乱から立ち直っていく。


「いきなり黒いもやがかかって、気づいたら離されてた」


はき捨てるように、ディーは呟く。


「ディー? ディーなの?」


ディーは力強く頷いてみせた。


「うん。僕はディーだよ、本物。ほら」


言いながら、ディーは姿を変えてみせた。子供から大人へ。大人から子供へ。


「さっき……さっきから、ディーとダムが何度も」


震える声で、アリスは呟いた。
崩れ落ちそうになるアリスの体を、ディーがしっかりと受け止める。
ショックを少しでも和らげてあげようと、ディーはアリスの髪を丁寧に撫でた。

ディーの指先が優しくて、アリスは泣き出しそうになった。
何とかこらえて、その代わりに、思いきりディーにしがみつく。


「お姉さん……怖かった?」
「ちょっとだけ」


まるで、悪夢に迷い込んでしまったかのようだった。

アリスが何とか微笑んでみせると、ディーはやっと表情を緩めた。
アリスの体を抱いたまま、周囲に視線を走らせる。忌々しい鏡だ。全て砕いてしまいたい。


「それにしても、何でこんな風になってるんだろ。前に来た時は、こんなのじゃなかったんだけどな。お姉さんもそうでしょ?」
「ええ」


アリスは頷いて同意した。
まだショックから完全に立ち直れていないけれど、ディーと話をしていたかった。

前はこんな部屋ではなかったし、幻が実体となってこちらにちょっかいをかけてくるなんてことは、断じてなかった。


「部屋自体が気まぐれ……ってことなの? 前回にきた時と、違うことなんて何も」


訪れたときの組み合わせは違うけれど、アリスもディーも、一度は普通に来れたはずだ。

アリスのぼやきに、ディーが反応を見せた。


「あ。違うことって言えば……」


ごそごそと、ポケットを探る。


「……これかな?」
「え?」


ディーの手にあるものを見て、アリスは驚いた。


「その手紙は」


紛れもない、例の手紙だ。
ボリスの監視報告書。


「うん。このあいだの遊びの時に、夢魔さんから貰ったんだ。僕らにも関係してるといえばしてるから、一応受け取ったんだけど。今まで忘れてた」


これは嘘だった。

ディーは、忘れていたわけではない。
この手紙、一度はビリビリに引き裂いたが、後でこっそり回収しておいたのだ。今度、何かに使えると踏んで。


「それ……」
「うん?」


アリスは手紙のことを話し始めた。

見知らぬ人から預かってしまったこと。
届けようと思っていたら、ナイトメアが取り上げてしまったこと。


「それで……ナイトメアの手に渡ったんだけど」
「へえ、そうだったんだ」


既に知っている話だけれど、ディーは初めて聞いたことのように相槌をうった。
ピアスの目を盗んで手紙を隠したとは、アリスもなかなかやるなあと兄弟と感心したものだ。


「お姉さんから取り上げたってことは、お姉さんに悪いものだったんだよ、きっと」
「あ……」


ナイトメアの言葉が蘇る。
こんな物を持っていてはいけない、となだめすかして離そうとした意味を、アリスは知る。


「それに、この手紙、僕らに関係することでもあるわけだし。そういう経緯だったのなら……」


ディーはじっくり考えこんだ。
この場には兄弟がいないから、自分ひとりがしっかり考えなくてはならない。

今、アリスを守れるのは自分だけなのだから。

その事実は、甘美な高揚感となり、ディーの機嫌を上昇させた。


「僕はもちろん、お姉さんに対しても、何らかの反応が出てるのかも。だから、ちょっと今、妙なことになってるのかな。うーん」


ディーは言葉にしながら、己の考えをまとめた。
アリスは不安げな目でディーを見ている。

兄弟とまとめでではなくて、自分ひとりだけ。

ディーの機嫌は、更によくなった。


「手紙のせいなの?」
「予想だけどね、たぶん」


そんな事が起こりうるのだろうか。

にわかには信じがたい。
アリスの常識では計り知れない世界なのだから、何があっても不思議ではないのだろうけれど。

ディーは手紙をヒラヒラさせながら、また少し考え込んだ。


「ペーター=ホワイトの妄執……なんてことではなさそうだよ。もう全然違うものになってるんじゃないかな?」
「え、わかるの?」


不思議そうに聞き返すと、ディーは頷いてみせた。


「勘だけどね。まだあいつが影響してるのなら、お姉さんに害を加えたりしないでしょう、きっと」
「ああ……なるほど」


天地がひっくりかえっても、ペーターはアリスを傷つけないだろう。
手紙にこめられていたのはペーターの執念と、もうひとつ。彼の部下による無念。


「捨てても解決にはならないよね。どうしようかな」


薄っぺらい手紙を、ふりふりと振ってみる。だが、何もならない。

破いてみようか、どうしようか。

効力を失わせるという意味では、燃やしたり破いたりした方が良いようにも考えられる。
だが、呪いのアイテムを破壊した為、何倍にもなって跳ね返ってくるという可能性だってある。

跳ね返ってきたとして、自分ひとりなら何とかなるだろう。
多少無理をすることになったとしても、特に気にならない。

けれど、アリスが居る。
彼女が危うい可能性があるとなると、下手な行動には踏み切れない。

アリスとディーは、揃って「うーん」と考え込んだ。

アリスと一緒に考えるなんて、とても素敵なことだ。
ディーは密かに、この事態を喜んでいた。


「……泉があるのよね、そうよ」


突然、アリスが零した。


「お姉さん?」
「手紙を浮かべてみるのは、どうかしら」


アリスは顔を上げた。
きょとんとしているディーに向かって、熱心に考えを語りだす。


「気まぐれだっていうけれど、もしかしたら何か起きるかも……って、悪い方向かもしれないけど。破るよりはマシなんじゃないかな……」


やはり、アリスも破り捨てることを考えていたのか。
ディーはくすっと微笑んだ。

ディーはしばらく考え込んだ。
アリスの提案は、悪くないように思えた。

水に浸けるくらいなら、跳ね返ってきたとしてもさほど増幅はしていないだろう。多分、だけれど。


「それ、やってみようか」


解決にはならないかもしれない。
けれど、解決するかもしれない。なら、やってみる価値はある。

ディーは噴水へ歩み寄った。


「お姉さん、念のため下がっていて。僕の後ろに居てね」
「うん」


小さな背中が、今はとても大きく感じられる。
身を寄せながら、頼もしいなあ、とアリスは感心した。

ディーは慎重な手つきで、手紙を噴水の水面に浮かべた。
アリスも、ディーの背中越しに、その様子を覗き見る。


「……うわ……」
「わあ、壮観だね」


ディーは顔を輝かせ、アリスは顔をしかめた。

手紙を浮かべた途端に、水の色が澱んだ。みるみる赤が広がっていく。
そうして、清らかだった様相を見事に変えてしまう。
ゴボゴボと赤黒い液体が噴き出される様は、まるで血の池のようだ。

しばらく身構えていたが、何かが起こる気配はない。ディーは徐に、構えを解いた。


「……うん、これでいいんじゃないかな」
「そ、そうなの?」


まるで、手紙の持つ毒々しさ、禍々しさを、そっくり移しとってしまったかのようだ。


(よ、よかったのかな)


自分が提案したこととはいえ、結果的にビバルディの持ち物を汚してしまった。ビバルディに申し訳ない気分になる。
今もきっと、彼女は再度の侵入者に眉をひそめていることだろう。

ディーは周囲を見回すと、変化を確認した。
アリスにむかって、楽しそうに声をかける。


「うん、これでいい。見て、お姉さん。消えていく」
「あ……」


促されて、アリスも見た。
部屋に量産された鏡たちが、ひとつひとつと姿を消していく。


「……良かった〜……」
「うん、良かったね」


アリスは心からの安堵を込めて、ディーは満足そうに、互いに微笑みあった。

当面の危機は去った。
となると、気持ちにも余裕がでてくる。


「ここから脱出しなくちゃいけないんだけど……このままでもいいな、僕」


ディーは嬉しそうにアリスを見つめる。


「えー……それは」


困る。
アリスは言葉を濁した。


「お姉さんは嫌? お姉さんと二人っきりだなんて、僕はすごく嬉しいよ?」
「嫌じゃないけど、でも……」


アリスだって嬉しい。

でも、駄目だ。
ダムが居ないではないか。

その上、ここはハートの城の領土内。気が休まらない。
不満そうなディーを見て、アリスは合わせた。


「……そうね、いいかもしれない。でも、ダムが心配するわ。帰らなくちゃ」
「そっか、それもそうだね。脱出口を探そうか」


二人で部屋を探してみるが、これといって取っ掛かりが見つからない。


「前は、どうやって出てこれたの?」
「前? えっとー……鏡にお姉さんが見えて、その後にクローバーの塔が映ったんだ。そうしたらドアが出現したんだよ、いきなり」
「へえ……何が鍵なのかしらね」


のんびりと言葉を交わしながら、壁や床に異変がないか触れてみる。
ただの硬質な冷たさしか感じられなくて、アリスは溜息をついた。


「何だろうね。ねえねえ、お姉さんは? どうやって部屋から出たの?」
「私は、ビバルディに開けて貰ったわ。ドアが消えるって聞いてたから。扉の前でビバルディが待っててくれたの」
「ふぅん、そうなんだ」


ディーの方も手詰まりのようで、斧の柄でゴンゴンと叩いてみている。

本当に脱出できるのだろうか。
そんな漠然とした不安はあるが、一人ではない。それが救いだ。

探すことを諦めて、アリスは考えを巡らせた。

ディー達は出口から出られた。
アリスは出口を見つけていない。

ならば――おそらく、出口がみえない原因はアリスにある。

――この子達と、何が違ったのだろう。


「ディー、前に鏡を見て、聞いて……どう思ったの?」


辛いとか悲しいとか、そういった類のことを、彼らも言われている筈だ。


「んー? 特に何も思わなかったけど」
「え」


アリスは目を丸くした。


「だって迷子の罠だったし。それに、僕らはお姉さんのこと信じてるから、惑わなかったよ」


ディーはあっさりとした口調で答えた。


「……」


アリスは口をつぐんだ。


(信じてて、揺るがなかったから、ドアが?)


アリスは嘘と知りながら、いちいち傷ついた。揺るぎまくりだった。
ならば、アリスが二人のことを信じきれていないことが原因、ということだろうか。

あまりにも嫌な結論だが、そうとしか思えなくなってくる。
アリスは自己嫌悪に陥った。


(でも、信じてるわよ、私だって。……あ)


思い当たることが、あった。

ディーとダムは、いつか自分から離れていくのではないかという、身勝手な不安が。


(……最低)


完全に信頼しているのなら、そんな一人よがりなことは思わない筈だ。理論上は。

ディーとダムの移り気が怖いのなら、もっとアリスも頑張ればいい。
気づかぬうちに、アリスは努力を放棄していた。もっと前向きに考えなくては。


(そうよ、さっきも助けてくれたわ)


ディーを頼りに思ったこと。
当たり前のようにアリスを守ってくれようとする姿に感動し、安心したこと。

とても幸せだ。
毎日ドキドキして、三人で居るとすごく楽しくて――アリスの思考は春のごとく緩んできた。


「お姉さんっ、ドアが!」
「本当!?」


ディーの声に、アリスは顔を上げた。
見れば、ディーの目の前には、確かにドアがある。あるのだけれども。


「でも、これ……半透明?」
「う」


愛が足りなかったか。
アリスは肩を落とした。


(ダムがいないと、半分埋まらなかったりして)


考えて、それはまずい、と冷や汗が出る。
その可能性はあるのだから。

ディーは興味深そうに、半透明のドアをしげしげと見つめている。


「……あれ? お姉さん、何か聞こえない?」
「んん?」


ディーがドアに耳を寄せているので、アリスも倣って耳を澄ませてみた。


『お姉さーん、いないの?』


遠くから、微かに響く声がする。
これは。この声音は。


「……ダムの声だわ!」


アリスは声を弾ませた。


『おかしいな、兄弟とお姉さんの気配はするのに……』


ディーもコクリと頷く。


「うん、兄弟だ! おーい、兄弟! 僕らはここに居るよ!」

一定方向ではないけれど、ダムの声は二人にハッキリと聞こえる。

ディーはドアに向けて、声をかけた。
すぐに答える声があった。


『兄弟! お姉さんは無事なの!?』


ディーは、さらに声を張り上げた。


「うん、無事だよ! でも、部屋から出られないんだ。そこから何とかできない? 兄弟」


ダムの側からならば、開けられるのではないか。
打つ手のない二人は、ダムに協力を要請した。


『うーん……ちょっと待ってね、まだ声の聞こえる場所を特定できてないんだ。お姉さん達、もうちょっと喋っていてくれない?』


ダムは受けてくれた。
アリスはホッと息を吐く。


「わかったよ、兄弟」


ディーはダムに寄りかかる気満々で、だらりと斧を下げた。


「ごめんなさい、ダム。ダムは何処にいるの?」
『僕? 僕は部屋にいるよ。戻ったら兄弟もお姉さんもいないんだもの、びっくりしたよ』


ダムは拗ねたような声で答える。
ダムこそ、ディーもアリスも居なくて、さぞかし落ち着かなかったことだろう。
謝ろうとアリスは口を開きかけたが、ダムの言葉はまだ続いていた。


『でも、気配は部屋にあるんだ。それで、使用人に聞いたら、ハートの城に行ったっていうしさ。やめてよね、僕の居ない間に……そんな面白そうなこと、するの』
「……そ、そうね」


何と返していいのかわからず、アリスは歯切れの悪い返答をした。


「ごめんね、兄弟。仲間はずれにしたかったわけじゃないんだ」


ディーが明るく声をかける。


『わかってるよ、兄弟。緊急事態だったんだろ? そのくらいは許してあげる』


そうは言うものの、やはりダムの声は不機嫌さが滲み出ている。
最初に聞こえた時より、距離が近づいているようだ。ダムの声は鮮明さを増す。


「帰ったら少しの間、お姉さん優先権をあげるからさ。機嫌なおしてよ」
『ほんと? それはいいね。約束だよ、兄弟』
「うんうん、約束だとも」


何を勝手に約束しているのか。

アリスは抗議しそうになったが、元はといえば、この事態は自分のせいでもあるのだ。
だから、文句は胸のうちで抑え、口を閉ざす。


『……あ、ここだな。兄弟、お姉さん、できるだけ僕の声から離れて』
「わかった!」


ディーは大人へとその姿を変えた。
アリスの体をたやすく抱きかかえると、素早く後方へ下がる。


「離れたよ、兄弟!」
『わかった。じゃ、行くよっ!』


掛け声と同時に、ガシャン、とガラスが割れる音。勢いよく飛び散る破片に、舞う土埃。


「わっ!?」


アリスは思わず首を竦めた。
庇うように、ディーがしっかりとアリスの体を包みこむ。

土煙がおさまると、ディーは合図のように、アリスの肩にぽんと手をおいた。
アリスが目を開けると、煙る空気の奥に、人のシルエットがあった。


「ふぅ……兄弟―? お姉さーん?」
「ダム!」


名を呼ぶと、ダムはパッと顔を輝かせた。
ダムは半透明のドアを、見事に半壊させていた。


「よかったー、お姉さんだ! こっちだよ、早く早く」
「うん」


見れば、ドアはじわじわと修復していっている。
ディーと共に、アリスはダムのもとへ急いだ。ダムに引っ張られ、ドアをくぐり抜ける。

転がるように、開けた場所に出た。
視界が急に明るくなり、目にまぶしい。見慣れた彼らの部屋だった。


「ありがとう、ダム……」


帰ってこれた。
アリスはダムに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめた。ダムは満足そうに笑顔を零す。


「助かったよ、兄弟。やっぱり頼りになるね」
「ふふん、そうでしょう。貸しだよ、兄弟」


いつものやり取りなのに、アリスは幸せになる。本当によかった。


「それで、問題は解決したの?」
「うん、ばっちり。もう、鏡も無いしね」
「え」


鏡が、ない?
ディーは得意げな笑顔をアリスへ向けた。


「粉砕しといたからね、お姉さん。もう悩まなくてすむ」


ディーはにこやかに、恐ろしいことを告げる。

これは嘘ではないだろう。
問題の鏡は、見事なまでに粉々になっているのだろう――おそらく、どう見積もっても修復は不可能なまでに。


(粉々……)


ビバルディに何と詫びたらいいのだろう。

やっと気持ちが晴れて嬉しい、と思う反面、アリスの頭の大半を占拠しているのは、ビバルディにどう告げたらいいのか、という厄介な――非常に厄介なことだった。

ディーとダムは、互いに目配せし合った。
あつらえたように、今の時間帯は夜だ。


「ね、お姉さん。疲れたでしょう」
「疲れてるよね、きっと。すごーく疲れてるはずだよ」
「え」


猫なで声で交互に言われ、アリスは面食らった。
ディーとダムは、帽子と斧を無造作に放り出す。


「疲れてるんだから、ベッドで休まないと」
「そうだよね、兄弟。僕らも一緒に休んじゃおうか」
「いいねー。すごく魅力的」


何てわざとらしい掛け合いなのだろう。
彼らの目的を察したアリスは、顔を引きつらせた。


「ちょ、ちょっと……」


まさか、また。
視線で問いかけると、ディーとダムはにこにこーっと笑顔で返してきた。もちろんだよ、と笑顔が物語る。


(冗談っ……!)


体がもたない。
アリスは逃げ出そうとしたが、その前に、二人の手がアリスの腕に絡みついていた。


「僕らと一緒に寝るよね、お姉さん」
「嫌だとは言わせないよ?」


子供っぽさを前面に押し出して油断させておいて、喉笛に喰らいつく。


「……」


アリスは観念した。
もとい、観念しなくてはならないことをアリスは知っている。

アリスが本気で突っぱねない限りは、加減なしにぐいぐいと押してくる。押しまくってくる。
けれど、本当に嫌な時は、サッと引いてくれるのだ。


(見抜かれてるのよね)


嫌ではないということに。
二人には敵いっこないのだ、結局のところ。


「ん……わかった」


ここは素直に応じておき、少しでも手加減してもらうことにしよう。
二人の額に順番にキスをすると、急に体が浮いた。
ダムに抱えられ、向かう先はベッドだ。ディーも続く。


「お姉さんの服は僕が脱がしてもいいよね?」


ディーは快く頷いた。


「うん、今回は兄弟に譲る。いまは兄弟に優先権があるからね。先にしてもいいよ」
「わあ、サービス精神旺盛だね、兄弟。それじゃ、遠慮なく」


ダムはアリスの服に手をかけた。
器用に自分の服も緩めながら、アリスの服は乱されていく。

手際がいいのは良いことなのだろうけれど、少しは遠慮してほしい。
アリスは毛布を引っつかむと、せめてもの抵抗にと、もぞもぞと身を隠した。

そんなアリスを見て、二人の顔は愛しさに緩む。
まだ恥じらいをみせるアリスのことを、可愛らしいな、と思う。


「大人と子供、どっちがいい? お姉さん。どっちでも、好きなほうでするよ」


囁く声音が、耳に優しい。
アリスは、すこし考えてから答えた。


「どっちでも、いいわ。どっちでもディーとダムだから」


大人でも子供でも。
外見が大人でも、中身は子供なのだから――いや、時たま疑わしい時はあるけれど。

きょとんと目を丸くした後、ディーはニヤリと笑った。


「お姉さん、大胆だね。両方としたいの?」
「ち、違うっ!」


そんなことを言ったつもりはない。
アリスは耳まで赤くなった。慌てて否定すると、今度はダムが目を瞠った。


「ええっ!? お姉さん、僕らとしたくないの!?」
「いや、そういうことじゃ……って」


何を言わせる。

ショックを受けたような顔をしているが、絶対にわざとだ。
仕掛けた言葉遊びにまんまと引っかかったアリスの反応をみて、楽しんでいる。


「もー……」


仕方ない子達だなあ、とアリスは口元を緩めた。
ディーとダムは、アリスの体をやんわりと押し倒した。


「アリス、キスして」


ねだられて、ダムの首に腕を回す。


「ん……」
「僕も僕もー」


言われるままに、ディーにも口づける。

軽く唇を合わせているだけだったのに、いつのまにか主導権は双子のほうにあった。
くらくらと目眩がして――徐々に、アリスの思考回路が鈍ってくる。

アリスの体へ、二人の手が伸びる。
一人だけでもいっぱいいっぱいになるのに、二人分なのだから大変だ。火が灯るように、触れられる場所が熱くなる。

最初の頃よりも、彼らはずいぶんと手慣れてきたようだ。
最初はただ、ぺたぺたーっと触ってみるぐらいだったのに。物覚えが早くて困る。

いつもいつもいつもいつも彼らに翻弄されっぱなしなのは、年上として、正直悔しい。
熱に浮かされながら、アリスも懸命に応戦した。
自分につけられるものと同じだけの赤を、彼らの体にもつけてやる、ぐらいの意気込みで。


「アリス、好きだよ」
「大好き。アリスだけが、ずっと好き」


二人の声も熱っぽい。
アリスに、魅惑的な言葉をたくさんくれる。

ダムの手なのかディーの手なのかわからないが、そっとアリスの左胸に置かれた。
アリスの荒ぶる鼓動を確かめるように。それ以上の動きはない。


「いい音だね、アリス」


うっとりと呟く声が、一体どちらのものなのか。
もうアリスは、まともに考えることができない。
吐息が乱れる。肌に浮かぶ玉のような汗が、シーツへと滴り落ちた。

縋りつくように、ディーとダムはアリスを求める。

いつまでも続けばいいのに。

アリスの頭にふと浮かんだ。
だが、そんなことを口走ろうものなら、実行されてしまう。
彼らの体力は無尽蔵だ。賢いアリスは、言葉を飲み込んだ。

三人で睦みあう。
それはきっと奇妙な光景なのだろうけれど、それでもアリスは幸せだった。


『もう飽きちゃった』
 

鏡の声が、アリスの胸に小さなわだかまりとなって残っている。

彼らと触れ合うことで、アリスは安心している。
他者からどう見られようが、アリスは幸せなのだ。

あのとき感じた寒さに比べれば、怖いくらいに。

この温もりさえあれば、もしも鏡の声が現実のものとなっても、きっとアリスは耐えられるだろう。

ディーとダムの幻に縋って、生きていける。

もちろん、そんな事態にならないことが、一番良いことなのだけれど。
ディーとダムの温もりがもっと欲しくなって、アリスはそっと身を寄せた。




【幻想怪奇譚/山藤/了】











 【Find Out/岬・山藤/了】






 


===== あとがき ===

2009年8月発行『Find Out』より。

Find Outの後日談みたいな感じです。

読んでくださってありがとうございました。