光明










夜明けが近い。

眠ったような眠っていないような、いまいちすっきりしていない。
行軍のため身体は疲れているのに、頭だけが冴えていた。もう、いっそのこと起きてしまう方が良い。

馬超は諦めて身体を起こした。手早く身支度を整える。
のそのそと天幕から外に出ると、すぐに声をかける者があった。



「馬超殿、おはよう!」



早朝には似合いの、だが戦場に不釣合いな声がする。
振り向けば、そこにはが立っていた。その顔を見るだけで、肩の力が抜けるような心地がした。



「ああ、おはよう……朝から元気だな、お前は」
「そう? あ、魏延殿! 魏延殿ーおはようございます!」
「……」



魏延は答えず、軽く頭を下げてきた。
手まで振っているの横で、馬超もぺこりと頭を下げる。

歩いて行く魏延の背中を何となく二人で見送ってから、と馬超は朝の冷たい空気を吸い込んだ。
冷たさで身が引き締まる思いだった。

これから始まる戦に想いを馳せる。

曹操――。

馬超は無意識に、唇を強く噛みしめていた。次に見えたなら、きっと。



「次の作戦ね、魏延殿と一緒なんだー。前線だよ!」
「……何? お前がか?」
「そうなの。頑張らないと!」



疲れを感じさせない笑顔で、は笑う。
つられるように、馬超も笑みを浮かべた。浮かんだばかりのどす黒い想いが滲んでいく。



「張り切るのはいいが、調子こいて怪我はするなよ……」
「失礼ねー。でも、ありがとう。馬超殿も、ご武運を!」



子供じゃないんだから、と膨れたすぐ後で、微笑みを浮かべている。
本当に、表情がころころと変わる。良く笑う娘だな、と馬超は目を細めた。

空が白み始めた。
そろそろ、皆も起きてくる頃合いだ。

と分かれると、馬超は諸葛亮のもとへ向かった。彼に直接、聞きたいことが出来た。






聞きたいこと。
それ即ち、今日の部隊配置について、だ。

馬超が訪ねて行くと、諸葛亮は快く迎えてくれた。懐の深い軍師殿だ。



の腕がいまいち、という訳ではないが……大丈夫なのか?」



馬超の問いかけに、諸葛亮は少し考え込む素振りを見せた。



「……。魏延殿が、突出し過ぎない為の配置なんですよ。突出されるのが一番困りますので」



やはりそうか、と馬超は腕を組む。

この軍師殿の采配に文句をつけたい訳ではない。
実に見事な策を立てて、この戦場を指揮しているのだ。裏を疑う理由は無い。

いちかばちかの危険な事はしない――程度には信頼しているのだが、些か引っかかりを覚えたのも事実だった。

馬超の見立てでは――は、前線で戦える程には強くない。
主要部隊として動くには、まだ経験が浅かった。



「成程……には?」
「言っていませんよ。流石に」
「……まあな。気持ちはわからんでもない」



手放しで嬉しそうな彼女本人を前にして、実はそれほど期待していない、なんて。
面と向かっては言えない。言えたら鬼の所業だ。



「確かになら、魏延殿も気にかけるだろうな」
「ええ、おそらくは」



諸葛亮は頷く。

他の男共では、全くと言っていい程に抑止力にならない。
まあ大丈夫だろう、と置いていく可能性大だ。



「心配ですか?」
「心配……していない、とは言わん。だが、俺は俺の役割をこなす」
「そうですか」



諸葛亮は安堵した表情で、ひらひらと羽扇を仰いでいる。
その表情は柔らかく、余裕を感じさせる。



「殿にも聞かれましたよ、同じことを。……皆に好かれていますね、殿は」
「そうだな」



明るく裏のない気性だからこそ、他の将からの信頼も厚い。
叩き上げのせいか、根性もある。

彼女が武将に昇格したのは、その武功も理由だが、何よりも性格によるところが大きい。
物怖じしない彼女のことを、皆が好ましく想っている。実際、戦の時も彼女の部隊は士気が高い。

いつしかは、なくてはならない存在となっていた。

馬超もまた、その一人。
復讐を胸に生きているのに、隣にがいる時は、それを忘れている自分がいる。

話は終わった、と馬超は去ろうとした。
出て行こうとする馬超の背に向かって、そうそう、と諸葛亮は告げる。



「馬超殿の配置と、彼女とは近い。東側が片付いたら、積極的に援軍に行って下さい」
「わかった。そうしよう」



馬超は承諾すると、今度こそ天幕を後にした。






怒号や金属音が飛び交っている。
前線かつ、戦の要とされる場所。激戦地だ。その地で、は戦闘を繰り広げていた。



「ん……! よい、しょっ!」



軽やかに敵の剣撃を交わしながら、避けた勢いで敵に昆を叩きこむ。重たげな、鈍い音が響いた。
まともに喰らった敵はくぐもった声をあげて、地面へと倒れ伏した。



「ふう……魏延殿は、大丈夫かなっ、っと!」



周囲の状況を確認しながら、慎重に斬り込んでいく。

幸い、こちらが優勢だった。
これも、魏延の力押しによるところが大きい。

魏延隊を援護するような形で、の部隊は付添いながら進む。

この道の先に本陣がある、と諸葛亮は見ていた。
あの軍師殿の見立てが間違ったことはない。

交戦しているのは本隊ではない。
そのうち増援が来るだろうから、あまり長々と時間をかけてもいられない。



「その首、貰った!!」
「!」
様!」



寸での所で槍を受け止める。だが、勢いに負けての体勢は大きく崩れた。
その絶好の隙を、敵は見逃してはくれない。
何人かの敵兵が、立て直す間もなく躍り出る。



様をお守りしろ!!」



親衛隊の必死の叫びと、それに応える者達。乱戦となった。



「……死ネ!」



突如降り注いだ――地響きの如き強い声に、敵兵は目に見えて動揺した。それがいけなかった。
波のように、矛が兵達を薙ぎ払っていく。

はホッと息を吐きながら、素早く体勢を整える。
そして、尚も援護しようとする馬上の魏延へと声を張り上げた。



「魏延殿……私に構わず、先へ!」



だが、魏延は動かない。は尚も魏延を急かした。



「早く拠点を落とさないと、増援に備えられません! 行って下さい……耐えて見せますから!」



僅かに迷った魏延の目が、爛々と力を持つ。
馬を翻し、魏延はに背を向けた。



「……。分カッタ。死ヌナ!」
「皆、私は、いい……魏延殿を援護しろ! 道を作れ!」
「……はい!」



幸い、魏延達が数を減らしてくれたおかげで、これくらいなら一人でも耐えられる。多分。



「う……」



がつん、と敵の攻撃をまともに受けたが、骨に響く。
これしきの事で、弱音など吐いていられない。もとより数では負けているのだから、踏ん張らないと。

何とか雑兵を倒し終えたは、肩で息をしながら周囲を見渡した。
一向に落ち着かない荒い息と流れる汗が、鬱陶しいことこの上ない。

魏延は無事、拠点を落とせたのだろうか?



「え、ええと……」



自分の部隊も、魏延への援護で向かわせた。
だから正真正銘、ここには独りきりだ。



「……?」



不穏な気配がする。
思わず振り返ったは、自分の目を疑いそうになった。



「!」



青の軍旗を掲げた大軍が、こちらへ向かってくる。

紛れもなく魏の本隊だ。

は息を呑んだ。
膝が震えそうになるのを、なんとか堪える。



「ど、どうしよう……」



頭が真っ白になる。
思考を手放すな、とは己を罵倒した。

は、恐怖を振り払うように頭を振った。考えろ。考えなくては。

幸い、まだ気づかれていないようだ。



(ここを通してしまえば、魏延殿が挟み撃ちになる……それなら)



この先は、魏延の向かった先は――確か、橋があった筈だ。ならば、自分のやるべきことは一つ。
そう考えた時には、足がもう走り出していた。






そうして、は魏の本隊と向き合っていた。
橋の手前で、得物を構えている。緊張でぶっ倒れそうだ。

まさか自分が張飛殿の真似ごとをする羽目になるとは、と内心どきどきしている。



「ほう、一人か……良い度胸だな」



を見て、敵部隊は進行を止めた。思いきり睨みあっている状態だ。
見えたのは、夏侯惇と張遼。そして、二人の後ろには曹操が見える。ああ、目眩がしそうだ。



「だが、女相手とて容赦はせんぞ」



じろり、と威嚇するように睨まれる。
いや、実際に威嚇だろう。視線だけで射殺せそうだ。

夏侯惇と張遼、なんて最悪な組み合わせだろう。
関羽殿と対等に戦える人たち、と聞いている。

敵わない、と直感的に解る。哀しいかな、の腕ではどう足掻いても勝てない。けれど、退けない理由がこちらにもある。



「望むところだ。先には行かせない!」



よかった。声が震えなかった。



(ふふ……足止めぐらいには、なれるかな)



半ばやけっぱちな気分だ。

そして、は気づいた。
今にも襲いかかって来そうな二人に比べて、曹操だけが。

曹操だけが、じいっとを見ている。ものすごく見ている。
敵を見る目とは、ちょっと違うような――少し、粘っこいような――何だろう一体。



「まだ戦う気は十分、か。ふむ。誰ぞ、この娘を捕縛せよ」
「!?」
「はあ……わかった。斬り捨てるには、少々寝覚めが悪いしな」



これ見よがしに溜息を吐きながら、夏侯惇が馬から降りた。
得物を片手に、すたすたと近寄ってくる。

有無を言わさぬ空気に、の反応が遅れた。

猫の子を捕まえるように、サッと腕を掴まれる。
昆で殴りつけてやりたいが、昆を持っている方の腕も剣で軽く抑えられる。

掴む力は強くは無い。
これくらいで押えとけば何とでもなるだろう、と思われているのが腹立たしい。



「……な、なに……」
「恐れるな。悪いようにはしない」
「嘘」



こんな状況だというのに、かえって頭が冷静になってきた。
いつもよりも、周りがよく見える気がする。自分の声が、不思議と遠く聞こえた。



「嫌だ」
「嫌だと言ってもな。……来い」



力任せにぐいぐいと引っ張られる。

は、掴まれた腕を思いっきり突き出した。
身体全体を使って、倒れこむように体重をかける。



「!?」



大振りの剣を昆で打ちつけて弾き、体を捻る。掴んだ腕が離れた隙に、蹴りを入れる。
渾身の蹴りは綺麗に脇腹に入り、夏侯惇はたまらず顔を歪めた。



「ぐっ……!?」



は夏侯惇から距離を取った。
無理に攻めるような真似はしない。ただ、時間を稼げればいい。



「女……貴様……!
「はは、お主が翻弄されるとはな。女、名は何という?」



曹操は楽しそうにニヤニヤしている。
夏侯惇は苦虫を噛み潰したような顔をして、こちらを睨んでいる。怖い。

名乗るかどうか、一瞬迷った。
けれど、名乗って不都合な事は無い。




か。良い名だ」



今にも張り裂けそうな緊迫した空気の中、曹操だけが余裕を見せている。怖い人だな、とは思った。



「気に入った。その、隙あらば噛みついてやろうとする目が良い」
「……」
「張遼」
「……。はっ」



命じられた張遼が、静かに前に進み出た。
矛を構え、対峙する。



「……いざ!」



大きく振り上げられた、矛の切っ先だけを見つめていた。
何とか初撃を交わし、昆を振るう。それは軽くいなされてしまったが、こちらは攻撃に出ない。



(防戦だけなら、何とか……)



明らかに、自分よりも上手の武将だ。
下手に勝とうと欲を出すよりも、集中して防御に徹した方が良い。

まともに受けないようにする。
の狙いは、ただそれだけだ。

数合やりあった後、張遼は目を細めた。の狙いに気づいている。



「……成程。だが!
「ぐ……!」



たたみ掛けるような猛攻に、昆を持つ手が痺れる。
取り落とさないでいるだけで精いっぱいだった。

それも束の間、はついに昆を取り落としてしまった。



「あっ……!」
「勝負あったな」



ぴたり、と喉元に刃を突きつけられる。
終わりか、と思った途端に身体の力が抜けていく。何が何でも抵抗してやろう、という気力が湧いてこない。

その場に座り込み、項垂れる。
このまま斬り捨ててくれたら良いのに、と物騒なことすら頭に過ぎった。殿。

に向けて手が延ばされた、その時だった。



ッ!」
「っ!」



張遼は、素早くから離れた。
張遼の居た場所に、槍が突き刺さる。

は、のろのろと頭をあげた。いつの間にか、馬超がそこに居た。



「馬超殿……」
「無事か!」
「はい……」



馬超が、の腕を掴んで立たせる。そして、庇うように前に出た。



……しっかり立て。俺の後ろに。倒れるなよ」
「はい!」



馬超は槍を構えなおした。
眼前に、憎い仇敵の姿がある。それだけで、頭に血が昇りそうになる。

だが、だけは護らなければ。
まで奪っていこうとするのか、こいつは――。



「曹操、貴様……貴様だけは許さん!!」



から注意を引き離す為に、馬超は敵部隊へと飛び込んだ。
せめて曹操だけでもこの槍が届けば――ああ、殺したい。



「殿に手出しはさせぬ!」
「く……!」



やはり、そう簡単には行かないようだ。

曹操を護るように、間に夏侯惇と張遼が立ちはだかる。
この二人を倒して尚、曹操に一撃いれてやるのは骨が折れそうだ。

馬超とて、多勢に無勢なのに変わりは無い。
単騎でここまで先行してきたが、部隊が追いつくには少しかかる。



「今です!」



涼やかな力強い掛け声と共に、大量の弓兵が現れて魏軍へと矢を放つ。
優勢だった筈の魏軍に、混乱が生じた。



「!?」
「な……なにっ!?」
「伏兵か……! くそっ!



退け、という誰かの号令。
そうして、次第に本隊が退いていく。まさか伏兵を配置していたとは。



「遅れました。大丈夫ですか、お二人とも」
「諸葛亮殿……」
「助かった」
「大丈夫そうですね」



良かった、と諸葛亮の目が柔和に微笑む。
すぐに表情を切り替えると、諸葛亮はてきぱきと指示を飛ばした。



「さあ、魏延殿の部隊と合流します。行きますよ」






  






===== あとがき ===

ちょっとシリアス?混ぜつつスタート(・ω・)
ピンチに白馬の王子様のごとく参上する、とか想像したら馬超さんが最適に思えてきました。

逆ハ気味(今のところ)に、もうちょっと続く予定です。

(2015.9.3 山藤)