雨の中を、は走る。
Game Over
どのくらい走ったのだろう。
まだ、クロロは追ってくる。諦める気配は毛頭ない。
私と一定の距離を保ち続けている。それ以上はけして距離を縮めない。
おそらくクロロは楽しんでいる。
クロロは、私が疲れて自ら倒れるのを待っている。
そう考えると、心底ゾッとする。
捕らわれれば最期だと、本能で感じる。その感が間違ってないことも。
必死に走るが、振り切れる気がしない。
どうしたらいい?
誰かに助けを求めることはできない。
かの悪名高い幻影旅団のリーダーに勝てる者など、私の周りには誰一人いない。無論、私とて。
それに、他の人まで巻き込むわけにはいかなかった。
孤独だ。一人で戦わなくてはならない。
勝てる気なんてこれっぽっちもしないが、それでも。
まだ、ここで終わるわけにはいかないのだ。
こんなところで、諦める訳にはいかなかった。
だが、もう既に身体が限界だった。
もともと、自分がそんなに強いわけではないこともわかってる。
それは今、嫌というほど実感している。
冷たい雨も、の体力をどんどん奪っていく。
焦りと凄まじい疲労感から、足がもつれそうになるのを懸命にこらえていた。
まもなく、夜が訪れようとしている時だった。
辺りは冷たく静まり返っていた。不気味な程に。
はとうとう、その場にしゃがみこんでしまった。
もう、一歩も動けなかった。
背後から、クロロの足音がやけに冷たく響いた。
辺りはシンと静まり返って、人どころか猫の子一匹いない。
は思わず身震いした。寒さのせいか恐怖のせいかは、わからなかった。
「やぁ」
「……」
の真正面にしゃがみこみ、クロロはニッコリと笑った。
息一つ乱していなかった。
それを見て、自分との力の差を思い知らされる。
酷く絶望的な気分になり、はぎゅっと唇を噛んだ。
「もう逃げないのかい?」
は何も言えず、クロロを睨みつけた。
それぐらいしか抵抗できない自分が悔しい。
クロロは、子供のようにとても楽しそうに笑う。
「俺の勝ち」
クロロはに手を伸ばした。
肩を掴まれそうになって、思わずその手を振り払う。
「……まだ抵抗するのか? いい加減、諦めなよ。俺から逃げられはしない」
クロロは笑みを消し、を冷たく見下ろしている。
その自信に満ちた言葉が、の心に冷たく響いた。
「さぁ、これで君は俺の物だよ」
の意識はそこで途切れた。
最後に見たのは、クロロの冷笑だった。
「……」
はゆっくりと目を開けた。
ゆるりと覚醒していく意識の中で、視界の異変に気がついた。
なんだか天井が遠い。
それに、体の節々が痛い気がする。
昨日、何かあったっけかと思い返していた、その時。
「目が覚めたか?」
はバッと声がした方に振り向いた。
クロロが、居た。
分厚い本を片手に、椅子に深く腰掛けている。
けれど、彼は髪をオールバックにしていた。
雰囲気のある服と、額の逆十字がやけに似合う。
今までのクロロと印象が違いすぎて、一瞬誰なのかわからなかった。
声だけは間違いなくクロロだから、クロロなのだろう。
瞬間、昨日の出来事を全て思い出した。
そうだった。
私は、この人に。
絶望感と恐怖感に襲われたが、そんな素振りを見せてはいけない。
更につけこまれるだけだ。気丈に振舞わなければ。
いっそ、殺してくれていれば良かったのに。私の意識がないうちに。
否、彼がそんな優しいことをするはずがないか。
彼が視界に入っているのが耐えられなくて、は顔を背けた。
クロロは微笑を浮かべると、こちらに近づいてきた。
のいるベッドに腰掛けると、を抱き寄せた。
「な、何っ……!」
「ん? どうしたんだ?」
「……私を、どうする気?」
クロロは何でもないような顔をしている。
それが『当たり前』であるかのように。
問われて、クロロは少し考え込んだ。
「うーん、どうしようか? とりあえず、俺の傍にいろ」
「……断れば?」
それを許されるはずがないと理解していながらも、問わずにいられなかった。
クロロは微笑んだ。
あの時のような毒々しさはなく、優しい笑顔だった。
変わらぬ『クロロ』の笑顔。
今はもうその裏にある恐ろしさを知っている。
だから、尚更怖い。
「断れるのか? 君に選択肢はない」
「……」
は押し黙った。
「そういえば、は薬師だったな、蜘蛛専属の薬師になれ」
違う。
私は、そんなことをするために薬師になったんじゃない。
そう反論したかった。
そういえば、とクロロは軽い口調で付け加えた。
「ここが、今のアジトだ。まだ誰もいない。……」
「!?」
クロロはそっと、の頬に触れた。
は怖くなって、思わずその手を振り払った。
クロロは苦笑を浮かべた。
の顔を覗き込むクロロの目が闇に見えて、身が竦んだ。
「……反抗的だな、は。俺のモノだって言ってるのに」
「っ!」
「だから、思い知らせてあげるよ」
クロロはを強く抱きしめた。
折れてしまうのではないか、という位。
無理矢理に顎を持ち上げられ、口づけられる。
何度もそうした後、クロロはの上に覆いかぶさった。
「俺の印を刻め」
クロロは残酷な笑みを刻んでいる。
はもう何も言えず、ただ大人しく従うことにした。
「……うん? 初めてなら仕方ないな。すぐに、と思っていたんだが」
クロロは楽しげに、を抱いた。
愛情もなにもない行為。彼にとって、ただの戯れにすぎないのだろう。
怖かった。
ただ、それだけ。
それから、少しでも反抗的な態度を見せたらすぐに組み敷かれた。
昼夜問わず。そして決まって、夜にも抱くのだ。
そんな日々が、続いた。
「……ふむ。だいぶ……」
クロロはの寝顔をじっと見つめていた。
徐に、の髪を撫でる。
手つきだけは優しいが、子供が大事な玩具で遊ぶ時と同じようなものだ。
最初のうちは、はただ大人しいフリをしていた。
それは、クロロには解かる。
の瞳の光は決して曇ることはなかった。淡々と、今は従うフリをしているだけだ、と。
それが、クロロにとって嬉しかった。
は、多少のことでは心は折れないだろう。
能力が特に強い、というわけではないが、心が強い。
そこに惹かれたのだ、とクロロは感じている。
けれど、それが彼女を支配する上で最も厄介なことでもあった。
の心を支配する。
自分の物だと、認識させる。
だから、ただ抱き続けた。彼女の心が壊れるまで。
壊れてもいいと思ったのだ。ただただ、彼女が欲しかった。
その効果はあったようだ。
まだ完全に壊れきってはないものの、の瞳には諦めの情が浮かんできている。
そう、諦めればいい。
自分から逃げ出そうなんて。
反抗する気力を失えばいい。
逃がしてあげようなんて思ってもいないのだから。
が解放されるのは、クロロが彼女を殺す時だ。
それがいつになるのかは、今は見当もつかない。
「……このくらいでいいか」
クロロは闇の中、満足そうに微笑を浮かべた。
記憶が薄れていく。
クロロと出会う前、どんな生活をしていたのかすら、うろ覚えだ。
心が麻痺している。
あの時、何故逃げたのか、もうわからなかった。
広間に皆が集まっている。
クロロが召集をかけたのだろう。
「皆に紹介する。俺達専属の薬師となる、だ。」
団員達は皆、を見ている。
刺すような視線だが、は何とも思わない。
この世で最も怖いのは、クロロの視線だと解かっているから。
嘘を覚えた。
精一杯、作り物の笑顔を浮かべては前に進み出た。
笑いたくなどない。
協力する気も、毛頭ない。
クロロは、そんな自分の心をどれだけ理解しているのだろうか。
実は、全てを見透かされているような気がする。
けれど、今はただ演技を続けよう。
クロロが後ろに立って、その様子をじっと見つめている。
その視線を一身に受けながら、は彼が好むように演技する。
は、精一杯明るく言った。
「初めまして。です」

===== あとがき ===
第二弾です。
前の話の続きです。更に暗い…てか、救いのない話になっていってるような。。
読んでくださってありがとうございました!
(2015.8.27 山藤)