さあ、ゲームの始まりだ。

君を捕まえるよ。
俺の手から逃げてごらん。

君は何処まで逃げられるかな?














 
Game Start














曲がり角でぶつかったのが最初。

普段は、人の気配に敏感だ。
人にぶつかるなんてことはしない。

その日は雨だったのと、少し急いでいたからか、その日に限って人とぶつかってしまった。
相手もクロロも小走りだったので、その衝撃は大きかった。
クロロにとってはわずかな衝撃だが、ぶつかった相手の少女は派手に転んでしまった。

少女はぬかるんだ道に尻餅をつく。
その柔らかい色のコートを薄茶色の泥が侵食した。



「あいたー……」
「ごめん! 大丈夫!?」



クロロは慌てて、派手に転んだ少女に手を差し伸べた。



「え? あ、うん。大丈夫。こちらこそごめんなさい。考え事してて」



少女はクロロの手を取り立ち上がると、苦笑を浮かべた。

特に美人というわけではないが、何となく憎めない雰囲気の少女だった。
まだ幼い感じの、真面目そうな少女。



「服が……」
「うん? あーホント。ドロドロだねぇ」



少女は自分のコートを見て、そう呟いた。
だが言葉に棘はなく、ただ単に客観的な響きのみがあった。

仮にも女性を、こんな姿のまま往来を歩かせるわけにはいかない。
ちゃんとしたお金が今あったかな、とクロロは思いながら、少女に頭を下げた。



「ごめん。弁償するよ」
「安物だからいーっていーって。お兄さん、怪我は?」
「ないけど、君が……」



すまなそうに言うクロロに向かって、少女はニッコリと笑ってみせた。
そして、腕時計をちらっと見やる。



「良かった。私、行かなくちゃ。じゃあね、お兄さん!」



そう言うと、少女は元気よく駆け出していった。
クロロは思わず名乗っていた。



「! あ……俺は、クロロ! 君の名前は?」
だよ!」



は振り向いて、もう一度笑った。
何故か彼女に、興味が沸いた。その笑顔が、クロロの脳裏に焼きついて離れない。

それが始まりだった。
彼女にとっては不運としか言いようがない、始まりだった。









次の日。
前日と打って変わって、その日は快晴だった。

クロロは、とある家を訪れた。
裏通りを少し入ったところにある、小さな家だった。

チャイムを鳴らす。と、中からパタパタと足音が聞こえてきた。
そして、あっけなくドアが開く。

随分と無用心だな、とクロロは苦笑した。
ひょこっとドアから顔を覗かせたのは、前日にぶつかった少女だった。



「はーい?」
「こんにちは」
「あ、クロロさん? こんにちは!」



彼女が自分の名を覚えていてくれた事が、少し嬉しかった。
クロロはに微笑みかけた。



「昨日のお詫びに、何処か出かけないか?」
「そんな、私が悪いのに。……あ、でも、ごめんなさい」
「え?」
「ちょっと今実験してて、手が離せないの」



は心底残念そうに呟いた。
クロロは少し目を見開いてみせた。



「うん? 何の実験?」
「クスリよ。私、薬師なの。今、新薬の開発中」
「へぇ……中で見ていてもいい?」



表面上、知らないフリを装う。
実は、そのことは既に知っていたのだが。

クロロは微笑みながら、問いかけた。
さすがに躊躇うかなと思っていたが、意外にもはあっさりと頷いた。



「うん、どうぞ。散らかってるけど」



は何の躊躇いも無くクロロを招き入れた。

警戒心が薄い。そうクロロは思った。
初対面に近いのに、すんなり家の中に入れるとは…抵抗はないのだろうか。

まして、クロロがどうやって家をつきとめたのか、と疑問に思わないのだろうか。

実は、悪人かもしれないのに。

中は綺麗に片付いている……とは言えなかったが、特に汚い印象は受けなかった。
机の上には、難しそうな表紙の本が乱雑に積み上がっている。



「適当に座っていいからね。あ、コーヒーでいい?」
「あぁ」



どこに座る場所があるのだろう、とか思いつつ、近くにあった椅子に腰掛けた。

は一旦奥に消えると、カップを片手に戻ってきた。
一つ、クロロに手渡す。
そして、自分は傍にある作業台らしき場所に戻った。
クロロには、背中を向けた形になっている。



「こっちが……えっとー」



ブツブツ呟きながら、は慣れた手つきで作業を開始した。

クロロは興味深そうに、辺りを見回した。
机だけでなく部屋中に、書類や薬関係の本が積まれている。
棚には、所狭しと薬品の入った瓶が並べられていた。



「手に取ってみてもいいか?」
「うん、いいよー」



は振り返らずに、明るく言った。
クロロは瓶の一つを手に取った。
ラベルに、薬効と薬品名とが綺麗な文字で綴られている。



「これ、全部が?」
「うん、新薬だよ。ちょっと効果が弱いから、まだ完成してないけど」
「今作ってるのは?」



は振り返って、右手に持っているフラスコを振った。
中に、綺麗な薄い蒼の液体が入っている。



「これはねー、副作用なしで身体機能を高める薬。……の、改良版よ」
「ふーん」
「その中で治癒能力だけを高めたいの。治療薬として使えるように」
「念を使えばいいんじゃないか?」



クロロの素朴な問いに、は笑みを浮かべた。



「それもそうだけど、一般の人対象だから」



だが、気分を害してはいないようだ。
この少女が怒るということがあるのだろうか。



「最終目標は、念を使うより高い効果をだすこと」
「それはいいな」
「でしょ? でも失敗が多くって。これで53回目よー」



照れたように笑う彼女は、とても魅力的だった。
クロロは、机上の紙を手に取った。
どういう反応が出るか、事細かなデータが書かれてあった。



「人体実験を?」
「うん。自分で飲んでみてるわ」



は、さらっとそう言った。
一瞬、クロロは言葉が出なかった。



「毒薬とか、作らないのか?」
「依頼があれば作るよ?」
「……それも、飲むのか?」
「うん」



は平然と、そう言ってのけた。
当然だ、とでも言いたげに。



「……平気なのか?」



一般人なのに。
クロロの疑問を打ち消すようには笑い、軽く頷いた。



「念能力で、何とか」
「……念能力者だったのか」
「うん、そうだよ。クロロさんもでしょ?」
「あぁ……」



は手を休めずにそう言った。

それは、知らなかった。
オーラは一般人とほぼ変わらずだだ漏れているから、とてもそう見えなかったのだ。
クロロは心底、驚いていた。

の方は、もともとクロロが念能力者だと知っていて、中に招き入れたのか。

話せば話す程、この不思議な少女に惹かれていった。












そのまた翌日。

その日も晴れていた。
だが、予報では午後から雨に変わるらしい。

クロロは再び、の家を訪れた。
は相変わらず、クロロに対して警戒心を微塵も見せなかった。



「やぁ」
「あ、クロロさん。おはようございます」
「おはよう。今日は予定ある?」
「ないです」



クロロは、ニッコリ笑っての手を取った。



「じゃ、決まりだ。行こう」



は迷った。

昨日、念の話をした辺りでクロロの目が一瞬深いものになったのをは見逃さなかった。
次の瞬間、それは戻っていたけれど……多少ひっかかるものがあった。

だが、クロロが手を引っ張ったので、素直に行くことにした。

二人は、街に出かけていった。
はこの誘いに乗ったことを、後に後悔することになる。














楽しかった。
君は笑って、俺も笑った。久々に、気を張らずに笑うことができた。

だが、無粋な訪問者でそれは終わった。

ブラックリスト・ハンター。

街中で、突然襲い掛かってきた。
が席を外していた時だったから、良かったか。
勿論、クロロは躊躇わずに瞬殺した。

案外、骨がありそうだったのに。つまらないな。

戻ってきたは、硬直していた。
驚いたように目を見開いて、クロロと、その足元の死体とを交互に見つめた。
誰から見てもはっきりと判るくらい、青ざめていた。



? どうしたの?」
「その……人」
「あぁ、俺の首を狙ってるらしいね」
「何故?」



ああ、スイッチを押したね。

クロロは目を細めた。

さあ、ゲームスタートだ。離脱は許されない。
俺が勝つか、君が勝つか。どっちかな?

クロロはニッコリと笑った。
笑顔だけ見れば、とても善良そうな優しい笑み。
それが悪魔の微笑みだと知っている者は、この世に何人くらいいるだろうか。

君も、その一人になる。



「俺が、幻影旅団の団長だから」
「!!」



は目を大きく見開いて、あとずさった。
信じられない、といった風に、僅かに首を横に振った。
彼女は、見るからに怯えていた。



「そんな……クロロさんが?」
「そう。……? どうしたんだい? 怯えてるね?」



クロロは無邪気に笑って、に一歩詰め寄った。
は思わず、一歩後退した。

俺を拒絶したいのか。けれど、許さないよ。



「ご、ごめん。今のクロロさん……ちょっと、怖いよ」



ちょっとどころではない。かなり怖い。

今では狂気すら見せ始めたクロロに、はかなり戸惑っていた。

逃げなければ、と、本能が警告を発している。
この場にいるのは危険だ、と。

もとい、この男に関わりすぎてしまった、と、後悔すら感じ始めていた。
彼の『決して入ってはいけない領域』に踏み込んでしまった。
そんな気がした。



「怖がらせてごめん。でも、俺はのことを殺したりなんかしないよ?」
「……クロロさん?」
「君のこと、気に入ってるからさ。だから、俺のモノになってよ」
「クロロ……っ!? ど、うしたの!?」



正気の沙汰ではない。

クロロは、冷たい目でに微笑みかけた。
彼の纏うオーラにも、それが滲み始めている。
彼のオーラは、威圧的なものへと変化していた。そのオーラの強さに恐怖する。



「はは、やっと『クロロ』って呼んでくれたね。こそ、何で俺から逃げるの?」
「……ごめん!」



は耐えられなくなって、駆け出した。
元来た道を、こちらを振り返らずに走っていく。

クロロは微動だにせず、その様子を見ていた。
自然と、口元に笑みを刻んでいた。



「おや、逃げたか。仕方ないな、は」



クロロは面白そうに一笑すると、の去った方角に走り出した。
途中で、円も発動した。







さぁ、どこかな?

そう、好きなだけ俺から逃げるといい。

けれど、捕まえるよ。どこまででも追いかけて。逃がしはしない。


捕まえたその時が君の最期だよ。









===== あとがき ===

クロロのイメージはこんな感じです。笑っていても狂気寄り、というか。
愛が芽生え……芽生えてはいませんが。。

読んでくださってありがとうございました!

(2015.8.27 山藤)