彼の冷たい心は嫌いじゃなかった。

むしろ、日に日に荒んでいく心が彼を求めていた。



その冷たい手が欲しい。

何も考えられないように、冷たく凍らせて欲しいと。













 
クール・ビューティ











拭っても拭っても。
この手は赤が染み付いていて、消えない。消せない。

時折、両の手を切り落としてしまいたい衝動に駆られる。

こんな手で、何が掴めるというのか。
こんな汚れた手で。何を掴もうとしているのか。

いったい、私は何が欲しいのだろうか。
金? 地位? 名誉? ……否、違う。違うはずだ。

自分が、何を求めているのか分からない。
けれど、何かがこの手で掴めるはずだと信じている。
何が欲しいのかわからぬままに人を殺め続けるのは、さぞかし滑稽に見えるだろう。



「……」



また、一つの命が強制的に終わった。
殺すことに心が慣れてしまって、何とも思わない。

私は壊れている。
壊れているけれど、壊れきれていない。

闇で生きられる程に強くなく、光にその身を晒すのは怖い。

彷徨い続ける、空っぽの人形。

どうしたらいいのだろう。ただ、迷っている。



は血塗れのナイフを部屋にあった悪趣味なカーテンで拭うと、鞘にしまった。



「……今日も、見つからない」



は酷く落胆したようにそう呟いた。

答えはまだ見つからない。
いっその事壊れてしまえた方が幸せだろう、と思うけれど。
自ら進んで壊れるには、まだ躊躇ってしまう。私は往生際が悪いのだ。



「……どこにあるのかな?」



その問いに答えられる者は居ない。
今、この館では彼女以外は皆、屍と化しているからだ。



「……ねぇ」
「……?」



ふいに涼やかな声がした。
この凄惨な状況には場違いなほど。
は空耳かと思ったが、一応振り返った。

冷たい風が髪を揺らした。

確かに今まで居なかった、男性がそこに居た。
窓が開いているということは、そこから入ってきたのだろう。



「……誰?」
「イルミ=ゾルディック。君は?」
よ」
「そう、



イルミは深い闇色の瞳で、をじっと見つめた。
その深すぎる目を一目見て、同業者だと直感的に判る。

真正面から彼の闇を覗いてしまって、思わず鳥肌がたった。

イルミは目線で床に転がっている死体を指した。



「ソレ、俺のターゲットだったんだけど。横取りしないでくれる?」
「ああ……ごめんなさい」



イルミは呆れたようにそう呟いた。
けれど、別に大して困っているわけではなさそうだ。その口調は至極淡々としている。

だからも、素直にそう謝罪した。
別に悪いとは思っていないけれど、形だけ。



「君のターゲットだったの?」
「いいえ。コレの奥方。でも私、ついでに皆殺しにしてやろうと思って」
「ふーん。なかなか良い趣味だね」



二人は淡々と会話をする。
イルミは別にそれ以上咎めるわけでもなく、それでは彼の実力の程を知る。

ふいに、は小さな声で呟いた。



「……そうしたら、答えが見つかるかなって」
「? 何て?」



突然話が飛躍して、イルミは少し訝しげな顔をした。

この人なら、同じ生き物だから。

は自然とイルミには話してもいいと思った。
今まで誰にも打ち明けたことの無い話を。



「沢山殺したら、そのうち解かるんじゃないかなって」
「……何のこと?」
「自分でもよくわからないの」
「ふーん」



イルミは胡散臭そうにを見たが、それ以上追求はしてこなかった。

自分でもわからないのに、この人にわかる筈ないだろう。
当たり前のことを失念していた、とは自分に落胆した。

それでもこの時、何処か通じるものがあったのかもしれない。



「……じゃあね」
「待ちなよ」
「あら。見逃してはくれないの?」



立ち去ろうとすると、イルミに手を掴まれた。
はふわり、と振り向いた。

殺されるのか、と、ただ単にそう思っただけだった。

それでも良かったのだ。
終焉でも良かった。この世界が終わるのならば。

だが、イルミはの言葉を否定した。



「別にのこと殺そうとは思ってないけど」
「だったら、何?」
「急がないんでしょ?」
「ええ」



すると、イルミはを引き寄せた。
そのタイミングが素晴らしく良くて、は抵抗する間もなくイルミに抱かれた。

至近距離でその顔を見ると、何となく背中に寒いものを覚える。
先程よりも強く、悪寒に似た快感を心の隅で感じた。

私は自分を人形のようだと思っていたが、この考えは改めなくてはならない。
この人こそ人形だ。完璧な人形。

イルミとは唇を重ねた。
ただ何となく、そうなる事が自然な気がした。

そのまま体を押し倒されて、あまり固くはない床の上に落とされる。
サラリとした彼の黒髪が頬に触り、ちょっとくすぐったい。



「……死体の横で?」
「ん? 気になる?」
「別に」
「ならいいんじゃない?」
「そうね」



会って間もないのに体を重ねるなんて、普段の二人には考えられないことだったに違いない。

もともと、イルミはあまり他人に興味はない。
なのに何故そんな気になったのか。

それは、彼女があまりにも――あまりにも……何だろう。

誰かに似ている、と思ったのかもしれない。
哀れだ、と思ったのかもしれない。

薄っすらとではあるが、こうしなければならないような気がした。



(……冷たい……)



イルミの体温は自分より低く。
イルミの手や唇も、ひやりとするほど酷く冷たい。

それで、は酷く安心した。

床の無機物な冷たさとイルミの冷たさがの体を支配していった。



 ◆ ◆ ◆



目が覚めると、彼の姿は無かった。

ただ凄惨な光景が眼前に広がっているだけで、それでは少し安堵した。

あんなに鮮明だった血は今は赤黒く。
血がすっかり流れてしまった死体はただ青白く。

昨夜の事は夢だ。
そう思うのは情事の痕跡が許さない。

酷く冷たい瞳をした、残酷な男。
彼の顔ももううろ覚えで、でもあまり大したことではないと思う。

一瞬だけでも、彼と冷たく同調できたことが嬉しかった。

は僅かに口元に笑みを刻んだ。
気持ちは晴れていた。

まだ夜明け前。
は衣類を身に纏うと、ひらりと窓から飛び降りた。



 ◆ ◆ ◆



それから、の家には度々イルミが出入りするようになった。


どうやって所在を調べたのか、と無粋な質問はしなかった。
はイルミの顔を見て、すんなりと中へ通した。

歓迎したというわけでもないけれど。
彼が居ることに抵抗は感じなかったし、それが自然だと思った。

それから、何処からともなく突然にやって来ては、と体を重ねる。
ただ体を重ねるだけであって、けして恋仲ではない。

二人ともそれだけでいい気がしていた。

互いの心は決して求めない。
そんな暗黙の了解のようなものまであるのに、二人は恋人ではないのだ。

滞在期間は1日の時もあるし、1週間の時もある。
仕事のついでに寄っているのだろう、とはぼんやり考えた。
でも、実際のところ理由などどうでもよかった。

会話もする。共に食事もする。
これでどうして恋人でないのだろう。まして、友人でもない。

はイルミの冷たい心を嫌ってはいなかった。
むしろ、それが心地よくさえ感じていた。

だからか、イルミと体を重ねる時は酷く安心するのは確かだ。

ただ、イルミは自分の為にここに来ているわけではなかった。
の事が忘れられないとか、心配だったとかいうわけではない。

はきっと自分を求めるだろうな、と何となく感じていたから。

冷たく凍らせて、何も考えられないように。

それは彼女にとって、良い事だと思う。

弟のキルアも、彼女のように求める瞳をしていた。
キルアは上手く籠から逃げられたけれど、は違う。

キルアのようには逃げられない。
今度こそは逃がさない。

『身代わり』として、彼女が気がかりだったのだろうか。



「……」



自分でもよくわからない行動を理解しようと何度も熟考を重ねた結果が、それだ。

成る程、としっくりくるものがあった。
自分も今、気がついてしまった。

イルミはそんな事を考えながら、を見た。

大丈夫。
今度こそは、失敗したりしない。

彼女は、丁寧に丁寧に壊してあげよう。
それが、彼女にとって一番幸福だろうから。
不器用だから自分では壊れきれない。誰かの手で壊してもらわないと。



「……ねぇ」
「何?」
「壊してあげようか? 俺が」



突然のイルミの言葉に、は目を見開いた。
しばらく何事か考え、重い口を開く。



「……できるの?」
「うん」



訝しげに問い返すに向かって、イルミはあっさりと頷いてみせた。



「だからさ、。俺の家においで」



舞台を彩るには、相応の場が必要だ。

それが『日常』となる。
きっと、何も感じなくなる。

それが今の彼女に必要なことだ。

イルミは彼女を手放したりはしない。彼女の血肉に染み込むまで。



「……それ、プロポーズなんじゃない?」
「そうかもね。俺はいいけど」



は本当に嬉しそうに微笑んだ。やっと辿り着いた。

ああ、この人だった。
私が待ち望んでいたのは、この人だった。

私を壊してくれる人。
心まで凍らせてくれる人。そんな人が必要だった。

イルミも僅かにだが、微笑んだ。
それは酷く残酷な笑みだったに違いないが、はとても嬉しかった。



イルミが突然お嫁さんを連れてきた事に大騒ぎになったのは、また別の話。








   


===== あとがき ===

ひたすら暗い。主人公が疲れてますね。

読んでくださってありがとうございました。