ミラクルカード
吐息も凍りつくような、凄まじく冷たい夜だった。
は店じまいをしながら、何気なくカードを一枚摘んだ。
裏返してそのカードを見て、その形の良い眉をしかめる。
「あら」
誰に言うともなしに、思わず呟いていた。
カードを半ば睨みつけるように、もう一度まじまじと見つめる。
「……不吉なカード」
自分の占いには自信がある。
加えて、自分の直感も信じている。
自然と頭の中で、これから嫌な事が起こるなと予測してしまう。
そして大抵、そういう時こそ外れてはくれないのだ。
はうんざりし、一つ溜息を吐いた。
は占いを生業としている。
一般人から裏世界の住人まで顧客は様々だが、そこそこ売れていると思う。
とりあえず不自由なく生活ができて、これ一本で食べていける程度には。
贅沢な暮らし、とまではいかないが、はそれで十分だと思っている。
これ以上に名を売ろうとは思わないし、もともとあまり名声は重要視していない。
何より、は占い自体が好きだった。
に占いを教えてくれたのは祖父だった。
その祖父も10年ほど前に他界した為には天涯孤独の身となったが、不思議と寂しさは感じない。
人間を相手にしているから寂しさが紛れるのだろうか。はそんな風に考える。
こんな寒い夜は久しぶりだ。
何となく、あの夜を連想させる。
あの男が初めてここにやって来たのも、こんな夜だった。
彼はが出会った中でも、特に変わった男だった。
ふいに彼の鮮烈なイメージが記憶から甦って、は首を竦めた。
それ程、彼との出会いは衝撃的だったのだ。
今でもハッキリ覚えている。
今までに見た他の『変わり者』など、すっかり影が薄くなってしまう程に。
いよいよ冷えてきたので、は湯を沸かし始めた。
何か暖かいものでも飲んで落ちつきたい。
コンロの火が部屋の空気を少しだけ暖めてくれた。
湯が沸くのを待っている間、は読みかけの本に手を伸ばすと椅子に座った。
食事はどうしようかと考えたが、特に空腹も感じないので、この問題は先送りにすることにした。
本の世界に没頭しかけたが、はふと顔を上げた。
案外すぐに、その『嫌なこと』はやって来た。
コツコツと軽快な靴音を響かせて闇をすり抜け、彼がやって来る。
その靴音だけでもう誰なのか判るのが、何だか複雑な心地だ。
天幕を手で払いのけ、中に体を滑り込ませる。
……『本日は終了しました。』という文字が見えなかったのだろうか。
いや、見えていたとしても、そんな事を気にするような奴ではないか。
外よりもいくらか暖かいこの店に足を踏み入れると、彼は勝手知ったる様子で迷わず奥へと進んだ。
奥の部屋には今、が居る。
その事も、当然彼は知っているのだろう。
彼――ヒソカは、ノックもせずに扉を開けた。
はもう何も言うまい、と半ば呆れ果てた表情で、平然と侵入者を受け入れた。
はちらりとヒソカを見ると、まだ無意識に手に持っていたカードを机の上に置いた。
ヒソカは相変わらず読めない笑顔を浮かべながら、に近寄ってきた。
「また占いをしてるのかい? よく飽きないねェ◆」
「飽きるも何も……私の仕事だもの」
「よく当たるって評判良いみたいだよ、キミの占い◆」
「ありがと」
その賛辞だけは素直に受け取っておこう。
いつのまにか湯が沸いていた。
は僅かに微笑んで見せると、体が冷えているだろうヒソカに熱いコーヒーを淹れてあげた。
そのついでに、自分のも用意する。
外の冷気に負けたのか、いつのまにか自分の指も冷たくなっていた。
ヒソカは差し出されたカップを受け取ると、一口飲んだ。
……もし、私が毒でも入れてたらどうするのかしら。
ヒソカが普通にコーヒーを飲んでいるのを眺めながら、は何となくそう思った。
……もし毒入りだったとしても、ヒソカなら平気そうな気がするのは私だけだろうか。
今度試してみる価値はあるかもしれない。
「……何を占ってたんだい?」
「内緒」
は冷たくそう言うと、散らばっていたカードを片付けた。
そして、嫌な予感がしながらもヒソカに視線を戻した。
「ところで、何しに来たの?」
「久しぶりにキミの顔が見たくなってね★」
「そう。じゃ、見たら帰ってね」
「冷たいなァ◆」
口ではそう言うが、さほどダメージも受けていないらしい。
何がそんなに楽しいのか知らないが、やっぱり笑みは崩さない。
ヒソカはさっき片付けたばかりのカードケースに手を置いた。
そして、極上の笑顔でニッコリと微笑む。
「コレ、貰ってもいいかい?」
またか。
は怒りに任せて怒鳴りつけたい衝動に駆られた。
こういう事は今回が初めてではないのだ。
は気持ちを落ち着けるべく、深呼吸をした。
何とか自分を律すると、なるべく平静を努めながらヒソカに問いかけた。
「……常々疑問に思ってたことがあるんだけど」
「何だい?」
「何で毎回毎回、私のカードを持っていくのよ」
1回や2回ならまだ許そう。
けれど、今回でもう8回目になる。
……正直、いい加減にして欲しい。
いや、最初に甘い顔をした私が馬鹿なのだろうか。
はその瞳に静かな怒りを籠め、ヒソカを睨みつけた。
ヒソカはわざとらしげに首を傾げて見せた。その動作がを更に苛立たせる。
「……カード類はね、長く使わないと上手く伝わらないの」
「へぇ★」
「何とかそのカードも仕上がりかけてるってのに。
何でこう良いタイミングで持っていくかな……また最初っからやり直さなきゃならないじゃない」
「そうなんだ◆ゴメンゴメン★」
謝りながらも、それでもカードケースを元の位置に置こうとはしない。
そして、ヒソカは駄目押しとばかりに再びニッコリと微笑んだ。
「けど、貰ってくよ◆」
「……ヒソカ、人の話聞いてた?」
暗に返せと言っているのだが、ヒソカには真意が届いていないようだ。
否、わざと気づいてないフリをしているのかもしれない。
ここはハッキリ『返せ』と言わねばならないか、とが口を開こうとしたその時。
ヒソカは唐突にとの距離を縮めてきた。
思わず後ろに逃げたくなったが、奇跡的にもその場に留まることができた。
今、二人の距離は1メートルとない。
「勿論★ボクもね、のカードが良いんだ◆」
「? どのカードでもいいじゃない」
「まァ、理屈はそうなんだけどねェ★」
ヒソカは楽しげにクックック、と笑っている。
それにしても、何て突拍子のないことを言い出すのだろうか。
何か明確な理由があるのなら、聞いてみたい。
そんなちょっとした好奇心をもヒソカは粉砕した。
「何となく、かな◆」
「……わかってたわよ」
は何となく脱力した。
くるりと彼に背を向け少しばかり距離を取り、すっかり冷めてしまったコーヒーの残りを飲み干す。
ヒソカはカードケースからカードを取り出した。
自分の手に馴染むかどうかを確認しているようにも見える。
「のカードを持ってると何故か運も良くなるんだよねェ、不思議と★」
「それは気のせいじゃない?」
「多分ね★」
何なんだこの男は。
私を脱力させる為に来たのだろうか、と疑わしくなってくる。
いつもならカードを手にさっさと退散する癖に、何故か今日は長く居る。
がカードを持っていくなと言うのも聞かず、軽やかに無視して去っていくのだ。
ああ、思い出したら腹が立ってきた。
「と会ってから、どうもボクはツキが良い◆」
ヒソカは手ごたえを確かめるように、パラパラと軽快にカードを操る。
いつ見ても鮮やかな手つきだ。くそう。
いや、もしかすると喧嘩を売りに来たのかもしれないな、とは考えを改めた。
「それで、ボクなりに考えてみたんだけど……聞く?」
「聞かせたいんでしょ? どうぞ」
はもう一つ溜息を吐くと、先を促した。
ヒソカはあまり人の意見を聞きたがるタイプではない。
それはもとっくに知っている。いや、痛感している。
「これも一種の……愛があるんじゃないかな?」
ヒソカはニコニコしながら、そう口にした。
それを聞いた瞬間、はピシリと硬直した。
顔が引きつっているのが自分でもわかる。
驚きすぎて、しばらく声も出なかった。
やっとのことで自分を取り戻すと、は恐る恐る聞いてみた。
「……誰と、誰の間に」
「ボクとの間に★」
ヒソカは秀麗な笑顔で即答した。
は嫌そうに顔をしかめながら、近くにある椅子にフラフラと座った。
何だか立ち眩みがして、まともに立っていられなかった。
「……ちょっと、冗談……」
「クックック……けど、相性が良いのは間違いないだろ?」
まぁ確かに悪くはないと思うが、良いのかどうかは疑問だ。
ヒソカは変にベタベタ干渉してこないし、自分とそこそこ話も合う。
どちらかといえば好きな方だとは思う。
彼の自信の源である、その揺るぎない強さは好きだった。
だが、それとこれとは次元が違う。
ヒソカはの手を取って立たせると、そのまま流れるような動作で引き寄せようとした。
はハッと我に返ると、ヒソカの胸を手でぐいっと押しやった。危なく流されるとこだった。
「……ちょっと待て」
「ん?」
「止めよう」
「……何で?」
ヒソカは心外だ、とでも言わんばかりに僅かに眉を顰めた。
その顔から、初めてあの笑みが消えた。
「奇術師と占い師……洒落にならないでしょ」
どう考えても悪趣味すぎる。
ヒソカは少し考えてから、再び楽しそうな笑みを浮かべた。
「うーん、最強だよねェ★」
そういう考え方もあるのか。
と、ほんのちょっぴり感心した次の瞬間、は今度こそヒソカの腕に捕らわれていた。
何とか逃れようと抵抗してみるが、腕力でヒソカに敵うはずがない。
ニコニコと余裕の笑みを浮かべているヒソカを見ては諦め、大人しくなった。
「……あのさ、私はあまり色恋に興味ないんだけど……」
「おや、気が合うじゃないか★ ボクもだよ◆」
おい。
呆れ果てたは、ヒソカを軽く睨んだ。
「だったら、何でそんなこと言うの」
「ボクはに興味があるんだよ◆ 意味、解かるかな?」
ヒソカはじっとを見つめた。
黙ってその視線を真っ向から受けていただが、一つだけ溜息を吐いた。
「……はぁ。私も厄介な人に目をつけられたものね……」
「うん★ 逃がすつもりはないから、早めに観念してくれると嬉しいんだけど◆」
「それって脅迫?」
「そうだよ★」
ヒソカはあっさりと頷いた。
隠さずそう言うヒソカが怖い。
冗談のつもりだったのに、とは妙な脱力感を感じた。
ヒソカが相手では逃げられそうもない。
だが、このままあっさりヒソカのペースに乗せられるのも癪だ。
「……正直に言ってもいいかしら?」
「どうぞ◆」
「私とヒソカって、この距離だから良いのかもしれないわよ?」
互いに近寄りすぎると、かえって今までの…比較的良好な状態を保てないかもしれない。
「うーん、そうかなァ?」
ヒソカは首を傾げた。
はヒソカを見上げて、その顔をぼんやりと眺める。
ああ、ヒソカって顔立ちは良いんだな、と今初めて気がついた。
あまり注視してなかったから、今まで気がつかずにいた。奇抜さで確実に損をしている。
ヒソカは少し考えてから口を開いた。
「でも……今の距離は、ボクは嫌じゃないよ★ は?」
「……自分でも意外よ、この彼氏距離でも嫌じゃないなんて」
はどちらかといえば男嫌いである。
最初に距離を詰められた時こそ構えてしまったが、思った程嫌ではなかった。
正直にそう言うと、ヒソカは満足そうに笑った。
「だったら、大丈夫さ◆」
「……」
「まだ何かあるのかい?」
別に何もないけれど、何か言わなくては。
は何かないか、と思考をフル回転させた。
「私、この仕事が好きなの。続けるつもりだから、一緒には行けない」
「OK★ 一緒に暮らそう◆」
ヒソカが何を言っても動じないので、は苦笑した。
共に暮らす事に特に異論はなかった。
ヒソカの事だから、四六時中一緒に居ることもないだろう。
そういう意味では、今とたいして変わらないような気がする。
そんなあっさりした関係ならば別に構わないかな、とは考えた。
「私の家に住みつくつもり?」
「嫌なら、新しく探しても良いけど◆」
「ううん、移るのも面倒だし。今日から来る?」
「勿論★」
は仕方ない、とばかりに片手を挙げて降参の意を示すと、溜息を吐いた。
手早く店じまいをすると、ヒソカを伴って帰路につく。
ヒソカは気味が悪いほどに上機嫌だった。
もう辺りは夜に包まれていた。
人通りはほとんどなく、二人の靴音だけが面白いほどよく響く。
吐息が白い。
いつのまにかヒソカと手を繋いでいて、まるで恋人同士のようだ、とレイは思った。
そしてすぐに、ついさっき恋人になった事をは思い出した。
どうもいまいち実感がない。
けど、ヒソカの手は好きだな。
は歩きながら、ぼんやりとそう考えた。
ヒソカはの歩幅に合わせて、彼にしてはゆっくりと歩く。
そしてその日、初めて体を重ねた。
体温に触れると、何故か酷く安心する。
ヒソカのちょうど良い重さも、肌に心地よい。
人の重さがこんなにも気持ちいいとは、今まで感じたことがない。
こんなに寒い夜だから。
人肌が恋しくなったのかもしれない。自分もヒソカも。
ヒソカの優しい腕に包まれながら、は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
それから、二人の生活は始まった。
とはいっても、はあまり以前と変わらないだろうと楽観していたのだが。
ヒソカが意外にも家に入り浸ることになるのは、計算外だった。
2,3日帰らないことはザラだろう、と予測していた自分が甘かった。
2,3日どころか、外泊する気配すらない。居心地が良いのだろうか。
起きればヒソカが居る。
帰ってきたらヒソカが居る。
ただ、それも悪くない、と思い始めている自分が怖い。

===== あとがき ===
ほのぼのでした。
珍しく穏やかヒソカさん。
読んでくださってありがとうございました!
(2015.8.27 山藤)