その夜、蜘蛛は動いていた。
本日の獲物を狩りに。
ヒソカは一人、颯爽と歩く。
館の主の部屋へ、屍を踏み越えながら。闇に紛れて。
館は既に、むせかえるような鉄の匂いで充満している。
ヒソカはしなやかな動きで角を曲がる。主の部屋は目前だった。
と、その時。
濃い、血の匂いがした。
ブラッド・スペル
どういうことだろう。
ヒソカは一瞬、不審に思った。
こちら側は、まだ団員の手は及んでいない筈だが?
この先に、予定外の何かがあるのか、それとも大したことでもないのか。
予想外の事は、いつだってヒソカをワクワクさせる。
ヒソカは躊躇う事無く扉を開いた。
その部屋……主の部屋では、ちょうど惨劇が行われようとしていた。
見知らぬ女が居る。
明らかに、この強欲な男のボディガード……ではなかった。
部屋は、既に赤に染まっている。
側近だったのだろう護衛達の血が、周囲に乱雑に飛び散っていた。
血だまりの中、彼女は主の首を乱暴に掴んでいた。
右手には鈍い光沢を放つナイフ。
女は、入ってきたヒソカを見向きもしなかった。
ヒソカは多少興味が惹かれて、見物を決めこんだ。
今、このほど良く緊迫した場を壊す程、無粋ではない。
女は、事切れる寸前であろう主の咽喉に、容赦無くナイフをあてがった。
ゆっくり、ゆっくりと切り裂いていく。
彼女の瞳には、ひとかけらの慈悲もない。
男は既に絶命しているのだろうか、叫び声ひとつあげずに為すがままになっていた。
勢い良く吹き出る血が彼女の衣類に付着し、赤に染めていく。
ヒソカはそれを楽しげに見つめながら、女を注意深く観察した。
彼女からは、最高の果実の香りがした。
彼女は暗殺者か。
なるほど、素晴らしく似合っている。
死というものほど、公平で平等なものは無いだろう。
老若男女問わず、その死と滅びの一瞬は、等しく冷たく与えられるものだ。
ヒソカは、その手助けをしているだけ。
彼女もまた、ヒソカと同類種に違いない。
血を浴びた刹那、彼女の瞳には歓喜の色さえ浮かんでいた。
似ている、とヒソカは思った。
某友人に。そして、自分に。
……彼が友人と呼べるかどうかは別として。
その友人――イルミと、自分とを足して割ったような。
感情の見えない瞳。
でもそれはきっと、自分と同じで。
彼女の過去がどういうものであったのか。
それは、彼にとってどうでもいいことだった。ただ、彼女の名だけを知りたいと思った。
「キミ……名前は?」
気がつけば、思わず口にしていた。
女はゆるりと振り返った。
まるで、ヒソカの存在に今気がついたかのような緩慢な動作だった。
相変わらず、その顔には何の感情も見えないままだ。
女はじっとヒソカを見たが、何も言わなかった。
「そいつ、キミが殺ったの?」
ヒソカが視線で、『それ』を指す。
無惨な肉塊と化した、かつては人間だった物。
問いかけた後で、ヒソカは自嘲気味に笑った。
何て当たり前の事を口にしたのか、と。
この光景を見た後でそれを問うのは、酷く滑稽な気がした。
女はヒソカの問いを無視すると、すっと視線を窓へ移した。
女のほうはもうヒソカに興味を失ったようで、軽やかに身を翻すと窓へと近寄る。
窓から出ていくつもりだろうか。ここは24階だというのに?
だが、逃がさない。
「つれないなァ◆ 話をする時間くらい、あるんじゃない?」
「仕事は終了した。もうここに用はない」
女は口を開くと、淡々と言葉を紡いだ。
女のどこか機械的な声が、ヒソカの耳に心地よかった。
「ところが、ボクはあるんだよねェ◆」
「私の知ったことか」
女は素っ気無く言うと、ヒソカに背を向けた。
ヒソカの事は全く眼中に無いらしい。
女は手を伸ばし、軽く金属音を響かせて窓を開けた。
生ぬるい風が頬を凪いだ。
「ボク達も用があったんだよ◆ そいつに★」
ヒソカはもう一度、『それ』に目をやった。
女は首だけを動かすと、ヒソカを見た。
「どうしても見つからないモノがあってね◆ 主に吐かそうと思ったんだ◆」
「それは残念だったな」
そんな事、欠片も思ってないくせに。
ヒソカは笑った。
唇の端を持ち上げるだけの、彼独特の笑み。
笑みを刻みながらも、徐々にオーラの量を上げていく。
威圧感さえ漂わせている。いつ戦い始めてもおかしくはない状態だ。
だが、女は眉一つ動かさない。
それどころか、纏うオーラの量にさえ変化は無かった。それで、ヒソカは少し拍子抜けした。
「だから、キミをこのまま帰すわけにはいかないんだよ★」
バタン。
ヒソカがそう言った途端、女の背後の窓が閉められた。
女の視線が、一瞬、窓へと向けられた。
その一瞬を見逃さず、軽やかな身のこなしで女に詰め寄る。
そのまま腕を強く掴み、自分の方に引き寄せた。
「このまま、団長が来るまで待とうか★」
「……お前、幻影旅団か」
ヒソカはニッコリ笑って頷いた。
この女が、少しでも自分に関心を示してくれたのが、少し嬉しかった。
「そうだよ★ ボクはヒソカ◆」
「……そうか」
女はそれ以上何も言わなかった。
ヒソカは目を丸くした。
会話の流れから、てっきり彼女が名乗ってくれるかと思っていたからだ。
「あれ? 名前、教えてくれないのかい?」
「何故お前に名乗る必要がある」
「いいじゃないか名前くらい◆ 支障はないだろ?」
女は少し考えると、それもそうか、と小さく呟いた。
「……無い」
「?」
細い声で、呟くように女は言った。
感情は、やはり見えない。ただ淡々と呟くだけ。
先刻見せていた激しさは何処へ行ったのか。
本当に同一人物なのかと疑いたくなる。
今の彼女は、プツリと糸の切れたマリオネットのようだ。
そう、人形のような。
女は美しかった。
あらゆる美の賛辞を受けるに値する程に。輝く黄金の髪。透明な蒼色の双眸。紅い唇。
だが、彼女の醸し出す機械的な雰囲気が、彼女をより『人形』に見せていた。
今も、ヒソカの手を振り解こうと、抵抗さえしない。
ただ力なく、ヒソカのなすがままになっている。
「名は、無い。お前の好きなように呼ぶといい」
「……ふぅん◆ 難しいねェ★」
名前か……名前ねぇ……。
ヒソカは思考を巡らせた。
これといって思い浮かばなかったが、女はヒソカの言葉を待っているように見えた。
それはもしかすると、ヒソカの希望だったのかもしれないが。
ヒソカは思いついた名を口にした。
「じゃ、……って呼ぶ事にするね◆」
「そうか」
は興味なさそうに、ただ目を閉じた。
肯定も否定もしない曖昧さが、ヒソカの興味を引いた。
何でもかんでも白黒ハッキリさせるのも……それ自体悪くはない。
けど、グレーゾーンってあってもいいじゃないか、ねぇ?
突然、扉が開かれた。
はだるそうに目を開けると、一応確認する。
重々しい雰囲気を漂わせている男達。
その中に、どう見てもボス格の男が居た。どうも彼だけは目についてしまう。
オールバックの黒髪。額の逆十字。
刻まれた記憶と照合させる。幻影旅団団長、クロロ=ルシルフル。
と、いうことは。
はヒソカをちらりを見た。
このヒソカとかいう男も団員だと確定できる。
本当かどうかは、今まで疑わしかったのだが。
クロロは部屋の惨状に一通り目を走らせた後、ヒソカを見た。
次いで、ヒソカに捕らわれているを見て、クロロは視線をとめる。
「……お前が殺したのか」
クロロは、低い声で咎めるようにそう言った。
他の男達も、を威圧的に凝視していた。
だが、は何の反応も示さなかった。
『見ればわかるだろう』とでも言いたげに、ただ、クロロの暗い瞳を一瞬見つめ返しただけだった。
の衣類には毒々しい程に、血がべったりと付着している。
これで『自分が殺したんじゃない』と言い張っても、無理がある。
金髪の男が、大げさに溜息を吐いた。
「あーあ、殺しちゃったか」
「手がかりがなくなったな。どうする団長?」
「おい女。お前は何故ここにいる?」
だが、は何の反応も示さない。
(ククク、脅したって無駄無駄◆ 彼女は、死を恐れていないからね◆)
ヒソカは楽しそうに目を細めた。
自分だけが。
この中で、自分だけが、彼女のことを理解している。
そう考えると、何故か楽しかった。
「死ぬ前、何か言てなかたか?」
「正直に言った方が身のためだよ」
フェイタンとシャルナークが、に一歩近寄る。
フェイタンにしては珍しく、我慢しているようだ。
の煮え切らない態度に、おそらくはもう既に、頭にきているだろうに。
だが、その問いすらは無視した。
皆のオーラの量が、彼らの苛立ちを示している。
(うーん、そろそろ危ないかな?)
ヒソカはの顎を持ち上げた。
強制的に自分の方を向かせる。
は視線を逸らさない。
だが、その瞳に『ヒソカ』は映ってはいない。それが少し気に食わなかった。
唇が触れ合うかどうかというギリギリの至近距離で、ヒソカはニッコリと笑ってみせた。
「ねぇ◆ ボクの為に教えてよ◆」
「……?」
は僅かに眉を顰めた。
ヒソカの真意を汲み取ろうとしているに違いなかった。
「何が言いたいのかわからない」
「ボクと取引しようよ◆」
「……それは、依頼か?」
「うん、そうだよ★」
「そうか」
短くがそう言うと、ヒソカは唇の端を持ち上げて、満足そうに笑った。
ヒソカはを解放した。
は少し、考え込むような素振りを見せた。
そして徐に、淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「命乞いをしたな」
話し出した、ということは、取引は成立したらしい。
皆、の言葉に聞き入っている。
「……『宝物庫の場所を教えてやるから』とか……言っていたかな」
「聞いたのか?」
「……何故、私が聞く必要があるんだ」
「そこで殺したのか」
クロロの問いに、は軽く頷いた。
「手がかりはゼロか。どうする?」
「いや、そうでもない」
突然、は歩き出した。
躊躇いもなく血の海を行く。
はその肉塊へと歩み寄った。
無造作に手を突っ込み、何かを探る。
はヒソカに『それ』を投げて寄越した。
ヒソカの拳から、鮮血が滴り落ちる。
皆がヒソカの元へ集まる。ヒソカは手を開いてみた。
血に塗れた、金色の鍵だった。
「鍵か」
「後は知らない」
「じゃ、テメーはもう用無しだな。殺していいか? 団長」
「ああ。好きにしろ」
クロロは何の躊躇いも無く、を殺すことを許可した。
は面倒くさそうに、軽く溜息を吐いた。
クロロの許可を得たウヴォーギンが、へと近寄ってくる。
殺すつもりだろう。
は仕方なく、ウヴォーギンの方に体を向けた。
対抗しようかどうしようか考えていると、ウヴォーギンの前にヒソカが立ち塞がった。
ウヴォーギンは立ち止まると、ヒソカを睨みつけた。
ヒソカは、唇の端を持ち上げる彼独特の笑みを刻んでいた。
「駄目だよ◆ ボクが彼女と取引したんだからさ★」
「テメーに指図される云われはねーな」
「そ◆ じゃ、ボクが戦おっかな★」
瞬間、ヒソカは皆の注目を集めた。
ヒソカを睨みつけていたウヴォーギンでさえ。
皆、ヒソカの口からそんな台詞を聞くとは思いもしなかったのだ。
そんな中、クロロの静かな声が響いた。
「待て。揉めたらコインだ」
「……ちっ。わかったよ」
「ハイハイ◆」
ヒソカがコインを取り出す。
このコインに、の命運が賭かっている。
なのに、当の本人は興味なさげだ。
「表」
「裏◆」
マチがヒソカに近寄り、確認する。
「裏だね」
「ウヴォー、退け」
「ちっ」
ウヴォーギンは面白くなさそうに舌打ちした。
だが、掟は掟。ここは仕方なく退くしかなかった。
そして、団員達はこの部屋を去った。
おそらく、今から宝物庫を探し出すのだろう。
部屋には、ヒソカとだけが残された。
「クックック、◆ 命拾いしたね★」
「……代金は」
「そうだったね◆ あ、キミもオプションでつけて欲しいな◆」
「……? 意味がわからない」
は眉を顰め、ヒソカを見た。
本当に解かっていないのだろう。
ヒソカは、を抱き寄せた。
ニッコリと微笑むと、大胆に告げる。
「ボクの物になってよ◆」
「……」
「駄目かい?」
ヒソカはの顔を覗き込んだ。
は少し、戸惑いの色を見せていた。
「いや……対応の仕方を教わっていない」
「じゃ、君のボスと連絡取ってくれる? 直接話したいんだ◆」
「ああ、わかった」
は頷くと、携帯を取り出した。
機械的な手つきで番号を押し、ヒソカに手渡した。
「じゃ、向こうで話してくるね◆」
ヒソカはそう言うと、部屋から出て行った。
は何をするともなしに、部屋に立ち尽くしていた。
これからどうなるのか、ということすら、興味はなかった。
数分後。
ヒソカが戻ってきた。
「話はついたよ◆」
ヒソカは携帯をに渡し、満足そうにを見た。
そう。ヒソカには、奇妙な満足感があった。
「これで、キミはボクのモノだ◆」
ヒソカは嘲笑い、の手を取った。
は軽く頷いた。
つられて、少しだけ笑みを刻む。
ヒソカはを抱き寄せ、その唇を重ねた。
は何の抵抗もしないまま、ただ目を閉じた。
何の感慨もなかった。
ただ、主が変わった。この男が、次の主。
は、ぼんやりとそんな事を考えた。
一つだけ確実な事は、この男の方が前の主よりは幾分マシだということ。
ヒソカは歌うように滑らかに、を縛る言葉を紡ぐ。
彼女を鎖に繋ぎとめる為の、ブラッド・スペル。
ずっと、自分から離れられぬように。
あの男に捕らわれる。これは罠だ。
そう解かっていて、自ら罠にかかりに行く私は、きっとどこか狂ってる。
あの綺麗な男は、誘うように言葉を紡ぎ、手を引き、私を導く。自らの闇の底へと。
何のことは無い。
ただ、主が変わっただけ。
私はただの『所有物』なのだから。
彼の興味を失えば、その時は、私は確実に葬られる。
けれど、新しい『主』は、きっと私を手放しはしないだろう。永遠に。
それも、知っている。
私は狂ってるのだろう。そう。解かってる。
でも、この狂気は止められない。あの男も。私も。
きっと、同類。同じモノ。
同じ闇を共有でき、同じ闇に生きられる。
闇に呑まれながら、闇にたゆたう人形。
ただ一つだけ、気になることがある。
彼の闇は、私にとって心地よいのだろうか。
思わぬ収穫があった。
イイ『玩具』を手に入れた。それも、とびきり上等の。
同じ香りがする女。
綺麗な綺麗な殺戮人形。
マリオネットは、自分の意思では動かない。『操る者』がいなくては。
これからは、ボクが操ってあげるよ。
闇の中、ヒソカは嬉しそうに哂った。

===== あとがき ===
ヒソカ夢でした(・▽・)
あんまり仲良くない気が……でもこれはドリームだと言い張ってみる(’’
捕縛!って感じで。狙われたが最後って感じもしますが(・ω・)
読んでくださってありがとうございました!
(2015.8.27 山藤)
2007.5.2 修正